皮膚の壁
一月二十日:作

■ 3

私は思う。人が人を好きになるのはまるで月蝕の様だと。
好きになる瞬間は、相手の顔・身体のどこか、それも端っこに傷が出来る様なものだと。
その傷を拡げる菌は自分。
傷のどこかに気持が入り込む。
気持はどんどん相手を讃えて行く。
好きでもないものが好きになる。
傷は熱を発しながら、相手を甘い膿で侵食して行くのだ。

真美はさして美人でもない。
細い身体も年齢の恵みだろう。

最初の数日、真美は私の問いに言葉で答えることはなかった。
分かったか分からないかこちらが分からない程の小さな頷きをする程度だった。
返す表情も能面の様に変化がなく、むしろ鬱陶しがる様に映った。
私はそんな真美に一種の挑戦心を抱く様になっていた。
「必ず心を開かせる」と。

真美に微笑みかけた。
真美に励ましの言葉をかけた。
真美の手を取って仕事を教えた。
可能な限りの優しさというものを振りかけた。
しかし真美は凍ったままだった。
私は自信をなくした。
反面私はそんな真美に惹かれて行った。
それは男女の勝ち負けの世界だった。
私は負けていた。
…真美の額の辺りに傷が出来ていた。
私の気持がその傷に食い付いた…

ある日真美の靴が壊れた。
ハイヒールのピンが折れたのだ。
社の女子社員のヒールを借りた。
真美に「履いてごらん?」と渡した。
真美は無表情でヒールを脱ぎ始める。
白いストッキングの中に真美の踵の色、足裏の色、指先の色が透けている。脱ぐ姿のスローモーションの中で、それらが綻ぶ様に目に入って来る…
その薄い桃色からストッキングの白を引く時、真美の素足の色が脳裏を支配した。
健康な赤。力を込める時、黄色掛かる赤。
私は初めて真美に欲情した。
そんなある日、真美は部署を移って行った。
一瞬にして私の前から消えた。

「赤フェチなのかな? …僕は…」
真美が消えて暫く、煙草を吸う度にそう呟く様になった。

「仕方ないんだよ。人員が不足してね、ここは先ず頭数だけでも揃えなければ。」
「しかしあの子には酷ですよ。」
「いや、補充人員が入れば戻すさ。」

真美の社内出向を巡って、上司に私は食い下がった。
それは真美のためを思ってではない。
真美の足の赤への未練だ。
あの赤の正体…その色の正体、触り心地、その匂い、せめて足だけでも味わいたいという未練だけ。

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