深い水底
晶:作

■ 第三章2

私は今でも悔しい。
その出来事で、一番傷ついたのは、晶本人であることは、誰の目にも明らかだった。

しかも、顧問の先生が行った抜擢人事が、裏目に出てしまった。

彼女は、更なる成長を期待されて、二年生で主将に指名された。
通常、主将は三年生が務めるものなので、これは異例である。

ところが、これが悪い方へ作用した。彼女は、プレッシャーからか、調子を落としている。
彼女は面倒見の良い人間ではあったが、高校までに、主将という立場を経験してはいなかった。

ひとたび部活を離れれば、いつもの明るい晶に戻るのだが、私の気がかりは続いている。
誰よりも美しく、早かった晶の泳ぎは、いつになったら蘇るのだろうか。

それを誰よりも一番心待ちにしているは、ライバルである私だった。

週が明けて月曜日。じめじめして、蒸し暑い。
小雨が降ったり止んだりで、窓の外の空はどんよりと曇っていた。

一週間が始まったばかりなのに、こんな天気なんて残念。
講義の終了を告げるチャイムが鳴ると、階段教室の中間あたりの席で、私はため息をついた。

三限終了後は、晶、そして高校時代からの友達である、麻衣や由美子と合流し、
練習が始まるまでの一時間半、カフェテリアで四人でおしゃべりをして時間をつぶす。

ところが、この日は、晶から来れないというメールが届いた。

最近、無理して元気に振る舞っているようなところがあり、私は心配だったのだが、
立ち入り過ぎるのも気が引けたので、仕方なく、三人で時間をつぶすことにした。

麻衣たちはアイスコーヒー、そして、私はいつも通り、アイスティーを注文する。

「晶、最近元気ないみたいだけど大丈夫?」

由美子はさすがに鋭い。高校の時から、四人のリーダー的存在だった。
理工学部に所属し、将来は研究者を目指しているという変わり者だ。

「大会が近いから。それに主将っていろいろ大変なのよ。」

麻衣が笑顔でうなずく。

一度、四人で近くのプールに泳ぎに行ったことがあるのだが、
そこでの晶の泳ぎに、麻衣は心酔した様子だった。

「二年生で抜擢ってすごいよね。普通は三年生になってからだよね。」

麻衣とは対照的に、由美子は心配そうな顔をしている。

「でも、二年生になったから、あまり調子良くないんでしょ?」

四人の中で一番背が高い由美子はバトミントン部に所属している。体育会系ではなく、サークルだが。

「それよりも、駅前に新しくできたケーキ屋さん、今度行ってみない?」

私は意識的に話題をずらした。
由美子が一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに引っ込めた。

彼女は多分、気が付いている。晶が元気がない原因が、水泳部にあることを。
昨年夏に起こったあの出来事を、私は彼女たちに、あえて伝えていなかった。

晶が言わないでくれと、私に口止めしたからだ。
友達想いの由美子が聞いたら、憤慨してやっかいなことになりそうだというのが理由だった。

その日、流行りのファッションやら、いろいろな話題が出たのだが、私は晶のことが気になって、
半分も耳に入らなかった。由美子は、時折、じっと私の目を見つめてきた。

いつかちゃんと話さないといけない。
由美子は怒るだろうが、私なんか思いもよらぬ方法で、晶の元気を取り戻してくれるかもしれない。

彼女たちと別れると、私は西棟校舎の裏側の階段を降りて、体育館へと向かった。
着替えを済ませると、屋内プールへ急ぐ。おしゃべりに夢中で、練習開始ぎりぎりの時間になってしまった。

ところが、先に行っていると言っていた晶の姿がどこにも見当たらない。
顧問の吉田先生に尋ねると、具合が悪くなったので、急遽欠席するという連絡が入ったとのこと。

「原田は何も聞いてないのか?」

「ええ・・・今日はまだキャンパスで会ってないんです。」

私は急速に不安が膨らんでいくのを感じた。
心の変調が、体調にも影響を及ぼし始めたというのだろうか。

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