深い水底
晶:作

■ 第三章3

練習終了後、更衣室で携帯電話を取り出してみたが、晶からのメールは無い。
具合が悪くて、メールを打つことすら、できなかったのだろうか。

その日、何度か携帯を鳴らしてみたのだが、結局、晶が出ることはなかった。
具合が悪い人間に、あまりしつこく電話するのも悪いと思い、三度目で私は諦めた。

翌日の火曜日。晶の様子がおかしかった。
一限目の授業。階段教室の中程に座った私の隣に、友人は蒼白な顔をしたまま、腰を下ろした。

「おはよう。昨日はびっくりしたよ。体調悪いって聞いたけど、大丈夫?」

私は、あえて明るい声で話しかけた。

「ええ・・・何も言わずに帰ってしまってごめんね、奈央。」
 
うつむき加減に話す晶。前髪に隠れ、その表情は読み取れない。

「無理してない?顔色悪いし、元気ないみたいに見えるよ。」

「ううん、なんでもない。ちょっと疲れただけだから、心配いらない。」

晶は、ちゃんと目を見て話をしてくれなかった。その仕草が、私を不安にさせた。
幼いころから、晶が嘘をつくときの癖。ずっと変わっていない。

「奈央、ごめんね。わたし、ちょっと用事があるんだ。」

講義が終わると、晶はすぐに教室を出て行ってしまった。
取り残された私は、呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。

「晶、最近忙しいの?なかなか会えないよね。」

この日も、三人だけでカフェテリアに集まることになった。
四人の中では、一番楽天的と言える性格の持ち主である麻衣が、笑いながらつぶやく。

テニスサークルに所属している彼女には、付き合っている男の子がいる。
晶と私は水泳、由美子は研究に忙しいため、麻衣のように相手を見つける時間がなかなか無い。

「ええ、そうね。晶、最近疲れてるみたいだから・・・」?

漠然としたものだった不安が、しっかりと形のあるものへと変わろうとしていた。
晶は、何かで悩んでいるに違いない。しかも、それは私にも相談しにくいレベルの悩みだ。

由美子の視線が厳しかった。知っていることがあるなら話しなさい。目はそう語っていた。
無邪気な麻衣がいてくれることが救いだった。二人だけなら、どれほど気詰まりか。

月曜日のように、晶が練習を休むことはなくなった。
三限後のおしゃべりにも、隔日ではあるが、参加するようにはなった。

ただし、晶の表情は日に日に曇っていった。
いつもは、おしゃべりの中心にいるはずの彼女が、三人の話に、控え目に相槌を打つだけになった。

練習でも、晶の様子はおかしかった。
タイムは低迷の一途をたどり、かつての美しいフォームも、見る影がないほどまで崩れてしまった。

そして、何よりも、主将としての統率力が影を潜めた。
ほとんど何も話さず、熱心に面倒を見ていた後輩の指導も、ここ数日はやめてしまっている。

明らかにサイズの合っていない水着で練習に参加し、周囲を驚かせたことも記憶に新しい。
時には、今では誰も使用しないような、古いタイプの水着で練習に参加することもあった。

そもそも、人一倍タイムに敏感で、速く泳ぐための水着にこだわっていた彼女が、
競技に適さない水着を自らの意思で着用することが、私には信じられなかった。

私たちは、仲の良い友人ではあるが、プールに入れば、その関係はライバルに変わる。
お互いに絶対負けたくないという気持ちから、練習では、ほとんど言葉を交わさない。

私は遠くから、友人を見つめることしかできなかった。

晶、いったいどうしちゃったの・・・。どうして、私に何も話してくれないの?

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