深い水底
晶:作

■ 第五章1

晶と口をきかなくなってから、二週間が過ぎようとしていた。

勉強にも、水泳にも、集中することが難しい二週間だった。
タイミングが悪いことに、イギリスへの留学の話が持ち上がっていた。

水泳に集中したいので、四年生になって引退するまでは留学はしないという意思を、
所属するゼミの教授には示し続けてきた。

しかし、今回の話は特別だった。
卒業してからの進路にも有利に働くことが確実な、魅力的な留学先だった。

目標としてきた、晶との約束の実現が危ぶまれる状況となってしまったことで、
私の心は揺れていた。

「前向きに考えてみてはどうかな。悪い話じゃない。」

ゼミの教授は真剣な顔つきで、そう言っていた。

留学するとなると、水泳ができなくなる。しばらく晶とも会えなくなる。
今のような状況のままで、彼女とお別れをするのは辛かった。

彼女と過ごしてきた十数年間は、そう簡単に、過去のことだと割り切れるようなものではない。

それに、彼女の告白を真実とは認めたくない自分がいるのも事実だった。

確かに、他の人から見れば、異常とも思えるほど、一緒にいる時間は長かったかもしれない。
しかし、二人の間に、友情以外の感情は無かったと私は思うのだ。

いろいろな思い出を、頑張って記憶の角から引っ張り出してみるのだが、
そのような兆候があったと思えるような出来事を、私は見つけることができなかった。

クラスで気になる男の子の話をして、好きな歌手のコンサートにも一緒に行った。
私の目から見て、晶は普通の女の子だった。複雑な内情を抱えているようには思えなかった。

晶の告白は、やはり嘘だったのだろうか。
そうなると、彼女がなぜ、あのような告白をしたのかが、分からなくなる。

何かを見落としているのかもしれない。何かが引っ掛かっている。
記憶の糸を手繰り寄せて、唐突に、あの日のことを思い出した。

そうだ。一か月近く前、晶は無断で練習を休んだことがあった。
あの時は、体調が悪かったのだろうとしか考えなかったが、彼女がおかしいのは、あの日からだ。

翌日の彼女の蒼白な顔を思い出す。もっと早く気が付くべきだったと自分を責めた。
あの日、私にも打ち明けられないような、何かがあったのかもしれない。

もう一度、きちんと彼女と話をしなくてはいけないと思った。

そうしなければ、きっと私は後悔する。
留学するのかどうかを決断する上で、彼女の存在は、避けて通れないものだった。

彼女と話そうと決心したものの、なかなか機会を見つけられず、数日が過ぎた。
私は、夏の太陽できらきらと輝く、屋外プールの水面を、ベンチに座りながら見ていた。

体育館の屋内プールは、県内の高校の大会で貸し切りとなる時期がある。
この期間、我々は屋外プールを使用して練習をする。

屋外プールの場合、水温が安定しないなどの問題点はあるのだが、青空の下での開放的な練習自体、
私は嫌いではなかった。

しばらく私が主将を代行していたが、顧問の吉田先生、大学OBのコーチ陣との話し合いにより、
このタイミングで、晶に戻すことが決まっていた。

いつまでも隠していることができず、留学の件を、吉田先生には正直に話した。
彼は小さくうなった後、こう言った。

「原田の将来だ。悔いの無いように、ゆっくり考えろ。」

「こんな状態で、練習に臨むのは、他の部員に申し訳ないです。」

「気にするな。ただ、もし留学するとなったら、正直痛いよ。」

苦笑いする。先生にしてみれば、晶と私の二人が計算できないのは、厳しいだろう。

「二週間以内に決めます。留学先のスケジュールもありますから。」

「とりあえず、主将代行は解く事にする。いいな?」

「ええ。」

「奥山も調子を戻しつつある。屋外プール練習開始のタイミングで、考えている。」

吉田先生は、晶が復調していると考えているようだった。
私にはそう思えなかったが、話をややこしくしたくはなかったので、素直に従う事にした。

「分かりました。」

屋外での練習の場合、主将がプールに異常がないかをチェックして、施錠する。
これは、女子の主将と、男子の主将が、交替で行うのが慣例だった。

主将に戻るという事は、晶が隔日で、プールの施錠をするという事を意味していた。
私は、彼女と二人きりで話す機会は、このタイミングしかないと思った。

そして、彼女が当番である今日。私は練習終了後、扉の外で、晶を待つことにした。
人気が無くなったプールは、少し前までの喧騒が嘘のように静まり返っていた。

「晶・・・」?

唐突に呼びかけられ、晶はハッとこちらを振り返った。プールの扉に施錠しているところだった。

「この間はごめんね。あんな言い方して・・・」

晶は、私から目を逸らし、横を通り過ぎようとした。

「お願い、待って・・・話を聞いて。」

晶は立ち止まった。だけど、こちらへは振り向かない。。

「見てたよ。昨日も今日も・・・ずっと晶が泣いているのを。」

「・・・泣いてなんかいないわ。」

晶は振り返ると、キッと私を睨みつける。

「何があったのか話して。この間の告白、晶の真意とは思えないよ。」

「そんな事ないわ!」

晶は声を荒らげて否定した。しかし、表情は内心の動揺を隠し切れてはいなかった。

「一か月近く前、練習を休んだ時に、何かがあったのね。」

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