深い水底
晶:作

■ 第五章2

カマをかけてみた。
晶が大きく目を見開く。やはり間違いない、そう確信した。

「・・・・・・」

晶は、急にそわそわし始めた。何かに脅えているような雰囲気を漂わせ始める。

「ねえ、一体何があったの?話してよ・・・私たち、友達でしょ?」

「何もないってば!」

私を見ようとはせず、こぶしを握りしめながら、自分に言い聞かせるように言葉を吐き出す。

「私はふられた。それだけよ!」

目を見て話してくれない。彼女が嘘をつくときの癖だ。
私がそれを見逃さないことを、当然彼女は分かっている。だからこそ、晶は苛立っている。

「嘘よ。信じないわ。」

「知ったかぶらないでよ!奈央に、私の何が分かるっていうの?」

「分かるわ。だって、ずっと一緒に・・・」

「この間みたいに襲われたいの?嫌なら、さっさとここから消えることね。」

会話を途中で打ち切ると、晶は、私を押しのけて、その場から立ち去ろうとする。

「晶・・・」?

あまりの剣幕に、その場を動く事ができなかった。

喧嘩をしたことはあるけれど、こんな風に、私を拒絶する晶を見るのは初めてだった。
晶の告白は嘘だったのではないかという疑いは、確信に変わりつつあった。

だけど、彼女が心を開いてくれない限り、私にはどうすることもできなかった。
正面突破を試みたが、失敗に終わってしまったのだから。

あまり気が進まなかったが、晶のことを、遠くから見張ることにした。
彼女は何に脅えているのか。話してくれない以上、自分で突き止めるしかなかった。

それから数日後。

着替えを済ませて、更衣室から出た私は、晶が思いつめたような表情で廊下を歩いて行くのを目撃した。
後ろめたい気持ちもあったが、彼女の後をこっそりと追いかけてみることにした。

体育館を出ると、足早に、屋外プールの方向へと歩いて行く晶。
プール入口の施錠はこれからなので、この行動自体におかしいところはない。

今日は晶の当番の日でもある。しかし、私は胸騒ぎを感じていた。どうも嫌な予感がする。
晶の人目を忍ぶような足取りが、不安を掻き立てた。

「あれ、奥山さんじゃないか?」

「戸澤君・・・」

「もう屋外プールを施錠するの?」

突然聞こえてきた、男子の主将、戸澤君の声に驚き、私は木立の陰に身を隠す。
晶は、悪戯を見付けられた子供のような表情を浮かべている。

私や晶と同じ二年生。理工学部では、由美子と同じゼミに所属している。
あまり表に出てくるような性格ではないのだが、水泳の実力は、折り紙つきだった。

N大学は、水泳における名門校であったが、ここ数年、県大会では低迷していた。

晶や戸澤君の、二年生での主将抜擢は、もちろん彼らの実力に、先生やOBが惚れ込んだことも大きいが、
三年生に発奮してほしい、一年生への刺激になってほしいとの願いもあったのかもしれない。

実力次第では、学年に関係なく主将に抜擢する。部員全体に向けてのメッセージだった。

ただし、私は、それだけではないと思っている。
同い年の人間を、男子の主将にすることは、吉田先生なりの、晶への配慮だったのだろう。

他の事へと飛びそうになっていた意識を、再び晶と戸澤君に戻す。

「うん・・・それに、今日はちょっと真田君に用事があって。」

口ごもる晶。
真田君の名前が出てくるのは意外だった。彼女が毛嫌いしている部員である。

「え、真田に用事?」
 
戸澤君の声にも、明らかに戸惑いの色がまじる。

真田君のことが、私は苦手だった。一学年下の商学部生。
彼の素行、練習態度を見ていて、正直なところ、水泳部をクビにならないのが不思議なくらいだった。

今年になって、一年生の女子が二人辞めた。詳しくは知らないが、その理由は真田君にあったらしい。
一人は、晶が可愛がっていた後輩だったので、彼女の怒りは相当なものだった。

晶が、ミーティングの際、彼を名指しで批判して、男子部員と揉めたのが記憶に新しい。
彼と仲の良い、二年生の男子数名と、一触即発の状態になったのだ。

彼女は、物怖じしない性格で、おかしいと思うものには、正面からぶつかっていってしまう。
そんな性格を、気持ち良いと思う反面、危なっかしいと感じることも少なくはなかった。

私の方はと言えば、真田君のことが怖くて、意見する事はおろか、近寄ることさえできなかった。
練習後、他の男子数名と、一緒に煙草を吸っているのを見て、とても怖かったのを覚えている。

水泳の実力は、そこそこあると感じているが、練習中に悪ふざけをしたり、
真面目に練習している女子に、ちょっかいを出している姿にも、共感を持てなかった。

短く刈り込んだ髪を金色に染めていて、常に何かを睨んでいるような、一重まぶたの細い眼。
その風貌は、私に暴力というものを連想させた。

「練習態度や素行の件で話し合うつもりなら、僕も立ち会おうか?」

戸澤君が助け船を出す。男子部員の問題行動には、彼も責任を感じているのだろう。

「そういうことじゃないから安心して。」

「でも・・・」

「戸澤君のことは頼りにしてる。だけど、今回はそういう話じゃないから。」

「わかった。呼び止めてしまって、ごめん。」

戸澤君は、そう言うと、スッと道を空けた。
小さく頭を下げて、彼の横を通り過ぎると、晶は屋外プールの方向へと消えて行った。

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