母はアイドル
木暮香瑠:作

■ アイドルが家にやってきた1

 耕平は、五日間の合宿を終え、家路に急いでいた。バンド仲間の龍一と一緒に……。

 耕平は、仲間たちと四人でロックバンドを結成している。メンバーの一人、小林龍一が父親の伝を頼り別荘を借りることができた。龍一の父親はカメラマンをしており、芸能人とも人脈がある。その知人の一人が別荘を貸してくれたのだ。それも、小さいながらも録音スタジオがあり、バンドの練習にはうってつけの別荘だった。知人の好意により、ドラム、キーボード、アンプなど使わせてもらえると言う好条件。何より、ドラムとかキーボードなど嵩張る楽器を持ち込まなくて良いのは夢のような条件だ。特に、キーボード担当の耕平とドラム担当は、大喜びした。避暑地の別荘は、周りに気を使うことなく練習が出来るし、外に出れば自然を満喫でき気分転換も出来る。高校生活最後の学園祭に出演するための練習合宿。メンバー全員が、心弾ませ練習に励むことが出来た。

 音楽漬けの五日間を過ごし、心地よい疲労感の中、同じ最寄り駅の耕平と龍一は電車に揺られていた。残りのメンバー二人は、ひとつ前の駅で降りた。

「夏休みもあと一週間か……。宿題も残ってるしな……」
 高校三年生の耕平は、残りの夏休みのことを思って溜め息をついた。受験生でもある耕平は、これからの受験生活を思うと、高校生活最後の夏休みに音楽漬けの生活を味わえただけでも幸せだと思う。
「龍一、お前、宿題済んでんのか? 今度こそ落第点取るぞ?」
 耕平の問いにも返事が無い。龍一を見ると、ヘッドホンで音楽を聴いていた。

 耕平は、龍一が勉強をしているところを見たことが無い。勉強をしている気配も無い。ギターを弾いているか、女の子と遊んでいる龍一しか見たことが無いのだ。しかし不思議に赤点が無い。いつも赤点すれすれなのだ。龍一が赤点を取らないこと、学校を留年しないのが不思議だ。

 龍一は、学校でも評判のプレイボーイだ。バンドのリードギターを担当している龍一は、実際、女に持てた。180cmの長身に、ちょい悪の顔、少し危険な感じを漂わせる雰囲気は女たちの注目を浴びる。ギターテクニックも素晴らしく、プロに通用するのはバンド仲間でも龍一だけだろうと言われている。そんな龍一の演奏を聞きたくて、ライブに来る女の子も多い。そんな龍一だから、彼女がいなかった事なんてない。それも毎月、彼女が変わる。学校内に一人、他の学校にも彼女がいるなんてこともしばしばだ。そして、付き合いが一ヶ月もてば良い方で、何人の女の子が龍一に泣かされただろう。その全員と肉体関係を持っていると言うのは事実みたいだ。街で見かける龍一はいつも女と一緒で、近くにラブホテルがある場所でだ。

 そのような龍一を見て、悪い噂も立っている。落第しそうな科目の担任に、自分の彼女を抱かせて買収していると言うのだ。この噂も本当かもしれない。バンド仲間も耕平も、龍一とはバンド練習の姿しか知らない。集まっても、音楽の話か女の話しかしない。プライベートで知っていることと言えば、親父さんと二人暮しで、親父さんはプロのカメラマンと言うことぐらいだ。
 親子二人暮しと言う事は、耕平と同じ境遇である。耕平も、十二年前に母親を亡くしてからは、中学教師をしている父親と二人暮しなのだ。耕平は、女癖が悪い龍一に対して嫌悪感を持ちながらも、不思議な親近感を感じていた。そして何より彼のギターテクニックは、彼以外スターメンバーのいないバンドには欠かせないものだった。

 問いかけに答えない龍一に少しムッとなって、耕平はヘッドホンを龍一の耳から剥がした。ヘッドホンからは、アイドルの歌声が聞こえてきた。
「なんだ、また星野奈緒か」
 ロックバンドが聞くには相応しくない音楽に、耕平は舌打ちした。

 星野奈緒、今、一番注目されているアイドルだ。今年の春公開された映画で主演を演じ、好評を得た十七歳の女優。CMにも多く登場し、知らぬ者がいない正統派美少女女優だ。初主演で演じた女子高生役の彼女は、膝丈のスカートから伸びたすらりとした脚と大きな瞳、さらさらの背中の中腹まである黒髪、そして誰もを癒してしまう笑顔で一躍トップアイドルに伸し上がった。お年寄りから子供まで好感を得ている。もちろん一番のファン層は十代から二十代の若者だが……。龍一が聞いていたのは、その映画の挿入歌として彼女が歌った初シングルだ。

「星野奈緒ちゃん、かわいいだろ」
 龍一は、胸ポケットからトレカを取り出し自慢げに見せる。
「可愛いけど、どこがいいんだ? 歌だってそんなに旨くないぜ? 第一、歌謡曲じゃないか。お前にそんな趣味が有ったなんて聞いたことないぜ」
 プレイボーイの龍一の趣味とは違う清純派の星野奈緒のトレカを見て、耕平は呆れたように言う。
「声がいいんだな。この声……」
 龍一は最後の言葉を濁した。その声、奈緒の声は、なぜか龍一の心に心地よく響いた。なぜだか判らないが、懐かしささえ覚える。もう記憶も薄いが、六年前、父親の女癖の悪さに愛想を尽かして離婚した母親、龍一父子を捨て家を出て行った母親に似ている気がする。本当に似ているかは定かではないが、そのような懐かしさがするのだ。いや、妹がいたら、こんな声なのではないかと言う親しみさえ感じていた。

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