母はアイドル
木暮香瑠:作

■ 危険な愛戯10

 そして夕食が終わり、父親は風呂に入っている。バスルームからは、暢気に鼻歌が聞こえてくる。長風呂の親父のことだ、30分くらいは出てこないだろう。

 耕平は、キッチンで夕食の片付けをしているまさみの背後に立った。そして話しかけた。
「龍一と会ってたのか? ……今日も……」
「うん……」
 まさみは、振り返ることもなく小さく頷いた。
「今日はね、公園でHしちゃった」
 皿を洗う手が止まる。しかし振り向くことはなかったが、肩が小刻みに震えていた。
「すごく感じるんだよ、見られながするHって……。ホームレスの人たちに見られながら、逝っちゃった……、わたし……。すごく感じちゃった。本当の淫乱だよね、わたしって……。一緒に逝ってなんて……お願いまでしちゃって……」
 言葉に詰まりながら、俯いたまま背中越しに耕平に話し続けた。
「潮吹いたんだって、わたし……。可笑しいよね、鯨じゃあるまいし……、ふふふ……」
 ぎこちない照れ笑い……、声が震えている。
「まさみ……、龍一に、心まで奪われてしまったのか?」
 耕平の問いに、まさみはドキッとした。
「な、なに言ってんの!? わ、わたしが好きなのは……先生……だけだよ」
 振り返り反論するまさみ。しかし、龍一の名を呼び、快楽を求めてしまった。龍一に怒張を埋め込まれると全ての意識が飛んでしまう。そんな自分が居ることを知っている。そのことが、『好きなのは先生』と言う声を詰まらせた。

 先生を好きっていうのは形だけ? そんな思いがまさみを自己嫌悪に陥れる。先生では感じられない、わたしを感じさせてくれる龍一さん……。わたしの本当の恋人は……、わたしが感じられないのは本当の愛がないから? 形だけの愛だから? 感じさせてくれる人が本当の愛をくれる? まさみの心はぐるぐると渦を巻き暗闇に吸い込まれるようだ。まさみの心の葛藤は、耕平の前では隠しきれなかった。

 バスルームからは、シャワーの音が聞こえている。二人の会話は、バスルームの父親には届いていないだろう。耕平はまさみに、湧き上がる疑問を投げかけた。
「龍一を好きになったのか? そうなんだろ」
「判らないよ! だって、最初は恋人のふりしてたのに……、してただけなのに……」
 否定できない自分に苛立ち、声を荒げるまさみ。よく見ると、まさみの頬には一筋の涙の後がある。
「だ、だって……、誰も守ってくれなかったじゃない。浮浪者に襲われそうになった時……、龍一さんは守ってくれた、うっ、ううう……。だって、だって……、うっ!」
 感情を抑えきれなくなったまさみは、声を詰まらせ瞳に涙を浮かべた。

 まさみを守れるのは俺だけだったはずなのに……、すべて知っていたのは俺だけだったのに……。まさみがいくら、我慢するといっても止めるべきだった。
 幸せで明るい新妻を演じきっている星野奈緒。それに気付かない夫が悪いのか、知っていて助けられなかった自分が情けないのか。
 耕平の胸の中を自責の念と怒りが渦巻く。誰に向かっている怒りなのか……、龍一に対してなのか、父親に対してなのか……、それとも自分に対する怒りなのか判らない。

「……龍一さん、わたしを守ってくれた。それに、……感じさせてくれた」
 まさみは自分に言い聞かせるように、弁解の理由を見つけるように話す。小さな声で、訥々と喋る言葉が、小さな声とは裏腹に耕平の心に響く。
「オヤジでは感じなかったから……嫌いになったのか?」
「もう判らないよ、わたし……。誰が好きなのか……うううっ、ううっ……」
 耕平の問に、まさみの頬に涙が伝う。漏れ出した涙は、堰を切ったようにとめどなく溢れ、俯いたまさみの顎から落ち床を濡らした。

 耕平は、まさみの涙に切なさが込み上げる。気が付けば、まさみを抱きしめていた。抱き締められ顔を耕平の胸に埋めるまさみに、耕平の心臓の音が忍び込んでくる。
(あの時と同じ鼓動……)
 まさみは、耕平のクラスメート達にこの場所で犯された後、耕平に抱き締められた時を思い出していた。
(あの時、耕平君はわたしを守るって言ってくれた……。先生に知られるのがイヤで、それを拒んだのはわたしなんだ。わたし……、馬鹿だよね……)
 このまま、耕平に抱き締められていたら心が折れそうだった。先生がバスルームから出てきても、抱き締められたまま離れられなくなってしまう。
「駄目だよ、耕平君……。わたしには……先生が……いるから。わたし、耕平君のママだから……」
 まさみは耕平の胸を押し言った。
「あっ、ご、めん……」
 まさみの声に耕平は、慌てて身体を離した。そして俯いた。

 そうだ、こうなったのは全て自分がまさみを犯したことから始まったんだ。それまでは、龍一も、星野奈緒に対し女性を感じていなかった。ただのファンだったんだ、龍一は……。俺がまさみを犯したことが、龍一を凶行に走らせた。俺には、まさみを慰める資格なんて無い。

「優しいんだ。わたしがイヤだって言ったらやめるんだ……」
 自責の念に俯いている耕平に、まさみは心残りがあるように言った。
「これ以上……、優しくしなくていいよ……。優しくされたら……、わたし……」
 まさみが何か言おうとした時、バスルームから先生の暢気な声がした。
「おーい! バスタオルがないぞー!」
「はーい!」
 まさみは、慌ててエプロンで涙を拭いバスルームに向かった。

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