青春の陽炎
横尾茂明:作

■ 奸計3

「オネーサン綺麗だねー、チョットお茶しない」
声を掛けられたのは敏夫の家から目と鼻の先に有る、老舗の和菓子屋を出た時である。
由紀は盆前に田舎に帰り、級友にゆっくり会いたいと、明日からの帰省を楽しみにしていた。

 和菓子は母の好物である、最近はあちこちが痛いと言っては電話を掛けてくる母が疎ましく感じる事もあるが、娘の声が聴きたいばかりの電話であることは由紀には分かっている。

 由紀は子供の頃から、並外れて端正な容姿に恵まれ、母の自慢の娘であった。
母にとって唯一の気がかりは、容姿端麗過ぎて男が寄りつかないことである。
由紀が高校に行き始めた頃、近隣の男達が庭先に出没しハラハラしたことも有ったが当人は全く関心を示さなかった。

 由紀は今度の帰省で、母親が見合い話で手ぐすね引いて待っているかと思うと憂鬱な気持ちになるが、級友に会えることを思うと相殺される気分である。

 由紀はナンパしてきた男には目もくれず、完全に無視して横をすり抜けようとした時、男は
「何をシカトしてんだ」
と怒気を含んだ形相で由紀の横を並ぶように歩きだした。

 由紀は男を無視したことを後悔すると同時に恐怖を感じ始めた。
それは、男が偶然に会った女をナンパした…ではなく最初から意図を含んで接近してきたと直感的に感じたからである。

 道路には助けを求める人影は無く、恐怖の余り走り出したくなるのを堪え…黙々と歩いた。
「オネーチャン、ちょっと付き合ってくれんか」
男の顔は、先ほどの猫が鼠をいたぶるようなな余裕顔と異なり、明らかに人を支配する形相である。

 由紀はたまらず走り出した、男は素早く由紀の肩に手を掛け後方に引いた。
由紀は仰向けに転び、後頭部を路面にしたたかにぶつけた。
朦朧とする意識の中、近くで男の怒鳴り声を聞いた、意識が失われる刹那…複数の足音を聞いた。

 由紀の意識がはっきりしてきたとき、回りには人影は無く、災難は通り過ぎたと感じ、ホッと胸をなで下ろした。

 痛む後頭部をさすりながら立ち上がろうとしたとき、右肘に強烈な痛みを感じ、見ると肘から血が滴り落ちていた、転んだ際に切ったらしい。

 ハンカチを取り出し肘に当てながら、買った和菓子が潰れているのに気づき、泣き出したい想いで元来た道を戻りだした。
「ちくしょう…なんて逃げ足の早い奴だ」
と言いながらこちらに向かってくる人影に気づいた。
「先生怪我は有りませんでしたか」
とニコニコ笑いながら近づいてくる男、見覚えは有るが思い出せない…。

「先生、4組の高橋敏夫です」
…でも由紀には分からない。
「あなたが助けてくれたのですか」
「失礼ですがうちの生徒さん?」
と言ってから、こんな大人に生徒さん? は無いかと自嘲した。

「先生、イヤだなー…隣のクラスの敏夫ですよ」
…言われて由紀は男を凝視した…
「ごめんなさい」
「私服だったから全然分からなかったわ」
「へー敏夫君って、服を替えると先生より年上みたいネ」

「先生、それは無いでしょ」
とすねた顔で言う敏夫。
恐怖が過ぎた後の、晴れやかな思いで、由紀が無防備になっったのは確かである。

■つづき

■目次

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊