可憐な蕾
横尾茂明:作

■ 夏の初め1

井の頭公園の朝…。
木々の緑は初夏の陽を受け燃え立つかのよう…。

少女は池の側道を抜けた。
そして深い森を見ながら階段を登って小径に出る。
景色は大きく広がり、周囲が明るくなってきた。

少し熱を持った夏風が少女の髪を撫でる…。
(お父さん…今頃どうしてるのかな…)

少女は汗をハンカチで拭きながら父の事を思う。
あの夜から2週間が過ぎた、ヤクザに追われながら転々と逃げ回る父の面影を追う。

幼稚園…小学校…あのころの父はすごく優しかった。
母が亡くなり、入れ替わるように継母が来た…。

(そのころから…)
(お父さんは私に関心を示さなくなっていった…)

(お父さんが狂い始めたのは継母が逃げてから…)

父親が自分の体に繰り返し行った淫らな行為の数々。
恥ずかしくて…悲しくて死にたかった日々…。

またいま…さらなる性への怯えの中にその日を送っている。
自分は一体どうなってしまうんだろうと少女は思う。


「沙也ちゃん、おはよ」
後ろからの声に少女は我に返る。

「なに深刻な顔して考えてるのよー」

「ううん、何でもないの」

一週間前から友達になった同級の由紀が沙也加の肩を押した。

「だけど、あなたって…本当に謎が多いよね」

「何処が…?」

「だって、お家も教えてくれないし…何処から転校してきたのかも教えてくれないじゃない」

「フフフ、そのうちね」
沙也加は曖昧に微笑んで走り出す。
「由紀ちゃん、学校に遅れちゃうよ」

「もー、待ってよー」


1時間目は国語の授業であった。
沙也加は先生にあてられ鴎外の単説を朗読している。

それを男子生徒たちはあこがれの眼差しで魅入っていた。
沙也加は1週間足らずで同級男子の心を虜にしてしまったのだ。

窓辺の列に立ち上がり…清い声で朗読する少女の横顔は、朝の光を透かして美しく揺れた。

その美しさと可憐さを綯い交ぜにした美少女に、クラス中がうっとりとした目で見つめている。

この清らかな少女が…毎夜淫らな生殖行為に羞恥し悶えているとは…誰が想像できようか。

1時限目が終わり、少女は次の数学の該当頁に目を通していた。


「おい…あの子だよ」
「なっ、スゲーだろー」

「ホーッ、可愛いってもんじゃねーな…」

「なっ、徹さんがイカれるのも無理ねーだろー」

「んん…確かに…」
「でっ、あの子いつ転校してきたんだ」

「もう2週間になるのかな…」

「そー言えば…先週のチャンピオンの巻頭を飾ってた高田里穂に似てねーかな」

「ばーか、よく見てみろよ、あんなイモと一緒にすんな!」

「おいおい里穂がイモってことはねーだろー」

「でっ、どーするよ…」
「徹さん…一目惚れだって言ってるが…」

「俺はしらんよ」

「そのうち…あのプール裏の小屋に連れてこいって」
「命令されるんだろうなー…」

「お前がやれよ…俺は徹さんから何にも聞いちゃいねーからさー」

「ハーッ…やってられんぜ」

3年の男子二人が、窓越しに少女を見ながら囁いていた。

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