清めの時間
ドロップアウター:作

■ 17

「まだ、痛むの?」
 隣にいる恵美ちゃんに聞かれて、わたしは正直に言いました。
「うん、まだちょっと……」
 恵美ちゃんも、もちろん今のわたしと同じ姿勢を取らされています。しかも、胸をちゃんと隠しきれてなくて、ほとんど丸見えでした。
 さっき、恵美ちゃんの上半身にたくさんついていた赤い痕は、もうほとんど消えかかっています。それを確認できて、わたしは少しほっとしました。
 恵美ちゃんが心配そうな目で見ているので、わたしはちょっと笑ってみせました。
「大丈夫だよ。腫れてるとかじゃないから、別にこれぐらい……んっ」
 恵美ちゃんを安心させるつもりだったのに、わたしはまだ痛みのある部分をうっかり刺激してしまって、つい顔をしかめてしまいました。
 恵美ちゃんは、短くため息をついて言いました。
「玲ちゃん、手をよけて……ちょっと見せて」
「えっ、胸を?」
 少しどきっとしました。今日はとっくに色んな人に見られているのに、やっぱり恥ずかしくて、どうしようか一瞬迷いました。でも、自分も恵美ちゃんの胸見ちゃってるから、いいかなって思い直して、わたしはちょっとためらいがちに、ゆっくりと右手を下ろしました。
 恵美ちゃんは、さっき自分の上半身にもたくさんあった赤い痕が、わたしの体にもつけられているのを見て、少し眉をひそめました。
「痛そう。玲ちゃんの肌、白いから余計目立っちゃうね」
「うん。でも、もうちょっとしたら消えると思うから……んっ」
 ふいに、恵美ちゃんがわたしの胸に触れてきたので、びっくりしました。
 恵美ちゃんは、すぐに手を離して、わたしの顔を見上げて言いました。
「あっ……痛いとこ触っちゃった?」
「ううん。恵美ちゃんの指が、ちょっと……あっ」
 美佐に胸を触られた時のことを思い出して、わたしはつい慌ててしまいました。何も知らない恵美ちゃんは、きょとんとして、「あたしの指がどうかしたの?」と聞きました。
 わたしは、また笑ってみせて、ごまかしました。
「うん、指が……ちょっと熱いから、恵美ちゃん熱でもあるのかなと思って。大丈夫?」
「えっうん、別に何ともないけど……」
 ちょっと笑って、恵美ちゃんはまた、ふっと短くため息をつきました。
「玲ちゃん、あのね」
「なぁに?」
「……後悔、してないの?」
 そう聞いてから、恵美ちゃんはわたしが答える前に、「あっごめん」と言って、うつむきました。
「玲ちゃん、さっき言ってたもんね。最後までがんばるって。こんなこと聞いたら、玲ちゃんが余計つらくなるって分かってるのに……」
 恵美ちゃんは、優しいんです。いつもは少し幼く見えて……こう言うと恵美ちゃんはちょっと怒るけれど……こんな妹がいたらいいのにって思うくらい、すごくかわいいんです。それに、わたしがつらい時には、誰よりも優しくしてくれるんです。恵美ちゃんと出会わなければ、わたしは本当に、立ち直れなかったかもしれません。
 だから……恵美ちゃんお願い、そんなつらそうな顔、しないで。
「後悔なんか、してないよ」
 わたしは、きっぱりと言いました。
「でも、どうしてもつらくなったら……恵美ちゃん、わたしのこと、助けて……」
 言ってから、わたしはちょっと照れくさくなって、うつむいてしまいました。
 すると、恵美ちゃんが、ふいにわたしの右手を握ってきました。
「助ける、助けるから……あたしが、あたしが玲ちゃんのこと、守ってあげる」
 わたしは、慌てました。
 だめっ、恵美ちゃん。わたしの右手、触っちゃだめ……。さっき、右手で脱脂綿をつまんで、股間を拭いたばかりなのに……軽く水洗いはしたけれど、まだきれいに洗っていないのに……。

   ※

 ふいに、水の音が聞こえました。
 振り向いてみると、鈴木先生が、水の入ったバケツとひしゃくを持って、わたしが立っているところに歩み寄ってきていました。
 いやっ、見ないで下さい……!
 わたしは、思わず両腕を組んで、胸を隠しました。さっきまで、なるべく隠さないようにして、どうにか裸を見られることに慣れようとしていたけれど、やっぱり、恥ずかしくて……。
 先生は、バケツの中にひしゃくを入れて、わたしが今立っている少し手前に置きました。
 涙が、止まりません。あの時のことを思い出すと、いつもそうなんです。急に悲しくなって、頭の中がぐちゃぐちゃになって、泣いてしまったりします。一度、トイレに駆け込んで泣いているところを恵美ちゃんに見られて、心配されてしまったこともあります。ちょっと、病気かもしれません……。
「北本さん」
 兵藤先生に呼ばれて、わたしは顔を上げました。
「そこの線の上に、さっきお辞儀をした時みたいに、かかとを揃えて立って」
「あっ、はい」
 言われたとおりに、かかとを揃えて線の上に立ちました。
 泣いている場合じゃないんだって、やっと気づきました。これから、本当に苦しいことに耐えなきゃいけないんです。
 ふと、兵藤先生が少し屈み込んで、あまり背の高くないわたしに目線を合わせました。
「これからね」
「はい」
「これから……あなたの体を、指で押して……圧迫していくからね」
「えっあっ、圧迫……」
 わたしはびくっとして、変な声を出してしまいました。
「そう、圧迫するの。胸、お腹、下腹部の順にね。そうやって、体に憑いた悪いものを外に追い出すの。だから、少し……いいえ、かなりの痛みがあるかもしれないわ。でも、我慢しなさいね」
「はっ、はい……」
 わたしは、乳房を押さえている右腕を、ちょっとさするように動かしました。
 ここが……乳房が、これから痛めつけられるんだって思うと、背筋が寒くなりました。さっき美佐に教えてもらった時から心の準備はしていたつもりだったけれど、いざ先生に言われると……怖くなってきました。
「北本さん」
 兵藤先生は、そう言って、わたしの頬にそっと右手を当てました。
「今のうちに言っておくけど……簡単には、やめないからね」
「……えっ」
「これは儀式だから、途中でやめちゃうと効力がなくなるの。だから、よほどのこと……たとえばこれ以上続けると命の危険があるとか、そういうことでない限りは、儀式を中断したりしないから。たとえ、あなたが泣き叫んだとしてもね」
 先生の言葉が、胸の奥にずっしりと響きました。
「私だって、本当は生徒を痛めつけるようなことはしたくないの。でも何度も言ってるけど、これも、しきたりなの。この風習はね、途中で儀式を抜け出した者にも、始めから参加しなかった者と同じペナルティが課せられることになっているの。だから……」
 先生は、短くため息をつきました。
「まあ、もしもあなたが、気が変わってそのペナルティを受け入れると言うなら、話は別だけど」
「そっ、そんなこと」
 つい、大きな声を出してしまいました。
 休憩時間に仲良くなったばかりの美佐や、親友の恵美ちゃんの顔を思い浮かべました。
 いやっ、そんなのいや……わたし、もう……ひとりぼっちになんかなりたくない!
「……そんなこと、しません」
 わたしはうつむいて、か細い言いました。
 すると、兵藤先生はちょっと笑って、わたしの雨に濡れたショートボブの頭を、手のひらでぽんぽんと軽く触れました。
「そう言うと、思った」
 そしてまた、笑みを引っ込めて、静かに言いました。
「じゃあ、そろそろ……始めるわよ」
 顔を上げて、わたしは「はい」と短く答えました。
 やっと、やっと……涙が、止まりました。

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