清めの時間
ドロップアウター:作

■ 21

 あたしは……やっぱり玲ちゃんには、こんなところに来て欲しくなかった。
 玲ちゃんが傷ついていくところなんか、見たくなかった。あたしは……玲ちゃんのことが、好きだから。

 玲ちゃんと初めて話をしたのは、四月の内科検診の時だった。
 その日、生徒は体操服に着替えて、保健室で検診を受けた。女子は、五人ずつ中に入って、順番の三つ前になったら、シャツと下着を脱ぐようにって看護婦さんに言われた。
 その時……玲ちゃんの様子が、おかしかった。
 玲ちゃんは、なかなか裸になろうとしなかった。三つ前になっても、二つ前になっても。
「そろそろだから、今のうちに脱いでおこうね」
 看護婦さんに、そうやって何度も注意されたけれど、玲ちゃんは動かなかった。それでも、シャツの裾に手をかけて脱ごうとはしていたけれど、ちょっとだけ引き上げては、またすぐ元に戻してしまった。あたしは玲ちゃんの一つ前だったから、振り向くと、玲ちゃんのおへそがちらちら見えた。
 女の子だから、人前で服を脱ぐのが恥ずかしいのは当たり前なんだけど……ちょっと変だなって思った。
 玲ちゃんは、血の気が引いたみたいに、青ざめた顔をしていた。膝が少し震えていた。
 恥ずかしがっているというよりも、何だか……怯えているみたいだった。
 あたしは、もしかして玲ちゃんは、体に何かコンプレックスを持っているんじゃないかなって思った。あたしが、そうだから……。

 保健室を出た後、あたしはトイレに行って手を洗っていた。
 そしたら、玲ちゃんがトイレに入ってきた。
 さっきのことがあったし、この時はまだ玲ちゃんと話をしたことがなかったから、あたしは何て声をかけたらいいのか分からなかった。
 そしたら、玲ちゃんの方から話しかけてきた。
「村野恵美さん……だよね?」
「う、うん……」
 何となく、どきっとした。
 ハンカチで涙をぬぐって、玲ちゃんは言った。
「さっきは……変なとこ見せちゃったね。気を使わせちゃったかな」
「あたしは別に、気にしてないけど。でも、そんなに恥ずかしがることもないんじゃないかな。女の子同士なんだし……」
 ああ、余計なこと言っちゃった……ちょっと後悔した。玲ちゃんは、ただ恥ずかしいから服を脱ぐのを嫌がってたわけじゃないんだって、あたしは気づいてたのに……。
 玲ちゃんは、小さくため息をついて、ぽつりと言った。
「……病気だから、わたし」
「えっ?」
「時々、あんなふうになっちゃっうの。恥ずかしいっていうのもあるんだけど、なんていうか……」
 目を伏せて、玲ちゃんは言った。
「不安になるの」
 あたしは、玲ちゃんの言葉が、よく理解できなかった。
「不安に……なる?」
「うん、なんか……誰かに何かされるんじゃないかって、そういうこと考えてちゃって……あっ、ごめんなさい」
 そこまで言って、玲ちゃんは顔を上げた。
「村野さんが何かするんじゃないかって思ってるわけじゃないの。あたしが勝手に、そういうこと考えてしまうだけだから。ほんとに、病気みたいなものだから、自分じゃどうしようもなくて……」
 玲ちゃんはそう言って、悲しそうに笑った。
 あたしはその時、思い出したことがあった。
 入学して間もない頃、女子の誰かが、こんなことを言っていた。
「北本さんて、不登校だったらしいよ」
 もしかしたら、保健室でのことは、玲ちゃんが不登校だったことに関係があるかもしれないって、その時ふと思った。

 思わず、あたしは言った。
「北本さん、あたしね……まだ、生理が来ないの」
 それはあたしにとってすごく恥ずかしくて、仲の良い友達にも言えなかったことだった。
「そう……なんだ」
 玲ちゃんは、少し戸惑ったような顔になった。
「さっき……あたしの裸、見たでしょう?」
「うん、ちょっとだけ……」
「小さかったでしょう、あたしの胸。あたし、小学生の時から……発育が普通より遅いってお医者さんにずっと言われてて、生理も当分来ないって……」
「来ても、面倒なだけだよ。わたし、しょっちゅう気分悪くなるし」
「それは分かってるけど……でも友達によくからかわれて、ブラジャーいらないんじゃないのって……」
 何だか、あたしの方が悩みを聞いてもらっているみたいだった。ああ……どうしてこんなことまで話してるんだろう。今つらいのは、玲ちゃんの方なのに。
 玲ちゃんは、何も言わずに、ただ大きくうなずいた。それから、ちょっと微笑んだ。まるで、「分かってるよ」って言ってくれているみたいに。
 そして、玲ちゃんは意外なことを言った。
「……ありがとう」
「えっ?」
「あっ、ごめんね。ありがとうって言うのはおかしいかな……でも、すごくうれしかった。こういうこと話してくれる人、今まで誰もいなかったから」
 あたしは……涙が出そうになった。玲ちゃんと話していると、心がすぅっと晴れていくような気がした。
「……北本さん、優しいんだね」
「そうかな?」
「うん、ちょっと優しすぎるよ。だから……」
「だから?」
 あやうく、「だから不登校になるんだよ」って言いそうになって、少し慌てた。
「ううん、何でもない」
 そう言って、あたしは玲ちゃんと、笑い合った。

 玲ちゃんと仲良くなったのは、そのことがきっかけだった。
 この後、玲ちゃんはクラスの他の子達とも少しずつ打ち解けるようになっていった。おとなしいけれど意外にしっかりしていて、それにすごく優しい子だから、クラスでの玲ちゃんの評判は悪くなかった。むしろ、仲良くなりたいという子の方が多かった。
 本当に、玲ちゃんが不登校だったということが、信じられないくらいに……。

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