狂牙
MIN:作

■ 第2章 ゲーム14

 乙葉は驚きでこれ以上ない程目を見開き、俺の顔を間近で見ている。
 口いっぱいの氷水を乙葉に飲ませた後、そのまま乙葉の口の中に
「やっぱり、お前は可愛いな…」
 低く呟いて遣った。
 乙葉の身体がその言葉で、ビクビクと震え、切なそうに歪み戸惑いの表情を浮かべる。
 俺は唇を放し、乙葉の顔を覗き込みながら
「ん? こんなのは嫌いか?」
 微笑みながら問い掛けて遣った。

 乙葉は、それが俺の悪戯だと気づき
「ご、ご主人様…こ、こんなの…狡いです…。こ、こんな事されたら…もう…もう…忘れられません!」
 真っ赤に顔を染め、目に涙を湛えて震える声で抗議した。
「そうか、嫌いなのか…」
 意地悪く言うと、乙葉は首をブンブンと左右に振り
「今日のご奉仕は今までで、最高の思い出になりました。絶対に嫌いになれません!」
 切羽詰まった必死の表情で告げる。
 俺はニッコリ微笑んで、空に成ったグラスを乙葉の額に乗せ
「そうか、気に入ったか…。じゃ、頑張ったお前のご主人様に、今日のねぎらいをしてくれるかな? 当然、お前も付き合うんだぞ…」
 静かに優しい声で命令した。

 俺の言葉を聞いた、乙葉の行動は早かった。
 額に乗せたグラスを両手で掴むと、俺の膝の上からクルリと回転し転げ落ち、そのままロケットスタートを切ってキッチンに走って行った。
 いつもの楚々とした雰囲気は、どこにも見あたらない。
 まるで、優葉と同じ行動だった。
(なんだかんだって言いながら、やっぱり姉妹だな…)
 俺は乙葉の意外な行動を目のあたりにして、思わず苦笑いを浮かべる。

 キッチンに消えた乙葉は、十数秒で用意を調え、戻って来た。
 俺は戻ってきた乙葉が手に持っていた物を見て、本当に驚いた。
「ご主人様、今日は何をお召し上がりに成られますか?」
 俺に問い掛ける乙葉が持っていた物は、右手にバーボン、ブランデー、ジン、焼酎のボトルを抱え、指先に2つのロックグラス、左腕にウインナーの盛り合わせと、チーズとクラッカーの盛り合わせを持っていた。
 乙葉の手際が良いのは十分に理解していたつもりだが、この準備の早さは流石に面食らった。
 呆気に取られる俺を尻目に、乙葉は優雅にサイドテーブルに荷物を並べる。
 俺の視線に気付いた乙葉が、キョトンとした表情で俺を見詰める。
「ああ、今日はブランデーを貰おうか…」
 俺はこの中で、唯一乙葉が飲める酒を頼むと、乙葉は流れるような動きで、ロックグラスにブランデーを満たす。

 俺にグラスを差し出しながら、ニッコリ微笑む乙葉。
 俺はその乙葉のグラスを掴まず
「乙…、俺は随分間抜けな格好をしてないか?」
 ソファーに凭れ掛かりながら、乙葉に告げる。
 まぁ、確かに自分で言うのも何だが、シャツを着た状態で、膝までパンツとズボンをずらし、下半身丸出しの俺はかなり間抜けな姿だった。
 乙葉は直ぐに俺の言葉に反応して
「申し訳御座いません、ご主人様…」
 謝罪しながら、ズボンを穿かせようとする。
「ん? お前、そっちで良いのか?」
 俺が問い掛けると、今日何度目かの驚いた表情を浮かべ、ペロリと舌で唇を舐め、ニッコリ微笑みながら
「失礼しま〜す」
 嬉しそうに手を逆方向に動かした。

 乙葉は俺のズボンとパンツを脱がせると、手際よくシャツを剥ぎ取る。
 俺を全裸にした乙葉は、気を取り直して俺にグラスを差し出すが、俺はソファーにふんぞり返ったまま、一向にグラスに手を出さなかった。
 乙葉は一瞬不思議そうな顔を俺に向けたが、俺は一切何も言わずそっぽを向く。
 困った乙葉は少し考え、有る結論に行き着いた。
 その結論は、俺の姿勢が乙葉に酒を頼む前と寸分違わぬ姿勢から得た物だった。
 乙葉はそれに気づき、恐る恐る身体を躙り寄せ、膝立ちになり、ソッと上体を預けながらグラスを俺の右手に持って来た。
 俺は自分の右手にグラスが当たると、そのまま乙葉を捕まえ
「遅い。この体勢だっただろ?」
 乙葉に笑いながら問い掛ける。

 乙葉はこれ以上ない程狼狽え
「は、はい…はい…」
 小さく何度も頷いた。
 乙葉がこれ程驚き狼狽えるのは、当たり前の事だった。
 俺はこんな事を、今まで一度も遣った事がない。
 俺はこの絶望的な状況で、正直諦めに近い感情を持っていた。
 優葉を行動させたのも、殆ど言い訳作りだ。
 何かしらの手柄を立てれば、俺はそれを理由にこいつらに優しくできる。

 こいつらは、俺がこのゲームに負ければ、恐らく即座に死を選ぶ。
 そんな覚悟をしている者に、俺は何一つ与えてやる事は出来無い。
 だが、そんな俺でも、思い出の一つも遣れれば、少しはこいつらも救われる。
 そう思っての、猿芝居だ。
 只の自己満足だがな。
 そして、名女優は俺の猿芝居に気付きながら、大根役者に付き合ってくれた。

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