狂牙
MIN:作

■ 第2章 ゲーム29

 俺が店に入ると、佳乃がニッコリと笑って、俺を迎え入れる。
 この子は、俺の一番相手をしてくれた和美が居なくなって、俺に付くようになった子だ。
 和美は家庭の事情で、店を辞め海外に移住したそうだ。
 ママも結婚して、店を辞め別のママが今では引き継いでいる。
 俺の側にはあまり来なかった、千恵と言う子も含めて、パタパタと3人が居なくなった。
 俺は[こうして様変わりするのかな]なんて、寂しさを感じながら、新しいママとなった千春ママに軽く手を挙げ、いつもの席に座った。

 この千春ママは、年の頃は30歳前後で、かなりの美人ですこぶる付きのいい女なんだが、半端無い貫禄が有り、俺好みの溢れんばかりの色気と年齢からか、この店ではちょっと浮いている。
 店の女の子達も、千春ママには相当気を遣っているのが、ヒシヒシと伝わっていた。
 この店を見つけて、俺はほぼ毎日顔を出し、常連さんの仲間入りをしたから、それが良く判るようになっていた。
 この店は極度に判りにくい場所にあるのに、多種多様な常連が居て、皆マナー良く呑んでいる。
 そりゃそうだろう、この店で変な事をして、出入り禁止にでも成ったら、それこそ自殺物の損失だ。
 店の女の子は、総勢10名程でどの女の子も、そこら辺のタレントが裸足で逃げ出す美女ばかり。
 どの女の子も愛想が良くて、それぞれ自分のチャームポイントを理解し、男心を擽って俺達を楽しませてくれる。
 家で不細工な嫁を相手にしながら酒を飲むのが、苦痛以外の何物でもなくなるのは当然すぎた。

 俺の目の前に佳乃が立ち、いつものようにたわいない話を肴に、グラスを傾ける。
 この店の女の子は、聞き上手、話し上手で、時間が経つのも忘れてしまう。
 そんな時、佳乃がいきなり俺に両手を合わせ
「川原さん! ごめんなさい…。私、ちょっと今日は用事が有って…」
 ウインクしながら、頭を下げた。
 俺は初めての出来事に、驚きながら
「ああ、構わないよ。んっ、デートかい?」
 佳乃に問い掛けた。
「うふふっ、ひ・み・つ」
 佳乃は色っぽく笑いながら、投げキッスをして俺の前から消える。

 直ぐに千春ママが俺の前に立ち
「ごめんなさいね、川原さん。どうしても外せない用事らしくて…」
 俺に謝罪しながら、水割りを作る。
「んっ、良いよママ、気にしないでくれ。別に指名制じゃないんだから、そんな事一々気にしないで」
 俺は正直この店では、ママが2番目に気に入っていたから、佳乃よりは今の状況の方が嬉しかった。
 ママからグラスを受け取りながら、自分の考えを告げると、店の扉が開いた。
 ママがそれに気付いて、扉に目を向けて言った言葉で、俺は今の状況以上に、心底佳乃に感謝したくなった。
「あっ、優ちゃん丁度良かったわ。ここ、入って下さい」
 ママが手招きをしながら、ある女の子の名前を呼んだ。

 この女の子は、俺の人生最大の衝撃を俺に与えた女だ。
 恐ろしい程の美女が働く、極上の店に通い詰めて、2ヶ月目のある日、俺は初めてその子を見た。
 その女の子は、俺がカウンターで和美と話をしている時、店に入って来た。
 スッと頭を下げて、カウンターに向かう女の子は、一分の隙もない美人で、その雰囲気はどこか俺を緊張させた。
 この店で美人を見慣れた俺が、一瞬で固まってしまう程の美人。
 いや、俺だけじゃ無く店の常連が、一斉に目を奪われている。

 しかも、纏っている雰囲気が、他の女の子達と明らかに違った。
 店の女の子もこの女の子には、憧れを抱いているのか、見る目線が全く違う。
 ママを押しのけて、クイーン・オブ・クイーンと呼んでも、言い過ぎでも何でもない美女だった。
 俺は、あの手この手を使って彼女を呼ぼうとしたが、古手の客ばかりを相手にして、俺の前には一度も付いた事がなかった。
 それが、今俺の目の前に立って、優雅に頭を下げた優葉だった。
 おれは、倍以上年の違う女の子を前に、自分がドンドン緊張して行くのが判った。
 こんな緊張は、入社試験の面接でもした事が無い。
 俺は目の前に佇む、優葉に絶対気取られないように、緊張を解こうと躍起になるが、それがドンドン裏目に嵌り、緊張は増して行く。

 まともに優葉の顔も見れなくなった俺は、目線を少し下げ、目を合わせないようにして、気のない返事を返す。
 数分も話をすると、突然俺の目の前に、神が作った究極の双丘が現れる。
 俺が思わず身体ごと視線を上げると
「川原さん、私の事嫌いなんですか?」
 悲しそうに眉根を寄せ、身を乗り出して優葉が問い掛けて来た。
 俺が見た神の双丘は、ドレスの中から覗く優葉の胸の谷間で、優葉に悲しげな顔をさせた俺は、常連の刺すような目線に、総攻撃を食らった。

「いや、大好きです」
 俺は、ブンブンと頭を左右に振り正直な感想を優葉に伝えたが、頭の中に浮いた言葉は[可愛い]の一言だった。
 優葉の悲しげな表情は、正直凶器だ。
 俺は一瞬で強張る、ズボンの前を必死で直した。
 スッと身体を戻し、あどけなく笑う優葉の表情に、俺の胸の奥が強く締め付けられる。
 コロコロと変わる優葉の表情と雰囲気は、ジェットコースターより俺の心を揺さぶり、翻弄した。

「じゃぁ、お先に」
 俺は常連の客が、俺の肩を叩き挨拶するまで、全く回りを見ていない事に気付く。
 俺が店内を見渡すと、店の中には千春ママと優葉だけに成っている。
「あれ? 他の子は…」
 俺は問い掛けながら、腕時計に目を落とすと時刻は深夜の3時に成っていた。
 常連のあの挨拶は、俺に対して[好い加減にしろ!]と言う、怒りの言葉だった。

「あっ、ママごめんいつまでも長居しちゃって」
 俺は上着を手にしてママに謝りながら、優葉に視線を戻す。
 優葉は、不機嫌そうな表情で、カウンターを見詰めていた。
 俺はその表情で、嫌われたと思ったが、優葉の言葉を聞いて、天にも昇る気持ちに成った。
「石田さんの意地悪…」
 優葉はそう呟き、俺の肩を叩いて差って行った常連に、不満を漏らしたのだ。

 俺は極上の機嫌で、店を後にしようとすると、優葉が俺を店の外まで送り出し、俺の腕を掴みながら
「川原さん、又来て下さいね。とっても楽しかったです」
 優葉が俺に言った。
 普通の店なら、この光景はごく自然であり、有り触れた物だったが、この店では一度もこれをされる客を見た事がない。
 この店は、店内以外で、客に触れる事も客に触れられる事も、タブー視しているようだった。
 だから、どんな常連もこの店の女の子と、プライベートで会う事は無いし、それを考えた事もなかった。
 その暗黙の了解が、たった今音を立てて崩れて行った。

 俺は優葉にぎこちなく答えると、優葉が嬉しそうに微笑んで手を振った。
 俺は心臓が爆発しそうな程、ドキドキと胸を高鳴らせて、背中を向けて家路につく。
 45歳を過ぎた男が、馬鹿みたいだと思うかも知れないが、俺は真剣に親子程年の離れた女に、惚れてしまっていた。
[あの子を抱きしめたい]、[あの子を自分の物にしたい]、[あの子をあの女みたいに扱いたい]俺の中で、急速に欲望が膨れ上がり、俺はそれを必死で押さえ込んだ。
 只の妄想でしかない。
 絶対に、実現する事がない。
 俺は自分自身に強く言い聞かせて、家に急ぐ。

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