狂牙
MIN:作

■ 第3章 転換の兆し7

◆◆◆◆◆

 一人の青年が道を歩いている。
 閑静な住宅街だ。
 富裕層が多いのか立派な佇まいの家が目立ち、中にはお屋敷と呼べる物まで見られた。
 そんな、住宅街の区画道路を青年は一人トボトボと歩いていた。
 背の高い青年だが、背中を丸め顔を俯かせている。
 黒縁の無粋な眼鏡を掛け、陰気な雰囲気を醸し出しおり、デニムのパンツに薄手のトレーナーの上から、チェックのシャツを無造作に羽織るセンスは、都内某所の家電量販店が建ち並ぶ、とある町に生息する人種のようだ。
 背中を丸め道路の端を歩く姿も、どこか頼りなげでパッとしない。

 そんな青年の耳元で、ピピピッと小さな電子音が流れる。
 青年はその音を聞くと、ピタリと足を止め訝しげに顔を上げ、黒縁の眼鏡に手を当てた。
 青年の視線が細められ、周囲を確認し、進行方向の一軒家に目を止める。
 すると、青年の眼鏡の内側にスッと白い円が表れ、電信柱、植え込みの中、屋根の軒、玄関の上、壁上の飾りと玄関前のあちこちで停止した。
(んっ? 1…2…3…4…5…。おっ、あれもそうか…)
 青年は10m程離れた目的地の一軒家に視線を向け、円が示す場所を見ながら、眼鏡を操作した。
 その動きで、青年の眼鏡の内側に映る景色が、円を中心に拡大される。
(電波が出てなけりゃ気付かなかったな…上手く隠してるけど、監視カメラに間違いない…。だけど、6台も…)
 青年は訝しげに顔を顰(しか)め首をひねると、眼鏡を直しながら歩みを進め始める。

 5m程近づくと、眼鏡の内側の円が白から黄色、そして赤に変化し始め、青年は自然に手を動かして、カメラに死角を作り顔を隠した。
(急に退学したって聞いたから、何か有るのかと思ったけど…、ただ事じゃなさそうだ…。普通のセキュリティーじゃ無い)
 青年は巧妙に隠された監視カメラに顔を晒さないように、眼鏡を直し、髪の毛を掻いて掌や腕で遮蔽しながら玄関に立ち、呼び鈴を鳴らした。
 暫くすると、インターフォンから由梨の声が
「はい、どちら様でしょうか?」
 青年に問いかけてくる。
「済みません。啓一君と同じサークルに所属する者で、近藤と言います…。学校の事で啓一君とお話ししたいんですが…」
 青年は素性を由梨に告げ、玄関先で忙しなく身体を揺さぶり、眼鏡を直す。
 その姿は、誰がどう見ても臆病で落ち着きの無い性格の動きにしか見えなかった。

 昌聖の姿をカメラモニターで見ながら
「啓一…。こいつ誰?」
 由梨が嫌悪感丸出しで、啓一に問いかけると
「はい、大学の1年先輩で、同じサークルの近藤昌聖と言います」
 啓一は無表情な視線で、モニターを見ながら由梨に説明する。
 由梨は啓一の説明を聞き、顎に指先を当て
「ふ〜ん…。まぁ、良いわ。取り敢えず洋服を着て、追い返しなさい。もう、お前には、関係の無い知り合いだからね…」
 胡散臭そうな視線で、啓一に指示を出した。
「はい。畏まりました」
 啓一は頭を深々と下げ、由梨に一礼するとリビングを出て行く。
 由梨は啓一には目もくれず、モニターに映る昌聖の姿を見て
(何だろう…こんなさえない奴に…ゾワゾワするわ…。嫌な感じ…)
 奇妙な違和感を感じながら、不快感を顕わにする。
 由梨が顔を顰めた瞬間、モニターがブラックアウトし、昌聖の姿も視界から消えた。
 だが、由梨の心に奇妙な違和感が棘のように刺さり、いつまでも消えていかなかった。

 啓一は洋服を素早く着込み、玄関の扉を開けて門扉に近づく。
 扉の開く音を聞いて、昌聖の顔が持ち上がると、啓一の姿を見て眼鏡の奥の瞳がスッと細く変わる。
(おかしい…。足運びや動きが、明らかに以前と違う。重心の取り方も変だ…。まるで、姿はそのままで、体重が一挙に増えたみたいな動きだ…)
 昌聖は啓一のわずかな動きの違いで、正確に啓一の変化を見抜いた。
 啓一は、そんな昌聖の表情の変化に気づきもしないで、会釈しながら
「どうしたんです? 僕は、もう大学を辞めて先輩とは、何の関係も無い筈ですが」
 ぶっきらぼうな口調で昌聖に問いかける。
「どうしてなんだ? 何か特別な理由でも有ったの?」
 昌聖は啓一の瞳を真っ直ぐ見つめながら、単刀直入に問いかけた。
 啓一は昌聖の質問に、何の表情も浮かべず
「別に理由は有りません。先輩、僕の事は放って置いて下さい」
 昌聖の質問をバッサリと断ち切る。
「判ったよ…。今は、何も聞かないよ…」
 昌聖はボソボソと呟き、踵を返して葛西家の玄関から離れていった。

 背後で、玄関の中に消えてゆく啓一の気配を感じながら、啓一の変化を分析する。
(意志の無い目、口から微かに臭った甘い香り…。薬物による洗脳か…。仕草や挙動が自然なところを見ると、相当手が込んでるか薬品が特別かだね…。どうやら、ただ事じゃなさそうだ…)
 昌聖はスッと視線を周囲に走らせ、隠された監視カメラを見
(使われている器材も、相当特殊みたいだし、規模から言って家族も巻き込まれている…。宗介さんに連絡取った方が良いかもしれない…)
 冷静に判断を下して、通りを進む。

 100m程離れると、昌聖はポケットから携帯電話を取り出し、電話を掛けた。
 数度のコール音が昌聖の耳に届き、通話が繋がる。
『申し訳ございません、講義を受けていたもので、電話に出るのが遅れました』
 涼やかな女性の声が、昌聖の耳朶を擽る。
「ああ、構わない。急ぎの用じゃないからね。葛西君を覚えてるか?」
 昌聖が電話の女性に問いかけると
『はい、ご主人様と同じサークルの2回生ですね。確か、経営学部に所属していたと思いますが』
 涼やかな声は、スラスラと啓一の略歴を口にした。
「うん。彼と彼の家族について、少し調べて欲しい。そうだね、ここ3ヶ月ぐらいで構わない。僕の権限で[組織]のデーターベースを使って」
 昌聖が電話相手に告げると、[ハッ]っと息を飲むような気配の後
『畏まりました。[ルーム]に伺わせて頂きます』
 固い声で昌聖にことわる。

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