狂牙
MIN:作

■ 第3章 転換の兆し8

 昌聖は[調べ物]のレベルを素早く理解した相手に
「今日は、美咲の日だけど、[調べ物]が終わったら、一緒に遊んであげるよ…。ご褒美はそれで良い?」
 笑みを含んだ声で告げると、昌聖の耳に[ガチャガチャ]と何かが暴れる物音が聞こえた。
 電話の相手が携帯電話を取りこぼしそうに成ったのだ。
『あ、あっ。も、申し訳ありません…。あっと、えっと…あ、有り難う御座います! あ、歩美必死に頑張ります!』
 携帯電話を持ち直したのか、歩美は直ぐに昌聖に謝罪し、大きな声で感謝を告げる。
「はははっ、そんなに頑張ると、歩美の事だから夜中まで掛かっちゃうよ。僕は、今から師匠に手解きを受けて来るから、帰りは7時頃になると思う。美咲にも伝えといて」
 昌聖は明るい声で歩美が抱いた緊張を解し、通話を切った。

 歩美が緊張感を持ったのは[組織]のデーターベースを使う時は、決まって大掛かりな事件がある時だからだ。
 昌聖の奴隷達は、そんな事件に昌聖が関わる事を極端に恐れる。
 勿論、最愛の主人の身を危険に晒させたく無いからで有った。
 そして、自分達の集めた情報の正確さと細かさが、昌聖の裏の世界では、それこそ命綱に成る事を理解しているからでもある。
 その事を熟知している歩美が、緊張するのは仕方が無い事だった。

 通話を切った昌聖の表情は、先程の明るい表情を消し、鋭い視線に変わっている。
 昌聖はそのまま、数字を打ち込み通話ボタンを押して、携帯電話を耳に当てた。
 電話が繋がり携帯電話から、女性の声で流暢な英語が流れる。
【はい、こちらクノウオフィスです】
 昌聖は女の声が途切れると
「FEJ−GO−160444」
 間髪を入れず、自分のコードナンバーを小声で告げた。
 暫く沈黙が流れ
【認証完了。お繋ぎします】
 全く違う女性の声が流れてきた。

 女性が昌聖に告げるとコール音が鳴り、数回で通話が繋がる。
「もしもし、宗介さん? 僕です。昌聖です」
 通話が繋がると直ぐに昌聖は問いかけた。
『−20点。相手を確認する前に、自分の素性を明かす馬鹿がどこにいる。この電話に出るのが、宗介じゃない可能性は、0じゃないぞ』
 地の底から低く響くような声で、昌聖を叱責する。
「ひっ! お、お義兄さん!」
 昌聖は予想外の相手に、顔を引きつらせて呟いた。
『まだ、お前に[お義兄さん]と呼ばれる筋合いは無い。こんな間抜けな奴に、美咲を預けてるかと思うと、腑(はらわた)が煮えくり反って来るぞ』
 電話の相手は、昌聖の婚約者であり奴隷でも有る橘 美咲(たちばな みさき)の兄、橘 優駿(たちばな ゆうしゅん)だった。

 昌聖は背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、上ずった声で
「あっ、えっ、あの…。申し訳有りません、ミニスター。宗介さんは…」
 優駿に問いかけようとすると
『-10点…。お前、今外で話してるだろ…。他人がいる場所で、その呼び方をするんじゃ無い。誰が聞いているか解らんだろうが』
 優駿は威圧感を込めた低い声で、昌聖の軽率な言動を注意する。
(や、やばい…このままじゃ、最悪の状態に成っちゃう…)
 昌聖の顔面が蒼白に成り、ダラダラと冷や汗が吹き出し始めた。
『で、何の用だ…。宗介は今別件で動いとる。暫くは連絡も取れんぞ』
 優駿が昌聖に宗介の状態を教えると
「あっ、そ、そうなんですか…。そ、それでは、失礼します」
 昌聖はこれ以上この危険な電話で話す事が無くなり、ホッと胸を撫で下ろし切ろうとした。

 だが、優駿の声が昌聖の心臓を鷲掴みにする。
『何の用件だ』
 低く静かに問いかける声に、昌聖は胃がせり上がってくる程の圧迫感を受け
「こ、今度…、い、いつ日本に来るか…聞こうと思いまして…」
 思わず嘘を吐いてしまった。
 昌聖のこの行動は、仕方が無かった。
 優駿と知り合ったのが高校2年生の秋口で、幹部として[組織]に迎え入れてくれた。
 そこから昌聖の地獄の日々が始まった。
 高校の時には、基礎訓練と言う拷問のような教育が行われ、徹底的に全ての能力を鍛え上げられた。
 何度も[死ぬかもしれない]と思いながらも、愛しい奴隷達の支えも有り、訓練に耐え切った。
 大学に入り、宗介から[全てのカリキュラム修了]のお墨付きを貰って喜んだのも束の間、昌聖に待っていたのは本当の地獄だった。

 不定期に襲ってくる、悪辣な罠。
 宗介が言っていた[あの人は、殺しに来るぞ]と言った言葉が脳裏をよぎり、身にしみて行く生活。
 そして、昌聖は宗介がスーパーマンに成った理由を体感した。
 成らなかったら、死んでいるからだ。
 組織内に[橘優駿被害者の会]が有るのも頷ける。
 世界中に散らばり[組織]の要所を管理する7割の人間がそのメンバーで[俺の物は俺の物、おまえの物も俺の物]と言う、某国民的アニメ内のキャラクターが貫いている[ジャイニズム]の被害者だった。
 そんな被害者達が集まり、酒を飲みながら歓談し、優駿の非道を暴露しあう。
 笑いながら交わされる会話に、顔を引きつらせながら聞き入る昌聖だが、そのメンバーが決まって昌聖を温かい目で見ながら[君の場合仕方が無いんだ…。頑張れよ…、頑張るしかないんだから…]優しく告げ、いかに地獄の罠から抜け出すか、いろいろ教えてくれていた。
 こんな状況で、昌聖が優駿の声を聞きたい筈が無い。
 昌聖が自己防衛のために思わず吐いた嘘は、神でも許しただろう。

 だが、悪魔は許さなかった。
『−50点…。いつからお前は俺に嘘を吐けるように成ったんだ…』
 昌聖の背中がびくりと跳ね上がり、心拍数が急上昇する。
「あ…、あっ…、あの…、その…、えっ…」
 昌聖が声にならない声を上げていると
『−80点か…今回は、過去最高だな…。死ぬんじゃないぞ…』
 優駿が静かに告げて、通話を切った。
 昌聖の身体から、ガックリと力が抜け、地面にへたり込みそうになる。
(マ、−80点って…。どんな、罠が来るんだ…。−60点のこの間だって、確実に死んだと思ったのに…)
 愕然とした顔で地面を見つめる昌聖は、幽鬼のような足取りで住宅街を後にした。

■つづき

■目次

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊