狂牙
MIN:作

■ 第6章 狂った牙2

◆◆◆◆◆

 啓一の遺灰のみを骨壺に収めた孝司は、職員に車で自宅まで送られた。
 孝司の自宅に着くと、家の前に大型のカーゴトラックが止まっている。
 訝しげに眉を寄せ車から降りると、何人もの作業服を着た男達が、家の中から家財道具を運び出していた。
 驚いた孝司は、男達に近付き
「な、何をしてるんだ! ここは、俺の家だぞ!」
 声を荒げて問い掛けると
「あ〜ん? おっさん何訳の分からない事言ってんだ? 仕事の邪魔だ、とっとと何所か行け!」
 作業服の男に怒鳴り返される。

 それでも、なおも詰め寄る孝司に、家の中からスーツを着た男が現れ
「あんた何してるんだ? 仕事の邪魔をしないでくれるか」
 厳しい口調で孝司に告げた。
 孝司は、その男を見て[ちゃんと話が出来る]雰囲気を感じ
「ここは、私の家なんだが、コレは一体どういう事なんだ?」
 真剣な表情で問い掛ける。
 その言葉に、男はクスリと笑い
「何眠たい事を言ってるんだ。この家は、土地建物から、家財道具に至るまで全て、わが社が買い取ったんだ。これは、その契約書の写しだ。文句が有るならこの契約をした、葛西毬恵さんに言ってくれ」
 スーツの内ポケットから数枚の書類を取り出し、孝司に見せた。

 そこには、見覚えのある文字で男の言った通り、土地建物から家財道具一式まで、売り払った事が書かれている。
「解ったか? この家に有る物は、ゴミの一つまで私の会社が買い取り、その処理を一任されたんだ」
 男は念を押すように、孝司に告げた。
 呆然とする孝司の顔を、冷笑を浮かべた視線で見詰める男に
「これ、どうします?」
 家族の写真を綴ったアルバムの束を示して、問い掛ける。
「あ〜ん? そんなもの、クソの役にもたたねぇ…。ゴミだゴミ!」
 男はぞんざいに作業員に告げた。
 作業員は[へ〜い]と返事を返し、ダンプトラックの荷台にアルバムの束を放り投げようとする。
「ま、待ってくれ! 捨てないでくれ!」
 孝司は、慌てて作業員に縋り付こうとすると
「ほら、邪魔だって! この家の物は、あんたの物じゃないんだから、そんな事を言う権利なんて、あんたには無いんだよ」
 スーツ姿の男が、身体を割り込ませて孝司を止め、作業服の男に顎で指示を出す。

 作業服の男は、頷くとアルバムの束をトラックの荷台に放り投げた。
 音を立てて積み込まれたアルバムの中から、1枚の写真が風に乗って、孝司の足下に落ちる。
 それは、毬恵が赤ん坊の晶子を抱き、啓一が覗き込んでいる写真だった。
 3人とも自然な笑みを浮かべて、微笑ましい雰囲気が漂っている。
 孝司が、慌ててその写真に手を伸ばそうとすると、スーツ姿の男の足がその写真を踏みつけ
「何度言ったら解るんだ? これも、全部私達の物だ。あんたがどうこうする権利は、微塵も無いんだよ」
 足先で何度も捻り潰しながら孝司に告げ、ボロボロになった写真を摘み上げると、細かく破り裂いた。

 目の前をヒラヒラと細かい紙片に成った写真が舞い、孝司の足下に落ちる。
 孝司は愕然とした表情のまま、その紙片に手を伸ばし掛けると、スーツ姿の男が孝司の肩を押した。
 孝司はその弾みで仰向けに倒れ、持っていた骨壺を取り落とす。
 アスファルトに投げ出された骨壺は、その衝撃で割れて、中の遺灰が散乱した。
 慌てて拾い集めようとした孝司だが、その時クラクションが鳴り響き、目の前を斎場の職員が運転する車が猛スピードで走り抜ける。
 啓一の遺灰の上をタイヤが通過し、啓一の遺灰と写真の残骸を風が舞い上げた。
 走り去る車を睨み付ける孝司に
「おいおい、こんな所にゴミを捲き散らかすんじゃないよ。早くどっかに消えてくれ」
 スーツ姿の男は、吐き捨てて踵を返し、孝司の自宅の中に消えていった。

 アスファルトにへたり込んだ孝司は、その時ハッと有る事に気付き、ポケットの中に手を突っ込む。
 ポケットから携帯電話を取り出した孝司だが、携帯電話はスプリンクラーの水で、使用不能に成っていた。
 孝司は諦めてポケットの中に携帯電話を戻すと、直ぐに立ち上がって走り始める。
(自宅が売却されたなら、会社の方はどうなったんだ!)
 嫌な予感に襲われながら、孝司は大通りに向かう。
 孝司は大通りに出る前、背の高い青年とぶつかり掛け
「あっ、済まない…」
 一言謝罪してタクシーに手を挙げた。

 ボロボロの礼服を着た孝司を訝しみ、タクシーは何台も通り過ぎたが、その時間が孝司の服から水分を奪う。
 数十台のタクシーが通り過ぎ、タイミング良く客を降ろしたタクシーを見つけ乗り込んだ孝司に、あからさまな視線を向け
「おい、金有るのかよ!」
 運転手が問い掛ける。
 孝司がポケットから財布を取り出し、1万円札を運転手に差し出して、行き先を告げると、運転手は渋々車を出した。

◆◆◆◆◆

 会社に着いた孝司は、生々しく玄関前に書かれた、チョークの跡を見て下唇を噛み、立ちつくした。
 その孝司の姿を見つけた、社員が孝司の元に駆け寄り
「社長! 一体どういう事なんですか! 何で俺が…、いや、社員全員解雇なんですか!」
 孝司の胸ぐらを掴んで、怒りを顕わにし問いつめる。
「な…っ!」
 余りに唐突な質問に孝司が絶句すると、ビルの中から他の社員が現れ
「会社を谷村貿易に売ったって、本当ですか!」
「私達、全員解雇って、酷すぎます!」
「ふざけるな! 俺の生活をどうしてくれるんだ!」
 口々に孝司に詰め寄り、訴えかけた。

 殺気を孕んだ悲痛な訴えに、孝司は何も答える事が出来ず、後ずさると
「お前、やってくれたな…。この長い付き合いで、お前がこんな奴だとは思わなかったぞ!」
 矢口が玄関先に立ち、孝司を指さして怒鳴りまくる。
 孝司が顔を上げて矢口を見ると
「会社の持ち株、全部売りさばいて、自分だけどこかに消えるつもりだったんだな! 会社の資産も、在庫も、何もかも売り払いやがって! お前1人の会社じゃないぞ! みんなに、返しやがれ!」
 矢口は真っ赤な顔で、孝司に捲し立てた。
 何の事だか全く解らなかった孝司だが、今この場所に止(とど)まるのは、危険だと言う事だけは理解出来た

 胸ぐらを掴む社員の手を引きはがし、礼服の袖を掴む手を振り解いて、孝司はその場から逃げ出す。
 その後を追って、数人が走り出そうとすると
「止めとけ! あんな、卑怯者に関わってないで、これからの身の振り方を考えるんだ!」
 矢口の声が、背後から孝司の耳に入った。
 考えてみれば、不自然な発言だったが、動揺した今の孝司にはその矛盾に気付く事は出来なかった。
 会社の持ち株は、孝司1人では売れないし、会社の資産も在庫なども無論手を出す事は出来ない。
 社長だからと言って、1人で何でも出来る訳では無いのだ。

 孝司は、項垂れながら町を彷徨い歩き、当面の金を工面する事にした。
 銀行に入りキャッシュディスペンサーに、カードを差し込む。
 すると、キャッシュカードが返って来て[このカードはお取引出来ません]と、メッセージが返って来る。
 次々にカードを変えて試すが、そのカード全てが取引停止になっていた。
 孝司はここで、新たな現実を突きつけられる。
 愕然とした孝司は、そのままフラフラと銀行を後にした。

 孝司は自分の全てが無くなった事に、始めて気が付いた。
 家族も、親類も、友人も、会社も、金も、信頼も、思い出も、未来も、全てが消え失せたのだ。
 身体も心もズタボロに成り、全てを無くした孝司は、項垂れ力無く町を彷徨う。
(な、何なんだ…。一体、これは何なんだ…。夢か…。夢なら早く醒めてくれ…)
 駅に向かって歩く孝司は、蒼白の顔で思っていた。
 始業時間を過ぎた歩道には、人通りが少なく成り始めている。
 孝司は、フッと視線を上げ、駅に続く高架橋を見詰めた。

■つづき

■目次

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊