狂牙
MIN:作

■ 第6章 狂った牙4

 昌聖がそう考えながら、孝司とすれ違った角に近付くと、孝司はまだその少し先の場所に居り、清算中のタクシーに飛び乗っていた。
 一悶着有ったのか、タクシーは中々扉を閉めず止まっていたが、不意に扉を閉めて走り出した。
「済みません、あの車の後を追って下さい」
 昌聖は運転手に告げて、1万円札を差し出した。
「兄ちゃん、探偵ごっこかよ…。まぁ、任せな。俺はこの手の事は得意なんだ…」
 運転手は軽いノリで、昌聖に太鼓判を押し、1万円札を受け取った。

◆◆◆◆◆

 宗介と良遵が葛西家の前を通過した時、数台のトラックと一台のセダンが葛西家から離れて行く。
 葛西家の門扉の前には[管理地]の看板がぶら下がっていた。
 その看板を見た宗介は
「師匠…、遅かったです。もう、ここには、手がかりになる物は有りません」
 ボソリと呟き、車を加速させる。
「ああ、何の気配も無い…。恐らくステージは移行したな。次に考えられるのは、多分会社だ…」
 良遵が呟くと宗介は頷き、車の進行方向を変え、加速させる。

◆◆◆◆◆

 斎場の地下駐車場に着いた小夜子の前に、1台の貨物トラックが滑り込んで来た。
 運転手と助手席から、作業服を着た男達が降りてきて、後部のハッチを開けると小夜子達は直ぐに荷台に乗り込んだ。
 荷台の中は、まるでリビングのようにソファーが置かれ、テーブルや冷蔵庫、テレビなどが配されている。
 小夜子達が乗り込むと、後部ハッチが閉められた。
 小夜子がソファーに座るタイミングに合わせ、テレビの電源が入り矢口の顔が映る。
『小夜子様…』
 モニターの矢口が語り掛けると、小夜子はキッとモニターの矢口を睨み付けた。
 モニター画面のやや上には、小型カメラが置かれ小夜子の表情は、相手に伝わっている。
 モニターの矢口は、その視線にビクリと震え上がり
『由梨様、全ての準備が整いました。自宅には処理班が向かい、火葬場には組織の者が付き添う手筈にしています』
 慌てて名前を呼び変え、報告をする。

 小夜子はモニターの矢口を睨み付けたまま、スッと右手を差し出すと晶子がグラスを差し出し、[ポン]と音を立てて抜いたシャンパンの瓶を傾けた。
 真っ黒い瓶に、ピンクのラベルが付いたシャンパンを一口含むと
「注意事項は怠ってないでしょうね…。ハウスクリーニングは元より、啓一の遺灰一粒に至るまで、残しちゃ駄目よ。私の素性が知られる物や、啓一の体組織が調べられる物は、徹底的に処分しなさい」
 矢口に鋭い口調で指示を飛ばす。
『は、はい! 畏まりました』
 矢口が頭を下げると、テレビの電源が切れ、ブラックアウトする。
「ふん! 能なし…」
 小夜子はポツリと吐き捨てるように言い、ジャケットのポケットに手を滑り込ませた。

 小夜子は視線を毬恵達に向けると、右手の人差し指で床を示す。
 すると2人は、小夜子の前に這い進んで、足をM字に開いたお座りのポーズを取って、顔を上げた。
 この2人に対しての基本的な命令は、最早仕草だけになっている。
 掌を下にして、差し出せば[伏せ]に成り、翳せば[待て]の姿勢だ。
 片手で示せば、両方同時に動き、右手と左手をバラバラに指示すれば、その時の立ち位置で、それに従う。
 まるで、躾の行き届いた犬である。

 小夜子は目の前で待機する2人に
「舌を出しなさい」
 命じると、2人は大きく口を開け、一度喉奥を震わせデロリと長い舌を伸ばし、小夜子に差し出した。
 差し出された2人の舌の上に、取りだした赤い錠剤を乗せ
「さぁ、お飲みなさい」
 静かに命令すると、2人はそのまま下を巻き取り、錠剤を口の中に入れる。
 そのままの姿勢で、ジッと5分程の時間が経つと、2人の身体がビクリと跳ね上がった。

 2人の目が同時に白目を剥き、ガクガクと痙攣を始めると、小夜子はニッコリ微笑み
「葛西孝司」
 ボソリと名前を告げる。
 すると2人の身体が、震えを強め、頭を激しく振り始めた。
 その頭の動きが緩慢になると
「葛西啓一」
 又ボソリと名前を告げる。
 すると同じように、2人の頭が激しく震え、緩慢になる。
 小夜子はそのまま、[行った場所][友人][隣人]と告げると、2人はその度に同じような動きをした。
 2人の口からは、いつの間にか舌が垂れ下がり、涎を振りまきながら、頭を振る。
 30分程その作業が続き、2人の身体には、ジットリと粘つく汗が絡み付き、荒い息を吐いていた。

 2人は虚ろな視線を漂わせ、ボンヤリとした表情をしている。
「舌を出しなさい」
 何所にも視線の合っていない2人に、又小夜子が同じ命令を下すと、ノソノソと同じように舌を差しだした。
 小夜子はその2人の舌先に、今度は青い錠剤を乗せ
「お飲みなさい」
 同じ命令を下すと、2人はその薬を飲み込む。
 2人が薬を飲み込むと、暫くしてボンヤリとした視線が、更に瞳孔が開いて宙を漂う。
 フラフラと揺れる身体の振幅が、大きく成り今にも倒れそうに成っている。

 そんな2人に、小夜子は[肉人形][身体の使い方][ご主人様]と同じようにボソボソと呟く。
 その度に、2人の身体は、ビクン、ビクンと痙攣するように跳ね上がる。
 様々な言葉を投げ掛け、痙攣が止まると
「ほら、お前達、何をボ〜ッとしてるんだい!」
 小夜子が突然声を張り、2人に話し掛けた。
 2人の身体は、ビクリと跳ね上がり、お互いの顔を見合わせ、小夜子の顔を見ると
「申し訳御座いません、小夜子様!」
「小夜子様、お見苦しい所をお見せしました!」
 2人は同時に頭を下げて、平伏する。

 その謝罪する顔は、何所か以前の表情とは違っていた。
「良いわ、許して上げる。ほら、顔をお上げ」
 小夜子が2人に命じると
「「有り難うございます」」
 2人は、弾かれたように顔を上げ、小夜子を正面から見据える。
 その目には、強い意志が宿っていた。
 以前の薬で惚けたような、濁った色では無く、100%の自分の意志が見える。
「お前達[葛西孝司]って、知ってる?」
 小夜子が2人に問い掛けると、2人は困惑した表情を浮かべ、お互いの顔を見合わせ
「「も、申し訳御座いません[カサイコウジ]とは、一体なんでしょう?」」
 困ったような声で、小夜子に問い掛ける。

 2人の答えを聞いた、小夜子は満足そうに高笑いを上げ
「良いのよ、何でもないの? お前達、名前はなんて言ったっけ…」
 毬恵達を指さし問い掛けると
「名前は、まだ頂いておりません。判別のための呼び名は、[ママ]です」
「私も、未だ頂いておりません。私の呼び名は[アキ]です」
 2人はスラスラと、小夜子に答えた。
 2人の記憶から、完全に過去が消えた瞬間だった。
 2人の脳内には、孝司の記憶も啓一の記憶も本来はまだ残っている。
 だが、それを思い出す、シナプスのラインが、薬物によって全て消し去られたのだ。

 そして、今まで脳内で意識の拡散や、ホルモン分泌を促していた薬剤を中和し、破壊されたシナプスの隙間を埋める薬物により、記憶を再構築された。
 明瞭になった2人の脳内には、最早過去の繋がりは無く、肉人形の記憶しか残っていない。
 友人、隣人、過去に知り合った人物は、小夜子と美由紀以外、全ての記憶に通じる道を失った。
 それどころか、生活や環境に至る記憶の道も失い、2人には肉人形になる過程しか、その脳内に残ってい無い。
 お互いの関係も言葉のみ理解し、本質を奪われた肉人形の真の完成だった。

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