狂牙
MIN:作

■ 第6章 狂った牙29

 突然の暗闇と共に、涼子の身体が、糸の切れたマリオネットのようにグニャリと崩れ落ちる。
 香織を吊したウインチの緑の灯りも、全て消えていた。
 ガラスの向こうでは、霧崎が必死の表情で全一を見ている。
 だが、全一はソファーにふんぞり返ったまま、コントローラーを操作し続けているだけだった。

 違和感を感じながらも、良顕が涼子を抱え上げると、涼子は細い呼吸を繰り返し、今にも事切れそうに成っている。
「晃! 頼む」
 良顕が晃に声を掛けながら、涼子を床にソッと寝かせ、由木に首輪を示し目配せする。
 由木が素早く涼子の横に跪き、首輪に千本を当て鍵を外し始め、晃が駆け寄った。

 良顕はスッと立ち上がり、強化ガラスに近付くと腰を静かに落とし、右手の掌を押し当てる。
 目の前に霧崎の引きつった顔が有り、慌てて全一の持つコントローラーに手を伸ばし、カチャカチャと横からボタンを操作した。
 呼吸を整えた良顕は[フン]と鋭い呼気とも気合いとも取れる声と共に、目にも留まらぬ早さで腰を回転させた。
 ビリビリと大気が振動したかと思うと、霧崎の目の前でガラスに細かいひびが走り、真っ白に変わる。
 技を放った瞬間、良顕の頬が大きく膨れ[ブフォ]と勢い良く、鮮血が飛び出す。
 驚く由木と晃を手で制し、涼子を指差しながら倒れ込むように、白化したガラスに突っ込んだ。

 強化ガラスが[グシャン]と音を立てて崩れ、音に驚き霧崎が顔を跳ね上げる。
 冷たい氷の表情で、しゃがみ込んだ良顕が睨み付けていた。
 霧崎は慌てて飛び退きながら、左手を香織に向けて振る。
 キラキラと鋼糸が香織に伸びるが、それが伸び切る前に、霧崎に向けて銀光が走った。
「由木!」
 霧崎が鋼糸を戻して、投げ付けられた千本を弾いた時、涼子が出て来た入り口から、宗介達が飛び込んで来た。

 宗介達の姿を見た霧崎は、計画の失敗を悟り銀色の球体を二つ取り出し、一つを由木、もう一つを良顕に投げつける。
 由木の目の前には、涼子が横たわり、晃が床に膝を付いて診断していた。
 この場に居る者は、殆どがその球体が、どんな物かを知っている。
 単純な、その対処方法も理解していた。
 だが、どちらの球体もその対処方法が取れ無い。
 良顕の身体は、最早限界を迎え動く事が出来ず、由木の側には涼子と晃が居た。
 銀色の球体を睨む良顕と由木。
 哄笑しながら、踵を返す霧崎。

 避けられ無い筈の良顕の前に、白く柔らかい物が現れる。
 膝を付いた良顕を魔夜と魅夜が覆い被さり、球体から隠したのだ。
「どけ!」
 短い良顕の命令に
「「嫌です!」」
 短い反抗が返る。
 良顕の身体に力が漲るが、魔夜と魅夜を跳ね飛ばすに至らない。
 良顕が歯を食いしばるが、もう遅かった。
[バシュッ]鋭い破裂音を発して、鋼糸球が爆発する。

 良顕はその時、生暖かい物が降り注いで来る事を覚悟した。
(馬鹿やろう! こんな事で、お前達の気持ちを知りたくは無かった! 死ぬなよ魔夜! 魅夜!)
 激しい後悔と無念で、心を引き裂かれるが、一向に予想した物が感じられ無い。
 それは、覚悟を決めた魔夜と魅夜も同じだった。
 疑問を感じた魔夜と魅夜が、身体を起こし掛けるのと[ふぅ〜]と言う宗介の大きな溜め息と[ちぃっ]と言う霧崎の強い舌打ちが、同時に起こる。
 起き上がって行く、魔夜と魅夜の身体の隙間から、奥の入り口に消えて行こうとする霧崎の背中が見えた。
「待て! この野郎。遣るだけやって逃げるな!」
「由木!」
 良顕の叫び声と晃の悲鳴が重なる。
 晃の悲鳴で、全員が振り返ると、其処にはズタズタに引き裂かれた、由木の姿が有った。

 由木は、鋼糸球を素手で掴み、破裂させたのだ。
 そのため由木は、身体の前面、特に腹部を中心として、致命傷を負った。
 左右の手は肘から先が消失し、右腕は肩から切り離され、左腕は腕の付け根に辛うじてぶら下がっている。
(思った以上の威力だ! 昌聖のスーツで助かった)
 由木と全く同じ事をした宗介は、昌聖に心底感謝した。
 昌聖が開発した防弾防刃耐衝撃スーツは、表面に引っ掻き回した跡が有るだけで、一切破れていなかった。

 良顕は、転がるように由木に縋り付き
「叔父さん! なんで…」
 泣きそうな顔で問い掛ける。
「す…、すまん…。りょうくん…。わたし…の…せいなんだ…」
 か細い声で謝罪する由木に
「何が? 何がなんだ?」
 畳み掛けるように問い掛ける良顕。
「わたし…が…香澄(かすみ)を…」
「母さん…? 母さんは、香織を産んで直ぐに死んだよ」
 良顕の言葉に、由木は弱々しく首を左右に振り
「わたし…が、さらった…」
 小さく告げた。

 驚愕する良顕に、由木は更に告げる。
「わたし…と…香澄は…しょうらいを…ちかいあってた…。だが…いちぞくの…おきてで…良遵さんに…とついだ…。あきらめた…。はじめは…あきらめた…。だが…しっとに…かられた…わたし…は…おとうとでしに…てつだわせ…香澄をさらって…そしきに…にげた…。そこで…なをかえ…かおをかえ…こえをかえ…すべてを…かえた…」
 由木の告白に、良顕は不自然さを感じ始めた。
 それは、由木が諦めていた時間の長さだ。
 香織の年齢を考えれば、少なくとも10年程の歳月を堪える計算に成る。
 その間に母親は何度も、由木とは旧交を交え、あまつさえ単独で訪問すらしていた。
 なのに何故、香織が産まれる迄待ったのか、そこに疑念を抱く。

 だが、その疑念は直ぐに打ち消された。
 由木が小さく鼻で笑って
「そしきに…にげて…きづいた…ときには…おそかった…。香澄の…しる…じょうほうを…そしきは…ほしかった…。かのえの…そうけが…くでんでつたえる…ひじゅつ…。香澄は…それを…しっていた…。かのとの…ひじゅつと…あわせる…ことで…はじめて、いみをもつひじゅつ…。そしき…、いや…天童寺が…ほっしていた…。それに才寛…霧崎がこたえた…。才寛は…香澄をすぐに…つれてゆき…さいみんと…やくぶつで…せんのうした…。そして…香澄を…どれいとして…とうろくし…。香澄じしんにも…どれいのきおくを…うえつけた…。ろうかぼうしざいをとうよされ…、もどってきた香澄は…、才寛の…どれいだった…。才寛は…香澄をかしだす…じょうけんとして…わたしのもつ…じょうほうと…ぜったいの…ふくじゅうを…ようきゅうした…。すべてを…、すべてをすてた…わたしにとって…のむいがい…なかった…」
 由木の目からボロボロと涙が零れ、良顕に切れ切れに語る言葉は、苦渋に満ちている。

 良顕が大きく肯くと
「ちがう…。こんなことを…つたえるんじゃない…。いちぞくとして…そうけとして…まもってほしい…。香澄の…くでんは…のこした…。いや…のこされてる…。天童寺の…むすめの…しきゅうに…いれずみ…されている…もようと…じゅごんが…そのすべて…。だが…いちどせいをうければ…しるしは…きえ…しきゅうは…きのうを…ていしする…。それが…ひじゅつ…だ…」
 由木の驚くべき言葉に、良顕は深い因縁を感じながら
「母さんは、生きてるんですか?」
 由木に問い掛けた。

 由木は、悲しそうな表情で首を左右に振り
「1ねんと…8かげつがたつ…。あの…ゲームがおわって…すぐだった…。才寛をもとめながら…せいしんに…はたんを…きたし…みずから…。さいごまで…わたしを…よんでは…くれなかった…」
 良顕の母親の最後を語る。
 良顕の中に言い知れぬ怒りがこみ上げた。
(何で、言ってくれ無かった! 何で、取り逃がした! 何で…)
 良顕の耳に霧崎の哄笑が蘇り、ブルブルと身体が震える。

 由木の呼吸が、浅く早く成り顔色が蒼白に変わる。
「このことは…香澄が…いきている…あいだ…、だれにも…はなせなかった…。霧崎は…香澄の…せいしんに…さまざまな…わなを…かけ…。香澄が…はなしを…みみに…するたび…どれいか…するように…していた…。きづいた…ときには…。すまない…どうすることも…できなかった…。さいごに…りょうくんに…あやまれた…。ゆるされる…ことでは…ないがな…」
 由木は、掠れる声で告げ力尽きた。
 良顕が由木の遺体を、力一杯抱きしめる。

 すると、晃が緊張した表情で
「あの…、良ちゃん。こっちも大変何だけど…」
 話し掛ける。
 良顕が視線を向けると
「奥さんのお腹の中…、多分胃から直腸に掛けて、爆弾が詰められてる。しかも、そのまま詰められてるから毒性が身体を蝕んでるの…。でね…、多分何だけど、起爆のスイッチは、奥さんの心臓。止まったら爆発する構造みたい…」
 晃が説明した。
 良顕は、鋭い視線をソファーの全一に向け
「この狂人が! どこまで…」
 叫ぶが、全一の反応の無さに訝しむと、全一の肩を掴む。

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