狂気の住処
ビーウスの友:作

■ 2

 宵、月は綺麗に空を浮かぶ。道外れの長椅子に宮坂と川瀬は並んで座った。
 目の前の道路を放射状の赤い光を放ちながら過ぎていくパトカーを宮坂は根深く被った野球帽の隙間から眺めていた。
 横にいる川瀬は退屈そうに、掛けた眼鏡の蝶番を弄っている。
「宮坂。新島は戻ってくると思うか?」
 不意を衝く問い掛けに宮坂はたじろぐことなく冷静に口を開いた。
「ああ、奴ならきっとイイ女を連れてくる。
諾否なしに、な…」
 宮坂は唇で笑ったが、川瀬は暗澹とした表情を変えようしない。
「それならいいが、裏切られたら私達はおしまいだ。
今なら思うが、新島は殺しておいた方が良くなかったか?」
 宮坂は帽子を浅く被り直して、点々と灯る外灯を見つめた。
「新島が俺達をサツに売るならそれでも構わないさ。
俺達の運命はそれまでだった、ってことだろ?」
「ふん…」
 川根は鼻であしらった。
「甘いな、宮坂は…」
 川瀬は眼鏡のブリッジを指先で操った。
 赤色の後光が彼方に小さくなっていく。
 宮坂は唸って、ベンチの背もたれに寄り掛かった。
 川瀬は溜息をつく。川瀬は宮坂の寛大さに自暴自棄とも考えられるいい加減さを感じながらも、何処かそういった性癖に大きな器を見ていた。
 大学病院に勤務時、川瀬は何かと上辺を気にする人間だった。それは川瀬が望んだわけではなく、病院という施設が労働者に与えた後天的作用を受けた結果の順応である。
 くだらないことに神経を磨り減らす自身への嫌気は日増しに川瀬の中に沈澱していった。
 一方で、川瀬は医師の存在意義を見つめ直した。
 不条理な考えもあえて損得勘定に基づき考慮した過程で、川瀬は違法手術や、研究でそれを露にする。
 それは自身の見識を崇高たるものと見なした所以が成したことなのだろう。
 川瀬はただ同僚の医師達に顛末を知られ、医師免許を剥奪された。
 しかし、川瀬は自然と悔恨を生やさなかった。そればかりか、肩胛骨にあるべき両翼が芽吹いたような自由感を味わった。
 それから定職に就く気配さえ見せずキャバクラなどで油を売っていたところ、川瀬は宮坂に出会した。
 川瀬は宮坂に奔放な人間の生き方を聞かされ、精神の四肢をも束縛する概念を打ち砕く切っ掛けを得た。川瀬は当時の自分と決別する。

 そして、川瀬は宮坂という男に、妙だが自分の一生を捧げてもいいとさえ思うようになる。

 川瀬が項垂れた頃、ガードレールを突っ切るような速度で蜿蜒の道路を下る軽車を宮坂が捉えた。車は間違いなく新島に貸し付けたものだ。宮坂は上体を起こした。
「おい、川瀬。裏切りの心配は杞憂に終わりそうだぞ」
 川瀬がふと顔を上げるタイミングで、車両はスリップ音を立てながら川瀬達の座るベンチの真横に停まった。エンジンの振動音が間近に聞こえ、車窓から新島の童顔が覗いた。
「すいません、リーダー。獲物がなかなか罠に嵌らなくて…」
 宮坂は手を小さく振って「気にするな」と新島に言った。川瀬は厳しい眼差しで迎えた。
 ドアが開き新島が下りてくる。両足を地面につけたところで、宮坂と川瀬を仰ぎ見る。ガラス越しには分からなかったが、新島の右頬が赤く腫れ上がっている。
「どうした? その怪我」
「ああ、後ろの女ですよ。とんだじゃじゃ馬だ…」
「ほう、それはたいした手柄だぞ。新島」
 川瀬は新島の肩を叩いた。宮坂は車の後部座席のドアを開ける。円らな目を閉じた若い女がシートに横たわっていた。
「こいつは女子大生か? 大月が喜びそうだな…」
「他にいい女はいなかったのか? 私の生成した賦活剤なら、どんな女もものにできる筈だが…」
 新島は頭を振って車から出た。川瀬は附に落ちなさそうに女を眺める。
「自分にはこれが精一杯ですよ…。自分の軟派に応じてくれるのはこういう娘達が大半ですから」
 新島と入れ替わりに川瀬が車の運転席に乗り込む。宮坂が車から女の肢体を引き離そうとしている。女の脇に両腕を潜らせるがうまくいかない。宮坂は新島に助力を促した。
 新島と宮坂が女の上下半身をそれぞれに支え、漸く車両から運び出す。ドアを閉めると、宮坂が川瀬を見上げた。
「車は山辺の保管所に駐車してくれ」
「わかっているよ」
 川瀬は手で合図を送り、車を発進させた。枯れ葉を燻したような煙が辺りに立ち込める。
 取り残された二人は道を顧みた。
「新島、道のりの前半と後半どっちに女を運びたい?」
「自分はどっちでもいいですよ。リーダーが決めて下さい」
「ならお前は後半だ。俺は後々、楽にしたいからな」
 えいと宮坂が女を背負う。新島は宮坂に随行していった。
「ねえ、リーダー。その女初めに抱くの、って誰にしますか?」
「向こうで決める。優先は、今回はないからな…」
「正々堂々、じゃんけんですね」
 新島が笑った。宮坂は息が少し荒くなったのを感じて足を止めた。新島は不思議そうに宮坂の背中を見つめる。
「どうしました?」
「新島、お前。前から言いたかったが、この女、想像以上に重いぞ」

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