M奴隷マミ
一二三:作

■ 自己紹介2

(田中佳美)
 雁野専務さんとは同郷で家も近くでした。其の頃は学校にプールが無く夏の泳ぐ時期が来ると子供達は川や池で、フルチンで泳いでいました。私達も同様でした。其の頃この人とお医者さんごっこをしてオマ○コやお尻に指や箸を入れられました。
 私は中学を卒業して農家である自宅の家事手伝いをしていましたが、18歳で同部落の6歳年上の人と結婚しました。19歳で女の子、21歳で男の子と、二人の子供を産みました。二人目を生んで間も無く夫が急病で亡くなりました。夫は次男だったので財産は無く、母屋から貸して貰っている田んぼを耕しながら二人の子供を抱えて貧乏生活をしている時この人が帰って来ました。
 雁野専務さんの説明の通り田舎を引き払って此処に来ました。先夫の子供二人は雁野専務さんの御陰で高校を卒業させて頂き、長女は5年前に結婚し、長男は東京に就職しています。
私はこの真由美を孕んだ時から雁野専務さんを旦那様、つまり御主人様と決めました。子供を産み、セックスの快感を知っていて長く禁欲していた身体、この人が火を点けたのです。特に今の様な過激なプレイをする様に成ってからは、新しい事への願望が、怖いという恐怖心を打消す様になりました。私はこの人の調教しか受けていません、これからN先生始め婦長さんや須藤様から厳しい調教をして戴けるる事を嬉しく思っています、どうか宜しくお願いします。

(K婦長)
 私は門田勝代42歳です。高校を卒業して国立病院併設の高等看護学院に入学し、正看護婦、保健婦、助産婦の資格を取り、卒業後はその国立病院に勤めました。看護学生の時実習で注射やカテーテルを入れるのが初めは怖くて手が震えていましたが、1度遣ってしまえば直ぐに慣れてしまいます。手術やお産も数回で慣れました。中にはどうしても慣れなくて中途退学した人も居ます。
 私がSMに目覚めたのは病院勤務1年目に同病院内の妻子ある歯科医師と恋仲に成り、三年間このサド医師の奴隷となりました。最初は同僚と同じく医師からの甘い誘いに攣られてホテルに行く様になり、ノーマルなSEXでは物足りないサド医師からSMを植え付けられました、ソフトな縛りから始まって段々エスカレートして行って、気が付いた頃には普通の鞭では物足りず一本鞭で蚯蚓腫れを愉しむ様に生っていました。3年間の間に歯は全部抜かれて総入れ歯です。ニップルピアスもこの時です。
クリピアスとラビアピアスは今のN先生に入れて頂きました。クリ包皮を切除して頂いたのもN先生です。
歯科医師との不倫がばれて病院内が大騒ぎとなり、私は院長に呼び出されて今後の進退を問いただされ辞表を提出しました。が、その後がいけません。歯科医師の奥さんから亭主を寝取ったとして慰謝料の請求が出され裁判沙汰になりそうになり、挙句の果て私はブロバリンを大量に飲み自殺未遂になりました。
此の様な訳でこの地に居づらくなり大阪の小さな診療所で働いていました。其の診療所で又不倫をして妊娠したので、正月休を利用して郷里に帰ったついでに、此のN先生に堕胎して頂いたのです。その時先生が私の性癖を見抜いて、
「この病院に来ないか婦長として迎えるよ」
と言って下さいました。此処に来て5年に成りますが、先生はテクニシャンでハードSで私には言うこと無しです、今アナルには65oのディルドウが入っています、拳フイストがもう直ぐ可能になります、私の身体は何時も虐められていないと落ち着きません、ディルドウや針で虐められていない時はイライラします。
産婦人科と言う性質上泊まりや緊急手術等がありますので、先生の御家族には今の処知られていない様です。
どうか皆さん宜しくご指導お願いします、若し今までの様に不倫がばれた時はどうか私を見捨てないで下さい。その時は皆様の完全服従奴隷にして頂きますので宜しくお願いします。

(須藤康夫)
僕は45歳、N医師とは中学、高校とも同級生で悪餓鬼をした仲間です。N医師は家業を継ぐべく医大に進学しましたが僕は船に乗りたくて海技免許を取る為、船舶会社に就職して機関士免許を取りました。西回り北欧航路の機関長までに昇格していましたが、最初に云いました通り会社が倒産したのを機に船を降りました。
僕がサディスチック嗜好に目覚めたのは小学生の頃と思います。蛙の尻に麦藁を突き刺して息を吹き込み腹を膨らませて悦んだり、青大将(蛇)に鼠を飲み込ませ腹を裂いて胃袋の中の鼠の消化状況を調べたり、教壇の女先生の机の中に蛇を入れて女教師を卒倒させたり。中学生になってからマスタ−ベーションを覚え、悪餓鬼同士で精液の飛ばし合いに興じ、SEX初体験は中学3年の時です、相手は同級生の妹でした。 三,四回目位の時彼女の部屋でして居る所を彼女の母親に見付かり大目玉を食らいました。高校生の頃からSM雑誌を読み耽り、バイトをして小遣を貯め赤線に行ってSMごっこをしていました。その頃田舎町ではSMクラブは有りませんでした。
本格的なSMにのめり込んだのは就職した年の暮れ、船を定期検査に入れる為、横浜の造船所にドック入りした時です。他の船員は1ヶ月の休暇で故郷に帰ったのに、僕は遊ぶ金欲しさにドック要員を申し出て、修理個所の工程打ち合わせやチェックをして夜はSM三昧です。其の時、伊勢崎町で拾った女が50歳、小太りの真性M女トシ子、徒名をトン子と呼びました。クリ包皮を切除してクリピアスを施し、ラビアには両方とも5oくらいの穴が3個づつ明いて紐が通せる状態でした。
僕のSMがハードに成ったのは此処からです、其れまでは縛って痛くないバラ鞭で軽く叩きバイブで逝かせ、ローソクや、緩いクリップを乳首に挟み、浣腸をしてアナルSEX位でした。然しトン子はそんな物では納得しません、乳房、乳首、ヴァギナ、尻の針責め、串刺し、是と併合の錘責め。アナルからホースを盲腸まで差し込んでの腸内洗浄。膣、アナルの拳フイスト。尿道には指が楽に入り、膀胱に異物挿入(パチンコ玉、牛乳等)。どれ一つ採っても僕には初めての経験です。
乳房に最初に注射針を刺す時、僕の手は震えていました。
「こうやって刺すんだよ」
と言って僕の手から注射針を取り、僕の乳首を暫く摘まんで置いていきなりブスッと刺し込み貫通させました。
「痛くなかったでしょう、是、無痛刺しと言ってね、少しも痛くないんだよ、躊躇したら駄目だよ一気に刺さないと痛いし、震えていたら針が折れるよ」
一度刺すと2回目からは何の抵抗も無く刺せました。乳房への金串貫通はあんなに力が要るとは思いませんでした、途中でストップして動かなくなり、握り直して力任せでやっと貫通しました。尻を貫通させた時もその通りでした。金串の様な太い物(3oΦ)を分厚い所に貫通させるには相当の力が要る事を知らされました。抜く時も叉然りでした。特に尻の様な筋肉の所は、刺される側に恐怖心が有って硬くなっている時は不可能でしょう、金串が曲がっても入らない事が有ります。
ホースでの腸内洗浄も、蛙の尻に麦藁を差し込むのとは随分違います、肛門から盲腸迄約1.5m、その間にS状結腸が2ヶ所在ります、此処を通過するには技術が要ります、下手をすると腸を破りますからね、トン子は慣れていましたので難無くこなせましたが、普通の人では可也難しい技です。
 何れにしろ、この様な超ハードなプレイは一朝一夕で出来る物では無く、何よりもお互いの信頼が必要不可欠です、一つ間違えば犯罪となり警察の御厄介となります。
 北欧では乳房やラビアを柱や板に釘付け、乳房への生理食塩水を注入しての膨張責め。大型犬や馬、豚等との獣姦。膣やアナルが裂けるまでのフイスト拡張。高圧電気、低周波電流による電気責め。強力刺激薬品に依る大量浣腸等、初めは驚きの連続でしたが気が付いて見ると其れを実行する様に成っていました。 慣れると言う事は恐ろしい物です。 こんな事本職の先生の前で言って良いのかなぁ、犯罪ですか?、先生。
「金を取って遣れば立派な医師法違反。身内、知人的感覚で、傷口に消毒をして軟膏を
塗り包帯をする位の日常家庭医療的な考えをすれば別に問題ないでしょう、但し、失敗したり、相手から告訴されると傷害罪になりますよ」
ああ良かった、今まで告訴されていないから。
僕の家には妻と子供が二人居ますが、この様な僕の性癖は知らない様です。 だから妻とSMチックな事をしたことは有りません、遣りたいのですが何だか判らない抵抗が在ってどうしても出来ません、だから僕のSMパートナーは、妻以上に相互の信頼が深いと思います。
SMを理解出来ない人には猫に小判でしょうが、我々SMを好む者には至上の悦びです、神様が人間にだけ与えられた快楽です、この悦びを知らない人は不幸な人間です。
此れから此処に居る6人で今以上の悦びを目指して頑張りましょう。

(N医師)
N産婦人科医院の長堀です。須藤君とは高校以来つい先日まで御無沙汰でした。お互い職業の違いで会う機会が有りませんでした。ましてや須藤君が此処までSMに精通しているなんて思った事も有りませんでした。よくまぁー医師でも難しい事を平気で遣る物だと感心しています。普通の医師では地位と教養が邪魔をするのでしょうね、この様に異業種の人と交流する機会が有りません、偶々須藤君が同級生でこの道の先輩的同好者だったのがきっかけです、其れも真由美さんを連れて来るまで知りませんでした、言わば何かの糸で引き寄せられた偶然でしょうか、僕の快楽の巾が広がった事に感謝しています。
僕達医者は患者さんの性器は厭に成るほど診ていますが、是はあくまでもビジネスでプレイの対象では有りません、仕事中にスケベ心を起こしたら直ぐに新聞種に成りますからね、産婦人科医の辛い処です。その分プライベートの時は思う存分嵌を外します。この婦長はよく耐えてくれます、こんなパートナーは中々居ないと思いますよ、僕が他の看護婦に手を出さなくて済むのも門田婦長の御陰です。
僕がSMの世界に入ったのは医学生の頃、研究疲れで頭が冴えなくなった時、気分転換にSMクラブに行ったのが始まりです。その時は驚きました、生身の身体に注射針は打てるし浣腸、導尿等、医学部で実習していない事を事前に覚えました。3年生に成り実習をする時は何の抵抗も無く出来ました。ガリベンで本と首っ引きの連中は手が震えて中々出来ませんでした。ましてや医師免許を取ってインターン研修の間、生身の身体を直接診療しなければなりません、注射や導尿、浣腸は看護婦が遣りますが、掻爬や手術は自分でしなければ成りません。学校で模型や教授のするのを手伝うのとは訳が違います。先輩医師に助けてもらいながら1人前に成るのです、その時僕の様にSMで遊んでいた者の方が早く習得出来た様です、門田婦長は掻爬が上手いですよ、僕より上手です。
サディストとしては須藤君に負けますが、失敗の修復は引き受けますから大いにハッスルして下さい。女性群はこれからプレイのマイルームが出来たら辛くて厳しい調教が始まりますよ、覚悟してください。

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