夢魔
MIN:作
■ 第23章 絶頂3
沙希は庵の前で、不安そうな顔で佇み、庵を見つめている。
庵は沙希の手から、自分の鞄を受け取ると
「話は付けた。エントリーされるかどうかは、顧問と試合して決まる」
沙希に教頭から得た約束を伝えた。
沙希の顔が、驚きの表情になり落胆に変わる。
「で、でも…あの…霜月先生は…インカレで準優勝の経験も有り、本気でプロを目指した人なんです…。私じゃ、勝て無い…」
沙希が庵に弱音を吐く。
沙希の頬がパシーンと音を立てる。
庵が沙希の頬を打ったのだった。
「お前は、何のためにテニスをやっている! 誰よりも強くなるためじゃないのか」
庵は低く響く声を沙希に浴びせる。
沙希は頬に手を添え、庵を見つめると
「そ、そうです」
コクリと頷く。
「だったら、選手として一線を退いた人間に、勝て無いなんて口が裂けても言うな」
庵が沙希に言いきると、沙希は目に力を取り戻し
「済みません庵様。私間違っていました! 絶対に勝って、試合に出ます!」
庵にハッキリと誓った。
庵は沙希の言葉に頷き
「良し、良い返事だ。だが、1ヶ月サボった今の状況じゃ、先ず勝て無い! だから、俺が手伝ってやる」
ニヤリと獰猛な笑みを浮かべ、沙希に告げた。
沙希はその言葉を聞いて、フルフルと震え
「ほ、本当ですか! 嬉しい! やった〜」
庵の胸に飛び込んだ。
庵はしっかりと、沙希を抱き止め
「だが、覚悟しろ。俺はスポーツに関しては、手はぬかねぇ…徹底的にやるからな」
沙希の耳元に、低く響く声で囁いた。
沙希はその言葉を、7日間体感し、二度と練習をサボるまいと心に誓うのだった。
庵と沙希は、狂が予約を取った、スポーツジムのテニスコートに居た。
練習の途中、稔からの電話に一度出ただけで、殆ど休む事無く沙希の相手を務める。
沙希はコートに突っ伏し、3度目の嘔吐を片付けている。
時間はもう、夜の8時を回っていた。
1時から7時間、庵のトレーニングを受け、沙希の体力は限界を超えている。
「片付けが終わったら、荷物をまとめろ…」
庵は沙希に指示を出し、沙希の現状を分析する。
(手首のスナップとボディーコントロールは以前より、上がっているな…だが、スタミナが格段に落ちている。後は、パワー不足も補う必要が有るが、7日間でどれだけ、あげれるかだな。メンタルは攻撃性が増して、試合に成れば良い方に働くだろう…)
庵はそれだけの事を判断し、沙希のトレーニングメニューを考え始めた。
沙希はフラフラに成りながら、コートの片付けをして、荷物をまとめる。
(も、もう駄目…地面が回る…)
沙希は全ての片付けを終えた時、フラリと前のめりに倒れ、そのまま失神した。
庵が考えをまとめ、沙希に目を向けると大きく溜息を吐き、スタスタと沙希に近付く。
沙希の襟首を掴んで引き上げると、沙希は完全に身体の力が抜け、子猫のように庵の手にぶら下げられていた。
庵は慈しむような顔を見せ、クスリと笑うとスッと背中に背負う。
庵は背中に沙希を背負ったまま、荷物を持ってコートを後にした。
沙希はフワフワとした感触の中で、心地よい夢を見ていた。
それは、とても気持ちが良く、安心しきった心の状態で、暖かな岩に抱きついている夢だった。
その岩はゴツゴツとしているが、奇妙な柔らかさを持って、優しく沙希を包み込む。
沙希はその岩に頬擦りすると、とても心が安らぐのだった。
(んふ〜…し・あ・わ・せ〜…)
夢の中で呟いた声が、そのまま現実で囁かれる。
「起きたのか?」
庵は沙希の寝言に反応し、そう言いながら沙希の身体を背負い直すと、その振動で沙希の目が醒める。
「んはぁ?」
沙希は庵の背中で、ジュルルと音を立てて、涎を拭い寝ぼけ眼で目を覚ます。
沙希はキョロキョロと寝ぼけた目で、周りを見回し自分の状態に気付き始める。
(ん? あ〜れ〜? ここ何処? 私何してんの…? え! あ、あれ! う、うそ…! やだ!)
沙希は目の前にある、大きな背中が庵の物だと理解して、途端に慌て始めた。
「も、申し訳ありません! い、庵様! こんな…こんな事を…」
沙希が庵の背中で、ワタワタと暴れ始めると
「歩けるなら、歩け…今降ろしてやる」
庵は落ち着いた声で、ぶっきらぼうに沙希に告げる。
庵の背中から降りた沙希は、モジモジとして急に頭を下げ
「あ、有り難う御座います! 本当にすいませんでした!」
庵に詫びた。
庵は沙希の方を見ずに
「構わん…。あのまま放って置く訳にも、いかなかったからな」
またぶっきらぼうに告げ、スタスタと歩き始めた。
その庵の態度と仕草に、沙希の中で庵に告げられた言葉が、突如浮かび上がる。
今まで心の奥底に、埋もれていた言葉が、言われた時と同じリアルさで、沙希の頭に響いた。
(この間風呂で言った事…忘れろ…)
沙希はその言葉のショックを、自分がどうして今まで、忘れていたのか解らなかった。
そして、それを考えようともしなかった。
何故なら今頭の中を占めているのは、そんな物がどうでも良くなる、重大な庵の言葉だったからだ。
(私は、庵様に突き放された…。庵様に、嫌われてたんだ…)
沙希は愕然とした表情で俯きながら、その事実を思い出すと、見開いた両の瞳からポロポロと涙が溢れ始めた。
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