The Report from a Fallen Angel
ぽっけ:作

■ 5

ガラッと勢いよく扉が開く。

「よ、サブちゃん!」
「久しぶりじゃのぉ」

一体、これはどうしたことか。
先ほどの玄さんに続き、馴染みの客が顔を出す。
それも、この二人は久しく来ていなかった客である。
この間なんかは、自分の出した食事の最中に

「サブの作る飯は不味くてかなわね。表通りにでけた食堂は数倍ぇはうめぇっぺ!」

などと大声で悪態を付いた二人である。

「いらっしゃいませ、お好きなお席へどうぞ?」
「この子だっぺな? 玄が言ってた娘っ子ってのは」
「しっかりした子だぁ。お好きなお席へどうぞってか」

二人はゲラゲラと笑いながら壁際の席についた。
絵美子は少しも気分を害した風もなく、そのまま彼らに付いていき注文を取る。
その後もそつなく仕事をこなし、二人の馴染み客は満足げに店を出て行く。

「ありがとう御座いました」
「また来るでな。絵美子ちゃん、こげなぁボロちぃ店、辞めたくなったんとちがうかぁ?」

その一言にドキッとした。
確かに、こんな店で、こんな薄汚い男にからかわれて、彼女がここを辞めたくなったとしてもおかしくはなかった。
だが、彼女は大きく首を横に振った。

「いいえ、お仕事はとても楽しいです。私はこの店におじ様達がまた来てくれるのを楽しみにしています」
「おじ様ときたかぁ!」

二人は大笑いしながら店を後にする。
絵美子はそんな二人を最後まで笑顔で見送ってから食堂に戻ってきた。
なんとも不思議な子だ。
いつも不機嫌な顔を並べて、代金と共に決まって2、3の文句を垂れていく気難しい馴染み客の気分を損ねることなく、仕事をこなしてしまった。
その後も、彼らから彼女の噂を聞いたのか、暫く姿を見せなかった馴染みの客が店に顔を出した。
そのすべての客が彼女の言葉に一喜一憂し、例外なく満足な顔で帰っていった。

終わってみれば11人。
これだけの客が来たのは、両親が死んでからは初めてのことだった。

「絵美子ぉ」
「はい? なんでしょう」
「給料だぁ。すくねぇがうけとってけろ」
「え……こんなに……私、受け取れません……」

絵美子は差し出したニ枚の百円札を受け取ろうとはしなかった。

「恥ずかしい話だけどもなぁ。オラの店、こんなに客さ来たの初めてなんだぁ。全部、おめぇさんのおかげだべ」
「でも、こんな大金……」
「明日も同じだけ払えるかどうかはわかんねぇ。いや、たぶん、払えねぇと思う。だけ、今日だけは貰ってくんろ。おめぇさんの好きなもんさ買うてくるとええ……」
「……分かりました。ありがとう御座います」

絵美子は百円札を大事に自分のポケットに仕舞って、大きく頭を下げた。

「本当に利口な子だぁ」

再び店の掃除を始めた彼女を見て、そっと呟いたのだった。



次の日、まだ完全に開ききっていない眼をこすりながら食堂に降りていくと、彼女が卓上で何かしているのが目に入った。

「絵美子、おめぇさん何してるべ?」
「はい、メニューを作ろうと思いまして」
「めにゅー?」

彼女は紙に向かって何かを書いているのだ。
誰かが何かを書くという作業を見たのは、生まれて初めてだった。

「壁のメニューは随分古くなっていますし、それに、このテーブルの一つ一つにメニューを置いたら便利だと思うんです」
「だども、おめぇさん、その紙とインクはなじょしたぁ?」
「はい、これは昨日頂いたお金で買ったんです」
「なんとっ!?」

この子はせっかく貰ったお金を自分のために使わずに、この店のために使ったというのか……

「おめぇさん、字うめぇなぁ……」
「そんなことないですけど、できるだけ綺麗に書きますね」
「だども、字が読めるようなやつぁ、この店にはこんでよ……」
「ここに絵を描いたら分かりやすいと思うんです」
「絵ぇだぁ?」

よく見ると文字の下には、確かに何やら絵のようなものが描かれていた。

「ほぉー、これは卵焼き定職だっぺ?」
「そうです」
「こっちは、えびふらい定職かぁ。こいつぁーおもしれぇなぁー」
「ありがとう御座います。皆さんにここの定食の名前を少しづつ覚えてもらいましょう。すぐに、文字が読めるようになります」

少女の妙案に舌を巻く。
彼女の睨んだとおり、新しい献立表は客に馬鹿受けだった。
「○×定食だっぺ?」と勝ち誇った表情の客に、嬉しそうに「正解です」と答えてやる絵美子。
そんなやりとりはもう何十回と続いているはずなのに、彼女は嫌な顔一つせず完璧に接客していく。

■つづき

■目次

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊