真梨子
羽佐間 修:作

■ 第6章 従属6

 ノースリーブのワンピースからこぼれる手首と二の腕には縄目がまだ消えずに残っていた。
 手で摩ると少しうずくような感じこみ上げてくる。

 はたと気付いて真梨子は震える手でコンタクトを外すと、差し込む光がとても眩しく涙が滲んできた。
『タクシーに乗ったらコンタクトを外してもいいぞ」と啓介に言われていた。
 眩しくて目を瞬かせると涙が滲んできた。
 漸く焦点が合い、景色もはっきり見えるがまだ少し眩しい。
『僕が誰だか未だ知らないほうがいいと思ってね。 それにぼんやりでも視界を制限されるのは怖くてドキドキするだろう!』と北海道にいる間、目隠し代わりの視界を制限するコンタクトレンズをずっと填めさせられていた。

――誰だか知らない方が良いってどういう事… 私の為じゃなくケイスケ様が有名人だからかしら… 自家用ジェットを持っているなんて一体誰なの? ケイスケって…

「ケイスケ様…」
 真梨子はハッとして、愕然としてしまった。
 無意識に啓介の名を口にしているのだ。

――戻れるの… 私… 浩二さんのところへ 戻る事は許されるの?… 浩二さんの所へ戻りたい!
 はらはら涙が止め処なく流れ落ちる…
 ドライバーはそれとなく気遣い、バックミラーで真梨子の様子を窺っている。
 エアポートでの愁嘆場と合点したのだろう、真梨子の涙には触れてこなかった。

 真梨子は以前雅ママから言われた事を思い出した。
『真梨子さん。どうしてここでの出来事がこんなにも貴女を濡らしてしまうのか解る?』
『いいえ…』
『それはね、貴女には心の底から愛し愛されるとても大事な人がいるからなのよ。 貴女のような性癖の人はね、お相手と強く結ばれているほどその方を裏切る淫らな行為に興奮してしまうものなの。 まして貴女は凄く貞操観念が強いから尚更ね。 因果だわねぇ。 愛されれば愛されるほど、裏切れば裏切る程、強い快感が襲ってくるんですもの。
知らなくても良かった快感… 地獄かも知れなくてよ、貴女…』

――知らなくても良かった快感… 裏切ったからあんなにも感じてしまったの、私… もう浩二さんの元へは戻れないの?!… 戻る資格がないの?!…

 浩二の事を想うと優しくて逞しい浩二の表情が瞼に浮かぶ…
 真梨子はタクシーの中である事も忘れ、とんでもない裏切り行為に溺れてしまった自分が情けなくてまるで子供のようにしゃくりあげながら泣きだした。
 涙が更に悲しみを呼び真梨子はひたすら泣いた。

 嗚咽は押し当てたハンカチからこぼれ、涙が手の甲を伝って真っ赤なスカートに悲しい染みを拡げていった。

「あっ…」
 気付くといつの間にか車は停まっていた。
 顔をあげ外を見ると真梨子のマンションの前だった。
 ドライバーはさめざめと泣く真梨子に気遣い、待っていてくれたようだった。
「あっ、ご、ごめんなさい… わたし…」
「ああぁ、少しは気が晴れたかい?! 気にしなさんな、お嬢さん。 頑張ってりゃまた良い事もきっとあるさ!」
「あっ、はい… ありがとう」
 料金を支払い、慌ててタクシーから降りた。
 真梨子はドライバーの優しい気遣いに感謝しつつも、あられもない泣き顔を見られていたのが恥ずかしく足早にマンションの入り口に向かった。

 マンションのエントランスに着いたとき、クラクションが軽やかに響く。
 振り返るとタクシーのドライバーが運転席からにこやかに微笑み、手を振りながら走り去って行くのが見えた。
 車に向かって会釈をすると真梨子の目にまた涙が滲んできた。
――またいい事なんて私には…もう…

   ◆
 部屋に入ると、真梨子はバスルームに駆け込んだ。
 毟り取るようにワンピースを脱ぎ捨てシャワーに飛びついた。

 栓をひねり一番強い水流でシャワーを頭から全身に浴びる。
 縄で戒められた身体のあちこちが少し滲みる感じがする。
 体中に浴びせられた啓介の体液を、染み付いたその臭いを綺麗さっぱりと洗い流したかった。

――はっ! ああぁ… よ、良かったぁ・・・ 
 シャワーの水とボディシャンプーの泡に混じってクレヴァスから毀れた血が真梨子の大腿を流れた。
―あぁぁ… 妊娠してなかった…

 昨夜、その兆候はあったのだが、ようやく生理が始まったのだ。
 生理の周期的には安全なはずの時期だったが、数え切れない程啓介の吐き出す精を膣奥に注ぎこまれ妊娠の恐怖を感じていたのだった。
 妊娠… 最悪の事態が起こればもう浩二の所へは戻れないと真梨子は半ば覚悟していた。 
――きっとまだ浩二さんのところへ帰れる…
 真梨子は、わずかな望みにすがり淫らに汚れきった身体を丁寧に泡で包んでいった。 

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