真梨子
羽佐間 修:作

■ 第9章 肉人形17

− 専務室 − 9月5日(月)

 暦は9月になり、日中は蒸し暑い日が続いているが、朝晩はいくぶん秋めいた風が吹くようになった。 真梨子の単身赴任も残すところ後10日程になる。
 悪夢のような3日間の後、何事もなかったようにプロジェクトの仕事に真梨子は没頭した。
 懸案だったシステムの不具合にも解消のめどがつき、無事にプロジェクトを終了出来そうになっていた。
 秋山は真梨子に手も触れず以前のようなビジネスパートナーとして接していた。

「羽佐間さん。 ちょっといいかな」
 電話を終えた秋山が真梨子を呼んだ。
「はい、何でしょうか、、、」
「吉岡専務がお呼びです。 一緒に来てください」
「あっ、はい」

   ◆

 専務室には専務秘書になった新谷裕美が受付に座っていた。
 真梨子と目が会うと、視線をそらすように俯き、椅子に掛けたまま深々とお辞儀をした。
「吉岡専務がお待ちかねです。 どうぞお入りください」
 裕美の横を通り過ぎる時、小声で『後でお昼、一緒にいかがですか?!』と声を掛けたが、裕美は頷くともなしに目線を伏せた。
 真梨子は、裕美のどこか怯えたような様子に不安を覚えた。

「失礼します。 プロジェクトチームの秋山です」
 秋山に続いて専務室に入る。 まっさきに目に入った景色は、大きく開かれた窓いっぱいに拡がる木々の緑が眩しく輝く代々木公園だ。
 『絶好の借景でしょ!!』と吉岡が言ったことを思い出す。 真梨子が専務室に入るのは赴任の挨拶に訪れた時以来二度目だった。

 吉岡の用件とは、梶部長が抜けた後もよくプロジェクトを進行してくれた感謝の意を込めて何かプレゼントをさせてくれということだった。

「そんな、、、吉岡専務。 お礼だなんて、とんでもないです。 責任者の梶が事故とはいえ途中で抜けることになり、大変ご心配を掛けてしまって申し訳なく思っています。 それをお礼だなんて、、、 そんなお気遣いはどうかご無用に、、、」
「いやいや、君達のチームは本当によくやってくれたと感謝しているんだ。 ぜひとも僕に作らせて欲しいんだよ」
「はい?! 作る?! ですか?」
「いやあ、気を遣うと思って君には言わなかったが、君の会社の島田社長を通じて君のご主人と少し前に知り合ってね」
「まあ?!」
「彼とは、初めて会った時から意気投合しちゃってね。 何度かお会いするうちに浩二先輩なんて呼ばせてもらって色々相談に乗っていただいたりしてるんだよ。 しかし驚いたのは君が彼の奥さんだっていうことだよ!」
「えっ、そ、そうなんですかあ、、、 そんなお話、羽佐間からはぜんぜん聞かされていませんでした」
「そりゃ浩二先輩はここで君が働いていることを私が知ったら、君や私が仕事がやり難くなるって案じたんじゃないかなあ。 それに僕が知ったのも秋山君から先週末に聞いたところなんだよ」
「そうなんですか、、、」
「それで、僕が作らせて欲しいっていうのはね、16日に先輩の会社の上場記念パーティがあるでしょ?! その時に、貴女が社長夫人として着るドレスを僕にプレゼントさせてくれないかっていうことなんだよ」
「そんな、、、 とてもありがたいお話ですけど、私だけそんなことをして頂いていいものか、、、」
「プロジェクトの心ばかりの御礼だよ。 それに君にだけってわけじゃなくて、秋山君にはもっと素敵なモノを既にプレゼントしてあるから。 僕もパーティーに呼んで頂いているし是非、尊敬する先輩の奥様の晴れ舞台の衣装をプレゼントさせてくださいよ」
「で、でも…」
「あっ、旦那さんの事を気遣ってる?! それなら先輩には了解をとってるから心配要らないよ。 素敵なドレスを選んでやってくださいって仰ってたから」
「あら、そうなんですか?! もう、、、内緒にして二人で私を驚かそうとなさってたんですか?」
「あははっ。 内緒も何も、先輩の了解をいただいたはつい先程の事だよ」
「そうなんですかあ。 主人も承知しているんでしたら、お言葉に甘えてしまおうかしら…… それにしても秋山さんたら先にプレゼントを頂いていたなんてずるいですねぇ。 何をプレゼントして頂いたんですか?」
 秋山は真梨子を見てニヤリと微笑んだだけで、言葉を発せず吉岡に視線を移した。
「ねっ?! 真梨子さん! 遠慮せずに!」
「……はい! じゃ、うんと素敵なドレス、お願いしちゃおうかしら。 うふっ」
「おお、そうですか! それは嬉しい! ところで、真梨子さんはどんなドレスがお好みかな?」

――真梨子さん、、、
 不意に吉岡に名前を呼ばれた事が妙に違和感を感じさせた。
「私、ドレスなんて友人の結婚式と大学の卒業式に着た事があるくらいで、よくわかっていないんです。 でも主人の会社の大事なイベントですから、あまり華美なものじゃなくてシックなものの方がいいのかなというくらいしか思いつきません」
「シックなやつかあ、、、 真梨子さんは出るところが出て、引っ込むところはキュッと絞られたとても良いカラダをしてるんだから、身体のラインをぐっと強調したようなデザインが似合うと思うんだけどなあ… まあ、いい。 早速身体のサイズを採寸するとしよう」
「えっ?! い、今からですか?」
 自分の身体の造りについて不躾な言い方に真梨子の心がざわつく。
「そうさ。 善は急げだ。 それはそうと、お茶も出さないで失礼したね。 おい! 裕美っ! お茶をお出ししないかっ!」
――えっ?! 何っ?、、、 裕美って呼び捨てなんて、、、
 先程までのプレゼントの話をしている時の表情とはうって変わり、吉岡専務の裕美に対する粗暴で横柄な喋り方に真梨子は得体の知れぬ怖さを覚えた。

■つづき

■目次2

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊