内側の世界
天乃大智:作

■ 第5章 別れ3

「キーボー、起きろよ」
「うっ」
目の前に、きよしちゃんの顔が、あった。
僕は、弱々しくきよしちゃんの顔に触れた。
状況が、把握出来なかった。
もしかしたら・・・夢だったのかと思った。
いつもの悪夢であった。
今は、現実であった。
今では、現実も悪夢も、そう変わりはない。
僕の世界が、変わったのだ。
きよしちゃんに会いたくないと思った事は、初めてであった。
「おはよう。何だ。寝ぼけてるのか? ・・・また、悪夢か? 」
元気な声であった。人の気も知らないで―
「―地獄だ・・・」
「随分、うなされてたぞ。大丈夫か? お母さんには、ちゃんとサヨナラは言えたか? 行くぞ」
「まだだ・・・」
「何で言わない。14年も育ててもらって、挨拶もなしか? 」
 きよしちゃんの声は、相変わらず元気だ。
「違う。昨日帰ったら寝てたんだ。・・・遅かったから」
 僕の声は、小さくなった。
「それは、仕方ないな。さ、早く、言って来い」
 きよしちゃんの声は、優しい。
「まだ眠い」
本当は、眠くなかった。
もう目は覚めていた。
「早くしろ! ぐずぐずするな! 」
 きよしちゃんの声は、怖い。
「どうしてそんなに急ぐ必要がある? 14年も待ったんだから、あと1週間位出発を遅らせたら・・・、駄目なのか? 」
僕は、まだ心の準備が出来ていなかった。
「往生際の悪いやつめ。俺は、すぐに連れてくるようにと言われている。極秘任務だ」
「極秘? 何が極秘なんだ? 」
「そう、言われてる!! 」
僕は、少し間を置いた。
「ふーん。それじゃあ、俺が行かないと言ったら? きよしちゃんは、困るのかな? 」
僕は、きよしちゃんを少し苛(いじ)めたくなった。
「そりゃあ、・・・困るよ」
 きよしちゃんの顔が、寂しげに俯(うつむ)いた。
「行くの、・・・止めようかな」
 僕は、片方の眉毛を吊り上げた。
「何だって! 」
 きよしちゃんの凄い気迫が、伝わってくる。僕は、きよしちゃんの気迫に押された。
「だったら、もう、キーボーと呼ばないと約束する? 」
「ずるいな・・・でも、しょうがない。・・・分かった、約束するよ」
 トントン。
 その時、ドアをノックする音が聞こえた。
急に、心臓の鼓動が、速くなった。
「誰か居るの? 」
母さんの心配そうな声がした。
振り返ると、きよしちゃんは、消えていた。
窓が、開いていた。
カーテンが揺れている。
僕も、消えたかった。
今度、どうやって消える事が出来るのか、僕も、消える事が出来るのか、聞いてみようと思った。
「誰も居ない。入って良いよ。母さん」
ドアを開け、母さんが入って来た。
母さんは、部屋の中を、キョロキョロ見回した。
そして、小首を傾げる。
母さんが、僕の部屋に入って来るのは珍しい事であった。僕が、何か言おうとしたら、
「行くのね」と母さんが言った。
「えっ、どうして知ってるの? 」
「こんな小さなアパートで喋ってたら、まる聞こえよ。今、お迎えの人が来てたでしょう? 」
「・・・」
 僕は、答えられなかった。
「・・・そうね。これを、持って行きなさい」
母さんは、僕にネックレスを渡した。
どんな素材で出来ているのか知らないけど、綺麗で、小さな鏡みたいなものが付いていた。
僕は、これをどこかで見たような気がした。
でも、どこだったかな・・・
「きっと、これが必要になるわ」
僕は、首にネックレスを掛けながら、思い切って聞いてみた。
「母さんは、知ってたの? 」
「そうよ。悪魔と約束しちゃったのよ。ちょっと、座っていい? 」
母さんは、僕の横に座った。
沈黙が続いた。
母さんは、どこから話そうか、頭の中を整理しているように思えた。
そして、話し始めた。
「私は14年前に、あなたを生んだのよ。あの時、私は急に腹痛に襲われたの。耐え難い痛みだったわ。これは、陣痛じゃない。不吉な予感がしたわ。私は、救急車で病院に運ばれたわ。病院に着いた時には、私の意識は無かったの」
『急げ。緊急手術だ。胎児の鼓動がない』
『母親だけでも、助けるんだ』
「でも、死産だと知らされたの。分娩中に、誰かの声が聞こえたの。恐ろしい声だったわ。
『お前の子は、死んでいる。このまま、出産すれば、お前も死ぬ』
 それが、本当だと感じたの。

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