内側の世界
天乃大智:作

■ 第5章 別れ4

『嫌です。私は、どうなってもいいから、私の赤ちゃんだけは、助けて下さい。お願いです』
と、言うと、
『死んで、もう天国へ行ってしまった魂を、また、呼び戻して生き返らせる事は、いくら儂(わし)にも、それは、出来ない。しかし、別の魂を入れ、無事出産させる事は出来る。そうすれば、お前も死なずに済む。・・・どうだ? ・・・それで、どうする? 』
私は、どうしても、赤ちゃんが欲しかったの。それで、
『それは、誰の魂ですか? 』
と聞いたの、
『儂の子じゃ。また、迎えに来るから、決して忘れるではないぞ。これを渡しておくから、その子が、旅立つ時が来れば、渡してもらいたい。儂の名は、ミカエル、鬼神じゃ。良いな、忘れるなよ。契約したぞ』
ちょっと待って・・・、私が言う間も無く、姿を消したの」
『奇跡です。胎児の脈が、戻りました』
看護婦が、叫んだ。
『よし。二人共、助かるぞ』
 それから、数時間、私は難産と戦ったわ。あなたは、大きな赤ん坊だったの。
おぎゃー。おぎゃー。
『いやだ。この子、歯が生えてるわ。・・・鬼っ子? 』
『母親に見せる前に、精密検査をするんだ。心停止の原因を調べるんだ・・・』
結局、私が貴方に会えたのは二週間後だったわ。
『完全な健康体です。全く異常はありません。心停止の原因は分かりませんが、問題ないでしょう。この子は生まれる前から、こんな試練を乗り越えたんです。強い子になる。きっと・・・』
担当医は、そう言ったの。私は、出産後、夢を見たのだと思ったわ。でも、このネックレスを握り締めていたの・・・それと、お腹に、痣が残ったのよ」
僕は、夢を思い出した。
母さんと悪魔が握手をしていた。
このネックレスは、その掌の中に握られていたものだ。
母さんはシャツを捲って、下腹部を見せた。
何か、痣の様なもの・・・、よく見ると、漢字で、『天鬼』と書いてあるようにも見えた。
「それで、これは現実の事だと悟ったのよ。私は、いつ、この日が来るのかと、気が気じゃなかったわ。覚悟が出来ていても、いざとなると・・・」
と言って、母さんは下を向いた。
 母さんの愛情が、痛いほど僕に伝わってくる。
母さんは、涙を堪えている。
少しして・・・
「さて、朝御飯、作るわね。・・・あなた、汗でびっしょりよ。早く着替えなさい」
と言って、部屋を出たところで、母さんの泣く声が、聞こえた。
 僕も泣いた。
母さんを追い掛けて抱き締めた。
母さんの温もりが伝わってくる。
しばらく、そうしていた。
やがて、気持ちが治まると、僕は気付いた。
もう二度と泣かないし、もう二度と母さんに会う事もないと。
僕は、母さんを一人に出来ない。
「私は、あなたが居て幸せだったわ。あなたは、私の自慢よ。あなたが居なくなっても、昨日悪魔から、いっぱい黄金を貰ったから、私は大金持ち。だから、もう大丈夫よ。用事が済んだら、会いに来てね」
「分かった。必ず会いに来るよ」
「きっとよ」
しかし、二人には、これが生涯の別れとなる事が、分かっていた。
だから、僕は決心した。

 僕は、部屋に戻って、着替えた。
派手なアロハシャツに、柄の悪いスラックスである。
中学に入ってから、ジーンズなど、穿(は)いた事がない。
スラックスの尻ポケットには、革の手袋が入っている。
喧嘩用である。
いつもの母さんの味噌汁と卵焼きを食べた。
黙って食べた。
本当に美味しかった。
こんな時でも、味が分る自分に吃驚(びっくり)した。
「私は、この町を出るつもりよ」
 母さんは、キッチンで独り言を言う様に切り出した。
「忘れないでね・・・」
 間が、あった。
「あなたは、私の子供じゃない・・・、でも、私のお腹から生まれたのは本当よ」
 母さんは、下を向いている。
「どこに行くの? 」
 僕は、母さんを見た。
突然、きよしちゃんが現れた。
二人の会話の邪魔をする様に、中断させるかのように・・・それも、天狗の姿で・・・、あった。
今まで、盗み聞きしてたに違いない。
僕は、感傷に浸っていた気持ちから、呼び戻された。
この時間を、大事な時間を、邪魔された事に、無性に憤りを感じた。
きよしちゃんは、僕と母さんに、現実を見せ付けていた。
僕は、きよしちゃんを待っていたのだ。
僕は、行かない。
そう言う。
母さんは、天狗のきよしちゃんを見て、ギョッとしていた。
「我々は、あなたに、十分な補償をさせて頂いたと考えています。もうそろそろ、お時間です」
きよしちゃんが、言った。
僕は初めて、きよしちゃんが憎いと思った。
同時に、これが運命だと知った。
しかし、僕は母さんを一人にしない事に決めていた。
僕は、僕を抑え切れなかった。
怒りが、爆発した。
僕は、きよしちゃんに殴り付けた。
僕の拳が、きよしちゃんの大きな鼻面に当たる刹那、きよしちゃんは、また消えた。

■つづき

■目次

■メニュー

■作者別


おすすめの100冊