内側の世界
天乃大智:作

■ 第9章 天狼1

「天鬼(てんき)? それが、俺の名前? 」
 僕は、魚人防人シーズの言った言葉を思い出していた。
「そう、嫌か? “天”の文字を冠する“鬼”、つまり、鬼の支配者って事さ」
 僕には、良い名前に思えなかった。
「テンキ? んん、変な名前。お天気みたいで嫌だな」
「そのうち、その名前の良さが分かるよ」
きよしちゃんは、笑いながら答えた。
「きよしちゃんは、本当は、クオンって言うの? 」
「そうだよ」
「それも変わってるね? どういう意味? 」
「んっ」きよしちゃんが、小さく首を傾げた。
その時、コトッ、と微かな音が聞こえた。小石が、転がる音であった。人間には聞こえない程の、小さな音であった。
僕は、身構えて気砲を撃とうとした。僕の掌(てのひら)が、光を紡(つむ)ぎ出す。
「止めろ!! 」
きよしちゃんが、言った。
「狼だよ」
暗闇の隅っこから、大きな狼が現れた。普通の狼と比べると、二倍以上の大きさがある。しかも、毛の色が白い。豊かな白い獣毛は、首のあたりで量を増していた。前足は幅が広く、肩と胸も大きい。体は下半身にいくほど細くなり、後ろ足は前足ほど広くはない。長い美しい白い毛が、風に靡(なび)いているように見える。狼と言うよりは、大きさは馬に近かった。はあはあと喘(あえ)いでいる。赤い長い舌の間から、黄色い鋭い牙が見え隠れしている。
狼の目に、全く殺気はなかった。人懐っこい目をしている。何か、知性の様なものを、その時、僕は感じた。その目は、薄い青い瞳であった。白狼は僕を見詰め、そして、僕は白狼を見詰め返した。
その白狼は、人懐っこく僕に近付いて来た。空気の層に鼻先を差し込んで臭いを嗅ぎ、地面の臭いを嗅ぎながら、ゆっくりと動き出した。その白狼は僕に近付くと、僕の顔をペロペロと舐めだした。僕は白狼の頭を撫で、そして、首を掻いてやった。
「天狼(てんろう)が、キーボーに懐(なつ)いた? 信じられん」
 僕は、白い狼を「天狼」と言うのだと理解した。
「でも、こんな海底の、地下道のどこから来たのかな? 」
僕は、天狼に聞いた。天狼は首を掻いてもらって、気持ち良さそうにしている。赤い大きな舌をその鋭い牙の間から出して、ハアハア息を吐いている。イヌ科独特の無表情な顔で、聞かれた事が迷惑そうであった。無関心を装っている。そんな風に僕には思えた。そんな中でも、ごわごわした白い毛皮が、気持ち良かった。
なんだか・・・、この感触が、とても懐かしい。
なぜだろう?
「この地下道は、もともとは地殻の割れ目だから、他にも、どこかに出口があるのかも知れないなあ」きよしちゃんは、独り言のように言った。
これで、鬼と天狗と狼の三人(三匹? )の旅になった。僕の体は、右腕と左足と肋骨が折れていた。内蔵も損傷している様であった。その為、体のあちこちが、痛んだ。
魚人防人(ぎょにんさきもり)シーズから貰った薬草を、磨り潰して塗り付けると、嘘の様に痛みが治まった。
しかし、歩く事は出来なかった。天狼に、乗せて貰う事にした。白狼は嫌がる様子もなく、僕を乗せてくれた。ほんと、不思議な狼である。
今まで、ずっと、下りだったのに、どうやら、上り始めた様であった。きよしちゃんによれば、やっと、半分を過ぎたとの事であった。
僕の体は、ずっしりと重かった。体重が、二倍にも三倍にもなった気分であった。これは、体の傷だけが原因ではないと直観した。
「ここは、重力作用の最も強い所だよ。ここは、重力の中心なんだ」
「えっ」
 僕は、聞き返した。
「ま、いいさ。今度、説明するよ」きよしちゃんは、話題を変えた。
天狼の餌を、僕は、心配した。そんな心配を余所(よそ)に、天狼は、全く平気な様子で、僕を乗せて歩いた。
僕は、僕の体を乗っ取った、例の“奴”の事を、きよしちゃんに聞いてみた。
「鬼への化成(変身)が、身の危険を察知して急激に進んだだけだ。気にする事はないよ」と言ったが、僕の不安は拭い去る事は出来なかった。
いつの日か、僕が完全な鬼に生まれ変わると、僕が僕でなくなる。無慈悲で凶暴な鬼。僕は、人間でなくなる。僕は、そんな事を考える様になった。不安で仕方がなかった。
いつしか、僕は僕の中の鬼に殺されてしまうんではないか? 
僕が鬼と融合するのではなく、鬼に支配される。そして、平気で人をも殺す。人を喰らう。ちょうど、理性を失い、怒り狂った獣のように・・・
僕の不安は、募った。しかし、今のところは大丈夫であった。僕の自我は、失われては居ない。あの時から―紅蓮(ぐれん)に襲われてからは、奴は目覚めていない。
いつ、目覚めるのか―それが、僕を心底苦しめた。少し顔を出しただけで、紅蓮をやっつけてしまった、あの奴である。

そんな僕の気持ちを癒してくれたのは、天狼であった。こいつは、可愛いヤツであった。
魚人防人シーズの薬草と手当てによって、程なく傷も良くなり、歩ける様になった僕は、少し疲れたと思ったら、天狼と遊んだ。
なかなか、頭のいい狼で、正に、“鬼ごっこ”をしても、全然、捕まえる事は出来なかった。僕は、角も、かなり大きくなり、以前よりは、聖魔の能力も、強くなってきていたが、それでも、素早く動く天狼を捕まえる事は出来なかった。天狼は横目で僕を見ながら、楽しそうに逃げていた。
不思議であった。
僕が諦(あきら)めると、天狼は僕に近付いて来て、疲れて横になった僕の顔を舐め回した。無精髭にべっとりと涎(よだれ)が付いた。
僕の顎(あご)には、無精髭が長く伸びていた。最近、急に伸び出したのである。その無精髭を舐めるのである。
まるで、もう終わりか? と言っている様であった。
「もう、終わりだ」僕は、言った。
「少しエネルギー補給をしたら、出発するぞ」きよしちゃんが、言った。

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