内側の世界
天乃大智:作

■ 第9章 天狼2

上りになってからは、きよしちゃんも、警戒を緩めた様子であった。
また、何日も、何日も、歩き続けた。
今度は、上りである。
一体、どれほどの期間、この地下道の中を歩いているのであろう。急に伸び始めた髭を頼りに考えても、良く分からない。髪もかなり伸びていた。身に付けた服も擦(す)り切れ、元の形や色が分らなくなっていた。汗と埃と泥で、硬く固まっている。
どこまでも果てしなく続く上り階段を見上げて、僕は恨めしく思った。見上げたまま、水筒の水を飲む。地下水を汲み取った水であるが、水だけは美味しかった。地下水が滲(にじ)み出て滑る所は、天狼に掴まって登った。
遂に無い事を祈っていた垂直の壁が、現れた。今度は登りであった。僕は、懸命によじ登った。
見上げると、天井が見えない。永遠に続く絶壁に見えた。天狼は、どうするのだろうと見ていたら、垂直な壁をいとも簡単に駆け上った。
僕は、唖然とした。
天狼は、ただの狼ではない。こんな事は、不可能であった。
やっと、絶壁を登り切った。勝ち誇ったように、天狼が僕を見下ろしている。最後は、きよしちゃんと天狼が、僕を引き上げてくれた。
そして、二股三股に分岐した地下道を、きよしちゃんは、迷わずに進んだ・・・と思ったら、行き止まりであった。
「あれ、来る時は、ちゃんと通れたのに。落盤でもあったのかな? 」
きよしちゃんは、言い訳をした。
「きよしちゃん、頼むよ」
僕たちは引き返し、別のルートを辿(たど)った。また、何日も遠回りになるような気がした。
そこで、休憩となった。
「どうして、地下道が崩れた? 」きよしちゃんは、独り言を言った。
僕は、それには構わずに天狼と遊んだ。その頃になると、僕は何とか天狼を捕まえる事が出来る様になっていた。捕まえると、必ず天狼の首を掻いてやった。天狼を押え付けて体のあちこちを擽(くすぐ)っていると、不意に天狼が起き上がった。
「誰だ? 」と声がした。警戒の声である。
「な・ん・だ」とは、きよしちゃんだ。安堵の声である。
 聖魔の警邏隊であった。角の立派な聖魔隊長に、五人の聖鬼が従っていた。聖魔は、黒鬼であった。やはり、均整の取れた見事な体格をしていた。背丈は4m弱。三本の角を生やし、瞳は金色であった。
「これで、安心だ。護衛が付いたぞ」きよしちゃんが、言った。
しかし、天狼は少し離れた場所に居る。じっと、こちらを見て近付いて来ようとは、しなかった。やっぱり、野生の狼なんだ、僕は、そう思った。
 きよしちゃんが挨拶をしょうと思って聖魔隊長に近付いた、その刹那であった。聖魔隊長が行き成り、きよしちゃんの腕を取った。腕を捻(ねじ)り上げ、背後に回って取り押さえてしまった。それは、かなり鍛錬された動きであった。
「何をする」きよしちゃんが、詰問した。
「この反逆者が。鬼神の裁きを受けるがいい」
そう言われて、きよしちゃんは大人しくなった。
「キーボー、心配するな。俺は大丈夫だから―」
きよしちゃんはそう叫びながら、五人の聖鬼に護送されて行った。首枷(くびかせ)、手枷、足枷をはめられたきよしちゃんは、まるで囚人であった。
「きよしちゃんは俺の命の恩人だ。手荒な真似はしないでくれ」
僕は、哀願して力なく地面に膝を突いた。全身から力が抜けたのである。
「若様」
聖魔隊長が近付いて来た。跪(ひざまず)いていた僕を起こそうとした。その時、邪悪な想念を、僕は、はっきりと感じた。
聖魔隊長は、拘束器具で僕の自由を奪おうとしていた。全く一瞬の出来事であった。僕は、何一つ抵抗が出来なかった。されるままに、身体を拘束された。
すると、聖魔隊長の背後に毛むくじゃらな、巨大な怪物が、音もなく現れた。信じられないほど大きく、背丈は5mを越えていた。
狼の顔をした、巨大な白熊が、後ろ足で立ち上がっている様であった。ホワイト・ベアーウルフである。大きく開いた赤い口には、黄色い、大きな、鋭い牙が、剥き出していた。白い獣人であった。空色の瞳であった。その瞳が、青白く輝いた。風圧の様な、「気」が―それは、物凄い殺気であった―僕に吹き付けてきた。
色が白いだけに、直ぐに天狼の化身だと察しが付いた。そのただならぬ気配を感じた聖魔隊長が振り向いた瞬間、であった。
巨大な獅子口(ししこう)が開く。轟轟(ごうごう)と咆哮(ほうこう)した。
シュ、と風を切る音がした。
天狼の大きな鉤爪の付いた前足が、振り下ろされたのである。聖魔隊長の角が一本、へし折られた。だが、まだ、二本残っている。天狼は、力の弱った聖魔隊長を仰向けに押し倒し、その大きな下顎で顔に咬み付いた。
獣であった。
グシャ、バリ、
残り二本の角が、頭蓋骨ごとむしり取られた。聖魔隊長の額から、血が吹き出した。裏切り者の最後であった。

僕は、呆気に取られてポカンとしていた。その間に天狼は、銀髪の青年の姿になっていた。
端正な顔立ちの青年であった。そのハンサムな顔は、血だらけであった。何も言わずに、僕の拘束器具を外してくれた。
「やはり、裏切り者が居たか―」と天狼が呟(つぶや)いた。
「いや、申し遅れましたが、私は、狼一族(ライカン)大将の天狼と申します。若様、お見知りおきを―」
天狼は、少し頭を下げた。僕は、状況が把握出来ていなかった。
「救助隊からの定時連絡が途絶えたので、私が参上仕りました。いやー、危ないところでした。若様には天の鏡のネックレスがあるから、危害が加えられないと悟った裏切り者は―」
「ネックレスは、もう無いんだ。俺の身代わりとなって砕け散ってしまったんだ」
 僕は、天狼に言葉を挟んだ。
「そうですか・・・、それは本当に危ない所でした。若様を誘拐しようと企んだようですね」
と言いながら、さっきへし折った角を首から下げている紐(ひも)に結び付けた。僕が、ずっと天狼の様子を見ていると、
「ええ、聖魔の角は生前に折られると死後も残るのです」天狼は、笑った。
「狼一族(ライカン)は、聖魔より強いのか? 」
「いやいや、今は不意を突いただけです。まともにやり合ったら、私は聖魔の敵ではありません。だから、角は、記念に私のコレクションにしているのです。これで、箔(はく)が付きます」銀髪の貴公子が、微笑んだ。気品のある笑顔である。
「おーい、大丈夫かー」
 急を聞きつけて、さっきの五人の聖鬼ときよしちゃんが、戻って来た。きよしちゃんは、僕達の様子を見て、「良かった」と、しみじみと言った。
「ここまで来てキーボーに何かあったら、死ぬに死ねない。それにしても良かった。天狼のお陰だな」と言って、きよしちゃんは、天狼にウインクした。
「死ぬとか・・・、縁起でもない事を言うな」と天狼が、返した。
「狼が、縁起なんか気にするのか? 」きよしちゃんである。
「それじゃ、きよしちゃんは、天狼がただの狼ではないって、知ってたのか? 」
 きよしちゃんが、頭を掻いた。
「まーな。天狼も本当の犬の様に、キーボーと、よく遊ぶよなって、感心してたよ」
「それは、狼の習性だ。天狗には、分かるまい」
ワハハハ・・・三人とも、ゲラゲラ笑った。
 それから、ひとしきり話した。
きよしちゃんと天狼は、親友だと分かった。それで、僕は提案した。
「三段論法って知ってる? A=B、B=C、因って、A=Cってやつ」
「ああ」
「俺は、きよし・・・いや、久遠(くおん)と親友だから・・・、親友の親友は親友だから、俺と天狼も親友って事。いいよな」
「滅相もございません。我々狼一族は、聖魔の僕(しもべ)でございます。ましてや、若様とは身分が違い過ぎます。私を、困らせないで下さい」
「そう固い事言うなよ。キーボーが、いいと言ってんだから、お前さえ良ければ、親友だよ」きよしちゃんは、天狼の肩を叩いた。
「久遠。若様を、キーボーなんて、呼んでは駄目だ」
「ま、その固いところが天狼の良いところでもあるよな。お前が、どう言おうと三人は親友だ」
「よし。決まり」とは、僕だ。
三人連れ立って歩いた。前方を二人の聖鬼が、後方を三人の聖鬼が、護衛しつつ前へ進んだ。
内側の世界(インサイド・ワールド)は、魔界は、もう直ぐそこであった。

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