2009.10.28.

古豪野球部、エースは女子?
03
でるた



■ 3

 卓の足取りは重かった。まるで真鍮の足枷を引き摺っているかのようだ。もちろんそれは実景ではなく、空疎な比喩に過ぎないが、卓が李子の才質に衝撃を受けてしょ気返っているのは事実のようだ。それもそのはず。かつて卓は、ベースボールマニア雑誌「野球こわっぱ」の特集「中学のシニア、ボーイズ、軟式の厳選逸材60」の欄で同学年60人の逸材と肩を並べる好投手として紹介されていたからである。富士宮中学時代は、古豪豊水高校きっての逸材になると蠣崎に太鼓判を捺されたが、今ではそれがリップサービスに思える。
「どうした? 倉持」
 蠣崎に声を掛けられて、卓ははっと気が付いた。いつの間にか、蠣崎の手前まで歩いてきたようだ。
「何か手伝えることはありませんか?」
 それは、蠣崎を前にして咄嗟に卓の口を突いて出てきた言葉だった。卓の行為は、瑣末な点取りに過ぎなかった。それをもし蔑視されるようなことがあれば、少なくとも自他共に逸材と認める卓のプライドが許容できるはずがない。しかし、卓はそれを厭う毫末の逡巡さえ見せなかった。思えば実力者の卓は、高校野球において監督や部長に対する阿諛とは無縁のはずだった。現段階で李子に劣るとはいえ、彼が豊水高校指折りの逸材であることに変わりはないからだ。いや、むしろ彼の行動は逆にプライドの高さのあらわれなのかもしれない。卓は単にレギュラーをとりたいのではない、豊水高校野球部不動の絶対的エースでありたいという願望を抱いているのだ。能力に勝る李子を押し退けてまで。
「お前は休んでいていいんだぞ」
 蠣崎は弛緩したシラフで、卓を見た。しかし卓の強い眼差しから、ことに対す拘泥を悟るとみだりに入用ではないと言葉を発すことは憚られた。
 蠣崎は眉間に皺を寄せ、ザラザラしていそうな肌触りの顎を右手の掌で撫でるように何やら考える仕種を見せた。そんな時、スピードガンを手からぶら下げた長身の部員が声をあげた。
「監督。そろそろ、堂島さん達を呼んできた方がよくないですか?」
 蠣崎は気付いたように素早く部員に視線を奔らせた。
「堂島と波多か。いいだろう」
 蠣崎は卓に振り向いた。
「倉持。奴らを連れてこい。
案内は田淵でいいだろう」
 すると先程蠣崎に呼び掛けた部員が、卓に駆け寄ってきた。部員は、息一つ乱さずに肩を竦ませた。
「さっきの投球、すごかったぜ。一年の田淵謙作だ」
 田淵は自己紹介すると、グランドの西側に顎を振り向けてシグナルを送った。
「部室に案内するよ」
 田淵に先導されて、卓は校舎をグランドから遮蔽したバックネットのつなぎ目を潜り抜けた。すると校舎とグランドに挟まれた通路に入り、バックネットに沿って右に進む。左手に続いている校舎の壁が途切れると、その先は開けた道なっており、そこにプレハブの木造二階建てアパートのような建物がある。
「ここが部室棟だ」
 田淵が呟いて、建物に向って歩いていく。建物には東側と西側にそれぞれ一つずつ階段が設けられており、田淵はそばにある東側の階段をのぼっていった。階段をのぼりきると田淵は西側に向って通路を進んだ。卓はその背中に導かれる。二階の直線通路には錆び付いた鉄の欄干がつけられており、向かい合うようにして数室の部屋が設置されている。紺碧のペンキが塗られた玄関の扉には、赤茶色の錆がこびり付いている。扉の脇には、文字の刻まれた表札がある。そこには部活名が彫りこまれている。階段口から二、三枚の扉を通り越した際、進行方向すぐ手前の扉の脇にある表札には、「硬式野球部」と書かれていた。しかし田淵はそれをも通り過ぎていく。不思議に思いながらも、卓は田淵の後についていった。そして、もう二枚扉を過ぎた地点に差し掛かって、田淵は歩みを止めた。卓は田淵が立ち止まったすぐ横の扉が部室の入口かもしれないと思った。案の定、田淵は扉の前に身体を捻って向けた。しかし扉の表札には文字らしきものは見当たらない。
「ついたぞ」
 田淵は独り言のように呟くと、ドアノブを回した。扉は引き摺るような軋んだ音をたて、その先っちょが開いた。

「入れよ」
 田淵に促され、扉の前に卓は進んだ。扉の前までいくと、開きかけた扉のドアノブに手を掛けてゆるゆると右側に押しやる。ぎぎめく扉の間隙から部屋の淀んだ空気がゆるりと外に向けて動き出した。その時、急に不快な臭気が漂ってきた。きつい香水のような臭気だ。ただ単一の臭いではなく、いくつかの臭いが混ざり合ったように感じられた。
 卓は思わず顔をしかめ、力んで扉を全開までおいやった。すると次の瞬間、卓は眼前にした光景に喫驚した。
 カーテンを閉め切った薄暗い部屋で、複数の人影が蠢いていた。脱色して蒲色なったライオンの鬣のような髪型をした男が、身を低く屈めた体勢で、筋肉質の裸体を晒して齷齪と動いている。鬣のような長髪がばさばさ揺れた。汗が鈍い光をこぼしながら、胸筋の輪郭に沿って、すうっと滴った。注視するまでもなく、その男の下には男の動作に付随するように床に寝そべった女の裸体が波打っていた。戸惑う卓を、ライオンの髪をした男がさっと振り向いた。男の目は釣り上がっており、それはかつえる野獣のような鋭い眼光を発していた。
「誰だ? てめえは」
 男はおもむろにそう言って、女から身体を引き剥がすように立ち上がった。その反動に女が「あん」と唸って、表情を歪ませる。女は全身をうねらせて荒々しい息を整えていた。
直立した男の背丈は190cmに届こうかというところ。男はまさに一糸纏わずの姿で、足許の女から抜き取ったであろう勃起した逸物を隠す素振りさえ見せなかった。陰茎の付け根にはふさふさと陰毛が茂っている。
「おい」
 男が発したドスの利いた声に、浮遊していた卓の視線は否応なく男の顔に釘付けとなる。瞳を小刻みに揺らしながら卓が硬直していると、田淵が卓の背後に歩いていった。田淵が卓の肩越しから堂島に向けて顔を覗かせた。
「堂島さん。監督が呼んでいます」
 田淵の掛けた言葉に、堂島昭良(どうじま あきよし)の表情は何一つ刺激を受けていないように無反応だった。すると、くっくっと堂島の背後、部屋の奥まったところで押し殺したように含み笑う声が聞こえてきた。
「堂島。ケッサクだぜ! 似非ヤンキーが」
 卓は視線を凝らした。もう一つの人影が卓と田淵をじっと見据えているように感じられた。玄関の扉から見て一番奥まった場所にレールを滑るスライド式のガラス窓が二枚あり、窓際にパイプ机があった。机上には男が胡坐をかいていた。男はずんぐりむっくりした体形で、顔はやにっこく、頭はスキンヘッドだった。男は胸元がはだけたワイシャツに、黒っぽい制服のズボンを穿いていた。男はミテクレにそぐわない身軽さで、ひょいと机から身体を降ろすと卓に向っていやらしく笑った。男の身長は180cm前半はいっている。
「俺達の後釜候補の中坊か?」
「波多さんも来てください」
 卓が返答に当惑していると、またも田淵が卓の背後から声をあげた。
 波多長治(はた ちょうじ)は、げんなりした顔をみせながら卓と田淵に向ってどしどし歩いていく。ヒグマのように大柄な波多の体躯に存在感を圧倒されながら、卓は引き下がらずに唾をごくりと嚥下した。
「白けるぜ。今、ちょうどいいところなのによ」
 波多は力強い平手で、卓と田淵の身体を強引に扉の外へ追い遣った。ついでに、開け放たれた扉のノブを握って、瞬く間にバタンときつく扉を閉める。
「あと、数分でいく。外で待ってろ!」
 閉め切られた扉の中から、波多が声をあげた。そして堂島らしい男の下品な笑い声も混じる。
「あっあん! う…っ。あ、ああ!」
 間も無く、部屋の中から女の喘ぐような息遣いと嬌声が鳴り出した。

 扉から離れて、卓と田淵はその脇にある壁に並んで背中から凭れ掛かった。黙りこくる雰囲気の中、田淵は横目で卓を見た。
「あの二人を知っているか?」
 卓は項垂れた。
「知っています。高校野球雑誌で紹介されていました。
県内指折りの豪腕、球速MAX144キロの堂島昭良。
そして驚異のスラッガー、通算本塁打45本の波多長治。
二人とも超高校級の逸材と書かれていました」
 田淵は視線を虚空に外した。
「お前は、あの二人を敬慕してこの学校を選んだのか?
だとしたら、失望したか? 優れた選手が優れた人格をもっているとは限らない。
それは幻想に過ぎない。
大概の奴は、まず自惚れる。あいつらは、まだそこから目覚めていないんだ」
 卓は弱弱しく首を振る。
「俺はそんなんじゃありません。
スカウトにくる監督の中で、蠣崎さんが一番俺の能力を買ってくれた。
それが理由です」
 田淵はふんと頷いた。
「監督は随分お前の才能を買っているようだ。
お前をここに呼んだのだって、堂島と波多のような狗賓を初心に立ち返らせるいいクスリと思ってしたことだろう」
「買い被りですよ」
 卓は苦笑した。しかし真剣な田淵の横顔を見ると、表情を止めた。
 田淵は構わずに話し出した。
「そういえば、ここにくる途中に野球部の表札が掲げられた扉があっただろう。
あそこが、本当は野球部の部室で、お前が見たのは特Aクラスの野球部員専用の部室だ」
 卓は、自身がその部室の利用者に抜擢されることを悟って話題をふった。
「あの。部室に女の人がいたみたいなんですが」
「ああ。あれは俺達野球部のマネージャーだ」
「ええ!?」
「俺達の野球部ではマネージャーは、レギュラー選手、特に特Aクラスの主力選手の性的欲求を満たすための捌け口として機能している」
「彼女達は了承しているんですか!?」
「さあな。噂では、女達は監督や部員達に何やら弱みを握られていて、詮方なく野球部の意向に従順なんだとか。もちろん単なる醜聞かもしれないが」
「本当だったら、かなり不味いですよ」
「そうだな。でも仮に事実だとして、その不祥事をお前は高野連に密告できるか?
これだけ大きなものになると、高野連の下す処遇は、対外試合禁止処分程度の生易しいものじゃ済まないぞ、野球部の廃部も視野に入れないとな。
その途端、この豊水野球部全員の甲子園に出場するという夢がたたれる。
中には不祥事に一切関与していない部員もいるだろう。だが高野連がとる処罰は連帯責任を基調としている。関与の有無はこの際関係ないんだ。
お前は、そいつらの無念さを背負っていけるのか?」
 卓は唇を噛んだ。
「見過ごせと言うんですか?」
 田淵は溜め息をついた。
「ああ。そうだ」
 田淵の返事の後に、特待専用の部室の扉が相変わらず軋みながら開いた。中から野球ユニフォームを着た堂島と波多があらわれた。二人とも満悦の表情をしている。
 反射的に、卓は先程までおかされていただろう女子マネージャーのことを想った。無理やり性処理の傀儡にされてしまっているとすれば、それは不憫以外の何物でもない。
 卓にはいつしか、堂島や波多に対する闘志が漲っていた。俺が豊水野球部の双璧である堂島、波多の鼻っ柱をへし折り、この野球部を一新してやる、と。



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