2009.10.21.

古豪野球部、エースは女子?
02
でるた



■ 2

 蠣崎は、両手の掌をタンバリンのように叩いた。
「おーい! ちょっと集れー!」
 バットを振っていたり、飛球や打球を処理していた野球部員達が一斉に蠣崎を見た。ぽかんとした表情の三塁手が構えたグラブに、グランドから跳ね上がった打球が逸れた。ボールはグランド後方に転々としていく。部員達はバットや球を銘々のポジションに置き、蠣崎のいるベンチに駆けつけた。
「監督、なんすかあ!」
 センターの守備位置から駆け寄ってくる長身の部員が走りながら大きな胴間声をあげた。他の部員達は寡黙にせかせかと蠣崎に駆け寄っていく。
 部員達が集ると蠣崎は手の動きを止めた。部員達は蠣崎を中心にして半円を象るように集っていた。すると蠣崎はにんまりした面持ちでベンチの直ぐ後ろに待ち設ける卓と李子の二人に向って、短く不精髭の生えたあぎとを横に振った。連れるように、左側に立っていた李子が先立って、卓と李子の二人は部員達が囲む監督の前に表立った。
「なんすか? この人ら」
 センターの部員が訝しそうに訊いた。蠣崎は自信に満ちた表情で、ぼんやりしている部員達を見回した。
「よーく覚えておけ! 彼等は、我が野球部に今年の春入部する予定の新星候補だ!」
 大仰に蠣崎が言うと、部員達は同時に驚嘆の声をあげて拍手をした。しかし、蠣崎が右手を高く翳して拍手を制する。喧騒としていた部員達が一気に沈黙した。蠣崎は口の端(は)を引き締めた。そして、卓の方を紹介するために振り向いた。
「こっちは、富士宮中学のエースで四番だった倉持卓くん」
「よろしくお願いします」
 卓は軽い調子で頭を下げた。蠣崎は次に李子の方を振り向いた。
「そしてこっちが、与那国シニアのクローザーだった比嘉李子くんだ」
「よろしくお願いします」
 言葉のトーンや身のこなしが、終始冷静かつ丁寧な物腰で李子は挨拶した。その所作の間、卓は野球部員達の反応を眺めていた。顔を見ていると、その他人が何を考えているか、なんとなく読み取れた。
 例えば正面で惚けた顔をしている部員達は、完全に李子に熱をあげている。かー、可愛い! うそ。マジでウチの野球部に入るの? あの子狙っちゃおうかな! 彼らが考えているのはざっとこのようなものだろう。
 一方で無愛想な顔をしている部員達は、卓や李子に対して厳しい見方をしている。投手? 球速はどのくらいあるんだろ。俺らの野球部にもついに女がくるのか…。監督は何を考えてんだ? 女を入部させて、本当に甲子園が目指せるのか?
 そして、卓にだけ視線を向ける部員達は、こんな風に思っているかもしれない。男は何か頼り無さそうだな? こいつらだけには、レギュラー奪われたくねーな。
 卓は、自身にとって都合の悪いことを思われている気がして、部員達から視線を逸らした。
 蠣崎が卓と李子の後ろに回り込んで、二人の隣り合う肩にそれぞれ手を掛けた。
「こいつらは今、春休みだ。入学前だが、ウチの野球部で練習を始めてもらう。
いいな?」
 蠣崎に諾否を促されて、卓と李子は蠣崎に頷いて見せた。
「よしっ!」
 蠣崎は卓と李子の肩から手を離すと二人の前に出て、部員達と向かい合った。
「今夏は死に物狂いで勝ち抜くぞ! 目標はもちろん甲子園出場! 負けたら承知しねえぞ! そうとわかったら、さっさと練習に戻れ! 選手権は夏から始まるんじゃねえ、もう始まっているんだ! 練習の質、時間、一分一秒が勝負だぞ!」
「しゃああ!」
 部員達は雄叫びをあげて、意気揚々とグランドに散っていった。グランドでは部員達が打撃練習や守備練習を開始して、すぐにバットの金属音や、ボールがミットに入る音が聞こえてきた。蠣崎は卓と李子に顔を向けた。

「お前らには、グランドの隅っこで投球練習をしてもらう」
 蠣崎に連れられて、卓と李子の二人はグランドの西側に歩いていった。
「倉持。硬式ボールは初めてだよな? 使ったことはあるか?」
「はい。少し」
「おーい! 真柴ああ!」
 蠣崎が遠くのグランドで練習をしている部員達に向って声を張り上げた。
「なんすかー!」
 そう言ってプロテクターをつけた部員がすぐさま蠣崎に駆け寄った。蠣崎が部員の進行方向に背を向ける格好で、卓と李子を振り返った。部員の方に手先を向ける。
「紹介する。あいつは二年の真柴達郎。一応、ウチの正捕手だ。
これからお前達には、真柴を使って投球練習をしてもらう。単刀直入に言えば、投手の素質を試させてもらう」
 真柴が蠣崎の横に並んだ。
「やることはわかっているな?」
 蠣崎の言葉に、真柴は「はいっ!」と声をあげた。そして真柴は、卓と李子に向き直る。
「二年の真柴だ。よろしく」
「よろしくお願いします」
 卓と李子は同時に挨拶した。真柴は優しい表情でそれを見届ける。そして、西側のグランドでピッチングベースとホームベースの距離を厳密に意識して、足先を使ってそれぞれの目印を地面に刻んだ。それから、真柴は仮設したホームベースの位置にしゃがみ、卓と李子の二人に向ってキャッチャーミットを構えた。
「じゃ、ひとまず倉持から、ボールを投げてみて」
 卓は蠣崎からグローブと硬式ボールを受け取り、仮説のピッチングベースに足を運んだ。卓がピッチングベースに行く間、不意に蠣崎は何やら気付き、再びグランドで練習する部員達に向って叫んだ。
「左利き用のグローブを寄越せ!」
 その声に反応した部員の一人がベンチに立ち寄った。そして黒のグローブを持って、蠣崎のところに走ってきた。蠣崎はグローブを受け取ると、部員を練習に戻した。
「期待してるぞ。比嘉」
 蠣崎は李子にグローブを手渡した。李子は頷いてみせた。野球において左腕投手は右腕投手に比べて希少価値が高い。卓は後ろ目に李子と監督の遣り取りを見ていた。
「倉持! 準備は出来たか!?」
 真柴が叫ぶ。
 卓は前に向き直って、ボールを持った右腕を振り上げた。
 女には負けたくなかった。
 卓は腕を鞭の様に振り下ろして、ボールを抛った。
 指先で弾かれたボールは、手元から直線上に残像を描いて、真柴のミットに向う。
 威力充分のボールは、バシッとミットを鳴らしてすっぽりとおさまった。

 真柴は、卓の抛ったボールの反動をきっちり受け止めた。数秒間、その余韻に浸るように真柴は、キャッチャーの構えを続けていた。まるで卓の投球を吟味しているように。唐突に真柴はマスクをあげて、立ち上がった。
「ナイスピッチ!」
 そう言って真柴は、弓形にボールを卓のグローブに返球した。
「どうだ!? 真柴!」
 蠣崎が大声で問い質した。
「気持ちがいいぐらい、イイ球がきていましたよ!スピードを計ってみたいんですが!」
 その言葉を受けて、蠣崎は無言で頷くとグランドで練習に励む部員達に向って厳つい声をあげた。
「おーい!スピードガンを持ってこい!」
 間も無く一人の部員がスピードガンを持って蠣崎のもとに走ってきた。蠣崎はその部員ごと真柴に寄越した。部員はひょろりとした体形ながら、身長は190cmを超えていそうだった。スピードガンを持った部員は、自身の帽子をとると真柴に対して一礼した。そして部員は帽子をかぶり直すと、仮設ホームベースからピッチングベースに向けてスピードガンを両手で支えた。人差し指と中指を把手(はしゅ)の手前にあるボタンに引っ掛けた。
「倉持! こいつは反射神経がいいから、正確な数字がとれるぞ!」
 蠣崎はスピードガンを構える部員を見て、得意気に言い放った。
「その恰好、窮屈じゃないのか?」
 真柴が訊いた。思えば、卓は学ランを着たままだった。
「この状態で投げて、どのくらい球速が出るのか楽しみなんで。
遊び球かもしれませんが、1球だけ投げさせてもらっていいですか?」
 卓はにやけた。
「いいぜ」
 苦笑いの卓と同じ表情をして、真柴はマスクを下ろした。そして、どっしりとキャッチャーが捕球する姿勢に変わる。
「1球、いきます!」
 そう言うと、卓はそろりと左足の膝を臍の前まで上げた。次に、ボールをつかんだ右腕の肘の位置を高めに調整したモーションで振りかぶる。そして、浮いた左足で地面を垂直に蹴落とすように足を運ぶ。それと同時に、力を目一杯溜め込んだ右腕を腰から上の右半身が左方向にぎゅっと引き絞られる勢いに乗せて、振り下ろした。卓の手もとから弾かれたボールはその勢いを受け継いで真っ直ぐの球筋を描き、ぐいっと真柴のミットに突き進んだ。最後にバシッ! と高い衝撃音を残して、ボールはミットにおさまった。
「ヒュー。速えー!」
 スピードガンを構えていた部員が、メーターに表示された数字を真柴に見せた。
「何キロ出てました?」
 肩慣らしをするように腕を回しながら卓は訊いた。振り回す都度、学ランの生地がミシミシと悲鳴をあげていた。
「132!」
 真柴が声を張り上げると、蠣崎から感歎の溜め息がもれた。
 卓は真柴に対して頷き返すと、学生服の襟元のホックを外した。そのまま上着を脱ぎ、その下に着ていたワイシャツも脱いだ。上半身をビタミンCカラーのTシャツ姿にすると、卓は真柴の返球をグローブにおさめた。そして先程と同じモーションで、ボールを振り下ろす。バシッとボールがミットにおさまると、再びスピードガンの部員が真柴にメーター画面を向けた。
「133ー!」
 真柴が大声をあげて、ボールを卓目掛けて投げた。球速はほとんど変わっていなかった。卓は首を捻りながら真柴の返球を受け取った。
「MAXは135なんすけど」
 卓は納得できない様子だった。
「よし。倉持は少し休んでいろ!」
 結果に不服だったが、卓は足下に脱いだ服を脇に抱えた。

 蠣崎が、横で静かに卓の投球を見ていた李子に目配せした。
 卓がベースから少し離れると、代わりに李子がベースに走っていた。卓はグローブに入ったボールを李子の右手にはめられたグローブに向ってトスしていった。ボールを受け取った李子は、きょとんとした面持ちで卓を見た。
「恰好いいなあ。倉持くん」
「頑張れよ」
 去り際に卓はそう言って、李子の左肩をグローブではたいた。
 李子は仮設のピッチングベースに辿り着くと、すらりとした長い両足でグランドをつつくようにして地面の感触を確かめていた。
「大丈夫か?」
 真柴が呼び掛けると、李子はにっこり頷いた。
「踏ん張りがききそうで、普段どおりのボールが投げられそうです」
「そうじゃなくて」
 首を横に振って、真柴がマスクをあげた。
「比嘉。お前、スカートだぞ。
投球モーションでパンチラ。しちまうぞ」
 李子は目を丸めて、自身の下半身に目を向けた。膝丈のプリーツスカートが、相変わらず風にはためいている。李子はバツが悪そうな顔で、真柴を仰いだ
「大丈夫です。たいしたパンツは穿いてないので!」
 真柴は首を傾げた。
「そういう問題か? でも、お前がいいなら、いいぜ」
 真柴がキャッチャーの構えをみせると、李子は頷いてみせた。
「いきます!」
 先刻までの女の子らしい甘ったるい声とは別に、李子は甲高い声をあげた。表情は強張り、真剣そのものだ。李子は地面からゆっくりと上げた右足の膝を、抱き込むようにして胸元に引き寄せた。左の軸足を安定させて地面から垂直に立ち、ボールを握った左手の掌を、外野から本塁方向に見て左側に向けるように振り上げた。それから、左腕の肘を高く突き上げるようにして回し込む。その瞬間、上がった右足をするりと滑り込ませるようにして地面へ落とし、ホームベースに向って右方向に腰を力強く捻る。その反動を利用して左半身が回転し、李子は横手からシャープな軌道で腕を振り下ろした。同時にボールを指の腹で押すようにして弾く。ボールは横にキュルキュルと回転して、弾丸のような勢いで真柴のミットに直進した。バシッ! 目が覚めるような強烈な音がした。真柴のミットには、李子の抛ったボールがおさまっている。真柴はマスクを上げて立ち上がると、ボールを李子に返した。
「ナイスボール!」
 スピードガンを持っている部員が再び機嫌良さそうに口笛をふいた。
「すげー! 136っすよ! 真柴さん!
彼女、本当に女の子っすか?」
 部員は驚いた顔で、メーターの数字を真柴に向ける。
 卓は愕然とした。明らかに自身の投球よりもスピードと威力のあるボールを抛る李子に絶句していた。
 蠣崎は、満足そうに何度も頷いた。
「さすが、比嘉だ。MAXは137くらい出るだろう。
スリークォーターの中では、かなりの本格派になりそうだな」
 蠣崎は一区切りつけるように、両手を数回叩いた。
「よし! 比嘉も休め!
お前たちの実力は、大体のところは把握した」
 蠣崎の言葉を受けて、李子は真柴やスピードガンの部員に対して一礼した。そして卓のところに駆けていった。李子が間近に駆け寄るまで、卓はぼんやりしていた。
「どう? 私も恰好よかったかな?」
 李子の言葉に、卓は正気付いた。
 李子は照れくさそうに、キレイな光沢を帯びた黒髪をかき上げていた。
「どうでもいいけど、パンツしっかり見えてたぞ」
 何食わぬ表情で卓ははぐらかす。先程李子と交わした遣り取りと同じく、今度は手に持ったグローブで軽く李子の頭をはたいた。
「もう! こっちは真剣なのに!」
 李子は卓のグローブを払い除けた。
 卓は、李子の仮初めの怒りを受け流すように、蠣崎のもとに歩きだしていた。



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