2006.06.15.

The Report from a Fallen Angel
02
ぽっけ



■ 02

ガラ……

扉を開けると、案の定、少女は驚いたようにこちらを見た。

「っ!? ご、ごめんなさい。少し雨宿りさせてもらっていただけなんです」
「ええよ、そんなに縮こまらんでも。それより、中に入んなぁ」
「え、いいんですか?」
「そんなところにおったら濡れっべ?」

少女はおずおずと店の中に入る。

「ここは……食堂?」
「そんだ。けんど、まぁ、客は誰もおらんがなぁ」
「ご、ごめんなさい。私、そうとは知らずに……ずっと店の前で……私のせいで……」

彼女の前にそっと、用意してあった肉そぼろ定食を出してやる。
自分にできるのはこれくらいのことだ。

「腹へっとろう? そげなもんで良かったらあがりぃ」
「…………」

少女は何も言わず、ただ食事をじっと眺めている。

「私……お金ないんです……」
「そげなもん。そいつぁ昼間、注文さ数え間違ぇて余分に作ってしもたもんだ」
「食べても……」
「ええ、ええ。たんとあがりな……」

もちろん注文を数え間違えたというのは嘘だ。
今日、客は一人も来なかった。
彼女に気を遣わせまいという気遣いと、ほんの少しの見栄だった。

「い、いただきます……」

どこか緊張した面持ちでおかずに箸を伸ばす少女。
上品にそれを持ち上げ、これまた上品に口に運んでいく。

「おいしい……」

ずっと彼女の横で、彼女が食事をする様を眺めていた。
上品に、それでもやはりお腹が空いていたのかかなりのスピードで定食を平らげていく。
最後にたくあんを食べ終えて、彼女が箸をおいた。

「ありがとうございます。とてもおいしかったです……」
「あ、ああ……それはえかった……」

呉服屋の亭主はあんな風に言っていたが、目の前の少女はとても盗みを働くような人間には見えない。
それどこから、一体何処で身に付けたのか、食事や挨拶などの仕草がとてもしっかりしている。
言葉遣いも、町人のそれとは異なり、まるでどこかのお姫様が迷い込んだのではないかと思えるほど、上品なものだ。
きっと、彼女は悪い人間ではない。
そう、思えてくると、どうしても、一つお節介を焼きたくなった。

「オラはそそっかしくていかん。いっつも注文を間違えて取り付けてしまうんだ」
「…………」
「おまけにオラみてぇな愛想ねぇ男が一人でやってっと、なかなか客も寄り付かねぇ」
「…………?」

少し遠回り過ぎたのか、彼女は首をかしげたまま動かない。
だったら、もう少しはっきり言ってやろう。

「ゴホッ、あー……その、なんだぁ……お、お嬢さんみてぇな、お手伝いさんがおればなァ……」
「え……」

少女はこちらを見て立ち上がった。

「あ、あの……わ、私、お手伝いします。ぜひ、私に手伝わせてくださいっ!!」

期待以上の反応が得られて、しばらく優越感に浸る。
が、冷静に考えてみると、逆に申し訳ないような気もしてくる。
こんな借金だらけの店では彼女にまともな給金も払うことは出来ないのだから。

「んだが……ほんとうにええのか? こげなボロっちい店で」
「はい。私頑張ります……その……できれば、住み込みで働かせてください……」
「それはええが、そげに銭も弾ませられんかもしんねぇど? なんせ、借金だらけの店だげ」
「いえ、泊めていただけるだけで十分です。お給金はいりません」
「すっか……んなら、明日ん朝から頑張ってもらえっか」
「はい、私……一生懸命頑張ります」



翌日から少女と共に働くことになった。

「そういや、名前さ聞くの忘ぇでだなぁ。なして呼ぶね?」
「私は絵美子です」
「絵美子かぁ。オラは義三郎。そこらの連中にはサブって呼ばれてるけんども」
「サブさんですね」

「サブさん」なんて呼ばれるのは少し小恥ずかしい気もしたが、特に嗜めるようなことはしなかった。
彼女にそう呼ばれるのは悪い気はしなかった。
今まで周りの連中には見下されてばかりだった。
けれど、この少女だけは自分のことを一人の大人として尊敬の念を込めてそう呼んでくれている、そう思えたからだ。
少し浮かれた気分で、先輩面をしたまま仕事の説明に入る。

「おめぇには、取り敢えず給仕をやってもらいてぇと思っでる。まぁ、早ぇ話、オラさ作った膳を客のとこまで持ってってくれっべか」
「はい、わかりました」
「慣れたら、注文さ受けて、会計やってもらいてぇけども、初めは配膳だけで十分だべ」
「いいえ、私、できると思います。注文も会計も私にやらせてもらえませんか?」
「だども、定食の代金さ、覚えねばなんねぇぞ?」
「あそこに書いてある分のお金を貰えばいいんですよね?」

少女が見ているのは、壁に貼り付けてあるボロボロになった品目の一覧だった。
ずっと昔に親父が知人に書いてもらったもので、取り敢えず貼ってあるものの、自分には何が書いてあるのか分からない。

「おめぇ、字が読めるのけぃ?」
「はい」
「こりゃーたまげたぁ。そんじゃ、お願いできっぺか?」
「はい、わかりました」

少女は随分、張り切っているようだった。
下ごしらえをしていると、横から顔を出して「何か手伝えることはありませんか?」と聞いてくる。
仕事がないと分かると、自主的に物置からほうきとちりとりを持ってきて、食堂の掃除を始める始末。
こちらが一仕事終える頃には、食堂は見違えるほど綺麗になっていた。

「あのー、……サブさん」
「んだ?」
「お店は何時に開店するんですか?」
「ああ……」

絵美子は客が誰一人来ないこの食堂が、まだ開店していないのだと思ったのだろう。
実はとっくに開店している、単に客が来ないのだ。
このようなことは珍しくない、むしろ、この時間帯に客が来ることの方がまれである。
彼女がこれほどやる気になっているにも関らず、このような店の状況を説明するのは何とも心苦しい。
そもそも、自分一人でも手に余るようなこの店で、彼女の手伝いなど必要ないのだ。
そのことを彼女に悟られまいと言葉を濁しながら説明しようとしたそのとき、救いの神が現れた。

「よぉ、サブちゃん」
「おぉ、玄さん」

親の代からの馴染みの客だ。
こうしてたまに顔を出して昼食を食べに来てくれるのだ。

「いらっしゃいませ、ご注文は何に致しますか?」
「あ?」

玄さんが豆鉄砲を食ったように割烹着姿の絵美子を見ている。

「なんだ? この娘っ子はぁ?」
「今日からここで働くことになりました。よろしくお願いします」

こちらが説明する前に絵美子はテキパキと自己紹介を始めてしまう。

「サブちゃん、こいつぁ、ほんとっぺか?」
「あぁ、そげなことになったんだぁ」
「あの……ご注文はお決まりでしょうか?」
「お、おお……んなら、塩鮭定食……」
「サブさん、塩鮭定職一つお願いします」
「あ、あいよー」

本当は反復しなくても十分ここまで聞こえていた。
だが、注文を受けるという役割を彼女に与えたのだから、ここは彼女を立ててやるべきだろう。
定職の膳が揃うと、隣でじっと待っていた絵美子が小さく頷いて、盆を玄さんの所まで運んでいく。

「塩鮭定職になります」
「あ、ああ……どうも……」

あの玄さんが小さな少女におずおずと頭を下げているのが何とも滑稽だった。

「八十円になります」
「おう。ほれ……」
「はい、二十円のおつりになります……ありがとう御座いました」
「あ、あぁ、また来るでな」

入り口のところまで客を見送る。
誰が教えたわけでもないのに、完璧な接客だった。
いや、些か完璧すぎる嫌いすらある。
あそこまで仰々しい態度では、玄さんのような固定客もそのうち来なくなってしまうのではないか。

「絵美子……おめぇ、おつりの計算もできっぺか」
「はい。お金はここにきちんと分けておきますね」
「ああ、それはええ。だどもな……絵美子、さっきみてぇな客は……」



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