犯人の目星を教えろ、と言う若宮と滝川に、速水は笑って「まぁ、とりあえず解剖所見が来てからだよ」と言った。自分と同じく、他の者もそれに同意見だったようなので、とりあえずじき回されてくるであろう所見を待つということで衆議が一決したのだが。 「ハァイ、善行さん。お久しぶりね」 ――検死担当はこの人だったのか。 今日は厄日か、と善行はこめかみを押さえた。 原素子。自分とは旧知の仲の検屍医である。普段は大学病院の主任医師として働いている、極めて優秀な人材なのだが―― 「ねぇ、善行さん。私、今日デートだったの」 「……そうですか」 「数日前からすごく楽しみにしてて、服をしっかり決めてばっちり化粧もして、さあいざ出陣! っていうところだったのよ。そういう時にあなたからの呼び出しがきたわけ。どう思う?」 「……申し訳ないことをしました」 自分が呼び出したわけではないのだが、と思いつつもそう答える善行に、原は獲物をいたぶる猫のように目を細めながら言う。 「あら、別に謝る必要なんてないのよ、仕事ですもの。そうよね、あなたは私に仕事以外で興味を持ったことなんていっぺんもないですものね? 昔から常に仕事優先、仕事が命。私をちゃんと見てくれたことすらないんじゃなくて?」 「…………」 「別にそれがいけないなんて言ってるわけじゃないのよ、あなたはそういう人ですものね。私を捨てた時もそうだったもの。私の気持ちよりも仕事を優先させて、一度も私の方を向いてくれないまま別れさせられたのよね?」 「………………」 善行は思わず胃を押さえた。ただでさえしくしくと泣いていた胃がきりきりと痛む。 以前自分とつきあっていた原は、別れたあとも自分に対する恨みを捨てることなく、つきまとっては痛烈なイヤミを言うのだ。一時期は夜道を一人で歩くのを警戒するほど明らかな殺意を感じていた。今もその行動の底には殺意があるような気がしてしょうがない。 過去に刺した男は数知れず、自分で治しているから問題になっていないだけだ、もしかしたら医者の知識で死体を完全に始末しているから問題にならないのかも――という噂話を思い出し、善行は思わず脇腹を撫でた。 「あら善行さん、どうしたの? 昔の女に刺された傷が疼くのかしら? 古傷が原因でぽっくり逝くことって意外にあるのよねぇ。なんなら私が治してあげましょうか? 傷口にメスを刺しこんで、脇腹かっさばいて病巣を取り出すの……」 舌なめずりをしながら言う原の目は本気だ――思わず助けを求めて周囲を見回した瞬間―― 「おーっ、森じゃん! すっげー久しぶりだよなー!」 滝川の脳天気な声に思わずこけた。 「なになに、森ってばなんかあったの? お前が現場に来るなんて超珍しいじゃん!」 「え、ええ……まぁ、原先輩が行くとおっしゃるので、つきそいです……」 森は力なく、明らかに原を意識しながら小声で答えた。おそらくは原にむりやり連れてこられたのだろう。 「へー、そうなんだー。でもラッキーだな、森に会えて! 普段森忙しくてめったに会えないもんなっ!」 ――森が滝川と学生時代同級生だったことは知っている。この状況で原を忘れて森と旧交を暖められるとは、ある意味勇者と言えるかもしれない。 だが、しゃりーん、という金属音を聞いて善行は震えた。おそるおそる原の方を見ると、原がメスを取り出しているのが見える。 自分をいじめるタイミングをずらした滝川を刺すつもりなのだろうか。止めなければ、と思うものの止めれば自分が刺されるような気がして動けない。 若宮と来須も同じようなもので、一気に空気が張りつめる――だが速水はそんな空気にこだわりなく、滝川に近づいた。 「滝川ー」 「ん、なに?」 「ぶすっ」 擬音を口で言いつつ、速水は取り出したナイフを滝川に突き刺した! 慌てて立ち上がる善行たち。滝川は悲鳴を上げてのた打ち回る。 「うぎゃああぁぁっ、刺された、痛えぇぇ……って、あれ? 痛くない?」 きょとんとした顔で刺された部分をさする滝川。呆然とする自分たちの前で、速水は笑って滝川の手にナイフを押し付けた。 「これはね、芝村で開発したバネで刃の部分が引っこむナイフなんだよ。刃の部分もおもちゃだしね」 「へーっ、面白いな!」 「ただし、ここのスイッチを押すと」 「いぢっ! あづっ! いででだだだ! 速水痛い、痛いからそのナイフ離してーっ!」 「電流が流れる仕組みになってるけど。滝川、原さんの話を邪魔しちゃ駄目だろう? 原さんは検死の結果をわざわざ教えに来てくれたんだから。ねぇ、原さん?」 「………そうね」 原は渋々といった様子でメスをしまった。そして書類を取り出し、読み上げる。 「死因は頸部圧迫による窒息死。首の索状痕はひとつ。別に自殺としてそれほどおかしなところはないわね」 「それほどってことは、少しはおかしなところがあったの?」 「そうね。通常自殺の場合は死因は頸部の骨折でしょう? まぁ窒息死することもありえるし、遠坂氏の遺体にも骨折跡はあったけど、普通よりゆるやかだったの。それが少し気になるわね」 「なるほど……ね」 考えるように目を閉じる速水。善行は自分の仕事をするべく原に聞いた。 「原さん。遠坂氏の索状痕は、下半身の動かない、車椅子でしか移動できない人間が絞めることができるほどの強さでしたか?」 「え? そうね……」 「えーっ!? 犯人って車椅子なの!?」 大声で叫んだ滝川に、周囲の空気は静まり返り―― 「滝川?」 ぽん、と速水が滝川の肩を叩くに至って、固まった。 |