「ほーら滝川ー、ナイフが刺さっちゃうぞー。危ないぞー。ほらほらちょっとミスしたらぐさっ、だよー?」 「うぎゃー! 速水っ、お願い速水っ、手! 手ぇ放してーっ!」 速水は現在、滝川の手をつかんで広げさせ、ナイフで指の股の間を順番に突いていくという危険な遊びを行っていた。遊びというか、お仕置きだ。 「駄目でしょ、滝川? いっくらこの部屋が防音効いてるからってあんな大声出したら外の人に聞こえちゃうかもしれないでしょ? 君は僕たちの捜査妨害をしたんだよ、わかってるのかな?」 「わかった、わかりました、これ以上ないってくらいわかりまくりました! だからお願い許して手ぇ放してーっ!」 「駄目。雇い人のしつけはきっちりしとかないとね。あー、なんだか手に汗掻いてきてうっかり手が滑っちゃうかもー」 「うぎゃあぁぁぁ!」 最初ゆっくりだったスピードは見る間に早くなっていき、ナイフがテーブルを叩く音はトントントンではトトトトトンになっている。あれではいつ刺さるか気が気ではなかろう。 しかし速水はそんなことなど気にも留めていないかのように手を動かし、正確に指の股の間を突いている。滝川が傷つくか傷つかないかのぎりぎりのところでなぶるあのやり口の巧みさは、ある意味賞賛に値するかもしれない。 「……つまり、狩谷の部屋が被害者の隣で、いつでも出入りが可能だったこと。新井木の証言。加藤の証言の不審さ。……これらのことから狩谷が一番くさい、と思われたわけですな?」 若宮が善行に訊ねている。善行はうなずいた。 「現場を調べに行った時狩谷と被害者の部屋の間に扉がついているのを見ましたからね。しかも鍵は向こうからかかっていました。この屋敷は壁が分厚いですし昨晩は風が強かったそうですから、隣の部屋でなにをしていてもわからなかった、というのも不自然というほどではありません。ですが狩谷なら被害者が眠ったあと誰にも見られず圭吾氏の部屋に侵入することが可能でした。一番怪しいのは間違いないでしょう」 「なるほど……」 「新井木が言っていた明かりがちらつくというのはおそらく暗闇の中での作業が困難だったので明かりをつけるなりしたのでしょうが、被害者の部屋は外からのぞくことはできないということでした。私もそれは確認しました。つまり、狩谷の部屋から不自然な明かりが漏れていた、ということになります。不審極まりないでしょう?」 「確かに……」 「そして加藤祭です。彼女は明らかに狩谷と出会ったことがあるようでした。しかしお互い頑としてその関係を言おうとはしません。おまけに加藤は狩谷に恋愛感情を抱いている疑いが濃厚です。狩谷の不審な点を目撃して、黙っていると考えるのが一番筋が通っている」 「ふむ……」 「それに追加して、狩谷が遠坂圭吾を憎んでたっていうのもつけといてね」 速水が口を挟み、善行が苦笑してうなずく。若宮が目を丸くして訊ねた。 「それは本当か? どこからそんな話が?」 「だってそんなの話を聞いてれば丸分かりじゃない。遠坂が狩谷をみんなに紹介する時の態度と狩谷の態度のギャップ。足のことを言われた時のあからさまな敵意。話を聞いた時のそっけなさ。どう考えたって憎んでるとしか思えないじゃない」 「うむむ……」 若宮は腕を組んだ。警官からの叩き上げで刑事になった若宮は、頭よりもむしろ体を使うことを期待されている要員だ。本来ならむしろ暴力団関係に回した方がよさそうな人材なのだが、本人が善行を慕い、善行もそれを受け入れているため現在のところ善行の部下として働いている。 つまり、捜査の役にはあんまり立たない。その考えなさ加減は思考を整理するときに役に立ったりもするが。 ちなみに、その説明をしている間も速水は滝川の指の間を突きまくっている。滝川はもはや恐怖に硬直して声も出ない。 「しかし狩谷は車椅子。被害者はかなり大柄です、それを持ち上げるのも絞殺するのも容易ではありません。というか車椅子では極めて困難です。ですからまず、原さんに車椅子でも絞殺は可能だったかお聞きしたいのですが」 「そうね……」 原は少し考えるように頬に指を当てたが、すぐに首を横に振った。 「難しいと思うわ。今回の事件では、首の索状痕は極めて深くまで首に食い込んでいた。あれを上半身の力だけで行うのは不可能よ。というか、あれが殺人だったというなら首に縄をしっかり巻きつけてそのまま吊るす、というのが一番ありそうね。――そんなことが車椅子の人間にできるとは思えないけれど」 「そうですか……」 善行はため息をつく。善行としてもそれは大方わかっていたのだろう。人一人を首にかけた縄一本で吊るすのが、車椅子の人間にとってはどれだけ困難かということも。 「死亡推定時刻を聞かせてくれますか」 「今日の午前零時から午前三時。夜中の誰も起き出して来ない時間ね」 「そうですか……」 茜が散歩に出たのは午前零時過ぎだと言っていた。時間としては合致している。 だが、犯人を絞り込む役には立ちそうもない。この屋敷には外から入り込むのはほぼ不可能、そして邸内での人間はほとんど全員朝まで自室で寝ていたと言っている、そして一番怪しい人間は犯行がほぼ不可能だというのだから。 ――しかし、自分がそれを考える必要があるとも思えないのだ。善行だけならともかく、ここには、速水がいるのだから。 彼は、滝川をいぢめている時、一番頭がよく働くのだそうだし。 来須は帽子を目深に被って、滝川のために祈った。 |