「鞘」 二章「転」 2



パンッ

渇いた音が響く。りおなが、叩かれた。
桃香は一瞬自分の目を疑った。

「りお姉!」

ガタンと椅子を蹴立てて立ち上がる。
その場に居合わせた上級生たちは驚いてはいるようだったが、同時に「またか」というような視線を向けている。……彼女たちにとっては、もはや見慣れた光景だったのだ。

「言いわけしろなんて、言ってないでしょう」
「…………」

桃香が駆け寄る間にも、桜花はりおなに言いがかりをつけている。りおなの方は叩かれ、責められても、言い返しはしなかった。ただ叩かれた頬を手で押さえて、じっと耐えている。

「りお姉っ!」
「あ……桃ちゃん……」

桃香に気付いたりおなが、顔を向ける。

「鬼吏谷桜花! あんた、りお姉に何しとるんじゃ!」
「あら、いつかの新入生じゃない。あなた、りおなの幼なじみだそうね」
「そんなことはどうでもええっ。それよりなんで、りお姉のことひっぱたくん!?」

桜花は桃香に詰め寄られても全く意に介していないようで、平然とした態度で言葉を返した。

「私が自分の刃友に何をしようと、あなたには関係のないことでしょう」
「叩いておいて、刃友も何もないじゃろが!」

桜花の顔に、馬鹿にしたような笑みが浮かぶ。

「あなた、まだ単刃なんですってね。独り身のくせに刃友について云々語るなんて笑っちゃうわ。星獲りにも参加できなくて、こそこそ隠れ回るしかないくせに」
「な、なんじゃとっ! もういっぺん言うてみい!!」

桃香は剣の柄に手をかけた。握った手に力が入る。
剣のつばが、鞘口から離れてわずかに浮いた。

「ダメよ、桃ちゃん! 仕合い以外で剣を抜いたら、あなたが処罰されてしまうわ!」
「ぐっ……」

剣を抜こうとしていた腕の動きが、りおなの声で止まった。

「あらあら、苦しそうね」

柄を握り締めたまま怒りでぶるぶると震えている桃香を、桜花は楽しそうに眺めている。

「私はかまわないわよ。あなたが先に抜いてくれれば、正当防衛になるでしょうし。さあ、どうするの? 抜くの? 抜かないの?」
「桃ちゃん!」

切迫したりおなの叫びが、悲鳴のようにテラスに響いた。周りにいる生徒たちは、ただ息を潜めて遠巻きに眺めているだけだ。

「かわいそうねえ。だけど誰かと楔束していない以上、あなたは星獲りに参加できない。どうあがいたって、正式には私とは戦えないのよ。こんな風に、怒りに任せてケンカを売るような真似しかできない」

言い返せず黙り込んだ桃香に、桜花が追い打ちをかける。

「まったく、惨めな剣待生もいたものね」

――その通りだった。
剣待生としてこの学園の一員になったにもかかわらず、自分はただの一度も星獲りに参加できないでいる。
なのに何故、いつまでもここにいるんだろう……。
桜花の一言で、桃香は凍りついたように動けなくなった。

「桜花、もうやめてっ」

言われっぱなしの桃香を見かねてりおなが止めに入ったが、やめろと言われてやめる桜花ではない。りおなを無視して言葉を続ける。

「いいかげん人の刃友にちょっかい出すのは諦めて、他の人を探したら?」
「それは……」

できない。
りおな以外の生徒と刃友になることはできない。ひどい扱いを受けているりおなを放っておいて、自分だけ他の刃友を作ることなど、到底できない。

「それとも、『決闘』でもしてみる?」
「決闘――?」

初めて聞く言葉に、桃香は顔を上げた。

「ま、あんなのはバカのやることだけれどね。でもあなたには、お似合いかもしれないわよ?」

決闘――そういえば、どこかで聞いた気がする。
いや、あれは学園案内の冊子だっただろうか。星獲りのルールの項の最後の方で、その単語をチラッと見かけた気がする。

「行くわよりおな。時間を無駄にしてしまったわ」
「ええ……」

沈黙を続ける桃香に飽きたのか、桜花が背を向けて歩き出した。

「桜花の言うことは気にしちゃだめよ」

考えに沈む桃香に小さく言い残して、りおなも共に去って行く。
周囲の生徒たちから一斉に緊張の色が消え、その中で独り桃香の惑いだけが残り続けた。



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