2005年11月22日(火)
ワニに食われた話。ルール。 [日記]
現代思想について―講義・質疑応答 新潮カセット文庫 小林秀雄講演 別巻を聞いてます。一と二の二巻セットで今一本目。
この中で『ワニに食われた話』があります。さらっと説明すると、
「ユングがアフリカで研究していた土人の話。
ある日土人の娘がワニに食われました。3人いて真ん中の娘だけが食われました。なぜ真ん中の娘だけが食われたのか?
土人は川の祟りだと考えた。真ん中の娘は選ばれたからだと。
現代人はどう説明するか?事故だと説明する。じゃあ食われなかったのはなぜ食われなかったのか?それも偶然だ。偶然をどう説明するのか?説明できないじゃないか。
土人はその偶然が説明したい。偶然が説明できる分土人の方が進んでるじゃないか、とユングは言ってます」
と、小林秀雄が言ってました(ややこしー)。
人間はそれぞれの因果律(原因があって生じるという法則)の中で生きているという話。土人は土人の因果律、現代人は科学の因果律の中で生きてる。
この話の前に科学を全部肯定して考えることはヘンじゃないかな?という話をしています。といっても全否定してるわけじゃありません。全肯定は変じゃねーの?と言って矛盾しているところを語ってます。
たしかに科学の全肯定は変だ。でも現代人はやっぱり科学前提でいいと思う。
わたしは迷信の話が苦手です。例えば「僕は座敷わらし”見た!”」という話はちょっと苦手です。(でも”座敷わらし”の話は大好きです)
信じる作業が面倒くさいというのもあるけど、それ以上に信じるのが怖い。なにが怖いかというと、”人柱”に繋がりそうで怖い。
土人のワニの話は、娘を失ったショックを説明によって納得させる良い知恵だけど、もし川が氾濫したらどうするのか?地域や場合にもよるだろうけど、迷信の生きていた時代には人柱という文化があったじゃないか。神様が歴然と輝いていた時代には生贄という制度があったじゃないか。ヨーロッパの魔女狩りだって、神様がいたから悪魔がいて、悪魔がいたから魔女を狩っても皆が納得してたんじゃないか。
神様が死んだおかげで悪魔も死んだんですよー
科学ってのは現代人の良心で、みんなで生きてくうえでの新しいルール(法律)なんじゃないかなーと思う。
とはいえ、やっぱり迷信みたいなものも全否定はできない。
というかある。自分の中にふわふわしてるけど信じてるものがある。ただそれは自分だけのものだ。他人と共有できるルールではない。
ここまで考えて、目の前でされる迷信体験談が苦手なのは、どういうルールが突きつけられそうかわかんないところが怖いのかもなーって思いました。
割り切って考えればいいだけの話なんだけどね。今更人柱とかねーもんね。
小林秀雄は別に迷信信者ではありません。科学全否定でもない。ただ求めてるものに対して、科学は一要素であり、一つの材料でしかない。科学だけで求めてる結果まではいきつけない、と別の巻で言ってました。ワニの話はそのために揺さぶりをかけてるんだと思います。科学全肯定っ変じゃねー?って。
Posted by こさ ささこ