…………のに、どうやら夢ではなく、現実だったらしい。 思わず壁際まで逃げてしまったゾロは、自分の醜態に耐えきれず、壁にがんがん頭をぶつけていた。 サンジはぺたんと床に座り込んだまま、ひーひーと泣いている。 事後、夢ではなかったと気付いたゾロが、野太い悲鳴を上げて逃げ出し、壁に張り付いてしまったので、サンジにはショックだったのだろうか。 ありえねえありえねえありえねえ!! しかしゾロはあまりの羞恥に憤死しそうで、サンジにかまう心の余裕がない。 夢だと信じ込んでいたから、本来なら絶対にできないようなことをしてしまった。 確かにゾロは男を対象としているし、あちこちの港でも適当に男をひっかけて性欲処理をしてきてはいたが、その行為自体はあくまで普通の、どちらかというとあっさりしたおとなしい行為に限られていたのだ。 自分から男を押し倒して跨り、淫らに腰を振りたくるような行為が好きな訳では絶対にない。 これは相手がずっと片思いをしていたサンジだったからこそで、でもそれだって、夢だと信じていたからのことだ。たとえ夢でも、サンジが積極的にゾロを抱いてくれるとは思えなかったから、それでゾロは、自分から跨っていったのだと全力で主張したい。 しかし実はこれは夢ではなかったらしく、なんということをしてしまったのだと、ゾロはもう恥ずかしくて、一生壁と向き合っていたい位だった。 「ゾロ、ゾロぉ…。」 しかしいつの間にか背後まで迫ってきていたサンジが、えぐえぐと泣きながらゾロを呼んでいる。 振り向きたいが、顔を合わせられない。 けれどやはり惚れた弱みなのだろうか。 悲痛な声で泣き続けるサンジを、ゾロは放っておけなかった。 肩越しにちらちら振り返ると、サンジは、ようやく振り返る気配を見せたゾロに安心したのか、だだ泣きでぐだぐだいい始めた。 「何なんだよおまえ、いったい何なの、何であんなことしたの。ナミさんはどうすんだよ、おまえ男とやったことあんの、何で慣れてるの。おれのこと恨んでるの、無理矢理しようとした仕返しなのかよ、なあ、おれのこともてあそんだの。何とか云えよ、ゾロ!」 長いせりふを、泣きじゃくってしゃくりあげてむせ込んで、それでも一気にしゃべりたてるものだから、ますますサンジは悲惨な状態だ。 ゾロはたまらず振りかえり、背を擦ってやろうとして手を伸ばしかけたけれど、涙におぼれた青い瞳が自分をにらみ付けるような勢いで凝視していたから、その手が力なく落ちてしまった。 「ゾロ。」 涙に掠れた、強い声がゾロを呼ぶ。 「好き。」 ……きゅん。 妙に可愛らしい音を立てて胸が高鳴り、ゾロは思わずぎゃーと叫びたくなった。 そうだ。 そうなのだ。 何だかものすごく色々ととんでもないことをしでかしてしまったが、自分の言動はさておき、サンジは、ゾロのことを好きだと云ってくれたのだ。 正直とても信じられないけれど、それでゾロは夢だと思ってしまったのだけれど、この際もう夢でもなんでもいいから、信じたいと思ってしまう。 ゾロはもうずっとずっと前から、サンジのことが好きだった。 そしてサンジも、ゾロを好きだと云ってくれているのだ。 「コック。」 そろりと、落とした手をもう一度伸ばす。 ゾロは指を一本だけたてて、赤く染まった、涙でびしょ濡れの頬に伸ばした。 サンジは小さく咳き込み続けていた息を止め、目を大きく見開いて、ゾロの指を見ている。 そっと、ゾロはサンジの頬にふれた。 熱い頬を涙が冷ましていて、そもそも緊張にゾロの指先は冷たくなってしまっていて、サンジの体温が良く判らない。 もう一度、曲げていた指を伸ばして、人差し指と中指と薬指の長い三本を、サンジの頬にそっと当ててみる。 押すというほどでもなく、何度かちょんちょんと当ててみると、心臓がますます、変に可愛らしい音を立てて鳴りまくっている気がする。 けれどもサンジの方も、まだぐすぐすとすすりあげているから、多分聞こえていないだろう。 ゾロはさらに大胆に、金髪へと指を滑らせた。 光を弾いて眩しく輝く髪。ずっとふれてみたいと思っていたそれは、月明かり、星明かりにさえもしっとりと光っている。さらりと指を擦り抜ける髪の感触に、ゾロは陶然とした。 いいのかな、蹴られねえかなという懸念は懸念はあったが、サンジはじっとゾロを見つめて、無言のままでいるから、ゾロはどきどきしながらも、手を引くことができない。 少しずつ羞恥は引いて、その代わりに、もっと違う感じの何か暖かいものが、ゾロの胸を満たし始めていた。 サンジはじっとゾロを見つめている。 心臓が口から飛び出しそうで、ゾロはしっかりと唇を噤んだ。 その唇を、サンジの口が更に塞いだ。 「………………。」 呆然となったゾロを、サンジは涙をいっぱいためた目でにらみ続けている。 怒りを込めた青い目は、それでもやっぱり綺麗だ。 そしてその上でぐるりと巻いている眉の渦巻き加減もとても好きだ。 改めてそんなことを思って、それからようやく、ゾロはサンジにキスをされたことに気付いた。 うろたえてうつむこうとしたゾロの腕を、サンジは指が食いこむ勢いでつかんできた。 「ゾロ!」 「お、おうっ。」 あまりの勢いに、つい返事をしてしまうと、サンジはゾロと目を合わせて、まただーと涙を流し出す。 「なあ、答えろよッ! てめえは…。」 泣きながら怒鳴りかけてまた咳き込むサンジが、先刻のような、ゾロを問い詰める長台詞を吐こうとしているのをゾロは察した。 そして、止めなくてはと焦るあまりに、自分でも驚く突飛な行動に出てしまった。 自分の口で、サンジの口を塞いだのだ。 けれどもサンジがあまりにも目をまん丸くして、それこそ目玉が飛び出しそうになっているから、笑ってしまって気が抜けた。 とても変な顔だが、でも、いとしい。 「ひとつずつ聞け。答えるから。」 少し落ち着いたゾロは、サンジの髪をゆっくり撫でた。 とにかく多分、自分達は両想いの筈なのだ。ゾロだって色々、サンジに聞きたいことはあるが、まずはこの、身も世もなく泣いているサンジをどうにかしてやりたい。 ゾロが胸を高鳴らせながら待っていると、サンジは震えがちの深呼吸を何度か繰り返して、それから、ぎゅっとこぶしで目を拭った。 「おれのこと、好きか。」 いきなりそれからかよと突っ込みたかったが、それ以上に嬉しさがこみ上げた。サンジがとても好きだから、きちんと伝えておきたかった。 「すっ、す、す……、好きだ。」 だからゾロは、真っ赤になってどもりながらも、きちんと言葉で答えた。 サンジの顔も、泣き笑いに歪む。 「おれも、好き。」 「おう。」 もう一回告げてくれた言葉が嬉しくて、ゾロも同じ表情になりかけたが。 せっかくちゃんと好きと云い合ったのに、サンジはまた、だーと涙を流した。 「先刻の…、あれ、先刻の、何なんだよ。おまえ、男としたことあんのかよ。なんで慣れてんだよぉ…。」 どうやら、次はいきなり嫉妬らしい。 あー、と、ゾロは頭をかく。思い出してしまうと、また羞恥に流されそうにはなるのだが。 「おれは元々ゲイだ。だから慣れてる。」 仕方ないので正直に打ち明けると、サンジはぱかっと口を開け、まじまじとゾロを見た。 「え、なに、それって……。」 「てめえだって、初めてじゃねえだろ。おれは女とはやったことねえよ。だからそれで相殺しろ。」 サンジだって童貞ではないだろうから、純潔でないことを責められるいわれはない。サンジが気にしているのはもっと違うところだろうが、ゾロはゾロで主張したいところを先につきつけておいた。 それにもう、この先どうなろうとも、たとえこれが一夜限りのことになっても、きっとゾロはサンジとしかしない。サンジと抱き合った体を、どこの誰とも知らない男にさわらせる気はなかった。 「……ゾロ、ホモなの?」 サンジは驚きすぎたのか、妙に子供のような口調だ。 「まあな。」 でも、サンジがゾロを好きでいてくれるなら、サンジももうお仲間である。 ゾロはサンジの背に腕を伸ばしてちょっとだけにじりより、よしよしと髪を撫でた。存分に指に絡めて楽しみながら、サンジが納得してくれるのを待つ。 しかしまたいきなりサンジが泣きだしたので、大分密着していたせいもあり、ついゾロは、サンジを胸に抱きしめてしまった。 大胆なことをしてしまったと、焦って心臓はどきどき、汗もだらだらと流れてくるが、サンジもかなり驚いたようで、涙は止まったようだ。 ぐし、と鼻をすすって、濡れた顔をゾロの肩に擦りつけてくる。 「おまえ、ナミさん、どうすんだよ……。」 「あー。」 ゾロは困って、低くうなった。サンジは何やら思い詰めた表情だ。 「おれ、朝になったら、ナミさんに土下座して謝る。ゾロを譲って下さいって、お願いするから。どんな借金背負っても、一生かけて返していくから…っ。」 「いやいやいや。」 たとえナミからでもゾロを奪う気でいてくれるのは、正直とても嬉しかったりするのだが。 しかしナミとは全く、そんな関係ではない。 「ナミとは何でもねえよ。誤解させて悪かった。……ただ、ずっと、てめえとのこと聞いて貰ってたから……、かばってくれようとしたんだ。大体、おれはゲイだって云ったろ。ナミも知ってる。女とどうこうにはなれねえよ。」 サンジの背中をぽんぽんとたたく。サンジの手も、おずおずとあがってきて、ゾロの背を撫でた。 うわ、と、心の中でゾロは思う。これはまさしく、抱き合っているという構図ではなかろうか。 ようやく少しずつ、恋人になれたんだろうかいう実感が、じわじわと身に染みてきた。 「でも…っ、ナミさんは、ゾロのこと好きかもしれねえじゃねえか…っ。」 「それはない。絶対にない。」 ゾロはきっぱり断言する。ナミはレズビアンである。ゲイのゾロとは、どうにかなりようがない。互いにそれが判っているからこそ、余計に友情も深まったのだろうし。 「けど…。」 「おれの口からは云えねえけど…、心配すんな。おれが惚れてんのは…、コック、てめえだから。」 ナミの性癖をゾロが勝手に口にすることはできないが、けれども、唇を噛みしめているサンジをこれ以上悲しませたくない。 笑って欲しくて一生懸命言葉を紡ぎ、それから、サンジにそろそろと顔を寄せた。 サンジはすぐに気付いて、真っ赤になりつつも目を閉じ、ほんのちょっとだけ唇を寄せる。 あからさまにキスを待つ仕草に、ゾロは照れくさくてたまらないが、それよりも、サンジとキスをしたい気持ちの方が上だった。 そっと、唇を重ねる。一度では足りずに何度も。ふれるごとに心が暖かくなって、今までの苦しみも悲しみも、全部溶けていくようだ。 「……ゾロ。」 もう青い目に涙は浮いていなかった。
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