皆守甲太郎のよくある日常
 さらさら、と崩しすぎてかなり読みにくい字でノートに証明式を書き終えてから、九龍はんーっと伸びをして立ち上がった。黙っていれば男前な顔にちょっと見阿呆っぽく見える満面の笑顔を浮かべて、親友たちの方に向き直る。
「やっちー! 甲太郎! マミーズ行こうぜー!」
「……わかったからそんなでかい声を出すな、暑苦しい」
 皆守はアロマパイプを咥えながらいつもの仏頂面で立ち上がる。一見ひどく面倒くさそうな顔だが、これが自分にとっての常態だ。
 それを知っている九龍はにっと笑い、がしっと友情ヘッドロックを極めた。
「ぐ……こら、放せ馬鹿!」
「んもう、ホントに素直じゃないんだから甲ちゃんはv たまには俺と一緒に飯が食えて嬉しいってストレートに表現してもいいんだぜ〜?」
「誰がだタコ、いいから放せ……ちょっと待て本気で極まってる……!」
「あはは、いつものことだけど九チャンと皆守クンって仲いいねー!」
 マイペースに笑いながらそう言って立ち上がる八千穂に、九龍はズビシと親指を立てる。
「あたりきよ! 俺と甲ちゃんは運命の友だから!」
「……っ、いい加減っ、放せ! 勝手に決めるな、この節操なし!」
 九龍をむりやり振りほどいて睨みつける皆守。一瞬険悪な雰囲気になりかけたか、と思われた瞬間、九龍はニッと人好きのする、不思議に気持ちいい、皆守に言わせれば最高にタチの悪い笑みを浮かべて言った。
「俺は甲太郎と友達になれた運命にすっげー感謝してるけど? もしかしたら一生会えなかったかもしれない相手と友達になれて、すげー好きになれた。運命感じちゃって、運命の神様にありがとう言いたくなっちゃうのってそんなにおかしなことか?」
「なッ―――」
「……もしかして甲ちゃんは俺と友達になりたくなかったとか?」
「! 誰もそんなことは言ってな――」
 勢いこんで怒鳴りかかり、九龍の顔がにんまりと笑みを作るのに気づいて、ぎりっとアロマパイプを噛んでそっぽを向く皆守。
「やっぱなー、やっぱ甲ちゃんも俺のこと大好きなんだ。うっれしっいなっ♪」
「勝手に言ってろ」
「二人が仲良しなのはわかってるから早くマミーズ行こうよー。早くしないと待ち時間が長くなっちゃう」
 もう教室を出かかっている八千穂の言葉に、九龍は「やべ!」と叫ぶと慌ててあとを追う。皆守も思いきりぶすっとした顔をしながらついていった。
「あ、白岐さんだ」
 三階の廊下を歩いていると、確かに八千穂の言う通り白岐が向こうを歩いているのが見える。
「あ、ホントだ。おーい、幽花ー!」
 皆守が反応するより早く上がった九龍の声に、八千穂が目を丸くした。
「九チャン、いつから白岐サンのこと名前で呼ぶようになったの?」
「え? あ、いやこの前あいつ一緒に遺跡に潜ってくれるようになっただろ? 一緒に遺跡歩いてるうちに名前で呼ばれるようになったから、俺も名前で」
「ぶーっ。ずるいなー、九チャンだけ」
「ふっふっふ、悔しかったらやっちーも名前呼びしてごらん」
「………なんの話?」
「あ! ううん、大した話じゃないんだ!」
 慌てて顔の前で手を左右に振る八千穂に、白岐は「……そう」と微笑んだ。
 こいつもずいぶんよく笑うようになったよな、と皆守は思う。それは――こいつがそばにいるからなんだろうか。
 ちらりと九龍の方に目をやると、九龍はいつもの嬉しげな顔で白岐に話しかけているところだった。
「……この前は一緒できなかったからさ、今度こそ一緒にメシ食おーぜ」
「ええ……確かに約束はしたけれど」
 言いつつちらりとこちらの方を見る。
「私が一緒で本当にいいの……? あなたはともかく、他の人には迷惑なのではない?」
「そんなことないよッ! あたし白岐サンとご飯食べるの楽しみだし! ねッ、皆守クン!」
 そこで俺に振るなよ、と思いつつも、九龍と八千穂双方から発せられるプレッシャーに負けて皆守は口を開いた。
「……俺は別にどっちでもかまわん。好きにすればいいさ」
「なっ? 問題なし! それにさ……」
 ひょいと白岐の顔をのぞきこむように顔を近づけながら、少し上目遣いで囁く九龍。
「俺は幽花と一緒にメシ食いたいなって約束した時からずっと思ってたんだ。一緒に、いろんなこと話したり教えあったりしたいなって」
 ここでちょっと寂しげに微笑んでから、少しだけ子供っぽく、妙に色気のある声でねだるように。
「その願い叶えてよ、お願い」
 ………また出やがった。皆守は心の中だけでそう呟いた。
 九龍の得意技、全老若男女対応愛大放出。ほぼ全ての人間に対してごく当然のように愛の言葉がすらすら出てくる。
 しかも一番恐ろしいのは、これがわざとでないというところだ。彼の中ではこんな囁きもごく普通の日常会話として受け止められているらしい。これまでに九龍が恋人に対するような口説き文句を会った人間会った人間に炸裂させておきながら、「普通あのくらい言うだろ?」などとしれっと、むしろこっちの常識の方がおかしいような口ぶりで言っているのを何度も聞いている。
 軽いノリですませられるようなキャラクターならよかったのだろうが、九龍は普通に見れば明るいがごく真面目そうな、誠実な人間に見えるのだ。そんな顔で熱烈な口説き文句を言われれば、たいていの女は(男も)本気にする。
 だが九龍にしてみればそれは軽い挨拶のようなものだから始末が悪い。その上本気は本気で言っていて、相手がその言葉を信じて助けを求めてきたりすればかっ飛んでいっていくらでも手を貸すというのだから最悪だ。
 見境なしに愛の言葉を炸裂させて、それを実際の行動でも表す色男。メロメロになった人間が屍山を築くのも無理のないところだろう。
 それだけなら皆守も俺には関係ないさと無関心を決めこむこともできたろうが――
「あ、ヒナちゃん先生、月魅ちゃん! ちょうどいいとこで会った、昼飯一緒に食べようぜー!」
 ………これだよ。
「――あら、九龍さん。これからお昼?」
「九龍くん、私を昼食に誘ってくださるんですか?」
 3−A廊下前で明らかに不穏な空気を周囲に撒き散らしつつ相対していた雛川と七瀬が、揃ってこちらを向いてにっこり微笑む。その空気に気づいているのかいないのか、九龍は嬉しげに言った。
「ヒナちゃん先生も月魅ちゃんも昼一緒するの久しぶりだろ? 久々に俺たちとメシ食いながら親睦を深めるのも悪くないと思うぜ」
「――九龍。あなた、雛川先生と七瀬さんと一緒に昼食をとったことがあるの?」
「うん。一緒にマミーズでメシ食いながらおしゃべりしたりしたぞ」
「………そう………」
「………………」
「………………」
「………………」
 三人の乙女たちは(除く八千穂)無言で見つめあい、火花を散らした。
 そう、当然と言えば当然だが、九龍の周りの女たち――特に九龍の仲間である女たちの間には日常茶飯事的に嫉妬の嵐が吹き荒れている。それは当然のごとくいつも九龍と一緒にいる皆守にも飛び火し、凄まじいプレッシャーにやたらとアロマをふかさせることになるのだ。
 八千穂はともかく、なんで九龍は平気なんだ、と皆守は恨めしげに九龍を見つめた。あいつがこの状態に気づいてないはずはないだろうに。
 だが九龍は女たちの雰囲気などものともせず、にっこり笑って腕を振り上げた。
「よーし、そんじゃみんなでマミーズにしゅっぱーつ!」

「いらっしゃいませ〜ッ! マミーズへようこそッ。何名様ですか?」
「六人」
「うわッ……今日はずいぶんと大人数ですね〜。なにかあったんですか?」
「そういうわけじゃないって。ただ俺がみんなでメシ食おうって言っただけ」
「ふ〜ん……」
 舞草はちろりと女たちを見やると、にっこりと笑った。
「九ちゃん、この前のお弁当おいしかったですゥ〜。また作ってきてくださいねッ、待ってますから〜」
「いいよー。頑張って働いてる奈々子ちゃんには特別に大きいのを作ってきてあげよう」
「………九龍さん、舞草さんにお弁当作ってきたの?」
「そうなんですゥ〜。それがすっごくおいしくってェ〜、こんなこと言っちゃまずいんですけどマミーズのご飯よりおいしいくらいでェ〜。お金払ってマミーズに来てもらっちゃっていいのかな〜って思うくらいだったんですゥ〜」
「あは、そりゃ俺がマミーズに来るのは半分は奈々子ちゃんに会うためだからねー」
「ンもう、九ちゃんったら〜」
 和やかに会話する二人――というか舞草に降り注ぐ矢のような視線。舞草はちょっと首を縮めると、笑顔で言った。
「は〜いッ、それじゃお席へご案内しま〜すッ」
 案内されたのは普段より一回り大きいテーブルだった。さっさと一番奥に座る九龍。隣の席を争う視線が一瞬交わされたが、皆守は争いを回避するために進んで九龍の隣に座った。
 三人の女たちがこちらに恨みがましい視線を向けてくるのが感じられた気がしたが、皆守は無視した。こんなしょうもない争いのためにこっちのペースを乱されてたまるか。
「なに食おうかなーっと。やっちーはなんにする?」
「うーん、ハンバーガー……は昨日食べたしなー。豚汁定食とかどうかな?」
「お、いいねぇ。今日けっこう寒いしなー……幽花は?」
「私は、サラダ……」
 白岐がかすかに微笑んでそう言うと、九龍は急に真剣な顔になってきっと白岐を睨んだ。
「ダメだって、幽花! 冷たい野菜ばっか取ってたら冷え性になるよ! 野菜は食わなきゃダメだけど、動物性たんぱく質や脂肪や炭水化物も適度に取ってエネルギーを補給しなきゃ身体に毒なんだぜ!」
「…………」
 ふいに真剣な声を出されたせいか、驚いた顔をして固まる白岐に、九龍はメニューを素早くぱらぱらめくって宣言する。
「幽花は今日はポトフ! おんなじ野菜なんだから食いやすいだろ! 決定!」
「え……」
 困惑気に口を開く白岐に、にこっと優しく笑って労わるように。
「身体、大事にしてくれよな?」
「………ええ」
 白岐はわずかに口元をほころばせ、うなずいた。
 皆守はその瞬間、雛川と七瀬の座っているところで火花が散るのを見たような気がしたが、当然それは錯覚で、九龍は白岐と楽しそうに話している。
「今度野菜たっぷりのミネストローネ作ってやるよ。反則なんだけどさ、そん中にご飯入れたらこれがまたうまいんだ」
「ふふ、楽しみ……」
「期待していいぜ、俺料理には自信あるから。あ、料理って言えばヒナちゃん先生も料理上手だよなー」
「え?」
 ふいに話題を振られ、雛川は目を丸くしたが、そこは教師すぐに微笑みを返す。
「料理なら九龍くんの方が上手じゃないかしら? 私は九龍さんみたいに和洋中なんでもジャンル選ばずに作れたりはしないもの」
「んー、つーかさ、料理の方向性違うよな。俺はメシ系を主に作るけどヒナちゃん先生はお菓子系で」
「そうね……お菓子作りが得意っていっても、女の子の手作りお菓子って感じなんだけど」
「いいじゃん。そーいうの、俺好き」
 そこで雛川にあのタチの悪い笑みをかましておきながら。
「ヒナちゃん先生の作るお菓子って、あったかくて気持ちいいよ。俺、すごく好きだな」
「……ありがとう、九龍さん」
 雛川は照れたように頬に手を当てて、笑った。
 皆守はその瞬間、白岐と七瀬の座っているところで雷光が閃くのを見たような気がしたが、当然それは錯覚で、九龍は雛川と楽しそうに話している。
「ヒナちゃん先生の作るスコーンと俺のスコーンだとなんっか味が違うんだよなー。あのほくっとした味わいがなかなか出ないんだ。やっぱヒナちゃん先生の愛の力なんかな?」
「うふふ……さあ、どうかしら?」
「やっぱ料理は愛情ってことかなー……そーだ、月魅ちゃん。月魅ちゃんは料理できる?」
「は、はいっ!? 私ですか?」
 じっと暗い目で九龍の方を見つめていた七瀬は、ふいに声をかけられて慌てたようにずり落ちた眼鏡を押し上げた。そしてちょっと申し訳なさそうにうつむく。
「いえ……できないわけではないんですが、正直得意というほどでは……料理の本と首っ引きでなんとか、というレベルで……」
「そっか……」
 その言葉に九龍はちょっと考える風を見せて、にこっと笑った。
「じゃさ。俺が今度料理教えてあげよっか?」
「え……ええ!?」
 仰天した顔をする七瀬に、九龍は楽しげに笑う。
「やっぱさ、人間の基本は食なんだから、得意料理の一つや二つ持ってた方がいいだろ?」
「で、ですが……ご迷惑じゃ?」
「んなことないない。仲間内でちょっとでも料理のできる人間が増えてくれたら俺嬉しいし。練習がうまくいったらちょっとお礼してくれれば充分」
「お、お礼、ですか……?」
 ここでその地味に男前面に悪戯っぽい笑みを浮かべながら。
「月魅ちゃんが俺に手作り料理食わせてくれたら、それが最高のお礼」
「…………!」
 七瀬はぽっと顔を赤らめ、困ったように下を向いた――だがその口元は微笑んでいる。
 皆守はその瞬間、白岐と雛川の座っているところで雷鳴が轟くのを聞いたような気がしたが、当然それは錯覚で、九龍は七瀬と楽しそうに話している。
 ……どうして。どうしてこいつは周りの人間の地雷をまんべんなく踏んでいくんだ! そのたびに迷惑するのはこっちなんだぞ!
「カレーライスお待たせしました〜ッ」
 舞草が持ってきたカレーライスを、皆守は無言でがつがつと頬張った。とっとと食べ終えてこの場所から退散しよう。
「あ、ストップストップ、甲太郎」
 七瀬と話していた九龍が、ふいにその顔をこちらに向けた。
 訝しく思ったものの、無視するわけにもいかず、「なんだよ?」とぶっきらぼうに訊ねる。
 九龍はくすっと笑って、すうっと指先を伸ばし、皆守の口元のすぐ横を指でなぞった。見ると、その指先にはカレーのついた米粒が乗っている。
「ついてた」
 そう言ってにっこり笑う九龍に、皆守は仏頂面を作って言う。
「お前なァ、そんなもん言ってくれりゃ自分でと――」
 そこまで言って皆守は硬直した。九龍が取った米粒を、なんのてらいもなく口の中に入れたからだ。
 舌が動いて米粒を舐め取り、唇が合わさって一度、二度と咀嚼する。最後にぺろりと唇の回りを舐めて、妙に艶っぽい笑みで一言。
「――甲太郎の味がする」
「………………」
 皆守はただもう絶句するより他になかった。男相手にそれはどうなんだ、ていうか甲太郎の味がするってなんだ、いやそれ以上に男同士なんだからどうってことないといえばどうってことないことなのに、なんでこんなにいかがわしいんだ―――
 と、皆守は背後からおそろしく不穏な気配を感じて振り返った。振り返りたくはなかったが空気が振り返れと命令している。
「……………………」
 白岐があの無表情でこちらを見据えている。
「……皆守くん、今日ちょっと職員室でお話しましょうか?」
 雛川がいつもの微笑みを浮かべながらこっちを見ている。だがその目は笑ってない。
「………ふふ」
 七瀬が不穏な笑みを浮かべつつこちらの方を向いている。その目が妙に虚ろで怖い。
「へェ〜……九ちゃんと皆守くんって仲がいいんですねェ〜……」
 まだここにいた舞草があからさまに笑ってない顔で笑ってこっちを見つめている。
「あははッ、皆守クンと九チャンって、本当に仲がいいんだねッ!」
 ………八千穂。お前は今この時だけ俺の天使だ。いつまでもそのままでいてくれ―――
 皆守はそんな願いを抱きつつ、虚ろな笑みを浮かべたのだった。

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