媚薬使用法その一
「……ふーむ」
 九龍は目の前に並ぶガラス瓶を眺めた。瓶の中身から放たれるラベンダー色の光が目を柔らかく刺す。
「どうしたもんかな」
 瓶の中身は媚薬。蛇の肝と蝙蝠の翼で調合される、惚れ薬である。
 九龍は基本的にアイテムの在庫は全種類一個、多くても二個と決めている。それ以上は(食材と弾薬以外は)調合するかとっととリサイクルに出してしまう。
 物を多く持つと動きが鈍くなるという信条のためなのだが(それでも一個は残しておくあたりが宝探し屋の血)、ついついその信条を無視させがちになるのがレアアイテムの存在だ。
 ボス敵がたまに落とすレアアイテム、ことにステータスアップアイテムは九龍のお気に入り。ステータスが上がるのならとっとと食べるのだが、敏捷がカンストしてしまった今の九龍には蛇の肝は無用の長物だ。
「八俣遠呂智、蛇の肝ばっか落とすんだもんな……」
 フォアグラソテーとかなら人に食べさせることもできるのだが。蛇の肝は味は決してよいものではない。
 どうにもリサイクルに出すのが忍びなく、ついつい腐るほどある蝙蝠の翼と調合して媚薬を作りまくってしまい、すでに在庫は七個。二個残すとしても、九龍の基準からすれば五個も多い。
 それをなんとかしようと九龍はさっきから頭を悩ませているのだが――
「なんか、面白い使い方ないもんかな」
 九龍はうーんと腕を組む。媚薬の使い方など一つしかないようなものだが(そして単純にそういう使い方をしてもかなり面白いのだが)、それではいまいち芸がない。
 もう一ひねりほしい、と九龍は一人うなずいた。
 この媚薬は(新宿の魔女さんからのアドバイスによると)人を惚れさせるというよりは一時的にいやらしい気分にさせるものらしく、既成事実を作る役ぐらいにしか立たない。だがそれでもほいほい人に使ってよいものではない。淫獣学園的展開は九龍の趣味に合わないのだ(なぜずっと外国にいた九龍がそんなものを知っているかは不明)。
 しばらく考えて、結局無難なところへ落ち着いた。
「やっぱ、料理に使うか」
 それで甲にでも食わせよう、と九龍はうなずく。どうせあいつはカレーとラベンダーの香りしかわからん男だから、大して害はないだろう。
 まずは菓子かな、と卵と牛乳を取り出す九龍。ゼラチンはレア食材だから使えないのが痛いが、それならそれでやりようはいくらでもある。
 しばし混ぜたり練ったりしてから、一瓶目の媚薬を取り出す。
「菓子らしく半量ずつ混ぜるのがいいかな?」
 などと鼻歌交じりに言いつつ手馴れた手つきで瓶の蓋を開ける――
 と、そこでごくごく珍しいことに、九龍の手つきが狂った。
「あ!」
 つるっと手の中から逃げ出した瓶は置いておいた材料――媚薬の瓶の並びに直撃。密着して並べていた瓶はみなドミノ倒し風に崩れ、床に口から落ち――
 中身をもろに九龍の下半身にぶっかけていた。
「……あ〜〜……」
 しまったなぁ、と九龍は頭をかいた。まあ、どうせ遊びに使うつもりだった分だし惜しくはないが。
 しかしこの場合どうなるのだろう? この媚薬は飲み薬だから、体にかけたところで害はないだろうが。
 一応念のため、体を洗いがてら他人の反応を見に風呂に行ってみることにした。準備をして部屋の外に出る。
「お」
「よお」
 するとちょうど部屋の前を通りかかった皆守と目が合った。
「お前も風呂か?」
「ああ。一緒に行くか?」
「うん」
 連れだって風呂に向かう九龍と皆守。その途中で、九龍は皆守に聞いてみた。
「俺、なんか変な匂いしないか?」
 皆守は眉をひそめた。
「妙なものでも触ったのか」
「うん、まあ」
「別にしないぜ」
 あっさり答えられたので、九龍は安心して「だが汚いものを触った手で俺に触れるなよ」と言う皆守に蹴りを入れたのだった。
 そして九龍はそんなことなどすっかり忘れて、わいわいと風呂に入り部屋で寝た。

 翌朝。
「今日は朝は弁当にするか」
 なんとなくそう決めて、九龍は食材をいくつか取り出し弁当を作って鞄に入れた。皆守は昨日一昨日と叩き起こして一緒に登校したから、今日は勘弁してやるかと一人で寮を出る。
(……なんか、注目されてないか?)
 そう気づいたのはマミーズの前を通りすぎたころ辺りからだった。
 九龍は普段はさほど目立つタチではない。周囲にいる人間のキャラが濃いので注目されづらいということと、行動が妙に周りに馴染んでいて目を引かないせいだ。
 行動自体も普段はほとんど突拍子もない行動は取らないので目立ちづらい。顔もちゃんと見なければ整っているということがわからない、という顔なので、一般女子にひどく人気があるわけでもない。
 知り合った女子の本命率は妙に高かったり、一部男子の間で恐れられたり好かれたり一目置かれたりはしているのだが。
 だから道行く生徒たちから注目される覚えは、まったくもってない。
(まさか正体がバレたってわけでもないだろうしなぁ……)
 などと考えつつ校舎に着いて、靴を履き替える。少し先を八千穂が歩いていたので、近寄って声をかけた。
「おはよ、やっちー」
 八千穂は明るい顔でこちらを振り向く――が、その顔が急にぽっと赤く染まった。
「……やっちー?」
「お、おはよ、九チャン」
「うん……俺の顔になんかついてる?」
「え、いや、違くて、そういうんじゃなくて」
 ぱたぱたと顔の前で手を振って。
「なんか……今日の、九チャン、雰囲気が違う……」
「え、そうか?」
「うん、なんか……」
 そこまで言って、口ごもり。
「ううんッ、やっぱなんでもないッ! さ、早く教室行こ!」
 そう言って先に駆け出してしまう。
 なんだかこれは本格的におかしいぞ、と思いつつ教室に入った。当然のごとく皆守と夕薙は姿が見えなかったが、なんだか教室中から注目を集めている気がする。
「幽花……俺、なんか今日、変か?」
 そう問うと、白岐は首を傾げて。
「私には普段と同じに見えるけど……」
「……だよなぁ」
 自分としても全然変わったという意識はない。
 チャイムが鳴って、雛川が入ってきた。いつものごとく、にっこり笑って教室を見回し――
 九龍と目が合ったとたん、ぱたっと出席簿を落とした。
 教室がざわつく中、雛川はふらつきながら九龍に向かい近づいてくる。どう対処するか判断に迷って、とりあえず支えようと九龍が立ち上がり雛川に近づくと――
 がしっ、と抱きつかれた。
「ひ……ヒナちゃん先生?」
 雛川はしっかり抱きついて潤んだ瞳で九龍を見つめて。
「………好き」
「………は?」
「九龍さん。私をあなたのものにして」
 はいぃぃぃぃ?
 そんな台詞を朝っぱらの教室から言われ、さすがに九龍が驚いた瞬間――
「ヒナ先生、ずるいわ!」
 近くにいた女子が立ち上がった。
「あたしの方が先に言おうと思ってたんだから!」
 ……へ?
「葉佩くん、お願い、あたしの恋人になって!」
「駄目っ! 葉佩くんは私の恋人になるんだもん!」
「ナニ言ってんの、葉佩くんはあたしのものよ! 最初っから目つけてたんだから!」
「葉佩くん、お願い、抱いてッ! あたしを連れて逃げてッ!」
「ちょっと葉佩くんに近寄らないでよブス!」
 堰をきったように教室中の女子が九龍に向け迫ってくる。熱に浮かされたような表情で、邪魔になる女子には殺気立った形相を向けて。女子間で口喧嘩やつかみあいも起こっているようだ。
 とりあえず落ち着かせようと九龍が口を開いた瞬間――
「待てぃっ!」
 教室中の男子が、いっせいに立ち上がった。女子がすかさず殺気立った目を向ける。
「なによ、男子!」
「俺だって、葉佩をずっと可愛いって思ってたんだからなっ!」
「俺だって葉佩は腰のラインが色っぽいと思ってた!」
「俺だって葉佩はちょっと笑った顔が男らしくて、カッコよくて、抱かれたいと思ってたんだぞっ!」
 えええぇぇぇ。
 いきなり教室中の男子がホモ宣言。だが女子たちは気持ち悪いの一言も言わず、代わりに鬼の形相で男子を睨む。
「つまりはあんたたちも敵なわけね……」
「いいわ! ここは平和的に、九龍さんに誰かを選んでもらいましょう!」
 雛川、教師としてなのか女としてなのか微妙な発言。
「九龍さん、私のこと、嫌いかしら?」
「葉佩くん、あたしを選んでくれるわよね?」
「葉佩、嫁に来い! 絶対幸せにしてやる!」
 3−C生徒ほぼ全員からつめよられ――
 九龍は素早く身を翻して、教室から飛び出した。
「あー! 逃げた!」
「追え!」
 いや、そりゃ逃げるだろうあの状況じゃ。
 などと内心で突っ込みを入れつつ、九龍は三階廊下を走った。なんだかわからんが、とにかく今はとりあえず逃げるしかない。
 と、目前でがらりと3−Aの扉が開いた。中から一人の男子生徒が出てくる。
 その男子生徒は九龍の背後を見て目を丸くしたが、九龍と目が合ったとたん、顔を真っ赤にして飛びかかってきた。
「初めて会った時から好きでしたッ!」
「初対面だろ!」
 悪いとは思うがついつい突っ込みパンチ。その不幸な男子生徒はきりもみ状態で吹っ飛んで、扉にぶつかった。
 そのせいで大きく開いた扉から、わらわらと生徒が出てくる。その誰もが熱に浮かされたような表情で、顔を赤くしながら、飢えた獣のように九龍に向かい走ってきた。
「好きだっ!」
「愛してるー!」
「抱いてッ!」
「ヤらせろ!」
 そんなことを口々に叫びながら迫ってくる人の群れ。九龍は久々に心からの恐怖を感じ、朱堂をも引き離す全力ダッシュで走って逃げた。

「……なるほど」
 瑞麗はいつものごとく冷静な顔で、そう呟いて煙管を唇に当てた。かなり引き離した上に保健室の扉には鍵がかけてある、あの人の群れがここまで到達するのにはかなりの時間がかかることだろう。
「心当たりっつったら昨日の媚薬しかないんだけどさ。あれ飲み薬なんだよ。なのにこうも威力があるってのはどう考えてもおかしいだろ? ただ足にかけただけなのにさ」
 五人分なんだから理屈から言えば五人をメロメロな気分にするしか効果はないはずだ。そう九龍が主張すると、瑞麗は考え深げに腕を組んで言う。
「これはあくまで推測だが……一種の相互作用とでも呼ぶべきものじゃないかな」
「相互作用?」
「ああ。私は以前から不思議に思っていた。君はどうしてああも多くの人々を次々骨抜きにできるのか。あっという間に人を君のために命をかけてもいいと心酔させるほどの魅力。それは君の体質にも関係があるのではないか? 君からは人を蕩かすフェロモンでも出ているのではないか? とな」
「フェロモン、ですか……」
「君が魅力的な存在であることを否定するわけではないから誤解しないでくれ。――近しい人を魅了する君の体質と見知らぬ存在にすら恋をさせてしまう媚薬の力。それが合わさり、さながら香水のラストノートのごとく時間をかけて独特な香り――周囲の人全てを魅了する香りを作り出したのではないかな」
「うーん……」
 まあ、筋は通っていなくもない。
「半ば君の体質の問題だから私にはどうにもできないが、双樹に相談すればいいのではないかな。彼女は香りのプロだ、媚薬の香りを打ち消す香りを作ってくれるだろうさ」
「なるほどっ! ルイ先生、サンキュー! 恩に着るっ!」
 そう言って立ち上がりかけた九龍を、瑞麗はがっしとつかんだ。
「……ルイ先生?」
「情報提供の礼をまだもらってないが?」
「礼? なにかほしいものでもあるの?」
「そうだな……」
 立ち上がり、さらりと落ちる黒髪から不思議な香りをかもし出しつつ、食べるんじゃないかってくらい耳元に唇を近づけて。
「君がほしいな」
「…………」
 この状況でこの言葉に、一瞬硬直してしまう九龍。
 その隙に、瑞麗は慣れた手つきで学ランのボタンを外していく。
「ちょ、ちょっと待った。ルイ先生、もしかして媚薬効いてる?」
「さて、どう思う?」
 にっこりと笑んだ目のふちが、わずかに赤い。
「……話しかけた時は全然普段通りだったのにー! 詐欺だー!」
「そんなことはどうでもいいだろう? さぁ心配しなくてもいい、私に全て任せて――」
「いやルイ先生お誘いは嬉しいんだけどやっぱこういうことは薬の勢いでっていうのはちょっと」
 九龍の言葉に、瑞麗はわずかに目を伏せた。
「……私はそんなに、魅力がないか?」
「――瑞麗先生………」
 動きを止めた九龍に、瑞麗はすっと顔を近づけ――
「いい加減にしろッ!」
 九龍ごと蹴られてひっくり返った。
「……甲?」
 目を丸くする九龍を、皆守は強引に立ち上がらせて引っ張る。
「さっさと行くぞ、来い!」

「お前いつから保健室にいたの?」
「最初からだ! ったく、あんな女に迫られてデレデレしやがって」
「いやそういうことを言いたいんではなく。状況わかってる? 俺これから双樹を探しに行くところだったんだけど」
「だから一緒に探してやってるんだろうが」
「…………」
 九龍はにっこーっと、笑みを浮かべた。皆守がムッとした顔を向ける。
「なにがおかしい」
「いや、心配して助けてくれるんだなーって。見捨てないんだなーって。久々にお前が俺のこと大事に思ってくれてるのわかって、すげー嬉しくなっちった」
「……蹴られたいのか?」
「それは勘弁。もうイイマセン」
 頭を下げて、こっそりにやりと笑った。
 二人で一緒に周囲を警戒しつつ、とりあえず3−Aを目指す。といっても保健室を出るや職員室から人が出てきたりしたし、校舎中に生徒たちが散らばっていたりするので、目指すは外だ。
 持ち歩いているワイヤーガンで屋上までの道をつけ、そこから3−Aの様子をのぞいて双樹がいれば突撃する。いなかったらそこからまた考える。
 そういうつもりで身を隠しつつ、素早く玄関へ向かう――そこに聞きなれた、くぐもった声が聞こえてきた。
「……この曲を聞かせてあげよう」
「かまちー!?」
 慌てて声の元に目をやると、取手が一般生徒たちに手をかざしているところだった。生徒たちが見る間にぱたぱたと倒れていく。
 九龍は慌てて取手のところへ駆け寄った。
「はっちゃん……」
 頬を染める取手を、九龍はきっと睨む。
「なにしてんだよかまちー。ほいほいそんなことしちゃ駄目だろ? なにがあったか知らないけど、お前は簡単に手を出す子じゃないはずだ」
「ごめんね、はっちゃん……だけど、我慢できなかったんだ。この人たちが、はっちゃんのことを話していたから……」
「俺の?」
 取手がその穏やかな表情に殺気を漂わせた。
「はっちゃんの足がそそるとか、肩が抱きしめたくなる肩だとか」
「別にそのくらい――」
「押し倒してヤっちまおうとかマワしてやろうとか」
「……それは、さすがにイヤかな……」
「僕は、はっちゃんが見知らぬ奴らにそんなことされるの絶対嫌だから、だから――」
「そっか……ありがとな、かまちー」
 ぎゅっと手を握ると、取手も顔を赤らめつつ握り返して。
「はっちゃん……」
「かまちー……って、ちょっと?」
「なに?」
 取手の細く長い指が九龍のボタンにかかっている。
「なにしてんのかな?」
「ごめんね、はっちゃん……」
「いや謝らなくていいからやめてくんないかな」
 取手は顔を真っ赤にしつつそれでも手は止めないで。
「ごめんね、はっちゃん……でも、好きなんだ」
「う……そういうことを言われるとほだされそうになってしまう……薬のせいなのに」
「はっちゃん……」
 取手の顔が近づき――
「とっとと帰れ、この死人顔ピアニスト」
 後頭部に足が直撃して、ばったりと倒れこんだ。
「甲……」
「ったく、この馬鹿が。人に働かせておいてなにをやってるんだ」
「働いてって……あ」
 仰ぎ見た九龍は、周囲に何人もの生徒やら教師やらが倒れているのを見つけた。
「お前がやったの?」
「文句があるのか」
「いや、助かったけど……お前女の子にも容赦ないのな」
 人の山の中にはしっかり女子も転がっていたのだ。
「悪いか、こいつらはお前を襲おうとしてたんだぞ」
「まあ確かにリカも咲ちゃんも容赦なく撃った俺が言うことじゃないな。ありがと」
「………ああ」
「急がないとな……」
 話しつつ玄関に向け走る。保健室は玄関のすぐ隣だ。
 見つかったら声を上げられる前に殴り倒しつつ、下足箱を通り抜け――
「九龍さん!」
 ――厄介な奴に見つかった。
「夷澤……あのな、今はちょっと急いで――」
「なんなんすかこの騒ぎ。学校中がなんかおかしいっすよ」
「いやだからあのな……」
「またアンタがなんかしでかしたんすか。いつものことながらアンタは騒動の源ですね」
 夷澤は九龍の話を聞かず喋りまくる。元から人の話をあんまり聞きたがらない奴ではあったが、これはおかしいな、と思って九龍は夷澤を観察した。
 と、ちら、と九龍の方を見上げた夷澤と目が合った。
「…………!」
 夷澤の顔がかーっと赤く染まった。ぼっ、と音がしそうな勢いだ。夷澤は素早く目を逸らして、またさらにまくしたてようとする。
「大体アンタは無防備なんすよ。山ほど秘密抱えてるくせに誰にでもへらへらして。少しはこっちのことも考えて――」
「――夷澤」
 びくん、と夷澤は震えた。九龍の深みのあるテノールは、意図的に囁くようにすると腰にクると評判だ。
「な……なんすか」
「お前さ――」
 すっと手を伸ばすと、夷澤はびくっと震えて目を閉じる。顔は相変わらず真っ赤だ。
(やっぱ、薬効いてんのか……)
 効き方にも個人差があるんだな、と一人うなずきつつ、そっと頭を撫でる。
「―――あ」
 耐えきれないというように、夷澤の口から声が漏れた。
(……これって……)
 耳たぶをこちゃこちゃ、とやってみる。
「んッ! は、あ……」
(……うーむ)
 頬をそっと撫で下ろしてみる。
「ひ、う、は、あ……」
(うわー。やっぱり感じちゃってるよ。面白いなー)
 もう泣きそうな顔になりながら、それでもねだるような瞳で見上げてくる夷澤。
 とりあえず、体の方にもセクハラしてみた。
「ん、やぁ、ふ、ひっん、くぅ、あ、や……」
 触るたびにビクビクと震える夷澤の体。夷澤の潤んだ瞳が喘ぎながら頼りなげにこちらを見つめてくる。九龍はやめ時を見失って、どーしたもんかと首を傾げた。
(こうも素直な反応する夷澤ってレアだしなー)
 宝探し屋の常として、レアものには弱いのだ。
「――引っこんでろ、このミルク飲み人形ヘボボクサーが」
 がすっ! と全力の蹴りを食らい、倒れる夷澤。蹴ったのは当然皆守だ。
「甲……ちん……」
「お前俺がさっき言ったことをもう忘れたのか? 人・に・働・か・せ・て・お・い・て、なにをやってるんだこの阿呆!」
「いや……スマン。ほんますんません」
 九龍が遊んでいる間にまた気絶者を大量に製造している皆守に殺気をこめて睨まれ、九龍はかなり本気で謝った。
「早く行くぞ! また誰か出てこないうちにな!」
「イエッサ」
 そう言って駆け出しかけた二人だったが――その足が、文字通り止まった。
 背後からなにかとてつもなく強い力で引っ張られている。特に腰――ベルトの辺りが。
 なんとかそれに抵抗して足を進めようとするが、体にずっしりと重りが乗っかったようでまともに動けない。
「これは――」
「フフフフフフフフフフ」
 背後から聞こえてきたのは、予想通り、トトの声だった。
「ジェフティ……いい子だから、この力解いてくんないかなぁ? あとでお礼するからさ」
「我ガ王ヨ。ボクハモウ待テマセン。アナタガホシイトイウ熱情ガ、アフレダシソウナノデス――」
「いやお前の情熱はわかるけども俺としてはもーちょっと冷静になってみてほしいっつーか」
「サア我ガ王ヨ、ボクト行キマショウ、二人キリノ愛ノ褥ヘ――」
「うわ、話聞いてねぇ」
「……冗談じゃないぜ」
 皆守が低く呟いたとたん――
「オーッホホホホ、そうはいかなくってよッ!」
 馴染み深い、低音の女言葉が玄関に響いた。
「……すどりん……」
「ダーリンと愛し合うのはアタシッ! 今日こそアタシとダーリンは一線を越えるのよッ!」
「……なんかいつも通りの言動で心が和むなぁ……」
「混乱するな、馬鹿」
 九龍&皆守の前で相対する朱堂とトト。
「アタシからダーリンを奪えると、本気で思ってるのかしら?」
「ミソスープデ顔洗ッテ出直シテキヤガレデス」
 ぎらりと睨み合うや、戦いが始まる。
 ダーツが舞い、はさみが飛ぶ戦場の脇で、九龍たちは自分たちにかけられた《力》が解除されているのを確認し、こそこそとその場を立ち去った。
「よし、急ごう!」
「……ああ」
 地上から屋上までワイヤーを張る九龍。慣れた仕草でワイヤーを二人、急いで登った。
 途中で3−A教室をのぞく――だがそこには双樹はいなかった。軽く舌打ちして動きを止めようとする九龍を、なぜか後ろから皆守が無言で上へと押しやる。
 九龍としては降りるつもりだったのだが、皆守は無言で九龍を押しまくる。いつまでもここにいると目立ってしょうがない、口論などしていればよけいだ。なので、九龍はとりあえず屋上に上った。皆守もそのあとについて屋上に上がる。
 屋上で相対し、九龍は皆守を見つめて言う。
「甲……どうかしたのか?」
 皆守は真剣な顔で九龍をじっと見つめると、ふいにがっしとその腕をつかんだ。
「――九ちゃん」
「なんだよ」
「想いを遂げるならここと決めていた」
「は?」
「俺とお前が初めて会ったこの場所――ここで俺はお前に想いを告げる」
「想いってなんの」
 皆守が、ふっと、今まで見たこともないような、というか皆守という存在には異常なまでにそぐわない爽やかな笑みを浮かべる――九龍は思わず、ざーっと鳥肌を立てて絶叫した。
「甲! 甲っ! なんだ、どうした、気が狂ったのか!? なんだなんなんだその爽やかかつ優しげな笑みっ!」
「俺は正気さ、この上なく。いや、狂っているかもしれないな。――お前への想いで」
「…………うぎゃーっ!」
 九龍はあまりの痒さにのた打ち回った。普段仏頂面でボケツッコミの最中ですらシビアなことばかり言っている皆守の顔が、まるで愛しくてたまらない恋人を見るような表情でこっちを見ていると――はっきり言って、死ぬほど寒い。
 だがそれでもなんとか最後の一線だけは守らなくてはと、必死に皆守に語りかけて正気に戻そうとする九龍。
「甲太郎、落ち着け。お前はただ薬のせいでおかしくなってるだけなんだよ。……ていうか効いてるなら効いてるって言えよ! カレーとラベンダーの香りしかわからない奴だから安心してたのにー!」
「これは俺の本心さ。俺はお前に会った時からずっと、お前のことが――」
「ぎゃーわーわーぎゃー!」
 必死に大声で打ち消す九龍に、皆守は異常に優しい微笑みを浮かべた。
「ふ……照れるなんて、可愛いな、九ちゃん」
「………………」
 あまりの台詞に一瞬呆ける九龍。そこに皆守はぐっと顔を近づけ、きらきらと輝く笑みでこう言った。
「愛してるよ、九ちゃん」
 そう言って唇を九龍の唇に近づける――
「……うぎゃあぁぁぁぁぁっ!!!」

 その後、九龍は双樹を見つけ、媚薬の匂いを消す匂いを作ってもらうことができた。
 ついでに全校生徒及び教師から、今日の記憶を消してもらうようにも願ったが、わざわざ消さなくても薬の効いている間のことは覚えていないだろう、と言われ胸を撫で下ろした。
 ……皆守は目が覚めた時、体中が痛い上に自分が簀巻きにされて屋上から吊るされているのを知り、また九龍の仕業かと怒って九龍を探したものの、九龍はしばらく皆守を避けまくってなかなか姿を見せなかったという。

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