夜、君の隣で
 林間学校、夜。完二の女子テントへの突撃により急遽里中&天城と同じテントで眠ることになった俺こと花村陽介と八十八在は、スペースの関係上ほぼぴったりくっつきながら眠ることになった。
 しかもほとんど岩の上で。顔の下にすぐ岩石のごつごつした感触を味わいながら寝るってのもなかなかできる経験じゃない、けどありがたみはない。つーか眠れねーっつのこれじゃーよ! くそ、里中の奴女っつーことを無駄に活用して広いスペース取りやがって……。天城もそれにしっかり追従するし……。
 目の前には在の整った顔が見える。っつーか体格がほとんど一緒だから、意識的に視線をずらさない以上自然と顔と顔がもーちょっとずれたらくっつくんじゃね? ってくらい間近に向き合うことになるっつーか……。
 在の灰色の瞳はじーっとこちらを見つめている。それで俺も他にどうしようもなくてじーっと在を見返している。
 狭いし痛いし腹は減ってるし里中と天城の息遣いは聞こえるし、と睡眠欲を削ぐ条件は無駄に揃いまくってるのに、こんな風に真正面十cmくらいからやたら整った顔の親友兼相棒性別男、にじーっと見つめられたら眠気なんて下りてこようはずがない。けどこっち見んなよ! とか言っちまうのもこう、人間関係上よくねんじゃね? とか思っちまうっつーか……。
 でもここまでガン見されたら言ってもよくね? とか思いつつも、ストレートに言って嫌な顔とか悲しそうな顔とかされたら嫌なので(だってこの前うっかり絆結んじまったばっかだし……)、とりあえず遠まわしに攻めてみるチキンな俺。
「あー……っとに、狭っ苦しいよなー」
「そうか?」
 こちらをじっと見つめていた真剣な顔が、ほんのり緩んでそんなことを言ってくる。ちょっと前まではこいつの表情ってよっぽど本気で感情動かしてるんじゃなければほとんど変わんないようにしか見えなかったんだが、俺も成長したもんだ(成長……うん、成長、たぶん成長)。
「狭いだろ。いっくら女だからって二人で四人分くらいのスペース取るって普通にねーよ! バリケード作られたらほとんど動く場所もねーっつの!」
「ん……まぁね」
「だいたい夕飯に物体X食わせといてテント押しかけてくる時点でありえねぇだろ! バレたらこっちまで停学食らうんだぞ!? どんだけ図々しいんだっつーの!」
「気持ちはわからなくもないけど……二人だって好きでこういう状況になったわけじゃないんだしさ。完二くんを止められなかった俺たちにも責任の一端はあると思うし」
「おま、お人よしにもほどがあんだろ……八十八、お前そんな性格のまま世間に出たら悪い女に食い物にされてコンクリ抱かされたまま玄界灘に沈められちまうぞ?」
「できるだけそうならないように気をつけるよ。一応、基本的にこれ以上は駄目、ってラインは守ってるつもりだけど」
 在はじーっとこちらを見つめたまま、唇の両端を柔らかく緩めながら少し掠れた声で囁く。やったらにこにこしやがって、こっちの思惑気付いてんだか気付いてないんだか、あーもーなんか俺馬鹿みてーじゃねーか。
 もーいい、直に聞いてやる。
「なんか、お前やけに機嫌よくね? こんなことになったってのにさ」
 ……お前の直はこんなもんか、っつわれそうだが、いいんだ、俺にはこれが直なんだ。言いたいことなのは確かなんだから別にいいじゃねーか。
「……そうだな」
 在は少し考えるように視線を頭の上の方にずらし、数秒間を置いた。
 それから、すい、と視線を下――俺の胸の辺りに移動させて、ふ、とたぶん俺以外の奴にもはっきりわかるくらいしっかり微笑む。
「そうだな、俺は嬉しいよ」
「へー……ナニ、女子とひとつテントの中、ってんでそんなにコーフンしちまってるワケ?」
 なんだよ本気で機嫌いいじゃんコイツ、となんか妙に面白くない気分になりながらも笑うと、在はクス、と男にしてはあるまじき(なのに妙に聞き心地のいい)笑い声を立てた。
「違うよ」
「はー? ホントですかねぇ? 嘘ついたってためにならないぜ越後屋さんよ」
「違うって。……ただ、憧れてたんだ」
「なにに?」
 ぜってー聞き出してやる、と少しばかり勢い込んで訊ねると、在はふわん、とこの二ヶ月の間数えるほどしか見たことがない、本気で嬉しい時の柔らかーい和やかーな笑みを浮かべて、俺の想像してたのとは全然別方向の言葉を発した。
「陽介は、『白鯨』って小説、読んだことあるか?」
「……へ?」
 予想外の言葉だった。っつーか、これまで俺が話すような相手には当然みたいな顔で小説の題名をさらっと口にするような奴はいない。俺はこれまでの会話ケースには存在しない言葉に目をぱちぱちさせながら、首を振った。
「……ねぇけど」
「そうか。作者はハーマン・メルヴィル……だったかな、要は白い鯨を追う海の男たちの話なんだけど、その中に……語り手とその親友が、同じベッドの中に入って語り合うってシーンがあるんだ」
 じっ、と暗がりの中で俺を静かなグレイの瞳で見つめ。どこか掠れた、女なら『腰にクる』と言いそうなイイ声で、どこか遠くから歌うように在はそれこそオハナシじみた言葉を囁く。
「俺、そのシーンが好きで好きで。何度も読み返すくらい好きで。友達いなかったからっていうのもあるんだろうけど……憧れてたんだ。親友と、同じベッドで語り合うっていうの」
 俺の顔のすぐ目の前で、在の顔がにこり、と笑む。こいつが今自分は嬉しいんだ、と伝える時の、たまんなく優しい、愛しげな笑顔。
「だから、こういうの、嬉しい」
「…………」
 それが今まるごと俺に向けられてるんだ、と自覚した時、俺はカーッと顔が赤くなるのを感じた。
「んだよ、そんなん……俺も一緒だっての」
 胸の辺りが走り出しそうなほどむずむずするのに堪えきれず、ぼそぼそと呟くと、このヤロ怪訝そうな顔をして問い返してきやがる。
「え?」
「だっからさぁ……俺も、お前と同じテントで眠れるっつーのはぁ……ちょっとワクワクしてたっつーか、嬉しくねぇわけじゃねぇってこと!」
 照れくささのあまり勢い任せにちょっと叫ぶように言うと、こちらを見ていた八十八の顔がカーッと赤くなった。本気で照れているのがうかがえてこっちもますます恥ずかしくなってくる。のやろ、あんな恥ずかしいこと平気で言ってたくせしやがって。親友とか。嬉しいとか。あんな顔して。ちくしょー俺だってお前とテントで夜ダベるとか楽しそうだなとか思ったんだからな。
「そ、そうか……?」
「そーだよっ」
「そっか……あのさ、陽介。こういうこと言って嫌な気分になったら申し訳ないんだけど」
「……なに?」
「俺、すごく嬉しい」
 にこ、と照れくさそうに八十八が笑う。キレーな顔を子供っぽく変えて。
 俺はもう胸の辺りがいてもたってもいられない気分で、このやろこのやろ、と八十八の足にげしげしと蹴りを入れた。八十八は嬉しそうな顔でげしげしと蹴り返す。ガキみたいだとわかってはいても、なんだか止まらなかった。
 あーもーなんだろ、ちくしょうこういう風にじゃれあうのなんか妙に嬉しい。恥ずかしー、けどなんか妙に止まんねーぞあーもーなんだこれ嬉しーなちくしょう!
「あはっ、くく、あははっ、あはは」
「笑うなこの、あーくそ、っふくく、あはは」
「ごめん、だってさ、なんか、笑えちゃうよ、嬉しくて」
「……なぁ……在」
 俺が名前を呼ぶと、在は小さく目を見開いてから、真剣な顔になって囁いた。
「なに?」
「俺さ――」
「ぶふーっ」
 唐突に聞こえてきた笑い声に、俺は思わず固まった。「ちょ、雪子!」と聞こえる慌てたような里中の囁き声。
 ………っやべぇやべぇなにやってんだ俺っ同じテントに里中たちいんじゃねーかぁぁぁ!!!
 真っ赤になって硬直する俺、同じように固まって俺を見続ける在。「ぶふっ、っはは、ぶふーっくくく」と抑えながらもテントの中に響く天城の笑い声。
 俺はもう、なんというかなんともいえない気分で在を見て、見返されて、結局ぼそりと告げた。
「………寝るか」
「……うん……」
 お互い真っ赤になりながら呟いて、二人揃って視線をテントの天井に向ける(あーそーだよなにも話題とか探さなくても天井見りゃフツーに視線逸れんじゃねーか!)。二人揃って妙にいい姿勢で、恥ずかしさでぜってー眠れねー! とか思いつつも目を閉じた。
 ちくしょー、天城に里中、この仇はぜってー明日の水着で取り返してやるからなーっ!
 ……あのあと、俺は在になにを言おうとしたんだろう。それももう、ちゃんと思い出すことはできない。たまらなくくすぐったかった胸の興奮に酔った頭から出た言葉なんて、どうせろくなもんじゃないんだろうけど。
 口に出したその一瞬は、どんなに幸せで心地よくても。
 ――そんなことを思いながら、俺は眠りに落ちた。

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