火炎
「……ここが、ロマリア」
 街の遠景を眺め、アダルバートは感動のため息をついた。生まれも育ちもアリアハンでそこから出ることすら考えてもいなかったアダルバートには、ロマリアの美しい建築物と植生はひどく華やかに映った。旅をしているのだ、という実感が強烈に湧いてくる。
「美しい街ですね、ロマリアは。きっと信仰心豊かな方々が住んでいらっしゃるのでしょう」
 嬉しげに言うジャスパーに、エジーディオがまるで鼻で笑うような音を立てて肩をすくめる。
「ま、大聖堂はでかいけどな。だからって住んでる奴らがしんこーしんとやらが豊かだって考えてると痛い目見るぜー」
「ああ、そういえばエジーディオはロマリア出身なんだったっけ」
 ぽん、と手を打つアダルバートに、エジーディオは面白くなさそうな顔でうなずいた。
「ああ。ま、あんまいい思い出ある街じゃねーけどな」
「そうなんだ……」
 少しばかり気遣わしげな視線で見つめた。故郷を愛しているアダルバートには想像もつかないが、それはやはり苦しいことなのではないだろうか。
 ジャスパーにも目を潤ませて見つめられ、エジーディオは居心地悪げに身じろぎしてぽんぽんと自分たちの頭を叩いた。
「わ、なにすんだよ」
「いーから行くぞっ。あのクソ勇者が行っちまうだろぉ?」
「!」
 エジーディオの言葉通り、エマは立ち止まって会話をしていた自分たちを無視してすたすたと先に進んでいる。慌てて後を追った。今の自分たちは、置いていかれたところでそれに抗議ができる立場ではない。
 あの時。旅の扉の前でエマに追いついた時。
 鬱陶しげな、けれどわずかに怪訝そうな顔でこちらを見つめるエマに、アダルバートは決死の思いで宣言した。
「俺も一緒に行きます! 行かせてください!」
「あなた程度のレベルの人間を連れていって私になにか益があるというの?」
 冷たい眼差しでこちらを見るエマに、アダルバートは必死に叫んだ。
「自分の面倒は自分で見ます! 戦闘では、足手まといでしょうが……それでも全力であなたを守ります! ただの生きた盾として使ってもらってかまいません、ですから、どうか……!」
 必死に言うアダルバートを零下の視線で見つめてから、エマは視線を動かした。
「そっちの二人は?」
「俺らはただのつきそいー。あんたを守る気もないし助ける気もない。俺らの仲間がどうしてもあんたについていくっていうからそれを助けるだけだ」
 そうエマを睨むエジーディオと、泣きそうになりながらも同様に睨むジャスパーに、ふいにエマは首を傾げ、顔ににっこりと、ルイーダの酒場で自分を虜にしたのと同じ、美しく、優雅で、どこか頼りなげな微笑みを浮かべる。
「あなた方は、私を助けては、くださらないんですか?」
「えっ、いや、その、私は」
「てめぇみてーな女狐を助ける気はねぇよ」
 きっぱりエジーディオが言うと、エマは冷たい表情に戻って肩をすくめた。
「そう。なら、好きにしなさい。せいぜい使ってあげるから」
 そして、自分たちの旅は始まったのだ。
 ここに来るまで半日、幸い魔物には襲われなかった。どうなるかはわからない、明日の命も知れないけれども。
 俺は、自分にできる精一杯の力で、エマさんを守るだけだ。
 そううなずいて、アダルバートはエマの後姿を追う。彼女の後姿は、いつもと同じく、胸が痛くなるほど優雅できれいだった。

「私はロマリア王に謁見してくるわ。その間好きなだけ惰眠をむさぼっていなさい」
 そう告げて踵を返すエマを、アダルバートたちは見送った。ロマリア王に謁見。そういう言葉を聞かされると、この人は本当に雲の上の人なのだと実感させられる。
 宿屋の等級は中の上というところだったが、エマが問答無用で払ってくれたのでアダルバートたちの懐は痛んでいない。エマが払ってくれるとは正直意外だったが。だって、なんの役にも立っていないのに。それも、これからの行動まで説明してくれるなんて。思わず顔を見合わせる。
 はー、と息を吐いてエジーディオがベッドに身を躍らせた。
「ま、寝てていいっつーんだから寝てようぜ。ベッドなんて一ヶ月ぶりなんだしよ」
「そうですね……大聖堂で礼拝もしてみたいとは思いますが、さすがに疲れましたし」
 ふぁ、とあくびをしてベッドに腰掛けるジャスパー。仲間の二人ともが寝る体勢に入っているのはわかっていたが、アダルバートは首を振った。
「俺は、中庭で稽古してくる」
「はぁ? 疲れてねぇの?」
「疲れてるけど、日課を済ませないと落ち着かないし」
「ったく、真面目な奴だなー。ま、お前がいーってんならいーけどよ」
「あまり無理をなさらないでくださいね」
「うん、俺も稽古が終わったら休むよ。……じゃ」
 軽く手を上げて身を翻す。エジーディオとジャスパーも手を上げ返してくれた。
 真面目なのは当たり前だ。だって、自分には時間がないんだから。
 中庭にやってきて、剣を抜く。体は(誘いの洞窟を抜けてからろくに休めなかったのだから当然だが)疲れきっているが目は冴えていた。自分のしなければならないことがよくわかっていたからだろう。それを考えたら気が急いてのんびり寝てなんていられない。
 ぶんっ、と銅の剣を振り下ろして、止める。
(強く)
 魔物が突進してくると想像しながら、それをかわして突く。
(強くならなくちゃ)
 相手の攻撃を受け流し、ぐるりと回転させて返す。
(エマさんを守れるくらい、強くならなくちゃ)
 あの人は自分など歯牙にもかけないくらい、めちゃくちゃに強いんだから。
 せめて盾になれるくらい、せめて少しは使えると思ってもらえるくらい、せめて邪魔ではないと思ってもらえるくらいになりたい。
 だって、俺はエマさん、あなたを守りたいって、心の底から思うんだから。
 震えて剣を取り落としそうになる腕に気合を入れて、ぐんっと上から下へ振り下ろした。

 必死に自分を叱咤しながら稽古をして、疲労のあまりぶっ倒れて施療院に担ぎ込まれ。薬湯を飲まされしこたま眠って夜中になってから宿に帰ってくると、エジーディオとジャスパーは酒場で出迎えてくれたがエマはまだ戻っていない、と聞かされ驚いた。
「謁見ってそこまで時間かかるもんじゃないと思うけど……なんかあったのかな?」
「王宮に泊まってくんじゃねーのー? 王様にちっと媚売りゃあいつなら晩餐会開いてもらうくらい楽勝だろ、あの猫かぶり勇者ならさー」
「エマさんをそういう風に言うのはやめてくれよ」
「へーいへい」
「でも、心配ですね……なにか不都合があったのではなければいいのですけど」
 そんなことを話しながら腹に食べ物を詰め込み、部屋に戻ってベッドに入り。
 それでもアダルバートは眠れなかった。施療院でたっぷり寝てきたせいもあるが、どうしてもエマのことが気になってしょうがない。
 同室の仲間たちを起こさないように起き上がり、中庭に向かった。ここからなら玄関が見えるからエマが帰ってくればわかるし稽古もできる。
 さっき同様、剣を振り回す。夜中なので声はできるだけ立てないようにして。
 素振りを繰り返して体を馴らし、目の前に敵がいると想定して剣を振るう。たっぷり寝たせいか、体の切れは悪くなかった。アダルバートにしては、の話だが。
 そうして懸命に稽古をしながらも考えてしまう。エマはどうしたんだろう、大丈夫だろうか、なにか厄介事が起きたのじゃないだろうか。
 どうしたって考えてしまうのだ。だって自分は、エマが。
 ……好き、なんだろうな。
 少しばかりほろ苦い気持ちでそう思う。これまでろくに恋愛経験のなかったアダルバートでも、この感情が恋でしかありえないということはわかっていた。守りたくて、少しでも役に立ちたくて、生きていてほしくて。
 こちらを向いてほしいと、思う。
 そんなことは無理なんだろうけど。小さく自嘲の笑みを浮かべながら剣を振り回す。エマにしてみれば自分などものの役にも立たないその他大勢の一人だろう。自分に対して正負どちらの方向にしろ重要視している様子はどこにもない。
 でも、それでもいい。
 ぎゅっと剣を握り締め振り下ろす。俺は、少しでもあの人の力になれるなら、なんでもする。
 そう気合を入れつつ稽古をすること二刻ほど。さすがに眠くて頭もフラフラしてもはや酒場も静まり返っている頃に、エマのたまらなく優美な横顔が見えた。
「エマさん!」
 思わず叫んでから慌てて口を押さえ、眉をひそめてこちらを見やるエマのところへ駆け寄る。できるだけ静かに静かに、と思いながら笑顔で話しかけた。
「お帰りなさい。ロマリア王との謁見は、どうでした?」
「……なんであなたがここにいるの」
「え、いや、あの。稽古を、してまして」
「ずいぶん宵っ張りなのね」
「う、あー、その」
 アダルバートはもじもじと口を濁した。エマさんのことが心配で眠れなくて、などと言ったら気持ち悪がられるかもしれないし、申し訳ないし恥ずかしい。
 だがアダルバートのそんな心情などこれっぽっちも斟酌せず、エマは冷たい目でアダルバートを見つめ吐き捨てた。
「二度と待たないでちょうだい。鬱陶しいから」
「……すいません……」
 アダルバートはしゅーんと小さくなる。こちらの考えなど彼女は先刻お見通しだったらしい。
 鬱陶しいって言われちゃった、とずーんと沈み込みながら部屋へ引き取ろうとするアダルバートに、エマは冷たい口調のまま告げる。
「ちょっと」
「は、はいっ!」
 慌てて向き直ると、エマは冷たく、高飛車で、けれどうっとりするほど艶麗な顔で(ああ本当にこの人はなんて綺麗なんだろう、とアダルバートは陶然とした)告げた。
「明日は冒険者ギルドに行くわ。ついてくるのなら九時には起きていることね」
「え……はいっ」
 なんで冒険者ギルドに? と思いつつもアダルバートはこくこくとうなずく。エマはその様子を冷たい目で眺めると、す、とアダルバートの横を通り抜けて自分の部屋へと向かっていった。

「……また、繰り返しだな」
 エジーディオが吐き捨てるように言った。ジャスパーも涙ぐみながらうつむく。アダルバートは無言で鍋をかき回した。
 冒険者ギルドに向かったエマはこう言ったのだ。「ロマリア王の命で大盗賊カンダタ征伐を行います、どなたか私に力を貸してはくださいませんか」と。アリアハンのルイーダの酒場で、自分たちを誘ったあの優雅で頼りなげな笑みを顔に浮かべて。
 冒険者ギルドの人間は面白いように引っかかり、アリアハン同様三百人近い数がエマの仲間に加わった。ロマリアの兵士の中からも何人か加わったようだった。
 そして、その数はまだカザーブにもたどり着いていないのに、日一日と減っていく。
 アリアハンと同様、普通ならばありえない強さの毎日大量に押し寄せてくる魔物の群れ。レベルの高い冒険者たちですら抗しきれず少しずつ数が減っていく。
 そしてエマは本当の力を決して見せようとはしない。ただ何人かの重症の者にささやかな回復呪文をかけ、手当てをするくらいで、力のないか弱い女のふりをしている。
「ぶちまけちまわねーか、いっそ。あの女が本当は猫っかぶりのとんでもなくつえー女だって。たいていの奴は逃げ出すだろ」
「……そんなことしたって、信じる奴、いないだろ」
「それに……こんなことを言うのは僧侶として間違っているのはわかっていますが、彼らの力がなければ我々が生き残るのは難しいと思います。我々も、エマさんも、我々と共に戦ってくれる志ある冒険者の方々も」
 エジーディオがふんと鼻で笑う。
「だっから、あの女が最初っから全力で戦やいいんだよ。誰もいなきゃあいつが戦わねーとなんなくなんだろ。で、あの女の盾になろーとするアドルをぶん殴って気絶させてとんずら。これで完了じゃねーか」
「そんなこと絶対させないからな」
 アダルバートは椀に作りたてのスープを注ぎながらエジーディオを睨んだ。これからは背後にも注意しなければならないかもしれない。
「私も……曲がりなりにも、世界を守る手助けをしようとこの旅に参加したわけですし、できる限りエマさんと共に旅を……」
「じょーだんだって。んなことしたら俺が先にあの女に殺されるしな」
 ずずー、と仏頂面でスープをすするエジーディオに、アダルバートは唇を噛んでうつむいた。
「……そうでなくても。俺は、エマさんにはできる限り戦ってほしくないよ」
 エジーディオが「はぁ?」と声を上げ、ジャスパーががったん、と椀を取り落とした(スープが入っていたようであちっ、と声が上がった)。
「なんでだよ。あんなつえー女戦わせねーでどーすんだよ。あいつが力温存するために回りの奴ら犠牲にしてんのも俺は腹に据えかねてんだぞ」
「わかってる。わかってるけど……俺は」
 あの人が、本当は優しい女の子のように思えてしょうがなくて。
 本当は、自分の代わりに人が死ぬのも、戦って魔物を殺すのも、彼女には苦しいことなんじゃないかと思えてしまうんだ。
 だって、あの時。呪文で魔物たちを吹っ飛ばしたあの時、彼女はわずかに、ほんのわずかに痛みを堪えるように顔を歪めていたんだから。

 カザーブ。
 冒険者たちは度重なる魔物の襲撃で百人前後にまで数を減らしていたが、まだ強い人間が何人も残っていた。アダルバートとエジーディオとジャスパーも、必死に戦って全員、無事とまでは言わないまでも生き延びることができていた。
 宿に泊まる歴戦の冒険者たちをよそに、アダルバートたちは天幕を張って野宿をする。街中の野宿は街の人からの視線が痛くはあったが、レーベで慣れていた。
 宿に泊まる冒険者たちが引き上げた頃を見計らって、中で食事を取ろうと入っていこうとすると、宿屋からエマが出てくるのにぶち当たった。
「エマさん、どちらに行かれるんですか?」
 思わず訊ねると、エマはにっこりと優雅な微笑みを浮かべて言った。
「ここカザーブは武闘家の聖地ですから……いくつかの道場へ、協力してくださる方がいないかおうかがいしてくるつもりです」
「あの、俺たちがいく必要は」
「いえ……みなさんは、今は少しでも体を休めておいてください。あなた方の力がなければ、私は旅をすることなどとてもできないのですから」
 す、と小さく頼りなげに頭を下げて、エマは去っていった。エジーディオがち、と舌打ちをする。
「どーだろ、あのしれっとしたツラ! 本性ばれてる俺らの前でよくあそこまでへーぜんと演技できるよな」
 アダルバートは反論したかったが、結局なにも言えず無言で食堂へと歩を進めた。アダルバートもそれに似たことを思っていたのは確かなのだ。
 ただ正確には、『やっぱり自分はエマさんには、本当の気持ちを明かしたいと思えるほど重要な存在じゃないんだなぁ……』という慨嘆のようなものだったけれども。
 その日も横にはなったもののエマが帰ってきた様子がないのが気になって眠れず、外で稽古をしながら待っていると、明け方になってようやくエマが戻ってきたのを見つけた。
「エマさん、お帰りなさい! 武闘家たちは仲間になってくれましたか?」
 嬉しくて笑顔で言うと、エマはわずかに眉をひそめてから氷よりも冷たい視線でこちらを見つめ、言った。
「鬱陶しいから二度と待たないでと言わなかったかしら?」
「あ」
「何度も同じことを繰り返させないで」
 冷たく言ってエマは横を通り過ぎ、宿屋へと入っていく。アダルバートはああやっぱり自分は馬鹿だなぁ、エマさんに特別に思われるどころか嫌われたかもしれない、とどっぷり落ち込んで天幕に入っていったのだった。

 カンダタの本拠地、シャンパーニの塔。
 カザーブでは百人ほどの武闘家が加わったが、それも確実に数を減らしていた。アダルバートたちは懸命に戦ったが、それでもやはり生き延びるのが精一杯。エマは以前と同様最小限の回復、手当てのみを行っていた。
 シャンパーニの塔まであと一日。そこまでやってきて、エマは残り五十人程度の冒険者たちを集め、全員に対する作戦説明を行った。
 そして自分たちを含む全員を仰天させた。
「まず、私は一人でカンダタを説得できないか出向いてみようと思います」
 歴戦の冒険者のみならず、自分たちも愕然とした顔を見合わせる。思ってもみない言葉だった。
「エマ殿、正気ですか! カンダタは討伐の対象、悪逆無残な大盗賊なのですぞ!?」
「はい。けれど、私たちと同じ、言葉持つ人間です。ならばただ憎しみ争うのではなく、まず互いに共存共栄の道を探してみるのが人としてあるべき姿ではないでしょうか」
「しかし……危険です!」
「わかっています。ですが私にも敵から逃げてくる程度の力はあります。逃げることさえできればみなさんがなんとかしてくださる。そう信じているからこそ、こうしてみようと思ったんです」
『…………』
「みなさん、どうか。私を信じ、私を助けてくださいませんか?」
 うつむき加減の顔から、すっとこちらを見上げる。その頼りなげで、けれど凛とした眼差し。アダルバートはぞくりと背筋が震えるのを感じた。彼女はいつもひどく儚げだが、それでもひどく強い人だということを心に叩き込まれた気がした。
 あの眼差しを、こちらの魂を見据えるような眼差しを、自分が守れるというのなら自分の体など百回殺されてもかまわない。
「……わかりました。エマ殿のお心を重んじましょう。ですが、何人か護衛をお連れください」
「カンダタは女一人の方が警戒心を解いてくれると思うのですが……」
 エマがいつものように小首を傾げて言うと、冒険者たちのリーダー格となっているカザーブ道場師範代の壮年男性は首を振った。
「かさにかかって襲い掛かってくる可能性もございます。無頼者というのは女を舐めてかかるもの。話を聞かせるにはある程度の武力も必要かと」
「…………」
 エマは静かにうつむいて、数秒してから顔を上げうなずいた。
「わかりました。護衛の方の人選は、私に任せていただけますか?」
「は。誰になさるおつもりですか?」
「アダルバート・ヴァーノンさん。エジーディオさん。ジャスパー・ディーリアスさんの三人です」
「は?」
 ざわり、と冒険者たちの中心人物たちがざわめいた。誰のことだかわからなかったらしい。
 アダルバートも正直しばらく誰のことだかわからなかった。まったく予想していなかった名前だからだ。アダルバート? そんな高位冒険者いたっけ?
 数秒して、エジーディオが「俺らかよ」と小さく呻くのを聞き、やっとその名前が自分と繋がり仰天した。
「え……えぇぇぇーっ!?」
 思わず叫ぶと、ぎっと周囲の冒険者たちから睨まれる。それはそうだ、自分たちはまだ宿にもろくに泊まらせてもらえないような下っ端だ。エマを護衛する役には力不足すぎる。
「エマ殿……あの者たちは?」
「彼らが私の言った方たちです」
 エマはにっこりと微笑む。相手の男は顔をしかめた。
「あのような駆け出しを護衛に、とはどういうおつもりで?」
「彼らはアリアハンからずっと私の護衛をしてくださっているのです。気心が知れているので、いざという時どうするか即座に対応してくださると思うので」
「……そう、ですかな?」
「少なくとも、私が逃げようと思う時を見損なうことはないはずです」
「むぅ……」
 中心となっている冒険者たちはごそごそと話し合い、渋い顔をしながらもうなずく。
「わかりました。ですが、くれぐれもお気をつけくださいませ。逃げる時を見誤ることのないように」
「ええ、もちろん」
 エマはたまらなく優雅で、少しだけ頼りなげないつもの笑みを浮かべた。

「無能」
 冒険者たちの姿が見えなくなるや、エマはぼそりと呟いた。エジーディオが顔をしかめ、ジャスパーが唖然とする。アダルバートは言われるだろうとはわかっていたが、それでも唇を噛んだ。
「能力以上のことを要求するつもりはないわ。でも場の空気を読んでそれに合わせるというのは人として最低限の技術でしょう。その程度のこともできないというならあなたたちはいらないわ、邪魔だからとっととアリアハンへ帰りなさい」
「……すいません」
「謝る必要なんてねーよ。おい、てめぇみてーな女狐とこいつを一緒にすんなよ。いきなり言われて驚かれるのが嫌ならあらかじめ話ぐらい通しとけっつーの。そのよく回る頭でそーいう状況になることくらい考えつくんだろー?」
「そう。あなたたち並みの頭じゃその程度のことを要求するのも無理だということ。それは失礼したわね、まさかそこまで低脳な人間が人がましい口を利いていようとは思っていなかったの。今後気をつけることにするわ」
「……っのクソ女ぁぁ……」
 怨ずるように呻くエジーディオを気にせず、エマはどんどんとここからも見えるシャンパーニの塔に向けてすたすたと歩を進める。俺のせいでエジーディオたちまで、とぐっと奥歯を噛み締め、アダルバートは勢いよく頭を下げた。
「すいませんでしたっ、エマさん。俺のしくじりでした。どうか責めは俺一人に! 今後はこのようなことがないよう全神経を傾注しますので、どうかお許しくださいっ!」
「おい、アドル、お前がそんな頭を下げること」
 はぁ、とエマは呆れ果てたというような、わざとエジーディオを怒らせようとしているならきっと絶妙な配分であろうという程度に軽蔑をにじませた吐息をついた。
「今は隠密行動中だということも理解できないの? 本当に無能ね」
「あ」
「……まぁいいわ。おかげでカンダタの手下たちもこちらに気付いてくれたようだし」
「え」
 驚いて周囲を見回すと、遠くから響くような声がかけられた。
『止まれ!』
 慌てて立ち止まる。さっと周囲を見回すが人の気配はない。
 と思った直後、唐突に目の前に数人の男たちが現れた。盗賊風の身なりをしたその男たちは(カンダタの手下なのだろうがこんな人里離れた場所に居を構えているのに垢じみたところがなかった)、後ろの三人が弓を構え、前の一人が短剣を構えるという陣形を組んでいる。
 後ろの一人がひゅっと口笛を吹いた。
「おい、女だぜ! それもえれぇシャンじゃねぇか」
「黙ってろ」
 前の一人が低く言うと、その男は「すんません」と頭を下げて黙った。カンダタの手下たちは意外に統制が取れているらしい。
 エマがすっと前に進み出る。慌てて彼女を守るべくアダルバートも隣に歩み出た。エマはちらりとアダルバートを見て、すぐふいと視線を前にやり澄んだ声で言う。
「私はアリアハンの勇者、エマ・レージェンシーです。あなた方の頭領、カンダタ殿に会わせていただきたいのですが」
「少人数で来たということは、こちらに用があるということか?」
 前の男の言葉に、エマは優雅に、そしてどこか頼りなげに笑みを浮かべうなずいた。
「はい。お話をさせていただきたい、と思いまして」
「……いいだろう。ついてこい」
 男は言い、そしてくるりとこちらに背を向けた。

「ほぉう。あんたがオルテガの娘の勇者ちゃんか」
 ムキムキの筋肉を丸出しにして、身につけているのはビキニパンツと覆面マスクだけという変態的な服装でカンダタと名乗った男は笑った。
「えぇ、そうです。まだ若輩ではありますが」
 にっこりとエマは笑む。アダルバートは内心ひやひやしながらその横顔を見つめた。そんな可愛らしい顔をしたらカンダタが変な気を起こすんじゃないかと思えてしょうがない。こんな猥褻物、本当ならエマの視界に入れたくないのに。
「で? 俺に話ってなぁ、なんだ」
「私と共に、魔王を倒す旅に加わっていただけないかと、思いまして」
「は」
 一瞬絶句して、それからカンダタとその配下たちは爆笑した。エジーディオがふん、と鼻を鳴らしジャスパーがおろおろと周囲を見回す。アダルバートはこいつらを仲間に!? と驚きはしたものの、それよりもエマを笑うこの盗賊たちにムッとした。
 だがエマは微笑みを浮かべたまま言った。
「噂に名高いカンダタ盗賊団のみなさんのお力を借りることができれば、魔王征伐の大きな戦力になると考えまして。ロマリア王から金の冠を取り戻すよう依頼されたのをよい契機として、みなさんと縁を結びたく思ったのですが、いかがでしょう?」
「おいおいおいおい嬢ちゃんよぉ、わかってんのかい? 俺らは盗賊団なんだぜぇ、盗賊団。義賊団じゃねぇんだぜ? なんで俺らが世のため人のために魔王征伐なんざしなきゃなんねぇんだよ?」
「あなた方のような強い力を持つ方々なら、きっと私たちを助けてくださると思ったのですが……違うでしょうか?」
 わずかに小首を傾げて、にこり、と優雅で儚げないつもの笑み。ざわり、と盗賊たちがざわめき、カンダタは一瞬言葉に詰まった。
 だがすぐにふん、と憎たらしく鼻を鳴らした。
「ふん、そこまで言うなら聞くが。俺の部屋に来て一晩過ごせるか? 一緒にヤマ踏もうってんなら、そのくらいは信用してくれるよなぁ?」
「なっ!」
 アダルバートは反射的に飛び上がりかける。だがエマは、くす、とまるでカンダタが面白いことでも言ったように、小鳥のごとく可愛らしい笑い声を立てた。
「もちろん。そんなこと当然でしょう? 私はあなたを信じていますもの、カンダタさん」
「……面白ぇ。じゃあ一緒に来てもらおうか。自分の言葉に責任持つくらいはできるよなぁ? 俺の部屋で朝までしっぽり一晩過ごしてもらおうじゃねぇか」
「な……」
「ええ、喜んで」
 にっこり笑って当然のように言うエマに、アダルバートは一瞬目の前が真っ白になった。
「エマさんっ!」
「大丈夫、心配しないでください。カンダタさんは私にひどいことをするような方ではありません」
「そんな……そんなのわからないじゃないですか! こんな男が……」
 エマと一緒にいたら、絶対にけしからぬことを仕掛けてくるに決まってる。その言葉をエマに言うのがためらわれ、アダルバートはああううと唸った。
「ふん。ならついてくるか?」
「え」
「別に俺はかまわねぇぜ。俺が信用できねぇっつうんなら、一緒にいて勇者ちゃんを守ってやりゃあいいじゃねぇか」
 覆面を歪め笑うカンダタ。アダルバートはきっとその顔を睨んで、うなずいた。
「お願いします。俺も連れていってください、エマさん」
「ですが……」
「いざという時の盾にぐらいなれます! ですから、どうか俺を……」
 少し戸惑ったようにアダルバートとカンダタを見比べていたエマだったが、そう言うと考えるように小首を傾げてうなずいた。アダルバートを見つめ、小さく微笑んでくれることさえする。
「では、お願いします。でも、本当に心配なさることはないと思いますよ」
「いえっ、それでも俺は」
「おい、本当に行くのかよ? ヤバくね?」
 エジーディオが立ち上がって囁いてくる。それにアダルバートも囁きで答えた。
「ヤバいからエマさんと一緒に行くんじゃないか。あんな奴とエマさんを二人っきりになんてさせられない」
「いや、俺はむしろお前の方が危険だと思うんだけど」
「? なに言ってるんだよ、俺は男だぞ、そんな危険なんてあるわけないじゃないか」
 エジーディオはふぅ、とため息をつき、ぐい、と上から耳を引っ張って口を寄せた。
「いた、痛いって!」
「バカ。あの女狐なら貞操の危機ですむけどな、つかそもそもあの女が襲われて大人しくしてるとも思えねぇけど、お前の場合は命の危機があるっつってんだよ」

 エマの前に立ってカンダタの部屋に入ったとたん、ぐおん、と音を立てて斧が打ち下ろされてきた。カンダタが振り向きざまに斧を振るったのだ。
 ぎぎっ! と耳障りな音が周囲に響く。全身で警戒していた甲斐あって、その猛烈な速さと重さの打ち込みをアダルバートは辛うじて銅の剣で受けたのだ。
「ふん、意外だな。あんな間抜けなことを抜かしやがるわりには腕は悪くない」
 にやり、と笑むカンダタに、全力で斧を押し返しながらアダルバートもにやりと笑ってみせる。
「悪いけど、俺も伊達にこの三ヶ月毎日修羅場をくぐってきたわけじゃないんだ」
 そうだ、いつも強い冒険者たちに守られながらも必死に戦ってきたこの三ヶ月。死ぬ気で稽古に打ち込んできたこの三ヶ月。少しは強くなっていなければ、エマを守って死んでいった人たちに申し訳が立たない。
「面白ぇ……楽しませてもらおうかっ!」
 ぎゅん、と再度斧が振るわれる。今度は横薙ぎに。アダルバートは飛び退って避け、その逞しい腕を狙って斬りつけた。
 だがカンダタは素早い身のこなしでそれを避け、普通なら打ち込んだあと腰が流れる大斧をまるで短剣のように軽々と振り回してくる。アダルバートは必死に後退しながらそれを受け流した。
 ぎがっ、ぎぐっ、ぎきっ。銅の剣の錆びた音が部屋の中に響き渡る。負けるもんか、エマさんを守るって言ったんだ、と奥歯を食いしばって剣を奔らせる。
 そしては、と思った。俺のすぐ後ろにいたはずのエマさんはどこへ?
 その隙が命取りになった。がぃん、と音を立ててアダルバートの手の中から剣が吹っ飛ぶ。しまった、と顔面蒼白になったところへカンダタは素早くとどめの斧を振りかぶり――
「そこまで」
 澄んだ、そして氷のように冷たい声の響きに固まった。
「エ……エマ、さん」
 アダルバートは仰天した。エマがいつの間にかカンダタの背後に移動している。
 そしてどこに持っていたのか、短剣をぴたりとカンダタの喉に後ろから突きつけていた。おそらくは銅の剣とは桁違いの鋭いその輝きに、カンダタはごくりと息を呑む。
「案外迂闊なのね、大盗賊カンダタ。私の姿が消えたことにも気付かないなんて。それともよほど私を舐めていたのかしら? どちらにしろ案外使えないのね、あなたって」
「……て、めぇ……」
「こうもあっさりと女に負かされるような男にてめぇ呼ばわりされる筋合いはないわ。別にこのまま喉を切り裂いて殺してあげてもいいのよ?」
 ぐ、と喉にわずかに刃を沈めるエマ。カンダタはぐ、と奥歯を噛み締めたが、すぐには、と笑った。
「殺すなら殺しやがれ。確かに俺はヘマをしたがな、その程度のことで俺を縛れると思ってんじゃねぇぞ」
「ふぅん? 縛られないのが盗賊の誇りだとでも言う気?」
「おぉよ。俺は脅されるのも命令されるのも大っ嫌いなんだよ。ついでに言うなら国だの王だの勇者だのって奴らも嫌いだ。そんな奴らはてめぇのやることが絶対の正義と思い込んでやがる。そんなてめぇらのやり方じゃ救えねぇ奴らがごまんといることに目をつぶってな」
「あなたのやり方なら救えると?」
「少なくともてめぇらよりはマシだ。このクソッタレな世の中の不公平を覆して、無駄に豊かな奴らの懐からなにも持ってねぇ自分たちに持ってくることができるってことを教えてやれる。希望ってもんを最低の生活送ってる奴らに与えてやれるんだ」
「っ……」
 アダルバートは唇を噛んだ。カンダタの主張にも確かに、一抹の正しさはある。アダルバートは見習いとはいえ国家のために働く兵士だったからわかるが、国家の力だけではどうしたって救えない人間がいるのは確かだ。無力な自分に臍を噛んだことも何度もある、けれどカンダタの主張が本当に正しいともアダルバートは言えない。
 言う言葉に迷っているアダルバートをよそに、エマはふ、と笑った。
「な……なにがおかしい」
「しょぼいわね。あなた」
「なっ!」
「少しばかり豊かな人間からはした金を奪う程度で満足なの? 大嫌いな偉ぶった奴らを、その地位から蹴落としてやりたいとは思わない? 国、王、勇者。そいつらから思うさますべてを奪い取ってやれる力がほしいとは思わない?」
「エマ、さん……?」
 彼女はなにを言おうとしているのだろうか。カンダタは言葉に詰まったようだが、それでも必死に言い返した。
「うるせぇっ! じゃあなにか、あんたがそれを与えてくれるとでもいうのか? お偉い勇者さまがお恵みをくださるとでも言うのかよ!」
「まさか。私が与えるのは、ただの機会よ」
「機会……?」
「私はあなたたちを利用したいの。そのためにあなたに今より少し多くの機会をあげる。国家権力の弱みをつかむ機会、力を得る機会、自らの力で世界を変える機会をね。それをどう使うかはあなたたち次第だけれど」
「……なんで、そんな」
「言ったでしょう、私にはあなたたちの力が必要なの。利用したいと思っているの。だからあなたたちにも私を利用させてあげる。もう一度言うけど、与えた機会をどうするかはあなたたち次第。だけど、魔王征伐という仕事にはそれこそ世界を変えられるほどの好機があるわ」
「…………」
 ぐ、とカンダタは黙り込む。アダルバートはなにも言えず、ただ圧倒されて二人を見つめた。
 だが数瞬の沈黙ののち、カンダタは首を振った。
「断る、ということ?」
「……ああ。俺はあんたを信用できねぇ。うまいことを言って俺たちにだけヤバい橋を渡らせようって腹じゃねぇかって思えてしょうがねぇ。信用できねぇ奴と同じヤマを踏むのはごめんだ」
「ふぅん……」
 小さく首を傾げると、するり、と流れるような動きでエマはカンダタの正面に向き直った。喉元には短剣を突きつけたままで。
 そしてぴたり、とカンダタに体を押し付けた。その豊かな胸が圧迫されるほどぴっとりと。カンダタの裸の胸と腹に。
 アダルバートはなにを、と言おうとしたが、それより先にエマがくすり、と笑う。アダルバートは背筋にぞくりと冷たい衝撃が走るのを感じた。エマのその笑み。妖艶、を凝縮したようなぞっとするほど艶麗な笑み。カンダタも思わずといったようにごくりと唾を飲み込んだ。
「じゃあ、私をあなたの女にしたら、私を信用してくれる?」
「……は?」
「私をオルテガの娘の女勇者じゃなくて、ただの女にしてくれる? ……あなたの、手で」
 つぅ、とエマが指を滑らせる。カンダタの腕に。胸に。肩に腹に。その細く柔らかな指先で絵を描くように。まるで誘惑するように、甘く優しく。
 そうじゃない、彼女は実際に誘惑しているんだ、と気付いたのは、またむにり、と胸をカンダタの裸の体に押し付けて、じっと顔を見上げた時だった。並み居る冒険者たちを一瞬で虜にした、あの優雅なのにひどく頼りなげで儚げで、ぞっとするほど艶かしい瞳で。
「……俺の女に、なるってのか」
「私をあなたが、支配してくれるなら。私を勇者から解放して、ただの女にしてくれるなら。私はあなたのために、なんだってするわ」
 ごくりとカンダタが唾を飲み込む。呆然として、頭ががんがんして、心臓が不整脈を起こすほど混乱して、それでも口を開き言葉を発そうとしたアダルバートを、エマは一瞬だけ見た。
 そして絶対零度の眼差しで、くい、と首をしゃくった。
 犬でも追い払うように。鬱陶しいものを追い出すように。出て行け、と言っているのだ。
「エ」
 震える喉を叱咤して声を出そうとしたが、エマが視線をこちらに向けたのはその一瞬だけだった。あとはもはやこちらなど無視して、甘えるようにカンダタに息を吐きかけ顔と体を擦りつける。
 カンダタがまたごくりと唾を飲み込んで、ぐいっとエマの顔を引き寄せた瞬間、アダルバートは後ろを向いて走り出していた。
 部屋の外に出てひたすら走る。エマさん。エマさん。そんな、なんであんな。嘘だ。だってありえない。あんな強い人が、あんな優しい人がなんであんなことを。あんなにきれいなのに。あんなに上品なのに。あんなに、あんなに、あんなに。
 でも自分はあの人が見た目通りの存在じゃないことを知っている。
 がくん、と足から力が抜けた。膝から崩れ落ちた。恐怖すら感じる思考が頭の中に浮かんだ。
 あの人は、ああいうことを、今まで何度もやっていたんじゃないか?
 ばーっと頭の中に情報が回想される。ロマリアでもカザーブでも明け方に戻ってきたエマ。疲れた様子だったエマ。もしあれがロマリア王や武闘家の元締めと枕を交わしてきたからだったら? いやむしろアリアハンからだったんじゃないか? 彼女はいつも高位の冒険者たちに周囲を囲まれてきた。彼らが命を捨ててでもエマに尽くした理由が、彼女に溺れていたからだったら? もしかしたらアリアハンに居住していた頃から、あの人は力持つ男に体を開いてきたんじゃないか? ひょっとしたらアリアハン王ですら――
「……は」
 ぼっ、と。
 体の中に火がついたような気が、した。
「は、は……はは」
 咳き込むように、空気を取り込むように笑声をこぼす。
「は、は、は、ははは」
 体が焼かれる。たまらなく熱い炎で。理性も思考も、すべてが焼け付くような感情に燃やされる。
「はは、ははは、はははは、ははははっ」
 頭を押さえた。ぐしゃぐしゃに頭を引っ掻き回す。熱い、痛みを感じるほど、憎悪を感じるほど、体の中が焼かれるように熱い。
「はははははははっ、ははっ、はははははっ」
 馬鹿だ。俺は、本物の馬鹿だ。死んでしまえばいい。俺なんか消滅してしまえばいい。
 あの人と、一緒に。
「ははははははははははは――――」
 引き攣れるような声でアダルバートは笑う。体を内から漏れる炎で燃やしながら。体を掻き毟りながら。自分と、あの人と、あの人に触れたすべての男に対する強烈な憎悪のせいで。
 そしてこの期に及んで一番悔しいのが、『自分はあの人に力ある男だと認めてもらえなかった』ということなのが一番愚かしい。アダルバートはそう、涙を流すほど笑いながら思った。

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