戦いの専門家
 すぱっ、という音がこちらまで聞こえてくるほどきれいに、ラグナは鋼の剣でずっぱりとホイミスライムを斬り裂いた。そしてそのまま返す刀でさまよう鎧を一刀両断にする。
 ホイミスライムは見た目も触感も水袋のように見えるのに、粘度が高く刃物で斬るのは至難の業だ。さまよう鎧はそもそも総身が金属の鎧だ、一刀両断するなど普通に考えてできるわけがない。
 だがラグナは当然のようにあっさりずっぱりと断ち割り、斬り裂く。なんの変哲もない鋼の剣で。つまりそれは、それほどまでにラグナの膂力と技術がすさまじいという証明だ。
 クトルは魔物たちの群れを一手に引き受けるラグナへと向かい駆ける。その後ろから一応走りながらも、マラメはたぶん自分たちが到着する前に戦闘は終わるだろうとわかっていた。
「三位よ、響け=v
 アシュタが短く、どこの言葉だかさっぱりわからない不思議な響きの呪文を唱える。とたんラグナに襲い掛かろうとしていた魔物たちは全部吹っ飛んだ。これまでに何度も敵を根こそぎ殲滅してきた、アシュタのイオラだ。
 ラグナは周囲を軽く見回してからすっと腰の鞘に剣を収めた。それからクトルの方を向き、呼びかける。
「クトル。無事か」
 その言葉に、クトルは(クトルも自分同様襲いかかってきた魔物の群れに一撃も攻撃を加えていないにもかかわらず)ごくあっさりと、いつもの平然とした表情でうなずいてみせる。
「うん。ラグナは?」
「俺は、問題ない」
「そっか」
 うなずいて、クトルはくるりとこちらの方を向く。
「マラメは?」
「……平気に決まってんじゃん。全然戦ってないんだから傷なんてつくわけないだろ」
「まぁ、そうだけど。アシュタは?」
「はい、問題ありません」
 アシュタは穏やかにうなずいてから、ちろりとこちらの方を見る。軽蔑と嫌悪をあからさまに表した、蔑みの感情に満ちた視線で。
 マラメはぐ、と奥歯を噛み締める。そんなの、別に、今に始まったことじゃ、ないけど。

 アリアハンを出発して一ヶ月。誘いの洞窟を踏破してロマリアまでやってきてはいたものの、自分たちパーティははっきり言って少しもこなれるというか、お互いに馴れ親しむということがなかった。
 クトルはこだわりなく普通に話しかけてくるけれど、それは最初からだし。ラグナはクトル以外には全然話しかけないし、クトル以外に話しかけられても無愛想な言葉一言二言で終わらせてしまうし。アシュタは――あれはもう問題外だ。どこのお嬢様だか知らないけど、クトルと、一応認めているらしいラグナ以外の人間全員をあからさまに侮蔑している。
 そんな中で、自分は一人、なんとか空気を和ませようと孤軍奮闘しているのだが、成果らしいものはない。
 別にみんな仲良くしてくんなきゃイヤ〜だなんて勘違いなことを言う気はない。ただ実際問題として、パーティメンバー間の仲が悪いというか友好的関係が結ばれていない状態はどう考えてもまずいのだ。
 共に旅をして共に戦わねばならない以上、仲良しこよしとはいかずとも、互いが互いを味方として認識できていないというのはまずい。意思の疎通にも問題が起こるし仲違いの因子を孕むことになる。それがお互いに――特に弱者である自分に、どれだけの害をもたらすか、自分はよく知っているのだから。
 というわけなのでマラメは一人懸命に会話を成立させようと時に笑顔で時に怒り顔で時には嘘泣きまでして頑張ったのだが、駄目だった。どーにもうまくいかない。これまで人間社会を生き延びてきたマラメの関係構築術を用いても、パーティ間の雰囲気はギスギスしたままで固定だ(というかギスギスしていると感じているのも腹の立つことに自分だけらしいのだが)。
 それはもちろんラグナやアシュタの性格もあるのだろうけれども、やはり一番の理由は、自分たちに協力してなにかを成す必要が全然ない、というせいなのではないだろうか。少なくともここまではクトルにどうやって旅をするかという目標があったので話し合う必要もなかったし、それぞれそれなりに旅慣れているせいで自分で自分の面倒は見れてしまったし。
 なにより、魔物との戦いが、まともな戦いになっていないのだ。ラグナとアシュタのせいで。
 せいでというか、おかげというか、とにかくラグナとアシュタはどうやらこれまでに山ほどの戦闘経験を積んできた戦いの専門家らしく、魔物を倒す手際、技術、というより根本的な地力そのものが自分たちとは桁違いなようなのだ。
 どんな魔物が出てこようともラグナは即座に反応してすぱすぱ魔物を斬り捨て、アシュタは数語の呪文で魔物をすべて吹き飛ばす。マラメとクトルがなにかをする暇もなく。
 自分たちはただ見てるだけ。お互いなにも話さず関わらず、それぞれ勝手に旅を続けるだけ。そんなのじゃ、パーティになんてなれるわけがない。このままじゃこの旅は絶対途中で頓挫する。そんなのはごめんだ――
 と悩んでいたところだったので、王都ロマリアに入るやロマリア王家に呼ばれ依頼されたカンダタという盗賊退治に、マラメはこれだ! と拳を握り締めた。

「あのぉ、すいません、国王陛下。私のような子供が口出しをしちゃいけないって、わかってるんですけどぉ」
 謁見の間、玉座から命を下したロマリア王に、おずおずとした表情で、甘ったれた声で、全力で男に媚びまくった仕草で進み出て声をかける。顔をしかめてこちらを見やったロマリア王が目を瞠るのを認め、よし、いける! と拳を握り締めた。どうやら自分の顔と雰囲気は王家の人間にも通用するらしい。嬉しくはないが、今の状況では有用だ。
「あの、盗賊征伐ということですけれどぉ、それって期限とかあるんですかぁ? もし急がなくちゃならないんでしたらぁ、私あんまり早く歩けないのでぇ、困っちゃうなぁって思ったんですけどぉ」
 上目遣いで問うと、ロマリア王は何度か咳払いしてから威厳ある口調を作って答える。
「期限はない。これはロマリアから勇者に出した試練であり、冒険者に対して依頼するような仕事ではないのだ。アリアハンの認めた勇者が、ロマリアに認められずとも満足できるというならば試練から逃げ出しても咎めはしない。……むろん、勇者と名乗る人間ならばそのようなことはあるまいと思っておるが」
「えぇ〜、でもぉ、それじゃあぁ、陛下や王族の皆様方がぁ、困られるんじゃあぁ? 王冠がなかったらぁ、儀式の時とかいろいろぉ、大変なんじゃないですかぁ?」
「カンダタの盗んだ王冠は余の十代近く前の王が権勢に任せて作った代物にすぎぬ。ロマリア初代からの真の由緒と権威を持つ王冠とは違うのでな」
「そうなんですかぁ〜、ほっとしちゃいましたぁ〜」
 うるるんと瞳を潤ませながら安堵の表情を作ってみせる。当然、心の中では『どこまで本当だか。まーそーいうことにしとけばロマリアの一応の面目は立つんだろーけど。どーせいらんもんを勇者への試練って名目で他国の人間こき使って取り戻してやろうってことなんだろーなー、奪還のための軍事費も削れるし』などと冷徹に呟いているが。
「あれ? でもぉ〜、そうなったらぁ〜、頑張っても私たちご褒美くれないんですかぁ? そうだったらぁ、私、すっごく悲しいな〜」
「いや。試練を果たし勇者と認めてもいいだけの力を持っていると証明してくれるのならば、ロマリアもそなたらに力を貸そう。魔王を倒すためにな。場合によっては宝物庫の宝のいくぶんかを下賜してもよい」
 どこまでも上から目線でやんのけっまー地位のある人間なんてみんなそんなもんだけど、と心の中で罵りつつも、マラメはぱぁっと笑顔を浮かべてみせる。ここからが交渉の本番だ。
「よかったぁ。じゃあ、私頑張っちゃいますぅ。えっとえっとぉ、勇者と認められるぐらい私たちが強い、って証明すればいいんですよねぇ? そうだ、もし私と勇者さまだけでカンダタを倒したら、勇者って言われるくらい強い……って証になりますよねぇ?」
 明るい笑顔で、心の中では冷たく計算しながらぽんっと両手を叩いてそう告げると、周囲――ロマリア王やらその周囲の衛兵やらおそらくは秘書官やら小姓やらであろう貴族やら、そして自分の背後でひざまずいているアシュタやらはざわめいた。ロマリア王が目を見開き、少しばかり慌てた顔で言う。
「いや、待て、商人の娘よ。なにもそのような制限をつけることはないであろう。そなたらがカンダタを征伐し、王冠を我々のところへ持ち帰ってくれればそれで充分に」
「え? でもぉ、これって勇者に出した試練なんですよねぇ? だったらそのくらいじゃないと勇者の力の証明にならないんじゃないですかぁ? 仲間の力で征伐が成功したって、意味ないですしぃ」
 むぐ、とつまるロマリア王。本音を言えばそんなもんどーでもいいからとっとと王冠取ってこいと言いたいところなのだろうが、これほどの人数の前で『これは仕事の依頼ではなく勇者に対する試練である』と言い切ってしまった以上それは言えない。マラメは内心ほくそ笑みながらあくまで顔は全力で媚び媚びにかわいこぶりつつ続ける。
「それにぃ……私、今このパーティ内ですごく立場がないんですぅ。みなさんすごくつよーいですからぁ、私みたいに大した特技のない商人なんてぇ、邪魔者扱いする人もいるみたいでぇ……」
 すんすん、と軽く泣き真似までやってみせると、ロマリア王はわずかに心を動かされたような顔をした。よし! と内心拳を握り締めつつ、お願いですあなただけが頼りなんです、というような顔で両手を胸の前で握り締め目を潤ませて言ってやる。
「お願いですぅ、陛下ぁ。私、子供ですけど頑張りますからぁ……私と勇者さまだけでカンダタ倒したらぁ、勇者さまを勇者って認めてぇ、私を勇者さまのパーティの一員、って認めてくださいませんかぁ?」
 うるるるん、と瞳を潤ませながらの媚び媚びな姿勢で待つこと数十秒。さすがにロマリアという大国の王をやっているだけありこの流れをぶった切るのは容易ではないと思ったのだろう、わずかに咳払いをしてからロマリア王はうなずく。
「まぁ、よかろう。……ただし、無理はするでないぞ」
「うわぁ、ありがとうございますぅっ! 陛下って、本当にお優しいんですねぇっ」
「むほ、いや、王たる者として当然の」
「あっ、こういうお話をしたら、公文書としてきちんと残しておかなきゃいけないんですよねぇ? 確か……御璽、でしたっけ? そういうののついたっ」
「……むむぅ」

「どういうつもりですか」
「どういうつもりって?」
 城から街へ戻り、宿屋に取った部屋に入るや怒りに冷たく顔を猛らせつつ言ったアシュタに、マラメはふんと鼻を鳴らしてベッドに座りながら返してやる。
「とぼけないでください。ロマリア国王になぜあのような話を持ちかけたのですか?」
「話聞いてなかったわけ? そのくらいじゃないと勇者の力の証明にならないって言わなかった?」
「馬鹿馬鹿しい! そんな理屈が通るものですか、そもそもこのような国に勇者として認められる必要がどこにあるというのです! 王冠の奪還のようなくだらぬ仕事に時間を取られるなど百害あって一利な」
「へー、ほんっとーに一利もないって思ってんの? ロマリアはユーレリアン大陸の北西部から中央部にかけてを支配する大帝国だよ? そんな国の後ろ盾を得ると得ないとじゃ、これからの活動にどんだけ差があるか、ほんっとーにわかんないわけ?」
 厭味ったらしくそう言ってやると、アシュタは一瞬ぐ、と言葉に詰まったものの、すぐに勢いよくまくしたてる。
「ならばなぜその仕事をクトルとあなただけでやるなどと言ったのですか! たわ言を言うのもいい加減になさい! そんななんの必然性もない、無駄もはなはだしいことを」
「必然性ならあるよ? 僕らのレベル上げ」
「……レベル上げ?」
 小さく目を瞬かせるアシュタに、マラメは涼しい笑顔で言ってやる。
「あれ? レベル上げってどういうもんかって知らない? 職業の、そしてその人間自身の強さの指標であるレベルが上がるように手を尽くして特訓することを」
「そ、そんなことは知っています! だから、なぜそんなことをしなくてはならないのですかっ」
「わっかんないの? 本当に? へー、そーなんだー、わかんないんだー」
「っ……あなたにそのような口を利かれる覚えはありません! わざわざ大騒ぎをしてやるほどの理由が、本当にあるというのでしょうね!?」
「あるに決まってんじゃない。ていうかね、君たちに少しもそういうつもりがないってことがむしろ驚きだよ」
「なっ」
 くってかかろうとするアシュタの鼻先にびしり、と指を突きつけて。
「勇者のパーティとして、魔王を倒そうとするからには、もちろん魔王を倒せるだけの策も必要だけど、全員が、少なくとも魔王と相対することがあっても瞬殺されない程度は強くなくちゃなんない。そんくらいのことはわかるでしょ」
「な……と、当然です! ですからあなたのようななんの力もない人間がこのパーティにいることが」
「まーだ言ってんのそんなこと。君のつもりはともかくね、俺はパーティに正式に加入してるし抜ける気もない。だったら魔王と戦うまでに強くなれるよう周りが援護するのは当然でしょーが」
「なにを、偉そうにっ」
「少なくともそんくらいのことも考えようとしない奴よりは偉いつもりだけど? これまで君たち……アシュタとラグナってさ、先陣切ってさくさく敵全滅させてくれてたけど、こっちを戦いに慣れさせようとか強くさせようとかいう気全然なかったでしょ? だっから俺がこーいう形でその機会を提示してやってんじゃない」
「っ……」
「そーいうわけだからこれからカンダタ倒すまではラグナとアシュタは俺たちが強くなるための支援に徹してよね。ロマリア王のお墨付きがあるんだから嫌とは言わせないよ。文句ないよね?」
 顎を逸らして高慢そうにそう言ってやると、扉の脇に立っていたラグナはちらりとクトルの方を向いた。自分の向かい側のベッドに腰掛けたクトルがわずかに首を傾げ、こくん、とうなずいたのを確認してから、小さくうなずいて答える。
「ない」
「……アシュタは?」
「……っ。クトル、あなたがいいと言うなら私に反対はできませんが……やはりこのような輩の跳梁を許しておくべきではないと思います。今からでもこれを放逐して」
「なんで?」
「っ、これはあなたの旅の予定を自分の都合で好き勝手に書き換えたのですよ!?」
「でも、言ってることもやってることも別に間違ってないでしょ? 僕もそろそろ旅にも慣れてきたしレベル上げしたいなー、とは思ってたし、ロマリアと誼を通じるための仕事でそれができるなら一挙両得だし」
「ですが!」
「ま、実行する前に、相談くらいはしてほしかったけどね」
 くる、とこちらの方を向きじっと瞳を見つめて言ってくるクトルに、マラメはう、と言葉に詰まる。そんな台詞をかわせないほどウブなわけはないが、その静かな瞳には、マラメの反論を封じる妙な迫力があった。
「わ……わかった、よ。これからはちゃんと、前もって相談する……」
「うん。みんなにちゃんと謝って」
「ご……ごめんなさい……」
「よし」
 頭を下げるマラメにこっくりとうなずくクトル。アシュタがふんっと勝ち誇ったように鼻を鳴らすのは気に食わなかったが、こんなところで反論しても意味がないことはわかっている。
 本当に、なんでいつもこうなるんだろう、とマラメはぶつぶつと呟く。別に言葉や表情に威圧感があるというわけでもないのに、クトルがなにかを真剣に言うと、マラメはなぜか逆らえないような気分になってしまうのだ。

 そして、レベル上げの日々は始まった。
「……っ、ふっ!」
 全力で鉄の槍を突き入れて、マラメはキラービーの頭をようやく引きちぎることができた。ぜ、は、と荒く息をつく。マラメは力が大して強いわけでもないしこの旅に出るまで武器を持ったこともなかった。なので戦闘行為という代物については慣れないことはなはだしい。が。
「っ……ん!」
 どぉっ、とばかりに襲い来るアニマルゾンビを、必死に振り払い薙ぎ払おうとする。だがアニマルゾンビはそのとんでもない力で一気に自分を押し倒し、は、は、と荒い息を吐きつけてくる。あちらこちらが腐れ溶け、内臓があらわになっているアニマルゾンビの息は、もう脳味噌が麻痺しそうになるほど臭かったが、気絶なんてしたら即座に食い殺される、と必死に体中の力を込めて押し返した。
 そう、慣れていようがいまいが旅に出た以上魔物はどかどか襲ってくるのだ。生き延びるためにはなんとしても、そいつらを倒すだけの力を身につけなければならない。それ以外自分に生きる道はないのだ。
「――ふっ」
 ふいに声と共にざご、という音がした、と思うやアニマルゾンビは見る間に消えていく。魔物は死ねば瞬時に無に還る。つまりこれは。
「大丈夫?」
 そう言って手を伸ばす、勇者クトルがアニマルゾンビを倒してくれたということで。
「……大丈夫。ありがと」
 ここで意地を張ってもしょうがないので素直に手を握って立ち上がる。見た目からは想像もできないほどの力で自分を立ち上がらせてくれたクトルは、周囲の様子を確認してからうんとうなずき、マラメの方を向いて言った。
「じゃあ、行こうか」
「……うん」
 うなずいてクトルの左後ろを歩き始める。クトルが右利きなので、そうした方がいいとラグナに指示を受けたのだ。
 でも実際、クトルがこんなに強いとは予想外だったな、と思いながらひりひりずきずきと痛む足を叱咤して歩き続ける。見た目なら自分とほとんど背丈は変わらないわ顔も体も子供っぽいわで強そうになんてとても見えないのに、クトルは相当に強い戦士だった。剣だけでもこの辺の魔物ならば五分以上に戦えるし、さらに呪文もかなりに使えるというのだから若いながらも『勇者』という称号を与えられるだけのことはある、と言っていいだろう。
 そしてそれにラグナもアシュタも少しも驚いた様子を見せないのにも驚いた。彼らにしてみればクトルの能力は既に周知のことだったらしい。
 というか、そもそもマラメは、ラグナやアシュタのことについてなにも知らない。過去も、氏素性も、なぜ勇者の旅に同行しようとしたのかも。性格はだいたい読めるようになったが。
 突然現れて唐突に同行を申し出たラグナにも、同じように現れて同行を申し出た(そして一度断られた)アシュタにも、おそらくはクトルについてなにがしかの事情を抱えているのは察せられる。が、それを話す気が向こうに全然ない。
 さりげなく聞いてみてもラグナは「別に……」とか一言愛想のかけらもない顔で呟いたきりだったし、アシュタはきっぱり「あなたなどに話すつもりはありません」とか言ってきたし。アシュタはなにやらラグナとクトルの関係についても知っているのは確かなのだが、それを話すつもりが全然ないらしい。
 クトルにそれとなく訊ねたところ、クトルの方では彼らは間違いなく初対面だし、彼らの氏素性についてもまったく知るところはないそうなのだが(マラメの読むところ、その答えには嘘はないと思った)。
 クトル。オルテガの息子の、魔王バラモスを倒すべく旅立った勇者。
 こいつもよくわかんない奴なんだよな、とマラメは黒い後頭部を眺めながら考える。年のわりには幼い子供のような口調。穏やかで柔らかい、育ちのよさを感じさせる言動。(最近知ったことだが)年に似合わないほどの剣術と呪文の腕前、戦いに際しての度胸のよさ。そして奇妙に感じるほどの、しっかりと据わった性根。
 マラメは自分をほとんどの大人と比べてもいろんな人間を見てきている方だと思っているが、それでもこんな奴は見たことがなかった。子供のような顔、大人のような落ち着き。それならばまだ何人も知っている、だがクトルの性根というか、芯のところは、そういうものとはなにか違うものを感じるのだ。
 ラグナのような得体のしれない人間をあっさり受け容れてしまうところもそのひとつ。アシュタのような一度仲間に入れるのを断った人間と、仲間に入れてからはまったくこだわりなく接するところもそのひとつ。……自分のような力のない者を、本当に当然のように仲間として扱うところもそのひとつ。
 器が大きい、というのとは少し違う気がする。クトルの瞳は、普通の人間とはなにか違うところを見ているような気がするのだ。欲がないとか、そういうのに似てなくはないけれど違って、世界が、命が、人生が、自分たちの見るようなものとは少し違って見えているような――
「マラメ」
「へっ!?」
「また囲まれたみたい」
「……そっか。了解」
 鉄の槍をぎゅっと握る。体が魔物に食いつかれ引き裂かれた時の痛みを思い出して震える。鉄の前掛けやらなにやらいろいろ装備してはいるけれど、魔物の牙はその隙間をぬって、時には貫いて自分の体を壊す。もう何度も頭を割られたり、腕を引きちぎられかけたり、腹から内臓がはみ出そうになったことまであった。嫌だ怖い逃げ出したい、これまでの人生で苦労はいろいろしてきたけれどただの幼い商人でしかなかったマラメの心身はそう叫んで怯える。
 ――けれど、そんなものは奥歯を噛み締めて蹴り飛ばす。
 自分にはここしかないのだ。ここでなんとかやっていくしかないのだ。このやり方が一番いいと頭を振り絞って決めたのだ。だったら歯を食いしばって、なんとかやり通すしかない。やると決めたことから逃げ出すなんてことをしたらどれだけ周囲の、そして自分の信用を失うか、マラメはよく知っているのだから。
 ざ、と素早くクトルと背中合わせになる。何度も一緒に戦って、お互い邪魔にならずかつどちらかに危機が迫った時には素早く助けに入れるやり方は身についてきた。
「マラメ」
「……なに?」
「ありがとね」
「……なにが?」
「一緒に戦ってくれて」
「……は? 戦ってくれてもなにもこれ言い出したの俺なんだから戦うに決まってんじゃん」
「うん。でも、ありがとう」
「……はぁ。まぁ、いいけど」
「あのさ、マラメ。僕、マラメのこと、すごく好きだよ」
「はっ!?」
 思わず振り向くと、クトルもちらりとこちらを振り向き、にこりと子供っぽい笑みを残して魔物の気配のする方へと走り去ってしまう。なんなんだもーっ、と思いながらもマラメは重い鉄の前掛けを揺らしながら走った。
 顔がちょっぴり熱いような気がするのは、気にしないことに決めた。決めたったら決めた。

「っあっ!」
 ばしっ、と鼻を木製の鞘で痛烈に叩かれて、マラメはずってんどうとひっくり返る。が、ラグナはそんなことなど気にした様子もなく同時に襲ってきたクトルをぱんぱんぱん、と急所を軽く突いて止めてみせた。
 なんか絶対待遇に差がある気がする、と思いながらも痛みを堪えて必死に立ち上がる――そこにいつもの嫌味な声がかかった。
「まったく。自分からレベル上げをすると言っておきながらその体たらくとは。よく恥を感じずにいられるものです。もう稽古を始めて一ヶ月になるというのにその進歩のなさときたら、本当に」
「……そーいうこと言うなら少しは稽古に貢献してからにしたらー」
 ふん、と痛む鼻を鳴らしてみせてやると、いつも通りに声をかけてきたアシュタは怒りの形相になる。
「あなたとクトルの怪我を治しているのは誰だと思っているのです! 本来なら我々にこのような稽古など必要ないのに、あなたのような足手まといがいるせいでっ」
「へー、なんで必要ないのさ。クトルだって今のまんま魔王倒せるとか思ってないよねぇ?」
 クトルに話を振ってやると、ラグナとなにやら話をしていたクトルは目をぱちぱちさせてからうなずいた。
「うん。ていうか、言い合いが終わったなら早く稽古再開させようよ。時間もったいないし」
「っ……」
「……君ってそーいう奴だよね」
 は、とため息をついて再び鉄の槍を構える。稽古であろうともこちらは本身を使ってかまわない、とラグナが言ったのだ。
 レベル上げのやり方にはいろいろあるが、自分たちは実戦と稽古を繰り返す、という最も当たり前なやり方でやることに決めた。魔物を引き寄せる匂いを出す香草を使って移動中に魔物との実戦を繰り返し、早めに寝床を作って型から始まる実戦的な稽古をする。
 ラグナとアシュタは移動中は少し離れた場所から自分たちがいよいよ危なくなった時にだけ助けに入らせるようにして、稽古の際は指導役となってもらう。そういうことをやりながらもう一月ほどロマリアから北へと進んでいるのだが。
 ラグナの強さというのは、予想していた以上にとんでもなかった。稽古の際ラグナは一度に自分たち二人を相手にしてもらっているのだが、これがもう強いのなんの。二人がかりということなど負担にもならない、同時にかかろうが策略を用いようが数瞬であっさりやられてしまう。はっきり言って目がついていかないのだ、戦闘技術と能力の桁が違いすぎるという感じだった。
 そうして何度も何度もこてんぱんに負かされてはアシュタに回復してもらってまたかかっていく、ということを繰り返す。今日も一日実戦を繰り返して、体中の筋肉がずきずきと痛んでいるのにも関わらず。
 ぐ、と目から涙がこぼれそうになるのを堪える。自分が決めたことなんだ。辛いだのなんだのの泣き言なんて、死んでも抜かすもんか。
 ぎゅっと槍を構えてラグナを睨む。ラグナはいつも通りの淡々とした無表情でこちらを見た。こちらに一片の関心も持たない顔。生きようが死のうがどうでもいいと考えているだろう顔。
 その事実に心臓が一瞬冷えたような気がしたが、無視して「行くぞっ!」と怒鳴った。クトルと打ち合わせた不意討ちの方法、その33辺り。声をかけて機を外す、というやつの一例だ。
 が、ラグナはなぜかその声に、ふ、と口の両端を吊り上げた。
「来い」
 そう言ってす、と剣を構える。え、と一瞬呆気に取られた。俺の声に、ラグナが、笑って、返事をした?
 だがクトルが自分の声に応じてだっと地面を蹴ったので、慌ててマラメも機を合わせて地面を蹴った。
 それでもラグナには通用せずあっさり頭を殴られてまたひっくり返ることになるのだが。

「……よし、っと」
 マラメは装備をきっちり装着して軽く動いて緩み弛みがないか確かめる。クトルが小さく「大丈夫?」と訊ねるのにしっかりとうなずいてから、一緒に走り出す。
 ここは盗賊カンダタの本拠、シャンパーニの塔。自分たちはそこに無事潜入した。
 方法をどうするかについてはいろいろ考えたのだが、作戦自体は単純なものにした方が成功率が高い、ということでトローニャの木馬作戦(なんでもこの作戦が効果を発揮した古戦場から取ったらしい)にした。早い話がカンダタたちの盗賊行為の際近くにいて、一緒に盗まれるのだ。
 カンダタの本拠地の場所はロマリア王たちから情報を得ていたので、周囲の村々で聞き込みをして、だいたいどのくらいの周期でどの辺りに盗みに入るかを予測した。カンダタはだいたい(盗賊のくせにマメなことに)周囲の領主の館を定期的に襲撃しているようだったので、それに乗っからせてもらったのだ。
 義賊を気取っているとはいうが、自分が一人で目の前を逃げ出していたら、まず襲ってくるだろうとマラメは予想した。幸い月齢は満月だし、いまさら一度や二度犯されたところで気にするほどキレイな体でもない。
 そして予想通りに襲ってきた奴をなんとか(怯えた演技をしながら)巧みに誘導して本拠地へと誘拐させたのち、これまたそうなるだろうと予想していた通りに自分や連れ去ってきたであろう女たちに酌をさせて宴会を始めたので、自分は酒と水の中に眠り薬を混ぜたのだ。無味無臭の、一粒飲めば朝までぐっすりという強力なやつを。この手の薬の知識は『あいつ』から仕込まれたので相当に自信がある。
 で、一度他の女たちと一緒に奴隷部屋に帰された頃合を見計らって、カンダタの配下を襲ってその覆面を奪い化けて潜入したクトルが武器を渡しに来てくれたわけだ。
 完全装備を行ったマラメたちは宴会場へと急ぐ。一応全員眠っているとは思うが、薬の効きの悪い奴がいないとも限らない。捕えるにしろ殺すことになるにしろ、急ぐに越したことはなかった。
 宴会場に飛び込む――や、マラメとクトルはごろごろと体を回転させて身をかわした。宴会場に入ったとたん、扉の両脇に潜んでいた男たちが斧を振り下ろしてきたのだ。
 予測していなかったことに舌打ちをしながらも(突然だったので転ぶような形でしかかわせなかった)、素早く立ち上がり体勢を立て直して距離を取る。ちっと舌打ちしてこちらに向き直ったのは、宴会中だったせいか下穿きだけで隆々とした筋肉をあらわにした、なのになぜかまだ覆面を取っていない巨漢と、その周りにはべっていた三人の金色に染めた鎧甲冑をまとった男たち――
「カンダタとその側近……一番厄介なのが残ってたか」
 こちらも舌打ちしてみせると、カンダタは呵呵と大笑してみせる。
「俺たちも薬でやっちまおうとは、見込みが甘ェなお嬢ちゃん。まぁ、俺たちもまさかあんたみてェなお嬢ちゃんがどっかの手のモンとは予想してなかったがな」
「それはまた想像力が貧困なことで」
「違ェねぇ。……他に仲間は何人連れてきてる。このカンダタ様を捕えようってんだ、数十人はいるんだろうが」
「仲間? 別に、僕たちいが」
「言うと思う?」
 クトルの言葉に割り込んで言い放つ。自分たちの後ろに大量の兵がいると思い込んでもらった方が士気が落ちると見込んでのことだ。
 だがカンダタは、そう言ってもくっ、と小さく皮肉っぽい笑みを漏らしただけですませた。
「そりゃそうだ。……しゃあねェ、ここはいっちょ、大盗賊カンダタ様の最後の一花、ぱァッと咲かせてやるとすッかァッ!」
 ぐおん! と空気を斬り裂いて大斧が振るわれる。マラメたちは飛びすさって避けた。同時に鎧甲冑たちが走り、ざっと自分たちを取り囲もうと動いてくるのを必死に走って妨害する。
「鎧に集中攻撃するよ!」
「わかって、るっ!」
 叫ぶと同時にがっと床を蹴って動きを止め、その反動のまま一番真っ先にこちらに突っ込んできた鎧に向けて槍を突き出す。鎧はかわそうとしたがそれよりも早く槍は面頬を弾き飛ばした。そこにすかさずクトルが鋼の剣を振り下ろし、頭を断ち割る。
「っ……」
 ぶしゅぅっと噴き出す血、吹き飛ぶ脳漿、目の前で命を失った人間の虚ろな顔。それに腹の底がねじれ吐き気がこみ上げたが、それを必死に押し潰してさらに走る。人が死ぬところなんて、別に珍しいものじゃない。
 最初の一撃は理想的なまでにうまくやれたが、それからは敵も油断はしなかった。重い鎧甲冑の強みを活かし守り重視の慎重な隊列で、巧みにこちらを分断しようとしてくる。そしてそいつらがこちらの攻撃を防いでいる間に。
「ッおおぉォおッ!」
「っく!」
「クトルっ!」
 ごぉんっ、と鎧甲冑すら一刀両断できそうな勢いで振り下ろされる大斧に、クトルは鎖帷子ごと左肩を斬り裂かれ吹き飛ばされた。血が噴き出し、盾を持っていた腕がだらん、と垂れ下がる。
 これだ。このカンダタの一撃。大振りの、隙だらけの一撃だがその分威力は桁違い。その弱味と強みをよくわかっているのだろう、配下の鎧甲冑たちはこちらの攻撃をきっちり防ぎつつカンダタの攻撃の時はその軌道からは瞬時に身を引く技術を心得ている。
 マラメはさっと身を引き、クトルのところまで退がった。なんとか血止めだけでもしておかなければ。
「待ってて、今薬草を」
「そんな暇はないよ。それよりマラメも攻撃して。――薙ぎ払いからのあれをやる」
「え、って」
「頼んだよ!」
 言ってだっとクトルは走り出す。マラメは「えっ……ああもうっ!」と苛立ちを込めて叫んでから駆け出した。その行為の是非はともかく、実戦では一瞬の判断の遅れが死に繋がると、今ではマラメもよく知っている。
「はぁっ!」
 左腕をだらん、と垂らしたまま勢いよくクトルは鎧甲冑に斬りかかる。鎧甲冑は盾で巧みにその攻撃を防ぎ、しゅばっと剣で左側からクトルを斬ろうとする――が、それより早くマラメが「でえぇいっ!」と叫びながら槍でクトルの前の空間を薙ぎ払った。たまらず鎧甲冑たちは数歩後方へと退く。
 だがそれは当然一時避難にしかならない、なにより体力を使うので多用はできない。それをよく知っているのだろう、鎧甲冑たちは余裕をもって隊列を整え、カンダタが大きく大斧を振り上げたのに従ってさっと身をかわし――
 だんっと驚異的な速さで踏み込んできたクトルに驚いたように身をこわばらせた。
 それはそうだろう、この距離はすでに近接戦闘の距離だ。武闘家のように格闘を仕掛ける者の間合い。そんな距離に自分たちよりもはるかに小さい、右手の剣も持て余しそうな少年が突っ込んでくるとは普通は思わない。直後、鋼の剣で突撃を仕掛けようとしているのかと気付き、下腹部の鎧の継ぎ目を盾で防ぐ。
 が、それはむしろ、クトルにとっての狙い通りだった。クトルは相手が防御に回ったその隙に、体が触れ合いそうになるほど接近し、すっと手を伸ばし、面頬の空気穴に密着させて数語の言葉を呟く。
「我、炎熱を請願す=v
『――――!』
 ぼふっ、という奇妙な音が立ち、クトルに触れられた鎧ががっくりとその場に倒れ伏す。おそらくは体の中までクトルのギラで焼き尽くされて死んだのだろう。あの鎧は魔法に対する防御力が高そうだったが、中に直接放たれればむしろ密閉された空間の中に呪文を収束させ威力を増す結果にしかならない。
 これがクトルの勇者の技のひとつ、『剣の間合いで呪文が使える』という能力。どうやって身につけたのかは知らないが、普通の魔法使いや僧侶と異なり数語で完成する呪文、瞬時に完全に練り上げられる呪文に必要な集中、それは『剣術や体術と組み合わさった呪文』という驚くべきものを技術化できる。
 つまり、『弱点に至近距離から放たれることで効果を桁違いに上げた呪文』というのはクトルの十八番なのだ。
「ッ、めェッ!」
 ぶおん! とクトルに向けて憤怒の叫びと共に振り下ろされた大斧を、クトルは冷静にかわす。軌道を予想していたのだろう、その動きに淀みはなかった。
「やっ!」
 その隙をついて、回り込んでいたマラメはもう一人の鎧の顔に向け槍を繰り出す。狙いは当たり、呆然としていた鎧の顔の空気穴を塞いでいた蝶番を砕くことができた。
 ひ、と一瞬怯む鎧。すっと走る体勢に移るクトル。そこに「させるかッ!」と叫んでカンダタが大斧を振り下ろしてきた。
 だがその威力と速さは小振り、かわすのも容易。クトルとマラメは機をずらしながら攻撃し、カンダタの体に傷をつけた。
「小賢しいんだよッ!」
 しかし、カンダタの動きは止まらない。自分たちのつけた傷など歯牙にもかけず、ぶおんと横殴りに斧を振るう。――それは予測していなかったのだろう、クトルは胸を斬り裂かれ、吹き飛ぶようにして倒れた。
「く……クトルっ!」
「フン」
 覆面を歪めて笑い、カンダタは顎をしゃくる。止めをさせ、という意味だったのだろう、鎧が大回りでクトルの方へと走った。
「で。どうするお嬢ちゃん。女子供を殺んのァ趣味じゃねェからな、ここで降伏するってんなら命だけは助けてやるぜ?」
 勝ち誇った笑い。強者の笑い。これまでに何度も見てきた笑い。
 命だけ、というのは本当に命だけ≠ネのだろう。今まで同様に自分を好き放題に弄ぶつもりなのだろう。別にいまさらだ。慣れている。取り乱すほどのことじゃない。命を奪われることと比べればそんなの別に――
 だけど。
「慣れてようが……」
「あァん?」
 カンダタが顔を近づけてくる。鎧が剣を振り上げる。その瞬間、マラメは腹の底からの声で叫んだ。
「慣れてようが、全然平気なんかじゃないんだよバカヤロ――――っ=I」
『っ!?』
 マラメの声と同時に、空気が歪んだ。ばぁん! と耳が痛くなるほどの爆音。それに一瞬敵が麻痺した間にマラメは走った。
 カンダタと鎧をかわし、クトルを背負い(体にずっしりと重みがかかったが必死に足腰を叱咤して)だっとばかりに逃げ出す。
「てめェ……っ、待ちやがれッ!」
 カンダタと鎧は追ってくる。それでもマラメは必死に逃げる。なんとかして早くクトルを安全なところへ置いて、手当をしなくっちゃ。
「……、………」
「クトルっ……もうちょっと頑張ってっ、もうちょっとだからっ」
「……ラメ。に……げ」
「逃げるわけないでしょいまさらっ君人のこと馬鹿にしてんの!?」
 涙声になりながら必死に叫ぶ。親切にしてくれた人を見殺しにして命の安全を買う。そんなのも初めてってわけじゃない、何度も何度も同じことをしてきた、いまさらだ、だけど。
 それが嫌だと思ったから、自分はクトルと一緒に行くと決めたのだ。そして、クトルは、そんな自分に。
『一緒に行こう』と、言ってくれたのだから。
「………、………」
 クトルがわずかに笑ったように見えた、と思うやぽう、とわずかに傷口が光る。クトルが傷を治そうとしてるんだ、と知ったマラメは、一瞬の逡巡ののちクトルを降ろして傷口に腰の小袋から素早く取り出した薬草の粉を振りかけた。きちんと軟膏にして塗りつけるとか煎じ薬にして飲むとかより効果は落ちるが、これでもちゃんと傷は治る。
 そしてばっと振り返り槍を構える。カンダタたちは間近にまで追いついてきていたが、油断なくこちらと間合いを取り声をかけてきた。
「お嬢ちゃん。あんた、何者だ?」
「……なにが」
「さっきのは魔法使いの使うイオだろ。槍振り回すような奴にそんな呪文が使えるってのも妙な話だが、それもありえねェこっちゃねェ。が、俺たちの喋るような普通の言葉で、ただの喚き声としか聞こえない言葉で、呪文を発動させるなんざ普通ねェだろ。そっちの剣振り回しながら呪文使うガキといい、普通じゃねェぜ」
「……あんたには関係ないだろ」
「話す気なし、か。まァいい。生かして売り飛ばすか殺すか、気絶させてからゆっくり考えるとすッか」
 ぐい、と無造作に大斧を振り上げるカンダタ。マラメは槍を構えながら歯を噛み締める。来るなら来い、なにを使おうが、ずっと忌み嫌っていた『あいつ』の力を使おうが、絶対に絶対に生き延びてやる!
 と、きっとカンダタを睨みつけた瞬間、カンダタは横っ飛びに逃げた。
「え」
「ッ! てめェッ……!」
 間合いを取って自分の後ろにいた人影を睨みつけるカンダタ。剣に引っかかった鎧の首(もちろん中身が入っている)を無造作に払い捨て、滑るように速くこちらに近付いてくるのは鉄の鎧を身に着けた、ぎりぎりまで引き絞られた体躯の黒髪の男――
「ラグナ!?」
「ああ」
 答えつつラグナはすっとクトルに手をかざし呪文を唱える。聞いたことのない、不思議な響きの呪文。それが響くやクトルの体の傷はみるみるうちに癒されていった。
「……ラグナ、呪文、使えたの?」
「ああ」
 答えながらずかずかと今度はカンダタへと歩み寄る。カンダタはチッ、と舌打ちし、ばっと身を翻して巨体からは信じられない速度で逃げ出した。
 じゃっ、とラグナは即座に腰に束ねてあった短刀を投げつけたが、カンダタはわずかに身をかわし、ぎりぎりで急所を外したのだろう、ぐっさりと刀を突き立てられながらも走り続けて窓から外へと逃げ出した。ラグナはそれでも追う気配を見せたが、わずかに光が見えたので姿勢を戻す。キメラの翼を使われたことを察したのだろう。
 跡も見つからないほど傷を癒されたクトルはひょこん、と立ち上がるとラグナに向き直り、にこっと笑いかけた。
「助けに来てくれたんだね。ラグナ、ありがとう」
「……ああ」
「あ、そっか、助けに来るもなにもラグナたちはずっと俺たちのこと見守ってくれてたんだよね。助かった。本当にありがとう。ほら、マラメも」
「あ……う、うん。あの、ありがとう……助かった」
「……ああ」
「まったく。これだからこのようなことはやめておけと言ったのです」
 いつの間にやってきたのか、つかつかと床を踏み鳴らしながらアシュタがこちらに近付いてくる。
「自分たちだけでやれるようなことを言っておきながら結局ラグナの手を借りて。ならば最初から私たちに任せておけば何十倍も早く目的を達せられたものを。身の程知らずもいい加減になさい、あなたなどには真の強者になることは無理だと、まだわからないのですか」
「……っ」
 腕が、胸が、頭がさぁっと冷えかぁっと熱くなる。悔しい、悔しい、悔しい。言い負かしてやりたいけれどこの状況ではなにも言い返せない――
「……まぁ。ここまで持ち込んだことには、一応努力を認めても、よいですが」
「え」
 思わず見上げると、アシュタはカッと顔を赤くしてこちらに指を突きつけながら喚き散らす。
「言っておきますが、一応ですからね!? 今は努力に免じて一応我々と共に旅をすることを認めてあげますが、一応です! 少しでも怠ければ即座に首が飛ぶと思いなさい!」
「……っ……なにそれ。認めたなら認めたって言えばぁ? 素直じゃない女は嫌われるよぉ?」
「だ、黙りなさいっ! あなたなどに私のことをどうこう言われる筋合いは」
「っ……とにもう。はは……ははっ」
「な、なにがおかしいのですかっ」
「あはははは」
「く……クトルっ! あなたまでっ。ラグナっ、あなたもなにをにやついているのですかっ」
「いや」
 マラメは泣きそうになるのを必死に堪えて笑った。だってこれはもう笑うしかないだろう。頑張って、認められるために頑張って、必死に努力して仲間を守って、もう危ないっていう時に仲間が、ラグナが助けに来てくれて、あのアシュタが、こっちのことをゴミムシのように思っていたアシュタが曲がりなりにもこちらを認めてくれるなんて。これはもう。
 すごく、嬉しい。
 笑うこちらを憤激の眼差しで見つめていたアシュタは、ふいにあ、と口を開いてクトルに訊ねる。
「そういえば、先ほどなにか奇妙な魔力を感じたような気がしたのですが、クトルは気がつきませんでしたか? 人のものとも魔族のものともつかぬ、奇怪な印象の力だったのですが」
「っ……」
 一瞬、マラメの呼吸は止まった。
「え、そう? 僕は別に気がつかなかったけど。ねぇ、マラメ?」
 だが、クトルがいつものような顔と声でそう言って首を傾げてくれたので。
「俺も別に。ていうか、魔力がどうこうなんて俺に聞いたってしょうがないだろ?」
 そう、肩をすくめてみせることができたのだ。

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