神に仕える者
 ざくっ、と素早くロゼッタは大烏を斬り捨てた。スライムよりは強いとはいえ、魔物の中でも最弱の部類に属する相手だ、物心ついた頃から過酷な訓練を受けてきたロゼッタには肩慣らしにもならない。
 仲間たちの方を振り返る。気配でわかってはいたが、仲間たちも当然のように魔物たちを倒していた。モーニングスターを軽々と振り回し集まっている魔物どもを蹴散らすダク、素早くドラゴンテイルで敵を斬り裂くロット。さすがにルイーダの酒場で、ひいてはアリアハンで随一の強者と言わしめただけのことはある。
 出遅れたのが悔しいのか、ティスが顔を赤くしてぶるぶる震えていたが、ロゼッタは放置した。自分が――ただの刃がなにか言葉をかけたところで意味があるわけでもない。
「終わったようね。行きましょう」
「おおロゼッタ、悪いが少し待ってくれ」
 ダクは笑顔でそう言うと、目を閉じ拳を胸に当てなにやら呟きだした。ロゼッタはわずかに眉を寄せる。ダクの行為の意味がわからない。
「ふん、魔物を自分の手で倒しておきながら祈りを捧げるか? これだから僧侶というやつは、どいつもこいつも偽善者だというんだ」
 ティスが憎憎しげに言ったので、ロゼッタはああ、あの低く重厚な声は祈りの聖句だったのか、と理解した。教会に行ったことのないロゼッタにはまるで馴染みのない響き。けれど妙に体温が静かになる音だと思った。
 祈りを終えたダクは、ティスににやりと笑ってみせた。
「少なくとも無駄な悪口を叩くよりはマシな口の使い方だろう?」
「な……っ!」
 ティスはさっと顔を赤くしてダクを睨む。ロットが小さく叱責した。
「ダク」
 ダクはわっはっはと笑う。ダクの笑い声はいつも、不思議なほどに明るく大きい。
「ま、偽善だろうが気休めだろうが、それでひとつでも安らかになる心があればかまわんのさ。人とは違う魔物の命であろうとも、慈悲をかけたそのこと自体が人を幸せにし、救う。まさに神の愛というわけだな、わっはっは」
「――私には理解できないわ」
 すっぱりと言ってロゼッタはダクに背を向けた。ティスが「ふん!」と嬉しげに鼻を鳴らしてこちらを追ってくる。ダクとロットもこちらを追ってきていた。どんな表情をしているかは、見る気もしない。彼女にとってはまるでどうでもいいことだった。
 ロゼッタは神などどうでもいい。信仰心など理解できない。教養として聖典は読まされたが、その中で高らかに謳っていることすべてが意味のないものに思えた。
 神はこの世のすべてを見守ってくださっていると聖典は謳う。だが神が誰かを救ったという話はまるで聞かない。それどころか世界が魔族に支配されようとしているこの状況下でもなにか益のある行動を取ったなどとは噂ですら聞いたことがない。
 たまたま知り合った僧侶に聞いてみたことがある。神はなにをしてくれるのかと。
 僧侶はかしこまって答えた。神は我々を救ってくださるのです。
 彼女は質問を重ねた。神が苦しんでいる人々を実際に救ったという話は聞いたことがない。なぜあなたはそんなに自信を持ってそんなことが言えるのか? それがただの妄信でないという証はあるのか?
 僧侶はわずかに動揺しながらも答えた。神の御心はあまりに深く、我々に理解できようはずもありません。おそらく我々自身に自らの力で成長することを望んでいらっしゃるのでしょう。
 つまり神は具体的にはなにもしてくれないということか? いいえ、いいえ。神は我々すべてを心から愛してくださります。それだけで人は救われるのです。神の教えは人の心を救ってくださるのです。
 その答えに、ロゼッタは告げた。
「では、神というものは私にはまるで意味のないものね」
 僧侶はなんと畏れ多いことを、と青くなったがロゼッタは前言を翻しはしなかった。神も、神の教えも、信仰心も、ロゼッタにとってはまるで意味も価値もない、どうでもいいものだ。
 心しか救ってくれない存在が、ただの刃にとって、意味も価値も持つはずがない。

「……さて、飯も食ったし」
 旅に出て初めての夜、ロットの作った料理を食べ終えたロゼッタに向かい(ちなみに相当においしい料理だとロゼッタは判断した)、ダクはぽんぽんとあぐらをかいた膝を叩いてにっこり笑い言った。
「おいで、ロゼッタ」
「は?」
「な……きさ……貴様ぁぁっ! ロゼッタ殿になにをするつもりだぁぁっ!」
「決まっておるだろう? 神の教えを説くのだ。まだまだ夜は寒いからな、わしの膝の上で毛布とわしの逞し〜い体に包まれながらしっぽりと神の教えを」
「その内容のどこに神の教えがあるーっ!」
「……私には、神の教えなんて必要ないわ」
 きっぱりと言うと、ティスは喜びをあらわにし、ロットは苦笑し、ダクはなぜかわっはっはと愉快そうに笑った。
「まぁそう言うな、ロゼッタ。神の教えというのはまことに深く尊いものだぞ。聖典を一度や二度読んだところで理解したと思うのは早計というものだ」
「神というのは心を救うものなのでしょう? 私にはまるで意味のないものだわ」
 あの時問いを投げかけた僧侶は青くなったその言葉に、ダクはくすり、とおかしそうに笑う。まるでロゼッタが面白いことでも言ったかのように、軽く、楽しげな笑みだった。
「なぜそう思う。人ならば誰しも心を持つ。まだ教えを聞いてもいないのに意味がないと言い切るのは早計ではないのか?」
「そういう問題ではないわ」
「ほう。ではどんな問題だ?」
「私には心なんて必要ないものだからよ」
 ダクの顔から離れない笑みにかすかな苛立ちを感じながらロゼッタは言い切る。自分の心が苛立ちを感じたこと自体にロゼッタは苛立った。そんなもの、ただの刃には必要がないのに。
 ダクはわっはっは、と笑う。
「心は必要のあるなしで考えられるものではないな。持とうとして持てるものでもなければ捨てようとして捨てられるものでもない。ただ、そこに在る≠烽フだ」
「……私には心が在る≠ニでも?」
「ないとでも?」
「…………」
 問い返されてロゼッタは言葉に詰まった。ただの刃に、なぜこの男はこんな風に言うのだろう。殺気すら込めて、冷気に満ちた言葉を投げつけているのに。こうすれば今までの相手は誰も黙ってこちらの言うことを聞いたのに。
 なんで、こいつはこんな風に言えるのだろう。この男を知りたい。この男の中を知りたかった。この男の中には、なにが詰まっているのか。自分よりも強いこの男は、いったいなにを考えているのか。
 だから、ロゼッタはすたすた、とダクに歩み寄り、その足の上にすとんと腰を下ろした。
「ろっろっロゼッタ殿ぉぉっ!!?」
 ティスが騒いでいる。ロットが肩をすくめる。そんなことはロゼッタには関係のないことだったので無視をした。
 じっとダクを見つめると、ダクはふ、と優しく笑ってひょいとロゼッタの体を毛布で包み込んだ。そしてぽんぽん、と頭を叩いた。
 そしてじっとこちらの瞳をのぞき込み、静かな声で言ってくる。
「むかーし、むかし。おじいさんとおばあさんがおりました」
 ロゼッタはわずかに眉をしかめた。神の教えとやらを説くのではないのか? これはなんだ。物語、か?
「おじいさんとおばあさんはとても仲よしで、二人は幸せに過ごしておりました」
 なんでそんなものを自分に聞かせるのだ。意味などないのに。そんなものを聞いたところで、ただの刃には物語を鑑賞する能力などあるわけがないのに。
「けれど、ただひとつだけ悲しいことがありました。二人の間には子供がなかったのです」
 ほら、実際にこんなことを聞いたってなにも感じない。ただ毛布と、ダクの体温の温かさと、後頭部から背中を撫で下ろすダクの逞しい手の力強さ、ゆったりとしたダクの声の優しさ柔らかさをなんとなく知るだけ。
「そこで二人は、ルビスさまにお願いをすることにしました。森の奥の神殿に、何度も何度も、毎日毎日、百度繰り返したよりも多く祈りを捧げました。そして、ある日二人は一人の赤ん坊を拾ったのです」
 でもなぜだろう、話の内容に興味なんてないのに、この声は、この温もりは撫で下ろす感触は、ひどく、不思議なくらい心地よい。なんだろうこれは、温かくて、落ち着いて、体と意識がほんわりとぬくもり互いの境目があいまいになっていく。
「その男の子の赤ん坊を二人は自分の子として育てることにしました。おじいさんとおばあさんは名前をアレルと名付け……」
 馬鹿な、なんで、警戒対象が目の前にいるのに、自分はこんなことで揺るがされるような存在では。そう思いながらもどんどんぼやけていく意識を目覚めさせることはできず、ロゼッタはことっと眠りに落ちた。

 目が覚めた時、ロゼッタは自分が誰かに抱かれていることに気付き素早く飛び起きた。ほとんど反射的に腰の短剣を瞬時に抜き、相手の喉元に突きつける。
 だが、抱いていた相手――ダクは驚いた風もなく、ふああ、とあくびをして身を起こし、短剣を突きつけているロゼッタの頭をぽんぽんと叩いた。
「朝が早いな、ロゼッタ。わしも職業上かなり朝は早い方なのだが」
「…………」
 ロゼッタはどう反応するべきかわからず困惑した。こいつがなにを考えているのかさっぱりわからない。短剣を突きつけられて敵意をぶつけられて、それでもどうしてこんなに平然としていられるのだ。
「さて、それでは朝飯の準備をするとするか。ロットは朝が弱くてな、朝はわしの担当なのだ。手伝ってくれるか、ロゼッタ?」
「………なんで」
「ん?」
 にこりと笑いかけてくるダクに、ロゼッタは困惑し混乱した。こいつは本当に、なにを考えているのだろう。なんで自分にこんな、人間に対してするように話しかけるのだろう。勇者として、刃としてではなく、ただの仲間のように、少女のように。
「あなたは、なにを考えているの」
 耐えきれず疑問をぶつけた。この言葉に対する反応で少しでもダクの本性を見定めるつもりだった。
 だが、ダクはわっはっはと楽しげに笑ってみせる。
「なに、大したことは考えておらんよ。神のことと、今日一日をいかに楽しく過ごすかということ。そして貴女のこととかな」
「私の?」
「そう。貴女に今日はどう神のご意思を伝えようか、とかな」
 ロゼッタは眉間に皺を寄せた。そんなことが聞きたかったわけではない。
「私には神の教えは必要ないと」
「おや? 昨日はよく眠れなかったか? 気持ちよさそうに寝ていたと思ったが」
「は?」
 意味がわからない。眉を寄せるロゼッタに、ダクはわっはっはと笑って言う。
「なんだ、気付かなかったのか? せっかく神の教えをたっぷり説いてやったというのに」
「……は?」
「なぁに、別に難しいことではない。なんならもう一度教えを伝授してさしあげよう。ほれ、ぎゅー」
「っ」
 ロゼッタが短剣を持っているにもかかわらず、ダクは無造作にロゼッタとの間を詰めた。そして、ロゼッタをぎゅっと抱きしめる。
 ロゼッタは数瞬絶句して動きを止めた。反射的に持っている短剣を突き刺しそうになり、ぐっと腕に力を込めて止める。
 なんだ、なんで、なにをするんだ、なんでこんなことを。体が震える。わけがわからなくない。ダクの触れたところから痺れるような電流が走る。なんでこんな。
 混乱するロゼッタの耳元で、ダクは低い声を柔らかに落ち着かせて囁く。
「気持ちいいだろう?」
「……これと神の教えとどういう関係があるの」
「なにを言っている、これこそが神の教えよ。まぁ神の教えの基本1、というところだな」
「は」
 思わず顔を見上げると、ダクが驚くほど優しい顔で微笑んでいるのが見えてしまう。ロゼッタは固まった。なぜ、自分をそんな顔で見る?
「難しい話ではない、と言っただろう? 神の教えは愛の教え。愛の基本はこうして相手をぎゅっとして、体温を伝えてやることだ。親子も兄弟も友も恋人も、な」
「愛……?」
「そして昨夜は寝物語に神の教えのおまけをつけたというわけだ」
「神の教えって、あれは、物語でしょう」
「ああ、どこにでもあるお伽話さ。だが神の教えは、御心はそういったどこにでもある人の営みの中にこそある。神は人を幸せにするために在るのだからな」
「…………」
 わからない。自分にはわからない。幸せ? そんなもの自分にはまるで関係のないものだ。だって自分は、ただの。
「貴女の体は抱き心地がよかったぞ。おかげでよく眠れた。貴女もよく眠れていたように見えたがな?」
「…………」
 なにか答えなければ、と口を開き、なにも言えずに口を閉じる。そういうことを数度繰り返して、そのうちに体から力が抜けてきて、ロゼッタはダクの体に身を預けた。逞しい体、温かい体温。そっと後頭部と背中を撫で下ろす手。幸せなんてものはわからないけれど、この体に伝わる感触は確かに、ロゼッタを気持ちよくしてくれた。
 ダクはロゼッタをなんでもないようにロゼッタを支え、撫でる。ロゼッタはしばしされるがままになっていた。ティスが起きてきて「なにをやっているのだぁぁっ!!」と騒ぐまで。

 それから、ロゼッタは夜寝るときはいつも、ダクに抱かれながら物語を聞きつつ寝入ることになった。ティスは憤然とした顔をするし、ロットは苦笑するけれど、ただの刃にはそんなこと関係のないことだ。

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