禁忌
 僕の名前はセーヴァ・クランズ。クランズ家の四男の、現在十三歳。現住所はラダトーム郊外の周囲数町に渡って他の家がないようなところにある古い屋敷なので(売りに出されたのを安く買ったらしい)、所番地よりも『クランズのお屋敷』と言った方がラダトームの住人には通りがいい。
 つまり、それで通るくらいクランズ家というのは有名だってこと。別に家柄が古いわけでもなんでもないんだけど、当主である母(一応名義上は父さんが当主ってことになってるんだけど、実際には母さんが家を切り回していることは内外の人間誰でも知っている)がもう二十年以上にわたりラダトーム王国宰相を務めていることと(ラダトーム王国史上最年少で宰相になり、最も長い間宰相を務めている上、ラダトーム王国のみならずおそらくは世界初の女性宰相というとんでもなさ)――そしてそれ以上に、父が、というか父と母とあと二人が、大魔王ゾーマを倒した勇者ロトのパーティ≠ニして知られているっていうのがでかいんだろう。
 大魔王ゾーマ。世界を闇で包み込んだ恐るべき大魔王。
 そいつがいたのはもう三十年近く前、僕が生まれるよりさらにずっと前なんだから、もうほとんどの人が忘れてるだろうと思えば、さにあらず。世界中を闇に包まれ、魔物にいいように蹂躙されていたって記憶は当時を知る人には未だ生々しく残ってるらしくて、三十代以上の人と話すと、なにかっていえばゾーマ支配時代の話が出る。
 そしてそれを救ってくれた、勇者ロト――っていってもこの称号はゾーマを倒した勇者である(この勇者≠チていうのが、もともと父さんたちのいた世界での、特殊ではあるけれど職業の一種でしかないらしいんだけど)父さんに、ゾーマを倒したあとに授けられたものだから要はあだ名みたいなものなんだけど、今では本名よりもそっちの方が知れ渡っている――に対する畏敬と感謝の気持ちも。父さんも母さんも、二人の仲間たちも、本当にラダトーム中、どころか世界中から尊崇を集める、とんでもなく偉い人たちなんだ。
 でも、少なくとも僕の見てる前じゃ、この二人って、ただのバカップルなんだけど。

「おおうユィーナおはようっ、いつ見てもユィーナは太陽より眩しく輝く俺の天使だなっ! ここはひとつ愛を込めて朝の接吻を」
 ばぎがずがぎどご。顔を合わせるやすさまじい勢いで母さんに迫る父さんを、母さんは使い古した鋼の剣(鞘には納めてある。一応)で四度殴った。普通の人間なら撲殺事件になってるだろうとこだけど、父さんは微塵もこたえた様子がなく(頭から血は出てるけど)爽やかな(だけど、暑苦しい)笑顔でさらに母さんに近寄る。
「ユィーナ、相変わらずお前の愛情表現は天を翔ける春風のように心地いいな……! 今度は俺に愛情表現をさせてくれ、具体的に言うとハグをベーゼをセ」
 どがばぎどごがずげしがご。今度は前より力を込めて殴られた。
「毎朝毎朝言っていますが、朝っぱらから暑苦しい真似をするのはやめてください。私には今日もびっしり仕事が入っているんです、あなたに少しでも四十男としての自覚と理性があるのなら、これから仕事に赴こうという人間の気力と体力と忍耐力を削るような真似はやめていただけませんか」
「俺も毎朝毎朝言っているが、この世の誰より、いいや俺の愛のすべてを未来永劫にわたって注ぎ続けると自然のうちに誓った相手であるユィーナがその美しく優しく神々しくすらある姿を見せてくれているというのに、愛情表現をしないなどということができるわけがないっ! ユィーナ、君は俺の愛、俺の命、俺の夢にして俺の心のすべてを支配する優しき女王だ……」
「妄言をくりかえすのもいい加減にしてください。ただ一人のことしか考えない脳味噌がどれだけ機能を無駄にしているかということの再教育が必要ですか?」
「確かに俺の脳味噌は無駄が多いかもしれん。そして、自分で言うのも口惜しいが、他の奴らのことも少しは入っているかもしれん。しかしそれもすべて君のおかげなんだ、ユィーナ。俺が君を愛しているから、愛することができたからこそ俺は他の奴らに心をかけることができた。こんな俺でも、君が愛するものを、君が大切にしている世界を大切にしようと思うことができるんだ……」
「なっ……」
「ユィーナ。愛してる……この世の誰より。未来永劫……」
 ぐい、と母さんの体を引きよせ顔を近づけていく父さんに、あ、これは今回は父さんの勝ちかな、と思って、僕たち子供たちは揃って食事をしながら目を逸らし、そっちのことなんて見ていませんよ、聞いていませんよという形をつくろった。実際、ホントに毎朝毎朝くりかえされてることなんで、僕たちは全員こういうことがほとんど気にならない、というか気にしてもしょうがない、というある種の悟りを持ち始めている。
 が、僕たち全員が目を逸らしてすぐに、ぶぅんと鋼の剣(鞘入り)が空を切る音がして、がずがすどげどがどごばぎげしがつ、とさっきより思いきり力を込めて人を殴る音がした。僕たちが視線を戻してちらりと母さんの方をうかがうと、母さんは真っ赤な顔をして呼吸を荒げながらも、服を直しつつ赤い肉塊と化した父さんをげしっと踏みつけて早口に言う。
「何度も言っているでしょう、あなたにどういうつもりがあれ、私には私の都合があるのだと。そして今日もびっしり仕事が入っていると。それを無視して自分の感情を押しつけるのはやめなさいと。それが理解できないなら、相応のやり方で対処させていただく、と」
 ふん、と苛立たしげに(でも真っ赤な顔で)肩をすくめてから、母さんはぴしっと指を鳴らした。即座に控えていた使用人たちが(こういう仕事についてる奴らは全員屈強な男たちなんだけど)、何人も食堂に入ってくる。
『お呼びでしょうか、奥様』
「この見境のない物体を懲罰室に入れておいてください。言うまでもないとは思いますが、拘束の際はくれぐれも容赦なく、厳重に」
『は、奥様』
 言って父さんを担いで連れていく。懲罰室というのはうちの家の地下にある……まぁよそで一番近い言葉で言うと拷問部屋なんだけど……父さんが母さんに家で襲いかかった時に、母さんが父さんを首尾よく殴り倒した時はたいていそこに放り込む。別に拷問をするわけじゃなくて動けなくするだけらしいんだけど(でも中にある器具はどう見ても拷問用にしか見えない)、いくら母さんが魔化した強力な拘束用の魔道具でも、父さんが本気になったら脱け出せてしまうので、僕としてはこれも夫婦のコミュニケーションの一環なんだろうと考えている。ていうかそうじゃないと嫌だ。あんなものとかこんなものを実際に使用する人たちが両親とか、考えただけで気分が重くなる。
「……ディーノ。今日の全員の予定を」
「あ、はいっ!」
 長男であるディーノ兄さんは、母さんの宰相としての仕事を手伝う秘書的な役目をしている。といっても、仕事についてのメインの秘書は別にちゃんと(いっぱい)いて、どっちかっていうとウチの人間の予定なんかを把握して母さんに知らせる役目の方が多いんだけど。母さんはそこらへんすごく厳しい人で、『私に秘書として雇われたいならそれだけの能力を見せなさい』っていうんで、政治家になって母さんの跡を継ぎたい、みたいなことを考えているディーノ兄さんは(母さんは『政治家に世襲制を導入するなど愚昧の極みです』とか常々言ってる人なんで難しいんだけど)、そっち関係でできるだけ母さんの仕事を手伝って政治の舞台に立とうとしてるわけ。もちろん大学での勉強もしながらだけど。
「……シェーラは大学にて研究。レジーは軍本部にて訓練と仕事。ヴィダは花嫁学校にて訓練及び見合い予行演習。バチストは学校にて勉強……」
 シェーラ姉さんは長女で、大学で薬学や治癒魔法の研究をしてる、研究や勉強が大好きな人だ。レジー兄さんは次男、頭を使うことが嫌いで高校を卒業するや軍に就職した。父さん直々に剣の訓練を受けただけあって、けっこう将来を有望視されてるみたい。ヴィダ姉さんは次女、お嫁さんになるのが夢なんだそうだけど、母さんが『自分の夫となる人間くらい自分で見つけるのが道理です』とまるで世話をしてくれないので、有志が集まって作ったという花嫁学校に通って婿探しに必死だ。バチスト兄さんはまだ高校生なんだけど――予想通り、バチスト兄さんの名前をディーノ兄さんが呼ぶや、母さんはすっと手を挙げてディーノ兄さんの言葉を止めた。
「なっ……なんだよ、母さん」
「言わずとも知れているはずですが」
 そう言ってバチスト兄さんの顔を見る母さんの表情は絶対零度だ。そりゃーこんな顔で見られりゃフツーの人間は怯えて押し負けちゃうよなー、どんな相手にも自分の意見を通す鬼宰相って言われるのも納得だよなー、ってくらい冷たい。
「べ、別に俺はいっつも学校サボってるわけじゃねーぜ? ただなんていうか、たまたま気が向かなかった時にちょーっと外に遊びに……」
「あなたは中学を卒業する時、高校への進学の意思を示しました。そしてそのための学費は我々が用立てました。つまり、あなたの行為は我々に対する裏切りであるといえます。結束している人間たちを裏切る罪の重さがどれだけのものか、改めて説明が必要ですか?」
「いや、その……だってさぁ!」
「だって≠ネんですか。論旨を明確にした上でお話しなさい。ただし、嘘やごまかしを行った場合、問答無用で懲罰室行きになることをお忘れなく」
「い……っ、だ、だからそのっ!」
「だから?」
「なんつーか、その、なんつーか……」
「なんというか?」
「……っ勇者ロトの子供なのにこんなこともできねーのかとか言ってくる教師がいてムカついたからそいつぶん殴って授業フケました! ごめんなさいっ!」
 顔を真っ赤にしながら言うバチスト兄さんに、母さんは変わらぬ絶対零度の表情のままうなずいて、きっぱり言う。
「親の為したことと子供の行為を引き比べて文句をつける愚か者はどこにでも存在しているものです。そのような輩に暴力で対処することは、彼奴らにこちらを攻撃する口実を与えたようなものです――つまり、明らかにあなたのミスです」
「っ……」
「ですが、情状酌量の余地はありますし、取り返せないミスというわけでもありません。あなたが自らの周囲を快適に保ちたいと思うならば、その教師をなんらかの方法で排除するなり、説得するなりできるでしょう。自らの裁量の範囲内で、思う通りになさい」
「は、はいっ!」
 表情を和らげて(って言っても相変わらずきっつい表情なのには変わらないんだけどさ)そう言う母さんに、バチスト兄さんはほうっと息をついて額の汗を拭った。母さんはやると言ったら本当にやるから、懲罰室行きにされるかもと思うとそうせざるをえなかったんだろう。
 兄弟のうちで一番不良っぽいバチスト兄さんでも、やっぱり母さんには頭が上がらない。なんのかんの問題を起こしても、最後には(その間にちょっと尋常じゃないくらいひどい罰を受けても)フォローされてることを、よくわかってるんだろう。
 まぁ、その理由には、父さんが母さんの怒りを逸らしてくれてるせいもかなりあるんだろうけど。
「……アンジェは学校で勉強ののち剣術道場で訓練。セーヴァは学校で勉強ののち教会で勉強。リフィルは学校で勉強ののち魔術師ギルドで鍛錬。アッシュとラメリエは学問所に向かったのち、友達と遊ぶ。以上です」
 アンジェ姉さんは将来はラダトーム軍の将軍を夢見る戦い大好きな人(実際、腕もいい)。リフィルは生まれつき持ってる魔力の量が高いとかで、暴走の恐れをなくすためにも毎日魔術師ギルドで訓練を受けてる。アッシュはいたずら小僧、ラメリエは大人しいって違いはあるけど、どちらもまだ子供だ。
 で、僕は一応(治療系の魔法の素質があるっぽいっていうんで)教会で勉強するのが日課で、将来は神父になるんじゃないかなー、となんとなく思っているけどまだはっきりとはわからない、普通の中学生だ。
 ディーノ兄さんの報告を聞き終えたのち(そう、うちは十人兄弟なんだ。男、女、男、女で五男五女までいる。本当にどれだけ励んでるんだって話だけど、両親の触れ合いを見るにこれくらいですんで自重してるって言うべきかもしれない)、母さんは「そうですか」とうなずいて僕たち全員を眺め回した。
「言うまでもないことですが、あなた方の人生はあなた方のものです。自己の責任において、自らの望むことを為しなさい。ただし、なにかトラブルが起きた場合は、無駄な見栄を張らずに頼れる相手に相談をするように。私もあなた方の人生に起きたトラブルの解決には、できる限り手を貸しましょう」
『はい』
 母さんの毎朝の重々しい訓示に、僕たちも重々しく返す。実際母さんにふざけた返事とか返すといつも本気で凍りつくんじゃないかってくらいつっめたーい目で睨まれるんで、僕たち子供も自然真面目な態度が常態になっちゃうんだ。
 ――父さんがいなければ、だけど。
「ユィーナ。愛してる」
「なっ………!」
 後ろからいきなり母さんに抱きついてきた父さんに、僕たちは素早くさっと目を逸らす。あんまりまじまじ見ていると、父さんが「貴様ら俺のユィーナの可愛いところを覗き見して許されると思ってるのかようしいい度胸だ我が子たちといえど容赦せん」とか言い出しかねないから(そして母さんに「実の子供に向けてなにを言ってるんですかあなたは!」とボコられる)。
「なにを、急に、突然っ……どこから湧いて出たんですか、懲罰室に向かわせていたはずでしょうっ、第一私はあなたのさっきの行為を許したわけでは……」
「俺にとって君は世界で唯一の愛する人、比翼の片羽、魂の恋人だ。幾千幾万幾億の年月を経ても変わらず愛し続けられると世界中に宣言できる人だ。君もそうだとかつて誓ってくれただろう、むしろその誓いこそが俺をとこしえに支えてくれていると断言できる!」
「だ、だからなにを言ってっ……いいから離しなさいっ! いい年をしてなにを考えてっ……朝っぱらから子供たちの目の前でっ」
「だから俺以外の奴をそんな風に優しい瞳で見つめるのはやめてくれっ、ユィーナっ!」
 間。
「………今、なんと言いました?」
 母さんの絶対零度の視線に気づかず、父さんは駄々っ子のように(もう四十五になるというのに)ばたばたと手足を動かしてねだる。
「たとえ俺と君の愛の結晶だとはいえ、いやそれだからこそそんな風に俺を好きで好きでたまらないという時のような優しい瞳で見つめるのはやめてくれっ! せめて俺といる時は俺を、俺だけを見つめて、俺だけに愛を注いでくれと心から願」
 母さんは最後まで言わせず、父さんの首根っこをひっつかんで窓を開け、ぽいっと外へ(うちの食堂はテラスに面している)向け放り出した(大魔王を倒したパーティの一員という称号は伊達じゃない、父さんのみならず母さんもレベル上げ≠ニかいうものの力で人間外の腕力を持ってるんだ)。そして自分も窓から外に出て、絶対零度の瞳で父さんを見つめ呪文を唱え始めた。
「炎、これなるは力、生動かす源、我と世界が意志をもて――=v
「ユィーナっ、俺をそこまで真剣に見つめてくれるんだな!? 真正面から向かい合ってくれるんだな、俺は心底嬉しいぞマイスイートハート……!」
 俺たちは全員、できるだけ急いでそそくさと朝食を食べ終え、「行ってきまーす!」とそれぞれ同じ方面へ向かう馬車に乗って家を出た。父さんと母さんの夫婦喧嘩の巻き添え喰らったら、普通の人間である僕らはマジで死にかねなかったし、無事でも最後まで夫婦喧嘩を見ていようもんなら、母さんの絶対零度の視線にさらされるか、父さんに絡まれるか、どっちにしろろくなことにならないと兄弟全員よーっくわかっていたからだ。

「……はぁ」
 僕は教会での勉強を終えたのち、聖堂で一人ため息をついていた。うちはラダトームの街から行き帰りするにはけっこう距離があるんで、街の決まった場所で定刻に待ち合わせて出発するうちの馬車を逃すと、自費で乗合馬車を雇って家に戻るか、夕ご飯までに間に合わないのを覚悟でえんえん歩くしかないんだけど、今日はどうにもうちの馬車に戻る気がしなかった。
 なんというか、ほとほと疲れてたんだ。
「うちって……どーしてこうも、フツーじゃないんだろ……」
 父さんは母さんのことしか考えてないわ、その上どんな時でも母さんとラブラブしようと突貫するわ、母さんはそれを容赦なく排除するわ、それでも最終的にはなんのかんのでこっちが砂吐くくらいラブラブだわ。
 もう結婚から二十年以上経って、子供も十人も作って、それでどうしてあんなにバカップルっていうか、いちゃつけるんだろう。子供たち無視して。子供ができたら普通その家族は子供が主役っていうか、子供が夫婦を結びつける鍵になるもんだろうに、父さんと母さんはそんなこととはまったく関係なく新婚というか、恋人同士というか、子供ができる前とまったく変わらないだろう行動をくりかえしている。子供が考えるべきじゃない、禁忌を犯すような真似かもしれないけど、どうしてなんだろうと考えずにはいられなかった。
 人に『なんでうちはこうなんだろう』と相談したこともあるけど、はかばかしい答えが返ってきたことはなかった。たいていの人は『大魔王を倒した勇者ロトの家族ともなればそのくらい違って当然』みたいに答えてくるし。
 冗談じゃない、大魔王を倒したパーティの一員でも、ごくごく普通の家庭だってあるのに――などと考えていたところへ、後ろからがばっと突然誰かに抱きつかれた。
「わひゃっ!」
「あーら、なにその悲鳴。こんなきれいなお姉さんに抱きつかれてその態度ってー、そんなんじゃ女にモテないわよ」
「四十八にもなってお姉さんって呼ばせる気か、図々しい。……久しぶりだな、セーヴァ」
 僕は慌てて後ろを振り向き、仰天してから満面の笑顔になって小さく(聖堂の中だから)叫んだ。
「ディラさん! ヴェイルさん!」
「はぁい。おっひさしー」
「私たちもいるわよ」
「久しぶりだな、セーヴァ」
「なに落ち込んでるの? そんな顔するような嫌なことでも、あった?」
 もう中高年と言われる年なのに、相変わらず引き締まった、それなのに豊満というすごい体を大胆に露出させた黒髪の女性、ディラさん。落ち着いた穏やかな表情の、ほとんどの人に好感を抱かれるだろう物腰の銀髪中年紳士、ヴェイルさん。彼ら二人の間にできた、まだ二十歳なのに色気たっぷりの金髪女性(でも実はディラさんの道場で黒帯をもらってるらしい)ジリエラ、まだ十七なのに父親そっくりの大人っぽい物腰を備えた茶髪の男性クロード、銀髪をすごくややこしい形に結ってる可愛らしい(そして風貌相応におしゃまな)女の子サイファ。彼ら彼女らは、僕ら一家にとってすごく縁の深い人だった。
 というか、僕らの両親とディラさんヴェイルさんが同じパーティで、一緒に大魔王を倒したんだそうで。だからこの人たちは、父さん母さん同様アレフガルドでは英雄扱いなんだけど、普段は上の世界――父さんと母さんの生まれた世界に住んでるんで、こっちにはたまにしか来ない。っていうか、そもそもこっちと上の世界の間の扉は本来閉ざされてるらしくって、普通の人間は行き交いすることができないんだけど、神の試練を受けた資格ある者とその血を受け継ぐ者――要するに、大魔王を倒したパーティの四人とその子供たちなら通れるんだそうだ。一度に四人っていう制限があるんで、こっちに来る時はヴェイルさんが行ったり来たりすることになるらしいんだけど(ヴェイルさんは元賢者というほとんどの呪文を使えるようになる職に就いてたんだそうだ。じゃあ今は? と訊ねても、余裕の笑みであしらわれるだけで教えてくれないんだけど)。
 でも、たまにしか来ないって言っても、うちが子供産まれる時にも、レーディネス家(ディラさんたち一家)に子供が産まれる時にも、世界を越えて手伝いに行くくらい親しかったらしいし(僕とサイファが同い年なんで、僕には母さんがお産の時にこういう人たち来てたかも? ぐらいの記憶しかないんだけど)、お互いの家に遊びに行く時には家を挙げて歓迎するのが当たり前なくらいには今も距離は近い(母さんがいつもすごく忙しいからほとんど向こうがこっちに来る形だけど)。僕としても、サイファたちは時々しか会えないけど親しい幼馴染だったし、ディラさんもヴェイルさんも身近な、普通に尊敬できる(うちの両親それぞれ違う意味で普通じゃないから)大人っていう風に思っている。
「今日はどうしたんですか? まだ太陽復活記念祭でも、パーティ結成記念日でもありませんよね?」
 一家が揃ってこっちに来るという日はそれくらいだったから驚きつつも訊ねると、ディラさんはにやーと奇妙な笑みを浮かべ、ヴェイルさんは苦笑して肩をすくめてみせた。
「そーよねー。普通ならわざわざ全員でこっちに来る必要なんてない日なんだけどぉー」
「……今日はたまたま全員午後に時間が取れてな。たまにはいいだろってことになったのさ」
「そうなんですか……」
「……ちょっとぉー、あんたなに娘甘やかしてんのよー。女ってのは試練与えないと成長しないのよ?」
「……試練もなにもな、まだ育てる必要があるかどうかもわからん段階だろうが。そんな時に横からなんやかややってもな……」
「? ディラさん、ヴェイルさん、どうかし」
「ねぇ、セーヴァ。なんだかあなた、さっきすごく悩んでたみたいだったけど。なにか困ったことでもあったの?」
 ジリエラに笑顔で割って入られ、僕は問いかけるのをやめて少し考えた。実際、誰かに相談したいな、とは思ってたんだ。
「……父さんと母さんには、内緒にしてくれる? ディラさんと、ヴェイルさんも」
「もちろん」
「りょーかい」
「……俺は、正直約束はできないがな。親としては、子供が処理しきれないトラブルを抱え込んでるのを放っておきたくはないし、知らされもしないというのはそれ以上に嬉しくない」
「いや、なんていうか、つまんない悩みなんですけど……母さんたちには、あんまり知られたくないなって」
「……わかった。まぁ、とりあえず話してみろよ」
 めいめいが僕の周りの椅子に腰かける。ヴェイルさんは僕の隣に座って、優しく笑いかけてくれた。その微笑みに力を得て、僕は思っていたことを話し出す。
 ……や、最後まで話す前にディラさんに噴き出された。
「……ディラ」
「ご、ごめ……や、だってさぁ! ゲットとユィーナの子がこんな可愛いことで悩んでるとかっ……しかも二人とも気づいてないとかっ、なんつーか、えーっていうかおいおいっていうかなーにやってんのよばーかっついたくなるっつーか……!」
 あからさまに爆笑したそうなディラさんに、僕は思わずむっと唇を尖らせて言う。
「僕の悩み……そんなにおかしいですか?」
「や、おかしいっつーか……可愛い、かな」
「かわ……」
「そんくらいのことで悩んでる余裕あんだなー、とか? 悩みの大本にぶつかるんじゃなくて一人で楽しく悩んでられる状態なんだなー、とか? ま、そんな感じ」
「そ、そのくらいって、僕にはけっこう深刻……」
「なぁ、セーヴァ。お前の悩みってさ。つまりは、ゲットさんとユィーナさんのお二人がお互いしか見てないことが不満、っていうことなんだよな?」
 クロードが落ち着いた表情で聞いてくるのに、唇を尖らせたままうなずく。すると、クロードの隣のジリエラがくすくすっと笑って言ってきた。
「それって、私にはつまり、『お父さんとお母さんがボクのことをかまってくれない!』っていう、子供の駄々に聞こえるんだけど。違うかしら?」
「なっ……!」
 僕は真っ赤になって反論しようとしたけど、口はぱくぱく動くだけで効果的な反論をしてはくれない。そこにサイファとディラさんがさらにとどめを加えてきた。
「なっさけないわねー、いい歳して。もう子供じゃないんだから、いい加減親離れしたら?」
「いやいや十三歳って普通に子供でしょ。そーいう可愛いことで悩んでても充分許される歳よ。ま、あと数年しても同じことで悩んでたら後頭部に一発入れるくらいのことはしたくなるけどね」
「…………」
 なにも言えなくなって口を何度もぱくぱくさせたあげくに、うつむく――と、そこに静かな声がした。
「お前ら。そんな風にからかうもんじゃない」
「……お父さん……」
 ヴェイルさんのその発言に、僕は驚いて顔を上げ、ヴェイルさんの方を向く。ヴェイルさんはやっぱり静かで、穏やかな表情で、僕の方を見て柔らかい声で言ってきた。
「セーヴァ。つまり、お前は、両親にとって自分が価値がない――いてもいなくてもどちらでもいい存在なのではないか、ということで悩んでいるんじゃないか?」
「!」
 僕は目を見開いて固まる。そこに、ヴェイルさんは耳に優しい、落ち着いた声で続けた。
「大切な相手に必要とされていないって気持ちは、いくつだろうと嬉しいものじゃないし、慣れるものでもない。それが両親のような、自分の人生の大半を占める相手のことならなおさらな。だからといって相手に『もっと自分を必要としてくれ』と言ったって意味がない。それは相手の気持ちの問題で、こちらがどんなに努力したところで変えられる類のものじゃないんだからな。だったらこっちとしては、せいぜいため息でもつきながらやり過ごすしかない。……そういうことじゃないか、セーヴァ?」
「そ、そうっ、そうですっ……ホントに、すごくそういうのがぴったりくる感じで……」
 すごい、自分でもわかってなかったのになんでこんなにわかってくれるんだろう、と尊敬の眼差しを向けると、ヴェイルさんは苦笑してディラさんは皮肉っぽく笑った。
「ま、かつて通った道だもんねぇ、わかるよねぇ?」
「やかましい。……ま、なんにせよ、他人の悩みがそいつにとってどれだけ重いかなんて、そいつにしかわからないことなんだ。気軽にからかっていいもんじゃない」
 じろり、とたしなめるような視線を送ると、ジリエラもクロードもサイファも、揃って小さくなって頭を下げた。やっぱりヴェイルさんは、うちの父さんとは違って、普通に子供たちにも尊敬されてるんだとちょっと感嘆の目で見てしまう。
「はぁい、ごめんなさぁい」
「セーヴァ、悪かったな」
「……悪かった、わねっ」
「ううん、自分でも情けない悩みだなってのはその通りだと思うし……」
 でも、そう自覚しながらも、どうにも頭から離れない悩みなのにも間違いはないのだけど。
 はぁ、と小さくため息をつくと、ヴェイルさんは眉を寄せ、ジリエラは苦笑し、クロードは考え深げに眉間を叩き、サイファは唇を尖らせ、ディラさんはふむ、と少し面白がるように視線を上に向けた。そして、にやっと笑って、小声で僕たちに囁いてくる。
「ね、セーヴァ。ちょっと、あんたのごりょーしんに悪戯しかける気、ない?」
「へ? い、悪戯、ですか?」
「そっ。ここにいる全員とー、あとできればあんたの兄弟姉妹も引きずり込みたいわね。ま、向こうがうんっつえばだけど」
「……母さん。なにを企んでるんだ?」
 いかにも訝しげなクロードの問いに、ディラさんは笑って「い・い・こ・と♪」なんて答えている。ジリエラは「面白そうね」と笑い、サイファは好奇心に目を閃かせ、ヴェイルさんはやれやれ、と呆れたような顔をしながらも口元は楽しげに笑んでいる――その笑みを見て、気持ちが決まった。
「話、聞かせてもらえますか?」
 母さんに(父さんは悪戯なんてしかけても無視されそうだから)悪戯をしかけるなんて、普段だったら心臓が凍りそうに怖い話なんだけど、なんだか今日は、父さん母さんの仲間たちがそばにいるせいか、やってみたい、と思えてしまったんだ。

「あーっ、ディラさんヴェイルさん! それにジリエラたちも、ひっさしぶりーっ」
「はぁい、おっひさー。アンジェ、あんた少しは腕上げたぁ?」
「あったりまえじゃん、今度あんたとやったら絶対あたしが勝つわよっ」
「お、お久しぶりです……お元気、でしたか?」
「ああ、おかげさまで。久しぶりだな、リフィル」
「はい……クロードさんも、相変わらず……すて、いっいえっなんでもないですっ」
「わーっ、ディラおばさんにヴェイルおじさんも、また年取ったなーっ」
「やっかましいわこのクソガキ。路上でアルゼンチンバックブリーカー決めて泣かすわよ」
「ひゃっ、おっかねーっ」
「お、お、お……おひさし、ぶり、です……」
「ああ、久しぶりだな、ラメリエ。ちゃんと挨拶できてるじゃないか、偉いぞ」
「え、え……えへ……」
 僕たち年少組の待ち合わせる馬車のあるところに向かい、顔合わせをしたのち、僕とレーディネス家の人たちが話を持ちかけると、みんな揃って大騒ぎになった。だけどディラさんが「心配しなくてもユィーナが怒んないよーにあたしがちゃんとなだめてあげるから」と笑ったのと(実際この人がそういうことをしてのけたところをみんな何度も見ている)、ヴェイルさんが「理由を聞けばユィーナもゲットもある程度は納得すると思うぞ」と落ち着いた表情で言ったので(この人が結果的にでも嘘をついたところを誰も見たことがない)、みんな心配したりドキドキしたりしながらも話に乗った。つまりは、みんなそれだけ僕の悩んでいたようなことを、確かめてみたい気持ちがどこかにあったんだろう。
 僕たちの使う馬車は(さすがラダトーム宰相の使う馬車だけあって)実用本位だけどやたらでかい四頭立てで、人数にずいぶん余裕がある。なのでレーディネス家の人たちも一緒に乗ってうちに帰ることができた。
「お帰りなさいませ、みなさま。いらっしゃいませ、ディラさま、ヴェイルさま、ジリエラさま、クロードさま、サイファさま」
 ディラさんたちはもうちゃんと連絡をしてたらしくて、僕たちを出迎えた家宰も驚きもせずディラさんたちも同様に出迎えた。まぁ、うちの家宰はできる男だから(なんでも以前母さんが潰れかけた商会からヘッドハンティングしたらしい)、アポなしで来ても驚いた顔はしなかっただろうけど。
 何人かのメイドたちがディラさんたちの荷物を持ち(ヴェイルさんとかは断って自分で持ってたけど)、部屋に案内する。母さんがこの屋敷を買った理由は、安いのと頑丈なのと無駄な装飾がついてないのと防犯上の理由と、部屋数が多いっていうせいだってくらいなんで、全員一人部屋を使うことができた(ディラさんとヴェイルさんは夫婦だから二人部屋だけど)。ちなみに僕ら兄弟も基本(長期間の罰を受けてるとかじゃなければ)、一人部屋。『子供であろうともプライバシーを守ること、そして自分の面倒は自分で見る心得を持つことは必要です』というのが母さんの主張。だから部屋の掃除は(メイドがいても)全員自分でやらなきゃならない。
 ちなみにうちのメイドは、聞いた話だと、屋敷の規模に比してかなり少ない、らしい。王国の宰相だっていうのに専用の料理人がいない(メイドにさせてる)とか、庭師がいない(メイドが人の通る場所を掃除する以外は放置)なんてのはありえないことらしいんだけど、母さんが『私が屋敷を構えているのはそれが必要だからであって無駄な見栄を張るためではありません。その程度のことでこちらを侮るような相手はこちらも相手をする気はありません、どうとでも扱えます』って主張してるんで、母さんになんやかや言う貴族とかの人たちも黙らされちゃってるんだ(まぁ、そもそもうちにわざわざ貴族の人がやってくること自体少ないんだけど。基本的に母さんって、貴族の既得権益がしがし削って民政に移管してる人だから)。
 それでも、うちの使用人たちは全員、母さんに深い忠誠を捧げてて、かなりきつい仕事だろうに文句を言う気配もない(父さんの方にはどうなのか知らないけど)。母さんに行き場がなかったり、命が危なかったりするところを救われたせいなんだろうけど。母さんが言うには、『信用ができない人間に家政を任せるなど、愚の骨頂です』なんだそうで。
 とにかく僕たちは全員部屋に戻り(相談は馬車の中で済ませておいたんで)、準備を進めた。ディラさんたちが部屋を訪れてはアドバイスをしてくれたんで、かなりできはよかったはず。
 そうこうしているうちに、年長組が帰ってきた。今日は珍しく、ディーノ兄さんとシェーラ姉さん、レジー兄さんも一緒だ。普段はディーノ兄さんは母さん(の秘書)の仕事の使い走り、シェーラ姉さんは研究(研究って忙しい時は本当に寝る間もないらしい。そうでなくても薬草の育ち具合はいつも見てなくちゃならないし)、レジー兄さんは軍の仕事(なにせ軍なわけだから、基本的に休暇のシフト以外は城にカンヅメなんだそうだ。それでもレジー兄さんは近衛隊所属だからまだ休みには家に戻れるけど、地方軍とかになったら任地に行ったっきりになっちゃうんだって)で遅くなったり帰れなくなったりすることが多いんだけど。
「お帰りなさいませ。今日はレーディネス家の方々がおみえになってらっしゃいます」
「レーディネス家のみなさんが……? そんな話はなかったと思うが……」
「今日の午後ふと思い立って来たもんでねー。いちおーこっちに来てから連絡はしたけど。ま、どっちにしろアポなしだったら追い返す、なんて仲じゃないわよねぇ、あたしたち?」
「ちょ、ディラさん、わかってますからっ、追い返したりしませんから離してくださいっ……!」
「珍しいですね、こんなに突然……。もしや、恋する乙女の発作的きまぐれ、というものなのでしょうか?」
「こっ……! べ、別に、っていうか恋する乙女って誰よっ、別にあたしたちはそんなっ」
「ふふ、ごめんなさい。大丈夫よ、教えるようなことは絶対しないから」
「まぁ、んなのどっちでもいいじゃねぇか! ひっさしぶりだよなぁ、みんな! なぁなぁ、ディラさん、ヴェイルさん、あとで稽古つけてくれよっ」
「そうだな……ま、時間があったらな。お前も、少しは腕を上げたみたいだし?」
「おうよ! 今回こそきれいに一本取ってやるからなっ」
「うふふ……でも、本当に久しぶりですわね。お会いできて本当に嬉しいわ……ねぇ、クロードさん? もしかして、クロードさん……恋人でも、おできになってしまったかしら?」
「え、いや、そういうわけではないですが……すいません、ヴィダさん、ちょっと、顔が近っ……!」
「あっ、ごめんなさいっ……久しぶりに素敵な殿方にお会いできて、つい心臓がどきどきしてしまって……うふふ♪」
「……っつか、なにしに来たんだよ、わざわざ。こんな時期に。あんたらのこったから、どーせなんか妙なこと企んでんだろ?」
「あら、失礼ね。そんなに私たちに会うの、嫌だったの、バチスト……?」
「やっ、べ、別に嫌ってわけじゃねーけど……っつか、胸くっつけんなよ、お前はーっ!」
 などと挨拶を交わしたのち、人払いをした応接室で、ディラさんたちは計画を説明した。みんな驚いて、乗り気になるのもいたけど反対するのもいたんだけど(特にディーノ兄さんとか)、ディラさんが真剣な顔で、「あんたの弟が親の愛を確信できなくて道に迷ってんのよ? 兄ちゃん姉ちゃんが一肌脱がなくてどーすんのよ」と説得し、最後には折れた。
 全員集まって改めて相談し合い、夕食を取ってから順番に風呂を使いつつそれぞれの部屋に引き取ってまた準備を始める。道具の準備は街での待ち合わせの前に、僕とディラさんたちがすませておいたし、基本的な偽装工作はヴェイルさんがやってくれることになってたんで、あとは細かいところを詰めればよかった。
 そうこうしているうちに、夜遅くになってから母さんと父さんが帰ってくる。母さんはラダトーム王国宰相なんで毎日遅く帰ってくるし、基本的にその護衛をしている父さん(本当の役職はラダトーム王国立軍特別顧問、っていうもので軍本部に詰めてることが望ましいんだけど、実際の仕事はいざという時に助けになってくれること≠ネんで(実際父さんに軍運営について求められるような助言のストックは存在しない)、母さんの周りにつきまとって護衛をするのは黙認されている)も当然夜は遅い。だから『出迎える必要はありません、先に寝ていなさい』って言われてはいるんだけど、今日ばかりはみんな揃って、ディラさんたちと一緒に母さんたちを出迎えた。
『(お)父さん、(お)母さん、お帰りなさい!』
「よっ、おっひさー」
「……久しぶりだな、二人とも。悪いな、邪魔してるぞ」
「ディラ……!? ヴェイル……!? どうしたのです、ジリエラたちまで一緒に、突然……なにかあったのですか?」
「おう……? 久しぶりだな、お前ら。なにか用でもあるのか、いやたとえ用があろうとも俺とユィーナのラブラブv スイートタイムを邪魔することは断固として許ぐはっぐへっがはっ」
「(父さんに軽くコンボを決めて)ぁーったく、あんたはほんっとにいつ会いに来ても変わってないわね。曲がりなりにも仲間に向かって言う台詞、それ?」
「はは……悪いな、ゲット。別に大した用があったわけじゃないよ、ただ家族でお前ら一家に会いたいなってことになったんで、会いに来ただけだ。こっちの暦じゃ明日が休日だしな。駄目か? 会いに来ちゃ」
「…………………………。別に……駄目……とは、言わんが……な」
「なーにぶすくれてんのよいい歳こいた男がぁっ! 少しは成長しなさいよこの脳天ヌカミソボケ野郎がっ」
「ふふ……ディラ、あなたもそう変わっているようには見えませんよ。とにかく……お久しぶりです。歓待の準備などはなにもありませんが、歓迎させていただきますよ」
「おーっ、あっりがとーっv そいじゃ久々に飲み比べ、いっちゃう?」
「ふん、面白い。今度こそお前をアルコールの海で溺れさせてやる」
「おい。ディラ、人様の家で言う台詞じゃないだろう、それ。飲み屋か、せめて自宅で言え」
「第一うちにはあなたたちが飲み比べを行えるほどのアルコールの貯蔵はありません。せいぜいが寝酒としてたしなむ程度のものですよ」
「ふーん。それってさぁ、あんたも久々に飲みにつきあってくれるってこと?」
「なっ……」
「うっふっふ、うっれしーv あんたと飲めるなんて本気で久々だわー。ゲット、酔って暴走したら即全殺コンボ決めるからね」
「それはこちらの台詞だ。酔ってユィーナに迷惑をかけたり俺たちの愛の営みを邪魔するようなことがあればぐがっぐえっぐおっ」
「はは……悪いな、ゲット、ユィーナ。けど、うちの奴も久々にお前らと飲めるっていうんで喜んでるのは本当なんだ。普段酒を飲まないユィーナには悪いけど……ちょっとでいいから、つきあってくれないか?」
「…………。仕方ない、ですね」
 母さんが珍しく(ホントに。僕たちにそんな顔を見せてくれるのは一年に一度あるかないかってくらいだ)穏やかに微笑んで、うなずく。それをみんなと一緒に見守りつつ、僕は心底感心していた。
 ディラさんもヴェイルさんも、本当にすごい。どうして父さんや母さんに、あんな顔をさせられるんだろう。大魔王を倒した仲間っていうけど、それだけであの&モウんと母さんにあんな普通の人みたいな顔をさせられるもんなんだろうか。それとも、父さんと母さんはもともとはああいう顔を普通にする人たちだったんだろうか?
 どちらにせよ、大魔王を倒すための旅の間にそれだけすごいことがあったってことなんだろうなと思うと、僕はますますディラさんたちを尊敬してしまうのだった。

 それからすぐ僕たちは部屋に戻って寝るように言われ、母さんたちはサロンで軽くお酒を飲みながらお喋りをしていたようだった。サロンの明かりがいつまでも点いていたので、否が応でもそれとわかる。
 そしてサロンの灯が消えて、母さんたちが部屋に戻り、もう寝入っただろう頃から、しばらくして。
 ごうっ、と風が吹き、母さんたちの部屋の窓が開いた。明らかに自然の風ではありえない勢いで(第一ちゃんと留め金が留めてあるんだから)。人為的なものにしろ風を吹かせて窓を開けるなんて普通ならありえないことなのに、父さんと母さんは驚きもせず、さすが大魔王を倒した勇者とそのパーティの一員らしく即座に起き上がって身構える。
 だけど、窓から入ってきたのは、人でも魔物でもなく、紙でできた小さな人形だった。ごうごうと吹く風でばたばたと窓が揺れる中、人形はひどく作り物めいた動きで、そのくせ妙にしゃんと立ちながら父さんと母さんに礼をしてみせる。
「初メテオ目ニカカリマス、らだとーむ王国宰相ゆぃーな・くらんずサマ。私ハサルオ方ヨリ命ヲ受ケ、アナタトノ交渉役ヲ仰セツカリマシタ者デゴザイマス。以後、ドウゾ気軽ニ交渉人トオ呼ビクダサイ」
「……人が寝ているところに押しかけてきて交渉をしかけるとは、常識知らずな人もいたものですね。あなたの言うさるお方というのがどういう方かは存じませんが、まともな交渉をする気もない木偶を交渉人と呼ばせようとは、片腹痛いことこの上ありません」
 母さんはあくまで冷静な、というより冷徹な表情で人形と向き合っている。父さんはその前に立ち、剣を構えていつでも斬りかかれる態勢で待っていた(なんでもこういう時は母さんがいいというまで斬りかかるな(背後にどんな奴がいるかとか交渉で引き出さなくちゃいけないから)ってしっかり躾けてあるんだって)。その二人に向けて、交渉人という人形はくるくるっ、と踊るように回って告げる。
「ナァニ、交渉ト申シマシテモゴク単純ナモノデス。アナタ方ニハ、十人ノオ子様ガイラッシャイマスナ?」
「……それが?」
「ソノオ子様タチノ命ガ惜シケレバ、二人ダケデ屋敷ノ裏ノ丘ニイラシテクダサイ」
『!』
「……つまり、あなたは、我々の子供を誘拐し、その命を害する可能性を示唆することで我々を自由に動かそうというのですね?」
「ソウイウコトニナリマスカナ」
「馬鹿馬鹿しい。そのような方法で交渉を行ったところで、意味がないのがわからないのですか。あなたの命令に従ったところで、子供たちが無事に返される保証がどこにもないのですから、交渉のテーブルにつきようがありません」
「ソウオッシャルナラソレデコチラトシテハカマイマセンヨ。命令ニ従エナイトオッシャルナラバ、アナタ方ノゴ子息ヲ二度ト甦レヌヨウニ細切レニシテ豚ニ喰ワセルマデ」
「っ……!」
「……おい。お前、なにが目的だ」
 低い、低い声で父さんが言う。その声の響きに、思わず僕はひっと恐怖に固まった。
 父さんの声は、僕が今まで聞いたことがないような迫力に満ちていた。闘気とか殺気とか殺意とか、世界中のそういう物騒なものの一番怖いところをえりすぐって集めて、思いっきり凝縮したようなど迫力に。それこそ、声を聞いただけで剣を目の前に突きつけられているような気がするくらい。
 他のみんなも同様なようで、揃って顔を蒼くしている。普段僕たちは、父さんの母さんが好きで仕方ない色ボケなところしか見たことがなくて、なんていうか少なくともあんまり尊敬はできなかったんだけど(熱心に稽古をつけてもらってるレジー兄さんやアンジェ姉さんは別として)――この人はやはり、大魔王を倒した、勇者ロトなのだ。
「うちのガキどもを引っさらって、俺たちを脅迫して。いったいなにをしようとしてる。どういうつもりなのか知らんが、うちのガキどもに指一本でも触ってみろ。生きたまま全身細切れにしては治し肉と内臓を犬に食わせては治しってのを千回はくりかえした後、うちの地下の拷問器具を全力で活用してどうか殺してくださいと一億回は懇願させてやるぞ」
 そんな普通の人なら向き合うだけで卒倒しそうな苛烈な殺気をぶつけられながらも、人形は涼しい顔で(いや、人形には顔はないけど)言ってのける。
「ソレハソレハ、勇マシイコトデイラッシャル。デスガタトエ何千億回私ヲ殺ソウトモ、今私ノ手元ニイルゴ子息タチヲ救ウ役ニハ立タナイトイウコトハ、覚エテオイテイタダキタイデスナ」
「……貴様……」
 ずいっ、と半歩前に進み出かけた父さんを、母さんは制して前に出た。
「いいでしょう、あなたの交渉のテーブルとやらについてあげましょう。あなたが思う通りにことが推移すると真剣に考えられるほど我々が甘く見られているというのなら、その思い込みを教育してさしあげなければなりませんから」
 そう冷然と告げた母さんにも、僕は思いっきり気圧された。ふだんの冷徹な表情がさらに冷たくなって、零下どころか絶対零度の冷たさをもって、こちらを冷厳と見つめるその視線に、思わず背筋どころか脳味噌までが凍る。父さんみたいにあからさまではないけれど、この人に敵対したら死ぬよりも数兆倍はひどい目に遭わされると、言葉にされなくても本能が理解してしまっていた。
 けれど人形はその視線にも微塵も動揺せず、またくるくると踊るように回ってさらっと告げる。
「ソウデキレバヨロシイデスナ。デハ、丘デ」
 言ってくたりと人形はその場にくずおれる。同時に父さんが、やはり低く、だけど強く大きな意志のこもった声で名前を呼んだ。
「ディラ! ヴェイル!」
「はいよ。……探ってみたけど、周囲数百mにはあたしら以外の殺気なんて見つからなかった。丘の方も探ってみたけど、ディーノたち……あんたらの子供たちは全員気配が感じられたけど、他の気配は感じられなかったわ。空間歪めてそん中に隠れてるか、そもそも気配ってものが普通と違う奴か、超遠距離から魔力投射してるか、どれかね」
「で、その超遠距離からの魔力投射って線は薄いと思う。とりあえずあの人形に放たれてる魔力を逆探知してみたんだが、やたら多数の中継地点を経由してる上にそれが陣を形成してこちらの探知する魔力を妨害してたんでな、探りきれなかった。だがそう遠くじゃない、それだけ厳重に探知妨害してるってことは居場所を知られちゃまずいと考えてることの裏返しでもあるだろうしな。おそらくだが、空間を歪めてるって線が一番くさいと俺は思った。ユィーナはどうだ?」
 いつの間に近づいていたのか、部屋の外からずかずか入ってきて考えを口にする二人に、母さんは冷徹な瞳をわずかに苛立ちに揺らして唇を噛んだ。
「私はこの中で一番現役を離れて長いですし、魔力の鍛錬も十分に積めているとは言えません。ですからはっきりしたことは言えませんが、ヴェイルの思考は論理的に考えて間違っていない、とは思います」
「……そーなるとー、そんな桁外れの術者が人間にほいほいいるはずないからー」
「一番くさいのは魔族、ってことになるんだが……ゲット、ユィーナ。最近お前らの周辺に、そういう気配かなにか、なかったか?」
「……いや、まるで。少なくとも俺は、少しも感じていない」
「ユィーナは?」
「……私も、このような事態は想定外でした。魔族というのはそもそもが滅びを志向する存在ですから、その消滅本能に抗ってまで我々を害そうとする者がいようとは……」
「どっちにしても予想はしてなかった、ってことか。……どうする? 向こうはあんたらだけでって言ってるけど、それってつまり、あんたら二人だけなら完璧に対処する自信が向こうさんにはあるんじゃないかって思うんだけど?」
「向こうにこっちを感知することができるかどうかは、正直半々ってところだと思うんだが……少なくとも俺たちが今夜ここにいることは知られているだろう、とは思う。それをどう使うか、ってことになるが……」
「……いえ。あなたたちは屋敷に。ジリエラたち――あなたたちの子供たちを守ってください。もし我々を首尾よく処理できたならば、次の狙いはあなたたち家族です。それに対処できるように、ひとまとまりになって行動してください」
「ちょっと……ユィーナ。最初から死ぬ気みたいなこと言わないでよ」
「可能性を言ったまでです。……行きますよ、ゲット」
「ああ、ユィーナ」
「……ゲット、ユィーナ」
「ああ?」
「なんですか」
「……あんまり、無理をするなよ。助けがいるなら俺たちを呼べ。俺たちはいつでも、飛んでいくからな」
「なーにぃ、カッコつけちゃってぇ。最愛の妻が横にいるってのにこのおっさんはっ」
「いつでも一緒にいてくれるって確信できるからこんなことが言えるんだろうが。……二人とも、頑張れよ」
「おう」
「……まったく、年月とは偉大ですね。あなたにそんな台詞が言えるようになろうとは……」
「似合ってないか?」
「そういう問題ではありません。……お気持ち、ありがたく受け取らせていただきます」
 そうして母さんたちは装備を整え、ディラさんたちに背を向けて去っていった。不意討ちを喰らって黙り込むディラさんと、無言で二人の背中を見送るヴェイルさんを残して。

 屋敷の裏の丘というのは、屋敷の裏手に回って少し歩いたところにある、せいぜいが高さ数百m程度のもので、ほとんどが農家の人たちの畑であるこの辺りにしては珍しく、木々や藪が残っている場所だった。
 父さんと母さんは、屋敷を出て数分もしないうちに、あっという間に丘の上にたどり着き――そして、目をみはった。
「……なんだこれは」
「ヨウコソイラッシャイマシタ、勇者ろと殿トソノ賢者殿。ゴ子息タチハキチント、預カラセテイタダイテオリマスヨ」
「……丁重に預かっているようではないようですね。あなたを始末する理由が、またひとつ増えました」
 そう、そこに広がっていたのは僕たちが全員揃って十字架に磔にされていた光景だった。みんな意識を失って、ぐったりとしている体を、釘を使って十字架に打ちつけている、そんな光景が十人分。
 その前で、さっき交渉役と名乗った人形は、またも踊るようにくるくる回ってみせる。
「ソレハソレハ、恐ロシイコトデ。デスガアナタガ私ヲ殺スノト、コチラガ彼ラヲ殺スノト、ドチラガ早イカトイウコトニツイテハ、賢明ナアナタサマノコト、スデニ計算ズミカト存ジマスガ?」
「…………」
「了解イタダケタヨウデナニヨリ。サテ、私ガアナタガタニ要求スルコトハタダヒトツ。ゴ子息ノミナサマノ命ガオシケレバ、勇者ろとヨ、賢者ゆぃーなヲ殺シナサイ」
『…………!!?』
「な、ん……だと!?」
 父さんは愕然とした顔でこちらを見る。僕たちも正直驚いていた。
 だって、父さんに母さんを殺せって? 無理があるだろう、そんなの。僕たちが何人人質に取られようと、むしろ何人殺されようと、父さんが母さんを傷つけるとか絶対ありえない、マジありえない(だって息子にはどんな時も無口無表情無感動なのに母さんにだけは笑顔全開でラブラブ攻勢しかける(今年で結婚二十七年目)父親だよ?)。そんな無茶な要求したって父さんが呑むはずないだろうに。
 そして父さんは予想通り、思いっきり顔をしかめ、殺気を込めて怒鳴ろうと――したんだけど、そこに母さんが冷たい一瞥をくれて、言った。
「殺すというのは、生命活動を停止させろ、ということですか? 二度と蘇れないように封滅しろということですか?」
「ソウデスネ、トリアエズ生命活動ヲ停止サセル方デ。私ノ目的ハアナタ方二人ヲ少シデモ苦シメルコトデスカラネ」
「なるほど、予想通りに底が浅いことですね。子供たちへの無駄な暴行もそれが理由ですか? 怨恨が理由の誘拐は、人質の生死を問わないことが多いものですが。どこの魔族だか魔物だかは知りませんが、手前勝手な理由で怨みを抱く相手ではなくその子供を傷つけることを、恥ずかしいとすら思わないプライドのなさは、はたから見ていて滑稽だということにも気づかないのですか?」
「クク、滑稽モナニモ、人間風情ニドウ思ワレヨウト私ニトッテハドウデモイイコトデスノデネ。タダ私ハアナタ方ヲ苦シメタイダケ。アナタ方ガ少シデモ苦シム姿ヲ見テ溜飲ヲ下ゲタイダケナノデスカラ」
「なるほど。見下げ果てた愚物ですね。人間と魔族では存在の志向するものが違うのですから倫理観も違って当然ですが、自分は安全なところから敵を苦しめることだけが目的などというのは、倫理観がどうこう以前にあまりの志の低さにもはや会話しているだけで情けなくなります。あなたのような者が自分の志を継ぐ者として大きな顔をしていようとは、大魔王ゾーマもさぞ嘆くことでしょう」
「……ゴ高説ドウモ。デ、結局ノトコロ、ドウナサルトオッシャルノデスカ?」
「…………」
 一度目を閉じてから、静かに目を開いて母さんは言った。
「ゲット」
「なんだ、ユィーナ」
「私を殺しなさい」
「断る」
 きっぱりはっきりなんの迷いもなく言い放った母さんに、父さんも秒も迷わず即ばっさり。少しくらいは迷ってもー、とか思う前にだよなー父さんだったらそう答えるよなー、と心の底から納得してしまった。
 だけど、母さんは全然そうは思わなかったみたいで、きりきりっと眉尻を吊り上げて苛烈な声で怒鳴ってくる。
「あなたは状況を理解しているのですか! 活用したことはこの二十年ほぼないとはいえ、半ば体質そのものを変質させる職業である勇者の能力は依然として私たちに働いている。あなたが私を殺したとしても、あなたの呪文ですぐに蘇生することができるのですよ。膠着した状況を少しでも動かすためにも、一度相手の要求を呑むのは交渉術の基本でしょう!」
「相手がその基本に乗っかってくれる保証がどこにある。そもそもこいつは俺たちだけなら完璧に対処できる自信があるんだろう、俺の勇者の力に妙な横槍を入れられないという保証もどこにもないぞ。それよりなにより第一に、俺が誰よりもなによりも世界一無限大に唯一無二というほどに愛しているユィーナを、傷つけ殺すような真似ができるわけがないだろう!」
「あなたには価値判断能力がないのですか。子供たちは現在磔にされ、一瞬一瞬ごとにどんどんと黄泉路へと近づいていっている。そして彼らは一度殺されれば蘇らせることができる確率はせいぜいが1/2でしかないのですよ!? そのような状況で彼らの命と私の命、どちらがより重い価値を持つかは自明でしょう!」
「確かにガキどもの命は重いだろうが、俺にとってはユィーナの命も同様に重い! 世界と比べてもこっちの方が重いと断言できるほど愛している人の命だぞ!? 心も体も愛し労り永遠に護り続けると誓った人の命だぞ!? そんな人を自らの手で傷つけ、殺すなぞ耐えられるか! 耐えられん、断固としてきっぱり容赦なく耐えられん。俺がユィーナを髪一筋でも傷つけるようなことがあれば、その瞬間にあまりの精神的苦痛に狂死するぞ!」
「しょうもないことを堂々と主張しないでください! あなたは毎度毎度本当に無駄に恥ずかしいことを堂々と……!」
「ユィーナを愛しているんだからしょうがないだろうが! 俺に世界を、人生を、幸福を希望を輝きを与えてくれた運命の恋人だ! その愛に背くようなことは、俺は絶対にできんっ!」
「な……っ、そ、そういう非生産的かつ非現実的な妄言を吐くのはやめなさいと、何度も何度も言っているでしょうっ……!」
 ……あのー。一応僕たち、人質になってる上に磔にされてるんですがー。
 いや、父さんと母さんなら無理もないっていうかそういう反応するだろうなって思えちゃうんだけど(一日一回はこういう風に父さんの愛全開の押しっぷりに母さんが負けるっていうか、デレを垣間見せるんだもん、見慣れた光景っていうか)、こういう状況でもそれってさすがに……とトホホ感満載で僕はうなだれる――と、唐突に人形がパァンッ! と弾けた。
 え? 突然、なに? と僕たちが驚いていると、『…………!』と父さんと母さんが愕然とした顔になり、それから一気に緊迫した顔つきになった。それこそまるで、お互いが人質にされて喉元に刃物つきつけられてたらこんな顔するんじゃないかってくらいに。
 周囲の木々がざわめく。そして、四方から、わぁんわぁんと反響するように、さっきまで人形から聞こえてきた声が響いた。
『サスガサスガ、勇者ろとノ恋人ニシテらだとーむニ大改革ノ嵐ヲマキオコシタ大宰相、大賢者ゆぃーな殿。威勢ヨクヤリアッテイルフリヲシテ隙ヲツキ、喋リナガラ魔力ノ逆探知ヲオコナオウトハ大シタモノデスナ』
「く……っ」
『デスガ、アナタ方モ理解シテクダサッテイルコトデショウガ、私ハアナタ方ノコトヲヨクヨク調ベテイルノデスヨ。アナタ方ガコウイッタ時ニトル行動モ、ゆぃーな殿ノ魔力探査ノ技術モ』
「………っ」
『端末ヲ壊シタ以上、逆探知ハモウ不可能。気配ヲ探ロウニモアナタ方ノ感知能力ハでぃら殿ニハ及バナイ。……サ、コノ状況デ、アナタ方ハコレ以上、ドノヨウニアガイテクダサイマスカナ?』
「…………っ!!」
 母さんがぎりぃっ、と奥歯を噛む。拳をぎゅっと握りしめる。それから一瞬うつむいて、ばっと顔を上げ、怖いくらい真剣な顔で父さんを見た。
「ゲット。私を、殺してください」
「…………」
「殺して、ください。どうか、殺して……」
 母さんの声がわずかに震えるのに、僕は思わず仰天した。だって、母さんが? どんな時も冷静沈着っていうかむしろ冷徹で、どんな大貴族相手だって堂々としてそれどころかさんざんにやっつけてぺこぺこ頭を下げさせて、国王陛下だって逆らえないって言われてる(っていうか、そもそも王侯貴族が平民に無体を強いれるっていう身分制度を事実上崩壊させたのが母さんなわけだから……)母さんが?
 まぶたを震わせ、声を震わせ、じっと父さんを睨むように見つめている。だけど、その顔は普段のような鋼鉄みたいな固いものじゃなくて、父さんに口説かれて押し負けた時みたいな、でもそこから嬉しさとか優しさとか幸せな気持ちとかをなくした――言ってしまえばどこかに弱さを感じさせるものだった。そんな顔で、父さんを見上げて、普通の女の人みたいな懇願する口調で――
 それに対し、父さんは圧倒的な無表情のまま、すらりと剣を抜いた。大魔王ゾーマを倒した伝説の武器、王者の剣。普段から父さんが持ち歩いてる剣だからあんまり伝説の武装っていう気はしなかったんだけど、その闇夜にも明らかな圧倒的な輝きは、それが普通ありえないほどの鋭利さと強靭さを併せ持つおそろしく殺傷力の高い武器だということを無言のうちに主張していた。
 そして父さんはその剣を振り上げ、え、ちょっと待って、待ってよそんな、だって父さんが母さんを傷つけるなんて、そんなのありえないっていうかないだろそんなの、ていうかあっちゃだめだよ絶対、え、え、待ってお願い待って、やだやめてお願いやめてやだお願いやだ――――!!!
「――打ち滅ぼせ!!!=v
 どがらどごずががぎばがじぎずげずごずどぉぉんっ!!!
 目の前が数瞬真っ白くなって、爆音が轟き、僕は一瞬意識を失った。はっと意識を取り戻し、轟音と閃光が消えてしばらくしてから、今のは父さんが雷を落としたのだ、と理解する。
「……つかんだぞ」
 ぎ、と父さんがこちらを見る。その顔に、僕は、僕のみならず周りのみんなも全員揃って硬直した。脳味噌の中まで、一気に。
 だって父さんの今の顔普通じゃない。殺気とかいうレベルじゃない、鬼気と言ってもまだ足りない、気が弱い人だったら対面するだけで即死するだろうってくらいとんでもなく苛烈な気迫は、これまで十三年間父さんの子供やってるけど、一度も見たことのないとんでもないものだった。
「ディラと、ヴェイルがああ言っていたからな。敵は必ずこの近くにいる、と踏んでいた――いや、確信していた。だが、おそらくは俺の気配を察知する能力の範囲外にいるだろう、ということもわかっていた――仲間たちが、そう教えてくれたからな」
 ざっ、ざっ。ずん、ずん。草をかき分け、木々を押しのけ、父さんがこちらにやってくる。
「だから、俺もこれは最後の手段だろう、と思っていた。魔力すべてを解き放って、攻撃可能な範囲すべてに雷を落とし、敵にダメージを与えて気配を察知する、なんていうのはな」
 ずどん、ずどん。父さんが地面を踏みしめる、ド迫力どころじゃない重みと気迫と殺意のこもりまくった足音がどんどんと近づいてくる。
「だが、できないとも思っていなかった。……仲間たちが遊びに来た夜に、俺たちのガキどもを誘拐し、俺のユィーナを傷つけるなんぞという真似をしでかしたド糞野郎をぶっ殺せないほど、俺はなまっちゃいないからな」
 ずどぉん、ずどぉん。父さんが、僕たちの、すぐ前までやってくる―――
「さぁ――地獄を味わう時間だぞ!!!!」
 どひゅごんっ、がっきぃん!
『ごっ………ごめんなさーいっ!!!!』
「………は?」
 父さんは、周囲に嵐を巻き起こすほどの勢いで打ち込んだ一撃を、ディラさんとヴェイルさんに協力して防がれたままの恰好で固まった――けど、僕たちは全員揃って土下座していたのでそれをまともに見る余裕もなかった。ひたすら頭を地面に擦りつけ、許しを乞おうとする。
「ごめんなさいっ、ほんとに、ほんとにごめんなさいっ」
「マジすいませんでしたっ! 悪気はなかったんすっ、セーヴァの奴がどーしてもっつーから仕方なくっ」
「ちょっとバチスト兄さん、言い訳してんじゃないわよ男らしくない! お父さんホントごめんなさいっ、でもセーヴァ、ほんとに悩んでたみたいだったから……」
「ディラさんとヴェイルさんにも、押し切られてしまいましてっ……本当に申し訳ありませんでしたっ!」
「ごめんなさい、ほんとにごめんなさいっ……だから、殺さないでぇーっ……」
「………は?」
 そろそろと顔を上げてみると、父さんは剣を振り下ろした(そして、ディラさんとヴェイルさんに防がれた)姿勢のまままだ固まっていた。うっ、こ、これはちゃんと説明しなくっちゃ、と発起人としての義務を感じ、顔を上げた姿勢のまま説明を始める。
「ええと、その……僕が、ちょっと……父さんと母さんにかまわれてないっていうか……父さんと母さんは僕らのことどうでもいいと思ってるんじゃないかなー、って悩んでたら、ディラさんとヴェイルさんが確かめるために力を貸してくれるって言ってくれて……」
「それで、そのための作戦を私たちに持ちかけて、私たちも乗った、っていうわけなんです……」
「私たちが磔にされてたのは、私たち自身が作って、髪や血を混ぜたのに、ヴェイルさんが呪をかけて、さらに盗賊の高レベル偽装呪文で私たちだと思わせたやつで……呪術的にこれだけ強い繋がりがあるのに呪文までかけたんだったら、絶対お父さんもお母さんも騙される、って……」
「そんで俺らは父さんと母さんの様子を隠れながら、遠見の術がかけられた道具で観察してた、っていう……」
「ヴェイルさんが厳重に結界を張られてたのが、たぶんさっきの一撃で剥がれ落ちてしまって、気づかれたという、わけなんです……」
『本当に、ごめんなさいっ!』
「………は?」
 僕たちがよってたかって説明しても、父さんは呆然とした様子を崩そうとはしなかった。ど、どうしよう、これ以上なにを言えば、と僕たちが顔を見合わせていると、ふいにすすり泣くような声が聞こえてくる。
 え、この声!? と反射的に揃ってそちらの方を向き、仰天した。母さんがふらふらっと揺れたかと思うと、ぺたんと尻餅をついた。それだけでも驚異的なことだというのに、母さんは、あの鉄血宰相が――なんと、泣き始めたのだ。ぐすっ、すすっ、うぅっ、と、堪えても堪えても抑えきれない、というように、きらめく涙を何筋もこぼし、泣き声を立てて。
 当然ながら僕たちは揃って仰天した。そして同時に、思いっきり慌てた。母さんを、あの母さんを僕らが泣かせてしまったんだと思うと、それだけの衝撃を与えてしまったんだと思うと、そりゃもう半端じゃない衝撃が押し寄せてきたのだ。
「ごっごめんお母さんっ、けっけどこれ言い出したの絶対俺じゃないっていうかっ」
「男だってのに言い訳すんな、ボケ! か、母さん、悪かった。マジで俺たちが悪かった。だからその、なんていうか、泣かないでほしいっていうかっ」
「泣かないでほしいって言われたからってほいほい泣き止めるわけないでしょっ! ええと、母さん、ほんとにごめん……だからその、落ち着いて、ね? あたしたち、全員無事だったわけだし、ね?」
「そういう問題じゃないだろう、たわけ者! その、母さん、すまなかった。僕たちに裏切られたような気持ちになってしまうのは無理からぬことだと思うが、これはやむをえぬ仕儀だったと、どうか理解を」
 ずずぅぅん。母さんに駆け寄っていた僕たちの背後で、なんだかすさまじく大きな音がした。まるで、巨人が思いきり足踏みをしたような。竜が空から落っこちたような。
 僕たちはおそるおそる振り向き、固まった。そこには、鞘に納めた王者の剣を地面に突き立てて、こっちを、っていうか僕たちを、そりゃもう情け容赦なく即殺全開! って感じの目で見てる父さんがいたからだ。
「あ、あの、父さん……」
「貴様ら……ユィーナを、泣かせたな?」
「え、いや、あの、その……」
「殺す」
 言うや目にも止まらぬ速度でドンッ、とこちらに向け踏み込む――
 ああこれは死ぬっ、と覚悟して目を閉じる――だけど、その空気を裂いて突っ込んでくる怒涛の進撃は、僕たちの少し前で止められた。
「……邪魔をする気か。貴様」
「ああ、邪魔する気さ」
 そう笑ったのは、右手に持っている鞭――確かグリンガムの鞭とか言ったと思う、で父さんの勢いを止め、剣――隼の剣というすごく高価な剣だ、で父さんの剣戟を止めている父さんの仲間、ヴェイルさんだった。僕たち子供たちですらひぇぇと見るだけで恐怖に震えてしまう形相の父さんに、真正面から平然と向き合っている。
「邪魔をするなら、貴様も、殺すぞ」
「悪いが、そういうわけにもいかないな。今の俺には愛する妻と子供たちがいる」
「だからどうした」
「あの子たちの気持ちがわかる身としても、お前の仲間としても、子供たちを愛している親としても、お前に愛する子供たちを傷つけさせるわけにはいかない、っていうことだ」
 へっ? と僕たちは思わず首を傾げた。愛する子供たち、って?
 だけどその言葉は父さんの機嫌をさらに逆撫でしたらしく、ぎんっとさらにまとう空気に含む殺気を層倍させ(ひぃぃ、と僕たちは揃ってまた怯えた)、ぎぎぎ、とグリンガムの鞭に絡め取られながらも歩を進め、交えている剣をぐぐぐと押していく。
「……貴様、殺されたいのか」
「いや、まったく」
「俺とお前が本気で戦って、お前が勝てる、と?」
「いや、そういう風にはまったく思わないな。ただ、お前の殺気を雲散させることくらいならできる」
「……本気で言っているのか、貴様」
「当然だろう? そうじゃなけりゃお前の前に立てるかよ」
 にやり、と笑ってみせるヴェイルさんに、父さんもにぃ、ととんでもなく物騒な笑みを浮かべ――ぎゅんっ、と(まだ鞭にあちらこちらを絡め取られたままなのにも関わらず!)一気に加速した。ヴェイルさんも加速して、後ろに大きく跳び退り――と、そこまでは見えたんだけど、そこから先は僕にはまったく認識できなくなってしまった。鋼が打ち合わされる音と、空気を裂く気配がなんとなく感じられるんで、たぶん僕たちの目には見えない超速度で戦ってるんだろうなぁ、っていうのはわかるんだけど。
「うおぉおっ! すげぇ……すげぇよ、勇者ロトとその仲間がガチで戦ってるところがこの目で見られるなんて……!」
「これが……これが勇者たちの戦いのレベルなのね……! それをこの目で見られるなんて、か、感動だわ……!」
 レジー兄さんとアンジェ姉さんはなんかやたらに感動してたけど、他の人間はほとんど呆然とするしかない状況だった。いやだってなんでヴェイルさんと父さんがガチで戦闘? 助けてもらったのはありがたいとは思うけど……。でもなんか、全然見えないし……。
 だけど、ディラさんはいたってのんきに(この人には当然だけど父さんたちの動きがしっかり見えているらしい)、応援の声をかけていた。
「ヴェイルー、ゲットに勝てたらご褒美にあたし特製のビーフカッセロール食わせてやるわよーっ!」
『ははっ、そいつはなんとか勝てるよう気合入れないと、なっ!』
『お喋りしてる余裕があるのかっ!』
 声すらなんだかブレて聞こえる。もしかしてこの人たち音速超えたスピードで動いてる? いやまさかな……と悩み始めた僕をよそに、ディラさんはすいすいと母さんに歩み寄って(ディーノ兄さんとかシェーラ姉さんとかバチスト兄さんとかはすすり泣いている母さんを必死に慰めてたんだけど)笑いかけた。
「なーにー、ユィーナ。かっわいー顔しちゃってぇ」
「……っディラっ……」
「ったく、ほんっとに不器用なんだから。まーいっくらお金持ちだからってぱかぱか無計画にたくさん子供作ったせいもあるんだろうけどさぁ」
「む、無計画に作ったわけではありません! レベルを上げたゲットの私を妊娠させる能力が私の避妊の呪の力を上回っていることがわかったため、十年間研究してようやくゲットの精子を殺す薬品の開発に成功し」
「……あー、これでも無計画に作るよりはるかに数は少ない方なわけか……さすがというかなんというか。ま、それはともかくさ」
 ディラさんはにっ、と(女性に言うのは失礼かもしれないけど、なんていうか、すごく男前に)笑んで、母さんと視線を合わせるようにしゃがみこみ、ぽんぽんと頭を叩いてからきゅっと抱きしめる。僕たち全員、そんなことをしようなんて思いつくこともできなかった行動に思わず固まったが、ディラさんはかまわず優しく母さんをハグし、囁いた。
「あんたのこったから、ちゃんとした親やろうって真面目ーに思って、実際ちゃんとした親やってきたんだろーけどさ。親ってのは、アレなことに、ちゃんとしてりゃいい親ってわけでもないってとこがあんのよねー。仲間とはまた違って……家族だからさ」
「……どういう……意味ですか」
「お互いにある程度の馴れ合いを求めるところがある、ってこと。まーあんたはそんなの認めないだろーけど、そもそもが対等な関係じゃなくて、保護者と被保護者なんだから。あんたのこーいう、めっちゃ厳しいけど心の中ではめちゃくちゃ子供たちのこと大切に思ってるところとか、子供たちの危機に必死に冷静さ保とうとしてるけど実はとっくに失われてて悩んで迷って苦しんじゃうとことか、子供たちが殺されるとか傷つけられるとか考えただけで泣いちゃうよーなとことか見せてあげないと、子供が親に勝てるとこがなくなっちゃうでしょー?」
「……だから、このような、ふざけた催しを考えたというのですか」
「んー、あとは昔のうちの旦那みたいなことで悩んでる子を助けてあげたかったっていうのと、単純に親子間の気持ちの風通しをよくしたかったのと、親が本気になるとこを子供たちにも見せてあげたかったっていうのと……あとは、面白そーだったからかな?」
「ディラ……あなたは、本当に、いくつになっても……っ」
 母さんが眉を吊り上げはじめ、僕たちがやばい空気を察してじりじりと後ずさりし始めたところで、背後でずどぉんっ、という爆音がして、慌てて僕は振り返る。そこには、周囲の土をえぐり取りながら地面に突き倒されたヴェイルさんと、その目前に王者の剣を突き立てている父さんがいた。
「父さっ……!」
 慌てて叫ぼうとして、ばっと口を押さえる。父さんがああいう顔してる時って、たぶんだけど、しようとしてることを邪魔されたくない時だ。
「あーあ。やっぱり勝てなかったか。ディラのビーフカッセロール、食いそこねたな」
「……ヴェイル。貴様、最初からこういうつもりだったのか」
 父さんがぎろりとヴェイルさんを睨みながら低く言うのに、ヴェイルさんはあくまで穏やかに笑って言う。
「こういうって?」
「俺の殺気を真正面から受け止めて、昇華させただろう。盗賊のくせに、俺と真正面からぶつかろうって時点で妙だとは思ってたが」
「まぁ、正直できるかどうかは五分五分だと思ってたけどな。そこは俺とお前の絆に賭けてみた」
「絆だと? こんなふざけたことをしてユィーナを泣かせた分際で」
「もちろん、それは悪かったと思うし、心から謝罪するし、俺たちなりにできるだけのことをして償う。それでも必要なことだと思ったし、なによりそれを求めてる子がいるからやった。それに、まぁ、こんなことを言うのは気恥ずかしいが……俺たちは、少なくともお前にとってその他大勢≠ノはならないって、そのくらいの繋がりはあるっていう確信があったからな」
「………………くそ」
 忌々しげに低く呟き、父さんはすっと王者の剣を引き、ぶんっと振って布で拭い鞘に納めた。ヴェイルさんがにっこり微笑んで言う。
「許してくれる、ってことか?」
「誰が許すか。裁きをユィーナにゆだねようというだけだ。感情のままに行動するなとユィーナから何度も言われてるからな」
「そうか。お前が俺たちを勢いのまま斬り殺していい相手だと思っていないことが再確認できて、俺としてはとても嬉しい」
「っ……貴様、しれっとした顔で気色悪いことを言うな。なんというか、その……かわいくないぞ」
 ヴェイルさんは一瞬目を瞬かせ、それからぶっと噴き出した。父さんも失言だと思ったようで、顔をしかめてそっぽを向いている。
「……いや、なんていうか、本当に年月は偉大だな。お前からそんな言葉が聞けるなんて、実際丸くなったもんだ」
「……やかましい」
「ああみんな、念のため言っとくけどな、お前らの父さんはお前らを本気で見捨てようとしたりはいっぺんもしてないからな。最初からユィーナと言い合いしてるふりしてユィーナに逆探知してもらおうとしただけだから。っていうか、見捨てるつもりだったら最初っからもっとユィーナにべたべたしてるし、見捨てるつもりじゃなかったとしてもあの状況でユィーナ馬鹿っぷりを発揮……抱きついたりキスしたりこの場に二人だけしかいないみたいな勢いで口説いたり触ったりしないとか、ゾーマと戦ってた頃じゃ絶対ありえなかったんだぞ? それだけお前らを心配して、大切に思ってるってことで……っつっ」
「やかましいと言ってるだろうが。男がぺらぺらしょうもないことを喋るな」
 仏頂面でがつんとヴェイルさんを殴る父さんを愕然と見つめる僕に、ディラさんが「あれってあいつとしては単に照れてるだけよ」なんて囁いてくれてますます僕は愕然とする――んだけど、背後から立ち上った冷気に、びくっとして固まった。これは……生まれた時から慣れ親しんでいるこの気配は………。
「――みなさん、ずいぶんお楽しみのようですが」
『…………』
「忘れていますか? アレフガルドの暦では明日は平日であり、そして私はラダトーム王国宰相。明日も朝から晩まで仕事に忙殺されることが確定している身の上です」
『…………』
「そのために必要な睡眠時間を削り、我々を心の底から心配させておきながら、実は騙していました、悪戯でしたという馬鹿げた事実――このまま捨て置くことができると思いますか?」
『…………』
 揃って硬直している僕たちをよそに、父さんはゆっくりと空気も凍るような冷気を発している母さんに歩み寄り、笑顔で告げた。
「ユィーナ」
「……なんですか」
「その罰は、もちろん俺のを一番重くしてくれるんだろう? 君の愛の証を一番深く、重く刻まれるのはいつでも俺だと俺たちはよくわかって」
 どばきぃ。本気パンチが父さんの顔に炸裂し、父さんは吹っ飛んで倒れた。母さんは真っ赤になって息を荒げつつ、ぎろりと僕たちを睨みまわして言う。
「全員、懲罰です。――自らの行為の重みを、自らの体で思い知りなさい」

 僕は正直朝日を拝めないことを覚悟したんだけど、母さんの与えた懲罰は思っていたよりずっと軽くって、僕は翌日も学校に行くことができた。なんでだろう、と疑問に思い、屋敷にいても暇だから、という理由で僕の学校までついてきたサイファに訊ねてみたら、サイファは呆れた顔をして、あっさり答えた。
「そんなの、あんたが『父さんと母さんは僕らのことどうでもいいと思ってるんじゃないか』って言ったからに決まってるでしょ?」
「……は?」
「は? じゃないわよ、そんなの誰でもわかるじゃないの、ったくもー鈍いわねあんたって。自分が子供にそんな風に思わせてたことにショック受けて、なんとか歩み寄りたいって思ったからに決まってるじゃないの」
「いや、だって……母さんだよ? 勇者ロトの冷徹大賢者でラダトームの鉄血宰相の……」
「バカ」
「ば、バカって……」
「どんな英雄でも、私たちにはそれより先に親なんだから、ちゃんと親扱いしてあげなさいよ。第一ね、英雄っていったって、さらに言うなら親っていったってしょせん人間なのよ? 親としてのキャリアなんて私たちが子供やってるキャリアと同じか、数年上ぐらいしかないんだから、なんでもかんでもできてわかってる、とか思うのがそもそもの間違いなの。お互い間違ったり勘違いしたり思い違いしたりしてるんだ、ってことをちゃんと呑み込んでつきあってあげないと」
「………そっかぁ………」
 僕は思わず深々と息をつく。そんなこと、考えたこともなかった。父さん――はともかく、母さんが間違ったり思い違いしたりすることがあるなんて。
「サイファって……すごいなぁ。僕、そんなこと思いつきもしなかったよ。父さんと母さんの息子なのに……全然駄目だね、僕って……」
「なっ、なに言ってんのよっ。これは、別に……父さんとかが教えてくれたことなだけで……あんたが言ってくれたことでもあるし……」
「え、僕が?」
「と、とにかくっ! この世界はいろんな奴がいていろんなこと考えて生きてんのよっ! そん中でなにを大切に思うか、なんのために生きるかはあんたの考えひとつにゆだねられてんのっ! 今は、あんたはどういう風に生きたいって思うわけっ」
 僕は思わず微笑む。喧嘩を売るみたいな顔と態度だったけど、サイファの気遣いが確かに伝わってきて、それがすごく嬉しかった。
「それは、もちろん―――」

 僕の名前は、セーヴァ・クランズ。クランズ家の四男の、現在十三歳。大魔王ゾーマを倒した勇者ロトと、そのパーティの賢者にして現在はラダトーム王国大宰相をしている女性の間に生まれた七人目の子供だ。
 だからもちろん、妬み嫉みを受けることはしょっちゅうだし、逆にむやみやたらに注目や賞賛を浴びてしまうこともある。でも、僕はできるだけ気にしないようにしている。父さんと母さんの間に生まれてきたのは僕が選んだことじゃないから、僕の手柄でも失敗でもないけど、僕は父さんと母さんの子供に生まれてきてよかったと思っているからだ。
「おおうユィーナっ、君は毎日毎朝俺に生きる希望を届けてくれる愛の配達人……! 今その愛に感謝とともに応えげふっごふっがふっ」
「毎日毎朝言っていることですが、私はこれから仕事に向かうのです。今日もすべきことが山積みだというのに、身勝手な愛の押しつけはやめていただけますか」
 父さんと母さんはあいもかわらずバカップルだけど、僕はできるだけ気にしないことにしている。二人がやり合っている時に、近づいて笑顔で、
「行ってきます!」
 と言うと、母さんも微笑んで、父さんは仏頂面だけど、それでもこちらを向いて、
「行ってらっしゃい」
「おう、行ってこい」
 と、言ってくれるからだ。

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