ロマリア〜アッサラーム――6
 無言で足早に進むセオをラグは追った。肌に感じられるほど強烈な、熱く同時に冷たい怒気に思いきり武器を握り締めて耐えながら。
 自分たちは盗賊ギルドに向かっていた。常闇通りの、ラグが一度だけ訪れたことがある盗賊ギルド本部だ。フォルデに薬を使った奴らと、盗賊ギルドのギルドマスターを引きずり出すために。
 セオはファイサルの屋敷を出た時から無言だ。ただひたすらに前を見つめて早足で歩く。その足取りにも視線にも、揺らぎは微塵も感じ取れない。まったくセオらしくないことに。
 だが、ラグは口を挟めなかった。セオ同様、ラグも相当に怒っていたせいもあるし――セオの静かで、だがおそろしく苛烈な怒気に、口を挟む勇気が起こらなかったというせいもある。
 実際、フォルデを眠らせてからのセオの覇気には身をすくませるものがあった。海千山千、百戦錬磨、根っからの我利我利亡者であるだろうファイサルを怯えさせるほどの迫力――それはもはや鬼気とすら呼んでよさそうなもので、ラグもそばにいるだけで体が勝手に震える。
 なんなのだろう、彼のこの気迫――以前カンダタにフォルデを殺されかけた時にも似たような気配を感じたが、今回はそれよりもさらに強い。これが勇者の天稟というものなのだろうか? 何人もの恐るべき戦士と戦ってきたラグですら、体が冷たくなるほどの覇気――
 今のセオの前に立つ者がいれば容赦なく切り捨てられるだろう。自然そう思えるほどの迫力があった。フォルデに害を与えられたことがそこまで腹立たしかったということだろうか。この優しい子を激怒させるほど。もちろん自分もたまらなく腹立たしいが、ここまで怒るほどの活力はない。
 ――ヒュダが同じことをされたら、今のセオのように怒り狂うだろうけれども。
 それに思い至ってラグはぐっと武器を握り締めた。わかっていたことじゃないか。自分が醜く、薄情なことは。
 道行く人はセオを見るとびくりとして道を開ける。一般人でも今のセオの気迫は感じ取れるのだろう。普段ならそんな姿を見たとたん泣いて謝るだろうセオは、仮面のような無表情のまま素早く歩を進めた。ラグも歯を食いしばりながらあとに続く。
 盗賊ギルドの本部があるとフォルデに教えた酒場に、セオは真正面から突入した。説明は受けているのでその行動の必要性は理解していたものの、それでもやはり背筋が冷える。
 店の中にいたおそらくは盗賊たちがいっせいにこちらを向く。そいつらに向かい、セオは無表情のまま宣告した。
「銀星のフォルデに薬を投与した人間を探しています。盗賊ギルドのギルドマスターに会わせてください」
『なっ……!』
 驚いていた盗賊たちが一気に殺気立ち――かけて固まった。さすがに本部に詰めている盗賊だけのことだけあって、セオの壮絶なまでの鬼気に気付いたのだ。
「……っギルドマスターは、そう簡単に会える方じゃない……常に居場所を変えてるんだ。俺たちだってどこにいるかそう簡単には」
「簡単≠ナない程度の労苦をいとわなければ見つけられるんですね? 会わせてください。銀星のフォルデに薬を投与した方にも」
「……あんた、なにをする気だ。理由によってはたとえ勇者だろうと会わせるわけにはいかねぇ」
 セオはやはり仮面のような無表情で、静かに告げた。
「償いと、これからの友好の約束の要求を」
『…………』
 盗賊たちは顔を見合わせ、二人が奥の扉の向こうに走った。残りは武器を構える。
「俺たちはアッサラームの夜の顔を取り仕切ってる盗賊ギルドだ。たとえ勇者だろうが、舐められるわけにゃあいかねぇ」
「殺されようがここは通さねぇぜ」
 明らかに顔を青くしながらも自分たちを取り囲む。今のセオに敵対行動に出るとは、と本気でラグはこの男たちの根性に感心した。
 だが、セオは静かな無表情を崩さず言う。
「そうですか。では――押し通ります」
『…………ッ!』
 盗賊たちがいっせいにセオに飛びかかる――だが武器の間合いに入るより早くセオの呪文が響いた。
「つかれた心臓は夜をよく眠る、私はよく眠る=v
 たちまち盗賊たちはぱたぱたと倒れていく。全員斬り倒すのかと身構えていたラグは少し拍子抜けしたが、セオが無造作に奥の扉へ近づいていくのを見て気を引き締めた。まだ、なにも終わってはいない。
 セオは扉を開けようとノブをつかんだが、特殊な仕掛けがしてあるのかさっきやすやすと開いた扉のノブは微塵も動かなかった。セオは寸毫も迷わず扉を蹴り、蝶番をぶち壊して扉を開ける。
 通路は何本かに分かれていたが、セオは迷うことなく歩を進めた。盗賊ギルド内の情報などセオが知っているはずはないから山勘だろうが、ラグは無言であとに続く。
 と、曲がり角の向こうから数人の戦士らしき男たちが出てきた。ラグは身構えたが、その先頭にいた男を見て目を見張る。
「ムーサ兄さん……! なぜこんなところに?」
 ムーサ――ヒュダの九番目の子供である自分の義兄はにやりと笑った。
「久しぶりだな、ラグ。アリアハンの勇者が殴りこんできたって聞いて期待した甲斐があったぜ」
「質問に答えてくれないか、ムーサ兄さん。俺たちには遊んでいる暇はないんだ」
 ラグは声に冷たさをにじませながら言った。この兄は自分と同じ傭兵ギルドに所属する戦士だった。自分より二つ年上の。
 自分の方が後輩なのに傭兵ギルドの格付けが上になったのが気に食わないのか、よく突っかかってくる困った兄なのだが、それがなぜ盗賊ギルドに?
「愚問だな。傭兵が戦場に出てくるのは雇われたからに決まってるだろう?」
「盗賊ギルドに? 傭兵ギルドとは関係が微妙じゃないか」
「俺の雇い主は商人ギルドにもコネがあるちょっと普通じゃない盗賊なんだ。傭兵ギルドにも配下を潜りこませてるのさ」
「……なるほど……」
 それなら一応は納得できなくもない。
「……退いてくれないか、ムーサ兄さん? これはヒュダ母さんの安全にも関わる重要な話なんだ。弟や妹たちだってこの話が通らなければ暮らしていくのは難しくなる」
 ムーサは笑うように唇の端を眉を上げた。
「お前なら退くのか、ラグ? 傭兵として雇われておきながら私情で勝手に?」
「……いや。そうだな……傭兵っていうのはそういう仕事なんだもんな……」
 ため息をつくラグに、ムーサは笑うような表情を明らかな嘲笑に変えて言った。
「第一、お前と堂々と戦えるってのになんで退かなきゃならないんだ?」
「――なに?」
 すぅっと冷えた声で問い返すラグに、ムーサは笑う。
「俺はお前と決着を着けたいんだよ、ラグ。いつもいつもお前は年下のくせに俺の上にいる。それこそ目の上のたんこぶみたいにな。そんな奴と戦える機会を、投げ出す戦士がいるもんかよ」
「……ヒュダ母さんに関わる話を、そんな理由で邪魔するのか」
 ムーサはは、と嘲笑った。
「ヒュダ母さん、ヒュダ母さん、ヒュダ母さん。お前はそれしか言うことがねえのか? いつまでも母親の膝で甘えてるガキの気分でいるんじゃねえぞ。いい加減親離れしたらどうだ。第一、本当の母親ってわけでもねえだろうに」
「――――」
 ラグは数瞬、息を止めた。
 それからさっきからずっと黙って待っていたセオの方を向いて、言う。
「セオ。こいつらは俺が引き受ける。君は先に進んでくれ」
「わかりました」
「ふん……ようやくその気になったか」
 にやりと笑うムーサに、周りの傭兵たちが顔をしかめる。
「ムーサさん……俺らはあんたの意地に付き合う義理はありませんぜ」
「わかってるさ。だからお前らは勇者をやれば――」
「つかれた心臓は夜をよく眠る、私はよく眠る=v
 たちまち全員倒れる傭兵たちに、ムーサは顔をしかめてから笑った。
「あっさりやられたな。まぁいいか、その方が――」
 セオは無言でムーサの横を通り抜けた。ムーサはわずかに眉をひそめるが、すぐにラグに向き直る。
「――さぁ、やろうぜ、ラグ。俺はずっとこの時を待ってたんだ」
「そんなことはどうでもいい」
 ラグはきっぱり、切って捨てるように言った。
「……なんだと?」
「俺はあなたの事情とか感情とかそういうものには興味がない。関心もない。あなたはもう俺の兄弟でも家族でもないからな。あなたは自分の意思で、その居場所を放棄したんだ」
「…………」
「だからあなたの気持ちはどうでもいいが。あなたはヒュダ母さんを侮辱した。俺の世界で誰より大切な、優しい人を侮辱した――」
 ぐい、と鉄の斧を構える――
「その報いは、受けてもらう」
 ムーサはわずかに冷や汗を流しながらも、にぃ、と笑って剣を構えた。
「上等だ!」
 ラグはすっと、一歩を踏み出した。

 セオは無言ですたすたと歩いた。なにも考えないままに。
 頭の中は真っ白だった。思考も、感情も、なにひとつ浮かばない。強烈な閃光を直視してしまった時のように、頭の中が白で塗りつぶされている。
 ただ目的だけははっきりしている――仲間たちを守ること。自分を大切だといってくれた、あの優しい人たちを守ること――
 物心ついた時から感じていた世界を、そこに住む人々を、すべての命を守りたい、守らなければという想い。それに似ているけれど少し違う誓い。それはセオの中の絶対的最優先事項だ。
 ならば、あとはそれに従って体を動かすのみ。
 曲がり角の向こうに人の気配を感じた。魔力を集中させながら剣を抜き、すっとすり足で前に進む。予想通り襲いかかってきた男の刃を、剣で受けて呪文を唱えた。
「つかれた心臓は夜をよく眠る、私はよく眠る=v
 キシィッ! という音。襲いかかってきた黒づくめの男はその音にかまわず、動きを鈍らせる様子もなく、鋭い攻撃をさらに次々と繰り出してくる。
 セオの脳裏に反射的に情報が浮かんだ。魔力の無効化による時空振動音。つまり自分の呪文は抵抗されたのではなく魔力で無効化されたことになる。
 脳内情報検索、該当件数一件。男のかぶっている覆面をラリホー系呪文を無効化する魔力を持つ魔道具と認定。
 相手の動きからレベル24の盗賊と予想。先刻の傭兵たちの行動を考慮に入れて思考、この男は目的の人物の最後の、そして最強の護衛と推測。
 結論。この男を速やかに倒し、奥に進むべし。
 反射のみでそう思考すると、セオは剣を構え、だんっと地面を蹴った。

 がぎぃっ! と音が鳴った。斧と剣が噛み合う聞き慣れた金属音だ。
 ムーサはちっと舌打ちし、円を描くように移動しつつ左方向から斬り下ろすように攻撃を仕掛けてきた。体格はラグのほうが勝るが、背はわずかにムーサの方が高いのだ。
 ラグはそれを微妙に腕を引きつつ盾で受け止め、前に伸びたムーサの体めがけ斧を振り下ろす。ムーサはそれを浮けそこね、ラグの斧は鎧ごとムーサの体を斬り裂いた。血が噴き出す。ムーサが痛みに顔を歪めた。
 それでもラグは油断せず、続けざまに斧を振るう。ムーサは血を流しながらもその重い一撃を止め、必死に剣を振るうが、そんな苦し紛れの攻撃などラグにしてみれば受けるのはたやすい。
 ラグはムーサに負ける気はしなかった。練習試合でも常にラグはムーサに勝ち越していたし、力でも技量でも負けたと感じたことはほとんどない。
 ――そう、自分とムーサはそんな風に何度も勝ち負けを決められるほど近しい存在だったのだ。
 妙な方向にいこうとする思考をラグはぎりっと奥歯を噛み締め修正した。目の前にいるこの男は敵だ。今考えることはそれだけでいい。
 ムーサが突いてくるのを素早く横にずれてかわし、斧を横薙ぎに振るう。ムーサは血を噴き出させながらそれを盾で止める。力で押し勝とうと盾の上から全力で押すが、ムーサはふっと力を抜いて体を退き、ラグに一瞬たたらを踏ませた。
 そこを狙って再度の突き。ラグは必死に体を沈めて避けるが、その突きは即座に振り下ろしに変化した。かわしきれず、肩口を斬り裂かれる。鎧で止めてたいした傷にはならなかったが、肌が破れ血が噴き出した。
 ずきん、ずきんと傷がやかましく悲鳴を上げる。だが問題はない、この程度の傷なら動きに支障はない。痛みすら耐えられないほどじゃない。
 ヒュダ母さんに泣かれる痛みを想像したら、こんな傷物の数にも入らない。
「お前は変わらないな、ラグ」
 ムーサが笑う。ラグは無視して斧を振るった。
 がぃん。また斧と剣がぶつかり合う音。
「いっつもヒュダ母さんヒュダ母さんだ。お前の中には結局あの人しかいねえ。他の奴がどんなにお前のことを思おうが、お前にはどうでもいいのさ。お前はそれを自分で知ってるくせに、平気な顔をして周囲に嘘をつく。優しくてお人よしな人間のふりをする」
 ぎぃん。また金属音。肩の傷がずきりと痛む。
「そんな奴のくせに、嘘つきのくせにお前は笑顔で全部を持っていく。仲間の信頼も、ヒュダ母さんの親愛も、傭兵としての評判もなにもかも! それが俺は気に食わないんだ、本性は薄汚いハイエナ野郎のくせして涼しい顔して笑ってんじゃねえっ!」
 ぎん、がん、がぎん、がぃん。金属音が連続する。受け、止め、振るい、突く。そのたびに肩の傷がずきずきと痛む。
 わかっている。
 自分が嘘つきなのも醜いのも、自分が一番よく分かっている。
 だが、そんなことはどうでもいい。どうでもいいことだと決めたのだ。自分にとっての最優先事項はただひとつ。ひとつだと、決めたのだから。
「死ねっ、死ねっ、死ねえっ!」
 振り下ろされた剣を斧ではじく。そのままの動きで斧を振り下ろす。受け止められる。打ち合う。
 がぁん、がぎん、ぎぃん、がん。気が遠くなるほど大きく響く、金属音、金属音、金属音―――
「―――ラグ!」
 そう誰かに名前を呼ばれたと認識した瞬間、ラグは一刹那完全に硬直し――胸を剣で斬り裂かれた。

 盗賊は刃をひらめかせてセオの目を狙った。その刃にはおそらく毒が塗ってある。セオはすっと体を退いてかわしたが、その隙に死角へと回りこまれ短剣で急所を突いてくる。セオは大きく跳び退ってかわした。
 防戦一方になっている。さすが高レベルの盗賊、素早い動きで常に死角へ死角へと回り込みこちらの急所を狙ってくる。その上毒だ、一筋でも傷をつけられればもう終わりと思った方がいいだろう。いかにセオが鉄の鎧で全身を覆っているとはいえ、不利だ。
 そういった情報を言語化すらせず意識下で処理し、セオはすっと剣を持ち上げた。
 対策案検討。――作成。
 セオは口の中で小さく呪文を唱えた。
「火山弾には黒い影=v
 最も基礎的な攻撃呪文、メラ――その炎がセオの手の中に生まれる。盾を腕に装着している左手だ。ただし放出はしない。盾で隠しながら、けれど微妙に見えるように調整しつつ、炎をセオの手の中に留め、精神を集中させてどんどんと炎の大きさを小さくしていく。魔力制御と魔力集中。熱量を絞り込んで温度と魔力濃度を上げる。
 盗賊はシャッ、シャッ、と鋭い攻撃を繰り返すが、左手の炎がやはり気になるのだろう、わずかに踏み込みが浅い。それならかわすのはそう難しいことではない。
 機を計る。踏み込んでくる足取り、突いてくる刃、その気と機の流れを観察する。盗賊が右へ左へ動きながら攻撃してくる。炎に対する意識を振り捨てるつもりでの攻撃なのだろう、右方向から喉を狙って斬りかかってきた――
 その瞬間、仕掛けた。
 無言で一瞬精神を集中させる。それだけで手の中の炎は盗賊へと飛んだ。
 狙いは目。呪文で肉体の部位を狙うのは難しい、特に目のような小さな部位はほぼ不可能といわれている。だが充分な精神集中と技術があれば、少なくとも勇者にとっては不可能なことではない。そして攻撃呪文は抵抗することはできても、避けることはできない。
「っ!」
 盗賊は目を焼かれて小さく声を漏らしたが、動きの鋭さを衰えさせることはなくさらに攻撃を重ねてきた。目が使えなくなった場合の戦闘術も習得しているのだろう。予測通りであることを認識して、セオは表情を変えないまま次の行動に移った。
「獅子の星座に散る火の雨の=v
 ギラの閃熱を盗賊を取り巻くように動かし、ぼぅんっ! と弾けさせる。炎の小爆発だ。空気が揺れ、破裂し、一時的な真空状態になって逆巻く――
 目と耳と触覚を封じた。あとは簡単だ。
 最終段階実行。
 セオは、素早く踏み込み、相手がぎりぎりで気付いてかわすよりも早く、右手に持った剣で盗賊の心臓を貫いた――

「ラグっ!」
 フォルデは叫んで、ラグに駆け寄りかけ、足をもつれさせてふらついた。すかさずロンが体を支える。
 僧侶を呼んでもらいキアリーとキアリス(精神異常を取り除く呪文)をかけられて、フォルデは元気を取り戻した。そしてロンから話を聞き、大急ぎで盗賊ギルドに殴り込みをかけたセオとラグを追ってきた。盗賊ギルドに逆らってはいけないという盗賊の思考と、自分をいいようにした奴らに仕返ししてやりたいという個人的な感情と、半分は自分のために仲間が力を尽くそうとしてくれていることに対するなんといえばいいのかよくわからない、やたら顔が熱くなる気持ちと――
 そんな思いがごちゃ混ぜになって、とにかく放っておけるかとロンを引き連れてセオたちを追ってきたのに。体はまだあの薬から回復していないのか。目の前で、仲間がやられるところを見せられるなんて。そんなのは――
「ラグっ! ラグっ、てめぇ、しっかりしろよ馬鹿野郎っ!」
「落ち着け、フォルデ。あいつがこの程度で死ぬと思ってるのか」
「え……」
 その通りだった。いったん膝を落としたラグは、ゆっくりと立ち上がろうとしている。胸の辺りの鎧の隙間を斬り裂かれ、血を吹き出させながらもしっかりとした足取りで。
「ラグ……っ」
「心配はいらない。この程度の傷、薬草でも使えばすぐに治る」
 どこか固い、こわばったような口調だった。
「助けがいるか?」
「いらない。それよりもセオを助けてやってくれ。たぶんこの先で敵と戦っている」
「ふむ」
 ロンはわずかに眉を上げ、それからぽんとフォルデの背中を叩いた。
「フォルデ。ここは任せたぞ。ラグを助けてやってくれ」
「え……」
「助けはいらない、と言わなかったか」
 斧を構えて低く言うラグに、ロンはあっさり答える。
「お前さんが助けを拒否するのは勝手だが、仲間であるお前さんを心配するのもこちらの勝手だ。第一、今のお前のその言葉は信用ならん。今にも泣きそうな声で助けはいらないなぞと言うもんじゃない」
「な……」
 一瞬唖然とした声を出し、それからラグは怒鳴った。
「お前、俺を馬鹿にしてるのか!? 俺は十四の時から傭兵やってるんだぞ、戦いの最中に泣きそうな声なんぞ出すか!」
「どんな熟練の戦士だろうが泣きたくなる時はあるさ。そして俺はお前のそういうところが放っておけなくて可愛いと思うわけなんだがな」
「な……」
「さて、それではセオを追わせてもらうとするか」
 軽く言うとロンは走り出す。敵の戦士は一瞥しただけであっさりとロンを通した。
 残されたのは自分とラグと敵の戦士。しばし呆然としていたがすぐにはっとして武器を構えるフォルデに、ラグは低く言う。
「手を出すな、フォルデ」
「……なんでだよ」
「こいつは俺の手で始末をつける。――かつては家族だった男だからな」
「な……」
 唖然とするフォルデをよそに、ラグは血を流しながら踏み込んで斧を振り下ろした。フォルデから見れば遅い一撃――だが、敵の戦士はかわさずに盾で受け止めた。
 ラグと何度も稽古をしたフォルデは知っている。あれはかわさないのではなくかわせないのだ。かわして体勢が崩れれば、そこを返す刀(この場合は斧だが)でばっさりやられる。鉄の斧なんぞというクソ重い武器を、ラグはその剛力でナイフのように軽々と扱うのだ。
 敵の戦士は歯を食いしばりながら素早く剣を振るう。だがラグはそのすべてを盾で止める。そして逆に斧で攻撃を返す。上、右、左、左上、右下、左下――敵の戦士はそれを受けるので精一杯だ。さすがはラグ、だてにレベル21なわけではない。
 勝てる。そう思って拳を握り締めた瞬間、敵の戦士がにぃ、と笑った。
「お仲間が来たら急に攻撃が鋭くなったじゃねえか。そんなにお仲間にはいい顔を見せておきたいのか?」
「……黙れ」
 ラグは斧を振るう。だが敵の戦士はそれを受け、せせら笑う。
「しょうがねえよな、お前はヒュダ母さんのために@E者のパーティから外れるわけにはいかないんだからな! そりゃお仲間には媚びも売るし格好もつけるわな! 本当の顔を隠していい顔見せて、仲間なんぞと言っちまえるお前の厚顔さには頭が下がるぜ!」
「黙れ!」
 ラグが嵐のように斧を振り回す――だがその動きには精彩が懸けているのがはっきりわかった。敵の戦士はそれをすべて受け、醜く笑いながらさらに言葉を紡ぐ。
「結局お前にとっちゃ大切なのはヒュダ母さんだけなんだものな! それ以外の奴らはそのために利用してるだけなんだものな! 笑わせてくれるぜ、そんな奴が勇者のパーティメンバーなんぞをやってるとはな!」
「黙れ……っ!?」
 ばぎぃっ、と鈍い音がした。当然だ、フォルデが敵戦士の顔面に思いきり飛び蹴りをかましたのだから。
 フォルデは荒く息をつく。斬り合いの真っ只中に蹴りこんでいくのはさすがに度胸がいったが、やってしまえばなんということはない。
 ずってんどうと転倒した敵戦士に、フォルデは怒鳴る。
「うるせぇ、クソ野郎ッ! てめぇにラグのなにがわかるっ!」
「ちょ……おい、フォルデ」
「言っとくけどなぁ、こいつは本気でバッカみてぇにお人よしなんだよ! すっげーイラつく卑屈勇者ともめちゃくちゃムカつく腐れ武闘家ともまともに真正面から話すよーな奴なんだ! 俺がムカついて無茶言っても間違ってることは間違ってるっつーけどそん中の真っ当なことはきっちり受け取るよーな、そんくらいきっちり人の話聞くど善人なんだよっ!」
「…………」
「ヒュダさんが第一だろうがなんだろうが、本気で善人じゃなきゃんなことできるわけねーだろーがっ! 俺たちのことは二番以下だろうがなっ、それでもこいつは、俺たちのことを、その、なんだ、なんつーか……」
「……もういいよ、フォルデ」
 すっとラグが隣に立つ。床に倒れて呆然とこちらを見ている敵戦士の手から放り出された剣を取り、言った。
「武器は預かっておく。――ヒュダ母さんに渡しておくから、好きな時に取りに来ればいい」
「……俺はもう家族でも兄弟でもないんじゃなかったのか」
「俺だったらそう考える。だけど、ヒュダ母さんだったら、しょうがないわねぇって言って許してやって、帰る場所を用意してくれてるだろうって思ったから」
「……また、ヒュダ母さんかよ」
「ああ――俺の一番はあの人だからな。あんたの言う通り」
「ふん……」
 敵戦士は立ち上がる。底冷えのする目でラグを睨んだ。
「俺を殺しておかなかったこと、後悔するぞ」
「かもな。だけど勝負をつけたのは俺じゃないし、なんだか気が抜けたし。それに」
(――こいつの目の前で家族を殺すのは、嫌だと思ってしまったから)
 そう小さな声で呟いたラグの声を、聞いたのか聞かなかったのか。敵戦士は「ふん」と言ってこちらに背を向け、その場を立ち去った。
 とたん気が抜けて、フォルデはふらりと体をよろめかせる。やはりまだ完全に復調したわけではないのだ。
 すかさずラグがその体を支えてくれた。猛烈に照れくさくなりながらも、一応「悪ぃ」と言っておく。
「いや。気にするな。………フォルデ」
「なんだよ」
「ごめんな。……ありがとう」
 少し困ったような、照れくさそうな、なんと言っていいのかわからないという表情で小さく言ったその言葉に、フォルデは思いきり顔をしかめ、ふんとそっぽを向いた。
「……もしかして、照れてるのか?」
「うっせ、バーカ!」

 ――かどうか、という瞬間に、声がかかった。
「待て」
 セオは一瞬その言葉を検討し、とりあえず盗賊に剣を突きつけたまま声をかけられた方を向いた。そこには痩せた、というより引き締まった体を杖で支えている、威厳と迫力に満ちた老人が立っている。
「わしがアッサラーム盗賊ギルドのギルドマスター、ザーイド・ハリーファだ。あんたがわしを呼んでいると聞いたのだが、アリアハンの勇者、セオ・レイリンバートルよ」
「………」
 ザーイド・ハリーファ。目的の人物の一人。仲間を守るために必要な人物の一人。
 だが、彼だけでは不足だ。そう脳が認識して、セオは言った。
「銀星のフォルデに薬を投与した人物を連れてきてください。それから俺についてきてください」
「なぜそのようなことをせねばならん? わしは盗賊ギルドのギルドマスターとして、構成員を守る義務があるのだがな」
「お願いします」
「……お願いされてもな」
「お願いします。どうしても断るというなら、実力で強制します」
 ザーイドの目が厳しくなった。険しい視線でこちらを見つめながら、声はあくまで静かに言う。
「ほう、勇者の力をもってわしに無理を通そうというか? わしを力で従えると?」
「…………」
「悪いが、わしらにはわしらの流儀があってな。たとえ世界を救う勇者さまであろうとも舐められたまま放っておくわけにはいかんのだ」
「…………」
「わしらに命令したいなら――わしらを皆殺しにする覚悟で来い!」
 言葉と同時に疾風のような速度でザーイドは踏み込んできた。腕の一振りで杖の外皮が割れ、隠されていた鋭い刃が顔を出す。
 セオはそれを剣で受けた。仕込み杖は携帯に便利だが強度が弱い。まともに打ち合えば数合ともたず向こうの武器が壊れるはずだった。
 だがザーイドはセオの剣に武器を打ちつけはしなかった。羽根のように軽く武器を剣に触れさせた絶妙の力加減で止め、そのまま刃を滑らせてセオの首を狙う。
 セオはその迅雷の攻撃を文字通り首の皮一枚で避けた。鎧の隙間の皮膚を斬られ、血が飛び散る。
 ザーイドはに、とわずかに笑んだ。
「あれをかわすか。なかなかいい目をしている」
「…………」
 セオは無言で、全速で剣を振るった。全身に入れる力が自然と一段階上がる。ずだんっ! と踏み込んだ床と空気が、そして全身の筋肉が悲鳴を上げた。
 横薙ぎに振るったその剣を、ザーイドは一気に体を沈めつつ踏み込んでかわした。組み付かれる、と判断したセオはさらに踏み込んで前蹴りを放った。
 ザーイドはそれを受け、足首を捻ろうとする。セオは剣を放り出して捻る力に逆らわずに体を回転させた。
 ザーイドを巻き込んでごろごろと転がる。ザーイドは素早く腰からダガーを抜いた。足の腱を切ろうと振り下ろそうとするその動きを、無理やり足の筋力だけで蹴り飛ばす。
 ごろごろと回転してたっと一挙動で立ち上がり、ザーイドはダガーを構えた。セオも同様に立ち上がり腰の短剣を抜く。
 ザーイドが荒い息の下で笑みを浮かべた。
「大したものだ。その年でその動き、その力。それが勇者の力というものなのか?」
「…………」
「その力を我が物にしようというヤクザーンの行動、理解できんでもない。あやつの尻拭いをするのは業腹だが……ギルドマスターとしてはギルドの面子に泥を塗られて黙っているわけにはいかんのでな」
 タン、と床を蹴り宙に舞う。
「お主を殺してでも――ここは通さん!」
「…………」
 セオは無言で短剣を振り上げ――
「その勝負――待った!」
 眼前に突き出された鉄の爪に動きを止めた。
 セオは鉄の爪の主をちらりと見る――そして目を見開いた。そこにいたのはロンだった。自分の仲間。フォルデやラグと同じ、絶対的最優先事項。
 ロンが口を開く。
「アッサラーム盗賊ギルドのギルドマスター、ザーイドよ。この勝負、アリアハンの勇者の仲間にして武闘家ジンファンの一番弟子、ジンロンが預かる」
「……預かってどうする気だ。先に勝負を持ちかけてきたのはそちらだが?」
 ザーイドはセオにダガーを突き刺すぎりぎりで動きを止めながら鋭い声で言う。ロンは負けずに鋭い声で答えた。
「しばし、待て」
「…………」
「セオ。フォルデは正気を取り戻したよ」
 ロンはセオの方を見て優しく笑い、言った。
「毒も抜けた、暗示も解けた。商人ギルドの方から手が回ってるからフォルデに手を出した奴も捕まえられた。ギルドマスターはここにいる、交渉を持ちかければ嫌とはいわないだろう。そこらへんは俺たちの仕事だ」
「…………」
「セオ。君はもう戦う必要はないんだ。わかるか? 戦う必要はない」
「…………」
「セオ」
 ロンはすっと爪を引いて、すっとセオに近寄った。ぎゅっとダガーを握るセオにかまわず、ぽんぽんとセオを抱き絞め背を叩く。
「もう、大丈夫だぞ」
「…………」
 ぶわ、とセオの目から涙が溢れ出した。ザーイドがぎょっとした顔になるが、そんなことを気にしている余裕などなかった。
「ごめ……っ、ごめ、ごめんなさい……っ」
「ああ、わかってる。フォルデとラグのためにと必死だったんだろう?」
「俺、俺……俺、ごめんなさい、ごめんなさいっ………」
「ああわかってる大丈夫。二人を助けなくちゃって必死で頑張って戦ったんだよな? よく頑張ったな、セオ。もう平気だぞ」
「俺、なにも、できなくて、本当に、駄目な、情けない奴で」
「そんなことはない。セオ、君は本当によく頑張った。もうなにも心配することはない、安心していいぞ、セオ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 セオはロンの胸の中で泣きながら、必死に謝り続けた。人を傷つけたこと。自分の意思で目の前の人々よりも仲間を優先したこと。それだけやったのに結局自分の力ではなにもできなかったこと。
 そのすべてが、たまらなく申し訳なくて、どうしようもなく苦しくて、あとからあとから涙がこぼれおちて止まらなかった。

戻る  次へ
『君の物語を聞かせて』topへ