アリアハン――4
 ジンロン――姓はジン、名はロンの二十八歳の武闘家――は人生に満足していた。
 世界は美しい。生きることは楽しい。人と関わることは特に。
 ――現在、そしてこれから、最も自分の人生に関わってくると思われる三人に対しても、ロンは心の底から満足し、気に入っていた。
「だっから、何度言ったらわかんだ! 敵が現れたんだったらとっとと攻撃しやがれ! 魔物は敵なんだぞ、敵! 第一魔物倒してレベル上げなきゃ魔王は倒せねーんだろうが!」
「そ、れは、わかってます、けど……」
「けどなんだ!」
「でも、魔物たちだって命を持っていることには変わりないんだから、俺たちの勝手な都合で命を奪うのは極力しちゃいけないことだと思うしっ、そりゃ身は守らなくちゃダメですけど、自分たちの方から襲いかかるっていうのはやめた方がいいって、思い、ます……」
「だーっ屁理屈言ってんじゃねー、このボケ! そーいうことはまともに剣が振れるようになってから言いやがれ!」
「ごめ、ごめんな、ごめんなさい、でもっ」
 あの子は意外にけっこう頑固なんだな、とロンは笑みを浮かべた。一見意志薄弱に見えるが、彼の中では譲れること譲れないことが非常にはっきりしているように思える。
 ――面白い。
「止めないのか?」
 ラグが落ち着いた声で聞いてきた。ロンは首を傾げて訊ね返す。
「なぜ俺がそんなことをすると思うんだ?」
 ラグは苦笑した。
「思うも思わんも、俺は大してお前のことを知ってるわけじゃないからな。お前がどういう反応をするか知りたかったんだが」
「俺は楽しいがな。見てて」
 正直に言うと、ラグはさらに苦笑する。
「仲間の喧嘩ってのは楽しむもんじゃないと思うが」
「あれは喧嘩と言うよりじゃれあいだろう。小動物が取っ組み合いをしているようで愛らしいじゃないか」
 正直な感想を言ったつもりだったのだが、ラグは変な顔をした。
「お前、それは十六歳と十八歳の男に言う台詞じゃないだろう」
「そうか? お前は可愛いと思わんのか? あの二人」
「………だからな、男の、それもあの二人ぐらいの年頃にそういうことを言うのはどうかと思うってことだったんだが………」
 ぶつぶつ言いながらセオたちの方へ向かうラグを目を細めて見つめる。俺はお前も可愛いと思ってるぞと言いそびれてしまったが、まぁ先は長いのだ、今でなくてもいいだろう。
 たぶん自分がそう思われていることなど想像したことすらないような真面目でお人好しなところが、なんともかわゆい。
「二人とも、そろそろやめないか。いい加減出発するぞ」
「んなこたこいつに言いやがれ! こいつが頑固なこと言いやがるから……」
「ごめ……な……う、で、でも」
「ああ、セオ、泣かないでいいから。君の気持ちはちゃんとわかるつもりだから」
「ラグ、さ………」
「この根性なしのなにがわかるってんだよっ」
「つまりセオはたとえ魔物のでも命は大切にしたいってことだろう? 俺みたいな戦士には縁遠い考えだし、魔王征伐の旅にもそぐわない思考だけど。でも立派な考えだと思うよ」
「…………」
「セオ。君も魔物に襲われたら身を守るために戦うだろう?」
「……は………い」
「俺たちに危険が及ぶようなことがあっても、戦ってくれるだろう?」
「はい!」
「な? だからフォルデ、心配することはないと思うよ。セオは戦えないわけじゃないし、魔物はこれからもどんどん襲いかかってくるだろうから経験値の心配もしなくていいだろうし」
「心配なんてしてねーっつの!」
 怒りか羞恥かその両方か、顔を真っ赤にして怒鳴るフォルデをロンはほのぼのと見つめる。この少年は(成人して二年経っているとしてもロンには少年に見えた)心配したなんて死んでも言わないだろうが、セオを放っておくことは絶対できないだろう。ラグとはまたタイプの違うお人好しだ。
 その素直でないところがまたかわゆい。
「セオ」
「………はい」
 ラグに慰められたにもかかわらずしゅーんと落ちこんでしまっているセオに、ロンは笑いかけた。
「まぁ、そう気にするな」
「……ごめ……んな、さ……」
 気にするなといわれたのに泣きそうな顔で謝ってくる。本当にこの子はなにを言っても反応が泣くか謝るかしかない。
 だがそういうのもある意味面白い。
「襲われて戦わなくちゃならん時でも剣の振りが鈍いのはどうかと思うがな」
「! ごめ……ごめんな、さい……ごめんなさいぃ……」
 あっという間に瞳が潤み、顔が歪んでぽろぽろ涙をこぼし出す。この子が本当に自分が悪い、申し訳ないと全力で思っているのがなんとなくわかった。
 これまでほとんど困ったような顔と泣きそうな顔と泣いている顔しか見ていないが。その中では泣いている顔が一番いい。
 この子は本当に顔が綺麗だし、その顔をくしゃくしゃにして悲しくて申し訳なくてしょうがないという風に身も世もなく泣いているのを見ると、あーっ! と叫んで抱きしめるか、首を絞めるかしたくなってしまう。
 要するに、セオの泣き顔はたまらなく嗜虐心をそそってかわゆいのだ。
 うん、また泣かせたくなるな、とロンはぼろぼろ泣くセオを眺めながら一人うなずいた。
「……おい、ロン。なにを泣かせているんだ?」
「おい、そこの腐れ武闘家! なに馬鹿やってんだよ?」
 話していた二人が揃ってこちらを睨む。ロンはその視線を、にっこり笑ってごまかした。

 旅を始めてアリアハンの街を出て。パーティはナジミの塔に登るべく、岬の洞窟を目指していた。
 アリアハンでも最大級に有名な、それゆえにもうほぼ全て調査しつくされた古代遺跡、ナジミの塔に住む老盗賊メルディンが、罠を新しく仕掛けなおして冒険者たちに挑戦しているのは有名な話だ。見返りは塔を制覇すればメルディンが集めた宝物の中からひとつ好きなものを持ち帰れること。
 と言ってもメルディンは気まぐれなことでも有名で、宝物の選び方にケチをつけてまともに報酬をくれなかったりするので、新人が力試しに挑戦する以外ほとんど誰もナジミの塔に向かったりはしない。だが、セオはそれにチャレンジした方がいいのではないか、と(控えめながらも)提案したのだ。
「盗賊の鍵を、メルディンさんが持ってるって聞いたんです」
「盗賊の鍵……アリアハンを一時荒らしまわったっていう盗賊バコタが作った鍵だな。素人でもコツを覚えれば簡単な鍵開けならできるようになるっていう、仕掛け鍵」
「んなもん鍵開けに自信のないヘボ盗賊が使う手だぜ。鍵開けなら俺に任せときゃどんな扉も数分で開けてやるってんだよ」
「あの、それは、わかってるんですけど、フォルデさんと別行動を取っている時に鍵を開けなくちゃならなくなったりするかもしれないし、そういう時に盗賊の鍵があったらすごく便利だと思うし、手に入れられるものは少しでも多く手に入れた方がいいって気がするしっ」
 とまぁひどく控えめではあるもののセオは頑強に主張し続け、ラグも自分も反対する理由もなかったのであっさり最初の目的地が決定した(フォルデは最後まで納得いかなそうな顔はしていたが、反対はしなかった)。セオは旅に明確な方針を持っている。なかなか頭のいい子だ、とロンは一人うなずいた。
 それに他のパーティメンバーの実力を見るにも、コンビネーションを作るにも最初はこのくらいのダンジョンが妥当だろう。ダンジョンに入るまでの旅でも、戦闘時や野営時に他の奴らがどう動くかも見ておきたい。
 ――そういう少しばかり小姑のような気分でアリアハンの街を出たロンだったが、最初の戦闘で冷静に観察するのはやめた。
「このボケ勇者ーっ! てめぇやる気あんのかーっ!」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
「まぁまぁ、落ち着けよ二人とも」
 まぁ、フォルデとラグの実力は見極められた。フォルデはま、この年にしてはなかなかやる、といったところ。ラグは一級の腕利きの戦士だ。
 で、セオはというと――やってることは戦いになっていなかった。襲われれば身を守るなどと言っているものの、彼は本当に身を守ることしかしない。襲われても泣きそうな顔で、攻撃から必死に身をかわすことしかやらないのだ。
 魔物が自分たち仲間を攻撃しそうになると慌ててその魔物を斬り倒すのだが、攻撃するのはその時くらい。おまけにその時も魔物を倒すのではなく追い払おうとしているような戦い方で、意固地になっているのではと思うほどきっぱりとセオは戦いを忌避していた。
「だがな、実際戦いから逃げようとしても無理な話だと思うぞ。この旅は戦うための旅なんだからな」
「………ごめんなさい」
 旅に出たその夜、夜営場所での話し合いで。そう言ったロンに、セオは今にも泣きそうな顔でうつむいた。
「謝りゃいいってもんじゃねぇって何度言ったらわか……!」
「落ち着け、フォルデ」
「お前は少し黙っててくれ」
「んだとこの腐れ武闘家……!」
「セオ。君はなんのために旅に出た?」
「………っ、世界を……っ、救う、ため、です………」
「そうだな。で、世界を救うために、俺たちは魔王を倒さなくちゃならない。そうだな?」
「………はい………」
「魔王を倒すためにはなにをしなくちゃいけない?」
「……敵をいっぱい倒して……レベルを上げなきゃ、いけ、ません……」
「そうだな。なのに魔物を倒すのを忌避するのはなぜだ? 俺には君のしていることは矛盾しているようにしか見えないがな。というか、絵に描いたもちを食えると思っている世間知らずの子供にしか見えん。殺さなければその分世界が危機に晒されるという状況で魔物の命を人間同様に重んじるということが、君には本当にどういうことかわかっているのか?」
「……ごめ……なさい……、ごめん、な……さ、い………、ごめん、なさいぃ………っ」
 もうセオは大泣き状態だった。大きな瞳からぽろぽろぼろぼろ涙をこぼす、どんなに必死に拭いても拭いてもおいつかないほど。顔をくしゃくしゃのぐしゃぐしゃにして、鼻水を啜りながら必死に泣くのを堪えようとするセオの顔は、はっきり言ってひどく不恰好だった。
 ―――だが、やっぱりかわゆい。
 あーこの子を泣かすのは本当に楽しいなー、としみじみ思いつつロンはとりあえずセオが落ち着くまで待った。ラグは困ったような顔をしてセオを見つめ、フォルデはひどく苛立たしげな顔をして「泣きゃあいいと思ってんじゃねぇぞ」とぼそりと言い、ますますセオを泣かせた。
「――反論の言葉はないのか?」
「………っ、ない、です………っ。俺、本当に、馬鹿で、覚悟がなくて、弱くて、ずるくて、最低の人間、だから……」
「セオ……そんな風に自分を卑下しちゃいけないよ。君が最低の人間だとは俺は思わな」
「自分で言ってんだからそうなんじゃねーのー?」
「フォルデ!」
「かなり正確な自己評価なんじゃないか?」
「ロンも……そういう言い方はないだろう」
 立ち上がりかけたラグに、セオは泣きながら必死に首を振る。
「いい、ん、ですっ、ラグ、さんっ。俺、本当に、馬鹿で、覚悟ない、その上弱くてずるくて卑怯な、最低の人間なんです……」
 ロンとしては単にもっと泣かせてみたくて言った言葉だったのだが、セオは真摯に受け止めたようだった。自分を罵る言葉がひとつ増えている。
 だがそんな態度がまた気に障ったのか、フォルデが立ち上がって怒鳴った。
「てめぇのそーいう謝ってりゃすむってとこが俺は最っ高に気に食わねーんだよ! 自分が悪いって思うんだったらさっさとそこを改善しようとすりゃいいだけの話だろーが! なんにもしねーで、戦おうとも泣かねーようにしようともしねーで、ただ泣いて謝るだけしかしねー奴っつーのはな、俺ぁ大っ嫌えなんだよ、ボケッ!」
「ご、め……な、さ……」
「……お前人の話聞いてたのかよ、謝りゃいいって思うなって何度言や……!」
「はいはいはいはい、二人ともとりあえずやめろ!」
 ラグが立ち上がり、フォルデとひたすら泣きじゃくるセオの間に割り込んで両手を上げた。確かにこのままでは少しも話が進まない。
 まずラグは、セオの方を振り向いてしゃがみこみ、視線を合わせて優しく聞いた。
「セオ。フォルデが謝ればいいと思うなって言っても、謝るのはなんでだい?」
「………っ、う……あの………」
「焦らなくていいから。ゆっくりでいいから教えてくれるかな?」
「………っ、あの、謝っても、許される、わけじゃ、ないっていうのは、わかって、るんです。俺が、怒られるところを、直さなきゃ、許されたりは、しないんだっていうのは」
「うん」
「だけど、俺は、直さなきゃ直さなきゃって思って、も、すごく、直すの、遅いし、直そうとしてっ、も、直せないこと、すごく、多いから……そういう、どうしようもない、駄目な奴だから、そんな俺に、わざわざ、怒ってもらっちゃったことも、俺の、せいで、腹立たせちゃった、ことも、なかなか、直せないことも、すごくすごく、悪いなって、思うから……」
「思うから?」
「せめて、いっぱい、謝らないと、すごく悪いなって思ってること、ちゃんと、伝えないと、本当に、本当に本当に、申し訳なくて、悪くて、もう、いてもたってもいられなくて……だから、謝ればすむわけじゃないのは、わかって、るけど、謝らずには、いられ、ないん、です………」
 ………言い終えたセオは、うつむいて頭を上げない。周囲もそれにつられてか、しーんと静まり返った。
「……そのくれー人に聞きだされなくても自分でさっさと言えよ。ったく、マジうぜぇ奴」
「ご……め、なさ……」
「フォルデ」
 ラグにじっと見られて、フォルデはふんっ、とそっぽを向いた。
「……で、結局魔物を殺す気にはなってくれたのか?」
「ロン! それは今でなくてもいいだろう」
「どうせ明日も魔物は襲ってくるんだ、早い方がいいに決まってるだろう。……で? どうなんだ?」
 う、とセオは言葉に詰まり、またぽろぽろと、泣き腫らして真っ赤になった目から涙をこぼしながら、小さな声で言った。
「……が、んばり、ます」
「頑張る、ねぇ」
 はなはだ頼りない答えだが、ロンは小さく笑った。そもそも別に自分はセオに魔物を殺させたいわけでもその覚悟をさせたいわけでもない。そんなものは脇から人が言ってどうこうできるものではないのだ。
 セオのような感じ方、考え方はロン個人としてはむしろ尊いものだと思っている――だが、それはそれとしてロンはセオを泣かせたかったのだ。
 まぁ今日はこのくらいにしておくか。ロンは笑って言った。
「じゃ、結論も出たところで」
「出たっつえるのかよ、これで」
「今日の見張り順番を決めるとしようか。一人一刻の割りぐらいが適当だろうな」
「そっか……街の外だから見張り立てなきゃなんねーのか……」
「なんだ、気づいてなかったのか?」
「気づいてたよっ! ……ただ、面倒くせーなって」
「旅立った初日から面倒くさい、か。言っておくがこれから先も面倒くさいことはまだまだあるんだぞ? 食糧の消費予測に買出し、旅の途中で使うだろう薬やこまごましたものの準備。毎日毎日足が痛くなるまで歩くのだって面倒くさいといえば果てしなく面倒くさいしな」
「うっせーな、んな先のこといちいち言うな!」
 フォルデはムッとしたように怒鳴ると、自分の荷物から毛布を引き出してくるまり、ごろりと寝転んでしまった。
「おい、フォルデ」
「俺一番最後な!」
 言うやわざとらしい寝息を立て始める。ラグはふぅ、とため息をついた。
「仕方ない。フォルデは明日、真ん中の見張りを担当してもらうとして……」
 ぴくりとフォルデの体が震えたが、寝息を立てるのはやめなかった。意地でも寝たふりを続けるつもりらしいフォルデにロンは笑う。
「どうせなら明日徹夜で見張りとかさせたらどうだ?」
「だ、駄目ですっ!」
 ぼーっとフォルデを見ていたセオが、ばっと立ち上がって言った。
「徹夜なんかしたら、次の日の、体調は、あの、最悪になるから、歩くだけでも、その、大変だし、もし、寝不足なせいで、魔物に攻撃受けちゃったりしたら大変ですよっ! だから、ちゃんと、眠らせて、あげないと……っ」
「はいはい、わかったわかった」
 ロンは苦笑する。
「俺だって本気で言ったわけじゃないさ」
「は……え? あの、はい、その、ごめんなさい……」
 セオは顔を真っ赤にして、深く深く頭を下げた。ロンはさらに苦笑するしかない。
 ま、こういうとこがこの子の魅力でもあるんだからいいか。鬱陶しい時には果てしなく鬱陶しいだろうが。
「さて……それじゃセオ、君は野営の仕方を知っているかい?」
「あ、はい。野営の訓練は、何度もしました」
「ほう、道理で野営の準備手際がよかったものな」
「……ごめんなさい……」
 フォルデの寝息が一瞬止まった。
「唐突だな。そのごめんなさいはどういうごめんなさいなんだ」
「あの……気を遣わせてしまって、ごめんなさい……です」
「はぁ?」
「俺なんかに、気を遣ってもらっちゃって、言いたくないのに、褒め言葉とか言ってもらっちゃって、ごめんなさい……です」
「…………」
 ロンはさすがに呆れた。褒められた時にそういう解釈をする人間というのは初めてだ。卑屈というか、よほど感性がねじくれ曲がっているとしか思えない。
 ラグが苦笑して、セオのそばに近寄り笑いかける。
「あのね、セオ。そりゃ親しき仲にも礼儀ありだからある程度は気を遣うけど。上つ方じゃないんだから、一緒に旅してる仲間相手にまでそんなおべっか使わないよ、俺たちは。そこの辺りは信用してほしいな」
「で、でもっ、俺は、褒められるような人間じゃないしっ、今日もさんざんみなさんに迷惑かけちゃったしっ、怒られるのが当然な、馬鹿で、覚悟ない、その上弱くてずるくて卑怯な、最低の、人間だしっ……!」
 今日さんざん泣いたというのに、瞳からぽろぽろ涙をこぼし、申し訳なくて申し訳なくてしょうがないというように泣きじゃくるセオ。
 何度見てもいいなぁこの顔、と思いながら見ていると、ラグがすっとセオに顔を近づけ視線を合わせ、にっこりと微笑んで言った。
「じゃあ、変わろうよ」
「え……?」
 きょとんとした顔。
「君が自分を最低だっていうなら、変わろうよ。最低の人間じゃなくしよう」
「え……でも、だって、俺、何度も変わろうと頑張ってみたけど、全然できなくて」
「君は一人で何度も変わろうと頑張ってきたのかい?」
「は、はい、だって、俺、こんなんじゃいけないから、もっとしっかりしなきゃいけないから、勇者として、ちゃんと世界を救わなきゃいけないから、けどでも、どんなに頑張っても全然できなくて――」
「俺が協力しても?」
 え、とセオは今度は呆けたような顔をした。ラグは優しく微笑みながらそんなセオに語りかける。
「今君は一人じゃない。仲間がいる。俺たちがそばにいる。俺たちが君を変えるのを手伝うよ。それでも、駄目かな?」
「え、え、え、え」
 セオはおろおろと周囲を見回した。俺としては別に変わってほしいわけではないんだがな、と思いつつロンはにっこり微笑んでやる。
 セオは周囲を見て、うつむいて、おそるおそるラグの顔を見上げた。そして柔らかく微笑んだラグと目が合うと、かあっと顔が赤くなって止まっていた涙がまたぼろぼろぼろっとこぼれ落ちる。
 う、う、としゃくりあげるようにするセオに、ラグはぽんぽんと肩を叩いた。
「駄目かな?」
「駄目……じゃ、ない、ですっ………」
「そうか。ありがとう」
 ロンは感心した。こいつ教師とかになった方が似合うんじゃなかろうか。
 ぽん、ぽんとセオの肩を叩きながら優しく笑うラグの顔を、セオは泣きじゃくりながらも必死に見つめ、その顔がふいに緩んで――
「だ―――っ、もーうっせ―――っ!」
 フォルデの上げた絶叫に、固まった。
 フォルデは飛び起きると、すたすたとセオに近づき、思いきり頭を拳でぐりぐりいじめる。
「黙って聞いてりゃうじうじうじうじ、てめぇは甘やかされすぎなんだよっ! ちったぁ自分の力で生きていこうって意志はねーのかお前はっ」
「ご、ごめん、なさいっ」
「こんな奴いちいちかまってどーなるってんだっ、ほっといて自分でやらせりゃいーんだよっ、言っとくけど俺は絶対絶対絶対こんな奴に協力しねぇからなぁぁぁっ!」
「ごめんなさい、ごめんなさーいっ!」
 ラグがこっそり頭を押さえて脱力しているのを見ながら、ロンは笑みを浮かべた。
 頑張ってくれ、世話係。俺は協力しないけど。
 だってセオがすぐ泣くようにならなくなっちゃったら、つまらないじゃないか。

 アリアハンから十日、街道を通って橋を渡り、アリアハン大陸の下半分をぐるりと回るようにして岬の洞窟と呼ばれている小島に通じる洞窟へたどりついた。
 その間の道中はおおむね順調だった。やはりセオは魔物と戦うことができず、魔物たちは自分たちが倒していったが。アリアハンの魔物は弱いので、全員まったくと言っていいほど傷を負うことなく、負ってもすぐに薬草で治した。
 その間でしょっちゅうフォルデは怒鳴り、セオは泣き、ラグはなだめ、ロンは傍観しているというパターンが定着してしまったりもしたが。とにかく、とりあえずの目的地にたどりついたのだ。
「へっへっへ、ダンジョンか。腕が鳴るぜ」
 指をわきわきさせながら笑うフォルデに、ロンは微笑みながら言った。
「ダンジョンは初めてか?」
「ああ? ああ。俺は都市の盗賊だからな。心配すんな、罠発見も解除も鍵開けも、俺ぁ一人前以上だぜ」
「そうだな、信頼している。だが岬の洞窟は自然の洞窟だから罠はないと思うがな」
「うっせーな! 誰かが仕掛けてるかもしれねーだろ!」
「フォルデ、こっちに来てくれ。カンテラ渡すから」
「カンテラ……って、あんた持ってんのか?」
「冒険には明かりは必需品だろう?」
「そーだけど。俺夜目利くぜ」
「それでも明かりがあるとないとじゃ雲泥だ。俺たちにも明かりは必要だしな」
「あ……あのっ」
 話し合う自分たちをじーっと見ていたセオが、ふいに声を上げる。
「……なんだよ」
「あの……俺、レミーラ……使いましょうか?」
「は?」
「ほう、君はレミーラが使えるのか」
「なんだよ、レミーラって」
「知らんのか? 明かりの呪文だ。熟練者が使えば昼間に近いほどの明るさになる」
「………ふーん」
 フォルデはぶっきらぼうに、やや面白くなさそうに言った。セオが少しでも冒険の役に立つというのが複雑なのだろう。野営の経験のないフォルデは、てきぱきと野営の準備をするセオにも面白くなさそうな視線を向けていたし。
「カンテラの準備はできた。中に入ろうか」
「はい」
「明かりの呪文があんのになんでカンテラ使うんだよ」
「呪文がなんらかの理由で消えてしまった時に備えて、明かりは複数用意しておくのがセオリーなんだ。覚えておけよ」
「……ちっ」
 舌打ちするフォルデ。こういう冒険に自分が後れを取っているのが面白くないのだろう。
 洞窟の暗闇の中に入ると、セオが呪文を唱えた。
「光る魚鳥の天景を、まだ窓青き建築を、静かにきしれ四輪馬車=v
 その静かな詠唱が終わると同時に、音もなく周囲を光が照らし出した。その光は真昼とまではいかないまでも朝の太陽ぐらいには明るい。
「ほう、やるなセオ。直接空間を光らせるやり方で、ここまでの光量を保つとは」
「え、あの、その。ごめんなさい、別に、そんなに大したことじゃ……」
「おい。ちょっと待てよ」
 フォルデが怪訝そうに口を開いた。セオが役に立つという事実に対する反感以上に、訝しく思うことがあるらしい。
「なんで普通に言葉言っただけなのに呪文が使えるんだよ?」
「え?」
 セオはきょとんとした顔をした。ラグをちらりと見て、だがラグも同じように訝しげな顔つきをしているのを見て泣きそうになる。
「それになんだよあの妙ちくりんな言葉の羅列。あれが呪文ってもんなのか?」
「いえ、その、あれは………詩、です」
「詩ぃ?」
 フォルデは思いきり顔をしかめた。ラグも怪訝そうな顔つきをしている。どうやらこの二人は、魔法には詳しくないらしい。
「セオ。なんなら俺が説明してもいいが?」
 たまには親切にしてみようかと言ってみた言葉に、しかしセオは首を振った(泣きそうな顔で)。
「いえ、あの、俺、その程度のことは、自分で説明できなきゃって、思いますから………」
「ほう。なら任せよう」
 異常なまでに卑屈なセオだが、基本的に自分のことは自分でやるという思考の持ち主ではあるらしい。そういえば道中も、野営の時自分のことはてきぱき自分でやって、泣きそうな顔でまだ終わってないフォルデなどを見ていたものだった。
 セオはこくんとうなずいて、ラグとフォルデの方を向いた。
「あの、まず魔法――呪文魔法ってものは、五種類に分かれるんです」
「五種類?」
「はい、魔法使い魔法、僧侶魔法、賢者魔法、その他魔法、勇者魔法」
「……って、賢者魔法? 賢者っていうのは魔法使いと僧侶、両方の魔法を使う職業じゃないのかい?」
「えと、いえ、確かにそうなんですけど、魔法は、というか魔法の力を引き出す方法は全然違うんです。この違う魔法同士の中に同じ呪文として扱われてるものが何個もありますけど、それは効果が同じだから同じ呪文として扱われてるんであって、その力の原理は全然違います」
「はぁ? だって、効果同じなんだろ?」
「でも、違う魔法です。例えば、一km先のある地点へ一定時間で行くという時、走っていくのか飛んでいくのか泳いでいくのかで、いろいろ違いますよね? その程度にはそれぞれの魔法も違うんです」
「………はあ」
「まず、魔法使い魔法は混沌を制御する技術による力です。古代帝国で盛んだった魔法です。万物に内包される混沌の力に太古から伝わる術式と呪法で働きかけることによって、呪文を使います。詠唱には混沌言語と称される言語を使います」
「うん………」
「僧侶魔法は信仰による力です。神を信じるその強い精神により、神によって作られたこの世界の律を感知しそれに従って呪文を使います。魔法使い魔法より感覚的な魔法と言えるかもしれませんね。詠唱には聖句と呼ばれる、神の言葉を使います」
「はあ………」
「賢者魔法は世界の理を知ることによる力です。賢者は世界のどこをどう操作すればどういう反応が返ってくるか知ってるんです。なので自己の意思により世界の法則を読み取り、法則を使うことで呪文を使います。詠唱は精神の方向を定めるのに使うだけなので何語でもいいんですけど、たいていの賢者は古代語を使ってるって聞きました」
「………よくわからないんだが、それは魔法使い魔法とはどう違うんだ?」
「ひとつには混沌に働きかけるか世界に働きかけるか、です。もうひとつは、魔法使い魔法は法則を熟知していなくても呪文と術式を知っていればある程度は使えますが、賢者魔法は世界の理をきちんと理解していないと少しも使えません」
「へー……賢者って最初っから物知りなんだな」
「はい、すごいんです。その他魔法っていうのはそれ以外の職業の人間が使う魔法のことです。フォルデさんの盗賊魔法とかですね。これは職業に対する熟練により、世界の法則の近道を行う、一種の裏技です。ひとつの職業に熟練することで、その職業の職能をつきつめたものが魔法という形を取ったものです。詠唱が必要なかったりすることも多いですね」
「ふぅん……その他魔法にはなんで詠唱が必要ないんだろう」
「えと、職業によるコツの一環だからって説が有力、です。他の魔法は言葉自体に力がこもってる場合もあるし、そうでなくても自己の精神を法則を制御できるほど研ぎ澄ますには、言葉による詠唱は基本的に欠かせません。その他魔法は世界の法則に従ってその中ですでに作られている近道を、それぞれの職業特有の勘に従って行くので、詠唱が必要ないんだとか……はっきりとした解明はなされてないんですけど」
「……わけわかんねぇ。じゃあお前がさっき使った勇者魔法ってやつ? はどうなんだよ?」
「えっと、勇者魔法は……その、自己の才能に、よって、魔法を、使います………」
「ああ?」
 フォルデにぎろりと睨まれて、セオは泣きそうになって萎縮した。
「フォルデ……セオ、詳しく説明してくれないか?」
「う、はい。あの、勇者の使う魔法っていうのは、他の職業の魔法とは、全然違うもの、なんだそう、です。他の魔法は法則を利用して使うものですけど、勇者は、その天に選ばれた才能をもって、新しい法則を作り出してしまう、って、魔法の先生は言って、ました」
「法則を作り出す……それはすごいな」
「け、眉唾だぜ」
「ご、ごめんなさい……」
「フォルデの言うことは放っておいていいから。あの詠唱もだからなのかい?」
「あの、えと、勇者魔法の詠唱は、その勇者一人一人によってまるで違うものなんだそう、です。魔力の動きも構成もそれぞれまるで違うから……勇者の詠唱は、学ぶんじゃなくて、呪文を唱える時に自然に出てくるもので、古代語もあれば現代語もある、その勇者それぞれの、と、くべつ、せい、なんだそうです………」
「それで君の場合は詩なわけだ。なかなか風雅な詠唱だな」
 ロンがそう言うと、予想通りセオはぶわっと泣き顔になった。
「ごめ……なさい………」
「だからなんで謝んだよ謝るなっつってんだろーが!」
「落ち着け、フォルデ。……君は他にはどんな呪文が使えるんだい?」
「えと、メラ、ホイミ、ニフラム、ルーラ、ギラ、アストロン、リレミト……と、冒険用魔法はそのぐらい、です。あとレミーラとかメラッチとかメイルスとかトオーワとか、便利魔法はある程度使え、ますけど」
「ほう……けっこう使えるんだな。ルーラとホイミが使えるのはありがたい」
「そういえば、まだ俺たちはレベルの確認をしてなかったよな。ルイーダの酒場の登録票を見ればわかることだから言わなかったけど」
「確かにな。フォルデ、お前はレベルいくつだ?」
「は? なんで俺だよ」
「その方がショックが少ないだろう」
「なんだそりゃ……いいけどよ。俺はレベル9だぜ。もう鷹の目は使えるんだ」
 にっと得意げに笑うフォルデに、ロンはにっこり笑って言った。
「そうか。俺はレベル20だ」
「……っせーな! 俺だっててめぇの年にはそんぐらいになってら!」
「勇者の仲間になった以上この程度のレベルは一年で追い越すと思うよ。俺は21。セオは?」
「あの……えと、15、です………」
 おずおずとセオが言った言葉に、フォルデは文字通り目をむいた。
「はぁ!? なんでお前が15なんだよ!?」
「ご、ごめんなさいっ」
「ひがむな、フォルデ。この中で一番修行不足なのがお前だからって、俺たちは決して差別しないからな。たとえレベルがまだ一人だけ一桁だからって、たとえ野外活動の経験もまるでなかったからって」
「うるせーっ! おい、お前なんで旅立つ前からレベル15とかになってんだよ!? あれか、旅立つ前にこっそり弱っちい敵山ほど倒すとかしてたのか!?」
「してないですごめんなさいーっ!」
「じゃあなんでお前がレベル15で俺が………!」
「ひがむなと言っただろう、フォルデ。要するにこれはお前よりもセオの方が熱心に修行をしていたというだけのことだろう」
「………! だからって、レベルがちっと上だからって実戦で役に立たなきゃなんにもなんねぇんだよっ!」
 ふんっ、とそっぽを向くフォルデに、セオは必死に話しかけて何度も頭を下げる。フォルデは苛つくだろうなー、と思って見ていると、案の定怒鳴られて泣き顔になりラグに慰められていた。
 だがセオがそこまでレベルが高いとは思わなかった。この年でレベル15というのははっきり言って破格だ。子供の頃から職業を決めて、その修行にとことん没頭せねばそこまでにはならないだろう。
 勇者だから子供の時から職業が決まっていたというのもあるだろうが。やはりそれでも相当にとんでもない努力が必要だったろう。やはりセオは、勇者としての努力はしっかりしているのだ。現状役には立ってないにしろ。
 ともあれ、このパーティで初のダンジョン突入だ。ロンは一応それなりに気を引き締めてダンジョンに入った。
 それほど狭いダンジョンではなかったので、並び順は前列がラグとロン、後列がセオとフォルデという2×2の隊列を組むことにした。
 フォルデなら後列からでも投げナイフや鞭を使って攻撃できるし、セオは戦闘では役に立たないから妥当な人選だろう。後ろから襲われる可能性もあるが、その時はさっさと列を入れ替えればいいだけのことだし、そもそも二人とも純粋な後衛というわけではないのだからそれほど気を遣わなくてもいいはずだ。
 レミーラとカンテラの光の中、無言でひたすら前へ進む。大声を出すと魔物を呼ぶ危険があるからだ。
 この中にこのダンジョンに来たことがある人間はいないから、一応マッピングしておかなくてはならない。マッパー――マッピングする係はセオが引き受けた。
「俺、ぜんぜん役に立ってないですから、できることはさせてください」
 そう思いつめた顔で言われたので、マッピングの心得をラグと軽く確認して任せた。なのでセオは歩きながら紙にせこせこマップを写している。
 ダンジョン内に入って十分、ロンは声を上げた。
「……気をつけろ」
「は?」
「敵か?」
 ラグが斧を構えるより早く、敵は襲いかかってきた。これまでにも何度も出会ったことのある敵――一角ウサギと大ガラスの群れだ。
「ハイヤッ!」
 ロンがすかさず回し蹴りを放ち、一角ウサギの頭を叩き潰す。
「うらあっ!」
 半瞬遅れてフォルデが後方から棘の鞭を振るい、大ガラスたちにダメージを与える。実際彼の動きの俊敏さだけは大したものだと認めざるをえない。
「ふんっ!」
 それから数秒遅れて、ラグが一角ウサギの体を一撃で真っ二つにしている。ラグは動きは遅いのだが、その腕力ははっきり言って桁外れだ。
「……っ!」
 セオも前に出てくる。だがセオは攻撃するというよりは、魔物の攻撃の邪魔をするという方が当たっていた。突進してくる一角ウサギや大烏を、巧みに牽制し移動の軌道をずらす。
 それは確かに相手との確かな力量差がなければできないことではあったが――それよりもさっさと魔物を殺した方がどう考えても圧倒的に手っ取り早く、戦術的にも有効だった。
 まあ、この子がそういう道を貫きたいなら好きにすればいいだろう。自分は自分で敵を倒すだけだ。それに彼がその道を貫き通すと言うのならそれはそれで大したことだし。
 そんなことを考えながらも体は素早く身につけた技を繰り出す。これだけレベル差があればめったなことで命を失うことはない。
 ほどなくして襲ってきた魔物全体撃退完了し、ロンは軽く呼吸を整えた。
「へっ、雑魚ばっかだな」
 フォルデが得意げに笑う。ロンはにやりと笑って言ってやった。
「アリアハンの魔物は基本的に雑魚ばかりなんだぞ。この程度の魔物を倒したくらいでいい気になるのは、いくらなんでも器の小ささを露呈しすぎじゃないか?」
「んだとっ!? この腐れ武闘家!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて……」
「あのっ、ごめんなさい、お願いです、喧嘩しないでくださ……」
「そこでなんで謝んだテメーは!」
 ぎゃあぎゃあと喚くフォルデ、泣きそうな顔で謝るセオ。そんな二人を今度はどうつついてやるか、と考えていたロンは、迂闊なことにラグが声を上げるまでその気配に気づかなかった。
「フォルデ! 後ろ!」
「え?」
 フォルデのきょとんとした顔は、後ろから巨大な舌に巻きつかれるに至って驚愕の表情に変わった。フロッガー――巨大蛙の攻撃だ。
 凄まじい力でフォルデの体が引っ張られ、フロッガーに飲み込まれそうになる。すかさず走ったが、人面蝶に動きを阻まれ、先にそいつを蹴り倒さねばならなかった。ラグは後方からやってきたフロッガーと人面蝶の群れを一人で相手している。
 仕方がない消化液で少し火傷するくらいは我慢してもらうか、とロンは覚悟を決めたが――
 その瞬間、セオが動いた。
 疾風のような速度でフォルデに迫り、一刀のもとに舌を切り落とす。絶叫するフロッガーに肉薄し、迅雷の速度で心臓を一突き。
 吹き出す体液をさっと避け、フォルデを引っ張って立たせる。容赦なく、効率よく、敵を抹殺し味方の被害を避ける。レベル15というのもうなずける、徹底した訓練をうかがわせる動きだった。
 セオがくるりとこちらを振り向いた時には、もうこちらの敵は掃討し終わっていた。もとからさして大量の敵がいたわけではない。
 レミーラの明かりで照らされた洞窟の中に、しばし静寂が満ちた。
 数瞬ののち、フォルデがひどく悔しげに、苛立たしげに言う。
「言っとくけど、礼は言わねーからな。俺だけだって舌から抜け出すぐらい簡単だったんだ。ナイフ抜いてしっかり脱出の準備してたんだからな」
「それでもお前がフロッガーなんぞに捕まったのは紛うことなき事実だがな。雑魚ばっかと言っていたすぐあとに」
「うっせぇ黙ってろ腐れ武闘家!」
 ムキになって言い返してくるフォルデをあしらいながらも、ロンは首を傾げていた。セオがまるっきり反応しない。
 ひたすらに自分の両手を見つめて、呆然としているようなポーズを取ったまま少しも動こうとしない。
 ラグが静かに近寄って、ぽんとセオの肩を叩いた。
「大丈夫かい、セオ?」
 セオは呆然とラグを見上げる。ラグはあくまで優しく、わずかに微笑んでセオを見つめ続ける。
「………う」
 セオの顔がふいにくしゃくしゃっ、と歪んだ。その美しい顔を見る影もなくぐちゃぐちゃにして、セオは――
「う、わあぁぁん、うわあぁぁぁん!」
 大声で泣き出した。
「う、ひっ、うわあぁぁん、うわぁぁぁあん!」
 その顔は本当に、心の底から、ひどく悲しくてたまらないと言っていた。苦しげで寂しげで悲しげな、そういう感情を全部ぐちゃぐちゃにした表情で感情を撒き散らすセオ。
 ――魔物を殺すことがそんなに悲しいのだろうか。身も世もなく泣き叫んでしまうほど、命を奪うことが辛いのだろうか。
「………っ」
 フォルデが隣で拳を握る。苛立ちのためか、それともセオのあまりに子供っぽい悲しみの表現に圧倒されたのか。
 ラグは少し困ったような顔をしつつ、ぽんぽんとセオの背中を叩いてやっていた。本当にほとんど保父のようだ。
 ロンはといえば――心底悲しげに泣きじゃくるセオをさすがに少し哀れに思いながらも、あーやっぱりこの子の泣き顔はかわゆいなぁ、などと不埒なことを考えていた。

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