スー〜エジンベア〜最後の鍵――1
「よいっ、しょーっ!」
 ぴょーい、と見張り台から飛び降りてきたレウに(ちなみに見張り台の高さは目測で甲板から五丈はある)、セオは驚き慌てながらもその体を両腕で受け止めた。少なくとも怪我をさせるような受け止め方はしなかったはずだけれども、やはりうろたえずにはいられず(五丈もの高さから鎧を着けて飛び降りたら普通の人間は怪我をする)、急ぎ慌てつつレウの顔をのぞきこむ。
「あ、あの、レウっ! だ、だいじょう、ぶ……?」
「うんっ! セオにーちゃんが受け止めてくれたからっ!」
 満面の笑顔で抱きついてくるレウに、セオは思わず硬直する。この一ヶ月半、レウは今まで以上にこんな風に、嬉しげに自分に近づいてくるようになった。
 もちろんそれが嫌だというわけではなく、レウが心の底から嬉しそうなのだからこれはむしろいいことなのだろうと思うし、レウに触れられるのも、レウに触れるのも、なんだか胸がほんわり温かくなるようで心地いい――のだが、なんというか、これまでの人生でそんな風に肉体的な接触を行われることがほとんどなかったセオは、どうしてもどうしていいかわからなくなって固まってしまう。こんなことではいけないと、きちんと気持ちを返さなくてはならないと思っていても、体がちっともそんな風に反応してはくれないのだ。
 それが申し訳なくて、なにか言おうと口を開ける――が、レウが嬉しげに、変わらぬ満面の笑顔でこちらの顔をのぞきこんでくるのに、どうすればいいのかわからなくなってまたも固まってしまう。口をまともに動かすこともできなくて、申し訳ないしこんなことではいけないと思うのに、レウはそれをまるで気にした風もなく機嫌のいい顔でこちらを見つめてくるので、セオは本当にどうすればいいかわからなくなって、顔を熱くしながら動けなくなってしまうのだ。
 と、がつんがつん、という音とともに拳が自分とレウ、両方の頭に落とされた。
「てめぇら、いつまでぐだぐだくっちゃべってやがんだ。交代の時間なんだからちゃきちゃき動けっての」
「あ……」
「たた……いったいなー、フォルデ。殴んなくたっていいだろー」
 そう、自分たちの背後に音もなく忍び寄って拳を落としてきたのはフォルデだった。ふん、と鼻を鳴らすその顔は、苛立ちを表すように大きくしかめられている。
「んなしゃらくさい口利く余裕があんならとっとと仕事しろ。……ったく、もう一ヶ月半も経つってのに相も変わらずべたべたしやがって、いい加減ちったぁ日常ってもんを取り戻しやがれ」
「あ、あ、の、ごめ、ごめんなさ」
「なんだよー、フォルデだってまだセオにーちゃんの元気な顔見るたびに嬉しそーに笑ってるくせにー」
「え」
「………はぁっ!?」
 フォルデが怒りにか、かっと顔を赤くしてぎろりとレウを睨む。だがレウは平然とした顔で、ひょいと自分の腕の中から降りながら言ってのけた。
「セオにーちゃんが元気に働いてるとことかさ、気配消してこっそり見守って、うっれしそーににこにこしてんじゃん。フォルデだってほんとはセオにーちゃんとぎゅーってしたりしたいんだろ?」
「な、なっ……馬鹿かてめぇは!? 俺をいくつだと思ってんだ、第一んなガキが母親にするような真似誰が」
 フォルデはぎっともう殺気すら籠っているのではないかという目でレウを睨みつけるが、レウはきょとんとした顔でさらっと言葉を返す。
「いくつだっていいじゃん。だって、大好きな人が元気だって確かめんの、すっげー嬉しいことだろ?」
「……………………」
「ば……な、のっ……てめ……」
 フォルデは相変わらず顔を真っ赤に染めたままぎっとレウとセオを等分に睨みつけつつ、ぱくぱくと口を動かす。そこまで怒りが大きいのだろうか、とセオは思わず不安と恐怖に震える――
 と同時に、心の一部分が、別の予測を立てていた。「もしかしたら?」と。「もしかしたら、この人は?」と、身勝手で、偉そうで、押しつけがましくて、思い上がりもはなはだしい予測を。
 セオ自身、この一月半、戸惑い、混乱し、どう対処すればいいかいまだにわからないでいるその心に勝手に浮かび上がってくるその予測の一番困ったところは、「もしかしたらこの予測は正しいのではないか?」と、今まで考えつきもしなかった思い上がった思考も同時に浮かび上がってきてしまう、ということだった。そのせいで、セオはいつも、どう対応するのが正しいのかわからなくて固まってしまう。
 これまでの人生で存在しなかった、そんなことがありえるとすら思っていなかった事態に、心身が混乱して、どうすればいいかわからなくなって、真っ赤になって動けなくなってしまうのだ。
「ほらー。せっかくセオにーちゃんがしていいよっつってんだから、ぎゅーってすればいいじゃん」
「っ……!」
「な、ば、馬鹿かてめぇはぁぁっ! んなことこいつ一言も言ってねぇだろーがよっ!」
「言ってはないけど顔見てたらわかるじゃん。フォルデだってわかんだろ、そんくらい」
「っ………」
 ほら、とばかりにレウにぽんぽんと腰のあたりを叩かれ、セオはよろよろっと数歩前に進んだ。すぐ目の前に立っているフォルデの顔を、おそるおそる、心臓をばくばく言わせながら、熱く火照った顔で見上げる。
 フォルデは、真っ赤な顔で、ぎっとこちらを睨むように見つめている――のに、怒っているようにしか見えないのに、セオの心は勝手におかしな期待をしてしまう。フォルデが、レウにあんな風に言われて、自分が元気だと確かめる機会を得られたのを、喜んでいるのではないか? という、思い上がっているにもほどがある期待を。
 フォルデも、レウのように、ロンのように、ラグのように、自分が死にかけたあの一ヶ月、ひどい苦痛を与え、傷つけてしまった。それをセオは自覚しているし、全力で償わなくてはと思っている。なのに、『だから、フォルデは自分のことを、自分がフォルデを想うように大切に想ってくれているのではないか?』などと、考えるのもおこがましいようなことを、勝手に頭の隅が考えてしまうのだ。そんな、身勝手で、思い上がった、震えるほどに、痺れるほどに、体中がぎゅうっと引き絞られるような気がするほどに、心臓が早鐘を打つ考えを。
 フォルデはこちらを睨むように見つめる。セオもなんと言えばいいのかわからず、フォルデをおそるおそる見返す。お互いの顔が真っ赤なのは否が応でもわかったが、フォルデがどんな言葉を求めているのかはさっぱりわからなかった。
 互いに魔船備えつけの時計の長針が数回転するほどの時間、身じろぎもせずにただただ視線を交わす――と、ラグの落ち着いた声が船内に響いた。
『船内放送、船内放送。みんな、食事ができたから、船を停めて、食堂に集まってくれ。ちょっと早いけど、交代は食事が終わってからにしよう』
「お! メシだって! セオにーちゃんっ、フォルデっ、さっさといこーぜっ!」
 レウの声にはっとして(レウは自分とフォルデが向かい合っている間ずっと黙って(首を傾げつつ)待ってくれていたのだ)、おずおずとうなずく。ラグの作った料理を無駄に冷ますようなことは、死んでもしたくはない。
「う……ん」
「……おう」
 フォルデもぼそっと答えて、自分たちの少し後からやってくる。その途中で、なにやらひどく苛立たしげにがりがりと頭を掻いたり、がすがすと甲板に蹴りを入れたり、何度も腹立たしげに舌打ちをしたりする――のに、セオはいつものように反射的に『自分がなにかしてしまったのではないか』とびくっとするのだが、そんな時でも頭の隅っこに奇妙な考えが浮かんでしまうのだ。
『この人は、自分と話せなかったのが、悔しいのではないか?』
 そんな、馬鹿げた、思い上がりもはなはだしい、自意識過剰にもほどがあるであろう、あまりに傲岸不遜な考えが。

「いっただっきまーっす!」
「いた……だき、ます」
「いただきます」
「……いただきます」
「はい、どうぞ召し上がれ。ま、大して手間のかかってる料理じゃないけど」
 ラグが苦笑しながらお茶を淹れてくれるのに感謝の念を込めて頭を下げてから、改めて手を合わせて食べ始める。今日のメニューはカプサ――アッサラーム風のピラフにシシカバブ、タブーリ――アッサラーム風パセリのサラダだった。基本的に一日に何度も何度も魔物と戦うことになるので、全員相当な運動量になることを考慮してだろう、いつものようにたっぷりとした量が用意されている。
 実際毎日体力の消費が激しいのも確かだったので、ラグのその心遣いはありがたかったし、セオはラグの料理が好きだったので、それをたくさん食べられるのは嬉しかった。ラグの料理はいつも、その人柄のように、暖かくて優しい味がする。食べていて幸せな気分になれるのだ。食材になった動物や植物には、申し訳ない気持ちをやはり感じてしまうけれども。
「うっめーっ! やっぱラグ兄の作るメシってうっまいなー! セオ兄ちゃんのもロンのもフォルデのもうまいけどさっ」
「え、あ、の、俺のは、別に、そんなことは」
「十把一絡げに褒めてんじゃねーよこのクソガキ。っつーかてめーは自分で作るんじゃなきゃどんなんでもいいんだろーが」
「そんなことないって! みんなの作るメシって絶対おばさんの作るのよりずーっとうめーって思うもん!」
「はは……まぁ、ご飯はおいしいにこしたことはないしね。生きる気力が湧いてくるし」
「そうだな、食は生きるための必需行為だ、うまいものを食えればそれだけで幸せな気持ちになる。だからこそ食ってくれる人においしいと言ってもらおうと思って作る料理がうまくなるわけだな。料理は愛情というのは、それほど的外れな言葉じゃないんだぞ。俺たちの作る料理を食っても、わかるだろう?」
「っ……」
 セオは思わず、固まった。ロンが一瞬、ひどく優しげな視線を自分に向けたような気がしたからだ。もはや愛しげとすら呼んでよさそうな、視線だけで自分を包み込んでくれるような、温かみのある瞳で自分を見つめたような、そんな思いこみも甚だしい気が。
 もちろんほんの一瞬のことだし、気のせいだと考えるのが妥当なのだろうに、セオはつい数瞬固まってしまう。ロンのその優しい眼差しに、緊張して心臓が勝手に心拍数を上げて、なにを言えばいいかわからなくなってしまって。しかもそんなところににこり、とロンが微笑みかけてくるものだから、セオは思わずかぁっと頬を上気させてしまったが、とにかく今は食事中なのだからと(ラグの料理を無駄に冷ますなんて言語道断だ)、できるだけの感謝を込めて小さく頭を下げてから、自分の皿に向き直って料理を口に運び、味わった。
 そうして食べるラグの料理はやっぱりとてもおいしくて、セオはほぅっ、といつものように感謝のため息をついてしまう。この料理も動物や植物の命をいくつも奪って創り出されたものなのはわかっているけれども、みんなが食べやすいようにと味付けはもちろん、野菜をはじめとした食材の組み合わせも考えられているし、レウなどが食べにくいと言った野菜は細かく刻まれて匂いが抑えてあるし、とすみずみまで心遣いが行き届いていて、ラグの優しさがそのまま表されているようで思わず嬉しくなってしまうのだ。
「本当に、おいしいです。本当に、すごく……」
「そうかい? そう言ってもらえると、嬉しいな」
「っ……」
 セオの言葉に笑顔を返すラグに、セオはまたカッと顔を赤らめてうつむいてしまう。ラグの笑顔は、いつものように暖かくて、とても優しい。それはずっと前からわかっていたことだ――なのに、どうして自分はこんな風に、勝手にその中から自分に対する好意を感じ取ってしまうのだろう。
 ラグのその優しさや、笑顔や瞳の中には、自分に対する好意から生まれた部分もあるのではないか、などと思い上がった考えが浮かんできてしまうのだろう。そしてそれが嬉しい、などと――そんな不遜にもほどがある考えを喜びとともに受け止めてしまうのだろう。
 自分は、許されないことをした。自分の勝手な都合で山ほどの命を奪った。本来なら世界中に意志を問うてみるべきことを、自分などの勝手な考えで執り行った。――仲間たちを、傷つけた。
 絶対に許されないことだ。一生許されるわけがない罪だ。自分は少しでもそれを償うために一生全力を尽くさねばならない、いや尽くさずにはいられない。それ以外の道など自分には存在しえない。
 なのに、どうして、この人たちは、あんな風に笑ってくれるのだろう。優しい顔で、嬉しげな顔で、幸せそうなとすら言ってよさそうな顔で。あんな風な瞳で自分を見つめてくれるのだろう。自分はなにをしたわけでもない、少しも罪を償えてなどいないのに、あんなに柔らかい、優しい顔で。
 そして、それに自分は心底申し訳ないと思うべきだし、事実どれだけ頭を下げても足りないと思うのに、体が固まってしまうのだろう。どうすればいいかわからなくなってしまうのだろう。混乱して、惑乱して、緊張して、硬直して――
 それなのに自分の胸は、勝手に暖かくなってしまう。嬉しいとか、幸せだとか、そんな気持ちが溢れそうになってしまう。この人たちの想いに少しでもなにかを返すことができたならと、少しでも想いを返したいと、そんな不遜な想いが泣きそうになるほど、叫びだしたくなるほど胸の中で暴れ出す。
 そんなことできるわけがないのに、自分などのできる範囲ではこの大切な人たちに想いの一端すら返せないとすでに実証されているのに、それでも『少しでも』『少しでも』と心臓が叫び出す。『少しでも、この大切な人たちに、真正面から向き合うことができたなら』などという気持ちが爆発しそうになるほど充満してしまう。
 幸せだ、なんて、身勝手で、不遜で、思い上がっていて、許されるはずがない感情が、胸の中から、全身に、溢れ出しそうなほど、広がって――
 そんな感情を必死に抑えながら、セオはカプサを口に運ぶ。アッサラーム風の料理はたいていそうであるように、カプサも手づかみ(特に右手)で食べるのが作法だ。右手だけで味をつけた米の上に乗った肉をちぎり、米も当然右手だけで握って固め、口に頬張る。
 柔らかく、優しい味が口の中に広がる。そして時々口の中に入ってくる香辛料が強い刺激を放つ。その組み合わせが、不思議にこちらの心まで和ませてくれる。
 船出したばかりの頃とは、また味が違う。アッサラームでおいしいとされている味から、仲間たち全員がおいしいと感じられる味へと、少しずつ味付けを変えていったせいだ。船の上では見張りに操舵に稽古に、といつもひどく忙しいだろうに、その間をぬって。
 それがたまらなく胸の中の感情を浮き上がらせて、セオは泣きそうな気持ちで顔を上げ、精一杯の感情を込めて告げた。
「おいしい、です。本当に、すごく……すごくおいしい、です」
 真正面から告げられて、ラグは少し驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んで言ってくれた。
「そうか。……ありがとう。嬉しいよ、セオ」
 そんなことを泣きたくなるほど優しい笑顔で言って、手の汚れを拭ってからぽん、ぽんとセオの頭を軽く叩くように撫でてくれる。嬉しそう、どころか幸せそうな、とすら言えるのではないかと思ってしまいそうな暖かい表情で、びっくりするくらい、優しく。
「あーっ、ラグ兄ずっりーっ! 俺だってセオにーちゃんの頭撫でたいのにっ」
「それを言うなら俺だってだぞ。ただでさえ今日は食事当番が回ってこないせいで愛を込められる機会が少ないというのに」
「阿呆かてめぇらっ、んなことどーだっていいだろーがっ、んな無駄なこと露骨に言うくれーだったらもっとマシな機会に自己主張しやがれっ!」
「ほうほう、なるほど、フォルデ、お前はそういう風に自分の愛を主張できる機会を虎視眈々と狙っているのか」
「なっ……んな、んなわけねーだろっ!? 俺は別にそんな」
「フォルデってほんっとに意地っ張りだよなー。セオにーちゃんが好きなのとか見ればわかんのにさー、素直じゃないっていうか」
「て……てめぇらぁっ、そういう勝手なこと抜かしてると本気でぶっ殺」
「声に力が入ってないぞ? 自覚症状があるんだろうに、いまさら意地を張る必要があるのか? ま、そういう意地っ張りなところがお前の魅力と言われればそうではあるが」
「てめぇに魅力的だなんだと言われても心底嬉しくねぇっつーんだよっ!!!」
「ほらほら、お前ら、食事中なんだからあんまり暴れない。あんまり喧嘩してるとセオが泣いちゃうぞ?」
「! あ、のっ」
「はは、ごめんごめん、ちょっと意地悪だったかな。とにかく食事はみんなで楽しく食べようってことだよ」
「うー……はーい」
「チッ……わかってるよっ、んなこたぁっ」
「その言葉自体には異存はないが、ラグ、お前最近ちょっと調子に乗ってないか? セオの懐き度がさらに上がったから」
「……別に、そういうわけじゃ、ないぞ?」
「あーっ、ラグ兄ちょっと口ごもったーっ」
「なんだお前、本気で調子に乗ってたのかよ。んなに俺らにシメられてぇってか?」
「だから、そういうわけじゃ……ないぞ? 本当に」
「この期に及んで口ごもっている辺りですでに語るに落ちているぞ。というか表情からしてすでに……」
 そんな風に声が飛び交う食卓で、セオは顔を真っ赤にしながらもぐもぐと暖かい味の料理を食べていた。自分のせいで食卓の雰囲気が壊れないように必死に黙っているのはいつもと変わらないはず、なのにどんどんと溢れそうになる幸せな感情を、懸命に制御しようとしながら。

 セオたちは今、ルザミから南下し、北極点を越えて地図の上方へと移動し、ガディスカ大陸へとやってきていた。ガディスカ大陸に広く分布している、スー族(祖霊神ワランカを奉じる民族。総じて褐色の肌と地味な色味の髪を持っていることが多い。レウの先祖が属していた部族もこの中に含まれる)からイエローオーブを手に入れるためだ。できればレウの先祖――サドンデスの名を冠される者たちが生まれる部族についての情報を得たい、という気持ちもあったが、それはとりあえずは副次的なものでしかない。
 イシスのピラミッドから盗み出されたと思われるイエローオーブがスー族の手に渡ったのではないか、という情報は、アッサラームの商人ギルドと盗賊ギルドからほぼ同時にもたらされた。アッサラームを出発してから九ヶ月、セオの体調が快癒したのち、協力を要請したダーマの諸機関に挨拶回りをしている時に、アッサラームからの使いの者が現れてその旨を伝えてきたのだ。
 なんでも、九ヶ月という時間をかけて少しずつ調査範囲を広げてきた二つのギルドは、数年前にエジンベアからガディスカ大陸に向けて出航した船があったことを突き止めたそうなのだ。その船にはなんでも、こちらの大陸の種々様々な産品のみならず、イエローオーブとおぼしき黄色の宝玉が積んであったらしい。
 船長はエジンベア人、オーガスタス・マッカルモント。船籍はエジンベア。船名は花畑の姫君″。出航の目的はスー族からガディスカ大陸の特産品を手に入れるため、と言っていたそうだが、現在に至るまでその船がエジンベア――のみならず、文明国と称されるルーラによる連絡網ができている港に入港した記録はない。
 つまり、船がどこかで頓挫しているのでなければ、イエローオーブはガディスカ大陸にある可能性が高い、と報告を受けた。山彦の笛による調査においても、その報告と同じ結果がもたらされた。
 他のオーブのことも気になるが、他の対象はどれも存在する場所があらかじめ調査した箇所から(山彦の笛で調査した限りでは)動いていない、ということもあり、とりあえずはイエローオーブの方を優先しよう、と仲間たちで話し合って決めた。なので、ルザミは世界地図で言うなら南東の端(アリアハンからさらに南東。経度で言うならアリアハン東端とサマンオサ南端の中間辺り)にあるため、そのまま南下して、グリンラッドの東を通り、オクタビアの創っている都市オクトバーグの東の海を南進し、ガディスカ大陸へとたどりついたのだ。
 スー族はガディスカ大陸の南東、東部から中央にかけて、南西、中央部、北西、西部の暖かい地域、と広い地域に点在し、それぞれが大きく異なる文化と風俗を持っているのだが、その生活はアリアハンが世界を征服した時代以前からほとんど変わっていないそうだ。その理由の多くはアリアハンがガディスカ大陸のうち豊かな地域を押さえることのみでよしとし、広い地域に点在するスー族をいちいち狩り立てるようなことをしなかったせいなのだろうが(ガディスカ大陸に征服の手を伸ばした頃には古のアリアハン帝国も円熟期に入っていたからだろう)、少なくとも大きな都市=ルーラによる連絡網を築きうる拠点はまず存在しないと考えていい。
 つまり点在する部族とその集落ひとつひとつをまったく別の民族と考えなくてはならないので、セオたちは相談の末、あえて集落をひとつひとつしらみつぶしにしていくようなことをせず、行き会った際に挨拶と情報収集をする程度でとどめ、山彦の笛から返ってくる反応を追って、世界でも有数の大河であるミッシルピー河を(この河と幾重にも連なる大山脈で陸地がいくつにも分断されているせいで、ガディスカ大陸は靴≠使用したとしても陸を長距離移動することは難しい)魔船でさかのぼっていくことにしたのだが。
「……イエローオーブの話とか、全然出てこないねー」
 稽古の時間で一緒になったレウが、舳先に立ってさかのぼっていく河の先を見ながら呟いた。圧倒的な威容と水量でもって流れ落ちてくる大河ではあるが、魔船の自動航行機構にはさして障害にはならない。滝やらなにやらで進めなくなったとしても、機構を適切に操作してやれば(そして、それを自分たちで後押ししてやれば。なにせラグはやろうと思えば魔船を持ち上げることさえできるのだ)滝登りくらいはできる。
 なので、現在の自分たちの旅の障害というのは、入手できる情報の脆弱さにつきた。魔物は一刻の間に十回近く襲ってはくるが、それくらいはいつものことではあるし。
「……そうだね。これまでいくつもの部族の人と行き当ったけれど……イエローオーブについても、メイロデンノグサ部族についても、まるで知っている人はいなかったし」
 よそ者相手だから情報を漏らそうとしない、というのとは違う。行き会った人々は総じて警戒心が強かったものの、それ以外は他の地域と同様に明るい人間も話し好きな人間も親切な人間もいた。ほとんどの人間がこちらの持っている食糧などと物々交換で、天候や最近起きた事件などの情報を話してもくれたし、ついでだとばかりに自分たちの集落に招待して食事を振る舞ってくれることも多かった。
 だが、それでも、これまで会った人々の中には、イエローオーブのことについても、メイロデンノグサ部族――レウの先祖たちの部族についても、エジンベアからやってきた花畑の姫君″についても知っている人は一人もいなかった。聞いてもどんな人もきょとんとした顔をするばかりで、その存在すら知らない人しかいない、という状況が続いていたのだ。
「ま、山彦の笛は反応してんだし、このままどんどん進んでけばいつかは見つかんだろうけどさー。一ヶ月半も船の上っていうの、ちょっと飽きるね。まーたまには降りて狩りしたりスー族の人たちと話したり飯食ったりしてるけどさ」
「あ……うん……。ごめ」
「まーでも、セオにーちゃんが元気だからいーやっ! セオにーちゃんが死にそうだった時とか、俺も、あとみんなも死にそうな感じだったもん!」
 満面の笑みを向けられて、セオは思わず固まった。謝らなくては、それがこの状況では当然の行為だ。頭を擦りつけても全身全霊で謝意を表さなければ。理性はそう訴える。
 なのに、体が固まってしまう。心臓がどきどきと高鳴って、幸福な鼓動を刻んでしまう。
『それは、レウや仲間たちが、心底自分を心配してくれたからではないか?』という、傲慢で、不遜で、身の程をわきまえないにもほどがあるだろうという思い上がった思考がどんどん湧き上がってきて、必死に自分を叱るのだけれど、それでもわぁっとばかりにその考えは、感情は全身に広がって。
『嬉しい』と。『仲間たちが自分を心配してくれた、大切に想ってくれた、死ぬほど嬉しい』と、状況をわきまえないにもほどがある、不合理で、身勝手で、見境のない想いが爆発しそうになってしまうのだ。
 顔を真っ赤にしたまま、ひたすら固まっているセオに、レウは(セオの奇行を気にした風もなく。というよりむしろ嬉しげに笑って)ぽんぽんと背中を叩いてくる。セオはばっと顔を上げ、せめてなにか感謝の言葉を告げようと必死に舌を動かそうとした。
 いつものように舌はこわばり、まともに動かない。顔が泣きそうになるのを必死に堪えているせいで表情筋は歪み、ひどく変な顔になっているだろう――なのに、レウは少しも嫌な顔をせず、訝るような顔もせず、ただにこにこ笑って自分が言葉を発するのを待っている。
「あ……の、レ、ウ………」
「うん」
「あ、り……あり……あ、りっ」
「うん」
「あり……が、とぅっ」
 こんなことを言うこと自体相手には迷惑なのではないかという恐怖。相手にとってはこんな風に言いよどみ、うろたえる自分はひどく愚かに、見苦しく映るだろうという羞恥。
 けれど、相手に少しでも自分の心を、ありったけの感謝を伝えたいという溢れそうなほど湧いてくる情動。なにをしてあげられるのかわからない相手に、少しでもなにかを伝えることができたらというきっとひどく愚かしいであろう希望。
 そして、自分のそんな逡巡も、感情も、相手は受け止めようと――受け止めたいと思ってくれているのではないかと、根拠も理由もまるでないのに熱病のように自分の頭から離れない思考。
 そんな一緒にいくつも湧いてくる感情のまま、きっとひどくみっともないだろう顔を熱くしながら、衝動に、勢いに耐えきれずに口にした感謝の言葉。きっとひどく聞き苦しいものだったろうに、
「うんっ! どーいたしましてっ!」
 口にするたびに、レウはそう、満面の笑顔を浮かべてくれるのだ。

「あ、の……フォルデ、さん」
「……ああ。交代の時間か」
「あ、の。……はい」
「わかった。ちょっと待ってろ」
「は、い」
 見張り台の上。フォルデと見張りを交代する時間。セオは身の回りの物を片付けていくフォルデの後ろで、固まっていた。
 季節は夏。陽射しの厳しいこの季節は、船の見張りが冬とは別の意味で体力的に負担になるだろう、とセオは考えていたのだが、おおむね予想に違わなかった。それは移動している地域のせいもあるのだろう。
 ガディスカ大陸の北東部の気候はおおむね一年を通して寒冷で湿潤、南東部は気象学的な分類では温暖湿潤気候――気温の年較差が大きく、夏に高温・多雨である気候に当たるのだが、ミッシルピー河の河口付近はその中でも特に南であるせいで、俗に亜熱帯と呼ばれる、大陸の東岸においては特に湿潤な、相当に気温の高い地域に入っていた。そこから北へと河をどんどんとさかのぼってきたため、急激な気温の変化に体がついてこられず、レウなどは少し食欲をなくしていた時もあった(全員の体調をいつも気遣ってくれているロンが『五杯飯が三杯飯になった程度で心配する必要はない』とセオたちの心配を蹴散らしてくれたおかげで、必要以上に不安になることはなくてすんだのだが)。
 もちろん魔船には常に気温を一定に保つ結界が張られてはいるのだが、それでも夏の日差しは鋭く目と肌を焼くし、高い湿度は確実に体力を削ぐ。それに集落を見つけるごとに交渉のため魔船の外に出ているので、温暖なアリアハン出身のフォルデも、一年を通して寒冷なムオル出身のレウも、気温自体はこの地域より高くとも湿度の低いアッサラーム出身のラグもこの気候に対する言葉を漏らしていたことが一再ならずあった。
 今はミッシルピー河もかなり北へと上がってきたこともあり、かなり過ごしやすくなってきてはいるが(そのせいで少し体調を崩すようなこともあったのだが)、ロンは今でも日中の見張りの際は水分補給と日除けの装備をすることを義務付けている。なのでフォルデももちろんロン特製のレモン水入りの水筒と、日除け用と汗拭き用のタオルを持ってきていているのだが、それをフォルデがていねいに片付けていくのを見ながら、セオは、『どうしよう』と思っていた。
 どうしよう。どうすればいいんだろう。朝、フォルデと話したことに、どう応えればいいんだろう。
 いや、もちろんこんなことは自分の自意識過剰なのだろう。この旅の間中、いつもいつも迷惑をかけて、嫌な思いばかりさせてきてしまったフォルデが、本当は自分のことを、自分がフォルデを想うように大切に想っているのではないか、など思いこみが激しいにもほどがある。
 なのに、自分はなぜか、この一月半何度もそう感じたように、『もしかしたら本当にそうなのではないか?』などと驕り高ぶったことを考えてしまう。偉そうな思い込みを信じそうになってしまう。
 何度なにを考えているのかと否定しても、心の底から、幾度も湧いてきてしまう。どうしても消すことができない。だって、どうしたって、『もし本当にそうだったら』という、不遜なことを考えてしまうのだ。
 もし本当にフォルデが自分のことを大切に想ってくれているのだとしたら。自分がフォルデを想うように想ってくれているのだとしたら。自分の今までの在り方は、向き合う態度は、想いを受け取ろうとしてくれないように感じられるのではないか、と、自分などがフォルデの心情を慮ろうなど傲慢にもほどがある、と自らを叱咤しながらも――
「おい」
「はいぃっ」
 いつの間にか耽ってしまっていた物思いから覚まされて、大声を上げてしまったセオに、フォルデはわずかにぴくりと肩を震わせたが(ああやっぱり気に障ったんだ、とセオは自身の心に恐怖と不安と自責の念を突き刺した)、それ以上の感情は現さずに、セオに背を向けたまま呟くように言った。
「……あのよ。この辺の……スー族だっけ? の奴らの使う言葉って、みんな妙に訛ってるよな」
「え? ……ええと、はい」
「なんでみんながみんなああも訛ってんだよ。普通、どこの国の奴らだって使ってる言葉は同じなんだから、あそこまで訛りゃしねぇだろ」
「ええと……ですね。スー族というのは、もともと、アリアハン帝国がガディスカ大陸に上陸する以前に、ガディスカ大陸に広がっていた人々すべてを一まとめにして名付けた言葉なので、単一の民族ではない、ということはご存知ですよね。祖霊神ワランカを信仰している≠ニいう現在の区分も、暫定的に区別するために行われたものにすぎず、現在も人類学における研究は途上である、ということも」
「………まあ……な」
「なのでスー族の言語、というようにひとしなみに扱うことは本来できないんです。区分上スー族とされる人々も、自身をスー族と呼ぶことは通常ありません。あくまでノヴィホ族、タゲサ族、アラゴゥルン族と、主としてひとつの集落、よほど大きな部族でもその一帯に居住する人々の集まりごとに違う部族の名を名乗ります。基本的に彼らは自分と家族、そしてその祖先と兄弟たち、という区分で世界を完結させることが多く、それより外は違う世界の存在、マレビトとして扱うことを好みます。祖霊神ワランカを奉じる相手――他の部族の人間は別世界の人間=A唯一の交渉相手となれる存在であり、それ以外の存在は人間ではない――というか、話が通じる存在だとは最初から考えない」
「………ああ」
「そのせい、と言ってしまうのは乱暴すぎる理屈ですが、スー族と呼ばれる人々の使う言語というのは、すさまじく種類が多いんです。言語学的に言えば、共通語――俺たちが使う言語の流れを汲むものには違いないんですが、部族ごとの方言化があまりに激しくて、普通に話しているだけでは隣の部族と話が通じない、ということも頻繁に起こりえます。これはおそらくほとんどの部族が長らく自分たちの間でしか会話してこなかったせいなのではないか、という推論が立てられているんですが、実際にどうなのかはっきりわかっているわけではありません」
「………………」
「アリアハン帝国に侵略されることがなかった、というのもかなり大きい理由でしょうが、とにかく彼らのほとんどは、共通語を近年になってガディスカ大陸を訪れるようになった他国の人間と交渉するために学んで使っています。そして多くの場合共通語とスー族の使用する言語、両方に通じている教師がいないこと、スー族の使用する言語の多くに助詞を省略し、助動詞を活用させることが少ない傾向があることなどから、スー族訛り≠ニいう言葉ができてしまうほどに特徴的なあの言語の変異が起こった、と考えられています」
「…………っ、とに、てめぇは……」
「え……あ、の、なにか、お気に障ることを」
 顔面蒼白になって頭を下げかけたところに、くっ、ぷっ、というように押し殺した笑声が耳に飛び込んできた。セオは思わず目を瞠ったが、フォルデはそんなことを気にもせず、セオに背中を向けたまま小さく肩を揺らしている。
 これは、フォルデが、笑っているのか? とますます目を見開いてしまうセオをよそに、フォルデはこちらに背を向けながらくっくっくっ、とはっきり笑い声を立てた。
「お前……そーいうとこは、んっとに前から変わってねーよな。ちっと聞いただけでぺらぺらーっと、こっちがわかってるかどーかとか全然気にしねーで喋りまくるっての」
「あ、の……ご」
「それともあれか、俺に見る目がねーだけで実際のとこは以前から変わってたのか? ま、いーけどよ、いまさらんなこたぁどーでも」
「え? あ、の……」
「おい、セオ」
「はっ」
 勢い込んで返事をしかけて、思わず固まる。こちらに向き直ったフォルデは、笑っていた。優しく、楽しげに、嬉しげ、満足げとすら言ってよさそうに、くっくっと喉の奥で笑い声を立てている。
 セオは、体を硬直させ、頭を固まらせ、ぽかんとフォルデを見つめてしまった。まさか、フォルデが自分に――いつも嫌な思いをさせ、迷惑ばかりかけてきてしまったフォルデが、自分の前で、自分と向き合って、そんな風にくつろいだ笑顔を見せてくれるなど、本当に、いまだかつて少しも、可能性すら想像したことがなかったのだ。
 だがフォルデは、そんなことなど少しも気にせず、楽しげな笑顔を浮かべたままで、当然のように言ってみせる。
「俺は、お前のこと、どうしようもなくムカつくボケ勇者だと思ってたし、まー今も思ってるけどな」
「はい」
「……そこで当然みてーにうなずくとこも含めて、な。放っといたら、ろくなことにはならねー奴だ、ってのも身に沁みてわかった」
「あ、の……はい。ごめ、んな」
「お前が俺のことを、実際どう思ってんのかとか、さっぱりわかんねーけどな。ま、ろくな奴だとは思われてねーだろーけど」
「そんな!」
 仰天して叫んでしまったセオに、フォルデはわずかに苦笑するように、唇を歪めてみせた。
「そこで、本気で『そんなこと思ってもみませんでした』みてーに驚くとこも含めて、お前は苛つくし、ムカつくし、ぶん殴ってやりたいとは思うけどな」
「……はい。ごめんなさ」
「そこで当たり前みてーにうなずいて謝るとこ込みで、蹴ろうが殴ろうがお前は絶対自分変えようとしねぇ死ぬほど頑固な奴だってのも知ってるし……結局こっちがキリキリするだけ無駄っつーか、意味ねーっつーか、嫌な気になるだけ損だって……まぁ、認めては、やる」
「え……あの、はい……?」
「………こーいうこと言う時にはいっつもそーいう、なに言ってるのかわかりません、みてーな面されるの含めて、お前はどーっしよーもなく腹立つ奴ではあるけどな」
「あ……! ご、ごめ、ごめんなさ」
「まぁ、お前がそーいう奴なんだってのを、横からぎゃあぎゃあ口出して変えるなんてなぁ、わざわざやりてーこっちゃねーし。そうまでしなきゃなんねーほど、腹立つってわけでもねーし」
「え……え、と、はい………?」
 セオはどんな顔をすればいいのかわからず困惑した。フォルデは、いったいなにが言いたいのだろう。セオの理解力が低いせいなのはもちろんだが、フォルデがなにを言おうとしているのか、よくわからない。セオに怒りをぶつけたいという風でもなく、苛立った顔もしておらず、むしろどちらかと言えば、笑顔を浮かべて自分と向き合い、なにかを伝えようとしている。
 けれど、いったい、なにを伝えようとしているのか。フォルデが笑顔を浮かべているところを見たことがないわけではない。だが、こんな風に、優しげで、物柔らかな……言ってみれば穏やかな、落ち着いた笑顔を浮かべているところなんて、見たことも、想像したこともなかった。きっとすごく大切なことを伝えようとしているに違いない――のに。
 どうしよう、なんでこんな風に感じてしまうんだろう。フォルデが自分に、話しかけてくれているのに、なんで。
「ま、俺のやることは変わんねーけどな。前にも言ったけど……お前のことは、仲間だとは思ってるし」
『恥ずかしい』
「問題が起きたら手ぇ貸すぐらいのことはしてやるし。そーしねーとお前すぐとんでもねー方向に突っ走るからな。っつーか、今度問題隠して突っ走るようなことしやがったらぶっ殺すっつーこと、覚えとけよ」
『恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい』
「要するに、だ。ジパングでやらかしたことはまぁ、この一月半でそれなりに落とし前つけたし、ぐだぐだ引きずってんじゃねーぞ、ってこった。これから先、てめぇがどういう風にやってく気か知んねーが、俺はこれまで通りに、てめぇが気に入らないことしやがったらぶっ殺すからな」
『恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい、のに』
「だからてめぇはてめぇで――って……おい」
「は……い」
「お前……なに、顔真っ赤にしてんだよ」
 やっぱり顔真っ赤になっちゃってた、と泣きそうな気分でセオはうつむいた。さっきから、顔が熱くて熱くてたまらない。
 フォルデはただ、自分の思うところを端的に述べただけだろうに。普通の話をしているだけなのに。なのに。
「ごめん……なさい。恥ずか……しくて」
「………はっ?」
「あと……うれ、しくて」
「……はぁっ!? なっ、なななななにっ、お前なに言ってんだコラァッ!」
「ごめん、なさい……フォルデさんは、普通に、話してる、だけなのに、なんでか……本当に、ごめんなさい……フォルデさんが、俺に、俺のこと、大切だ……って、言ってるみたいに、感じちゃって……」
「…………っ!!?」
「ごめんなさい……本当に、ごめわぷっ」
 顔にぼすっとタオルを押しつけられた、と思うやひょい、とフォルデは見張り台から飛び降りた。身のこなしの素早さは天下一品の盗賊であるフォルデは、軽々と甲板に着地してずだだだと走り出す。
「フォルデさっ」
 反射的に声をかけかけて、ぎっと睨みつけられる。陽射しのせいか、フォルデの顔は不思議に赤らんで見えた。
「外れてねーよこのクソボケ野郎っ!」
 そう言い捨てるように言うや、フォルデはあっという間に船室の中へ消えていく。セオはそれをぽかんと見送り、数十秒そのまま固まって、またぼっ、とばかりに顔を赤らめた。

「……ふぅ」
 少しばかりふらつきながら、セオは操舵室へと向かった。それは別に、見張りが辛かったからというせいではなく。
「………はぁ」
 まだセオの顔には火照りが残っている。呼吸が少しばかり苦しい。まだフォルデと話した時の、羞恥と緊張が残っているのだろう。
「…………ふぅぅ…………」
 一度深呼吸をしたが、それでも心臓は落ち着いてくれなかった。本当に、なぜ自分はこんなに恥ずかしがっているのだろう。フォルデは、ただ、端的に自分の思うところを述べただけで、自分の思い込みが外れていないと、フォルデがセオのことを大切に思っていると、言ってくれただけで――
「……………」
 セオはまたうつむいた。また、ひどく顔が熱くなってきた。ひどく申し訳なくて、謝りたい気持ちでいっぱいだけれども、それと同じくらい、というよりそれ以上に、嬉しいと、感謝と喜びの気持ちが心臓から溢れだしそうなほど湧き出してきて――
「いい顔をしているな」
「へぅっ!?」
 突然かけられた声にセオは思わず固まった。曲がり角からひょいと出てきたロンが、楽しげに笑ってそう告げたのだ。
「い……い顔、です、か?」
「ああ。幸せそうと言っていいくらい、緩んだ顔だ」
 セオは申し訳なさと羞恥にまた顔を熱くした。ひどく申し訳なかったし、たまらなく恥ずかしかった。勝手に勘違いしている自分が、思いこんでいる自分の愚かしさが、それを理解しながらもなお『嬉しい』『嬉しい』と主張し続ける自分の体の構成要素ひとつひとつが。
「こう言われても嬉しそうな表情が抜けないとはな。まったく、珍しいものを見させてもらっている。しかもここしばらくは毎日のように、というのだから、実際ここまで君に変化が訪れるとは思ってもみなかったぞ」
「ご……ごめ」
「謝る必要はないさ。人間というものは時と共に否応なしに変わるものだ。なにより、君が幸せそうにしているところを見られるというのは、俺にとっても幸せで、嬉しいことだからな」
「……っ、あ……あり、がとう、ござ……」
 ロンはくすりと笑って、ついとセオの顔の輪郭を人差し指でなぞった。セオは思わず一瞬びくりと震えて、おずおずとロンを見上げてしまう。
「実際な。俺たちの愛の言葉を素直に受け取ってくれる状態になっているというだけでも、俺としては非常に嬉しいことだよ。君の心が幸せな感情で満たされているということのみならず、俺たちの気持ちを受け取ってくれるという喜びは、正直これまであまり感じられなかったからな。ま、そこをどう受け取らせてやるかとあれこれ苦慮するのも楽しいものだったが」
「あ……え、と、あの、ごめ……あ、のっ」
「ん?」
 ロンは笑顔でセオの顔をのぞきこむ。その表情は楽しげで、優しげで、自分に対する感情がはっきり伝わってくる。自分を大切だと、幸せになってほしいと、そう思っている感情が否が応でも感じ取れてしまう。
 そんな気持ち自分にはもったいないと、その感情に値するものをなにも返せないと泣きたくなるような気持ちもあった。けれど、それ以上に、伝えたいと思った。少しでも、かすかでも、自分の中にあるものを。感謝と言っても、歓喜と言っても、幸福と言ってもまだ足りないこの感情を。
「ロ……ン、さん」
「なんだ?」
「あ、り……あり、あり、ありが、とう……ござい、ます……」
 それだけ言って耐えきれずにまたうつむいてしまう。申し訳なかったし、情けなかったけれども、それ以上にどう伝えればいいのかわからなかった。どれだけ礼を言っても足りない、頭を擦りつけてもまるで届かない、この圧倒的なまでに心の中を満たす感情を。
 これだけではあまりに申し訳ないと顔を上げる――や、いつの間にか間近まで近づいていたロンの顔とぶつかりそうになって、思わず固まった。
「どうした、そんなに慌てて。俺と視線が合うのが、そんなに嫌なのか?」
「そんな……!」
「嫌じゃないなら、きちんと視線を合わせて言ってくれ。俺に、真正面から、言いたいことを」
「っ……は、い」
 セオはじっ、と間近にあるロンの瞳を見つめて、思わず震えた。ロンの静かな瞳が、すぐ目の前から自分を見つめている。自分の感情も思考もなにもかも、つぶさに見てとられているような気がした。
 思わず申し訳なさに泣きそうになるけれど、それでもせめて気持ちを返さなければと、じっとロンの瞳を見つめ返して告げた。
「お、れ……ロンさん、のこと、好き、です。大、好き、ですっ……!」
「…………そうか」
 ロンは自分を見つめたまま、柔らかく微笑んで、「ありがとう」と礼の言葉を告げてくれた。湧き上がった喜びに思わず顔を緩めてしまったが、ロンは礼を言うや少しばかり身を退いて顔を押さえてしまう。
「! あ、のっ、なにか、お気に障ることをっ」
「いや……そういうわけではなくてな。単に……少しばかり、照れているだけだ」
「え……て……?」
「相手に好意を告げさせておいて照れるなぞ、我ながら馬鹿かとは思うが。久々に真正面から好意を、心の底から純真な顔で告げられて、俺の羞恥心が反応してしまったらしくてな。セオが本当に俺たちの好意を受け取って、返してくれているのだなぁと思うと。まったく、反応する方が恥ずかしい話ではあるんだが」
「…………っ」
 セオは、かぁっと顔を熱くしてうつむいた。ロンの言う通り、別に恥ずかしい話でもなんでもない。ただ、ロンが示してくれた行為に、必死になって応えただけだ。
 けれど、ロンが、こんな風に羞恥心を感じているところを見せるなんてことは今までなかったし、顔を押さえているだけにしろ、自分たちに対しわずかにでも退くような反応を見せるのはこれが初めてのようなものだし――
 だからといってどうということはないと言えばその通りなのだろうに、セオはたまらない羞恥心に耐えきれず顔を真っ赤にしてうつむき、ロンもそれに対し無言のまま、ただ顔を隠した格好で間近から向き合い続けたのだった。

 こんこん、と小さく扉をノックして、「どうぞ」と返事が返ってくるのに、セオはほ、と小さく安堵の息をつき、「失礼します……」と操舵室の扉を開けた。魔船の操舵室は、他の船同様、船体の先端部分に位置しているのだが、部屋の広さ自体は他の船と比べても狭い方なのに、視界がきわめて広いのでむしろゆったりとした印象がある。
 というのも、この操舵室の壁部分には視界確保の術が付与してあり、左右のみならず後方まで、まるですべての壁が存在しないかのように見通すことができるのだ。その上船体の存在を確認するために、何段階にも分けて船体の輪郭、壁等々を色分けして表示することもできるし、さらに言うならば海図室とは別に上方に簡単な海図を表示することもできる、と船の操縦をこの上なく具合よく補助する仕組みになっている。
 というか、そもそも魔船は移動したい場所を海図室で選択すれば、自動的にそこまで連れて行ってくれる自動操縦機構が付随しているのだが、それでも操縦士が必要になる時はあるのだ――今回のように。
 ミッシルピー河はいかに世界有数の大河とはいえ、当然のことながら海よりははるかに細く狭い。そこをさかのぼって通航している現在の状況で、自動操縦機構に任せっぱなしにすると、どうしても河岸やらなにやらに船体をひっかけてしまう状況が頻繁に起こりかねないのだ。そもそも今は山彦の笛でイエローオーブの反応を探りながら、行き会った人々から情報を集めながら、少しずつ反応の強い方へ向かっているという状況なので、明確な目的地が測定できてはいない。
 なので、その航行状況を鑑みて、少なくともミッシルピー河をさかのぼっている限りにおいては、操舵室には少なくとも一人以上の操縦者がついているようにしようと全員で相談して決めたのだ。レウをのぞき、パーティ内の全員が、ダーマを出てからの三ヶ月で魔船をある程度思い通りに操縦できるようになっていたので(もちろん通常の船舶と比べて桁違いに操縦が平易なように造られているせいなのだろうが)、少なくとも通常の運航状況ならば問題なく移動できると判断できたので。
 もちろんレウはまだまともに魔船を操るようになって一ヶ月やそこらしか経っていないので、操縦の際には他の四人のうち一人が必ずついているように定められているが、少なくともこれまでのところは一度も問題が起きたことはない。自分以外の仲間たちはともかく、自分がこれまで一度も操縦を失敗したことがないというのは、それだけ魔船の操縦補助機構が充実しているせいだろう、とセオは思っているが、そのひとつがこの視界確保の術の付与、というわけだ。
 ラグはこちらに背を向けたまま、操舵台の前に立って、細かく舵輪を動かしていた。操舵手を交代する時はいつもそうであるように、ラグは最後まで舵輪を放そうとはしない。それはそれだけラグの責任感が強いせいでもあるだろうし、ラグが魔船を操縦するのが好きなせいもあるんじゃないだろうか、ともセオは思っていた。
「どうしたんだい? セオ」
 声をかけられて、セオは思わず慌ててばっばっ、と周囲を見回してしまった。一瞬ののち、ここにはラグと自分以外誰もいない、ということを再認識し、思わず顔を赤らめる。ばかばかしくみっともない真似をしてしまった、という気持ちもなくはないが、それ以上にラグに話しかけられたことに、奇妙に強い羞恥を感じてしまったせいでもあった。
「あ、の……操舵の、交代を、させて、いただこう、と思っ、て」
「ああ、確かにそろそろか」
「は、い」
「……でも、せっかくだから、その前に少しお喋りしないかい? 一刻も一人で操舵手をやっていると、さすがに退屈するんだよ」
「っ………」
「それとも……俺と一緒にお喋りするのは嫌かな?」
「っ!!!」
 ぶんぶんぶん、と勢いよく首を振って、それから相対してもいないのに首を振ったところで見えるはずがないということに気づき、慌てて口を開こうとして、その直前に笑みを含んだ声で告げられる。
「大丈夫だよ、無理に言葉にしなくても、ちゃんと伝わってるから」
「っ………」
「俺とお喋りしようとしてくれてる……っていうので、いいんだよな?」
「っ……は、い」
「そっか……よかった」
 どこか感慨深げにそう呟いてから、一転して明るく言う。
「じゃあ、少し一緒に話そうか?」
「っ…………」
 顔を熱くしながらこくん、とうなずいて、それから慌てて「は、いっ」と懸命に喉を震わせて声を出す。それにラグはくすくすと楽しげな笑声を転がしてから、優しい声で「俺が、今日、ここから見た景色のことなんだけど……」と話題を転がし始める。
 これは、セオに普通の体力が戻ってしばらくしてから、何度も繰り返されている(ある程度の差異はあるが)会話だった。こんな風にラグと当番を交代する時や、一緒に稽古をする前や後などに、少しばかりお喋りをする。
 もちろん会話能力がお話にならないほど低いセオは、そのたびにまともに言葉を返すことができずに申し訳なさに泣きそうになるのだが、ラグはそれもまるで気にしていないという顔で、優しく、楽しげにお喋りを続ける。そうなるとセオも泣きそうになっているままでいるわけにもいかず、泣きそうになりながらも必死に言葉を返す。
 そして、そのたびにラグは、楽しげに、優しげに、嬉しげに笑ってくれるので、セオの心臓は大きく鼓動を打って、たまらない感情を溢れ出させそうになるのだ。胸が痛くなるほど、息が苦しくなるほど。『この人は、本当に優しいのだ』という感情の陰に隠れた、『この人は、もしかして、本当に自分のことが好きで、大切なのではないだろうか』という想いを。
「……セオは、今日はどんなものを見た?」
「え、と、あの、湖、を……川の、右方向に」
「湖かぁ。この辺りは本当に多いよな。前に枝分かれした先の河をさかのぼって、少し辺りをうろついた時に馬鹿みたいに大きな湖と出くわした時も驚いたけどさ」
「そう、ですね……俺も、すごく驚きました。あんなに大きな湖が、ミッシルピー河と繋がっていない、みたいなのも……この辺りは訪れる人がまださほど多くないこともあって、きちんとした地図が作られていませんし」
「うん、レウと一緒になって目をきらきら輝かせてたよな。セオらしいって思ったよ」
「え、そ、そう、ですか……?」
「うん。セオは基本的になんでもよく知ってるけど、よく知らなかったり、これまで自分が知っていた範囲の中になかったりするものを見ると、すぐ好奇心に瞳を輝かせる」
「え、あ、の……そう、でしょう、か」
「うん。冒険者向けの性格だなって思うよ。そういうところ」
「っ………」
 顔がまた熱くなる。別に、自分が褒められたわけではないだろう、と思う。ラグはきっと、ただ単純に感想を言っただけだろうし、そもそもその冒険者向けの性格≠ニいうのが冒険者としての行動に有用だとは限らない。
 けれど。なのに。でも、だけど。
 自分は、思い込みだ、勘違いだ、と自分を戒めながらも、また『もしかしたら』と思ってしまっていた。『もしかしたら、この人は、自分が大切だからこんなことを言うのではないか』と。
 好きだから、大切だから、労わりたいし、大事にしたい、と。セオがラグを、仲間たちを全力で護り、尽くしたいと思うように、ラグたちも自分を護ろうと、優しくしたいと思うのでは、と。そんならちもない、根拠などまるでない、一方的な思い込みを、本当になんで、ここまではっきり考えてしまうのか。
 ラグはじっと自分を見つめる。優しい顔で、穏やかな瞳で。見つめられるだけでそっと包み込まれている気がするような柔らかい視線から、恥ずかしくて申し訳なくて一瞬目を逸らしかけ、それでもなにか伝えなければ、と顔を上げかけ、まともに顔が見られなくてうつむいて、それから全身の力を込めて顔を上げて、正面からラグの顔を見つめた。
「あ、のっ」
「うん」
「お………れ」
「うん」
「俺……俺、はっ」
「うん」
「本当に……あ」
 とたん、部屋中にロンの声がわんわんと響き渡った。普段のロンの声の響きを少し変調させたようなその声音は、魔物を見つけた緊急放送だと嫌でもわかる。
『三時方向からガニラスの群れ! 九時方向からマーマンの群れだ! おそらくは七時方向の幻術師が指揮を執っている!』
『!』
 その声が耳に入るや、セオは即座に操舵室を飛び出していた。背後ではラグが即座に錨を出して魔船を止めたのだろう、かすかにではあるが魔船が揺れる。
 ラグたちに聞いた話では、普通船に乗っている時に魔物に襲われた場合はできるだけ船足を早くして振り切るのが基本だそうだ。船を壊されてしまえばそれで終わりな上、移動途中は応急修理程度しかできない以上、なによりまず船に傷を残さないことを優先して考えなくてはならない。
 だが、魔船はそもそもの耐久性が段違いなうえ、自己修復機能まで持っているせいで船の素人である自分たちしか乗っていなくても修理関係はほとんど気にする必要がない。ならば自分たちとしては、なにより自分たちに目をつけた魔物たちの今後のことを考えなくてはならなかった。自分たちが魔王と相対しようとしているがゆえに襲ってきているのか、それとも単純に人間の船を見かけたから襲ってきているだけなのか、勇者の力によって引き寄せられてしまったのかはわからないが、なんにせよ放置はできなかったし、襲ってくる魔物は水中での動きが速いのか特殊な技術や術を使っているのか、一度捕捉されると魔船の足ですらそうそう逃げられないのだ。
 もしかするとまた勇者の力が作用しているのかもしれない。魔物の命を奪い、経験値にするために、魔物を引き寄せ捕えているのかもしれない。自らの我欲で、命を贄に、力を得ようと自分が考えているがゆえに。
 魔物が襲ってくる時、セオはいつもそういうことを考える。そのたびに胸を、脳髄を、刃を触れさせられたように冷やしながら、頭が、心が、水が高くから低くへ流れるように、当たり前のように考える。魔物の命を、魔物の生を、そしてそれをこんなところで当然のように奪われ、与えられる魔物の死を考え、心臓を、全身を、死人の手でつかまれたように冷やす。
 それでも、自分はそれを行うのだ。自らの我欲で。仲間たちの命を護る壁の一枚になりたいという傲慢のために。命を奪い、消し去る行為が、どれだけ無残で、非道なことか知りながら。
 ひどい。なんて、ひどい。そう、心の底から思いながら走る。命を奪うために。魔物を殺すために――
 と、甲板に走り出るや、ふわりと降りてきた掌にぽんぽん、と頭を軽く叩かれた。
「え……」
「そう難しい顔をするな。君がどんな地獄に落ちたいのかは知らんが、その時は俺たちも一緒に落ちてやるから」
「…………!」
 船室へ続く扉の脇に立って、にっこり微笑みかけるロンの顔に、思わず硬直する。や、威勢のいい怒鳴り声と、元気な子供の声が飛んできた。
「おいっ、このクソ賢者! 人に戦わせといてガキにくせぇ文句吐いてんじゃねぇよっ!」
「ロン、そーいうこと言うなよっ! セオにーちゃんが地獄に落ちそうになってたら、救い上げるのが仲間の仕事だろっ?」
「俺としてはそういう意味で言ったつもりはないんだが……まぁ、それも正論と言えば正論か。レウの言うことは確かにもっともだな」
「てめぇ、俺の言ってることだけはきっちり無視か? ああ?」
「まぁ、これも俺の愛の証だ。お前は普段はこう反応された方が可愛い反応を示してくれるしな。心配するな、いざという時にはみっちり全力で可愛がって」
「ざっけんなボケ全力で断る!」
「そーだよロン、男ってのは可愛がられたってフツー嬉しくねーんだぞ?」
「そーいう問題じゃねぇ……っつーかんなこたどーでもいいだろーが! おいセオ、ラグ、魔物連中は全員ぶっ倒したからな。運転再開していいぜ」
「あ、はいっ……」
「……情けねぇ顔してんじゃねぇよ。言っただろーが、俺らは俺らの勝手で……その、なんだ……」
「ちゃんとセオにーちゃん護るからっ!」
「っ、てめぇこのクソガキ横から入ってあっさり勝手なこと抜かしやがって……!」
「え、こーいうこと言いたかったんじゃねーの?」
「そ……っいうわけじゃ、ねぇ、わけじゃ、ねぇ、けどなっ……」
「……要するに、みんな君が好きで、大切だ、ってことだよ」
 後ろからぽん、と頭に手を乗せたラグの方を振り向く。その顔に浮かんでいるのは、優しげで、そして嬉しげな笑顔だ。
「君がどう思うかは知らないけど。俺たちとしては、君にそれを受け容れてもらいたいし、そのためなら何度だって、いつまでだって言い続ける。……だから、心配しなくていいんだよ」
 なにを、と問い返すことはできなかった。そうしたくもなかった。セオは半ば呆然とラグの顔を見つめ、それからひどく顔を歪めて、深々と頭を下げる。
 そうしなければ抑えきれなかったのだ。胸の中にあとからあとから溢れ出る、喜びと言っても感謝と言っても足りない、この泣きたくなるような感情を。
 ラグは一瞬戸惑ったような気配を漂わせながらも、すぐに笑ってぽんぽんと頭を叩いてくる。ロンはくすり、と笑んで、そっと背を撫でてくる。フォルデはふん、と鼻を鳴らして肩をすくめたが、どうしてだろう、口元が優しく笑んでいるのがわかってしまう。レウは「セオにーちゃんなに頭下げてんだよっ!」と元気に笑って、背中に飛びついてきた。
 本当に、どうすればいいのだろう。どうやって返せばいいのだろう。どれだけ恩を返しても届かない、どれだけ表しても足りないこの感情を、どうすれば。
 さっぱりわからなかったけれど、それでもセオは、しばらくひたすら頭を下げ続けた。そうしなければ感情が本当に体中から溢れ出してしまいそうだったからなのだけれど、ラグもロンもフォルデもレウも、なぜか怒りはしなかった。
 それどころか、それをまるで受け容れてくれているかのように、優しくセオの頭に、背中に、肩に、手に、そっと触れてくれたのだ。

「………たぶん、あそこだと、思います」
「そうだな。ほぼ間違いなく、あそこの集落だ。山彦の笛の反応もあるし……それを別にしても、あそこの集落はなにやら気にかかる」
 舳先に集まって、セオたちは川辺から草原を数里程ほど歩いた先にあるように見えるひとつの集落を指差し、うなずきあった。
 その集落はこれまで出会ってきた集落よりも格段に大きかった。スー族の住居というのは地域によってだいぶ異なり(そもそもスー族とひとくくりにする方が間違っているのだから当然といえば当然なのだが)、暑い地域寒い地域、水の豊かな地域乏しい地域とかなり差があるのだが、その集落は基本的にはこれまで川の近くにあったものと同様、ティピーと呼ばれるテント型の住居を利用して作ったドーム型の定住型住居の集まりだった。
 だが、数がこれまでに見てきたものとは桁が違う。これまで見てきたものはせいぜいが数十戸、大きな集落でもかろうじて村の体裁をなしている、という程度のものだったのだが、この集落は少なくとも百戸以上の住居が集まっている。周囲には玉蜀黍や豆や南瓜の畑が広がり、何頭もの牛や馬や羊などの家畜が放されて草を食んで、というその光景は、間違いなく村、ないしそれ以上と言っていいほどの人数がこの集落に定住していることを示していた。
「規模の大きさもさることながら……ここは脈≠ェ徹っている」
「脈=H んっだそりゃ」
「地脈、水脈をはじめとした、大地の、天空の、生命の気脈……龍脈なんぞと呼ぶ奴もいるな。要するに、ここは聖地だのなんだの言われたりでかい都市ができたりしていてもおかしくないほど力に満ちた場所だということさ」
「へ? でも、そんなでかくないじゃん、あそこ」
「脈が徹っていれば必ず都市ができるというわけでもない。そこらへんは脈を通じて集まった人間やらなにやらの選択で決まるところだからな。ま、どちらにせよ、次はまっすぐあの集落に向かうのが妥当だろう」
『じゃあ、あの近くの川辺につけるんで、いいんだな?』
「そうだな、頼む」
 魔力を付与された伝声管を使って操舵室にいるラグにそうロンが告げると、魔船は変わらぬ速度で河岸へと向かった。下手をすれば河岸に乗り上げて座礁してしまうところだったろうが、そこは魔船、芸術的なまでの操縦補助機構を作動させて座礁するぎりぎりで停泊、それでも川辺までは届かなかったので、小舟を出して自動昇降機構も使い自分たちごと下ろす。
 マヌオルーマを使って魔船と小舟の存在を他者に認識できないようにし、小舟を自動帰還機構を使って魔船まで戻す。それを確認したのち、集落に向かって歩き出した。
 それより三つ数え終るかどうかくらいに、フォルデがぼそりと告げる。
「気づいてんだろーな」
「そりゃ、まぁな」
「とーぜんだろっ」
「あ、の、はい……」
「ま、それでも俺たちの行動は変わらんがな。向こうの情報がなにもないんだから、とりあえず突っ込んでみるしかない。それとも、なにか妙な情報が?」
「……妙、っつーか……そうだな、なんか、雰囲気が妙だ」
「雰囲気が?」
「出てきてる奴ら、全員妙に真面目くさった雰囲気で、なんつーか……宗教くせぇんだよな。一番前に馬を立たせてるあたりもそれっぽいしよ」
「うま? なんで?」
「んなもん知るか。けど、お前らもそろそろ見えるだろ、スー族の奴らがずらっと並んでる前に、真っ白くてやたらでかい馬が立ってんの」
「………ほう」
「あ、ほんとだ、馬だ。うわー、ほんとになんかすっげーでけーなっ、あの馬!」
「確かに宗教っぽくはあるな。とにかく、用心だけはしよう。……そろそろ、口を閉じておいた方がいいぞ」
 ラグの言葉をしおに、全員口を閉じて歩く。靴≠つけながら歩いているので、数里程の距離といえど歩くのにかかる時間はほとんどない。
 近づいていった集落の前には、集落に住んでいるのだろう人々が立っている。それも、全員羽根飾りや祭りなどに使うのではないかという装束をまとった、明らかに普段とは違う雰囲気だ。女子供がほとんどいないことからしても、尋常な雰囲気ではない。
 そして人々が並んでいる塊から、数歩前に出ているのは、確かに馬だった。それも驚くほどの馬体を持った白馬だ。
 大きさからして普通の馬より一回り以上は大きいが、体の艶も筋肉の張りも明らかに普通の馬とは格が違う。セオはさほど馬に詳しいわけではなかったが、その悠然とした、と言っていいほど堂々とした雰囲気といい、名馬と呼ばれる範疇においてすらこの馬が尋常ではないのは嫌でもわかった。
 セオたちが彼らから十歩ほど間をおいて立ち止まると、その馬はかっぽかっぽ、と足を鳴らして数歩前に出て、軽くいななき、言った=B
「私は喋る馬のエド。ようこそいらっしゃいました、勇者セオとその仲間たち、そして勇者レウよ」
 そうはっきりと、聞き取りやすく、勘違いのしようもないほど明瞭な人の言葉で。

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