サマンオサ〜アリアハン――5
 直接の探査術のみならず、感覚端末の作成、Satori-System≠利用した情報網による探索、普段は信頼性が低いためにまず使わない連絡用の魔道具(実は仲間たちの装備にこっそり仕込んでいる)等々、思いつく限りのありとあらゆる方法で仲間たちの情報の探査を行ったが、まともな反応が返ってこないことを知ったロンは、ふ、と息を吐いて隠れ家を出た。集中して呪文を使うために邪魔が入らないよう空き家の中に潜り込んでいたのだが、魔法的な方法での探索が無理らしいことを悟った以上、いつまでもそこにいても意味がない。
「では、どうするか……というのが問題なわけ、だが」
 もちろん、単純に人力で合流できるよう努力してみるという手もある。だがそれはあまりに非効率的だし、この状況では危険が大きい。この空き家に潜り込むまでにも、街中で何人もの衛兵とすれ違った。そのたびにさっさと身を隠してやりすごしはしたものの、今サマンオサの街中では、(おそらくは国王の命令で)国府に所属する衛兵たちがやっきになって自分たちを探している。現在、隠密能力は戦士に毛が生えた程度でしかない賢者という職業をやっているロンは、ただ街をうろうろしているだけでは最終的には捕まってしまう可能性が高かった。
「……とりあえず、身を寄せる場所を探すか」
 といっても、ロンにさして選択肢は残されていない。解放軍を頼るか、適当な貴族の家に潜り込むか。サマンオサを離れられない以上その程度しか思いつかなかった。
 少なくとも一般人を頼るわけにはいかないし(ことに巻き込んだ時にあっさり死なれるのはロンとしても嬉しくないのだ)、権力に近すぎる相手というのもまずい(国府に媚びへつらう相手でなければ、まず間違いなく自分の力を権力収奪のためにいいように利用されることになる)。適度に権力と離れていて、自分の身を護れるだけの財力か権力があって、サマンオサに根付いている(情報収集の関係上)相手が一番ありがたいのだが、そんな相手はそれこそ解放軍くらいしか思いつかない――
 のだが、ああも見事に自分たちがいる拠点に奇襲をかけてきた辺り、解放軍の他の拠点にも襲撃がかけられていると考えるべきだろう。少なくともロンならばそうする。それに自分たちは解放軍の他の拠点を知らされていない。警戒心を掻き立てるのもなんだと思ったので基本黙って解放軍の言うことを聞いていたのだが、これならもっと積極的に活動すべきだったかもしれない。
「一応、他の奴らの動きは予想がつくが……」
 セオとレウはたぶんラーの鏡を取りに行くだろう。人命を第一に考えるあの二人なら、少しでも多くの人間を救えるよう最後の手段を大急ぎで手に入れようとするはずだ。
 フォルデはおそらく城でもっと詳しく情報収集をしようとするはずだ。パーティで随一、というより他に並ぶもののほとんどない隠密技術を持つフォルデならば捕まる可能性もまずないだろうし。
 ラグは……彼が一番予想しがたいのだが、たぶん最初にアプローチを仕掛けてきたのが誰かによって違うのではないか。自分が機動力のない戦士だとよく知っているラグは、できる限り手近な相手の陣営に身を寄せようとするはずだ。つまり、下手をすればあっさり国府に捕えられる可能性もあるのだが、それでもセオたちが助けに来るまでは生き延びることができる、という方向にはラグは自信を持っているだろうから(ラグもあれで、自分を大切にしようという意識が弱い方なのだ)。
 だからそちらに向かって合流する方法もないではないが、セオとレウの場合は身体能力からして今の自分の身体能力では追いつけないほど遠くにもう向かってしまっているだろうし、フォルデの場合は自分の隠密能力では足を引っ張る可能性しか思いつかない。ラグは単純にどこにいるかわからない、と誰かと合流するのも難しいとしか思えないのだ。
「とりあえず、俺にできそうなことで一番効果的なのは、この妨害結界をなんとかすることなわけだが……」
 力業でなんとかするには十数時間集中できる環境が必要。そしてそれを自力だけでで整えようとすると、どうしても大量の魔力を撒き散らすことになるので、普通に考えて見つかって攻撃されることになるだろう。なので、その環境を何とかしてくれる相手がいると非常にありがたい、のだが。
「……ここはむしろ、発想を変えた方がいいか……」
 力業ではなく、普通結界を破壊する時に使われるやり方でやった方がいいかもしれない。結界を張る方法というのはそれこそ山ほどあるが、ここまで強力な妨害結界となればやはり方法が限られてはくる。おそらくは中心となる柱石を定めた上で、いくつも支点を作って広大な魔法陣を――
「………ん?」
 ロンはふいに、足を止めた。なんだ、今のは。
 今、一瞬、奇妙な感覚があった。はっきりこれこれの気配、というのではないのだが、自分の感覚になにか、気になるような、そうでないような奇妙なものが引っかかった気がしたのだ。
 眉を寄せ、目立たないように周囲を観察してみる。特に気になる要素は見当たらない。
 耳を澄ませ改めて感覚を研ぎ澄ませてみる。やはり引っかかる点があるわけではない。
 気のせいだったかもしれない、と思わなかったわけではないが、ロンは足を止め、もちろんできるだけこっそりとではあるが、魔力を使って周囲を探査してみることにした。もし空振りだった場合は無駄に敵の注意を惹きつけてしまうことにもなりかねないが、ロンの経験上、こういう『なんでもないかもしれないもの』を放置しておくと思わぬところで足をすくわれかねないのだ。
 軽く息を吸い込んで、一気に意識を変換する。自分の魔力を編み込まれた網に変え、周囲に伸ばしていく感覚だ。意識が周囲の魔力網を駆け巡り、数瞬のうちに数丈の広さを精査して異常がないことを伝えてくる。
 効果範囲はあまり広くはないが、自分の感覚が届く範囲なら慣れれば呪文を使うより早く済む、賢者ならたいてい使える裏技だ。これで異常がなければ本当にただの気のせいだったということにして――
「!」
 ロンはかっと目を見開き、衝撃のあまり小さくよろめいた。これは。まさか。こうきたか。これは――本当に、放置しておくと足をすくわれる情報だ。
 数度深呼吸してから、ロンは顔を上げ歩き始めた。目立たないよう隠匿の呪文を使って、あとは人目を引かないようごく普通の足取りで歩を進める。
 目的の宿屋――というより、主のいなくなった館を宿屋として使っているのだろう屋敷までやってきて、人気のない庭に堂々と入り込む。とたん、予想通りに館から何人もの護衛らしき連中が出てきて自分を取り囲む。
 だが、その後ろから出てきた少女は、自分を見て大きく目を見開いた。口に手を当て、驚愕と緊張の入り混じった表情で、必死に衝撃を受け流そうとしている。
 その表情をずっと見ているのが嫌で、ロンは自分からぶっきらぼうに言った。
「少なくとも、見間違いでも変装でもないぞ。俺はジンロン、勇者セオ・レイリンバートルの仲間の一人である賢者だ。疑うなら呪文でも魔道具でもなんでも使って調べてくれていい」
 ざわり、と周囲の気配がさわめくのと裏腹に、相手はその言葉で落ち着きを取り戻したようだった。数度深呼吸して、できる限り不快な印象を与えないように、少しでも好感を持ってもらえるようにと努力したことがうかがえる控えめな笑顔で、こちらを真正面から見据えて言ってくる。
「お久しぶりです、ロンさま」
 ロンも小さく嘆息しつつ答える。この、艶やかな黒髪の、こちらを慕う女の中で、自分がこの世でただ一人適当に相手するわけにはいかないと思っている少女に。
「ああ――久しぶりだな、インミン」
 その言葉にインミンは穏やかにうなずきながらも、一瞬心底嬉しそうに瞳を輝かせたので、ロンの気分はずっしりと重くなった。

 扉も階段も大きさそのものも、なにもかもが非常に大きなつくりをしている屋敷の応接間に、ラグは座っていた。大きくはあるがこの屋敷の主は質実剛健な性格をしているらしく、豪奢や絢爛といった言葉の似合わない、応接間まで無骨なつくりの屋敷だった。
 その中で、ラグはエヴァ――自分の義理の妹である、エヴァ・マッケンロイエルを隣に、ひたすら主の登場を待っていた。
「ねっねっラグぅ、あたしね、イシスでラグと別れてからね、ほんっとにいろんなことがあったんだよぉ? でもね、でもね、ラグと会うまでは絶対に死ぬもんか、って思って必死に頑張って……」
 エヴァの言うことにうんうんとうなずいてやりながら、ラグはこの屋敷の主の素性を考える。どうやら最初にラグを取り囲んだのは、この屋敷の主の私兵らしかった。
 少なくともここまで大きな屋敷を構えられる以上金持ちではあるのだろうが、エヴァのような(さしてレベルの高くない)傭兵を雇っている辺り、場合によっては商人ということもありえる――だが、それにしてはこの屋敷の簡素さがそぐわない。武張った貴族、あるいは軍人なのだろうか。
 しかしなんにしても、ラグの名を聞いたとたんの、私兵たちの態度は解せない。
『勇者殿のお仲間であるならば、どうか我々の雇い主のところへ来てもらいたい』
 部隊指揮官は真剣な表情で、そう言った。
『できる限りの情報の譲渡と、協力をお約束しよう。どうか我々についてきていただけないだろうか』
 あの指揮官の表情には、警戒や猜疑心よりも、安堵と会心の方が強く感じられた。普通に考えて、『作戦がうまくいっている』とあの指揮官は考えていたことになる。
 だが、なぜほんの数日前にサヴァンによってサマンオサに連れてこられた自分たちが、作戦の目標になるのだ? そもそも自分はサマンオサ姫殿下のドレスに仕掛けられた魔道具によってたまたまここに飛ばされてきた身だというのに。それがなぜ。まさかエヴァがなにか関わっている、と? いや、まさか、いくらなんでも。
 それに、指揮官たちの態度自体にも気になるものがあった。勇者の仲間というものに対する態度は、普通は敬して遠ざけるか自分たちの窮状を救ってくれと訴えるかどちらかなのが普通だ。もちろん利用してやろうと考える輩も多いが、それも大別すればその二つのどちらかになる。
 しかし、あの時相手の表情に浮かんだのは、安堵と会心。勇者の仲間という人でなしの存在、いつでも自分たちの首をねじ切れる相手を前にして、『問題ない』『これでいい』『思い通りだ』と心底から思っていた。
 つまり、これは、彼らが作戦に対して、あるいは雇い主に対して心底忠誠、というより信頼を抱いているということなのだろう。人でなしを前にしても、『作戦に従っていれば大丈夫だ』『勇者の仲間と敵対するよりも作戦に従わない方がよほど怖い』と考えるほどに。
 それ自体は普通に大したものだと思うのだが――このサマンオサで、そこまで部下を仕込めるような人材がどこにいたのだろう。そして、存在していたのならばこのサマンオサの窮状をなぜ放置していたのだろう? なにより、そんな輩が、自分に、勇者の仲間にいったいなんの目的があって接近してきたのだ?
 さして頭がいいわけでもないラグがいくら頭を悩ませてもそうそう結論は出ないだろうというのはわかりきっていたが、それでもラグはエヴァの送ってくる秋波を必死に受け流しつつ、沈思する。どちらかというと、『考えずにはいられなかった』という方が正しいだろう。突然の襲撃で別れ別れになってしまった仲間たちがどうなったか、たぶん全員無事だろうとは思いつつも、心配でないわけではなかったのだから。
 と、応接間の扉がぎっ、と小さく音を立てて開いた。とたん、エヴァが即座に立ち上がって直立不動で敬礼する。
 入ってきた男は――年は五十がらみの、自分より少し背が高く、同じようにがっしりした体つきの男だったが、身にまとったサマンオサの軍服にふさわしい(あれはサマンオサ国軍の将軍の徽章だ、とラグは内心思った)堂々とした態度でエヴァに小さく顎を引いてみせた。エヴァは心底安堵して、息をつきそうになるのを必死に隠しながら、直立不動の体勢になる。
 ラグは内心、目を瞠った。この甘ったれた義妹がここまで見事に軍隊式礼儀を叩き込まれ、それに順応するとは。ここの部隊の仕込みがよほど厳しいのか、それともこの将軍やら誰やらにエヴァによほど慕われる相手がいるのか。
 小さく合図を送られて、ようやく休めの体勢になるエヴァの横で、ゆっくり立ち上がりながらラグはそんなことを考えた。もし自分が傭兵のままだったなら、自分を売り込むためにも、サマンオサの軍隊式敬礼のひとつもすべきところだっただろうが、今の自分はセオの――勇者の仲間だ。軍隊の思考についてはラグもそれなりに詳しい、舐められないためにはこちらもそれなりに偉そうな(ただし、礼を失さないように)態度を取ってみせる必要があった。
 そこらへんのところは当然この将軍殿もわかっているのだろう。こちらが目礼だけしてみせるのに無言のまま目礼を返し、エヴァにちらりと視線をやる。エヴァは小さくうなずいて、さっきまで座っていた長椅子から離れて自分の後ろに回った。
 頭に白いものが混じり始めているものの、巌のような体躯、重みの感じられる仕草からおそらくは相当な戦闘技術をも有しているだろうとわかるその将軍は、視線だけで自分に座るように促し、自分もさっさと席に着いた。ラグもうなずいて席に着くと、即座に、といった勢いで口を開く。
「貴殿は、アリアハンの勇者、セオ・レイリンバートルの仲間、戦士ラグディオ・ミルトスに相違ないか」
「……ええ。そうですが、あなたは?」
「わしはサマンオサ第二軍団長、ヴィトール・サライバ・カピバリベと申す。さっそく申し上げるが、貴殿にどうか、協力を頼みたいのだ」
「協力……ですか?」
「うむ。サマンオサの国民すべてに対する、教育を成功させるために、お力をお貸し願いたい」
「………。すいません、おっしゃる意味がよくわからないんですが」
「ふむ、そうか。ならば、まずはこう申し上げよう。――サマンオサの解放軍の拠点に、姫を向かわせたのはこのわしだ。……この意味はおわかりになるかな」
「…………!」
 ラグは思わず目を瞠った。わかるに決まっている、それはつまり。
 解放軍の拠点にいた人々を方々へ吹き飛ばすための魔道具を姫のドレスに仕込み、姫をちょうどいい機を見計らって解放軍の拠点へ連れてきたのは自分だと、この将軍は言っているのだ。
「……理由を、お聞きしても?」
「むろん、かまわん。というより、ぜひとも聞いていただきたいな。貴殿たちの器も、それで自然と知れよう」
「…………」
 フォルデだったらこういう器を量ろうという考え方自体に拒否反応を示すんだろうな、と思いながらもラグはうなずいた。とりあえず、向こうの主張を聞かないと話が始まらない。
 ヴィトールは悠然とうなずいてから、語りだした。
「貴殿は、サマンオサの先王……入れ替わられる前の王がどのような王だったか知っているか」
「……ええ、噂だけなら。交易を重視して国を富ませ、平民の……戦士ではない、一般市民に多く職業を斡旋し、地位を向上させた賢王だそうですね」
 この人は王が入れ替わっていることを知っているわけか、と思いつつうなずくと、ヴィトールはぐっと顔をしかめながら忌々しげに言う。
「最低の愚王だ。サマンオサの、それどころか世界の在るべき姿を打ち壊すような、くだらん真似をした、な」
「……つまり、あなたは一般市民の地位を向上させることは間違っている、と?」
「その通りだ。言うも愚かな、愚者の所業としか言いようがない」
「…………」
 沈黙したラグに、ヴィトールはくっ、と喉の奥で笑った。
「貴殿は外国の方ということもあり、こう考えられるのだろうな。守るべき相手である一般市民が手厚く遇されるのはよいことだ、と」
「ええ……まぁ。俺も基本的に、一般市民のつもりですし」
「サマンオサでは、そうは扱われん。サマンオサにおいて、特権階級と言われる貴族たちはみな軍属であり、ことが起きた時に配下を率い陣頭に立って戦う義務を負う。逆もまた真なりで、戦士階級の人間はサマンオサにおいては基本的に特権階級だ。平民たちから尊敬を受け、衣食の面倒のみならずさまざまな特権を得る権利がある」
「つまり……あなたは、自分たちがそう扱われなくなったのが、納得がいかない、と?」
「それが世界の正しい姿だから、だ」
 大きくうなずいてみせながら、ヴィトールは演説口調で続ける。
「平民どもが平民どもの仕事をすることは正しい。商業、農業、工業など、平時にのみ役に立つ仕事が平民どもには与えられている。そもそも訓練も施されていない人間が戦場に出てきても邪魔なだけだし、軍も補給なしでは戦えん。国が富めばそれだけ多くのことができる、重要なことだ」
「……そうですね」
「だが、それを命を懸けて購っている人間が誰か、平民どもの多くは忘れた」
 ぎんっ、と輝きすら感じる鋭い眼光でこちらを見つめながら、ヴィトールは猛々しい口調で語った。
「サマンオサのおそろしく強力な魔物どもから自らの命を守っているのは誰だ? 戦士だ。魔王の影響でどんどんと活発化する魔物の襲撃から、サマンオサを侵略することを目論む愚かな国家の手から、全力で平民どもの生活を守っているのは誰だ? 我ら、サマンオサ軍に所属する戦士だ。平民どもが謳歌する平和、安寧、それらを命懸けで、全力どころではない、全人生を、命も魂もすべてをかけて訓練を行って自身を鍛え上げてまで護っているのは誰だ? 我ら戦士に他ならない!」
「…………」
「平民どもはそれを忘れた。自分たちが当然のようにして享受する平和、安楽な生活、それを侵害する手から自分たちを護っているのが戦士たちだということを、戦士たちがそれこそ自身の血肉を糧として、めいめいの命を犠牲にして、死神に魂を売り渡してまでも全力で自分たちを護っているのだということを忘れ、自分たちが世を治めるのが正しいのだと、平和な世界を治めるのは自分たちであるべきと、自分たちの方が軍よりも、戦士たちよりも上位に存在するのだと寝言を抜かす。寝言を抜かすだけの余裕を作っているのは、我ら戦士たちの命なのだということにも気づかずに!」
「…………」
「自身の命を護り、自分の代わりに死んでくれているのは、実際に生きている、怠惰と享楽を享受する自分たちとは比べ物にならぬほど全力で心身を鍛え上げてきた讃えられるべき戦士たちだということも忘れ、守られることが当然のような顔をして安寧に浸る。戦士たちの命を踏みにじって生を謳歌し、それができなければ戦士を罵り蔑む。――そのような、自分たちの命が誰に守られているのか考えもせぬ者を命を懸けて守らねばならぬ理由が、どこにある!」
 だんっ、と音が立つほどの勢いで机を叩き、ヴィトールはさらに勢いを増して続ける。
「言っておくが、わしはだから平民どもを殺そうなどと考えているのではない。そのようなことには意味がない。平民どもがいなければ国の財政基盤は崩壊するのだ。ただ、教育するだけだ」
「……教育、ですか」
「その通り。単純な理屈を教えてやるだけだ。自身に与えられた恩恵には、それに値するだけの行為で返せ、とな」
「と、いうと?」
「単純な意識改革だ。命をもって生を購われている以上、命をもってそれに応えろと。命を懸けて仕事をし、金を稼げと。愚痴を漏らす、仕事を怠ける、義務から逃げ出す、そのような怠惰さをわしは許さん。我ら戦士の命によって購われた生を、それだけの価値のあるものにせよと、自らの命をもって自らの生を購えと教えてやるのだ」
「…………」
 自身の命をもって、自らの生を購う。
 確かに、それは自分たちにとっては日常で、一般市民と呼ばれる人々にとっては縁のない行為に違いなかった。自分たちは命を懸けて戦わなければ人生が終わる。仕事にならない。ヴィトールが一般市民と呼ぶ戦いに縁のない人々は、自身の金をもって、あるいは権威でもって戦う役を任ぜられた人々を動かし、戦わせる。むしろ自分たち戦う人間の主人側になることが多いだろう。
 それがおかしい、とヴィトールは主張しているのだ。命を懸けて戦うことは、適当な仕事や権威でもって動かせるほど軽いものではないと。命を懸けて戦うのだから、護られる側も命懸けで自分の義務を果たすべきだ、と。確かに、意識改革としか言いようのない主張ではあった。
「そのためには、国王の入れ替わりはいい機会だった」
「…………」
「人は多く死んだが、軍に被害はない。サマンオサの国民全体からすれば、せいぜいが一割減というところだ。有為な人材は極力死なせないようにした、死んだのは安穏とした生を是とする愚民だけだ」
「…………」
「解放軍による反乱が成功しようとしまいと、わしとしては問題はないと考えていた。愚民どもが変わり、自らの命をもって自らの生を購おうというのならばそれでいい。が、反乱軍どもの様子をこれまで探らせてきたが、少しも変わったようには見えん」
「……そうですか?」
「ああ。あやつらはみな、ただ不満をぶつけているだけのクズどもだ。お上が自分たちの気に入らないことをしても愚痴を言い合っていればそれですむと思っている。自身の血を流し、命を懸けてでもお上を、社会の構造を変えようという気概はない。そうでなければ貴殿たち、勇者のパーティや蒼天の聖者≠ノ頼りきろうとはしなかったろうよ」
「…………」
「わしの、我々の目的はこの国の民を、世界の民を変えること。現王については頃合を見て弑し、身代わりをたてればよいだけのこと。すべての人間が命で生を購うことを知れば、『魔王を早く何とかしろ』とただ国に、軍に、文句を言うだけの愚物どもはいなくなる。全人類が自らの為すべきことに命をかければ、国の下らぬ面子などで連合軍結成の足並みを乱されることもなくなる。魔王に立ち向かうことも適うことになろう。それでも魔王が倒せなかったならば、それは人というものの限界がそこまでだったということだ。限界までやりきったという誇りをもって、笑って死んでいける」
「…………」
「――わしは、勇者というものは世界に不要な害獣だと思っている」
「それは……また、過激なご意見ですね」
「勇者の力は、一人の人間を人でなしにする。人の枠を超えた力でもって、問答無用に問題を解決する。それは平民どもを甘やかす行為に他ならん。ただ守られることを、安穏としたままで命を購われることを当然と思う愚民を蔓延させる代物だと」
「…………」
「だが、それでもその志の高さは敬意を持つに値するし、志を裏切らぬよう修練を積み重ねる気高さには、好感を抱く」
「……そうですか」
「貴殿ら――勇者セオ・レイリンバートルのパーティのことはその娘から聞いている。気弱で卑屈な勇者だそうだな」
「まぁ……否定は、できませんね」
「だが、強い成長欲を持つ勇者だとも聞いた。その娘は二度勇者セオと会っているが、成長した感覚を受けたと。そしてまだ若い。周囲の声に素直に耳を傾ける勇者である、と」
「そうですね。それも、まぁ、否定はしません」
「ゆえにこそ、貴殿に依頼するのだ、ラグディオ・ミルトス。勇者セオを説得し、民を教育するこの計画に力を貸してくれと。勇者の力をただ振りかざし、問答無用に問題を解決するのではなく、時と場合に応じて正しく力を振るい、民に自らの生を自らの命で購うことを教える手伝いをしてくれ、と」
「……………」
 言うべきことを言い終えたのだろう、鋭い視線でこちらを見つめるヴィトールに、ラグは小さく息をつきながら『困ったな』と思っていた。
 はっきり言って、ヴィトールの依頼を受ける気はまったくなかった。少なくともラグの価値観からすればそんな理屈は問題外だし、セオもほぼ間違いなく拒否するだろう。あの子は自分のすべきこと、したいこと、してはいけないことについてはものすごく頑固な子だから。
 だが、セオにこの依頼を素直に打ち明ければ、セオは断る理由を自らのわがままで、という理由にしてしまうだろう。ごめんなさいと謝りながら、でも俺はそれをしたくないんです、と、自分のせいに、自分の責任にしてしまうだろう。ヴィトールの想い、理屈を否定する責任を、すべて自分におっ被せてしまわなければならない、とあの子は考えるだろうから。
 それではまずい、と思うのだ。セオにそんな風に責任をさらに背負い込ませるのも嫌だし、それ以上にこの男には理屈が必要だ、と思ったのだ。
 この男は自分が正しいと思っている。力で打ち負かしても、感情で打ち負かしても、自分の正しさは絶対に疑おうとしないだろう。
 だが、それはたぶんこの男にも周囲にもいい結果をもたらさない。最良の結果を導くには、この男の理屈を実感を持った理屈でもって打ち砕かねばならないのだ。
 別にこの男に最良の結果をもたらさなくてはならない義理があるわけではないが、セオだったらたぶん全力でそうなるよう努力するだろう。セオに習う気はないが、少なくとも再会した時にセオに『こっちの話は問題なく解決したよ』と言ってやれるくらいのことはしたいと思った。
 が、ラグは頭があまりよくない。それを自分でも自覚している。戦士だから当たり前と言えば当たり前なのだが、あっという間に次々理屈を考え出せるほど素早く頭は回転しない。
 なので、少し先延ばしにすることにした。
「……具体的な話を、聞かせていただけますか」
 ヴィトールが満足そうにうなずき、背後のエヴァが嬉しげに息を呑むのが感じられる。やれやれ、と思いもしたが助かったのも事実だった。とりあえず、仲間たちが自分を見つけてくれるまでにせねばならないことは決まった。
 なにせ、エヴァがヴィトールに雇われている以上、どうしたって自分は関わっていかざるをえないのだから。

「……おい」
「はい。なんでしょう、フォルデさま」
 にっこり笑いかけながら優雅な挙措で音も立てずにお茶の入った茶器を置くヴィスタリアに、フォルデは仏頂面で息をついた。
「んな気ぃ遣われる義理ねぇって、言ってんだろ。俺は別にお前にお茶出されるためにここにいるんじゃねぇんだ」
「はい、それはわかっているつもりです。私たちのせいで、フォルデさまの行動を縛ってしまっているのも。そしてフォルデさまが、私たちにその恩を着せるなど考えられたことすらないのも」
「…………」
「ですから、これは単に、私のわがままなんです。私は本当に、なにもできない、ただ護られてばかりいる小娘ですけれど……それでも、お茶を淹れることくらいは、ちゃんとできるつもりですから」
 にこ、とひどく儚げに微笑まれて、フォルデは全力で苦虫を噛み潰したような顔になったが、なにも言わずヴィスタリアに出されたお茶を口に運んだ。お茶のよしあしがわかるほどご立派な育ちをしてきているわけではないが、それでもこのお茶の香りがいいのはフォルデにもわかる。
 実際、この部屋は、牢獄とは思えないほど快適で、金がかけてあった。調度、室温、お茶のように好きに使えるものにまで金を使って快適な空間を創り出している。
 まぁ、エジンベアでも有数の資産家であり、現在のサマンオサにも裏で食糧を供給している家の娘ともなれば、このくらいはされるものなのかもしれないが。そして、それ以上に、ヴィスタリアは体が弱く、少しでも環境が悪化すると冗談抜きで死の危険がありえる。それを考慮して、ヴィスタリアの家と繋がっている貴族とやらは、これだけの環境を用意したのだろうことはフォルデにも想像がついた。
 つまりそれは、これだけ一般市民を虐殺しまくっているサマンオサの上の方の連中が、城にわざわざヴィスタリアを確保しなければならないほど、またヴィスタリアを逃がせないほどヴィスタリアの家を重んじているという証左でもあるのだろう。
 先刻、唐突な出会いの後、フォルデとヴィスタリアはお互いに状況を説明し合った。フォルデとしては少しでも早く話を終え、探索に戻りたかったのだが、ヴィスタリアが『この部屋にはサマンオサの方々は、食事とお湯を使う時以外ほとんどいらっしゃいません』と言うので、とりあえず話が終わらせるまではつきあった。
 そして、ヴィスタリアが話してくれたことは、フォルデとしても予想の範疇を超えた話だったのだ。
「サマンオサの国王陛下は……他国に、戦争を仕掛けようとなさっているらしいのです」
「は!?」
 それを聞くや、フォルデは唖然とした。戦争を仕掛ける? このご時世に? なにを考えているんだ、サマンオサの偽王とやらは。
 アリアハン帝国が崩壊してから三百年余、明確に他国に侵略を行ったという国はない。エジンベアの奴らがスーの部族から宝やらなにやらを強奪したりはしたらしいが、それも類別するなら小競り合いだ。はっきりと形になっている国に戦争を仕掛けるなぞというのは、フォルデの生まれるはるか以前からありえない、あってはならないこととして扱われてきた(と、セオから聞いたことがあった)。
 それがなぜ、と全力で眉を寄せてから、いや、今のサマンオサの王は魔物なんだから当然か、と思い返す。そもそも国を滅ぼしてもかまわないというか、むしろ滅ぼすための政策を行っているのだろうから、他国に戦争を仕掛けるぐらいして当たり前だ。
「私たちは、それを知らずにこの国にやってきて、父とお仕事の関係でお付き合いのある貴族の方のところへご挨拶に向かい……捕えられました。どうやら、先方はエジンベアとはしばらくの間は友好関係を保っていたいようで、父にこの国の情報が漏れるのも、私が先方に殺されたと知れるのもありがたくないことだったようなのです」
「…………」
「それからずっとここに捕えられ、今のところ不自由はありませんが……このままここに捕えられていれば、いずれ殺されることは、間違いないことだと思います」
「!? っ……なんでだよ」
「この国は、最終的にはエジンベアともことをかまえる予定だと思うのです。漏れ聞こえている噂を総合しますと、まずはポルトガを侵略する予定なのだけれども、その間エジンベアに手をつかねていてもらうために最初は友好路線を取る、と考えられているようで。ポルトガとエジンベアの海軍は世界でも双璧と呼ばれていますから、さすがに二軍を同時に相手取るのは難しいとされたのでしょう」
「…………」
「その時人質として使うまでは、生かしていてもらえると思いますが……私の家は資産家とはいえ貴族というわけではありません。私を捕えた方は、私の父を、内通者として使おうとお考えのようですが……最終的にはエジンベアの有力な家はすべて殺そう、とも考えているようなのです。あまりに恐ろしい考えなので、私としても半信半疑なのですが……」
「…………」
 フォルデはぐっ、と唇を噛む。フォルデなりに、必死に考えていたのだ。この体の弱いお嬢さまを、どうするか。
 連れ歩くのは論外だ、このお嬢さまがちょっと歩かせただけで死ぬ思いをするほど体が弱いのはこれまで会った中で思い知っている。とりあえずは殺されることはない、ということだからとりあえずはこの部屋に置いておいても問題はないかもしれない、とは思う。自分にはやることがあるのだから、このお嬢さまにいつまでもかまっているわけにはいかない。
 それはわかっているのだが、これからどうしようかと考える時、あともう少しのところで針がヴィスタリアたちを置いていく方に振れなかった。なんというか、このまま放っておいたらかえって面倒そうなことになる気がするというか、放っておくことが事態の悪化を招く気がするというか、放っておくことでなにか致命的な失策を犯してしまう気がするというか――
 うんうん悩んでいると、どすどすどす、と足音が近づいてくるのが耳に入り、フォルデははっとした。
「ベッドの下、借りるぞ!」
 そう小声で宣言するや、素早くベッドの下に潜り込む。ここのベッドは幸い布団がやたら大きく、上掛けが横に垂れ下がっているので、下に隠れればそこを探さない限りまず見つからない。
 ベッドの下に潜り込んで体を縮めていると、がちゃり、と扉が開かれた。
「ヴィスタリア嬢、ご機嫌はいかがですかな?」
「……ギリェルメさま」
 聞こえてきた入ってきた男らしき声に、フォルデは思わず顔をしかめた。フォルデも盗賊として、声から相手の素性を推測する技術くらい身に着けている。それで見当をつけたところ、この声を発している男は、どう見積もっても中高年の、でっぷり太った、金と酒と女にどっぷり浸かった因業親父としか思えなかったのだ。
「このような部屋に閉じこめてしまい申し訳ない。ですがこちらにもそれなりの事情がありますのでね、どうかご容赦を」
「いえ、みなさんとてもよくしてくださっていますわ。おかげで馬車の外にいるのにさして具合が悪くならずにすんでいます。できれば、いざという時のためにも、馬車を返していただけるとありがたいのですけれど」
「いやいや、それはさすがにできぬ相談というものです。わしは国王陛下の忠実なしもべ、陛下があなたを捕えるようにとおっしゃった以上、逃げられる可能性のあることをさせるわけにはまいらぬのですよ。せいぜいが、このように少しでも安楽な部屋をご用意するのが関の山です」
 フォルデはベッドの下で眉を寄せる。ヴィスタリアを捕えるよう決めたのは偽王で、この部屋に閉じこめるよう決めたのがこの男なわけか。おめでたい考え方をするならこの男の親切心によるものということになるだろうが、冗談じゃない。こんな声の男が親切心を働かせるなんていうのは、自分に利がある時だけだ。
 しかし、ヴィスタリアに親切にしていったいどんな利があるというのか――と考えていたフォルデは、目をみはった。
「わしの妻になるという申し出を受けていただけるなら、また話は別ですがねぇ? ぐふふっ」
 愕然とするフォルデをよそに、ヴィスタリアは淡々とした口調で答える。
「……お申し出はありがたいのですが、再三申し上げております通り、私は体が弱く、とても結婚という一大事を行えるほどの体力がありません。婚儀を行おうとしたところで、私は途中で命を失うことになるでしょう。ギリェルメさま、あなたは死体と結婚なさるおつもりですか?」
「ぐふふっ、わしも何度も申し上げておりますが、わしとしてはそれでまったくかまわんのですよ? 今わしは十二人の妻を持っておりますゆえ跡継ぎの問題は心配無用ですしな。それにあなたとしても、どう転んでも残り少ない命、せめて女の喜びを知って逝った方が心残りがなくてすむのでは?」
「――――」
 一瞬、思考が途切れ――それから脳味噌すべて、それどころでなくフォルデの血肉全てを焼き尽くすような憤激が心身を支配した。反射的に素早くベッドから飛び出て、こんなクソふざけたことを抜かす豚野郎の首を刈り取ろうとする――
 だが、その動作は途中で阻まれた。フォルデがベッドから飛び出そうとする寸前、その前に執事服を着た男の足――確かヴィンツェンツとかいった爺さんの足がさりげない動作で置かれたからだ。
 一瞬動きが止まるものの、体はそれを避けて生きる価値のない屑野郎を殺すべく動こうとする。が、フォルデは、ぐぅっ、と奥歯を噛みしめて体の動きを止めた。
 今ここで豚野郎を殺せば、面倒なことになるのは目に見えている。このクソ野郎は貴族、それもおそらくは偽王――権力の座にかなり近い場所にいる貴族なのだから、偽王も面子にかけても衛兵を総動員して犯人を捜し出そうとするはず。フォルデ一人ならその手から隠れるのはさして難しくないが、ヴィスタリアには無理だろう。急ぎ足になるだけで死にかけるほど体が弱い女に、逃避行をさせるなぞ正気の沙汰ではない。
 というかそれ以前に、ヴィスタリアの目の前で人を殺せば、衝撃のあまりヴィスタリアが命を失う可能性だってないとはいえない。ヴィスタリアは周囲にずっと護られてきたお嬢さまで、護られなければ絶対に生きていけないひ弱い女なのだ。殺し合いに参加させるどころか、関わらせることすら命の危険を招くはず。
 そんな思考が一瞬で頭の中を駆け巡り、フォルデは奥歯を全力で噛み締めて耐えた。ここまで激しい感情を抑えたのは初めてではないかと思うほどに。そんな馬鹿馬鹿しい我慢をするなどフォルデの流儀ではないが、ここで耐えなければまず間違いなく一人の女の命が失われるのだ。男として、そんな真似は断じてしたくない。
 そうして堪えている間に、ヴィスタリアとクソ豚野郎の会話は進んでいったようだった。
「……では、どうしても私の求婚を断る、と?」
「断るというより、お返事できかねます。私は父に自身の一切を庇護されている身、私の一存でそのような一大事を決めるわけにはまいりません」
「ぐふふふっ……いつものことながら、なかなか上手にお逃げになる。いいですぞ、そうやってできる限り逃げ回りなさい。私の機嫌を損ねず、私が焦れて一息にあなたの息の根を止めてしまわぬよう、上手に加減しながら必死にねぇ。いつまで時間を稼いでも助けが来ないという絶望に必死に耐えながら、少しでも命を長らえようとせいぜい頑張ることですな、ぐふふっ。それがわしの心をなにより楽しませるのですからなぁ」
 ぎりぃっ、と音が漏れそうになるほど、必死に奥歯を噛みしめて耐える。この、フォルデの今までの人生でも随一なのではないかと思うほどのクソクズ野郎は、最後にぐふふふっ、と楽しげな含み笑いをしてから部屋を出て行った。それから数分経って、気配が消えたのを完全に確認してから、フォルデはベッドからするりと抜け出す。
「申し訳ありません、フォルデさま。お聞き苦しかったでしょう?」
 そう言ってにこりと、けれどいつものように儚げというよりはむしろ力なく笑うヴィスタリアに、フォルデは低く告げた。
「あのクソ豚野郎は、いつもあんなことを抜かしに来やがるのか」
「……はい。私は一週間ほど前にサマンオサにやって参りましたが、その間毎日のようにおいでになります」
「他になんかやられたことはあんのか」
「いえ……いつもあのように言葉で、自分の妻になるよう求められるだけで、それ以上のことはなにも」
 なるほど、つまり今はまだ泳がせておいた方が楽しい、とあのクソクズ野郎は考えているわけか。ならば。そうなれば。自分は今――
 数瞬考えて、告げる。
「ヴィスタリア」
「はい」
「しばらく俺はお前の護衛につく」
 ヴィスタリアは大きく目を見開く。それからどうしていいかわからないと書いてあるような顔で、ゆっくり首を振りながらフォルデに言う。
「そんな……フォルデさま。フォルデさまは、勇者の方々とご一緒にやるべきことがおありになるのでしょう?」
「ああ。まぁな」
「では、私のことなどにかまけていては、フォルデさまのためになりません。フォルデさまには、別にすべきことが」
 うるせぇ、と一瞬怒鳴りかけて、ヴィスタリアにはそれも負担になるだろうことに気づき、またぐっと奥歯を噛みしめて数秒耐え、告げる。
「すべきことだのなんだのはどうでもいい。俺は、少なくともしばらくはお前の護衛につくって決めたんだよ」
「フォルデさま……ですが」
 言いかけて、ヴィスタリアはちょっと困ったような顔をしてから、くすっ、と小さく笑った。
「……なんかおかしいことでもあんのかよ」
「いえ……私は、よくない子だな、と思ってしまいまして」
「は?」
「フォルデさまが私のことなどにかまけているのはよくないとわかっているのに、私は、とても嬉しいと思ってしまったんです。フォルデさまに心配していただけて、他のやるべきことを後回しにしてでも私を護ろうと思っていただけて、とても嬉しい、なんて」
「なっ……」
「これまで他の方に迷惑をかけることだけはしないように、と思ってきた私がそんな風に思ってしまうのが……なんだか、おかしくて」
「……っ、馬鹿言ってんじゃねぇ。そんなん……別に、間違ったことでも、なんでも……」
 言いかけて、フォルデは身を翻す。なにを言ってるんだ俺は、俺は単にこの女を見捨てるなんぞという真似をする腰抜けになりたくなかったのと、あのクソ豚野郎がムカつくから殺したかったのと、城内部で情報を集めるのはヴィスタリアの護衛をしながらでも充分間に合うと踏んだのと、その他いろいろを考えて今はヴィスタリアの護衛をやっていた方がいいと思っただけで、そんな風に、嬉しいとか、なんとか、あんな風に笑ってもらうほどのことは、別に――
 そんな風に破裂しそうな照れくささと、心臓が走り出しそうなむず痒さに耐えながら(また姿を隠すべく)ベッドの下に潜り込んだフォルデは、ヴィンツェンツがさもおかしげに、馬鹿にしたような視線をフォルデの背中に向けたのと、それに対してヴィスタリアが一瞬だけ冷静この上ない視線で叱責の意志を伝えてみせたのには、気づかなかった。

 とりあえず息が上がって、苦しくなってくるまで全力で走ってから、レウはゆっくりと足を緩めた。全速力で走っていたのがいきなり足を止めては体に悪い、ということくらいレウもちゃんと覚えているのだ。
 ゆっくり歩くぐらいの早さまで意識して速度を落としてから、ひょいとガルファンを地面に置く。途中からガルファンはろくに口を開くこともなくなっていたから、ちょっと心配だったのだ。
「だいじょぶか、ガルファン? もう歩けるか?」
「………っ! 貴様……どの、面、下げて……!」
「へ? なに? つら?」
「っ………! 勝手に人を……荷物みたいに、運んで、おいて……! よく、そんな、ことが……!」
「へ? なんで? だって荷物みたいに運んだのは他に持ち方ないんだからしょうがねーだろ? 俺の体じゃそれ以外の持ち方だと引きずっちゃいそうだったんだもん」
「……貴様っ……!」
「まぁ、根に持つなら根に持つでいいからさ、とりあえず歩きながら話そうぜ。じっとしてたら時間もったいねーよ。早くラーの鏡見つけなくっちゃだしさ」
「貴様ぁっ……!」
 なに怒ってるんだろう、とレウは首を傾げた。自分たちはできるだけ早くラーの鏡を手に入れ――というか、その途中でセオたちと合流しなくてはならないのに、それを遅れさせるようなことをしてなにか意味があるんだろうか?
 と考えて、あ、と思いついた。もしかしたら。
「なー、ガルファン、あんたさー」
「貴様にあんた呼ばわりされる覚えはないっ!」
「だってガルファンってあなたとか呼ばれるほどえらくないだろ? まぁとにかくさ、ガルファンってもしかして、セオにーちゃんのこと前より、顔も見たくねーくらい嫌いになったの? だから会いたくねーとか思ってんの?」
「…………!」
 絶句するガルファンに、レウはむぅっと口をとがらせて文句をつけた。
「なんでそんなにセオにーちゃんのこと嫌うんだよ? 勝負に負けたからか? 言っとくけどな、セオにーちゃんはすっげーすっげー優しいんだぞ。そんですっげー頑張り屋で、時々自分のことないがしろだけど、それでも絶対世界とか困ってる人とかを放っとかない人なんだぞ。そんな人に負けたからって理由で嫌いになるって、大人げねーって思わねーのかよ? 第一、あんたがセオにーちゃんと会ったのって昨日が初めてなのにもう顔も見ないようにするとかしたら」
「昨日からじゃない」
「へ?」
「俺が勇者セオを――勇者ってものを心底、命と魂を懸けて嫌い抜くようになったのは、昨日今日の話じゃない」
「え……そ、そうなの? な、なんで?」
 突然据わった目で宙を見つめながら言うガルファンに、レウは少々気圧されながらも問いかける。ガルファンの視線と、表情と声音が、ガルファンの言う勇者への嫌悪には、本当に彼の命と魂を懸けるだけの重みがあるのだと、雄弁に語っていたからだ。
 ガルファンはこちらを見ようともせずに、ひたすらに宙を睨みながら、半ば独り言を言うように語る。
「俺は勇者ってものを知っている。あいつらがなにを考え、なにを思い、どんな風に行動するか知っている。だから、心底勇者ってものを嫌うようになった。それだけだ」
「……そうなの?」
「ああ。――俺は、サマンオサの勇者、英雄サイモンの長男だからな」
 思わずレウは息を呑んだ。ガルファンの視線が、サイモンという名を口にした時、ごうっ、と燃え上るのが感じられたのに、感触は体を震わせるほど冷え込んでいたからだ。

 しゅたたたたたたたたたたたたたたたた。感覚的にはそんな勢いで、勇者セオは歩を進めた。
 もうとうに街道を外れ、森の中に入っているというのに、速度がまったく落ちない。いかに背負子でとはいえ人一人を背負っているのに、あっという間に景色が後ろから前へ飛んでいく。駿馬どころか、風でもこうも軽やかにはいかないだろうという速さで、サマンオサ特有の巨大な木々の根で普通なら歩くのすら難渋するような大森林の中を、まるで石畳の上のように走っているのだ。
 それだというのに、マイーラにはまったくと言っていいほど衝撃がない。なにかの呪文を使っているのかもしれないが、巨大な根っこを飛び越える時にすら普通に椅子に座っているのと変わらない感覚しかなかった。
 つまりこれが、アリアハンの勇者の力ということなのだろう。これでは魔物と出会ったとしても、まともに追いつかれることすらあるまい。やはりアリアハンの勇者、オルテガの息子の力というのは、それなりに大したものなのだ。……マイーラとしては、あまり嬉しくない事実ではあったが。
 背負子の上で居眠りをしてしまうほど楽な道行きは、だいたい一刻ごとにマイーラが背負子から下ろされ、足を萎えさせないために小半時ほど歩かされる、という循環を陽が暮れるまで繰り返し、ようやく止まった。昼日中でさえ陽光が遮られろくに周囲も見えない大森林の中で野営するのか、とマイーラは正直危ぶんだのだが、勇者セオはひょいひょいと薪を集めてからマイーラを下ろし、手早く天幕を張って火をおこす。ほとんど真っ暗闇の森の中でよくもまぁと思うほど、見事な手際だった。
「マイーラ姫殿下。姫殿下はお食事はどうされますか」
「……食事もなにも。このような場所ではまともな食事など取りようもないでしょう」
「いえ、俺は道具袋の魔道具を持っていますから、水や食料の備蓄はある程度あります。簡単なお食事程度でしたら作れるかと思いますが」
「っ……いえ、けっこうです。このような状況で食事を楽しめるほど私は無神経ではありません。解放軍の方たちのためにも一刻も早くラーの鏡を見つける必要があるのでしょう、私は別に夜を徹して洞窟に向かってもよかったのですよ」
「それも考えましたが、やはり徹夜が続くのは心身に悪影響が及ぼされますから、いざという時に力を振り絞るためにも休める時には休んでおいた方がいいだろうと思います。マイーラ姫殿下がそれでも進まれるということでしたら、かまいませんが」
「…………」
 マイーラは黙して勇者セオを睨んだ。本当に、この勇者はわざと自分に喧嘩を売っているようにしか思えない。なぜこんな風にいちいち子供扱いされなければならないのか。
 勇者セオと共にラーの鏡を取りに行く、と決めたのはいいが、勇者セオは徹頭徹尾マイーラを子供扱いしていた。背負子に乗せて走りながらも、しょっちゅう『痛いところがあったら言ってください』だの『苦しくありませんか』だのと声をかけてくる。
 気遣いと言えばそうなのだろうが、マイーラは正直苛ついて仕方なかった。落ち着いた声と顔でそんなことを訊ねられても、こっちを子供扱いしているとしか受け取れない。こちらは勇者セオの顔を張り飛ばした人間だというのに、そんなことをまるで気にもしていない顔でこちらに優しくしてくるなど、こちらをまるっきり相手にしていないとしか思えないではないか。
 そんな風に平然とした顔で、こちらを相手にもしないで。それは、自分のやったことが、勇者セオに微塵の傷もつけられなかったと宣言されているも同じだった。
 マイーラに睨まれながらも、勇者セオはてきぱきと食事の支度を終えて、食器までさっさと準備する。乾し肉と乾燥野菜を使ったスープのようだったが、そんな程度の料理だったらわざわざ作らなくても、とマイーラには思える。大して栄養もありそうにないし、手間をかけるだけ無駄ではないか。
 苛立ちも込めてそんな風に思っていたのだが、セオはさっさと食器にスープをよそって「よろしければ、どうぞ」と差し出してくる。そこまでやらせてしまっては、受け取らないのも礼を失しているだろう、と気が進まないながらも受け取って、「賞味させていただきます」と一礼し、スプーンですくい、礼儀正しく口に運ぶ――
 とたん、思わず目を見開いた。
「おいしい……」
 思わず漏れてしまった声に、勇者セオは落ち着いた顔で「よかったです」とうなずく。なにを言っているのだ自分は、とひどく恥ずかしくなったが、そのスープは実際思わず声が漏れるほどおいしかったのだ。
 変わった食材や調味料を使っているわけではないのは間違いないのに、塩加減、煮込み加減、そういったものがひどく今のマイーラの体にちょうどよく合致する。そしてスープの熱さ。温かい物を体に入れることがこんなに体に活力を与えることになるとは初めて知った。
 というより、このスープを口にして初めて、マイーラは自分がかなり疲れていることに気づいたのだ。ほとんど一日中勇者セオの背中に乗せられていただけなのに、体にずっしりと疲労がのしかかっていた。それをこのスープが、いくぶん軽くしてくれたのだ。
 匙が進むままに一椀スープを飲み干すと、勇者セオが「お代わりはいかがですか」と静かな声で言ってくる。そんなものを要求するのははしたない気がしてひどく恥ずかしかったが、ここで遠慮をしても意味がない、とお腹がいっぱいになるまでお代わりをいただく。
 勇者セオも自分にお代わりをよそいつつも椀を乾していたので、勇者セオが食事を終えるまで待って、マイーラは眉を寄せながら切り出した。
「あなたは――なんなのですか?」
 勇者セオは小さく首を傾げてから(そういう仕草をすると自分と同年配だろう勇者セオはなんだかひどく幼く見えた)、訊ね返してくる。
「なんなのか、とおっしゃいますと?」
「あなたは……まるで勇者らしくない。……サマンオサの民がここまで困窮するまで助けにこなかったことについては、私としては正直、いくら恨んでも足りません。むろん、あなたにはあなたの都合があったのでしょうけれど、その都合がどんなものであろうとも、日を重ねるほどに殺されていくサマンオサの民を見捨てるに足るものとは、私には思えませんから」
「………はい」
 淡々とうなずく勇者セオに、マイーラはますます苛立ちと困惑を深めながら続ける。
「それだというのに、あなたは……あんな風に、あっさりと、頭を下げて。自分が間違っている、とあっさり受け容れて……それだけでも勇者らしく、戦士らしくないというのに、こんな風に……私を子供扱いするくせに一緒に来てくれと頼んで、私の体にちょうどよい味のスープを作って、お代わりをよそって……私がどうしたいか、意志を訊ねて……」
 ああ、なんという支離滅裂。自分で言っていて意味が分からない。曲がりなりにも王族として教育を受けてきたというのに、自分でも恥ずかしくなってしまう。
 だが、マイーラ自身、自分がなにを訊ねたいのかよくわかっていないのだ。ただ、勇者セオは、自分が知っている勇者とあまりに違いすぎて、それなのになぜか自分には、彼の中に、ひどく真摯なものがあるように感じられてしまって――
 そんな風にぐるぐる迷いながら告げた言葉を、勇者セオは変わらない淡々とした顔で聞いて、答えた。
「俺は、本来なら、誰かに勇者と呼ばれるような大した人間ではありません」
「………え?」
「俺は、弱くて、情けなくて、だらしなくて、現実の見えていない、感情ばかり先走って力の足りない、してはいけないことばかりしてしまう、本当なら生きている価値もないような人間です。ただ、たまたま勇者の力を得て、その力に見合うだけの義務を、できることを必死にやっていたらたまたま他の方にとっての重大事を解決してしまったから、そう呼んでくださる方がいくぶん増えただけの人間なんです」
「………なにを」
「マイーラ姫殿下が俺を憎まれるのも、当然のことだと思います。俺は、憎まれるだけの罪をずっと犯し続けている、情けない、ひ弱い人間です。本当なら生きていることなんて許されない、いいえ今ここで死んでみせてもとても犯した罪を償いきれない、そもそも存在すること自体が間違っているような、この世界から消滅した方がずっと世界のためになるだろう、どれだけ償っても決して許されない、そんな人間なんですから」
「…………」
 マイーラはあっけにとられて勇者セオを見つめた。なにを言っているのだ、この勇者は。意味が分からない。なんでこんなに卑屈なことを? 勇者といえば世界の希望、国家の期待を背負って戦う救い手、こんな卑屈な言動などどこをのぞいても出てくるはずがないのに。
 だが、勇者セオは、真剣だった。それはマイーラにもわかった。今までの淡々とした表情とは明らかに違う、心の底から漏れ出る感情が感じられた。ひどく切羽詰まった自責の念と、悲痛と言ってよいほどの苦悶が伝わってきた。勇者セオは、本当に、自分は存在する価値もない最悪の人間だ、と思っているのだとわかった。
「でも――こんな、存在する価値もない俺に、『生きていてほしい』と、思ってくれる人が、いるんです」
 一瞬、マイーラは目をみはった。勇者セオは、微笑んだわけではない。嬉しそうな顔をしたわけではない。ただ、わずかに表情を緩めただけだ――それなのに、マイーラには、まるで華が咲いたように感じられた。歓喜、幸福、そんな風に名づけられるのがふさわしい、命の輝きが感じ取れた。さっきまでの感情をすべて塗り替えてしまうような、世界が一瞬で極彩色に色づいたような、生命の力の華やぎ――
「俺のことを、『大切にしたい』って、『幸せでいてほしい』って、そんな風に思ってくれる人が、いるんです。俺が傷ついたら、自分のことのように傷ついて、苦しんでしまう人が、いるんです。だから、俺は、その人たちの想いにふさわしくないことは、絶対に、したくないって、そう、思って」
「…………」
「マイーラ姫殿下が、俺のことを憎まれるのは、当然です。それを止める気なんて、俺には、毛頭ありません。でも、それに、傷つく人が、いるかもしれない、って思って。なら、少しでも、その憎悪の在りようが、別の形になったらって、そう、思って」
「…………」
「それに、マイーラ姫殿下にとっても、俺なんかのことで、気持ちを煩わされて、ずっと憎み続けなければならないのは、苦しくて、嫌なことじゃないか、って、思って………」
「…………」
「だから、俺が、マイーラ姫殿下に、できるだけのことをするのは、当たり前なんです。そもそも、俺なんかがマイーラ姫殿下に触ったり、嫌な思いをさせるのは、絶対に許されないことだと、思うんですけど……それを避けたせいで、最終的に、サマンオサや、人命が、失われることになったら、それは、きっと……マイーラ姫殿下も、俺の仲間たちも、きっと、とても、悲しむと思うから」
 勇者セオはそう言って、口を閉じた。途切れ途切れというか、ぶつ切れというか、不思議に間の多い独特の喋り方が止まる。
 マイーラはなんと言っていいかわからないまま、勇者セオを見つめた。なんだろう。なんなのだろう、この男は。
 自己犠牲? 自尊心がない? どう言い表したらいいのかわからない、奇妙な考え方。想い。性格。けれど彼の前を見つめる瞳は、ぞくりとするほど真摯で、ひたむきだ。
 彼はいったいなんのために、自分たちを救おうとするのだろう。自分の知っている勇者は、『正義のため』とそう言っていた。けれどたぶん、彼は、それとは違う……まるで違う、なにかを………
 口を開きかけて、閉じて、また開きかけて、というのを何度か繰り返してから、マイーラはふいに立ち上がった。
「……休みます。天幕を使ってもいいのですね?」
「はい。俺はここで見張りをしていますから、なにかあったら言ってください」
「それではあなたが休めないではないですか」
「いえ、見張りをしながら疲れを取る休み方というのがあるので、必要なだけの睡眠は取れます」
「………では、言葉に甘えます」
 言ってマイーラは天幕の中に潜り込む。サマンオサの姫であるマイーラは、こんな小さな天幕も、寝る時に服を着替えず(今着られる服はこの平民用の旅装だけなのだから仕方ないといえばそうだが)身だしなみを整えもしないなどという事態も初めてだったのだが、今はそんなことを言っている場合ではない。
 それに、さっき、勇者セオと向き合い見つめ合った時の彼の静かで真摯な瞳に、自分が男性とこんな風に間近に見つめ合うということが初めてだということを思い出したせいで、今マイーラは恥ずかしくて恥ずかしくてまともに勇者セオの顔が見られなかったのだ。

「勇者は世界の救い手だ、と人は言う。そうさ、それは間違いない。確かにそうなんだろうさ。無欲で無私の、弱い者に手を差し伸べてくれる正義の味方、そういう代物なんだろうさ。だが、あいつらは……人≠ヘ助けても、目の前にいる、自分の家族≠助けたりは、絶対にしない」
 ガルファンは自分が興奮して半ば我を忘れている、と自覚していた。そうでなければこんな子供に、自分の人生に大きくのしかかる呪いについて話そうなんてするわけがない。
 だが、それと同時に自分が快感を感じているのもわかっていた。そうだ、自分はずっとこんな風に、サイモンを――実の父親であり国の、世界の英雄である勇者を、心の底からの憎悪を込めて罵ってやりたかったのだ。
「あいつは、英雄サイモンは、俺が生まれた時からろくに家に寄りつきもしなかった。世界中を飛び回って人助けをしてる偉い勇者なんだ、と母さんは俺に教えたさ。だが、どんなに外で偉い勇者さまをやっていようと、父の、夫の義務を完全に放棄した奴を、俺は男だなぞと認めない!」
「…………」
「あいつは世界を救ったかもしれないが、俺の家はあいつのせいでずっと崩壊したままだった。単にそれなりの年になったからって理由で勧められた見合い相手と結婚して、そのくせ新婚らしいことなんてなにもしないまますぐにまた旅に出て、うぶな貴族の娘だった母さんがどれだけ寂しかったか考えもしない! 家に戻った時に母さんがどれだけ心を込めて気遣っても、当然のような顔でねぎらいの言葉ひとつかけない! そのくせ『年を取って子が産めなくなったらことだ』『家のためにも血を受け継ぐ者をきちんと創っておかなくては』なんて理由で子作りに励んで、妊娠したらさっさとまた外へ出ていく! そんなやり方で……母さんが、どれだけ傷ついたか考えもせずに………!」
「…………」
「あいつと俺が初めて会ったのは俺が五歳になってからだ。あいつはそれまで、サマンオサには何度も帰っているくせに、家にはまったく顔を出さなかった! 初めて俺を見てあいつがなんて言ったと思う? 『お前がガルファンか』『勇者サイモンの、ダ・シウヴァの名を継ぐ者として、修練を怠るでないぞ』――それだけ言ってさっさと去っていったんだ……! 俺になにも言わせないまま、ほとんど父親だとすら理解させないまま! それからも、ずっと、ずっと………!」
「…………」
「そしてあいつは五年前、王城に行って帰ってこなかった。俺に最後までなにも言わせないまま、最高の勇者で最低の父親のまま、結局は偽王とやらに殺されたんだ! 母さんに、俺に、なにも残さないまま! 暴政から護ることもしないまま! そんな、そんな最低のクズ野郎を認めろだと? ふざけるな! 勇者なんて……勇者なんて、自分のそばにいる家族を護ることもできない奴らがくださる恵みの手なんぞを、ありがたく受け容れて、たまるものか………!」
 心底からの憎悪を、呪詛を、恨みを込めて言い、奥歯を噛み締め拳を握る。そうでもしなくては感情が暴発して剣を振り回してしまいそうだった。
 この子供に、自分は勝てないとわかっていても。勇者の力のお恵みを受けた、凡人の努力も血のにじむような修練もあっさり飛び越えていく人でなしに、自分の力は遠く及ばないのだと、何度も何度も思い知らされていたとしても。
 ――と、レウがふいに、ひょいと手を挙げた。
「………、なんだ」
「あのさ。この状況で言わないの、なんか卑怯な感じがするから、言っとくな」
 真剣な口調で、レウは告げる。
「俺、勇者なんだ」
「………………は?」

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