テドン〜グリーンオーブ――1
「グリーンオーブ、とシルバーオーブについて、なんですけど。この二つ、にはたぶん、どちらも神々、が守護を与えて、いるんじゃないか、と思います」
 ランシールを発ち、グリーンオーブがあるというアーグリア大陸――かつてのネクロゴンド王国の勢力圏に向けて魔船を走らせること二週間。おそらくもうじき陸が見えてくるだろうという頃、夕食の席でセオがそんなことを言った。
 それぞれ顔を見合わせてから、いつものように真っ先にフォルデが言う。
「っだよその守護ってなぁ。クソ神どもがどんな手ぇ使ってオーブ隠してやがんのか、わかったってのか?」
「いえ、あの、そういうわけじゃ全然、ないんですけど」
「ほう、もうその『オーブのいくつかは神々が配下を遣わせて守護している』という話を聞いてから一月半は経ったというのに、よく覚えているなフォルデ。大したものだ、お前も日一日と成長しているんだな、その成長速度についてどうこう言うつもりはないが」
「殺すぞてめぇ」
「俺もちゃんと覚えてたぜ! ちゃんとセオにーちゃんの話帳面に書いてるもん!」
「そうだな、レウは年齢相応以上に向上心がある、大したものだ、偉いぞ」
「え、そう? そう? えへへー」
「……年齢相応がどうこうというのはまぁ、置いておくにしろ。二人ともよくちゃんと覚えていたなっていうのは本当だな。うん、偉い偉い」
「てめぇ俺をいくつだと思ってやがんだマジで殺すぞ……」
「一応まだ十代だろ。まぁ可愛がられて嬉しい年じゃないだろうとは思うけど、話の流れ上仕方なかったんだ、勘弁してくれ」
「えへへー……あ、で、それはさておきさ。なんでセオにーちゃんは、残ったオーブのどっちも、神さまが護ってるって思ったの?」
「おお……レウが話を先に進めている。やはり若者の成長速度というものはすさまじいな、思わず目頭が熱くなってしまいそうなほどだ」
「えへへー。そう? そう? やっぱ俺もいつまでも下っ端じゃいらんないってことで!」
「てめぇここ喜ぶとこじゃねーかんな。……で? どーいうことだってんだよ?」
「後輩への対抗意識か……」
「てっっめぇマジ殺すその舌ガチで斬り落とすっっ!!」
「はいはいお前らまだ飯も片付けてないってのに喧嘩するな! ……えっと、ランシールからこっちセオがどこかに出かけたりはしてなかったから、いつもみたいに自分の頭で考えて結論を出したんだよな?」
「えと、はい。といっても、別に、大した考え、じゃないん、ですけど……これまで、の旅で見つけた、オーブを数え、上げてみて、そうなんだ、ろうなって思ったんです」
「……というと?」
「えと……最初に見つけたのがパープルオーブ。これは障害なく、手に入れられましたけど、そもそも宝として納められていたのが、ジパングという、旅人の立ち入りが難しい場所ですし、状況も状況だったので、保留とします。次がレッドオーブ。これは神々に、守護されていない、とサドンデスさんからのお墨つきを得ています。そして、ブルーオーブ。神竜の加護によって、守られた遺跡に奉納されている宝物ですけれど、人によって警備された、宝物殿の中に存在したことは、わかっています。そして、かつてすべてのオーブは、その宝物殿に納められていたこと、そしてそこから流出したことを考えると、その宝物殿には神々は、特に守護を与えていないのではないか、と考えることができます。普通の神々は、神竜の力がいまだ色濃く残る、ランシールの遺跡に手を出したくはないだろう、という推論も一応は成り立ちますし」
「うん……そうだね」
「最後に、まだ手に入れることのできていない、イエローオーブですが、これはまず間違いなく、守護を与えられていないはずです。俺たちの知っているだけでも、これまで何人も所有者が入れ替わり、かつその人々が呪われたというような話も、まるで出ていない。ここまでで、守護を与えられていないと、確言できるのが二つ、おそらく守護されていないものが一つ、保留が一つです。残りは二つ。そして、ヴァレンチーナさんの話では、サドンデスさんは、ロンさんが言われたように、『オーブのいくつかは』神々が配下を遣わせて守護している、と話されていた、そうですから……六つあるもののうちいくつか、と言われた場合、対象となるのは、普通二〜三個、多くても四個ですよね?」
「まぁ……確かにな」
「となれば、数的に、グリーンオーブとシルバーオーブには守護を与えている、可能性が高い。これがまずひとつ。続いて、山彦の笛の反応についての件があります」
「山彦の笛の反応……って?」
「山彦の笛は、その音響からオーブの、だいたいの位置を読み取ることができるよね? ここ数ヶ月のことなんだけれど、シルバーオーブの位置が、これまで反応を返してきた位置から、明らかに移動しているんだ」
「はぁ!?」
「移動している場所は、これまで反応していた場所からほぼ真西。地図と照らし合わせると、ネクロゴンド周辺を取り巻く、断崖絶壁の向こう側……ポルトガの勇者カルロスさんから教えていただいた、かつてネクロゴンド王国の王城であった、魔王の居城の直近なんです。現地に行ってみなければ、はっきりしたことは言えませんが、おそらくは険しい山越えや、火山の火口のすり抜けといった難事をこなす必要が出てくる、と思います」
「それは、また……オーブを集めて、ラーミアを復活させるのは、そもそもネクロゴンド周囲の山脈を魔物をあしらいながら登るのが大変だから、っていうことだったよな? それじゃそもそもラーミアを復活させる必要性から薄くなってきてないか?」
「はい……バラモスはおそらく居城の周囲には、人間が街や村に施す魔物避けの結界のような、人間避けの結界を張っているはずですし……それが最後の鍵、でなんとかできたとしても、神々への対応をはじめとした、後々のことを考えると、復活させておいた方がいいことに、変わりはありませんが」
「あれ? でも、シルバーオーブって神さまが護ってるってセオにーちゃん言ってたよな? 神さまがラーミア復活させて魔王の城に攻め込むのぼーがいしてるってこと? 魔王じゃなくて?」
「えと、ね。もし魔王がシルバーオーブを、ラーミア復活妨害のために、移動させているんだとしたら、なぜさっさとシルバーオーブを消滅させないのかっていう、疑問が出てくるよね? 由来からして、オーブは高い聖性を有してはいるだろうけど、あくまで精霊の国の鉱石の、ひとつにすぎない。魔王の名を冠されるほどの魔族が、壊せないほどのものじゃないんだ。つまり、シルバーオーブを移動させている相手は、どの陣営に立っているにしろ、ラーミアに対して『蘇ることができなくなってしまっては困る』くらいのことは考えていることになる」
「あ、そっかー……え、でもじゃあ、そもそもなんで場所動かしたりしたわけ?」
「……推測に、なるけれど。おそらく、俺たちに、『険しい山越えや、火山の火口のすり抜けといった難事』をこなさせたいんじゃないかな、と思うんだ」
「へ?」
 レウのみならず、ラグとフォルデもきょとんとした顔になった。ロンは一人いつものごとく落ち着いた表情で、軽く肩をすくめてみせる。
「つまり、俺たちに死の危険と隣り合わせの道行きをさせたいわけか? これまでのあれやこれやで、セオは普通の勇者より不可逆の死を与えられる可能性が高くなっているのは神どもも知っているはずなのに?」
「はい……たぶん。といっても、神々にとっての重要性は、おそらく『死の危険と隣り合わせの道行き』という点ではなく、『火山の火口のすり抜け』という点なんじゃないか、と思うんです」
「は? なんでだよ。どっから来てんだその発想」
「ええと……ですね。あくまで推測、なんですけど。ルザミの預言者の方の言葉を、神々はそれなりに、重視してるんじゃないか、と思うんです」
『………はい?』
 きょとんとした声を揃えて返されセオも一瞬きょとんとしたが、それ以上の反応を返す前にレウがあっ、と声を漏らして手を叩いた。
「そっかぁ! サマンオサで言ってたよね、セオにーちゃん! ガルファンのお父さんの、勇者サイモンさんが残したガイアの剣が、魔王のところにたどりつくまでに必要になる、って!」
「うん、そうなんだ。ガイアの剣がどう必要になるのか、いろいろ考えてみた、んだけど……たぶん、火山の中に投じるのが一番いいんじゃないか、って思う」
『へ?』
「え、セオにーちゃんそれってどーいうこと? 剣を火山の中に投げるって……ジパングで見たみたいな、あの真っ赤なドロドロしたやつに投げるってこと……だよね?」
「えと、預言者の方の言葉を、正確に繰り返すと……『魔王の神殿はネクロゴンドの山奥! やがてそなたらは火山の火口にガイアの剣を投げ入れ、自らの道を開くであろう!』ってことだったんだ。この言葉を、ガイアの剣の能力と合わせて、いろいろ考えてみたんだけど……ガイアの剣は、大地と炎の神、ガイアの祭器で、ガイアの神威を、一時的に借り受ける力を持つから……溶岩流の方向を、ある程度操作することなら、簡単にできる。でもその力を、最大限に発揮するためには、火山の火口に、直接投じる必要があるんだ」
「ああ……大地に返すと、ガイアの剣はガイア神の元に還る……みたいなことを言ってたなサイモンは」
「はい。そうして大地に還った剣の精髄を基に、ガイアはまた新しく剣を創って世界に表出する……大地の神ガイアは、そういう輪廻によって、自分に対する信仰を強めることを好む神であるようなんです」
「ちっ、鬱陶しい奴だな。そこまでしてでもてめぇのことを崇め奉られなきゃ気が済まねぇってか」
「と、いうか……おそらく、ですけど。ガイアは、『人々の信仰』を、自分の、そして他の神々の、行使する力の源に加工することができるようなんです」
「はぁ?」
 意味が分からなかったらしくぽかんと目と口を開けるフォルデに、セオはできる限りわかりやすくと心掛けつつ説明してみせる。
「まず、資料に残されているガイアの神としての起源は、古代帝国成立よりもさらに前、世界の成立とほぼ同時、ということになっています。その頃のことを記した資料というのは、事実上口伝の神話を後世書にまとめたものしか残されていないわけですが、それでもガイアがダーマに認められている神々の中でも有数の歴史と高い位を持つ神であるのは間違いありません。ただ、そういった神々というのは基本的に人間に厳しい……というか、人間の事情に配慮しないのが当然という思考がもはや慣例化していて、残されている神話でもほとんどの場合神々が人間と関わる時は『驕り高ぶった人間に神罰を下す』という事例ばかりなんですが、ガイアは違う……というか、『その神威によって恩恵を与える』という事例の方が多いという、高位の神の中では珍しい部類に入る存在なんですね」
「…………」
「大地の神と呼ばれているのだから当然といえば当然ですが、ガイアは太陽神ラーと並ぶ農耕神であり、豊穣を司る神です。そして鉱石が大地から産出される関係上、鍛冶の神であり技術、そして文明を司る神でもあります。司る対象がそもそも人間と近いんです。それに加えて、古代帝国の文明の繁栄の一翼を担うオリハルコンの加工技術がガイアからもたらされたという伝承。古代帝国の人間たちが暴走し、神々が彼らに鉄槌を下すことを決めた際、技術を与えた責任を問われて幽閉されてなお精霊神ルビスの願いに応えて人間に力を貸したという伝承。これらの、ほぼ確実な事実として扱われるほど確度の高い伝承が残されていること自体が、ガイア神が古い神々としてはありえないほど人間びいきの神であることを示しています」
「…………」
「そしておそらく、古代帝国の崩壊後に現在の人類を創生した際、主軸となった神でもあるのではないか、と。あくまで推論の段階ですが、古代帝国時代から資料として残る、最も古い神話のほとんど、実に百十五例中九十七例が、『神々は大地を素として人間を創った』と記していること。そして、数少ない現代の人類の創生の伝承の、十二例中十一例が『大地から人が生まれた』と解釈が可能な文言を含んでいること。それを考慮すると『大地』と『人間』は創生段階から深い関わりがあった、すなわち大地の神ガイアは人類創生の主軸となる神であり人間の擁護者であった、と考えるのが一番わかりやすいと思うんです」
「…………」
「では、それなのになぜ現在ガイアは人間社会の一部でしか深く信仰されていないのか。人間にとってはまさに創造神であり、自分たちに深い加護を与えてくれる神だというのに。……ここからは推論に推論を重ねることになってしまうので、本当にあくまで俺の想像にしかならないことなんですけど……ガイアは、自分に向けられていた信仰を、『力の源』に『加工』したんじゃないかと思うんです。だからこそ古代帝国ではどの神より崇められ、現在の人類にも創生期には創造神として世界中で崇められていたと思われる、ガイアに対する信仰が現在の人間社会に受け継がれていないのでは、と。『人々の信仰』を『消費』して、神々の行使する『力の源』に『加工』したのでは、と思うんです」
「…………」
「これまで俺たちが得てきた知見によれば、神々は世界を恣意的に改変する能力を有していますが、同時にその能力にはそれぞれの神に応じた限界があることがわかっています。具体的な数値としてはっきり示されたわけではありませんが、ある程度の推測はできます。少なくとも百五十年前は、ほとんどが『ごく普通』の神とはいえ、数で言うなら過半数を超えるほどの神々が総力を挙げても、ほとんどすべてが無に還った神竜の力に対抗できなかったこと。そして、百五十年前も現在も、サドンデスさん――神竜の力を受け継いだ勇者には、神々総出でも真っ向からでは太刀打ちできないと考えていること。そして、バルボーザ一家の港で、サドンデスさんと直接相対した際の経験。それらを合わせて考えると、古代帝国を崩壊させたあらゆる大陸の沈没とその後の天災、さらに古代人類殲滅後の大陸の隆起といった天変地異は、神々にとってもたやすいことではなかった――むしろ、非常な難事業だったと思うんです」
「…………」
「では、そこまで大規模な世界改変の力を、どこから引き出してきたのか。神竜と相対できるほどの高レベルの神の力は、天界を去った原因がそもそも『古代帝国の消滅の際のごたごた』によるというサヴァンさんの言葉からして考えづらい。それならば、とあれこれ考えてみて、ガイアが『人々の信仰』を『消費』して、神々の行使する『力の源』に『加工』した、というのが一番ありえる可能性なのでは、と考えたんです」
「…………」
「根拠というには薄弱ですが、現在もガイアに対する信仰を受け継いできていたネクロゴンドとシャンパーニ、その双方の神話で、ガイアが人々の信仰心を素材として鍛え、自身や神々の武器とした、という記述が散見されること。人々の信仰の対象の推移を記録した歴史書の中で、勇者や英雄の類がガイアの剣を用いて火難や地震災害から人々を護った、という事件が起きた際に、一時的なガイアの信仰離れという事態が発生していること……ただ、この資料の正確性は正直低く、根拠として成立していないといえばそうなんですが、他の資料からガイアの剣の使用という歴史的事実の存在はほぼ確定させることができていること、この資料の中ではガイアと『人々の信仰』の関係についてはまったく触れていないのに、同じ状況が何度も繰り返し発生していることから、ある程度の信憑性はある、と俺は判断したんです。推論に推論を重ねた頼りない説であることは間違いないんですが」
「…………」
「そこから類推するに、ガイアはガイアの剣を使用した奇跡という信仰的な喧伝材料を確保することで、ネクロゴンドという信仰の一大基盤が失われたことに対する補填をしたいのではないか、と思うんです。現代のガイア信仰はシャンパーニからアーグリア大陸北部にかけて、ポルトガを外す形で伝播していました。信仰心を直接的に力へと加工できる技術――これはガイア神の権能ということもありますが、人間を創生する際にガイアがそういった機構を創り出したのではないかと思うんですが、とにかくその技術を持つガイア神にしてみれば、信仰の盛んな地を失うことは自身の力が大きく失われたも同じですし、他の神々にとっても利用できる能力であるという推論が正しいならば他の神々としても歓迎できない事態です。そこで、ガイアの剣を大地に投じたことにより生じる奇跡――これは、火山に対する操作なのか、それともシルバーオーブを手に入れるまでの間になんらかの助力を与えてくれるのかは断定しかねるんですが、とにかく魔王を倒す道程にガイア神の御力で恩寵を与え、おそらくはそれを夢見なり伝聞なりで広く伝える――おそらくこの奇跡を起こすのにはネクロゴンドで命を失った人々の信仰を、おそらくは死の間際に吸い上げ加工した力を使うのではないかと思うんですが、とにかくそういう意図があるのではないか、と考えたんです」
「…………」
「…………」
「…………」
「え、と……あの、なにか、おかしな、ところ、とか見落としてる、ところとか、あり、ました……?」
「……あ、終わり? でいいの?」
「え、えと? 終わり、って?」
「だから、セオにーちゃんの言いたいこと。それで終わりってことでいいの?」
「え、えと……推測に推測、を重ねた、頼りない理屈だ、っていうのはわかって、るから……いくらでも問題点、を指摘、してほしい、って思う、けど……?」
「ううん、いーよ。セオにーちゃんの言うことなんだから、たぶん間違ってないんだろうし。えーとなんだっけ、つまり要するに、シルバーオーブの場所が移動しちゃったけど、たぶんなんとかなる、って話なんだよね?」
「え、えと……うん、そう、かな……?」
「まー神どもがなんかぐだぐだやってやがってんだろうってのはムカつくけど、どっちにしろ今どーにかできることじゃねー、ってことでいいんだよな?」
「あ、の……はい」
「ええと、とりあえず、最初はどういう話なんだっけ? ああそうだ、グリーンオーブとシルバーオーブには、神が守護を与えているだろう、って話なんだったよな?」
「あー、そーいやそーいう話だっけ……」
「話が長すぎて忘れたわ、そんなん」
「っ………! ご、ごめ、ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「こら、フォルデ!」
「てっ! ……おい、なんでてめーに頭はたかれなきゃなんねーんだコラァ!」
「だーってセオにーちゃんが泣きそうな顔で謝ってくるのわかってて言っただろー。意味なくセオにーちゃんいじめるの禁止!」
「ちっ……あー、わーったわーった。いーからとっとと話先に進めろ」
「は、はい……」
 心底からの慙愧の念に心臓を痛め小さくなりながらも、セオはおずおずと顔を上げて話を続けた。どれだけ心魂が後悔と申し訳なさにまみれていようとも、行動で役に立ってみせなければ相手に対する償いにはならないのだから。
 ――これまであらゆる人に愚かで役立たずと言われてきた勇者である自分を、見つけ出して信じてくれた人たちの想いに、応えぬままに果てるなど、それこそ誰よりセオ自身が許したくないことなのだから。
「えと……そして、グリーンオーブ、なんですけど。これは、山彦の笛の反応からすると、百年前、冒険家フィリオ・ロッドシルトが、レイアムランドの神殿で、ラーミアの卵を守っていると告げた双子のエルフから話を聞いた時と変わらず、テドン――今の俺たちの目的地にある、ようです。このテドンという村には、ある意味、とても珍しい特性があって……」
「特性?」
「えっと、つまり……幽霊村なんです」
「……は?」
「えと、ですね。魔王バラモスは、ネクロゴンド王国の同名の首都を襲撃して陥落させたのち、ネクロゴンド王国の版図であるアーグリア大陸の全土に、魔物たちの軍勢を差し向け、町村を次々に焼き払いました。テドンは、その際に壊滅させられた村のひとつ、なんですが……ネクロゴンドの様子を探る斥候隊が最初にたどりついた時にはすでに、昼は焼き払われたまま野ざらしにされていた村の跡地だった場所に、夜になると村人たちが、魔物たちの襲撃などなかったかのように、当たり前という顔で生活している、幽霊たちの息づく村になっていた、んだそうです」
「は……はぁ―――っ!?」
「え、なにそれ。それってえっと、前に行った幽霊船みたいなのじゃなくて? あの時セオにーちゃん、なんか幽霊には種類がある、みたいなこと言ってたよね?」
「あ、うん、よく覚えてたね。レウはやっぱり、すごいな」
「えへへへー……」
「……で! 幽霊の種類がなんだって!?」
「あ、はい……以前お話した通り、俗に『幽霊』と呼ばれるものは、四種類に分類されます。魔物化したもの、魔法によるもの、残留思念、それ以外、という分類です。この最後、『それ以外』という分類に関しては、まだ詳しくお話していません、でしたよね?」
「ああ、うん、そうだったな。けど、それって単に他の三つの分類に当てはまらないもの、っていうだけじゃないのかい? 数が少ないから大分類にならないっていうだけの」
「はい……そうとも、言えます。ただ、少なくともこれまでの事例では、『それ以外』と分類された『幽霊』には、共通点があります」
「共通点?」
「はい。『その発生原因が現在に至るまでまったく判明していない』という点です」
『………は?』
 ラグとフォルデとレウがきょとんとした表情で声を揃える。それはそうだろう、ここはどんな研究者も頭を抱えるところなのだ。
「つまり、『それ以外』に分類される幽霊たちは、『なんで幽霊になってこの世界に存在しているのかなにをどう調べてもさっぱりわからない』という存在なんです。なぜ生まれたのか、というよりなぜ存在することができているのか、さっぱりわからない、突き止められない。どういう存在なのかわからない――つまり、どんな力を持ち、どんなことができるのかも、さっぱりわからないんです」
「い……いやいや、ちょっと待ってくれ。わからないっていうのは、単純に……なんていうか、判別できないだけで、普通の幽霊……って言い方も変だけど、そういうものじゃなく……?」
「はい。ダーマの文献にも、賢者が直接調査に乗り出しても発生原因がまったく判明しなかった、と明記されています。他の三つの分類に当てはまる幽霊ならば、賢者の職業にある者が調べられないわけがありません。これは、あくまで推論ではあるんですが……おそらくは神ですら、それらの幽霊の発生原因は判別できないのでは、と」
『は!?』
「賢者ですら原因がさっぱりわからないというのは、人類史上いまだかつて原因を突き止められた者が誰もいない、ということとほぼ同義です。そして、まったくなにも手掛かりすらつかめない――今のロンさんですら調べてみてもまるでわからないとなると、おそらくは神も含めて発生原因を知る人は誰もいない、と考えた方が論理的に正しいのでは、と。最大でも、たかだか人間の街ひとつしか影響力のない代物に対して、ロンさんほどのレベルの賢者が、微塵も違和感を感じ取れないほどの完璧な偽装をしてまで、隠すことがあるとは思えません。つまり、単純に神々ですら、なぜそんなものが生まれたのか、わからない、知らない、と考えた方が自然だと思うんです」
「それ、は……」
「……まぁ、確かにそうかもしんねーけどよ。だからなんだってんだ?」
「発生原因も、なぜ存在し続けられるのかも、誰にもわからないけれど、かつて人として生きていた生命が、消滅してなお、この世界に人の形をして、存在し続けられる事例がある。つまり、それは、その『幽霊』がどんな力を持ち、どんな影響を周囲に与えるかも、誰にもわからないし、どんな事態が起きても不思議ではない、ということになります」
「え……な、なんで?」
「世界の状態を、恣意的に変更できる神々すらも、その発生原因がわからない、なんで存在し続けられるのかわからない。つまり、その存在がどんな影響をもたらすか、神々ですらさっぱりわからない、ということになるよね?」
「う、うん……うん? そう、だよ、な……」
「もちろん神々が、率先してその存在を消去していない以上、世界に対して、これまで少なくとも、『神々にとって』多大な悪影響を及ぼしたわけではない、とはいえると思う。でも、その存在に危険性がない、と言い切れるわけでもない。これまで起きたことがない、というのは、これからもなにも起こらない、ということの確証にはならないからね。……ただ、これまでなにも起こらなかった以上、これからのことを過剰に警戒して、必要以上に距離を取る、というのも非効率に過ぎる、と思う。だけど、神々にとっては、そういう存在って、最大級の警戒対象にならない、かな」
『………あ!』
「世界のことを、どうにでもできる自分たちが、どうにもできないという理由で、神々は勇者をなにより警戒して、遠ざけようとしている。それなら、『なぜ発生したのかさっぱりわからない幽霊』に対しても、警戒して距離を置きたがるのが普通、だと思うんだ。もしかすると、その存在を消し去ろうと試みることすら、したがらないかもしれない。なにが起きるかわからないから、という理由でね。……テドンは、そういった『なぜ発生したのかさっぱりわからない幽霊』たちが住まう村で――そして同時に、森の神ケリオロの聖地でもあるんだ」
「ケリオロ……って確か、ノアニール地方一帯で信仰されてる神じゃなかったか?」
「はい。そして同時に、アーグリア大陸南部においても広く信仰されていました。これは新暦五百年代前半に起きた民族大移動――ネクロゴンド王国の祖となる一族との領土争いに敗れた幾多の部族が船で海へ逃げ新天地を求めた結果、海流によって世界の南端から北端へ転移し、ノアニール地方に入植したという事件によります。エルフたちの住まう青の森≠フ存在するノアニール地方の風土にケリオロ信仰はよく馴染み、現在では、ネクロゴンド王国が滅亡する以前から、そちらの方が有名になっていますけど、ケリオロ信仰の本家本元は、アーグリア大陸南部の大森林、と言われています。そしてその中で聖地と呼ばれていた場所のひとつが、テドンなんです」
「ふーん……」
「テドンは広義の門前町に分類される場所で、地勢的な利便性は高くなく、規模としては村と呼ばれる段階を超えていませんでしたが、聖地を管理するため、という名分で与えられた寄付金は潤沢でした。そしてテドンの人々はそれを使い込むようなこともなく、実際に管理のために、そして神体――というか、ケリオロへの信仰を高めるとみなされた聖物の購入に使用してきたそうです」
「あ、それがグリーンオーブか!」
「うん、俺が調べた限り、そのはずなんだ。……そしてその後、グリーンオーブはテドンから動いていません。今現在山彦の笛の反応を探ってみても、変わらずテドンに存在するはずです。テドンの村は、バラモスの軍勢の襲撃によって滅び、幽霊村として定着しているというのに。神々にとってはおそらく、できる限り距離を取りたい存在であるだろう『なぜ発生したのかさっぱりわからない幽霊』で満ちた村に、グリーンオーブは変わらず存在し続けているんです」
「あー………つまり、それって……」
「神どもにとっても、不意打ちだったってことか?」
 眉根を寄せながらのフォルデの言葉に、セオは我が意を得たりとうなずく。
「はい。俺はそう考えているんです」
「え、え、なに、どーいうこと?」
「つまり、神々にとってもテドンが幽霊で溢れかえるようになったのは全然予想してなかったし、突然のことすぎて対応できなかったんじゃないかってことだよ。そうじゃなかったらとっととオーブを別の場所に移してるはずだ、ってこと。オーブが神々のいる天界の城まで飛ぶことのできる翼の鍵である以上、神々が放置しておくとは考えにくいだろ?」
「あ! うん、そっか!」
「付け加えるならば、俺たちはグリーンオーブには守護者がいたがゆえに移送できなかったのじゃないか、と考えている。守護者が突然の幽霊の出現――神々からすればできる限り遠ざかりたい代物が唐突に現れたことに驚き慌て、その力を振り絞って幽霊たちから『距離を取った』のだろう、とな」
「へ……?」
「いや待てよ、なんでそーなんだよ。距離を取るってんならルーラでもなんでも離れる方法なんぞいくらでもあるだろうがよ」
「ルーラという呪文は、体感的には、呪文を唱えると、光に包まれて天に昇った、次の瞬間には目的地に天から光と化して舞い降りる、というような過程を取ります、よね? つまり、ルーラは瞬間移動の呪文ではなくて、超高速移動の呪文なんです。この場合ならば、幽霊たちの蠢く領域を通過しないわけにはいかない。神々の配下である者の思考を追ってみるに、それは避けたい、と考えるのが普通かな、と」
「………いや、それはそうかもしんねーけどよ、じゃあ幽霊どものうようよしてる村ん中でどーやって幽霊から距離取んだよ。とっとと逃げ出すのが一番マシってことになるんじゃねーのか?」
「はい、もちろんそれも、妥当な手段のひとつだとは思うんですけど、グリーンオーブがまったく移動していないことから考えると、隠密効果や守護効果のある結界を張って、その中に隠れ潜んでいる、という方法を守護者は選んだんじゃないか、と。『人間』のテドンに対する偵察や探索は、民間でも公的機関主導でも何度も行われていて、テドンが有していた聖物や金品の類は、ほとんど回収されたそうです。それなのにグリーンオーブは、いまだテドンから動かない、ということを考えると、それが一番妥当かな、と考えた、んですが……」
「………で? つまり、結論は?」
 眉を寄せながらも、軽く肩をすくめあっさり聞いてくるフォルデに、セオは力を込めてうなずき答えた。自分の言葉を聞き、向き合ってくれるこの人たちに、応えないという選択肢など自分には存在しない。
「テドンでは、村全体を、くまなく探索することになると思います。昼間、夜間、両方の時間で。最後の鍵を使いながら」
『……最後の鍵?』
「あ、そっか! 確か最後の鍵って、結界とかも解けちゃうんだよな? 神さまとかが創った結界とかでも!」
「ああ、なるほど……そうだったな。すごいなレウ、よく覚えてたもんだ」
「えへへー」
「………つまり、守護者とかいう奴が張った結界をぶち破りながら、普通じゃねぇ幽霊のいる村を探索するってこったな?」
 仏頂面でそう告げたフォルデに、嫌な思いをさせてしまったのだろうか、と震える感情を自覚しながらもうなずく。犯した過ちの償いは、それでも行動によってしか行えないのだから。
「ぶち破る、かどうかは状況による、と思いますけど。テドンの幽霊が、俺たちに悪影響を与えない、という保証もないわけですし。ただ、それでも、通常人間では認識しえない領域に隠れ潜んでいる相手を見つけ出すには、ある程度しらみつぶしの探索をするしかない、と思います。山彦の笛も、グリーンオーブに限っては、結界の影響か、ある程度反応にブレがあるので、精緻な座標探査というのは難しそうですし……幽霊や、不測の事態に対して、できる限りの警戒は必要、だと思いますけど」
「なるほどな……いいぜ、わかった。俺は別に文句はねぇぜ。幽霊なんぞにうっかり不意打ちされてずっとこそこそ隠れて引き籠ってるような奴に、喧嘩売るのも馬鹿馬鹿しいしな」
「俺もいいよー。幽霊村の探索とか、面白そうだし!」
「こら、やらなきゃならないことをやる時面白半分だと、足元をすくわれるぞ? ……俺ももちろんそれでいいと思うけど……ロンはもう、セオからその話を聞いてるんだよな?」
「ああ、セオから何度も相談を受けたからな。Satori-System≠ナ調べることもあったし。……なんだラグ? 妬いてくれているのか? 喜ばせてくれるな」
「いや違うから! そんな話じゃないから! 俺はただロンはすっかりセオの相談役として定着してるなと――」
「ああ、もちろんわかっている。お前が妬いているのがどちらに対してなのかはな。ふふ、まったく、お前の仲間に対する愛がこれだけ高まっても変わらず時を重ねるごとに深まっていくのを感じさせてくれて、俺は嬉しいぞ、ラグ?」
「だっ、か、ら、そういう、ことじゃなく、だな」
「だーっ、なんでもかんでもてめぇの趣味に引き合わせて解釈すんじゃねぇ! 第一ガキどもがいるっつーのになに考えてんだこの腐れ変態!」
「なにを言っている。俺はただ、ラグやフォルデやセオが仲間たちと仲良くしているところが見れて嬉しいなぁ、と言っているだけだろう? なぁ、レウ」
「え、うん……っていうかさ、なんで俺だけ外したの?」
「ああ、仲間外れになった気分になってしまったか、それはすまん。そういうつもりじゃなかったんだが。俺は単に俺の趣味的に男の仲間と仲良くしているところを見て心慰められる相手を優先的に挙げていっただけで」
「やっぱりてめぇの趣味十割じゃねぇかこの変質者!」
 にぎやかに当意即妙な言葉を交わし合う仲間たちを見つめながら、セオは一人静かに安堵の息をついた。今回も、なんとか無事行動計画を伝達することができた。自分の拙劣な計画など、粗を探せばいくらでも見つけることはできただろうが、仲間たちはいつも、それよりも計画を正しく遂行することに注力してくれている。
 自分と、ロンの、計画を立てる能力を信頼し、仲間たちの命運を預けてくれているのだ。身震いするほどの重圧も感じるけれど、それ以上に泣きたくなるほど、ありがたい。
 そしてこんな風に、仲間たちがにぎやかに言葉を交わし合うところを見せてくれるのが、セオにはなによりしみじみと喜ばしく、励みになるのだ。自分の仲間たちの今のような時間を、幸福の一端を担う手助けができていたというのなら、それは本当に、自分にとっては、泣きたくなるほど、この上ないほど幸せな事実なのだから。

 夜の森。たとえ天に明月が座し、夜空を皓皓と照らしていようとも、人の手の入っていないそこは、それこそ一寸先も見えないほど暗く、昏い気配に満ちている。魔物か獣か、どちらにせよ人ならざる者の生命に満ちた、人の在らざるべき場所だ。
 だが、今そこを進む自分たちは、おそらくとうに人ではない。
「ふん……これか、テドンってのは。確かにこの大陸は四方八方どっちを見ても真っ暗闇ばっかだってのに、一つだけやけに明々と灯りの点ったところがありやがるぜ。こっから真西、二十里ってとこだな」
「そうか、なら小半時もしないでたどり着けるな。たどり着く時間は夜でも昼でもどちらでもかまわないんだったよな、セオ?」
「はい……問題が起きた場合の、原因に対する情報が、まるでないわけですから。どちらでも、同じかな、と……」
「やった! どうせだったら幽霊が出る時に着きたいなって思ってたんだー!」
「元気でけっこうなことだが、レウ。レミーラの呪文の維持も、きっちり頼むぞ。さっき魔物が襲ってきた時のように、唐突に灯りを消したりしたらまた俺がそれはもうえげつないお仕置きをしてやるからな?」
「手ぇわきわきさせんな変態野郎! やること自体はフツーのくせに言動がうさんくさすぎんだよ!」
「仕方ないだろうレウは子供なんだから、俺の技の冴えも鈍ろうというものだ。やっていてそういう楽しみがあんまりないし」
「うぅー、だってさぁ、魔物と戦ってる時にそーいう、『灯り点けてなきゃ』みたいなことずっと考えてるとかって難しいんだもん……」
「こら、レウ。やるって言ったのはお前だろう? なら言い訳するんじゃない。できないっていうんなら、いつでもセオやロンが代わるからそう言うんだ」
「うぅー……わかってるけどさぁ……」
「そういう、戦いに集中しながら別のところにいくぶん注意を払っておくっていう技術を身に着ければ、不意打ちや大勢に囲まれた時なんかにも対処しやすくなるし、真正面から戦う時の強さも上がるからな。頑張れ」
「う、うんっ! よっし、頑張るっ! 見ててね、セオにーちゃん!」
「あ、うん……もちろん。ずっと、見て、るよ?」
「……えへへー。うんっ!」
「へらへらしてんじゃねぇこのガキ! とっとと先進むぞ、しゃんとしやがれ!」
「わっぷ、もーっ、わかってるから意地悪すんなよ! ったく、フォルデはセオにーちゃんと話してるとすーぐちょっかいかけるんだからー」
「………っっっ無駄口叩く暇があったらてめぇの仕事しやがれっ!」
 フォルデが周囲を探査して道を見極め先導し、ラグが周囲を索敵しつつ後方の盾になり、レウとロンはそれを援護しつつ背後から状況を俯瞰する(訓練をする)。適度に声を抑えながらも、それぞれさして緊張せず、魔物の襲撃に備えながら道を進む。靴≠フおかげがあるにせよ、宙を飛ぶ鳥よりも早く目的地へと。それが当たり前になるだけの経験を、自分たちは積んできている、ということなのだろう。
 この先常にそうしていられるかどうかは、もちろんわからないのだけれども――などと考えながらもセオも歩を進め、ラグの言葉通りそれから小半時もしないうちにテドンへとたどり着いた。
「………すげえ篝火の数だな」
「確かに。規模は間違いなく村なのに、この灯りの数は尋常じゃないな」
 囲いもろくにない村の中へと、全員揃って歩を進める。そこに広がっていたのは、ごく当たり前のような――それでいて、そこかしこが歪んでいるのがわかる、深い森に囲まれた小村の風景だった。
「……魔物避けの結界の類はなし、か。まぁ当然だが」
「なんか……すごい、人いない? いや、こんくらいの村ならこんくらいの数の人はいると思うけどさ、なんていうか……なんだろ、その……」
「もう夜も遅いっていうのに、これほどの数の人が出歩いてるのはおかしい、ってことだろ? 祭りでもないのに。特にこのくらいの大きさの村なら、夜の娯楽も少ないし、ほとんどの人が農業を営んでるだろうから朝も早いはずなのに」
「あ、うんっ! そうそれっ!」
「……とりあえず、見た限りは、歩いてる奴らに特に違和感はねぇけどな……」
 ほとんど十歩歩くかどうかにひとつ、という頻度で燃え盛る篝火の前を、特に騒ぎ立てることもなく、それぞれ穏やかな表情で言葉を交わしながら数十、数百という数の人々が行き過ぎる。自分たちの隣を通る時も特に表情を変えることもなく、目が合った時に穏やかに目礼してくるのみだ。それにロンは軽く眉を寄せた。
「こうしていてもしょうがない。とりあえず一人二人、男を引っかけてくるか」
「は!? おま、おい、待てよコラおいっ!」
 フォルデが声を荒げラグが目をみはるが、ロンはすいと身を翻して隣を通り過ぎようとした男に声をかけ、少し話してからくいくいと自分たちを手招きしてくる。
「……ったく、なんだってんだあいつ、フツーに話聞くだけならあんなとっちらかった言い方するんじゃねぇっての」
「それを言ったら『ほう、ならばお前は俺が普通でない話の聞き方をすると思っていたわけか、どういう話の聞き方をすると思っていたのか微に入り細に入り教えてもらおう』とか言われるぞ」
 などと小声で言葉を交わすフォルデとラグをよそに、ロンは自分たちに向け軽い口調で説明を始めた。
「とりあえず、だ。ここテドンの村では、別に今日が祭りだとかそういうわけでもなんでもないらしい。道行く人が多いのは別に特別なことがあるわけでもなく、篝火が多く点されているのはここが森林神ケリオロの聖地であり、良質の木材が多く手に入る場所である以上、信徒として当然の振る舞いなんだそうな」
「ああ、当たり前だろう? ……というかそもそも、あんたたちは旅の人だよな? こんなどこにでもあるごく当たり前の村に、わざわざ何の用だい?」
 訝しげな視線を向けられ、セオは「え、と、あの」と説明を始めかかるが、それより先にロンがさらっと言ってのける。
「ここテドンが森林神ケリオロの聖地だというのは、あんた自身が言っていたことだろう? 信徒が聖地を巡礼するのは、別におかしなことじゃないと思うが?」
「聖地巡礼? ……そりゃまぁそうだろうが、テドンは普通の巡礼が訪れるような場所じゃないことくらいは知ってるだろうに」
「もちろん。だが俺たちは神々について深く知ることを求める学究の徒でもあるんでな、ここテドンのように禁足地が大半を占める聖地でも、主管者の方に話を窺ったり、神殿に詣でさせてもらったり、やりたいことはいろいろあるのさ。それとも、ここテドンでは、そういったことも禁じられているのかな? 俺たちが聞いた限りでは、そんな事実はなかったはずだが」
「それは、まぁ、そうだがな。……それで、聖地の主管者さまに話をしたいんだったか?」
「ああ」
「それならこの道をこのまままっすぐ行けばいい。禁足地の少し前から立ち入り禁止を示す縄が張ってあるが、その前に一軒社務所が建ってる。そこにいるはずだ」
「そうか。ありがとう」
「いや。……ああ、そうだ。ひとつ教えておいてやるが」
 その男はふいに眼差しを鋭いまでに真剣なものに変えて、低く声をひそめながら告げる。
「この村の中ではな、篝火を絶対に消しちゃならないぞ。魔物が寄ってくるからな」
「え……」
「は? 篝火って、なんで」
「じゃあな。篝火は、絶対に消しちゃならないぞ」
 自分たちの問う声を無視してそう再度念を押し、男はくるりとこちらに背を向けて、すたすたと歩み去っていく。それを思わず無言で見送ってから、自分たちは顔を向き合わせて小声で相談を始めた。
「なんだってんだ、あのおっさん? 妙な顔で妙なこと言いやがって」
「魔物が寄ってくるから篝火を消すな、とか言ってたよな……そりゃまぁ火を嫌がる魔物もいるだろうが、火を吐く魔物も炎の魔法を使う魔物もそれなりにいるんだから、どんな魔物にも決定打になるわけじゃないだろうに。そもそも魔物避けの結界を張っていないんだから……」
「うーん……森の神さまの聖地の薪で焚いた火だから、ってこと? ちょっと弱いっていうか、遠いっていうか、筋が違うみたいな気がすんだけど……」
「まぁ、言いたいことはわかるよ。確かにそうだよな……、セオ? どうかしたかい?」
「……いえ、あの」
 セオはどう言葉にするべきか迷って、視線をさまよわせたが、これはおそらく自分たちにとって致命的な状況を招きかねない事実だ。男が去っていった方向をもう一度確認してから、仲間たちに向き直る。
「あの男の人、は……たぶん、何度も、死んでいるんじゃないか、と思います」
『………は?』
「何度も死んでるって……どういう意味だい?」
「はい……あの、擬似的な、死と蘇生を繰り返している、というか……死んで、昇天して、また新たな命として生まれて、死んで……という輪廻を、同じ人格と状況を保持しながら、何度も何度も繰り返している、んじゃないかと、思うんです」
『………はぁぁ?』
「いやなに言ってんだ意味わかんねぇぞ。具体的にどういうことなんだよ?」
 セオは言葉に迷い、数瞬逡巡する。どう説明すればきちんと誤解なく、そしてこの地の人々の尊厳を損なうことなく伝えることができるのか、必死に頭を回転させた――のだが、口に出すよりも早くロンが深く眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「……セオ。さっきの男を追尾探査していたら、唐突に存在が消滅したんだが。君の言いたいのは、そういうことか?」
「あ、えと……はい」
 大きく違ってはいない、とうなずくと、他の仲間たちは仰天した顔をして問いかけてくる。
「は? なんだよそりゃ、消えたって……つまりその、さっきのおっさんが死んだってことか? なんでいきなり……」
「いや死んだっていうか、幽霊って話なんだからもうとっくに死んではいるんだろうけど。なんていうか、幽霊としてそこにいたはずなのに、突然消えた……ってことなのかい?」
「え、でもさっきセオにーちゃん、死んでまた生まれて、って言ってたよな。消えた幽霊が、また出てきたってこと?」
「お前ら、もう少し声を抑えろ。すぐ近くをこの村の連中が行き来してるんだぞ。ま、声を抑えたからといって連中に察知されないと保証できるわけでもないが」
 ロンに低く叱責され、仲間たちは小さく首をすくめ声を落とした。表情は緊迫したまま、小声で囁き交わす。
「……ロン。つまり、お前が言いたいのは、声を抑えたり消音の結界を張ったり、っていう程度じゃ幽霊たちに察知されるかもしれない、ってことか?」
「ああ。向こうはなんでこの世に存在しているのか神々にすらさっぱりわからない代物なんだ。理屈や条理を無視して、原理がさっぱりわからない力を理由すらさっぱりわからないまま行使したとしても少しもおかしくない」
「理由すらわからねぇ……って、どういう意味だよ」
「例えるなら、そもそも俺たちを警戒する理由などまるでないのに俺たちだけ選び取って情報を抜き去るとか、そういうことをしたとしてもおかしいとは言えない、という意味さ。なんでそんなことができるんだ、なんでそんなことをしたんだ、そんなことをする理由なんてまるでなかったはずなのに、と文句をつけたくともつけようがない。そもそも向こうは常識の延長線上には存在していない代物なんだからな」
「なんでかわかんないけどなんでもできてもおかしくない、ってことかぁ……うー、セオにーちゃんが幽霊にも気をつけろ、みたいなこと言ってた理由、やっとわかってきたかも」
「それでだな、セオ。確認するが。君が言いたいのは、この村では、幽霊が絶えず消滅と生成を繰り返している、ということでいいのか? 死んだ時の人格や状態を保持したまま、そういうことを繰り返している、と」
「えと……正確には、少し違います。たぶん……聖地に向かう道が、死出の道にして産道、という状態になっているんじゃないか、と思うんです」
『は……?』
 眉を寄せて声を揃えられ、少し慌てながらもできる限り正確に説明する。
「聖地というものにはいくつか種類がありますが、森林神ケリオロはその中でも原始宗教に近い形態のものが多いことで知られています。並外れた巨木、恐ろしいほどに美しい景観の森林、そういったものに信徒が聖性を見出し、ケリオロの加護ぞあれと祈りをそれに向けて結集させたことでケリオロより神託を受けた、あるいは受けたと錯覚した信徒がその地を聖地として認め、その体裁を整える、という成り立ちで生じたものです。そして森林神であるケリオロの教義上、それは人里離れた森の奥であることが多い。そしてそういった場所を聖地として祈りを捧げる場合、多くの神に共通することですが、聖地を『人の手で穢してはならないもの』と認識し、そこに至る人間は一度生まれ変わらなくてはならない、という信仰形態を有するものでもあるんです」
『…………』
「聖地へ至る道を死出の道であると同時に産道と位置づけ、禊や祓によって死と新たな生誕を模し、一時的に心魂を人に非ざるものへと生まれ変われさせることで聖地に詣でる資格を得る。ジパングでの信仰にも似た、原始宗教から紐づく信仰形態です。テドンも、俺の調べた限りではそれに近しい信仰形態を有しているようでした。それとどれだけ関連しているのかはわかりませんが、たぶんテドンの聖地に向かう道は、その信仰形態と同じなのではないか、と。つまり……死して、新たに生まれ変わる道に、なってしまっている、んじゃないか、と思うんです」
「……つまり、なにが起こるってお前は思ってんだ?」
 フォルデの落ち着き払った声に、セオはおずおずと答える。
「おそらくは、ですけど。幽霊たちは、消滅と、生誕を、何度も何度も繰り返している、のではないか、と。同じ人間であることは、変わりないので、基本の人格は変わらず。そして、テドンという村の、状況も、変わらず。幽霊たちの元になった人々が、亡くなった時は、当然村はひどく荒れていたはずなのに、そこから歪められた、今の状況に固定され。そして、死と蘇生の輪廻を、何度も繰り返し――人格が、歪む――あるいは、漂白されていっているのではないか、と思ったんです。そんな存在が、所狭しと闊歩する、この道は――たぶん、おそろしく、死≠ノ近い、のでは、と……当て推量、でしかない、んですけど」
「つまり……道を歩いているだけで突然死するとか、幽霊たちが襲ってきて魂を奪われるとか、そういうことが起きそうだ、と君は考えているんだね?」
「起きそう、かどうかはわからないん、ですけど……起きても、おかしくはない、って」
 セオなりにできる限り危険性を訴えたその言葉に、だがレウはあっけらかんと言葉を返した。
「なーんだー。それじゃ、やること別にかわんないじゃん」
「え……」
 顔を上げたセオの視界に、にこにこっ、という音が聞こえてきそうなレウの満面の笑顔が飛び込んでくる。
「セオにーちゃん、そんな難しく考えんなよー。元からどんなことが起こったっておかしくないって言われてたんだから、いきなり死ぬとかそーいうこと起きたっていまさらじゃん!」
「そ、う……かな」
「そーそー! そんなことが起きたって別にセオにーちゃんのせいじゃないんだからさ、そんな落ち込んだ顔すんなって!」
「ま……別にお前のせいじゃないってのは確かだな。どんなことが起きるかわからないってのも最初から言われてたこったし、お前が深刻ぶる必要もねぇってのも確かだ」
「そうだな。もちろん、セオが気がついたことを言ってくれたのは助かるけど。現状を認識しなおせるし、こちらの肚も据わるしね」
「……仲間たちの意見が一致したようだぞ、セオ? ここはひとつ気合を入れ直して、前に進むというのが最善と思うが、どうだ?」
「は……はいっ」
 落ち着いた表情で自分にまっすぐ視線を向けてくる仲間たちに、セオは慌てて大きくうなずく。――そうだ、自分などが心配する必要などなかった。この人たちは、自分が誰より信頼する仲間たちは、そのくらいのことなど最初から覚悟して、肚を据えてここにやってきているのだから。

 フォルデは内心の荒れ狂う感情を――はっきり言ってしまえば怖気を、全身全霊を振り絞って押さえつけ、奥歯を噛み砕かんばかりに噛み締めて前を睨みつけながら歩を進めていた。
 幽霊に慣れた、というのは嘘ではない。いやそもそも自分が幽霊を怖が、いや嫌がる気持ちなぞ反射的な嫌悪感にしかすぎないものであって、別に幽霊を見るだけで卒倒してしまうというほど拒否感を示すわけではない。幽霊と斬った張ったするなど慣れたものだし、向こうに害意がないと確信できたならば握手だってしてみせる。
 ただ、逆に言えば、幽霊を見ると反射的に身構える程度には自分が幽霊を嫌っているのは認めざるを得ない。つまり、それが、こちらに対する害意をとりあえず示していなくとも、これだけ大量にいると――
「………っ」
 体に触れる間際で素早く、かつ目立たないように幽霊を回避しながら、フォルデは仲間たちの先頭に立って足を進めていた。つまり、回避しなければ体に触れてしまうほど、進む道が幽霊で混雑してきているのだ。
 村に入ってきたばかりの時は普通に人間に見えていたものは、道を進むごとにどんどん体色を薄まらせ、今や半ば半透明の姿になっている。ごく普通の村の道行く奴らのように、穏やかに、あるいは楽しげに、連れ立つ者たちと言葉を交わしながら、当たり前のような顔で(避けなければ)自分たちの体をすり抜けて歩いていくのだ。
 自分たちが足を進める時も、呆けていれば幽霊たちの透けた体の中へ突っ込みかねない。それほどに行く道は幽霊たちで満たされてきているのだ。幽霊同士も当然のような顔で、喋りながら互いに互いをすり抜けて道を行き過ぎていく。数が多すぎる、というか幽霊たちの道の中で占める割合が高すぎるせいで、自分の身のこなしは仲間内でも随一と自負するフォルデですら、幽霊を完全に避けるには全神経を集中させねばならなかった。
 しかも全力を尽くして幽霊を避けながら、後方からついてくる仲間たちに、自分が全力で幽霊を避けていることを知られないように、あくまでさりげない動きにとどめるという方向にも頭を使わなければならない。馬鹿馬鹿しい意地と言われると反論は難しいが、それでもフォルデはそんなところを仲間たちに見られるなぞ死んでも嫌――と言うと言いすぎになるが(なんというか、一応仲間、というか、まぁその強いて言うならば、この世界で唯一命を預けられる連中、と言ってもまぁそこまで間違いではない奴らだとは考えているわけだし)、少なくともそんな事態を避けるためならば脳が焼き切れそうになるほど死力を尽くすのも辞さない、と心中で主張する部分があるのは間違いないことだったのだ。
 そうして周囲の状況(幽霊の配置)を必死に俯瞰しつつ、目の前の状況(迫りくる幽霊)に懸命に対処しつつ、自分の行動(幽霊を避ける動きに必死さが滲み出ていないか)を全力で修正しながら、前へ前へと進む。別に幽霊が怖いとかどうとかそういうことじゃまったくないが、油虫を好んで触りたがる人間がいないのと一緒で、触らずにすませられるならすませた方が精神衛生上いいことは間違いなく――
 などと益体もない考えが飛び交っていた脳裏に、瞬間、身魂まで震わせるほどの悪寒が走った。
 即座に後ろを振り向く。周囲を確認する。鷹の目も駆使して周囲の様子を探る。――結果、フォルデの周囲、見渡す限り、地平線の彼方まで調べても、仲間たちの姿が見つからなくなっていることがわかった。
「…………!?」
 なんだ。馬鹿な。どういうことだ。さっきまで間違いなく自分の後についてきていたはずなのに。思考が一瞬混乱し恐慌するが、歯が砕けそうなほど奥歯を噛み締めて必死に理性を取り戻す。
 つまり、これが、セオの言っていた、『どんな事態が起きても不思議ではない』範疇のうちのひとつ、ということか。だが、ならばどうする。魔法やら怪しげな力やらで仲間たちを隠されたのだとしたら、フォルデにはどうにもしようがない。探すことはできるのか。できるならいったいどこをどう探す。懸命に周囲を睨みつつ頭を回転させる。
 ――と、幽霊たちが足を止めた。道行く幽霊たちがいっせいに足を止めて、こちらを向いたのだ。反射的に体中にぞっと悪寒を走らせるフォルデに向けて、道行くすべての幽霊たちは――
 笑ったのだ。心底楽しげに、優しげに。
 思わず頭に血が上り、怒鳴りつけかける。だが、それよりも、フォルデの目の端に掲げられていた篝火のひとつが、ふっと消える方が早かった。
 え、と一瞬戸惑い混乱している間に、ふっ、ふっ、と道端に見渡せる限り明々と掲げられていた篝火が、誰が触れたわけでもないのに次々消えていく。そしてそのたびに幽霊たちが、フォルデに笑顔を向けたまま、何体も何体も姿を消していく。
 高レベルの盗賊として、夜闇の中でもほとんど問題なく見通せるはずのフォルデの視界が、どんどん暗くなり闇に閉ざされていく。暗く、黒い、真なる晦冥に目が呑み込まれる。
 混乱し、狼狽しようとする心に必死に活を入れて顔を上げる。負けてたまるか。ふざけんな。この程度のことで負けを認めてたまるものか。自分はもう、とっくに。
 そう心が叫びかけるや、ふっと道を踏みしめていた足が空を切る。一寸先も見えない闇黒の中で、拠って立つ場所が瞬時に失われる。
 自分がどこにいるのか、どういう状態なのかもわからないまま、フォルデは抗いの咆哮を上げながら、黒闇の中をどこへとも知れぬ場所めがけ落下し始めた。

 ラグは一瞬、足を止めて振り返りかけた。後ろから、誰かに呼ばれた気がしたのだ。
 だが結局振り返ることなく、ラグは前に向き直り足を進める。先頭に立つフォルデが幽霊を避けながらも足早に進んでいるので、最後尾を進むラグはぼうっとしていると置いて行かれてしまう。
 先刻セオのいつもながらの解説を聞いてから、ラグたちは特に会話を交わすことなく道の先へと進んでいる。それが嫌だというわけではないが、なんとはなしに状況に威圧感を感じていることは否めなかった。
 というか、この暗闇の中に明々と火が点る、っていう状況がなんか嫌なんだよな、とラグは内心で独り言ちる。別にちゃんとした理由があるわけではないが、こんな暗闇の中を火がやたらめったら自己主張しながら照らしているという状況が、どうにも座りが悪く感じてしまう。威圧感を覚える。別に理由があるわけではないが――
『――――』
 また後ろから声をかけられた気がして、ラグは足を止めかける。だがすぐに前へと足を進めた。わざわざ足を止める理由などなにもない。声など、どうせ気のせいでしかないのだし。それなりに懸命に仲間の後を追っている最中に、声をかけられた気がしたという程度の理由で足を止めていては、あっという間に置いて行かれてしまうのだから。
『――――』
 またか、と眉根を寄せる。こんな声など、自分には聞いた覚えすらもないのに。耳障りというか、体の内側を引っ掻かれているような感覚というか、とにかくひどく、気分に障る――
『――――』
「――っなんだっていうんだ!」
 何度も何度も呼びかけられ、つい声を荒げて振り返ってしまう。振り返ってからなにをやってるんだ自分は、と我に返ったが、その一瞬後にざっと総身から血の気が引く。
 振り返ってから刹那の間をおいて、そこら中に掲げられていた篝火の灯りがふっと消えた。同時に道にあふれていた人影――幽霊たちの姿も同時にすべて消え失せる。
 暗闇に満たされた世界の中で、星の光すら届かないというのに、なぜか一人の女性が立っているのがくっきりと見えた。誰だ、と思わず眉を寄せ、数瞬見つめてから、さらに眉を寄せる。
 この女性を、自分はどこかで見たことがある。
 いやしかし、どこでだったか、どういう人間だったか、よっぽど印象が薄かったのかよっぽど昔に会った人間なのか、どうにも思い出せない。見たことがあるのは確かだと思うのに。だがそんな相手がどうしてこんなところにこんな状況で、と困惑で心を千々に揺らしつつ警戒していると、その女性はふっ、と指の間で遊ばせていた煙管を一吸いしてから苦笑してみせた。その笑い方から、相当堂に入った莫連女だということが自然と知れる。
「まさか、顔も覚えられてないとは思わなかったわ。曲がりなりにも命と引き換えに助けた息子だってのにさ、薄情なこった」
「は………?」
「は? じゃないよ。あんたまさか、自分の母親が自分を箪笥の中に隠して強盗に殺されたってこと、忘れちまったなんぞと抜かすんじゃないだろうね?」
「なに、を―――」
 絶句と混乱。驚愕と狼狽。それらが数瞬頭の中を駆け巡ったのち、雷に撃たれたような衝撃と共に記憶がひらめいた。
 ずっと忘れていた顔。これからもずっと忘れているはずだった顔。目の前に現れるなんて想像していなかったし、これっぽっちも求めていなかった顔。
「母………さん」
「気づくのが遅いよ、クソガキ」
 くくっと喉の奥で笑う、その時の口周りにできる皺の形までもが鮮烈に、脳髄の奥から記憶を引きずり出し主張してくる。――今目の前にいるこの女性は、間違いなくラグの生みの母だと。

 ――ふっ。
 視線が揺れるのを感じて、ロンは足を止めた。なんだ、と周囲を走査しかけて、そのための動作ひとつひとつに山を背負っているのかと思うほど重みが乗せられていることに、ようやく気付いた。
 頭が重い。体が重い。巡らせる視線にすら重みがのしかかり、ふらふらと頼りなく揺れる。なんだこれは、まずいこれはまずい、『幽霊』の影響か、セオに状況を伝えられるか、頭の中でぐるぐる言葉が回るが明確な結論は出ない。自分がすこぶるつきにまずい状況下にいることを否応なく把握した。
 体がふらつく。幽霊たちで埋め尽くされた道の中へと倒れ込みかけ、必死に体を支えるも道行く何人もの幽霊たちの体の中を通り抜ける羽目になる。状況を立て直そうと心身に気合を入れようとしても体の経絡がまともに動かない。呼吸するように行使できた魔力をわずかに動かすことすらかなわない。なにもかもをどうすることもできないまま、ずだっ、と道の真ん中に倒れ込んだ。
 受け身もまともに取れずに倒れ込んだせいでそれなりの痛みは走ったが、それよりも頭が、全身がぐらぐらして体もろくに動かせない苦痛の方が勝った。ひたすらに心身が荒れ狂う――そんな中、ふと視界が暗いことに気づく。なんでだ、と視界を巡らせるよりも、記憶が先に警鐘を鳴らした。
 ――篝火は、絶対に消しちゃならないぞ。
 つまりこれは、そういうことか。後戻りのできない最悪の状況下に向けて自分たちが突き進んでいるということか。まともに頭を働かせることもできない中、そんな思考が迸るように脳裏にひらめく。
 だが、それに対する対策も、どうすれば実行できるかも、まるで考えつくことができないまま、ふと気づく。倒れている自分を、隣で、誰かが見下ろしている。
 思わず、ぞっと背筋に悪寒が走った。まともに首を動かすこともできない、それが誰かを確認する方法もない。だが、呼吸音の大きさと気配の重みで、その『誰か』がひどく小柄な、おそらくはまだ幼い子供だろうというのは見ずともわかった。
 子供。幼い、子供。生まれてこの方ろくに子供と付き合ってこなかった自分が、こんな時に出会うだろう子供。おそらくはもはやこの世にいないだろう子供。それは、たぶん。
「―――あんた、まだ、生きてるんだ」
 ひどく乾いた、子供らしさとされるだろうものの抜け落ちた声。何ヶ月も前にわずかに会話しただけの相手なのに、否応なしに理解する。理解できるくらいはっきり記憶していることを自覚し、頭を抱えたい気分に陥った。
 今自分を見下ろしているのは、数ヶ月前自分がサマンオサで殺した、魔族に憑かれていた少年だ。

 ふわ、と一瞬、体が軽くなる感覚を覚えた。
 あれ、とレウは首を傾げる。なんなんだろう、この感じ。これまでのレウの人生で、たぶん一度も味わったことがないふわふわした感じ。
 セオたちといる時、ときおりそうなるように、幸せな気持ちで体中がわーっといっぱいになって弾けそう、というのとはたぶん違う。体が妙にほわっと軽くなって、暖かい優しい毛布で包まれて、世界がどんなことになっても大丈夫、みたいな安楽で穏やかな、安心しきった気持ちだ。
 なんだろう、なんなんだろう、と考えながらも、歩を進める。その間もレウの心と体はほわほわと軽くなって、気を抜けば天に昇る階段を駆けて行ってしまいそうだった。羽毛布団の羽になったように、体の隅々まで暖かい気持ちに満たされて、風に乗ってどこまでも舞い上がってしまいそうに軽い。
 いや、でもそれは駄目だ。このまんま天に昇っていっちゃ駄目だ。地面に足をつけて、全力で道を踏みしめて、とふわふわ浮きそうになる体に力を込めて大地と心身を繋ぐ。
 懸命にそんなことを続けることしばし、唐突にふっ、とレウの視界内、見渡す限りに燃え盛っていた篝火が、ひとつ残らず消え去った。当然ながらレウの視界は一気に暗闇に閉ざされる。
 だが、その後すぐに、ほわっ、とどこからか蛍のような儚くも優しい光が浮かび上がった。いくつもいくつもその蛍火は増え続け、しまいにはレウの視界は、昼間とは言わないまでも皓皓と満月の輝く遮るもののない野原くらいには明るくなる。
 そんな明々とした光景の中、誰か女の人がレウの向こう側から歩いてくる。というか、その人はなんだか天から降りてきたみたいに見えた。いつの間にか篝火も、幽霊たちも、テドンの村の建築物もすべて消えて、どこまでも優しい光が照らす野原の中、優しい笑顔を浮かべたその人は、ふわふわと天から流れ落ちるように降りてくる。
 目をみはってその光景を眺めるレウに、女の人はにこっ、とはっきりレウを見つめながら嬉しげに笑った。
「久しぶりね、レウ。会いたかったわ」
「え……」
「本当に……こんなに、大きくなって。私にとっては現世でどれほど時間が経っても、瞬きするほどにも感じられないのだけれど、人の世の時間の流れはいつも変わりなく、連綿と流れているものね。救いでもあるけれど、容赦がなくもある――あなたにしてみれば、私はそれこそ、身も知らぬ女でしかないでしょう」
「え、おばさん俺と会ったことあるの?」
 驚いて訊ねたレウに、その女の人はいくぶん瞳の色を翳らせてから、小さく首を振ってまた笑う。
「ええ、昔に。あなたにとっては本当に大昔にね。私にしてみれば一瞬前のことでしかないのに」
「えぇ……? ごめん、おばさん、俺おばさんがなに言ってんのかよくわかんないんだけど……」
「そうね、それならはっきり言うわ。――私はあなたの生みの母親なの。あなたを産んですぐに死んだ、この世に在らざる魂なのよ」
 レウはぱかっ、と口を開けて絶句した。レウにしては本当に珍しいことに、それこそいつ以来かそうそう思い出せないくらいには久々に、頭の中の次に口から転がり出る言葉が一切消え失せてしまったからだ。

 セオは足を止めて、後ろを振り向いた。それからもう一度前を向き、改めて周囲を見回す。
 テドンの聖地へと向かう道に、所狭しと溢れかえる幽霊たち。赤々と燃え盛る篝火。その灯りから外れた、一寸先も見えないほどの闇。
 それらを改めて見回し、聴覚、触覚も駆使して気配も探り、魔力を投射して呼応する反応を精査し――それから改めて、呟いた。
「ラグさん? ――ロンさん? フォルデさん? ………レウ?」
 自分の仲間たちが、少なくとも即座に自分が認識できるざっと半径五里の範囲には存在しないことを確信してそう呼ぶ――その瞬間、見渡す限りの篝火が、即座にすべて消え失せた。

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