シルバーオーブ〜イエローオーブ――1
 ネクロゴンド王国。かつてそう呼ばれていた地は、アーグリア大陸、イシスから河川といくつもの山脈によって隔てられた南、魔王の力によって通常の方法では出入りができなくなったゴンドリア地方の最奥に在る。テドンからは近在の河を下るなり、森を越えるなりして海に出て、ぐるっと回ってアディナ湾からアラクォリェ内海に入る、という手続きを踏まねば、かつて港があった場所にもたどり着けない。
 そしてそこまでしてすら、魔王の力によってゴンドリア地方が閉ざされた現在では、断崖絶壁が果てしないほど続く山脈をいくつも越えなければ、ネクロゴンド王国のかつての王都には足を踏み入れることもかなわないのだ。
 何人もの盗賊たちが身命を賭して調査した限りでは、ネクロゴンド王国の王都は形を変えて、魔物たちの城塞となっているという。おそらく魔王バラモスは、その最奥にて自身の目的に邁進していることだろう。
 ――その目的が何なのか。そのごく基本的であろう情報について、セオはいまだ聞き知ってはいない。
 ネクロゴンド王国を滅ぼし、世界中の人間国家に(主に使い魔を遣わせて)『世界の征服』を宣言したのは間違いない事実だ。だが、それにしてはネクロゴンド王国の滅亡から、魔王とその配下の魔物たちにはまったくと言っていいほど動きがない。
 世界的に魔物の活動が活発になっているのは確かだが、それとても国家の屋台骨が揺らぐほどというわけではないし、国家の存亡に関わる行為をしてのけた魔物たちも、サマンオサのボストロールは変異体としての本能ゆえだし、ジパングのヤマタノオロチは神の思惑に人間の嗜好が絡みついた結果が行動の基本的な動因。魔王との関わりは認められていない。
 たとえ自身と関わりのないところで発生した魔物であろうとも、『世界の征服』を目的とするならば、少なくともボストロールにはなんらかの接近行動があってしかるべきであるはず。だがサマンオサで事件解決の一助となり、その事後処理を手伝ってできる限りの情報を収集し精査しても、そのような事実は確認できなかった。
 神々やサドンデスからも、魔王の行動理念についての情報はまるで得られていない。セオとしては、なにか恐るべき事実が隠されているのではないかと、一定の警戒をせざるを得ない状況だった。
 一応セオなりにこれまでの旅で得た情報で、ある程度の推測をしてはいるのだが、それが真実だという証拠があるわけでもない。警戒は必要だ、とセオは認識していた。
 それと同時に、目下考えるべきは、ガイアの剣をいついかなる方法で使うべきか、ということだろう。『魔王の神殿はネクロゴンドの山奥! やがてそなたらは火山の火口にガイアの剣を投げ入れ、自らの道を開くであろう!』という預言者の言葉からいっても、セオの知識からいっても、シルバーオーブを得るために『ガイアの剣を火口に投じる』という行為が必要なのはおそらく間違いない。
 ただし、『どの』火山に、『どうやって』投じるのか、という細かい部分についてはどうしても推測部分が混じってしまう。現在のゴンドリア地方の周辺部、フォルデに改めて調査してもらって判明したたどり着くのがそこまで難しくはない地域には、火山と呼べる山が複数存在するのだ。
 投じる方法については、セオが行った文献調査の範囲内に限れば、特殊な儀式を行う必要はなく、単純に火口内の溶岩部にガイアの剣を接触させればよいという理解の下記されたと思しき記録ばかりだった。だが、ガイアに対する信仰心の強化という目的から考えるに、より正しく行うためには魔法的な儀式を行う必要があるのが当然だ。神竜と対峙する必要に迫られている現在の天界が、それを無視するとは考えづらい。
 そして、最終的には天界を力づくで屈服させる必要に迫られているセオたちにとっては、その儀式を行わせるべきか否か、ということも考える必要がある。すべてを満たす最良の選択肢はどれか、セオとしては考えないわけにはいかなかったのだ。
「――セオにーちゃーんっ!」
 見張り台の上からかけられた興奮と高揚感に満ちた声に、セオは甲板で考えながら掃除用具を動かしていた手を止めて、顔を上げる。
「えと……レウ。どう、したの?」
「見えたぜっ! 見えた見えたっ! 船が入れそうな入り江っ!」
「――――」
「いよいよだなっ、セオにーちゃん! とうとう魔王と決戦だーっ!」
「………そう、だね」
 セオはぐっ、と奥歯を噛み締めて、レウにうなずいてみせる。もちろん、まだシルバーオーブを入手した上で、オクタビアと交渉し、イエローオーブを手に入れてレイアムランドに向かいラーミアを復活させ等々、とやらなければならないことは山積している、が。
 魔王の居城の入り口までやってきたこと。魔王との決戦が近づいていること。――つまり、旅の終わりが近づいていることは、紛れもない事実なのだ。
 だから、考えてしまう。考えても無駄かもしれないと思いながらも考えてしまう。自分には――仲間たちに、そして世界に、少しでもいいからできることは、もう、ないのか、と。

「ふぅ……」
「なんだよ、ラグ。もうバテたのかよ」
「別にそういうわけじゃないさ。……まぁ、この先の道程で、この格好のままどこまで歩けばいいのか、なんてことを考えるとちょっとげんなりするのは事実だけどな」
「ふん……ま、確かにそんだけごつい鎧着込んでりゃあ、暑くもなるわな。ジパングみてーに溶岩がすぐ隣流れてる、なんてとこほどじゃねぇが、この辺も相当暑いしよ」
「季節としてはまだもうじき春、というぐらいの時期でしかないが、ゴンドリア地方は暑さの厳しい地方だからな。山脈をまたいですぐ隣がイシスなんだから、当然と言えば当然だ。でかい山脈が突然現れたんだ、気候もそれなりに変化するのが当たり前ではあるんだろうが……俺の所感で言うなら、イシス地方より暑さが厳しくなってる気がするぞ」
「へーっ、魔王のいる方が暑くなっちゃったのか。じごーじとくだなっ」
「おお、ちゃんと正しい意味で使えたな、偉い偉い。ま、曲がりなりにも魔王の名を冠してる奴なんだ、気候の変化を不快に思うほど繊細でもか弱くもない、と考えておくのが普通ではあるだろうがな」
 かつてネクロゴンド王国の港があったという、現在ゴンドリア地方で唯一比較的容易に船での乗り降りが可能な砂浜から、ゴンドリア地方に上陸し、進むこと数刻。道なき道はあっという間に山道より険しい急勾配の砂地に変わった。
 踏ん張りが利かない上、一歩進むごとに足を取られる、大の大人でも踏破するのは厳しいだろう道のりだが、少なくともこれまでのところ『通行が不可能』というほどの障害は現れていない。大地の神ガイアがその権能を振るって排除するに値する、人の力ではなにをどうしたところで通り抜けられない難所はこの先にあるはずだ。
 ――少なくとも現在『人』よりも『人でなし』の方に近いであろう自分の力でも通行不可能なのか、という疑問はあるが、現在の自分たちの行動方針においては、神々に不審を抱かれるような行為はしないにこしたことはない。なによりルザミの預言者――神々が『異端』と断じルザミに封じずにはおけなかったほどの力を持つ者の託宣なのだ。その言葉に意図的に逆らうのは危険性が高すぎる。
 ただ、それはそれとしてラグの装備はこの気温では辛いだろうな、とセオはちらちら様子を窺ってしまった。セオ、ロン、レウの装備は武器はゾンビキラー、雷の杖、草薙の剣と様々だが、鎧は魔法の鎧で揃えており、これは(素材と制作時に使用された魔法(鍛冶関係の職業に就いた者が習得できる)により)見かけよりもはるかに通気性がよく、ヒャドチル(涼気を得るための弱冷気の呪文)の効きもいい。
 それに対しラグの装備はウォーハンマー、大地の鎧、鉄仮面にドラゴンシールドと全力で重装備であり(ウォーハンマーはこの前オクトバーグに偵察に行った時店で見つけて購入したもので、大地の鎧はセオが地球のへその探索時に見つけて、一番前線で戦うことになるラグに渡した現在の自分たちの装備の中で一番の防御力を持つ代物だ)、かつどれもヒャドチルの呪文とは相性が悪い(大地は溶岩、すなわち炎に近しい属性である上炎そのものではないので耐火の能力も乏しいのだ)。
 ラグほどの戦士ならそのくらい耐えられるだろうことはわかっているので口に出してどうこう言うのは無礼だろうと控えていたが、ついつい気になって様子を窺ってしまうのだった。
「……お、ラグ。セオが『大丈夫かな、ラグさん辛くないかな、苦しくないかな』と心配を絵に描いたような視線でお前を見つめているぞ」
「え!? あ、のっ」
「……セオ、心配しなくていいから。暑いのは確かだけど、俺はアッサラーム出身で暑いのには慣れてるし」
「あ、の、はいっ、ごめんなさい……っ」
「しょーもねーったらねーな。お前らお互い大丈夫だってわかりきってるくせに心配だなんだってべちゃべちゃすんの……お」
「どうした、フォルデ」
「……今、鷹の目で周囲探ってみたんだけどよ。妙な反応があった」
 全員、瞬時に体勢を警戒状態に移す。フォルデの口ぶりや反応からして、その『妙な反応』というのはまだ遠いというのはわかっているが、これは旅の間中ずっとほとんど四六時中魔物に襲われていたことによる習い性というものだ。
「どんな反応だ」
「……この道の先にゃ、それなりにでかい火山がいくつも並んでほとんど壁みてーになってるとこがあんだけどよ。その中のひとつ……真ん中辺りの、一個だけやけにきれいな形した山の火口ん中が、妙な感じにきらっと光った気がしたんだよ」
「光った、か。それは光学的にか? それとも魔法的にか? わかりやすく言うと、本物の光っぽいか魔法の反応っぽいか、ということなんだが」
「その二つで言うなら……たぶん魔法だな。光ったのは一瞬だし真昼間に見える光にしちゃやけに眩しかった。それに妙に印象に残るっつーか、どの山のどの辺で光ったか忘れたくても忘れられないくれーに刻まれた♀エじがあった。フツーに考えりゃ神どもがお膳立てして徴つけたっつーことなんだろ」
「そうだろうな……」
「ふむ。ま、魔力的な確認検証は当然きっちりやるとしても、そういう魔力探査系の術式は目標の近くでやった方が精度が高くなるからな。とりあえずはそこを目的地にして歩を進めるとするか」
「そーだなっ! あ、でもさ、実はそれが魔王の作った罠だった、っていうこととかねーかな?」
「在り得る……と考えるべきだろうな。まぁ、俺は現段階においても、魔王がどれほどの諜報能力を持っているか、しっかりわかっているというわけじゃないんだが」
「え? 悟りしすてむとか使ってもわかんなかったの?」
「逆侵入を警戒しながら何度か調べてはみた。諜報能力に限らず、魔王とその配下の組織の成り立ち、仕組み等々に関してはな。だが、得られた情報はほとんどない。おそらくは神にまつろう連中の仕業だろうが、がっちり防壁が築いてあった。最後の鍵のような最終手段まで使えばなんとかならないことはなさそうだったが、罠だのなんだのも全力で仕掛けてある気配があったんでな。安全と費用対効果を考えると、軽くしか探れなかったのさ」
「へー、そうなんだ……」
「ふん……臭ぇったらねぇな。神どもが魔王だのなんだのって連中と通じてんじゃねぇかって勘繰りたくなるぜ」
「いや、それはさすがにないだろう。少なくともサヴァンさんは神たちと魔王は敵対関係にあることを明言していたわけだし。どちらかというと、他の重要事項に関わってくるから芋づる式に情報を引っ張られることのないようにした、ということなんじゃないか?」
「その割にゃ、聞いた限りじゃあるがその重要事項とやらに比べると守りが弱い気がすっけどな。『軽く』なら探れたんだろ?」
「それはそうだが、あれ≠ノ関わる情報の時のような、あそこまでの防壁ははっきり言ってたとえ神々だろうと軽々に築くことができる代物じゃない。Satori-System≠フ一部を、探査技術どうこうではない、絶対的な段階で遮断するなんていうのは、神々の心理的な抵抗どうこうを別にしても、相当な労力が必要になる。少なくとも有力な神数柱が先頭に立ち、従属神たちを全力でこき使った上で自分たちも全力を尽くす、というくらいのことはしなくちゃならん。天界の労働力の数割を数年それのみに従事させなけりゃならん段階だ。サドンデスから逃げ回ることに始終全力を尽くしている神どもが、そんな労力をほいほい供出できるとは思えん」
「ふーん……そーいうもんなんだ」
 そんな会話を聞きながら(魔王に関する情報はロンでも手に入れられなかった、という事実はセオも知っていた。調べられないかと頼みもしたし、『軽く』探りを入れる際に万一のことがないようすぐそばで待機して見守りもしたのだ)、セオは内心で考えていた。フォルデの感知した光は、もちろん検証は必要だが、おそらく神々にまつろう者がつけた徴だろう。魔王の手の者によるならば、普通に考えて罠におびき寄せるための代物、ということになるだろうが、少なくとも間近で調査したならば、フォルデやロンが罠を見抜けないという事態は考えづらい。
 見抜かれることを前提として仕掛けたこちらの戦力を少しでも減衰させるための罠、という可能性はなくもないが、それならそれで神々の陣営になにも仕掛けた様子がないというのも奇妙だ。セオの考えが正しければだが、神々はガイアの剣による儀式をきちんと遂行してほしいはずなのだから、こちらがうまくやるための手がかりぐらいは示すはずだろう。魔王の仕掛けた罠に自分たちが見事に引っかかって、ガイアの剣を無駄に消費してしまう可能性も在り得るのだ、その対策ぐらいは考えているはず。
 だから、フォルデの感知した光は、おそらく神々の陣営に立つ者の手がかりの光であろうと結論付けたのだが(セオには神々と魔王、どちらの陣営についてもどれほどの能力と知性を有しているのかはっきりとは知らないため、確言はできない。どちらかの、あるいは双方の能力がセオの予想をはるかに下回る、あるいは上回るということもあり得るのだ)、だからといって魔王が罠を仕掛けていない、ともセオは考えていなかった。
 ここはゴンドリア地方、かつてネクロゴンド王国があった場所に通じる道。魔王軍の本拠地と言うべき場所だ。魔王の諜報能力がその勢力と比して尋常なものであるならば、この地に神々が徴を残した事実を認識しないわけがないし、それを利用しようと考えないわけもない。場所は屋外なのだからルーラやその他の転移呪文も使いたい放題だ。自分たちの本陣に侵入してくる敵の位置が特定できるのならば、それ相応の戦力をもって敵を包囲し討ち取るのが常道だろう。
 もちろん神々の陣営もそれが理解できないわけはないと思うから、それ相応の偽装工作を施すだろうとは思うのだが――神々と魔王、どちらの陣営についても能力や最終的な目的が確信できているわけではないので、なにがどう転ぶか、確言できることがひとつもない。
 自分の能力の不足に深いため息をつきつつも、セオは顔を上げた。とにかく今自分にできることは、異常を見落とさないようできる限り警戒しながら、前に進む他ない。
「……おい、セオ」
「え、っ! ごっごめんなさいフォルデさんっ、は、話しかけて、もらって、いま、したか……?」
「いや、今話しかけたばっかだけどよ。お前、またぐだぐだくだんねぇこと考えてんだろ」
「えっ、っ………」
「今さらあーだこーだ無駄に悩んでんじゃねぇぞ。俺らはもう叩きのめさなきゃなんねぇ連中の一角の根城のすぐ近くまで来てんだ、悩むより先にぶった斬らなけりゃてめぇの命がやべぇ状況なんだからな、わかってんのか」
「あ、は、はいっ……」
「まぁ、そう言うなよフォルデ。セオだってそんなことはわかってるさ。ただ、セオの性格上あれこれ考えちゃうだけだよ。な、セオ?」
「あ、えと、あの、その、あの……は、は、い……」
「な? だからそんなにムキになることはないって。それにセオのそういうところに何度も助けられてきた俺たちが、そこに文句をつけるのも妙な話じゃないか?」
「む……」
「あ、いえ、あのっ! 俺はそんな、本当に、あの、大してお助け、できてる、わけじゃない、のでっ……」
 言いながらこれでは駄目だ、という想いが脳裏をかすめる。この言い方では自分の想いが伝わらない。
 自分が役に立てているわけではない、という想いは旅の始まりからずっと胸にあるし、自らの愚かさ、力足らずさ、それでいながら仲間たちを自身のわがままにつき合わせている身勝手さ、その情けなさに恥じ入らずにはいられない、そういう衝動も変わらず存在する。
 けれど、それでも、今ここにいる人たちは、自分の仲間たちは、それでもいいと、そんなことはどうでもいいと、セオと一緒に旅をすることを選んでくれたから。力の足りない愚かなセオのために、心の底から怒り、泣いてくれる人たちだから。
 だから、瞳が潤みそうになるのを堪えて、必死に胸を張り、告げる。
「だから、頑張り、ます。いっぱい」
 その子供のような言葉に、ラグはいつものように優しく笑って軽く頭を撫で、ロンは楽しげに口の端を吊り上げてみせ、フォルデはふん、と鼻を鳴らしながらも瞳に面白がるような色を浮かべてみせ、レウは「俺も俺もー!」と言いながらぴょんと抱きついてくる。
 それに対してフォルデが「なに足踏み外したら転げ落ちそうな状況で人に引っ付いてやがんだこのクソガキ!」と拳を落とし、レウが「フォルデだって似たようなことやってんじゃんっ!」と拳を巧みにかわしながら反撃し、ラグが「どっちもどっちだからなお前ら」とため息をつき、ロンが「そう言いながら自分もちょっぴり参加したいと思っていないか三十路男?」とからかい。
 そんな光景に、セオは自然と、拳を握る。頑張ろう。もっと、頑張ろう。自分にできるありったけで。こんな人たちのいてくれる世界を護れないというのなら、自分に与えられた勇者の力に、それこそ意味などないと思うから。
 だから――
 次の瞬間、セオはばっと顔を上げた。フォルデとレウも即座に喧嘩を止めて上空を見上げ、ラグとロンも厳しい顔で周囲の様子を探っている。
「なんか……すっげー突然、魔物が増えてない?」
 囁くように問うレウに、仲間たちが揃ってうなずく。
「唐突に増えたな。それこそさっきまでは影も形もなかったのに」
「俺たちは数分前に魔物を倒したと思ったらもう次が来た、という状況もよく体験しているが、これはそういうのとは明らかに別だな。人為的、というのが語義的に正しいのかは知らないが、おそらくは魔王なり、その側近なりが転移呪文――ルーラとは異なる本物の瞬間移動呪文を用いて、大量に魔物――向こうの兵員を輸送してきたんだろう」
「ハッ……上等だ。この程度の数にビビってられっかよ。元からこっちは世界中から集まってくる魔物と戦う覚悟でいたんだ、こんなしょっべぇ魔物の群れなんぞ屁でもねぇっつーんだよ!」
「油断するなよ?」
「誰に抜かしてんだボケ賢者。おいセオ! てめぇも気ぃ抜くんじゃねぇぞ!」
 フォルデの言葉に、目的地――神々が徴をつけたのであろう火山の火口近辺に、雲霞のごとく集まってきた魔物たちを見つめていたセオは、仲間たちの方を向いてはっきりうなずきを返した。
「―――はい」
 たとえどれだけの命を食い荒らし、無残に潰えさせようと、自分は生き延びると、仲間たちと生き延びると決めてしまっているのだから。

「罪咎のしるし天に顕れ、降り積む雪の上に顕れ、木々の梢に輝き出で、真冬を越えて光がに、犯せる罪のしるしよもに現れぬ!=v
 セオの呪文と共に、魔物の群れに天から轟雷が降り注ぐ。セオの圧倒的な魔力で放たれたギガデインの一撃は、居並ぶ魔物たちを次々薙ぎ払い、消し飛ばしていく。尋常なレベルの魔物では、存在の残痕すら残らない魔法――そこに、ロンの呪文が追撃を加える。
「我、以土行成大爆発、滅!=v
 爆発系呪文、イオの最上級、イオナズンの大爆発。それはセオの呪文から逃れた魔物たちを次々呑み込み、打ち滅ぼしていく。イオ系呪文の効果範囲の広さは魔法に対する制御力に因るそうだが、ロンのイオの効果範囲はセオのギガデインとさして変わらない程度はあった。それだけロンが魔法制御力に長けているということなのだろう、武闘家上がりの賢者とは思えない技術だ。
「始源よ!=v
 そこにさらにレウのビッグバンが加わる。レウは呪文にかけては、決して制御力に長けた方ではないと素人目にもわかる程度の腕前でしかないが、そもそもの呪文の仕組みが異なっているのか(勇者魔法なのだから当然と言えば当然だが)、この呪文に関してはセオやロンにも引けを取らないほどの効果範囲と威力を誇っていた。雲霞のごとく群がる魔物たちを、瞬時に呑み込み打ち滅ぼす。その圧倒的な力は、勇者と称するにふさわしい、と誰もが認めるだろう。
 フォルデはそんな仲間たちの圧倒的な力を見せつけられてもまるで油断することなく、その圧倒的な素早さを活かし、それこそ空を駆けるようにして残敵へと踊りかかっていた。三人の呪文は、山頂付近に集まっていた魔物の群れをほぼ完全に駆逐してのけていたが、おそらく呪文に対し強い抵抗力を持つ者たちなのだろう、わずかながらも残っている魔物もいた。フォルデはそんな敵性存在を的確に捕捉し、右腕に持ったドラゴンテイルを振るう。
「シッ!」
 フォルデは旅の始まりの頃から鞭をよく使っていたが、今やその腕前は達人級とすら言ってもいいだろう。多頭に枝分かれした鞭をすべて狙った敵に、的確に急所に叩き込む。相手に受けも避けもする余裕を与えないままに。そんな技の持ち主は一生を修行に捧げた武人にもなかなかいるものではないし、しかもそれを勇者の力によってレベル上げされたことによる圧倒的な力と素早さでやってみせれば、対応できる相手などまずいない。
 ラグもせいぜい仲間たちに後れを取らないよう、ウォーハンマーを振るっていた。斧の方が得意ではあるのだが、戦士としてどんな武器を渡されても相応に扱ってみせるぐらいのことは自分にもできる。他の仲間たちのように派手ではないが、近寄る魔物たち一体一体に一撃を叩き込み、倒していく。この程度の強さの魔物ならば、一撃必殺を実行する程度わけはない。
 そう、自分たちは強い。ラグは贔屓目抜きでもそう確信していた。セオの力でレベル上げができるのみならず、セオとレウが勇者の力を合わせることで、怒涛のごとく魔物たちを吸い寄せ、レベル上げのための糧とするようになったことで、レベル上げの速度が勇者としても尋常な段階ではなくなっているのだ。
 ネクロゴンドに乗り込む前に確認したレベルによると、フォルデはすでにレベル99――勇者の力によって上げることができるレベルの限界にまで達しているそうだ。他の仲間たちも、この勢いで魔物が集まってくるなら、レベル99に達するのはそう遠い話ではあるまい。単純な戦闘力も、レベル上げに伴って上がった技術による対応力も、人類最強のパーティと名を冠しても、誰からも文句は出ないだろうほどだ。
 そう、自分たちは強い。強くなってしまった。自分たちが魔王を倒せなければ、他の誰にも倒せないだろうことが理解できるくらいには。
 そして本当に魔王を倒せば、力の証明をしてしまえば、人々からは畏怖や恐怖の目で見られ、さもなくばなんとか利用しようとされるような、まともな人間扱いはほとんどされない存在として、社会に認識されてしまうだろうことも。
 かつて、セオは勇者の力を、『人でなしの素質』と称したことがある。勇者の間ではそう呼ばれている、と。その時はさして気にしてもいなかったが、勇者の間で共通認識として扱われるほど、真に強い力を得た勇者の扱いは、結末は『そう決まっている』のだとすると、いろいろな意味でやりきれないものはあった。ポルトガのあの天然勇者も、エジンベアの傲慢勇者も、サマンオサの今はもういない英雄と礼賛された勇者にとっても、世界を救うほどの力を手に入れた自分たちの行きつく先は『そこ』なのだと考えているのだとすると、どうにも、ひどく、物悲しい。
 そして、それでも勇者たちは、世界を救おうとすることをやめないだろうことも、セオをこれまでの旅の間ずっと見てきたラグには、理解できてしまうからなおのことだ。人間として扱われなくとも、人間の幸福というものがもう手に入れようもないのだと思い知らされても、本来なら世界の誰より称賛されるべき世界を救うという偉業を果たしたのちに、自分たちは人に裏切られるのだとわかっていても、勇者たちは世界を救わずにはいられないのだと。
 もちろん、人間社会がすべて一枚岩になって勇者を拒む、などとは思っていない。笑顔と揉み手で媚びてくる連中を除いても、勇者の為したことに、救ってくれた命に、心からの感謝を捧げる人々も決して少なくはないはずだ。
 だが、それでも、社会のそういう結末へとセオたちを落とし込もうとしている力を、ラグとしては感じずにはいられない。それは神々とそれに従う者たちが、セオたちに人間社会に対する絶望を教え込もうとしている意図を、なんとはなしに感じ取ったせいかもしれない。ダーマの賢者たちが、セオに全力で協力しながらもセオを墜ちた勇者′トばわりして、いつでも人間社会から逃げ出せる道筋を作っていることの理由が、無言のうちに理解できてきてしまったせいかもしれない。そもそも、アリアハンの人々が、まともな理由もないのにセオを駄目勇者呼ばわりして、全力で蔑み卑しめてきたこと自体に、誰かしらの意図を感じるようになってきてしまったことも、理由としては大きいだろう。
 つまり、ラグは、こう考えたのだ。『セオが魔王を倒した後、その力を我が物とできるように、神々はずっと人間社会の中に、ひそかに仕込みをしていたのではないか』と。
 セオが、世界のすべてを救い上げるほどの広大無辺の優しさを持つ勇者が、人間社会を見切る≠スめの材料を与えるために。こんな奴らはもう見捨ててもいい、と感じることへの、心理的抵抗を弱め、心の堤防を低くするために。この優しい子が、『もう人間なんてどうでもいい』と思ってしまう可能性を、少しでも高くするために。
 それならば魔王を倒した後で、やらなくてはならないこと≠やり終えた後で、自由となったセオに首輪をつけるのが格段にやりやすくなる。 セオが魔王を倒そうと――否、止めようとしているのは、それが『当然しなくてはならないこと』だからだ。『勇者としての最低限の義務』だからだ。愛する人を、愛する世界を、護るために愛おしむために、つまり『自分自身の喜びのために』やっているわけではまったくない。
 そんな子が、人間社会に愛想を尽かせばどうなるか。人間そのものにうんざりしてしまったらどうなるか。――おそらく、そうなってもこの子は、人間社会に対して牙をむくことはできない。
 性格的な問題もあるだろうし、倫理観の問題でもあるだろうが、とにかくこの子の性根は、他者を攻撃する≠アとに向いていない。今現在、魔物を殺しまくっている真っ最中でさえ、殺す苦痛≠ノ必死に堪えているのがわかるのだ。『自分自身の喜びのために』『人を殺す』なんてことは全力で忌避するだろう。カンダタの時や、アッサラームでの盗賊ギルドとの諍いの時のように、『しなければならない』という焦燥に駆られて『他者の攻撃性を消滅させる』ことはあっても。
 だからたぶん、セオは、人間社会に愛想を尽かしたならば、あるいは自身が人間社会にとって害悪だと感じたならば、人間社会から距離を取ろうとするだろう。感じることと断絶することで、互いの心身を護ろうとするだろう。
 だが、それは虚無感と紙一重だ。セオの心の中に溢れる救世的な義務感が、セオの心に重石となってのしかかるだろう。セオの心身を、セオ自身の精神が、『なぜ世界を救うために、苦しむ人を減らすために全力を尽くさないのか』と責め苛むはずだ。
 それはすなわち、首輪をつけるに易い、『他者に隷従することで心の安楽を得る』という歪んだ精神状態に陥りやすい、ということなのだ。生きるための甲斐もなにもなくした虚無感は、その者の意気地や心意気を挫き、独り拠って立つだけの力を失わせる。そんな時にうまく心に付け込めば、主に盲従することで安寧を得る、主にとってはこの上なく使い勝手のいい道具が出来上がってしまう。
 かつての自分もそうだった。実の母を――子供にとっては世界に立ち向かうための拠り所を奪われた衝撃から立ち直れず、荒れ狂う心のままに暴徒のごとき振る舞いをしていた時に、ヒュダに出会い、その優しさに愛情に、気圧されながらも酔いしれた。もしヒュダにそのつもりがあったならば、自分は命じられるままに人を殺す化け物にすらなっていただろう。
 当然ながらヒュダはそんな育て方とは真逆の、子供一人一人をひとつの人格として尊重しながら愛情を注ぐ、という離れ業を駆使してくれたわけだが(自分も曲がりなりにも年少者を育てる立場になってみて、それがどれだけの偉業か身に沁みて理解できるようになってきた)。
 ――もちろん、これは自分のただの予想だ。さして頭のよくない戦士の、何とはなしに嗅ぎ取った匂いから類推しただけの、単なる当て推量に過ぎない。
 だが、真っ先に相談したロンは、険しい顔で『吟味に値する話だ』と呟き、雑談に紛れる形で話を聞いたフォルデは、『ありそうな話だぜ』と忌々しげに吐き捨てた。少なくとも、自分よりもはるかに頭のいい(少なくとも、落ち着いた状況で論理的に思考を巡らすという能力においては優れている)二人が、聞き捨てにせずに、考える価値を認めたのだ。
 だからラグは、ここのところずっと、心密かに、セオの心の在りようを窺っていた。
 セオはテドンで、システム≠ニいう存在について語っていた。神の上位存在、世界そのものの運命を導くものについて。システム≠フ告げる預言の中に、『勇者オルテガの息子≠ェ魔王と戦う』というものがあったために、神々は自分たちに決定的な手出しができないのでは、と。
 そして同時にこうも言っていた。神々は、魔王との決着をつけた自分たちを、どうにかしようと策謀を巡らせているのでは、と。
 それに対抗するため自分たちは、オーブを集めてラーミアを復活させ、天界に乗り込むことを目指しているわけだが、そういう話以前に、セオの心にかかっている負担をラグは危惧していた。
 セオは、あえてかどうかはわからないが、『セオ自身を神々の陣営に取り込むために、神々がどんな手を打ったと思われるか』については言及していなかった――だが、『負荷をかけること』『布石を打つこと』はしているだろうと確信をもって告げている。ラグはその言葉を、実効性のある手段に訴えることはできなくとも、嫌がらせ程度のことならばいくらでもできるのだ、という意味もあるように受け取った。
 セオがアリアハンで、ずっと心を押さえつけられて生きてきたのも。周りから傷つけられ放題に傷つけられてきたのも。『他者』から『自分』への『攻撃』に対し、『抵抗する』という選択肢を与えられないよう『教育』されてきたのも。いずれ手の内に抱え込むための布石、『神々からの嫌がらせ』なのではないか、と。
 考えすぎなのかもしれない。神々がそこまで強力に、人の人生に対して支配力を持っているかと言われると、あまりそんな気はしない。けれど、セオに対して『嫌がらせ』をしている可能性は、それなりに高いとラグは見た。
 そして『嫌がらせ』というのは、たとえ本人の心を折るほどでなくとも、歩みを重くし呼吸を苦しくさせる。セオの想いを、行いを止めることはできなくとも、苦痛を感じさせることはできるのだ。時にはそれを自覚したがために、なお痛みが重くなることもある。
 つまり、要するに――神々の行いを推察したセオが、これまでより辛い思いをしているのではないかというのが、ラグは心配なのだった。
 正直、一見した限りでは、セオの様子に変わりはない。今まで通りに、うろたえ怯えながらも、必死になって周りに尽くしている少年勇者に見える。自分のすべてを費やして世界を救おうとする、全身全霊で世界を哀れむ、傷つきながらも歩みを止めない魂。
 けれど、ラグの思い過ごしかもしれないとは思うものの、セオの心にはこれまで抱え込んできたものに加えて、さらに重石が絡みついているように感じられたのだ。今やるべきことに向けて一心に尽力しながらも、見通した暗い未来に、想定した過去の可能性に、心が打ち沈み、喜びを感じる部分が鈍くなっているように思えた。
 もちろん、それは魔王との決戦を間近に控え、緊張しているだけだと言われれば反論はしにくい。だが、それでも。
 ぐしゃり、とウォーハンマーでトロルの頭蓋を叩き割りながら、一瞬ちらりと、剣を振るいながらギガデインを放つセオの背中に視線を飛ばす。背中からでも、あの子が身の内に秘める強靭無類な力と、ひたむきな想いが感じ取れる。けれど、それでも――自分は心配なのだ。
 初めて会った時から、今までずっと。あの美しい心と魂を持った子が、必死になって無理をしているようで、声にならない悲鳴を上げているようで、心配で、哀れで、切なくてならなかった。あの子にはもっと、幸せな道が用意されてしかるべきはずなのに、と。
 こんなことを言えば、またロンに『心配性だな母さん』などとからかわれるんだろうな、と嘆息しつつ、ラグはミニデーモンを体ごと叩き潰す。どんなに心配しようとも、自分のような武骨な戦士には、こうやって武器を振るうことくらいしかしてやれることがない。

 ロンはふぅ、と息をついてから、魔物たちがすべて消え失せ、すっかり見晴らしのよくなった空を眺めやったのちに、それぞれに息をついて武器を下ろし、移動用の状態へと持ち替えている仲間たちを見回し、にやりと笑った。
「どうやら全員、さして疲れてもいないようだな。結構結構」
「はっ、なに寝ぼけたこと抜かしてやがんだ。この程度準備運動にもならねぇってことくらい、お前が一番よく知ってんじゃねぇか」
「ほう、そこまでお前が俺を評価してくれていたとは。光栄の至りすぎて涙を禁じえんな」
「笑わせんじゃねぇ、タコ賢者。てめぇがどんだけ頭が回るかってことくらい、お前が賢者になる前から知ってら」
「ほう、それは……」
 ロンは思わず驚きに口を開けてしまう。まさかフォルデがここまで、こんなところで口にするとは思わなかった。フォルデが自分を嘘やごまかし抜きで評価してくれているのはよく知っているし、いざという時には口にしてくれるだろう、くらいのことは思っていたが、まさかこうもあっさり口にして、照れる様子もないとは。
 フォルデなりに近づいてくる旅の終わりに対して、思うところがあるのかもしれない。この旅がどういう結末を迎えるにしろ、自分たちの関係にある程度の変化がもたらされることは、避け得ようのない未来だろうから。
「……おい。なにこっち見てニヤニヤ……は、してねぇが……ふざけた顔晒してんじゃねぇ! んな顔でこっち見られたら苛々すんだよ!」
「ひどい言い草だな。これでも俺はそれなりに自分の面相には自信があるんだが」
「その抜かしようがふざけてるって……っつぅかな、てめぇがんな顔晒してるとこっちまで調子狂うんだよ! しゃんとしやがれしゃんとっ」
「―――? そんな」
「そーだよなー、今みたいに、なんか優しいかーちゃんが子供見てるみたいな顔してこっち見られても、なんていうか、反応に困るよな。むず痒いっていうか調子狂うっていうか」
 いつものあっけらかんとした調子でそんなことを言い出したレウに、ロンは「は……?」と(不覚この上ないことに)呆然とした声を返してしまった。それをきょとん、と見つめていたラグが、珍しくも人の悪い笑みを浮かべ、楽しげに言う。
「そうだな。今みたいに、『子供たちが愛しくてならないお母さん』みたいな顔をされても困るよな? 本人にはまるで自覚がないみたいだし」
「な……」
「そーそー! なんつーか……そう、あれだよ! 照れくさい!」
『っ……』
「ロンってば、いっつもニヤニヤしながらこっちおちょくってくる奴じゃん? そんな、えっと……」
「『愛しい子供たちを見つめるお母さん』のような?」
「うん、そーいう顔でこっち見られてもさー、突然すぎて照れちゃうじゃん! 普段から心の底では俺たち大切にされてるなー、ってのがわかっててもさ!」
「…………」
「……と、子供の一人が言っているぞ、お母さん。どうするんだ? まぁ、俺としては別に気にしなくてもいい、と思ってるけどな。お前がそういう『お母さん』みたいな顔で本音をさらすところなんて、そうそう見たことがないから、実際に心の中でそういう想いが溢れるくらいに満ちてしまっていたんだろうしな、なぁお母さん?」
「………ぐぬ………」
 不意討ちだったこともあり、我ながら珍しくも反論の言葉がとっさに出てこず歯噛みするロンに、ラグはにやにやと楽しげな笑みをぶつけてくる。なんというか、非常に悔しかったが、まぁいつもの自分のやり口をやり返されているだけとも言えるので、やむないことかと気にしないよう努めることに決めた。
「……で、フォルデ。火口の光に変化はないか?」
「……おう、まるっきり変わらずだ。その周辺に魔物が集まってる気配もねぇ。まぁ、やろうと思えばさっきみてぇにいきなり魔物どもを送り込めるってーんなら、気配もクソもあったもんじゃねぇけどよ」
 難しい顔をしてさっきまでの話を聞いていたフォルデは、特に反応を示すことなくロンの話題の転換に乗ってきた。おそらく、ロンがやり込められている珍しい姿を面白がる気持ちもなくはなかったろうが、それ以上にロンが母親だなんだという話題が気色悪かったのだろう。フォルデは『母親』というものにさして強い感情を抱いてはいないので、その類の拒否感はなかったろうが、『仲間』である人間を『母親』という馴染みのないものになぞらえることには、居心地の悪さを覚えずにはいられなかったはずだ。
 まぁラグにそういう話を振るのは慣れてきてしまっている節があるが。要するに普段へらへらと自分をからかってくるロンが母親だなんぞ嫌だと考えたのかと思うと、ある種の諧謔味を覚えないでもない。
「……んっだその顔。なんか文句あんのかてめぇ」
「いや、ない。なら、行動はさっきまでと変えずってことでいいな、みんな」
「ああ。とりあえず、さっさとその火口まで行ってしまおう。近づかなけりゃなんともならない、ってことなんだしな」
「はーいっ!」
「はい……」
 それぞれに良い子の返事を返すセオとレウに微笑みかけつつ、さっきまでと同様、隊列を組んで前へと進む。靴≠フおかげで火口までは、陽が陰る前にたどり着けるだろう、と目算は立っていた。
 ただ、それまでにさっきのような魔物の襲撃が何度もあるはずだ――と踏んでいたのだが、それ以降魔物が群れを成して襲ってくることはなかった。もちろん出てくることは出てくるのだが、あくまで通常の範囲内。今の自分たちならば、向こうが行動する前に打ち倒せてしまう程度の数と頻度でしかない。
「……妙、だよな」
「妙っつーよか、怪しすぎて怪しむのが馬鹿馬鹿しくなってくるくらいだぜ。まぁ、普通に考えたら、こっちが気ぃ抜いた頃に阿呆みてぇな数の魔物不意討ってぶつけてくる、って手ぇなんだろうけどよ」
「うーん……ま、魔王がなに考えてるかなんてわかんねーんだから、気にしてもしょーがねーよな。みんな、油断しないでいこうぜっ!」
「なんでてめぇが仕切ってんだこのクソガキ」
「はは……まぁ、確かに油断しないでいかなきゃならないのは間違いないしな。気をつけていこう。な、セオ」
「あ……はい。そう、ですね……」
 ラグの言葉にこっくりうなずきを返しながらも、セオは歩きながら眼前の中空をじっと見据えている。おそらくは、『魔王がなにを考えているか』について考えているのだろう。ロンなりに想像できることはなくもなかったが、おそらくはセオにはそんなことはとうに考えついているだろうことはわかっていたし、『気にしてもしょうがない』というレウの言葉にうなずけもしたので、声はかけずに考え込むセオの姿を堪能させてもらうことにした。
 セオがこんな風に、余人にはとても測りきれない精度と速度で思考を回転させるところも、旅が終わればまず見られなくなってしまうのだろうし。
 歩くこと数刻、自分たちはフォルデの言っていた火山の火口へと到達した。むろん道のりは険しくはあったが踏破できないほどでもなかったし、ほとんど禿山だったので道に迷いようもない。むしろ安楽すぎて、罠を疑わない方が馬鹿にされるだろう状況だ。
「……とりあえず、調べてみてくれるか?」
「だな。その間は俺らで周囲を警戒する。なにが飛んできてもきっちり防いでやっから、がっつり調査、頼むぜ」
「ああ、承知した。セオ、手伝ってくれ。レウは、俺とセオの様子を見ていてくれるか。様子がおかしい、と思ったらすぐに声を上げてくれ」
「は、はいっ」
「うんっ!」
 目算で、少なくとも直径数十間はあるだろうと思われる、見事な円形を描く火口の淵に立って、下をのぞき込む。人の手で作ったのではない、と言われる方が不自然な気がしてしまうほど、整った美しい円形の火口。その淵に立つと、切り立った異様なほどにまっすぐな断崖の下に、ぐつぐつと湧き上がる灼熱の溶岩が、赫色の泡まではっきり見える。
 どう考えても、自然にできたものとは思えない。神か魔王か、どちらかは知らないが何者かの、どこまで計画してのことかは知らないが少なくとも思考に基づく判断によって、この火山は舞台装置として創り上げられたのだろう。
 気を抜くわけにはいかないし、慎重にならざるをえない。まずは視覚を魔力で強化し、目視で見分するところから。そこから少しずつ、魔力網の投射、魔力波導による探査、Satori-System≠ノよる調査を経てから魔力接続による精査に移る。接続した部分から、いつこちらに攻撃を仕掛けられても対処できるように、できる限り厳重に、幾重にも防壁を張りつつ、厳重に精密に、探索を続ける――
 が、調査を進めるほどに、ロンの眉間には皺が寄ってしまった。
「……どうした?」
「なんか、変なとこでもあったの?」
「ああ。……当たり前に探り当てられた」
「は?」
「俺が探査した限りでは、この火口は簡易的な大地の神ガイアの神殿になっている。儀式場として聖別されているわけだ。おそらく、ガイアの剣によるガイア神の権能にまつわる儀式なんだろうが――その儀式は、もはやほぼ完全に終了している」
「……ふぅん?」
 視線を交わし、お互いの思うところを確認し合う。神どもがどれほどの労働力を自分たちに対する諜報活動につぎ込んでいるのかは知らないが、少なくともわかりきっている、かつ自分たちがどれほど状況を理解しえているかをあからさまに口に出すことが、状況を改善する助けとなるとは思えない。
 自分たちがまず不審がっているのは、現状に魔王がなんらかの手を加えた気配がまるでないということだ。普通ならこんな本拠地のすぐ近くに神の儀式場を造るなど、自分の勢力の害にしかならないと思うだろうし、手を尽くして邪魔をするのが当然というか、論理的な思考に基づけば当たり前の行動だ。
 なのに、魔王はまるで儀式場の聖別に悪影響を及ぼした気配がない。もちろん自分が気がつかないほどの隠匿技術でもってなにかしでかしている可能性もないわけではないのだが、今の自分が賢者としての探査能力を全開にして探って、まるで気配も感じ取れないというのならば、本当になにもないと考える方が可能性としては妥当だ。ここに来るまでの道のりで、魔物の大群の襲撃さえなかったことも、その不審さに拍車をかける。
 次いで、神どもがここまで事態をお膳立てしていることに警戒心を覚えた、というのもあった。セオの推測が正しければ、ガイア神は新たな信仰を得るために、ガイアの剣を火口に投じるのに応じて勇者の道を切り開く、という行為を(夢見などの手段を駆使して)喧伝することが目的ということになる(そして他の神々もガイア神の権能が有用なものであるがゆえ、手を貸しているのだ、と)。それが間違っているとは思わない。
 ただ、魔王や魔物にろくに邪魔されることなく、まともに隠しもせずに魔王の本拠地に簡易的な神殿を創り上げることができる、それ自体が普通に考えればおかしなことなのだ。神々と魔王の間の未だ解き明かせていない繋がりを垣間見せられたようで、奴らの思惑に乗ることに改めて警戒心を呼び起こされてしまう。
 かといって、活動方針を変えざるを得ないほど不審な事態というわけでもない。実際自分たちはこの先の、魔王の力によって断崖絶壁の岩壁で護られた要塞と化しているネクロゴンド奥地への道を、踏破しないわけにはいかないのだ。シルバーオーブの反応は変わらずそちらから返ってきているし、無理やりにでも断崖絶壁の岩壁を踏破することも今の自分たちならできなくはない気もするが、いつ魔物の大群が襲ってきてもおかしくない状況下で、道行の難易度を下げる手段があるのに、『なんとなく不審に思ったから』という理由でその手段を放り捨てるというのも馬鹿馬鹿しい。
 そんなことをしばし視線を交わし合って相談し、『不審ではあるが決行』と結論が出た。フォルデはふんと鼻を鳴らし、ラグも小さく息をつくが(そしてレウは自分たちが視線でなにを相談し合っていたのかよくわからない様子でぴょんこぴょんこ視線の間に入ろうと飛び跳ねているが)、セオは真剣な面持ちを崩すことなく、袋からガイアの剣を取り出した。
 一度仲間たちを見回し、それぞれがそれぞれの表情でうなずくのに応え、ガイアの剣を眼前の火口のど真ん中、ぐつぐつと溶岩が煮え滾っているちょうど中心に投げ入れる。息もまともにできないほどの熱気と舞い散る火気の中を剣は飛び、狙った通り火口の底、眼前直下の溶岩の海の、ちょうど真ん中あたりに落ちた。
 ――とたん、山が揺れた。
 火口の溶岩がうねり、のたうち、沸き立つ。火山が噴火するところなどこれまで見たことはないが、どう考えてもその前段階に見えた。
 反射的に身構え、逃げられる方向を確認するが、セオがそれを手で制する。セオの眼差しは落ち着き払っており、この状況も次善に考えていた対処法でどうとでもなる範囲だ、と見切ったのだろう。
 ロンは苦笑して、両手を上げる。対処法についてはあらかじめ仲間全員で協議もしていたというのに、反射とはいえ見苦しい真似をしてしまったものだ。まぁラグやフォルデやレウも反射的に逃げ腰になってはいたが。
 火口の中でうねり沸き立っていた溶岩は、ある一瞬で臨界点を越えて、どおお! とすさまじい音を立てながら空中に溶岩を吐き出した。自分たちの眼前直近、ほとんど一間も離れていない先を、赤々とした溶岩が天へ噴き出していく。
 セオは一人、その様子を冷静に観察していた。自分たちもそれにならう。天に飛び出した溶岩は、当然ながらすぐに大地へ、自分たちに向けてなだれ落ち――
 けれど、自分たちの体には欠片も当たりはしなかった。当たるどころか、これほど間近に大地の血液が煮え滾っているというのに、数瞬前にはむせ返るほどに周囲の空気を満たしていた熱気すらも、自分たちには伝わってこなかった。
 溶岩は自分たちのいる場所だけを避けてなだれ落ち、周囲の岩盤やそびえ立つ山々をも呑み込んで打ち崩していく。たったひとつの火山の噴火にしては明らかにおかしなことに、連なる山々をことごとく、あっという間に燃え立つ溶岩が呑み込み、打ち崩し、平坦な道へと造り替える。
 その異常な噴火は四半刻ほど続いたが、たったそれだけの時間で、自分たちの行く手を幾重にも塞いでいた山々をあっさりと打ち崩し、自分たちの立つ山の淵だった場所から、見渡す限りえんえんと、平坦な道を造り上げてしまっていた。ネクロゴンドの周囲を囲う大山脈にはいささかの揺らぎもないものの、少なくとも自分たちが魔王の喉元へと食らいつくには充分、なように思えるほど続く山道にしてはありえないほど広々とした平らな道だ。
「……おぉー………」
 思わずといったように声を漏らしてから、レウはぴょんと飛び跳ねて嬉しげに叫んだ。
「すっげ―――っ!!! めっちゃくちゃすっげ―――っ!!! こんなすっげーの俺初めて見たっ、いやおんなじくらいのは他にも見たかもしんないけど、こんな風にすっげーのは初めて見たっ!」
「……そ、そうか……まぁ、言いたいことは、わかるよ」
「うんっ、すっげーよな、ホントすっげーよなっ! でもそんなすっげーとこ見ても当たり前みたいな顔してるセオにーちゃんもめっちゃすっげーっ!」
「……え? な、なん……で?」
「だって、そんなに落ち着いてるってことは、こんなことが起きるってわかってたんだろ? 想像ついちゃってたんだろ? もーそれって、めっちゃくちゃ死ぬほど頭いいじゃんっ!」
「そ、そんなこと、はない、と思う、んだけど……ロンさん、とも、ガイアの剣の儀式、の結果、については、何度も一緒、に考え、たし」
「あ、そーなんだ。でもやっぱセオにーちゃんはべっかくですっげーよ! ロンはちょっとびくってしてたけど、セオにーちゃんは本気でぜんぜんれーせーだったもんっ!」
「そ、れはその、単に俺、が鈍感、ってだけ、で」
「いやいやセオ、君が冷静な判断力と強靭な精神力を併せ持っているのは、誰はばかることなく自慢していい事実だぞ? 俺が事前に対応を考えていたにもかかわらず逃げ腰になってしまったのも事実だしな」
「それ、はただ、ロンさんが、俺より、いろんなこと、を考え、ているってことだと……」
「てめぇら、いつまでもしょーもねぇお喋りしてんじゃねぇよ」
 フォルデが低く告げるのに、仲間たちは揃って身構えた。フォルデがこういう状況でこういう声を出すということは、つまり『要注意』ということだからだ。
「どうした、フォルデ」
「鷹の目で今周囲を確認した。さっきよりも目がまともに徹った=v
「……さっきは神関係の奴らが妨害してたってことか?」
「だろうな。今度見えたのは、この道がえんえん大きく折れ曲がりながら、ネクロゴンドを囲ってる山脈級の高さでそびえ立ってる山々のど真ん中に、でっかく開いた洞窟まで続いてるってのがひとつ」
「洞窟……」
「んで、そのクッソ高ぇ山の向こうの盆地に、これまたでっけぇ洞窟に続いてそうな穴があるのがもうひとつ。そっからさして離れてもねぇ場所に、怪しげな祠が建ってるのがさらにひとつ。そっからしばらく北に、クソでっけぇ上にやったらいかつい城が、湖に囲まれた島の上に立ってるってのが最後のひとつだ」
「――――」
「それって……!」
「魔王の城……ってこと、かな。祠はシルバーオーブが安置してあるのか……行ってみないとわからないけど」
「どっちにしろ急ぐっきゃないじゃん! この道の先にある洞窟で山を通り抜けられるっぽいんだし!」
「お膳立てするにもほどがあるっつーか、うっさんくせぇったらねぇけどな」
「まぁ、とりあえず他に道もないっていうか、お膳立てされた道を進んでいくのが一番まともな道らしくはあるけど……セオ、君はどう思う? このまま進んでいいと思うかい?」
 問いかけるラグ同様、様子を注視してくる仲間たちにもまるで気を散らすことなく、セオは沈毅にうなずいた。
「はい。それが一番いい、と俺は思います」
「……そうか。了解。ならとりあえずその洞窟まで、警戒しながら進もうか」
 ラグの宣言に従い、全員素早く隊列を組み、山の上に尋常の物理法則を無視して造り上げられた道を進む。いつ魔物が襲ってくるかもしれない、という警戒を相応に残しつつ、足早に。
 その足取りに、レウのものにすら、浮ついたものがないのは、セオの言葉にしなかった思考の中に、相当に厄介な状況に陥る可能性があるのが、誰の心にも知れたからだろう。

「シッ!」
 フォルデの振るったドラゴンテイルの一撃で、ホロゴーストはあっさりと消滅した。こういうザキ系呪文を放ってくる魔物どもは、これだけレベルを上げても油断できる相手ではないが、たいていの場合その分『簡単な殺し方』というものが存在する。ホロゴーストの場合はその影のような体の中に、核となる部分を持っているので、そこに攻撃を当てれば効率的に攻撃を徹せた。
 まぁ、それを一瞬で見抜くのには、それなりに目≠ェよくなければ駄目だったろうが。肩をすくめ、フォルデは仲間たちに向き直る。
「行くぜ」
 そう一言だけ告げ、さっき同様先頭に立って歩き出す。この洞窟にはいくつもの落とし穴があり、気を抜けばはるか下までまっさかさま、ということにもなりかねない。この手の場所ではいつもそうしているように、自分が先頭に立って罠やらなにやらを警戒しつつ進む必要があるわけだ。しかも床に入った亀裂の奥に進む道がある、ということもあるので、盗賊としては気を抜く暇はない。
 ただ、警戒したところで防ぎようのない罠というものもありはするが。階段状の坂を上りきるや見渡す限り広がる大洞に出くわした時には、そこにみっしり詰まった魔物どもにいっせいに襲撃を受け(むろん、その気配は察知していたので不意討ちなどされてはいない)、火山の前で戦った時同様、山ほどの魔物を薙ぎ払わなくてはならなかった。
 その代わりというわけでもないが、道中ではいくつか得た物もあった。セオの武器が稲妻の剣に変わったこと、ラグの防具が刃の鎧に変わったことが大きいだろう。魔王バラモスとやらがどれほどの強さを有しているのかは知らないが、倒したのちの面倒くさいことへの対処のためにも、装備は強力なものを持っている方がいいに決まっている。
 洞窟の中をどどどどど、とやかましい音を立てて流れる地下水。これはもはや地下大河とすら呼んでよさそうな代物を、自然にできたのかそれとも誰かが造ったか、橋のようにまたぐ土石の上を、足早に進む。当然ながら渡る前に強度を確認した上で、突然崩れてもいつでも対応できるように身構えた上で。途中で何度も魔物は襲ってきたが、幸い橋となった土石は最後まで崩れることはなかった。
 いくつもの橋を行ったり来たりしながら、行く手を阻む壁を通り抜けて、先へ先へと進む。フローミの呪文で、出口が近いのはわかっていた。逸り燃え盛る勢いのままに一気に出口まで走り抜けたい、と主張する心をなだめ、一歩ずつ着実に、警戒しながら出口へと向かう。
 盗賊として当然の心得であり――セオの仲間として、当然の心得でもあった。うちの勇者は、魔王のみならず神だのしすてむだの、わけのわからない連中にも目を着けられているのだ、一瞬の気のゆるみが取り返しのつかないことになりかねない現状で、そんな下手を打つなどまっぴらごめんだった。
 ――当然の心得だと理解しているにもかかわらず、アリアハンにいた頃、旅に出る前は実践できなかったことでもあった。荒れ狂う激情を、制御するよりも吠え猛らせることを自分は好んだ。よってたかってこちらを、盗賊を、弱者を叩き潰そうとしてくる世間や社会や世界というものに対抗するには、そのくらいのことをしないとやっていけない、などと思い込もうとしている節さえあった。
 今の自分の中にも、同じ炎は灯っている。けれど、激情は振るうべき時に振るわなければ周りを巻き込んで大火傷しかねないことを、自分は、幾度も身に沁みて理解させられていた。
 だから、身の内の激情を制御する。振るう刃を、きっちり最後まで、倒すと決めた輩に振るえるように。
 それがセオと、仲間たちと一緒に旅をした末に、自分が自分の意思で手に入れた、最も重い刃だった。仲間たちとの連携やら、レベル上げで身に着いた力なんてものは、旅をしている以上問答無用で手に入ってしまう代物だ。――別に、手に入ったのが嫌だ、とまでは思わないが。
 揺らぎそうになる心に活を入れ、警戒しながら坂を上る。傾斜のきつい道を警戒しながらひょいひょいと登り、外の様子をうかがって、とりあえずは敵の気配がないことを確認した上で、先頭に立って外に出る。仲間たちがすぐ後ろについてきているのは、見ないでもよくわかっていた。
 そこに広がっていたのは、ぎょっとするほど『普通』の景色だった。眼下に広がるのは、ここまで登ってきてもまだ彼方に見上げるほど高い山々に囲まれた盆地。その北側に広がる澄んだ水色の湖には島が浮き、その中央には大きくいかつい、いかにも城塞めいた黒ずんだ城が建っている。あれが魔王バラモスの城。そう考えて、間違いはあるまい。
 だが、魔王の城にしては、その城はあまりに『普通』すぎた。これまで旅の中で見てきた城と、そこまで差異があるようには見受けられない。魔物が見張り番をしているでもなし(というか、見張り番らしき存在がフォルデの見た限りどこにもいなかった)、瘴気を発しているようでもなし。
 城の周りの光景も、毒の沼地が広がっているでもなし、城の周りだけ暗闇が覆っているとかでもなし。世界征服を宣言して実際に一国を滅ぼした魔王の居城にしては、当たり前すぎてむしろ怪しささえ覚えた。
「……大して邪魔も入らねぇうちに、ここまで来ちまったな」
 思わずぼそりと呟くと、仲間たちはおのおの真剣な、そしてそれぞれに訝しさを感じている顔でうなずく。
「そうだな。途中で何度か魔物の襲撃を受けはしたが。火山前の襲撃でもう、俺たちがあの程度の数と質の魔物なら苦もなくあしらえることはわかっているはずなのに……」
「単純に数を揃えた力押ししかしてこない。しかも数にも質にも梃入れがされていない。怪しいとしか言いようがないな」
「この城自体が俺たちを誘い込む罠、って線も濃くなってきちまった気がするぜ。面倒くせぇったらねぇな……」
「んー、でもさ。どっちにしろ俺たちはさ、オーブを集めて、ラーミアを復活させて、んでとりあえずあの城に乗り込まなきゃなんないんだろ? とりあえずやること変わんなくね?」
 レウにきょとんと首を傾げてそう言われ、ラグは苦笑し、ロンは笑って肩をすくめ、セオはわずかに口元を揺らし、そしてフォルデは眉間に皺が寄った。いつものことながらこのクソガキは、真正面から真っ当に正直なことを言えばいいと思っていやがる。
 まぁ、それを妨げるような真似は、自分たちが断じて許しはしないが。ちらりと頭をよぎったそんな想いに小さく舌打ちをしてから、仲間たちに顎をしゃくってみせた。
「なら、とりあえず。行先はあそこ、ってことでいいんだな?」
 ネクロゴンドの奥、バラモスの城の直近、湖のほとりにひっそりと建つ小さな祠。人にとって、神どもにとって重要な意味を持つなら、バラモスが真っ先に叩き潰してしかるべき、魔王の居城の目と鼻の先にある建造物。
 それをちらりと見やってから、セオは袋から取り出した山彦の笛を一度吹いた。いつもと同じ軽やかな調べが空気を揺らし、かすかな残響と共に消えていく。
 フォルデはそこからなにかの意味をくみ取るなどできはしないが、セオは小さくうなずいてフォルデに向き直った。
「俺は、それが一番早い、と思います。シルバーオーブは、あそこにある、と考えてまず、間違いはない、と。山彦の笛、の反応も、しっかりあそこ、から返ってきていますし、あれほどの神聖さ、を保ちながら、バラモスの目と鼻の先、で存在を保ち、続けられること自体、調査に値、しますから」
「そうだな。なにが出てくるかはわからんが」
「せいぜい警戒しながら進むしかない、ってわけだよな」
「よーっし! みんな、いっちょがんばろーっ!」
 レウが元気に拳を振り上げるのに、「お前が仕切ってんじゃねぇ」と軽く額を弾いてやる。「なんだよーっ!」と軽くじゃれてくるのを邪険に押しのけながら、フォルデは軽く全員を見回し、ふんと鼻を鳴らして先頭に立った。
 自分は盗賊だ。盗賊にやれることしかできない。だから盗賊の仕事は全力で、十全にやる。そうしてようやく出立点に立てるのだ。やたらめったら敵を引き寄せまくる自分たちの勇者には、それこそ人外の視点と勘所を兼ね備えた斥候と闘士が必要なのだろうから。
 そんなことを考えながら、早足で歩を進める。洞窟に入っている間に沈んだ陽が、東の彼方からゆっくりと上ってきていた。

 最後の鍵で、祠の扉を封じていた鍵をあっさりと開ける。フォルデが開けてもいいんじゃと思ったのだが、ロンが言うには『魔法的な封印と罠が仕掛けてあるから最後の鍵に頼るのが楽で安全かつ早い』んだそうだ。まぁそこまで言われたんなら仕方がない。
 それに、やっぱり気配を察知するのはフォルデが一番上手なので、なにが出てくるかわからない現状、フォルデをちゃんと自由に動けるようにしておくのは大事かもしれなかった。
 ラグが扉をゆっくりと押し開けた先に広がる、薄暗い部屋にフォルデを先頭にして入っていく。外から見た時と、広さはまるで変わらないように見えた。
 内装も特に凝った感じはない。最後の鍵のあった祠には床にきれいな装飾がしてあったが、ここは本当にただの小さな祠という感じだ。中に置いてあるのは、管理人が暮らすために使うのだろう、最低限の家具くらい。それに咥えて、一人の老爺が椅子に座っているくらいだった。
「………こん、にちは。はじめ、まして。……少し、お話をうかがっても、いいですか?」
 セオがいつも同様、落ち着いた、奥ゆかしい、優しい喋り方でゆっくりと訊ねる。中になにがいるにしろ、対話できる相手ならばセオがまず話を聞く、と仲間たちで話し合って結論を出していたのだ。
 が、その老爺は――穏やかな顔つきで、眼差しの静かなどこにでもいるおじいさん、という感じの人だったが――ゆっくりと、首を左右に振った。
「申し訳ないが、あなた方とまともに話すことは、わしにはできない」
「え……」
「わしは役目を与えられ、それを果たすために限定的な思考と対話能力のみを与えられた人形にすぎない。それ以上の能力はわしにはない。一ヶ月前創造されてより今まで、シルバーオーブに付随するものとして、この祠の中に在り、共に所を変えてきただけの経験しか持たぬ、ただの人を模して造られた道具。勇者の系譜を継ぐ者よ、そなたにシルバーオーブを渡す、ただそれだけのために存在する、な」
「――――」
 老爺はゆっくりと手を上げ、掌をなにかを捧げ持つような形に整え、セオの前に差し出した。その掌の中が、ぼんやりと銀の光を宿す。光は少しずつ強まり、部屋の中へと溢れ、一度目の前も見えなくなるほど眩く輝いてから、すぅっと退いた。掌の中で集まった光が固体化したかのごとく、捧げ持つ掌の中にちょうどおさまるように、銀の宝玉が現れる。
 シルバーオーブ。これまで集めてきた四つのオーブと同じ、精緻な彫刻の竜の台座の上に置かれた銀色の宝玉。それを、老爺は深々と頭を下げながら、セオに向けて差し上げる。
 セオは小さく息を吐き出してから、静かに頭を下げた。
「謹んで、受け取らせていただきます」
 そう告げてシルバーオーブをそっと受け取る。老爺はその場に深々と平伏し、動かなくなる。なにを言っても聞いても、まともに返事が返ってこなさそうな、頑な、というか生きたまま石になってしまったような印象を受けた。老爺の心臓が鼓動を刻んでいるのは、はっきり感じ取れるのに。
 レウはそろそろと仲間たちの様子をうかがう。セオは受け取ったシルバーオーブを袋に入れたのち、軽く周囲を見回してから、仲間たちに視線を向けた。ラグは眉根を寄せながら肩をすくめ、フォルデは顔をしかめながら舌打ちをして首を振り、セオがおじいさんに声をかける前から周囲を鋭い視線で観察していたロンは、セオに向き直って小さくうなずく。
 つまり、調べられるだけのことは調べた、ということだ。セオは最後にレウに視線を向けてきたので、にっかり笑顔を返すと、セオの口元が一瞬わずかに揺れた。
 ともあれ、とりあえずここでやれることはもうない。セオはもう一度おじいさんに向けて深々とお辞儀をし、「ありがとう、ございます」と礼を述べてから、祠を出た。おじいさんを含めて六人が中に入るだけで、だいぶ手狭に感じるほど小さな祠だ、全員数歩で祠を出て、扉を閉じた。
 顔を見合わせ、言葉を探す。今調べたことや気づいたことで、あれこれ相談したいことはあるが、今相談を始めてしまっていいものか、みんな少し悩んでいる風だった。背後には神々が造ったと思われる祠、視線の先にはバラモスの城、正直なにを盗み聞かれてもおかしくないが、かといってこの世界の中で神々に盗み聞かれることがない、と断言できるほど安全な場所というのも存在しない、と聞いている。
 レウはもう話しちゃっていいんじゃないかな、と思ったのだが、セオは「あの……」と、いつもながらの奥ゆかしい調子で提案した。
「とりあえず、オクトバーグにルーラしませんか? もともとその予定でしたし、できれば落ち着いた場所でお話ししたい、ですし……」
 レウを含めた仲間たちは顔を見合わせて、めいめいうなずきを返す。
「そうだな。とりあえず、どこか落ち着けるだけの場所に移動した方がいいだろう」
「あの性悪女が造った街で、『落ち着ける』なんてとこがあるとは思えねぇけどな」
「その時は、ルーラで一緒に転移してくる魔船で話せばいいだろう。どうせオクトバーグに移動することは決まってるのに、話す場所探しに他の街へ向かうのも馬鹿馬鹿しいしな」
「そーだな。イエローオーブ奪還作戦の準備もいるし!」
「おいクソガキ、てめぇんな話あの街でぺらぺらくっちゃべりやがったらぶっ殺すぞ」
「んなことするわけねーだろ! みんなの邪魔になるのわかってんのに!」
「フン……どうだか。お前、勢いでそういう配慮だのなんだの、全部頭から吹っ飛ばしかねねぇところあるしな」
「ぬぐっ……」
「ま、今からんなこと心配しててもどうしようもねぇか。一応信じたってことにして、動くことにゃあ異存はねぇぞ」
「………? それって信じてるってこと? 信じてないってこと?」
「あからさまに信じてないっつってんだろーが、言葉わかってねーのかてめぇ」
「――という建前ではあるものの、真情としては当然のごとく信じているぞ、と言っているのさ。お前もわかっているだろう、レウ?」
「はぁ!? なに抜かしやがってんだこの腐れ賢者、てめぇはいっつもてめぇ勝手にこっちの言うこと……」
「んー、気持ちはわかるけどさー、なにが『言いたい』のかはよくわかんねーんだもん。フォルデってこっちに『伝えようとしてる』ことと、喋ってることと、気持ちが全部違うとかよくあるし」
「なっ……」
「と、パーティ最年少の少年がこう言っているが?」
「……っ、うるせぇ黙れくっだらねーことぺちゃくちゃ喋ってんじゃねぇっ!」
「もー、なに怒ってんだよー? っとにしょーがねーなーフォルデって」
「だ、ま、れっつってんだろーがっ!」
「あだだっ、ぐぬぬっ、負けるかぁっ」
 そんないつもと似たような会話を交わしてから、セオのルーラでオクトバーグへ飛ぶ。いつものように瞬時に視界が切り替わり、バラモスの城を望む湖から、これまでの旅で見てきた街の中でも最大級の商店街へと変じた。
 ――が、その商店街は、この前来た時に見たものとは、明らかに違っていた。前は人いきれで息もできなくなりそうだったのに、今は通りにほとんど人がいない。
 数少ない通りに立つ人々も、ほとんどは通りの隅で密やかに囁き合っているばかりで、以前のような通りを満たす呼び込みの声は、どこからも聞こえてこない。というか店がまるで開いておらず、人は家の中に閉じこもっている様子で、ルーラしてきた自分たちを誘導する係員も、どこにもいなくなっていた。
「……、なんだこりゃ」
「なにかが起きた……のは、確かだろうけど」
「少ないとはいえ、人がいるんだ。素直に聞いた方が早いだろうさ」
「そうだな。……すいません、少しよろしいでしょうか」
 ラグが先頭に立って、道端で話していた人々に声をかける。その人たちは警戒心に満ちた目を向けてくるも、会話そのものを拒もうとはしなかった。
「あの、この街で、なにか起きたんでしょうか? 以前この街に来た時とは、あまりに違うもので……」
「ああ……あんたら、今この街に来たばかりか。なにも知らねぇんだな?」
「はい。よろしければ教えていただけると……」
「まぁ、かまわんがね。単純さ。革命が起きたんだよ」
「……革命?」
「ああ、そうさ。税を搾り取られていた庶民連中が耐えかねてね。共謀して反旗を翻し、街を支配していた独裁者、女商人のオクタビアは捕えられた。今は牢獄の中で、沙汰を待っているはずさ。まぁ、打ち首だろうと言われちゃいるがね」
「――――」
 セオが小さく息を呑む音が、レウの耳にも聞こえた。

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