シルバーオーブ〜イエローオーブ――2
「バッッカじゃねぇのあの女! あれだけ偉そうにふんぞり返っときながら、街の連中に反乱起こされて檻の中かよ! 支配者連中みてぇなクッソくだらねぇ真似しときながら、行きついたとこはその中でもとびっきり情けねぇ、反乱されて捕まえられて打ち首だぁ? 俺らにああだこうだ偉そうなこと抜かしくさってきやがったくせして、なに下手こいてんだ、バッッッカじゃねぇの!?」
 とりあえず街の人間に聞かれない場所で話をしよう、とルーラによる転移についてきた魔船の船室に入るや、フォルデがすさまじい勢いで怒鳴り散らす。それにやれやれ、と肩をすくめながらも、ロンも同意を示してみせた。
「ま、相当に因果な商売をしていたようだからな。当然の報い、と言えば言えるが。正直に言わせてもらえば、俺もフォルデに同意するな。あれだけ狡賢い手管を見せつけておきながら、この始末。情けない、無様としか言いようがない」
「まぁ、オクタビアさんも別にお前らに褒めてほしいとは思ってないだろうけど。……ただ俺も、こんな結末になるとは思ってなかったな。あの人は、俺にはすごく抜け目のない人に見えたから。自分の街の治め方が反乱の種を撒くのも承知で、したたかに悪賢く振舞ってる、って印象を受けたんだけど……」
「え、そーなの? 俺、てっきりあのおばさん、なんかすごいせっぱつまってんのかなって思ってた」
 ラグが嘆息するように漏らした言葉に返したレウの感想に、場がざわめいた。すばやく仲間たちと視線を交わしたのち、ロンが真っ向からレウに訊ねる。
「切羽詰まってる、というのは、どこからそう思ったんだ?」
「えー? だって、なんとなく、そーかなって。セオにーちゃんもそう思ってただろ?」
「えっ」
 レウに水を向けられて、セオは思わずびくっと身を震わせる。全員の視線を集中されて、うろたえ慌てたものの、正直に答えないという選択肢もないので、こくりと小さくうなずいた。
「えっと……うん。オクタビアさんは、たぶん、だいぶ追いつめられている、んだろうなとは、思ってた、かな……」
「はぁ!? お前んなことひとっことも言いやしなかったじゃねーかっ!」
「いや、セオにしてみれば、言う必要もないと考えるようなことだったんだろう。基本、セオは自分が気づいていることはみんなも気づいている、理解していることはみんなも理解している、と考えがちな子だし……」
「その時点で明らかにおかしいだろうがよ、こいつほど頭いい奴がごろごろ転がっててたまるかってんだ」
「えっ……」
「……んっだよ事実だろーがっ、てめぇは自分が頭悪ぃとでも思ってんのかっ」
「え、でも、その、あの、フォルデさんや、みなさんの方が、実際にはずっと、ずっと頭がいい、って」
「ほほぅ……成長したな、フォルデ。いや本当に成長した。お前がとうとう、ついに、セオの優れた点を、喧嘩を売るようにとはいえ、真正面から褒められるようになるとはな……これはめでたい。状況が許せば祝いの席でも設けたくなる域だな」
「うっっせぇわ! それとうっっぜぇ! とっとと話進めやがれ! おらセオっ、てめぇはあの女のどっから、追いつめられてるなんぞってことがわかったんだ、あぁ!?」
「……その……そもそも、異常な税率の税を、課しているってこと、からしておかしいです、よね? オクタビアさんは、商人。それも、おそらくは裸一貫から、功成り名遂げた苦労人、です。むやみに高額の税を、課したところで最終的には、むしろ得られる金額は、少なくなるってことくらいは当然、理解されている、はずなのに」
「あいつがそこまで考えてなかった、ってだけじゃねぇのか」
「その程度の、経済に対する、思慮の浅さで、これだけの巨大な街を、あっという間に造り上げられる、とは思えません。無茶な税金にも、街の急成長、にもなんらかの理由がある、と考えた方が自然、です。そして、彼女をそう動かした根本、最大の理由については、彼女が根深い心的苦痛、というか『街を大きくしなければならない』という強い、強迫観念に追い立てられていた、からだと考えるのが一番、妥当じゃないかな、って……」
「強迫観念……?」
「……オクタビアさんの人生の中で、なにがなんでも自分の街を持ってそれを大きくしなくちゃ、と思うようなことがあって、そのためになら人生の他のものをなにもかも放り捨てるような生き方をしてきて……実際に自分の街を持って、それを充分以上に大きくすることができても、その生き方を変えられずに、進む足を止められなかった……って、ことかな?」
「あっ、そ、そうです、そういうこと、なんじゃないかな、って……」
 セオはこくこくと激しく幾度もうなずく。さすがラグだ、人の心の綾を解きほぐすのがうまい。
「……ふむ、確かに。うなずけるところもあるな。あの女は、これまでにも何度も、頑なに『自分の街のため』という行動原理のもとに邁進し、人間社会の良識を放り捨てるところを見せてきた」
「良識もお前に語られたかねぇだろうけどな……ま、あの女が、てめぇの街を造るため、って理由で、えげつねぇ手使って、何度もこっちを嵌めようとしてきたのは確かだけどよ」
「へー、そーなんだ……で、これまではそれを避けてこられたけど、イエローオーブの話の時は、あのおばさんにはめられちゃった、ってことかー……」
「うぐ……」
「だーっうっせぇ、てめぇに言われたかねぇわ、相手の口先にしょっちゅう踊らされてるくせしゃあがって!」
「あー、それもそーだな! ……ってゆかさ、あのおばさんが牢獄に入れられたってことは、イエローオーブはどーなんの? 他の誰かのもんになるの?」
『…………』
 無言のうちに視線が幾度も交わされる。そう、自分たちになにより大きく関わってくるのは、その問題なのだ。
「……この街の法律に、よればだけど。収監された罪、にもよるけど、この街で一番多い罰則は、罰金刑、なんだ。それも、一般的な刑罰の範囲より、はるかに莫大な、金額の。そして、罪人の有する財産が、莫大と認められた場合は、単純な金額の累積ではなく、保有する財産、すべてに対する割合で、罰金額が定められる、とされている。オクタビアさんの資産が莫大でない、と扱われることはないだろうから、たぶん、法律が正しく執行されれば、オクタビアさんの財産をすべて現金換算したのち、その何割か分を、まず保有する現金から、ついで価値の高い財物から現金化して、行政府が徴収して整理、するということになる、わけだけど……『革命を起こした』とされる状況下で、法が正しく執行、される保証はまず、ない、だろうね……」
「……お前この街の法律なんていつ……あーいや、いいや。お前のことだから、イエローオーブが分捕られたって知った時点で速攻調べるよな……調べ方はどうとでもなるんだしよ」
「あ、はい、えと……というか、あの。訪れる国や街の法律を、事前に調べておくのは、旅の作法です、よね……? オクトバーグはそもそも街が、ここまで大きくなったってことを知ったのすら二度目、に訪れてからだった、ので……本当に、思慮が足らず、申し訳ないんですけど……」
『…………』
「いや、うん。理屈ではそうだけど、それを実行できる人はそうそういないからね。実際に調べてるセオは充分偉いと思うよ、うん」
「え、いぇっ、ぁの、そんな、ことは……」
「だーっうっぜぇな、ちっと褒められたくらいでもじもじしてんじゃねぇっ! とにかくだ、結局イエローオーブは今、どこにあんだよ!」
「……『革命』から、さして時間が経っていない、という状況。そして、オクタビアさんの、どんな仕事も自分で抱え込もうとする、仕事のやり方。それらを考え合わせると、イエローオーブは今も、オクタビアさんの隠していた場所に、変わらず放置してある、と思います。イエローオーブの存在を、できるだけ隠したかったであろうオクタビアさんからすれば、人目につく形で飾ったり、するはずもない、ですし……安置した場所を知っている部下の方々、がいるにしても、おそらくは他の数多の財物、と同じものとしてみなしているだろう上に、その存在の情報すらもおそらく、複数の人間を部分的に介在、させることで情報の隠匿を図っている、と思いますから」
「え、えっと……つまり、どーいうこと?」
「えっと……隠し場所を、定期的に変えている、ってオクタビアさんは言ってた、よね? だとしたらその、『場所を移す』って仕事さえ、もたぶん言われるがままに動く部下、を何人も使って、『場所の現在地を知っている人間が誰もいない』って状況を創り出してると思う、んだ。勇者を自分の、自由に動かそうとする人間が、勇者の仲間の盗賊を警戒する以上、それくらいはしている、はず」
「え……え、えっと?」
「つまりだな、場所1から場所2へイエローオーブを移すとする。そういう時も、何人もの部下を分けて使って、まず場所1から場所1´に移す。場所1´から場所2´へ、場所2´から場所3´へ、と何人もの人間が別々に繰り返し移動させてから、最終的に場所2へ移動させる。移動させてる部下の方も、自分が移動させたものが今も自分の知っている場所にあるとはわからない。知ってるのは自分が場所1から1´へ、あるいは1´から2´へ、2´から3´へ、動かした事実だけだ。何人もが何度もあちらこちらへ移動させてる、くらいのことは想像できるだろうけどな。そうやって『現在地を誰も知らない』状況を創り出すわけさ。知っているのはオクタビア本人だけ、そもそもとりあえずの最終地点である場所2からだって、すぐに移動させるんだろうからなおさらだ」
「あ、あー! そっかぁ、すごいな、あのおばさん頭いーんだー!」
「まぁ、この手を取るためには人に見つかりにくい、かつ警戒厳重な宝物の安置場所を複数用意する必要があるが、まぁこれだけでかい街を仕切っているとなればそのくらいは楽に用意できるだろうしな。……なにか俺が言い漏らしたことはあるかな、セオ?」
「なっないですっ、ロンさん、すごく、すごいですっ」
「いやいや、先に思いついたのは君だからな。今回は俺は単に君の言いたいことを翻訳してみせただけだよ」
「……つまり、こういうことか? 『イエローオーブの現在の置き場所を知っているのは、オクタビアさんだけ』……」
「……はい。山彦の笛を使った探査、はもちろんできますけど、あれは基本的に、大まかな場所を探り当てる、ためのものですから、街中で正確な場所をすぐさま探知、するのはちょっと難しい、と……オクタビアさんもたぶん、探査術を妨害する魔道具はある程度、用意していた、と思いますし。それに、オクタビアさんの財産は現在おそらく、革命政府……『政府』と呼べるだけの、まとまりを有しているかはまだわかりませんけど、革命を起こした人々が、管理している形になっている、はずです。その中を探し回るというのは、横領の類をやろうとしているとしか、思えないでしょうから、争いになりますし……かといって革命政府に、イエローオーブのことを正直に話しても、欲にかられた人がこっそり、私有しようとしない、という保証はありません」
「……つまり、あの女と面会して、イエローオーブの場所を聞き出して、こっそりそこから頂戴する、って仕事になるわけか」
 ふふん、とフォルデは自信たっぷりに鼻を鳴らしてみせた。
「つまり、盗賊の仕事ってこったな。いいだろう、やってやろうじゃねぇか。まずはあの女のところに会いに行くとしようぜ。向こうがだんまりを決め込もうが、ある程度反応が読みとれりゃこっちのもんだ。どれだけ厳重にしまい込んでようが、しっかり頂戴してやらぁ」
 頼もしいことこの上ない言葉に、セオは思わず頬を上気させながら、「はい!」と力を込めてうなずいてしまった。フォルデにはまた鼻を鳴らされて額を弾かれてしまったが、セオにしてみれば鮮烈としか言いようのない、見事で洒脱な啖呵だったのだ、感嘆せずにはいられない。
 それになにより、フォルデが自分の言ったことはなんとしても実行する人間だとセオは知っているのだ、啖呵の切れ味に感じ入らない方が無理だろう。そんな想いを込めて、立ち上がって先に立ち、船室を出ようとするフォルデの背中を見つめていると、なぜか唐突に振り向かれて、「じろじろ見てんじゃねぇ!」と叱られた。

 オクタビアは、彼女自身が建設を命じたという牢獄の最奥で、厳重な警備の中収監されている、と自分たちは結論を出した。
 街中で集めた情報を集めたところによると、オクタビアは基本屋敷に籠っており、ほとんど外に出ないまま、高額で雇った傭兵たちを屋敷の護衛役にしていたため、オクタビアへの反感は街中に渦を巻いていたにもかかわらず、手が出せなかったのだという。だが、勇敢なる革命政府の首領たちは(主に酒場で派手に祝杯を挙げていた連中から話を聞き出したため、この手の文言が話の中に頻出していた)、慎重かつ大胆に計画を立て、その傭兵たちに一人ずつ調略を仕掛けていったのだという。
 たいていの傭兵は、『革命の邪魔をしないでいてくれればオクタビアの財産から相応の金額を分け与える』という言葉にあっさり主を裏切ることを決めた(オクタビアが雇い主では無理もない、と情報提供者たちは口を揃えて言っていた)という。『傭兵は信用第一』と断固としてオクタビアに従うことを選んだ連中もいたが、革命政府の首領たちは、そういった連中が情報をオクタビアに漏らしていないことを確認したのち(もちろん漏らしていたとしても問題ないよう偽装工作は施していたそうだが)、連中の契約が切れてオクトバーグを去った、その切れ目の時間を使ってことを起こしたのだそうだ。
 当然ながら、オクタビアが新しく雇う予定だった連中にも調略を仕掛けており、仲間に引き入れていた。ここまで大胆な行動が可能だったのは、オクタビアの側近を何人も抱き込んでいた(側近たちの間にすら、それほど不満が溜まっていたのだ、というのが情報提供者たちの言だ)というのが大きいそうな。
 ともあれ、そうやってオクタビアの実働戦力を取り除いてしまえば、あとは圧倒的な人の数による力でオクタビアを圧倒できる、という首領たちの目算は、見事に図に当たったそうだ。むろんオクタビアの屋敷の護りを無効化できるよう、あらかじめ正門の鍵やらなにやらを事前に手に入れておく必要はあったが、それもオクタビアの側近が何人も仲間にいるのならば、さして難しいことではない。
 そして街に渦巻いていた不満を思う存分爆発させた民人たちは、オクタビアの屋敷を打ち壊す勢いで押し寄せ、オクタビアを捕え牢獄に放り込んだのだという。正直、ラグからすると、暴徒と化した連中によくそこまでの自制心が働いたものだと思うが、少なくとも今のところ、革命政府の首領たちにはオクタビアを殺す――私刑のみならず、処刑するという意味でも――つもりはないらしい。
 そして現在は、オクタビアの財産を現金化し、革命に参加した人々に分配する作業の真っ最中なのだそうだ。それが終われば自分たちも大金持ちだ、と話を聞いた連中は全員機嫌よくそう笑っていたが、いかにオクタビアの財産が莫大なものだろうと、数を恃みに攻める際の駒のひとつでしかなかった人間に、そこまでの大金が降ってくるとは思えない、というのがラグの正直な感想ではあった。
 ともあれ、オクタビアの現在の居場所は見当がついたと言っていい。あとは誰が、どうやってそこまで侵入するか、と話し合おうとするや、フォルデがあっさり言ってのけた。
「この街の牢屋なら前に調べに入ったことがある。どんだけ厳重に警備してるのかは知らねぇが、素人がどんだけ警戒したところで、俺たち全員を誰にも気づかれずに一番奥まで連れていく邪魔にはならねぇよ。その程度の仕事目ぇつぶっててもできらぁ、ちょろいなんてもんじゃねぇぜ」
 隠密行動には正直あまり自信のないラグも込みでオクタビアの前まで連れていく、という仕事がそこまで簡単にできるものか、不安に思わないこともなかったのだが、フォルデは気負いも意気込む気配もなく、当たり前のような顔で言ってのけたので、とりあえずフォルデに任せよう、と全員一致で決まり、自分たちパーティはフォルデの先導のもと、警戒厳重な牢獄の最奥への侵入行を開始し――そしてすぐに、レベル99の盗賊のすさまじさというものを思い知らされることになったのだ。
 まずフォルデは、牢獄に姿も隠さず、真正面から堂々突っ込んでいった。ある程度離れた場所から見ていたラグたちは気がもめてしかたなかったのだが、信じがたいことに、もうすぐ牢獄の正門にたどり着く、という頃に唐突にフォルデの姿が視界から消える。
 仰天して周囲を見回し、気配を探り、それでもフォルデの影すら見えず、改めてまじまじフォルデの消えた場所を見つめて、ようやく気づいた。フォルデは、どこにも消えてはいない。ただ気配を消し、足音を消し、存在感を消しただけだ。それだけで人間の知覚力ではその姿を認識できなくなり、消えたとしか思えなくなってしまう。
「隠形術の極意も極意だな……」
「たぶん、俺たちが一瞬姿を見失うよりもはるかに前から、周りの連中にはフォルデの姿は見えなくなってるぞ」
 こそこそ囁き合う自分たちをよそに、フォルデは正門脇の通用口を、武器を構えた衛視たちが見張りをしているすぐ隣で、誰にも認識されることのないままあっさり開き、中に入った。そして入り際にぽい、と気軽な仕草で手の中から石を投げ打つ。石は宙を飛んで牢獄の壁の角にぶつかり、かたたっ、と何人もの人間がこっそりと足早に通り過ぎたかのような音を立てた。
 当然衛視たちは顔を見合わせ、四人組のうち、二人が物音の立った方へ誰かいるのかと見に行って、二人がその場に残り周囲の様子を厳しくうかがい始める。これに気づかれずに入れっていうのは俺には無理だぞ、と眉を寄せていると、ふいに音もなく通用口の扉が開いて、衛視たちの後ろから、視界に入らないまま、フォルデの腕が伸びて、同時にきゅ、と軽く衛視たちの首を絞めた。
 とたん、衛視たちは白目を剥き、立ったまま気絶する。フォルデが小さく手招きをしたのに従い、せいぜい物音を立てないようにしながら足早に動いて、フォルデがまた音もなく開けた通用口の中へ飛び込んだ。
 ……正直、自分たち程度の隠密術では、周りに音も漏れただろうし、気配もろくに消せなかっただろうし、そもそも飛び込む時の様子を牢獄の中の警備人員や牢獄の周りをうろつく連中に見られでもしたら一発で存在がバレてしまっただろう、とラグとしてはひやひやものだったのだが、後でそういうことを言うとフォルデはあっさりと、特に気負いも粋がりすらせずに、こう言ってのけた。
「そんなもん、そういう連中の視線が逸れた間合いを狙ったに決まってんじゃねぇか。そいつらの気を逸らすためにも石投げて、でかい音立てたわけだしな。一瞬でもそんな間合いが作れりゃ、お前らの速さなら、その一瞬の間に中に飛び込めるってわかってんだ、こっちは一瞬の隙をうががやぁいいだけだぞ。その程度のこともできねぇ新米盗賊と一緒にすんな」
 新米だろうが達人だろうが、人間にはそんな何人もの人間の気配を同時に探り、視線が逸れる一瞬の隙を読み取る、なんて真似はできないだろうと指摘すべきかと思ったが、フォルデ本人は当然のように言葉通りに思い込んでいるようだったので、あえて言及はせずにおいた。レベル99――本当に人でなし≠ニなったのはラグも同じなのだから、ラグ自身にもその類のずれはあるのだろうし。
 ともあれ、自分たちを牢獄の中へ誘導した(当然内部も自分たちを見つける可能性のある場所にいる見張りは全員『処理』している)フォルデは、一瞬だけ気を失わせた衛視たちにこれまた一瞬で活を入れて、その存在を認識させないまま、自分たちが気を失ったということさえ気づかせないまま、自分たちを招き入れて一度閉じた扉をまたも音もなく開けて、音も気配もなく、誰の視界にも入らないまま中に入って閉めた。
 ここまで、フォルデが牢獄正門に向けて歩き出してから、百数えるほどの時間も経っていない。
 ――そんな存在が仲間にいる以上当然ながら、自分たちの侵入が警備している人間に悟られることはまるでなかった。フォルデが自分たちを最奥の牢獄に連れてくるまでに、さして時間がかかることすらなかったのだ。最奥への通り道を警護している衛視たちを、的確に、気づかれもしないうちに『処理』する速度と技術がどれだけ桁外れだったか、ラグのような鈍重な戦士でも理解できないわけがない。
 ともあれ、自分たちパーティは、いつ気づかれるかもしれないという不安すら感じることのないままに、最奥の牢獄、鉄格子の向こうの、寝床すらまともに用意されていない部屋の床に、ぺたりと、子供のように座り込んでいるオクタビアの前に立ったのだ。
「………なんだい。勇者さまのお出ましかい。話をどっちに転ばせるにしても、遅すぎるご登場じゃないか」
 視線をこちらに向けもしないまま、うつむき加減にそうぼそりと呟くオクタビア。この事態が身に応えていないはずはないだろうに、その舌鋒はまるで鈍った様子を見せない。
「チッ……相変わらず、口の減らねぇ女だぜ。てめぇがどんだけ下手打ちやがったのか、わかってんのか」
「少なくともあんたに偉そうに論評される筋合いがないってことはわかってるさ。さっきまであたしを血走った目で見張ってやがった衛視どもがいなくなったってことは、どんな手を使ったにしろ、あんたらの、人でなしさまの力をお振るいになったってこったろう。当たり前みたいな顔でそんなことができる奴らが、人の社会なんぞいくらでもぶち壊せちまう奴らが、人がましい顔して人間さまのやることに口出してんじゃないよ」
「はぁ!? このクソ女、てめぇなに抜かしこいて――」
 怒鳴りかけたフォルデに、オクタビアは顔を上げた。目の下にひどい隈を作り、ポルトガ王を誑し込んだほどの美貌を見る影もなく歪ませた、鬼気迫る表情でぎっと自分たちを睨みつける。
「あたしは! 街を護ろうと、全力を尽くした! 自分のできることはなんでもやった、死に物狂いで、本当になんでもやったんだ! 安全に商売ができるように傭兵を雇った、安全な街を造るための金を得るためにどんな商売人からだろうと金を吸い上げる仕組みを作った、この街から商人が離れられないように職人も技術者も抱え込んで街を通さなけりゃ商売できないようにした! それも、全部、全部! この街を、あたしの創った街を護るためだ! 人間が、命懸けで、自分の命を護るために、なりふり構わず死に物狂いでやったことだっ!」
「なっ……」
「それを! ただの人間が必死にやったことをっ! 人でなしさまが、人間でなくなった奴らがっ! 上から、偉そうに、ああだこうだと抜かすなっ! あんたらなんかには、人でなくなった奴らなんかには、あたしらが、あたしが、明日も生き延びられる居場所を作るために、どれほど必死にならなきゃならないかなんて、絶対にわかりゃしないんだっ!!」
 絶叫して、オクタビアは血走った目で自分たちを、目の前に立つセオを睨む。憎悪と怨恨と歪んだ敵意を叩きつける。一方的で、理不尽で、そして痛切なその敵意に、セオは――
 ひどく静かな表情で、頭を下げた。
「ごめんなさい」
「てめっ……」
「セオにーちゃ……」
「本当に、ごめんなさい。オクタビアさんを、助けることができなくて、力が足りなくて、嫌な思いをさせて、本当に、本当に、ごめんなさい」
「っ……」
「だけど、俺には、今の俺には、お願いすることしか、できないんです。本当に、ごめんなさい……お願いします、オクタビアさん。どうか、俺たちが、魔王のいる場所へ行くために……力を、貸してください」
 深々と、そして静々と、頭を下げるセオの姿には、同時にどこか決然としたものが感じられた。オクタビアの事情を、感情を、理解した上で、しなくてはならないことを為す、そのために全力を尽くすという決意が。
 ……それはたぶん、セオが自分に対して、『人の心を解きほぐす能力が自分にはまったく足りていない』という負の方向への自負心を有しているからだろう。自分がなにを言っても、なにをしても、オクタビアは自分を許さないしその心を癒すこともできない。ならばできないなりにできる限りのことをするしかない、という。たぶん、『自分にできることならばなんでもする』というぐらいの気持ちは持っているだろうが、どれだけの労力を払ったところで必ずしも成果が上がるわけではないのが、心の問題というものだと理解しているだろうから。
 なので、ラグは、わずかに前に進み出て、唇を噛み締めセオを睨みつけているオクタビアと、ひたすらに頭を下げ続けているセオに、声をかけた。
「二人とも。横から口を挟んで申し訳ないけれど……意思疎通がうまくできないのなら、そばにいる人間を頼ってほしいな。俺たちも、飾りでセオの仲間をやっているわけじゃないんだから」
「え……」
「……なにが、言いたいのさ」
「オクタビアさん。無粋を承知であえて確認しますが、あなたがセオに――勇者に敵意を抱くのは、かつて勇者に助けられたから、ってことで間違いないですか?」
「っ……!」
 ぎっとこちらを睨みつけてくるオクタビアに、ラグはあくまで淡々と問いかける。
「あなたはかつて、『明日も生き延びられる場所』を奪われた。魔物にか、人にか……その両方か。そして、その中で、命を勇者に救われた。それで……勇者本人か、周りの人間かにはわからないけど、なにか言われたのかな。それとも、単純に自分でそう感じたのか。どちらにせよ、あなたは、『馬鹿にされた』と思った。勇者なんて人の世の理の枠組みの中には存在しない代物なのに、そんな奴が圧倒的な力の大鉈を振るって人の世の在りようを変えたことを、人でなしの力で救われたことを、屈辱だと感じた。自分たちの努力が、必死に生き延びようとした尽力が、まるで無駄だと言われたような気がした。だから、セオを、勇者を、自分の支配下に置くべく画策した。……それで、間違ってないですかね」
「……なるほどな。勇者に対する命令権、なんてとんでもないものを手に入れておきながら、それを積極的に利用するどころか、いつでも命令権を活用できるよう、俺たちとの確実な連絡手段を構築しようとする様子も見せないのは、奇妙だと思ってはいたが。勇者を支配下に置くことそのものが目的だったわけか。……ま、よくある思考だな」
「なんだって……!」
「ロン」
「悪かった。無駄な口出しは控える」
 軽く手を挙げてそう答え、その言葉通りにロンは口を閉じた。ロンとしては、『女の気持ちをああだこうだと考えるような無駄な労力は使いたくない』というところなのだろう。こいつは徹頭徹尾、女性というものに関わろうという意欲がない。
「……それが、どうしたってのさ。あんたにはなんの関係もないこったろうが、偉そうに嘴を……」
「いいえ、関係ありますよ。ないわけがない。俺は、俺たちはセオの仲間です。だからセオを傷つけようとする奴がいるなら放っておく気はないし、セオと気持ちが行き違っている人がいるなら、手を貸そうともします」
「っ………」
「それに。勇者に助けられたことをどう捉えるかはあなたの自由ですが、勇者ってものを誤解するのも、勇者に身勝手な気持ちを押しつけるのも、俺は放っておく気はないんです」
「はっ……誤解、だって? 身勝手な気持ち、だって? ふざけるんじゃないよ! あたしが、勇者なんてもののために、人でなしなんてもののために、どれだけの辛酸をなめたと……!」
「それは、勇者があなたに直接押しつけたものですか? それとも、勇者の意思に関係なく、間接的に押しつけられた、とあなたが感じているものですか?」
「………っ!」
「もちろん、勇者だからって、ひとしなみに扱っていいとは思いませんが……少なくとも、俺はセオのことはよく知っている。だから、セオという勇者については、はっきりこう言えるんです。――セオは、世界を救うために、世界のあらゆる苦難と悲しみをなくすために、死力を尽くしている」
「…………」
「……ラグ、さ……」
「ふ……ざけるなっ! 勇者ふぜいが、偉そうに……! 人間の、人間でしかない奴の苦労が、苦痛が、人でなしにわかると……!」
「それを言うならあなただって、勇者がどれだけ苦労してるかなんてわからないって理屈でしょう。苦労や不幸の比べっこをしても不毛だってことは、あなたもわかってるはずだ。人間だったら普通、自分が世界の誰より苦労している、辛酸をなめさせられているって感じてしまうってだけでね」
「なに、を……偉そうに……!」
「あなたは実際、努力してきた人なんだ、と思います。目的のために……『明日も生き延びられる居場所を作る』ために、それこそ手段を選ばず尽力してきたんでしょう。それは決して馬鹿にしていいことじゃない。俺としてはむしろ、尊ぶべき、褒められるべきことだと思う。たとえ周囲に評価されず、獄に繋がれることになろうとも、評価される価値のあることだと思う。……そして、同様に、『世界を救う』なんていうお題目のために、それこそ死力を尽くして、少しでも多くの人の命と心を救おうとする、勇者の努力も、馬鹿にされていいことじゃない、評価されるべきことだと思うんです」
「ふんっ……ふざけるな。くだらないお題目に殉じて命を懸けたところで、それがなんの役に立つ。見当違いのところに無駄に労力をつぎ込んだ、ただの馬鹿の……」
「少なくともサマンオサは救いましたよ? サマンオサの勇者と、その息子の心も。王女の心も。ノアニールを眠りから救い、青の森≠フエルフたちの心をいくぶん解きほぐし。ロマリアの王の冠を取り返し、バハラタで誘拐犯から誘拐された女性を取り戻し。ジパングでも少女を生贄に捧げる儀式を止め、人々の心の在りようを変えることすらしてみせた。誰も救えなかったわけでも、無駄だったわけでもないのは間違いのない事実だ」
「っ……」
「あなたが『明日も生き延びられる居場所を作る』という目的のために街を造ってみせたように、セオも『世界を救う』という目的の途上で何人もの人を救ってみせた。セオに対して心から感謝している人ばかりじゃないにしても、『自分たちは勇者セオに救われた』とはっきり自覚している人は決して少なくない。あなたが頑張ったように、セオも頑張った。死力を尽くした。それは認めてください。それができないというのなら、あなたは自分の行為の正しさを、誰に対しても主張することができなくなる。『自分の目的のために死力を振り絞った』という事実を、自分以外には認められない、ってことになるわけですからね」
「……っ……」
「その上で、改めてお願いします。イエローオーブを渡してください。俺たちが自力で探しても見つけられないことはないかもしれませんが、俺はどうか、あなたに渡してほしい。これまで死に物狂いで頑張ってきたあなたに、誰に理解されずとも目的のために死力を尽くしてきたあなたに、同じように頑張ってきた、故郷で周囲の人々の無理解に苦しまされてきた、『勇者セオ』の努力を認めてほしいんです。……あなたにも、それは決して意味のないことじゃないはずだ」
「………、…………」
「おま……」
「ラグ兄……」
 深々と頭を下げた自分に、周囲から視線が集まるのを感じる。ある視線は熱く鋭く、ある視線は戸惑いに満ちて、ある視線は冷静かつ楽しげで――そしてある視線は、狂おしいほどに、胸が痛くなるほどに、美しく澄んで、切ない。
 戦士として、真の人でなし≠ノなったという初めての自覚が、視線として向けられた気配に込められた感情の察知だというのは少々しまらない気もするが。優しいあの子の切なさが、これほどまでに身に迫って感じられるというのなら、ラグとしては正直、悪くない。
 深々と頭を下げているラグの隣に、セオが進み出て、同様に深々と頭を下げる。そして、わずかに震えた声で、再度願った。
「……オクタビアさん。お願いです。イエローオーブを、渡して、ください」
「…………」
「あなたが、どれだけ頑張ってきたかってことは、俺なんかにも、少しは、わかります。街を護るに足る、精鋭と呼べる傭兵を雇うのに、一人平均月五千七百七十六ゴールド。この街で衛兵として働いている傭兵の方が、二百十七人。いざという時の防衛戦力として待機している方が、三百十五人。衛兵として働いている方々は、実働時間の多さで、そしてこの街に対して抱いた、不満を腕ずくで黙らせるという仕事をしてもらうための賞与金等により、月給が平均で千四十八ゴールド加増。防衛戦力の方々は、魔物を倒すための一介の出勤ごとに賞与金を出すため、月給が平均二千二百三十四ゴールド加増。傭兵たちを指揮する人材は、その人脈と人心掌握術を含めた技術料として、月給が平均四千九百六十九ゴールド加増。総計四百八万九千九百十八ゴールド。防衛費のうち、人件費だけをとっても、この額です。年額に直せば、防衛費の総額は、百十四億七千三百三十一万六千五百七十七ゴールド。……大国の国家予算に、匹敵する額です」
「っ………」
 オクタビアが、息を詰まらせたような声を漏らす。おそらく、街の予算を正確に言い当てられて仰天したのだろう。
「あんた……それを、どこで……」
「? えっと、オクタビアさんと、少しでもまともに、話をするために、傭兵の雇用費の相場とか、この街での賞与金等による収入の増減とかを、この街の傭兵の方々に聞き込み、をさせていただいて調べた、んですけど……間違って、ました?」
「………っ」
「それだけの税収を、得るために、街の住人がそれだけ、商売ができる場を、整えるために、どれだけの試行錯誤を、費やされたか。どれだけの先行投資を、行われたか。方々の商人と顔を繋ぎ、街に誘致するために、どれだけ身を粉にして、働かれたか。俺には想像することしか、できませんけど、少なくとも本当に、人生を懸けて、取り組まれていたことだ、ということは、わかります。防衛費だけでなく、技術投資費、防災費、自治都市という行政単位を、成り立たせるために必要な、外交をはじめとした行政整備費用……それらを合わせれば、前年度の年額予算は、最低でも三百七十一億九千四百三十万を、超えたはず。立ち上げたばかりの、都市国家ひとつで、まかなうには、あまりに無理がありすぎる額です。オクタビアさんの持ち出しは、最低でも、百億単位……概算で、百九十六億七千五百一十万くらいに、上ったはず」
「は!? なんだそりゃ、百億って……この女、んな阿呆みてぇな大金払って、この街を維持してたってのか!?」
「……はい。この街の人口は総計で、現在十五万八千三百二十八人ですが、税金を支払える経済的な成員の数で考えれば、十二万六千五十四人にまで落ちます。店を構え、大きな商いをすることができる人数に限れば、わずか三万五千八百二十六人。商業を活性化し、人を呼ぶため、税率は最高でも、収入の二割程度にしかできないだろうことを、考えると……それだけの額が、必要になるかな、って……」
「それだけの額っつったってなぁ! 二百億近い額だぞ!? んなもんどっから持ってきてたんだこの女!?」
「……地道に商売して稼いだ額、でしかないだろうな、この場合。ま、地道に商売といっても、法に触れない程度なら汚い手はいくらでも使っただろうし、法に触れても誰にも気づかれなければ問題ない、くらいの判断はしていそうだが」
 ロンが仏頂面で(おそらく間接的にとはいえ、女性を評価するような言葉は吐きたくないのだろう)、ぶっきらぼうに吐き捨てる。
「この女の思考からすると、そこで『真っ当』でない金を使うわけにはいかないはずだ。街の立ち上げの段階で、資金繰りに汚職の疑いがかけられれば、商人たちに見放されかねん。『そんなバレるような汚職をする奴が頭を張っている街に金を吸わせるわけにはいかない』という思考でな」
「いやだからってよ! んな金そうそう簡単に稼げるもんじゃねぇだろ!? いったいどうやって……」
「だから、地道に商売して稼いだんだろう。少なくとも街の資金に自分の持ち出しを投入するのは最初の数年、というつもりではあったんだろうが、その数年のための金額を稼ぐために、この女はこれまでの一生を懸けてきたんだろうさ。……ことによると、蒼天の聖者%aがこの女に力を貸していたのは、その辺りの事情も理由のひとつにはあるかもしれんな」
「なっ……」
「え、サヴァンって、このおばさんになんか力貸してたの?」
「いや、前にも話しただろう? サヴァンさんは、オクタビアさんに、この街の立ち上げの時期まで、『さんざん使われてる』って言うぐらいに力を貸してたんだよ。行き倒れてるところを助けられたから、ってあの時は言ってたけど……たぶん、自然に穏便に俺たち、というか勇者としてのセオのパーティに接触するため、みたいな理由もあったんだろう、って考えてたけど。それだけじゃない、って言うんだな、ロン? あの人の行動原理だっていう、『失われる命を減らす』って原則に則ったものだってことか?」
「ああ。この街が大過なく立ち上げの時期をやり過ごすことができ、安定期に入れば、新たにひとつ人類の拠点となる場所が増える。難民として無為に失われるだけだった命を、救う機会が増える。たぶんあの人は、そういう目論見でこの女に手を貸してたんだろう。この女が街の経営に持ち出せるだけの資金を稼ぐため、個人の商売に身を粉にして力を貸したんだろうな。あの人らしいといえばあの人らしい」
「っ………」
 唇を噛んでうつむくオクタビアの様子からすると、そんなサヴァンの目論見に気がついていなくもなかったのだろう。オクタビアの思考からすると、生きた伝説である賢者――勇者の仲間たる人でなし≠ノ、いいように使われたと屈辱を覚えているかもしれない。サヴァンの方としても、そんなオクタビアの心境に頓着するようなものの考え方はしなかっただろうし。お互いに利用し合っていた、ぐらいが一番マシな表現かもしれなかった。
「……それだけの大金を、稼ぐため。あなたが、どれだけ、全霊を振り絞って、働いてきたかは、俺には、想像しか、できません。でも、本当に本当に、大変だっただろうことは、わかります。苦しくて、苦しくて、それでも逃げ出せない、すごく、すごく厳しい日々だっただろうということは、想像がつきます」
「…………」
「そんな苦しくて、苦しくてたまらない日々に負けずに、オクタビアさんが頑張ってきたのは、本当にすごく、褒め称えられていいことだと、思います。オクタビアさんの気持ちに、共感してくれる人がいなくても、一人で頑張ってやり抜いてきたのは、絶対に、おろそかにされていいことじゃない、って思います」
「黙りな」
 低く、オクタビアが告げた言葉に、セオはなんと言えばいいのかわからない、という顔で黙り込んだ。自分がなにを言ってもオクタビアに嫌な思いをさせてしまいそうだ、と動けなくなってしまっているのだろう。
 だが、ラグの目からすると、これは、たぶん。
「……あんたは、なんで世界を救うんだい」
「え……へ、え? な、なんで、ですか?」
「そうとも、あんたがなんのために死力を振り絞って世界を救おうとするのか、答えてもらおうじゃないか。そっちのお子さまじゃないんだから、仮にも勇者さまがこのくらいの質問に答えられないわけはないだろう?」
「なんだよお子さまってー!」
「てめぇ以外の誰だっつーんだよ、いいからちょっと黙ってろ」
 レウとフォルデが小さくやり合っているのをよそに、セオはひどく戸惑った顔でオクタビアを見ていた。セオにしてみれば、オクタビアは自分を嫌っている相手だ、だから自分のことなど少しも知りたくはないだろう、という理屈が当然以前の代物として頭の中にあるのだろう。
 だが人間は、そう簡単でも単純でもないし、明哲でも聡明でもない。自分ですら自分の感情が御しきれないことも、理解できないこともたびたび起こる生物だ。そして、少なくともオクタビアがセオに向ける感情は、憎悪一辺倒ではない。
「………、なんで、というか。俺には、そのくらいしか、できることがないから、っていうのが、最初の理由、ではあるんですけど」
 そう、セオはおずおずと口を開く。セオが心の中を素直に口にできる機会は珍しい、ラグもこっそり耳をそばだてた。
「世界を救うくらいのことしか、俺には、できないって思ったから。せめてそれだけは、全力でやろう、ってやってきたんですけど。実際には、俺は、世界を救う程度のことも、まともにできなくて。仲間のみなさんに、迷惑ばっかりかけて。……それなのに……」
 セオは一度言葉を切って、おずおずと、気弱げに――けれど視線を逸らしも揺らしもせずに、自分たちを見回す。緊張と気合を示して力の入っていた筋肉が、一瞬緩んだのがわかる。セオの口元が揺れ、顔が歪み、へちゃ、とわずかに笑顔に似た奇妙な表情を形作った。
「俺の、仲間の、みなさんは。それでも、俺を、見捨てないでくれたので。こんな俺と、ちゃんと、仲間になってくれたので……俺も、せめてそれくらいは、お返ししなきゃ、って思ったんです」
「……お返し?」
「仲間の、みなさんと、それから、世界に。仲間のみなさんの生きている、世界を護りたい、自分のできる限りで救いたい、って。だから、俺は……本当に、充分以上に与えてもらった、ので」
「は………?」
「いろんなものを、与えてくれた。それに俺のできる限りで、返そうとすることを、許してくれた。俺を、仲間に大切にしてもらっている俺を、大切にするってことを、教えてくれた……そんな人たちがいてくれるから、俺は、『もういい』って。すごくすごく幸せだから、『もうこれ以上、なにもいらない』って、思って。そんな、俺じゃ抱えきれないくらいの、幸せをもらった分は……世界に少しでも、返したいって、思ったんです。昔の俺と、同じように、幸せをもらうってことが、できない人たちに、できないものたちに、俺のもらった幸せの、何万分の一にしかならないだろうけど、返したい、って」
『……………』
 思わず、揃って沈黙する。それをどう受け取ったのか、セオは必死な顔になって、懸命に自身の心情を訴えた。
「俺は、本当に、もらいすぎなくらい、俺じゃ受け止めきれないくらいのものを、もらったんです。だったら、それに、自分のできるめいっぱいでお返ししなくちゃ、したい、って思うのは、当たり前、じゃないでしょうか。与えてくれた人たちに、どれだけ返しても、この気持ちは薄れない。それなら、大切な人たちを生み出してくれた世界に、そこに生きるものたちに、できる限りのものを返すのは、当然のことだろうって……魔王が世界を壊そうとするなら、それを防ぐぐらいのことをしなくちゃ、申し訳が立たないって思う、んですけど。……俺の考え方は、間違って、いるでしょうか」
「……つまり、こういうことかい。あんたは、お仲間たちが優しくしてくれたから、そのお返しに世界を救う。そこにあんた自身の意思は、あんたが自分で道を選び取ろうとする心はない。そういうことでいいんだね?」
 意地の悪い言い方だし、意図的に悪い方向へ歪められた受け取り方だ。フォルデとレウが顔色を変えかかるが、それより先に、セオは戸惑ったように首を傾げ、問い返した。
「自分で、道を選び取る、というのは。自分一人だけで、他の人を疎外して、選ばなくてはならない、という前提なんでしょうか?」
「………は?」
「自分の本来の意思を、自分が本当はなにを求めているかということを、自己と対話して見つけるためには、他者からの影響を遮断する、という手法は有効だと思いますけど。他者との繋がりが否が応でも生まれる、世界や社会という枠組みの中で、自分がどういう道を選択するか、ということについては、他の人からの影響を、除去する必要性が、あんまり思いつかない、んですけど……」
「っ………」
「オクタビアさんは、『明日も生き延びられる居場所を作る』という道を選び取る時に、他の人を疎外して、影響を遮断した上で選んだ、っていうこと、ですよね? 自分の道に、他者を介在させないやり方を選択した、っていう。なにもかもを自分の責任で行う、他人のせいにはせずに、自分の意思のみに基づいて選択する、そういうやり方は、他人に責任を押しつけずにすむ、っていう利点がありますけど……『他人が責任を負えない』っていう、欠点もあるので、どちらがいいかについては、一概には言えない気がする、んですけど……」
「……なんだって?」
 オクタビアがぎゅっと顔をしかめて、セオの顔を睨む。セオがその鋭い眼光に素直に視線を合わせてくるのに舌打ちし、感情を押し隠した硬い声で問うてきた。
「『他人が責任を負えない』ってのはなんだい。なんでそんなことが欠点なんて話になる?」
「え。だって、その。オクタビアさんの、話で言うならば……オクタビアさんの作られた街は、オクタビアさんだけが住む町、じゃないです、よね?」
「当たり前だろ。だからなんだってんだ、結論を先に言いな」
「あ、はい。じゃあ……多くの人が住む街なのに、他の人たち全員が、オクタビアさんに責任を『押しつけさせられる』っていうのは、どっちにとっても不幸なことじゃないかな、って思う、んですけど」
「…………!」
 オクタビアが大きく目を見開いて絶句する。ラグも思わず目をみはった。それは、たぶん――セオがあの世界の果ての小さな島で、初めて心から実感した、『自分を大切にしてくれている人がいるんだ』という悟りから生まれ出た思考のひとつだ。
「ええと、論理展開の過程を、説明、しますね。『責任を負えない』というのは、政治的にも実利的にも、対象がどうなろうと、責任が取れない、という状況を指します。最初から責任が、成すべきことが与えられていないので、対象から利益も、損害も、受け取ることができない。オクタビアさんの件について言えば、街の運営に責任を持てる立場ではないから、運営に参画できないから、街がどれほど栄えようと、そこから直接的な利益を得ることはできない。そして、街がどれほど落ち目になろうと、その理由を『自分たちの責任』に求めることができない。誰かのせいにすることしか、できないんです」
「…………」
「責任を背負い込むということは、他者に責任を押しつけない、誰かのせいにしないことです。だけど、責任のなにもかもを背負い込むことは、他の人たちに責任の押しつけを強要する、ということに繋がる。それは、責任を押しつけられるのと、どちらがマシかわからないくらい、人の意気を損なうこと、だと思うんです」
「…………」
「街を造るということは、共同作業で、何人もの人が協力して成し遂げること、なんですよね? その中で、オクタビアさん一人に責任を押しつけさせられるのは、一方的だ、不条理だ、と反感を得る可能性が、高いですし……自らを恃むところのある人ならば、すごく物足りないこと、だと思うんです。そして、責任を負っていない人間は、責任の重みがわからない。責任を負った結果、得られる利益ばかりに目をつけて、一方的に責め立て、騒ぎ立てたくなってしまう。同じ場所で、一緒に同じことをやって生きていく人に、責任を負わせないのは、相手を一人前の人間とみなさない、人でないもの扱いする、ことだと思うんです」
「…………」
「もちろん、オクタビアさんにとって、能力的に物足りない相手だったならば、一人前扱いすることはできないですから、なにもかもを自分一人で選択するやり方にも、利点はある、と思いますけど。少なくとも……人でないもの扱いをされながら、それでも相手に、優しい気持ちや、気遣いや、労わろうとする気持ちを、持ち続けていられる人は……本当に、本当に数少ない、砂山の中の黄金より稀な、優しすぎるくらい優しい人たちだけ、だと思う、ので」
「……だからあたしがこんな目に遭っても当たり前だ、ってかい?」
 低くオクタビアが言った言葉に、セオはふるふると首を横に振った。
「当たり前だとは、思いません。頑張った人が、損なわれることが、当たり前になって、いいわけがない、と思います。オクタビアさんの施政に、問題があったとしても、謀略と暴力で、起こした革命を、よしとすべしというのは、それこそ一方的でしょうし。ただ、正しいかどうか、とは別に、責任を一人で背負い込まれたら、人でないもの扱いをされ続けたら、相手を人でないものと、自分たちの好きなように扱っていいものと、考えたい人が生まれる、のも確かなこと、だと思います」
「…………」
「あ……! そ、のっ、オクタビアさんの施政、に問題があるか、はこれまでの、調査では、完全には、わから、なかったので、俺から、の見方、しかできなくて、本当、に申し訳、ないんです、けどっ」
「ああ、もういいもういい。……わかったよ」
 オクタビアはいかにも鬱陶しげに手を振り、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「馬鹿馬鹿しいったらないね。人でなしに喧嘩を売って、死に物狂いで戦って。それで結局このざまかい。人でなし風情に偉そうな口を叩かれて、言い返すこともできずか。まったく、あたしも焼きが回ったもんだ」
「あぁ!? っだその言い草下手打っときながら偉そうに」
「フォルデ」
「っだよ! この女に言われっぱなしですましていいとかてめぇも思っちゃいねぇだろうが!」
「だからな、フォル」
「執務室の椅子の下」
「え……」
 唐突に一言、そう告げられた言葉に場が静まり返る。オクタビアはその一言を告げたのち沈黙し、もはや口を開こうとする気配さえない。そっぽを向いて中空を、苛烈な視線で睨みつけている。
 そんな彼女に、セオは深々と頭を下げた。
「オクタビアさん。本当に、本当に、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
 それでもオクタビアは返事をしようともしない。唖然としていたフォルデの眉根がまた寄ったが、ラグはその肩を軽く叩き、退出を促した。小さく舌打ちしたものの、フォルデは素直に先頭に立ち、牢獄の立ち並ぶ場所の最奥の一角から出て行く。まぁフォルデに先導されなければ自分たちはすぐに牢番たちに見咎められてしまうだろうから、頼もしい限りではあった。
 セオは数十秒の間、ひたすらに深々と頭を下げていたが、自分がそろそろ退出を促そうかと考えるや、顔を上げて軽く一礼したのちオクタビアに背を向ける。オクタビアはそれでもセオに視線を向けようとはしなかったが、ラグとしてはとりあえず満足していた。勇者を、セオを疎み排斥しようとしていた人間が、セオを否定することができなくなったのだから、結果的にはそう悪くはないはずだ。
 ラグも続いて一礼したのち背を向けるが、その耳に、衣擦れの音で消えてしまうほど微かに、しゃくりあげる声が聞こえた気がしたが――当然振り返ることはせず、足を速めて仲間たちの退出を促した。彼女が、落としたくもない男に涙を見られることを喜ぶとは思えない。一人で泣きたいだけ泣く時間を与えるくらいのことは、男としてしてもいいはずだ。
 だから、牢獄から抜け出る際に、オクタビア周辺の見張りや見回りを担当している看守たちは、念入りに落としておくことにした。ロンには、無言ながらも呆れた顔で肩をすくめられたりしたけれども。

『執務室の椅子の下』を探る役目は、フォルデが一人でやった。屋敷に忍び込んで宝物を盗ってくるというのは盗賊の本領だ、誰が一緒でもこの街の衛視連中程度に見咎められるような下手は打たないが、足手まといがいない方が格段に仕事は楽なのには違いない。
 屋敷の中はそれなりに人の行き交いがあったが、フォルデは誰の視界にも入ることなく奥へと進み、執務室に音もなく忍び込んだ。音を聞いてわかっていた通り、その中は何人もの男たちが家探し――というか、少しでも金目のものが見つからないかと目を皿にして部屋中をひっくり返していたが、フォルデはその全員を、気づかれもしないまま絞め落として意識を失わせ、『執務室の椅子の下』の探索に取り掛かる。
 この執務室とやらの中はおおむねそうであるように、オクタビアの座っていた椅子も質はそれなりであっても簡素で、飾りも、ものを隠すような大きさも持ち合わせてはいなかったが、フォルデは慌てず椅子に仕込みがないか、椅子の周りに仕掛けがないか、などなど思いつくところを手早く調べていく。思った通り、椅子の下の床、さほどややこしくもない仕掛け戸の下に空間があり、そこにこれまで見つけてきた五つのオーブと同じ形の、黄色い宝玉が鎮座していた。
 ことによると、定期的に場所を移動させているというのははったりで、実際にはずっとここに隠してあったのかもしれない。常套手段のひとつではあるし、あの女が代わりの利かない大切なものを誰かの手にゆだねるというのは、今考えると違和感を覚えないでもないし。
 どちらにせよ、いまさらそんな細かいことを聞く機会などないだろうし、あったとしても聞くつもりもない。自分がここに来る前からその発想に至れなかったことに、音を立てずに苛立ちの舌打ちをしたのち、立ったまま意識を失わせた男たちに、ひそやかに、そして手早く活を入れ、この場をあとにした。
 仲間たちが待っているのは、街の中央、噴水広場北の入り口のはず。誰の目も引かないままに足早に歩を進め、予定した場所よりわずかにずれた、広場脇の武器防具屋の前で仲間たちがたむろしているのを見つけた。
「おい」
 低く声をかけると、仲間たちがそれぞれ驚いたように振り向いた。自分の忍び足を感じ取れなかったのかと思うといくぶん胸に沸き立つ思いがなくもないが、ロンだけは一人悠々と落ち着いて振り向いてきたというのがどうにも面白くない。
「早かったな。もう少し時間がかかるもんだと……」
「待ち合わせは広場の北の入り口のはずだったろうがよ」
「ごっ、ごめん、なさいっ! 本当に、本当に、ごめんなさいっ! フォルデさんの、動き、の速さを、見誤ってっ……仲間の力、を見誤る、なんて本当に失礼な、ことなのにっ……!」
「だーっ鬱陶しいぐだぐだどうでもいいこと抜かしてんじゃねぇ! なんかあったのかって聞いてんだよっ」
「まぁな。とりあえず、この店の品揃えを見てみろ」
「品揃えだぁ?」
 そんなものを見てみてなんになるというのか。自分たちは市場で扱える品物ならば、最高価格帯の代物をとうに手に入れている。いくら掘り出し物があったとしても、まだ出来上がって一年やそこらしか経っていないこの街で、それ以上のものがあるはずもなかろうに。
 そんなことを考えながら店の中に入り――思わず、息を呑んだ。
「………っだこりゃ」
「ドラゴンキラー、魔法のそろばん、魔法の前掛け、天使のローブ……『もはや製法も失われた』と言われていた、伝説級の武器防具がどっさりだ。正直、俺も驚いた」
「この街ができるずっと前から、開発させられていたんだそうだ。この街近くの鉱脈から豊富に産出する、ミスリルを使って。この街ならではの、この街でしか買えない武器防具。そんなものがあれば、そりゃどこの国、どこの商人だろうと、この街のことを認めないわけにはいかないだろうな」
「開発されられてたって……」
 誰が、と一瞬言いかけて、気づいた。そんなことができる女は、ただ一人しかいるまい。この街を、事実上たった一人で動かしてきた女しか。
 唖然とするフォルデに、ラグとロンはそれぞれ、苦笑と面白くなさそうな表情を顔に浮かべながら説明する。
「あの女はどうやら、最初からこれを見越してここに街を造ろうと考えていたらしいな。伝説級の武器防具を再現するために、あちらこちらの意欲があって腕の立つ鍛冶屋を集めて、研究資金をありったけ積み上げて共同研究させていたようだ」
「街の構想とどっちが先だったのかは知らないけど。少なくともこの位置にミスリルの鉱脈を見つけた時から、あの人はそういうことを考えてたんだろうな。伝説級の武器防具を研究開発させて、それを街の売りにする。交易上の拠点となりえる位置関係に、スーやサマンオサに対する人脈、それに加えてそんな売りまでできれば自治都市としては完璧だ」
「その研究開発の資金も、それに携わる人々の人件費も、すべて自分の持ち出しというところがいやらしいな。契約やらなんやらもがっつり結んであることだろうし、この街の特産物はすべてあの女の独占状態と言っても過言ではない。ことによると、あの女今の事態も想定していたんじゃないか? 状況をひっくり返す、あるいは最悪の事態でも最低限の取り分は厳守する、そういうことも考えて研究開発に金を出していた線が濃厚になってきたぞ」
「まぁ、むしろそれを考えない方が不思議だ、って話になってきたな。というかこれ、あの人を牢獄に入れたところで、街を牛耳ることなんか事実上不可能なんじゃないか? 街の最大の特産品、他に替えが利かない代物が事実上あの人の私有物なんだから。まぁあの人の財産すべてを奪ったっていうんなら、そういう財産権みたいな法律上のあれこれも奪えるのかもしれないけど……」
「……っつぅか、お前ら。こんな店先で、いっくら名前伏せたって、んな話普通の声で話してていいのかよ」
 フォルデが一応そう指摘すると、ロンは軽く肩をすくめる。
「心配せずとも、遮音結界はちゃんと張ってある。別にわざわざ鎌をかけずとも、普通に張ってあるかどうか聞いてくれていいんだが?」
「俺からすりゃ、たとえよそに聞こえなかろうと往来でそんな話するなんざ正気の沙汰じゃねぇしな。ま、聞こえてもどうとでもなるんだから、俺はどうでもいいけどよ」
『……心配するな、セオが泣くような真似はしない』
 その一言だけは声にも口の形で表すこともせず、ただフォルデの耳だけに囁き声として届いた。ちっ、と大きく舌打ちをするフォルデに、ロンはあくまで涼しい顔で言ってのける。
「ま、難しいだろうな。そもそも、ここは曲がりなりにもダーマに自治都市として認められた街だ。下手を打てばダーマが治安回復のために乗り出してくる。革命となれば、基本的には内政干渉を避けるためにしばらく様子見はするだろうが……この街の法律上の主はあの女で、理由はどうあれ今の革命政府はその実質的な権限を暴力で奪い取ったわけだ。法律を無視してやりたい放題して、治安が悪化するようなら、ダーマも腰を上げるのに躊躇はしないだろうな」
「というか……あの人の財産を分配するとか言ってたよな? あの人の財産って、この街を運営する資金にもなってたんだろ? それを分配って、あんまりまともな政府を開いてくれそうな気はしないよな」
「……と、いうか、その。たぶん、あの人の財産を整理したら、金銭的には赤字になるはず、です。あの人の商売の経緯の、すべてを知ってはいないですけど、サヴァンさんがどれだけ協力したとしても、街の運営に対する資金の持ち出し、商品の研究、開発費用、屋敷をはじめとした、権力者としての威勢を誇るための見せ金、そういった諸々を考えると、相応の借金があってしかるべき、だと思います、から」
「……じゃあ、つまり、こういうことかい? 革命政府は、暴力によってあの人の財産を得た以上、あの人の借金も背負わなくちゃならない。得るものがあったとしても、整理すれば結局は赤字の財産を得た以上。そしてその上で、これから街を運営しようとするなら、私財を投じて、普通なら破産してるだろう額の借金を背負わなくちゃならなくなる、と」
「はい。そう、なります」
 きっぱりはっきりうなずいたセオに、自分たちはしばし沈黙し、それから揃って噴き出した。ロンは忌々しげに舌打ちし、レウはいまいちぴんとこない、という顔で首をかしげていたが。
 真面目な顔で、困ったように首を傾げるセオに、フォルデはくっくと笑いながら訊ねる。
「おい、セオ。お前、最初からそのことわかってやがったな?」
「え、あの。最初……って、どこ、のことですか?」
「少なくとも、今日オクタビアと話をする前からだ。この街の財政状況がわかってたんだったら、お前がそんな状況読めねぇわけねーもんな」
「え、それは、その。当たり前、のこと、ですよね……? オクタビアさんが私財を投じて、街の運営をしている事実を知ってるのに、革命を起こした人々が、借金を背負うことになるだろうっていうことは、予測できない、っていう方が不自然、な気がするん、ですけど……」
「あー、そーかいそーかい。じゃーこの前オクタビアと話した時、イエローオーブを奪われたってことを知った時にゃ、もうオクタビアが借金漬けだってことは知ってたのかよ」
「えと、はい。街の人口と、街の経済状況がわかれば、ある程度は街の運営状況も読み取れ、ますよね? オクタビアさんが私財を、どれだけ投じているかはまだ、把握できていなかったんですけど、少なくとも、オクタビアさん一人に、街の運営が任されているのなら、相当な額の借金を行っている、ってことくらい、は……」
 ぶっ、とフォルデとラグは揃ってまた噴き出す。どいつもこいつも笑えるったらない。これで自分たちは大金持ちだなんぞと、笑える夢を見て革命を起こした馬鹿どもも、経済状況と街の未来を見据えた上でのセオの忠告に、意固地になって反発したオクタビアも。
 そんな中でセオは一人、そいつらとは違うところを見て、ひたすらにオクタビアのことを気遣っていたわけか。オクタビアの事情を、おおむね見通した上で。なんというか、いろんな意味で笑えてしょうがない。
「……で、どうする。革命政府に教えてやるかい? あの人が借金まみれだってことやなんかをさ」
「冗談。そんな義理あるかよ」
「その意見には俺も思うところがありながらもおおむね賛成だが、これは賢者としてダーマにご注進した方がいい事柄だという気はするな。失われた伝説級の武器防具を生産可能な街の政治がこうもごたついていては、世界の平和と均衡を促進するダーマが黙っていられるはずもない。どうせ首を突っ込んでくる相手だ、早めに知らせてやった方がことの収束は早く済むだろう」
「……ま、いいけどよ。首突っ込んで、いったいなにするってんだよ」
「とりあえず、政局の安定だろうな。次にこの街を誰が牛耳るかをとっとと決めてもらう。自治都市ってことになっている以上自分たちで自分の面倒は見てもらわなければ困るし、ダーマ側としても従属都市を増やすようなやり方は好まない。……で、こういう時はダーマはたいていの場合国民投票というか、国民すべての意見を収集する手法を多用するからな。少なくとも自治都市民の意見が影響されない、ってことはないだろう」
「国民すべての意見を収集だぁ? そんなもんどうやって……」
「賢者のお家芸を使えばどうとでもなるさ。それなしでも不可能ではないだろうが、一番簡単で確実だからな」
 軽い仏頂面で鼻を鳴らされ、フォルデも遅ればせながらSatori-System≠フことを思いだした。あれは賢者なら誰でも使えるということだったから、確かに賢者が本格的に乗り出してきたならば、使われないわけはないだろう。
 小さく、けれど忌々しげに舌打ちする自分をよそに、ロンは話を先に進めていく。
「あの女も早々に開放されることになるだろうな。この街の存在意義たる、伝説級の武器防具を生産できる技術と流通を法律的に保有する奴が罪人扱いでは、どう話を進めるにしてもやりにくい。そこから先どう転がるかは、あの女と住民の反応次第だが……」
「あの人もこの街の住民には嫌われているだろうけど。革命政府も、あまり好かれなさそうな気はするな。この状況下で寄ってたかって、あの人の屋敷の家探しなんてことをしているのを見ると。この街の支配者に返り咲くのは難しいだろう、とは思うが」
「そうだな。どちらにせよ……この店のように、不安に負けてぽろっと商品を先出しするような連中のことを革命政府が嗅ぎつければ、話がややこしくなる。あの女としては、自分が投獄されたりしたあとは何食わぬ顔で商品を店に出せばいい、というようなことを言っていたのかもしれんが……面倒ごとをダーマに任せる以上、無駄にことをややこしくするような要素は潰しておくのが礼儀だろうしな。ここの店長はじめ、関係者には少しばかり状況を説明してやるとするか」
 そう肩をすくめて、ロンは店先から店の中へと進み、店主に話しかけて説得……というか、口八丁手八丁で丸め込み始める。まぁこいつがこうもやる気になってるんだったら任せときゃいいか、とフォルデは肩をすくめた。たぶんオクタビアを評価せざるをえない状況になったこと、それを自分で見抜けなかったことがけっこう悔しかったのだろうが、正直気持ちはわからないでもなかった。
 どちらにせよ、とフォルデは閑散とした街の通りを眺めまわして思う。この街は、よかれあしかれ変わらざるを得ないのだろう。支配者が一人ですべてを抱え込み、民人はすべてを支配者に押しつけて、破綻した。
 オクタビアがやっていたようにうまくはいかないだろうが、いろんなことを諦めて、手放して、あちらこちらの目端の利く奴に食い物にされながらも、みじめな思いをどれだけ味わおうとも、やってのけなくてはならないのだ。民人たち自身の手で。支配者を破綻させたのは、手を下したのは、あるいは手を下すのを見過ごしたのは、この街の民人たちに他ならないのだから。
 それが面白いような、面白くないような、オクタビアを評価しなくてはならないのが鬱陶しいような、胸がすくような、混じり合う矛盾する思いに、フォルデはふんと苛立ちを込めて鼻を鳴らした。街を、国を、支配する側の連中も大変なのだと理解しなくてはならないという状況は、素直に『反吐が出る』と言い放つことができるのだが。
 フォルデは再度街の通りを眺めまわす。人通りがまるでなく、開いている店すらろくにない。最初にこの街に来た時の喧騒が嘘のように。
 社会は、世界は、こんな風に簡単に終わるのだ。それを覚えておこうと心に刻む。どんな栄華を謳おうとも、人が簡単に死ぬように、社会も、世界も、簡単に終わる。それはこのろくでもない一件の中で、フォルデが覚えておく価値があると、素直に思うことができるただ一つの事実だった。

「さ、みぃぃぃぃ………!!」
 悲鳴を上げるように呻くレウの体は、それこそ瘧にかかったように震えていた。やれやれ、と思いながらロンは、フバーヘラ――気温の変化を遮断する呪文を唱えたのち、メライル――弱暖気の呪文を唱えてレウの周囲の気温を一気に上げてやる。単純にメライルを唱えただけでは、この雪風の暴威の前では五つ数えるほどの間ももつまい。
 レウは助かった、という顔で「ありがとー!」と礼を言ってきたが、すぐにまた身を震わせる。もともとの気温が低すぎるあまり、レウの鎧や着衣の中に残った冷気が温まりきらないのだろう。ロンは苦笑して自分の身を抱きしめるレウの頭に手を置いた。
「だから言っただろうが、もっとしっかり防寒着を着込めと。いくら魔船の中が暖かろうが、もうレイアムランドに着くまで数日もないというところまで来てるんだ。毛皮のマントとコートだけじゃ寒いに決まってる」
「だってぇぇ……昨日外に出た時はそこまでじゃなかったんだもんんん……うぅぅ、さっみぃぃ……!」
「そんなに寒いんなら別に魔船の中に入っていてもいいんだぞ。というか、もともとお前の割り当てでは自由時間なんだから、一緒に見張りに出なくてもいいと言っただろうが」
「だって、今日は雪だからってんで、ずっと外に出れなかったし……見張りも俺だけ休んでいいって言われちゃったし……仕事ないし暇だしでつまんなかったんだもん……さみぃぃ……」
「外の様子を見てわかっただろう? 今日はお前じゃ見張りの役には立たないんだ。俺やセオのように呪文で感覚を強化できるか、フォルデのように桁外れに感覚が鋭敏か、ラグのように危険を察知する勘が並外れているか、じゃないとな」
 言いながらロンは周囲を眺めまわす。周囲は吹雪という言葉ですら物足りないほどに雪と水と氷が吹き荒れており、空はまだ昼だというのにほぼ闇黒に近く、船の行く先など常人の視力ではそれこそ一寸先も見通せない。周囲の気温は氷点をはるかに下回り、飛び散った海水の大半が空中で氷と化すほど。海も半ば以上が氷と化しており、魔船の先端に装着された砕氷機を全力稼働させながらじわじわと進んでいる状態だ。
「俺、ムオル育ちで寒さにはけっこー慣れてんのに……なんでここ、こんなにくそさみぃの?」
「さぁな、知らん。ま、レイアムランド周辺が古代帝国期からこんな風に極寒の地であったことは間違いないらしいが」
 言って肩をすくめる。まぁ推測だけならば、ラーミアの封じられた卵を護るためとか、神域に人が近寄ることを防ぐ防護策の一環とかいろいろ言うことはできるが、じきに真偽がわかるというのに、今から論議を始めようとするほどロンは学究的な性格ではない。しかも相手がレウだというのに。
 まぁ、セオがこの地にラーミアが封じられていると判断したのは、基本的には百年前の冒険家の手記によるものでしかないのだが。ここまで来てその判断が外れているとなれば大笑いだが、まぁこれまで誰からも、異端審問官からも聖者からも堕ちた勇者からもその判断を咎められていないのだから、普通に考えれば正しい判断なのだろう。
 とにかく、いい加減見張りを交代してやらねばラグに悪い。レウをとっとと中に追い返すべく、ロンはレウに向き直った――が、レウは唐突にかっと目を見開いて、船の舳先に駆け寄った。
「どうした!」
 追いながら叫ぶと、レウは目を見開いたまま叫び返す。
「どうって、見えねーの!?」
「なにがだ!」
「向こうが、なんか、光ってる! そんで海もぱぱーって光って、なんか、道みたいなのできてんじゃんっ!」
「は……!?」
 仰天しながらもレウに追いついて、レウの指し示す先を見てみるも、ロンにはそれらしいものはまるで見えない。見えるのはさっきまでと同じ、ひたすらに広がる暗闇と、雪と水と氷の嵐だ。
 だが、周囲を知覚を強化して眺めまわして、砕氷機が氷を砕く音がしないことに気づき、ぎょっとする。呪文も交えて詳しく観察し、さっきまでレイアムランドまでの道を塞いでいた氷がどこかへと消え去り、はるか彼方まで氷のない海が道を造っていることを確認して、思わず眉を寄せた。
「……つまり、これは、向こうから、勇者さまをご招待申し上げると宣言されたわけだな」
「へ? ゆーしゃさまって……俺?」
 囁きを交わすことができるほどの距離まで密着しているからだろう、打ち寄せる波濤の音にかき消されそうな声で呟いたロンの声を聞きとがめて、レウが自分を指さしてみせたのに、ロンは軽く肩をすくめる。
「お前以外に誰がいる。俺にはお前の見ている光は見えない。まぁたぶんセオにも見えるんだろうがな。向こうにとって、主役はあくまでも勇者だというわけだ」
「えー……つってもな、俺そんな大して旅の役に立ってるわけでもねーし、んな主役がどーこーとか……まつりあげられる? みたいな筋合いねーんだけどなー……」
「ほう、なかなか謙虚なことを言うじゃないか。お前にそんなしおらしいことを考える回路があったとは知らなかった」
「ロンお前、俺のこと馬鹿にしてんだろ? まー実際馬鹿だからいーけどさー。そんでもなんにも考えてねーわけじゃねーんだかんなっ」
「そうだな悪かった、改めよう。だが少なくとも、あちら側としては、そんなお前の心づもりに関係なく、お前さんも主役として扱ってくれるつもりらしいがな」
「ん……」
 この子供にしては相当珍しい、力の入っていない応え。それだけ緊張しているといえばそうなのかもしれないが。
 ある意味では当たり前なのかもしれない。これから自分たちは神域へと入ろうとしているのだ。ラーミアを復活させようとしているのだ。旅は間違いなく大詰めに差し掛かっている、魔王を倒す時がすぐ前まで来ている。それですべてが終わるとは思わないが、様々なことが大きく変わることは確かだろう。
 それでも、とロンは暗闇の向こうを睨み据える。勇者には見えるという光の向こう、神域の彼方に鎮座する連中を。
「うちの勇者たちになにもかもを押しつけようとするなら、相応の報いは受けてもらうぞ」
「? ごめん、なんて? 口ん中で言われたらよく聞こえねーよっ」
「とりあえず、俺はラグに報告して見張りを交代するから、お前は船内のセオたちに知らせてこい」
「あ、うん、わかった!」

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